カテゴリー「書評:科学/技術」の358件の記事

2026年6月 8日 (月)

E.T.ベル「数学は科学の女王にして奴隷 Ⅰ・Ⅱ」ハヤカワ文庫NF 河野繁雄訳

本書では、数学の巨大な蓄積から話題を選んでお話するが、そのことから少なくとも数学が生き生きとした生命をもち、成長の過程にあるということ、また科学・技術のある部門の理解に不可欠であることを感じとっていただけることと信ずる。
  ――読者へ

この広範な理論(集合論)は、大まかにいえば、曲線や曲面などを点の集合として取り扱う。
  ――第19章 “天を強襲する”

【どんな本?】

 数学とは何か。算数とは違うのか。数学者は何を考えているのか。数学にはどんな分野があって、どんな事ををやっているのか。数学は何の役に立つのか。お釣りの計算に役立つのは分かるが、それ以外にどんな事に役立つのか。科学と数学には、どんな関係があるのか。

 全米数学者協会の会長も務めた著者が、数学の全容を伝えようとする、一般向けの数学の解説書・エッセイ集。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 元は2冊の本だ。The Queen of Science, 1931 と The Handmaiden of the Science, 1937 いずれも著者は E.T.Bell。これの改訂・増補版が Mathematics,: Queen and Servant of Science, 1951。日本語版は1951年版をもとに東京書籍から1972年に「数学 化学の女王・科学の奴隷」として全3巻で出版。文庫はハヤカワ文庫NFよりⅠ・Ⅱの2巻で、Ⅰが2004年9月30日発行、Ⅱが2004年10月31日発行。なお、2巻とも副題がついていて、Ⅰは「天才数学者はいかに考えたか」,Ⅱは「科学の下働きもまた楽しからずや」。

 文庫で2巻、本文約340頁+312頁=652頁に加え、訳者あとがき2頁+文庫版訳者あとがき2頁+古永良正による解説「数学はどこから来て、どこへ行くのか」6頁。9ポイント39字×17行×(340頁+312頁)=約432,276字、400字詰め原稿用紙で約1,081枚。文庫2巻としては標準的な厚さ。

 文章は比較的にこなれている。内容は…うん、やっぱり数学の本だ。数式も専門用語もバリバリ出てくる。というか、数学の基本的な専門用語を説明する本でもある。環とか群とか。また、数学っぽい言い回しも多い。「もしa,bが類に属し、a=bならば、b=aである」とかね。著者によれば、数式は無視してもいいそうだ。けど、数学っぽい言い回しの方はかなり注意深く読む必要がある、と私は思う。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているが、第3章までは最初に読んだ方がいいだろう。以降は気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  •  Ⅰ
  • 読者へ/人名表
  • 第1章 さまざまな観点
  • 1-1 数学の目的
  • 1-2 黄金時代
  • 1-3 アーベルの忠告
  • 1-4 現代数学の精神
  • 第2章 数学的真理
  • 2-1 数学とは何か
  • 2-2 公準的方法
  • 第3章 束縛を破る
  • 3-1 初等代数学
  • 3-2 規則を変える
  • 3-3 公準はどのようにして生まれるか
  • 第4章 “同じであるが、同じでない”
  • 4-1 種痘代数学の実現
  • 4-2 有理数、実数、可算、非加算、離散的、連続、複素数、解析学、関数
  • 4-3 道の果て
  • 第5章 抽象術
  • 5-1 関心の移行
  • 5-2 非初等代数学
  • 5-3 環
  • 5-4 準同型、同型、自己同型
  • 5-5 束
  • 5-6 部分環、イデアル
  • 5-7 部分体、拡大
  • 5-8 斜体、線形代数
  • 第6章 大樹も一個の種子から
  • 6-1 変換
  • 6-2 幾何学の問題、変数再説
  • 6-3 行列
  • 6-4 国際連合への提案
  • 6-5 自然界の不変
  • 6-6 シルベスターの予言
  • 第7章 絵で考える
  • 7-1 グラフ
  • 7-2 デカルトの工夫
  • 7-3 無用な困難
  • 7-4 三つの示唆
  • 7-5 直線を代数学へ
  • 7-6 代数学を幾何学にもちこむ
  • 第8章 古い道標、新しい道標
  • 8-1 幾何学とは何か?
  • 8-2 クラインを越えて
  • 8-3 多次元空間
  • 8-4 双対
  • 8-5 “非計量的”対“計量的”
  • 8-6 連結性
  • 8-7 結び糸
  • 8-8 トポロジーの一種
  • 8-9 抽象再説
  • 第9章 群
  • 9-1 乗法表
  • 9-2 同型、準同型
  • 9-3 部分集合、剰余類、正規部分群
  • 9-4 置換群
  • 9-5 意味づけ
  • 9-6 無限群
  • 9-7 正20面体
  • 9-8 ガロアの理論
  • 第10章 “メトリカル”な宇宙
  • 10-1 ピタゴラスからデカルトへ
  • 10-2 デカルトからリーマンへ
  • 10-3 リーマンからアインシュタインへ
  • 原注及び訳注/解説:中村義作/索引
  •  Ⅱ
  • 人名表
  • 第11章 数学の女王
  • 11-1 始末に負えない領主
  • 11-2 フェルマ数とメルセンヌ数
  • 11-3 素数についてひとこと
  • 11-4 ディオファントス解析
  • 11-5 代数的数
  • 11-6 超越数
  • 11-7 ウェアリングの予想
  • 11-8 女王たちの女王の奴隷
  • 第12章 抽象と予測
  • 12-1 マックスウェルからレーダーまで
  • 12-2 二つの方法
  • 12-3 ある説明
  • 第13章 キュジコスから海王星まで
  • 13-1 王道
  • 13-2 ケプラーの信仰
  • 13-3 計算プラス洞察
  • 13-4 再び数学的預言
  • 第14章 二種類の絵
  • 14-1 科学における連続性
  • 14-2 科学における離散性
  • 14-3 永遠流転
  • 14-4 古代の哲学者と現代の衒学者
  • 14-5 微視的自然
  • 14-6 科学者の出番
  • 14-7 積分
  • 14-8 境界値問題
  • 第15章 応用数学の主な手段
  • 15-1 変化率
  • 15-2 高階導関数
  • 15-3 偏導関数
  • 15-4 微分方程式
  • 15-5 流体の流れ
  • 15-6 積分
  • 15-7 微積分額の基本定理
  • 第16章 微積分学を越えて
  • 16-1 極大極小
  • 16-2 最小作用
  • 16-3 変分法
  • 16-4 ハミルトンの予言
  • 16-5 複素関数論
  • 16-6 等角写像
  • 16-7 特殊関数
  • 16-8 一般化
  • 第17章 波動と振動
  • 17-1 周期性
  • 17-2 周期性をあらわすには
  • 17-3 フーリエの定理
  • 17-4 粒子から場へ
  • 第18章 選択と偶然
  • 18-1 確率
  • 18-2 パイと蠅とコンクリート
  • 18-3 統計と力学
  • 18-4 “確からしさ”は確からしいか?
  • 第19章 “天を強襲する”
  • 19-1 無限へ
  • 19-2 どのようにして無限は数学に入ってきたか
  • 19-3 無限を数える
  • 19-4 数とは何か
  • 19-5 デデキントの切断
  • 第20章 基盤
  • 20-1 数学的存在
  • 20-2 大いなる幻想
  • 20-3 ヒルベルトからゲーデルへ
  • 20-4 次代へ
  • 原注および訳注/訳者あとがき/文庫版訳者あとがき/解説:古永良正/索引

【感想は?】

 タテマエは一般向けだ。しかし、内容は高等数学紹介といったところ。普通科高校の数学の一歩先、ぐらいだろうか。そのためか、著者も「数学の全貌を伝える」のは諦めている。

専門的数学者でない者が、現代数学を深く立ち入って研究することは時間の浪費であることを認め、おおまかな展望で満足することにしよう…
  ――第1章 さまざまな観点

 まあ、それは読者も同じだろうけど。

 元々は1931年に出た本だ。そのためか、コンピュータ関係の記述はいささか怪しい。なにせ真空管の時代だし。だが、それ以外は、かなり歯ごたえがある。というか、私は多くの箇所を読み飛ばした。読みこなせるのは、大学で理系を専攻した人ぐらいだろう。これが数学の怖い所だ。

 さて、数学の正体そのものは、けっこうアッサリしている。

数学の本質は、公準と名づける明確に記述されたいくつかの仮定に基づく演繹的推論である。
  ――第12章 抽象と予測

 偉そうな言い方だが、「ルールを決めて、それに従ったらどうなるか見てみよう」、そういう事だ。このルールを公準と呼ぶ。

公準とは単に証明なしで認めることにした記述をいう。その有名な例はユークリッドの平行線公準(→Wikipedia)で…
  ――第2章 数学的真理

 その上で、たまに「ルールを変えたら面白いんじゃね?」とか「このルールは邪魔だよね」とか言いだす人もいる。

当面われわれにとって重要なことは、(N.I.)ロバチェフスキー(→Wikipedia)がユークリッドのゲームの規則を変更して、他のこれと同じくらい、面白いゲームを創案したという事である。
  ――第3章 束縛を破る

 ということで、非ユークリッド幾何学ができましたとさ。

 代数も自然数かた整数・有理数・実数・複素数と広がってきたけど、その先は…

有理数、実数、複素数と進んでくれば(略)なぜこのような一般化の方向をさらに押し進めないのか?(略)
このような特定の方向でこれ以上の一般化はできない…
  ――第4章 “同じであるが、同じでない”

 ということで、複素数までで終わりだそうです。ああ、良かった。

 はいいけど、普通の人は思うよね。「虚数って何よ?」私は「なんか知らんけど、そういうモノ」で誤魔化してるし、二次元の座標系で表すと、なんかわかったような気になる。こういうイメージは数学者にも必要らしい。

どの論理学者にせよ、またどの数学者にせよ、その意識の奥に何かモデルをもたずに、純粋に抽象的な推論によって多くのことを達成した人が、いまだかつていたかどうか疑わしい。
  ――第5章 抽象術

 でも四次元より多い次元のモデルを思い浮かべられる人って、いるんだろうか? いるんだろうなあ。まあいい。先の二次元の座標系ってのは、思ったより重要な発見らしい。

代数学と解析学――連続変化の数学――を、幾何学の伝統的語彙を用いて、“空間”のグラフ的言語に翻訳するという、きわめて稔り多い習慣が発展した。
  ――第7章 絵で考える

 おかげで幾何学と代数学・解析学が、互いに翻訳可能になったのだ。これが数学に与えた影響は…

…変換の一つの目的は、未解決の問題をすでに解決された問題か、でなければもとの問題よりも簡単で近づきやすい問題に帰着させることにある。
  ――第6章 大樹も一個の種子から

 互いのライブラリが利用可能になった…って、プログラマにしかわかりませんがな。そして幾何学からは、新しい数学が生まれたのだ。

トポロジーとは位相変換のもとで不変な空間の性質を研究する学問である。
  ――第8章 古い道標、新しい道標

 私もよく知らないけど、一筆書きとか球とドーナツとか。四色問題(→Wikipedia)もコレらしい。

 トポロジーはボンヤリと「何をやっているのか」が思い浮かぶんだが、見当もつかないものの一つが群論だった。

群論の広範囲に渡る威力は、それがみかけ上異なるものの、背後にひそんでいる同一性をさらけだすという点にある。
  ――第9章 群

 本書が説明している群は有限かつ周期性のあるモノで、曜日やルービック・キューブがソレだね。でも無限のモノもあるそうだから、わかった気になると後が怖い。

 さて、本書のテーマの一つは純粋数学=数学のための数学と、応用数学=何か応用目的がある数学の問題だ。意外と数学者も具体的な応用問題がある方が嬉しいらしく…

幾何学者たちがリーマン幾何学について論文をたくさん書くようになったのは、一般相対性理論(1916年)がこの幾何学を一般に普及してからにすぎない。
  ――第10章 “メトリカル”な宇宙

 なんて傾向も。数学にも流行りすたりがあるんだな。さて、本書の出版当時は数学の女王扱いされていたのが整数論。

ギリシア人が残した幾何学の問題のうち、現代人が解決できなかったものは一つもない。しかしギリシア人が残した整数論のあるいくつかの些細な問題――“完全数”など――となると、われわれはまだ解決できず当惑するのである。
  ――第11章 数学の女王

整数論は、数学において残された最後の大きい未開の大陸である。
  ――第11章 数学の女王

 と、純粋数学の女王に君臨していた整数論だけど、コンピュータの普及により今は暗号やビットコインで最もホットな領域になってるなあ。

 対して昔から物理学や工学の奴隷としてコキ使われていたのが代数学・解析学。力学の本を開けば数式が続々と出てくるし。

解析学(略)には、連続変化量(略)に関することがらはすべて含まれる。
  ――第12章 抽象と予測

 というのも、モノの運動や変化に関する事柄は、やっぱり数式が最も表しやすいからだ。

数理物理学の重要な方程式は、そのほとんどすべてが変化率のあいだの関係を表現したものである。
  ――第14章 二種類の絵

 中でも重要なのが微分方程式。

物理科学の重要な“法則”全体の99%までは、微分方程式、またはその系に含まれている。
  ――第14章 二種類の絵

 銃弾・砲弾の弾道計算とかね。そんな微分方程式の代表がニュートンの運動方程式。その元をたどれば天体の運動が楕円で云々にたどり着く。楕円の解析は数学の歴史でも重要らしい。

楕円がわれわれに教えてくれることがらに比べれば、円がわれわれに教えるものは何もないのと同様である。
  ――第13章 キュジコスから海王星まで

 この章で最初に登場するのがアレキサンダー大王の教師を務めたメイナイクモス(→Wikipedia)で、紀元前380年の生まれ。うーむ、私の数学能力は紀元前より劣っているのか。

 さて先に出た微分だが、この逆が積分。これは数学者でも扱いが難しいらしい。

優秀な解析学者でも解けないかもしれないような微分法(微分学)の難問は、解析学の非常に熟達した専門家でないと作れないといってよい。しかし積分法(積分学)の問題なら、2,3時間積分を勉強して記号の意味を理解した程度の初学者でも、現在の数学者はもちろんのこと、今後数世紀にも解けないような難問をつくることができる。
  ――第15章 応用数学の主な手段<

 いわゆる∫で表すアレね。これがよく出てくるのが…

古典的な力学や物理学において登場するのは微分方程式(変化率が項に含まれる方程式)であるが、履歴現象を扱う理論においては積分項が方程式中に現れる。
  ――第16章 微積分学を越えて

 だそうです。よくわからんが、オウムアムア(→Wikipedia)がどこから来たのか、みたいな?

 オウムアムアは太陽系から出て行っちゃったけど、地球や火星は太陽の周囲を回ってる。つまり周期性がある。また、音も波で周期性がある。交流電流や電波も波だ。これらを数学者は波動として扱う。

数学者にとって“波動”とは、ある微分放映式の解として得られる関数が周期性を持つことを表す便宜上の用語にすぎない。
  ――第17章 波動と振動

 怪しげな世界じゃ“波動”に別の意味があるらしいけど、数学じゃそうなんです。で、コレを扱う際は、どうしても三角関数が出てくる。

正弦や余弦が現代の科学や工学において重要なのは、それらが周期関数だからである。
  ――第17章 波動と振動

 で、例えば音の場合、たいていの楽器は幾つかの倍音を含んでいる。

フーリエの定理によれば、ある条件のもとで周期曲線は単純な成分(正弦あるいは余弦)に分解される。言いかえれば周期曲線はこれらの成分を加え合わせることによって合成される。
  ――第17章 波動と振動

物理学の立場からフーリエの定理をみると次のようになる。「任意の周期的変化は調和振動(正弦曲線あるいは余弦曲線で表される振動)の和に分解される」
  ――第17章 波動と振動

 という事で、シンセサイザーは、複数の周期曲線を重ね合わせているワケですね。知らんけど。

 他にも統計力学なんて言葉は知ってたけど、ソレが何をするのかは見当もつかなかったが…

統計を力学に結びつけるという方法は、特に熱力学(熱に関する現象を研究する科学)において役立つ。
  ――第18章 選択と偶然

 きっとエンジンの設計とかじゃ重要なんだろうなあ。

 と、数学全体を見渡して、それぞれの分野から面白そうなトピックを拾い出し、「どんなことをやっているのか」「どんな風にコトを進めるのか」「ソレが何の役に立つのか」などを、一般向けに解説…というか紹介する本だ。とはいえ、数式はバリバリ出てくるし、説明文も数学の教科書っぽい。著者は「わかんなきゃ読み飛ばしていい」と冒頭の「読者へ」で宣言しているので、そういう読み方ができる人にお薦め。

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2026年5月25日 (月)

岩宮眞一郎「音と音楽の科学」技術評論社

本書は音と音楽を科学的に考察するための入門書です。音および音楽を人間が理解する過程について体系的に解説し、音と音楽に関するテクノロジーや文化について論じています。
  ――はじめに

【どんな本?】

 音とは何か。ヒトがどうやって音を聴き、そこから情報を得るのか。私たちが親しんでいる音楽には、どんな構造があるのか。コンサート・ホールには、どんな性質が求められるのか。オーディオ機器が音を再現する原理は? 世の中にはどんな楽器があるのか。 映画やドラマで音楽や効果音が果たす役割は?

 音と音楽にまつわる話題を、物理学的な基礎から音楽そしてJIS規格に至るまで、あらゆる側面から総合的に説明する、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2020年3月17日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約340頁。9ポイント32字×29行×340頁=約315,520字、400字詰め原稿用紙で約789枚…なのだが、グラフやイラストを多く収録し、またレイアウト上の工夫のあるので、実際の文字数は7割ほどだろう。文庫なら厚い一冊分。

 文章は比較的にこなれている。ただし、冒頭から数式も容赦なく出てくる。それも微分や指数を含む高度なもの。いや私は数式を読み飛ばしたけど。それを除けば、内容は特に難しくない。完全な理解を求めるならともかく、「だいたいのところがわかればいいや」な態度なら、高校生でも楽しく読めるだろう。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているが、第1章と第2章は基礎となる部分なので、最初に読もう。もっとも、その第1章が数式まみれなのが辛い所だけど。繰り返すが私は数式を読み飛ばした。てへ。

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  • はじめに
  • 第1章 音と聴覚のしくみ
  • 1.1 音を聴いて音楽を味わうまで
  • 1.2 物理的には音は空気の疎密波である
  • 1.3 音を運ぶ媒質
  • 1.4 純音(正弦波)は楽器の音や人間の声の最小要素
  • 1.5 純音は三角関数を使って表現できる
  • 1.6 波長は一つの波が伝わる距離
  • 1.7 周期的複合音は倍音が組み合わさってできる音
  • 1.8 弦楽器の弦の振動から倍音が出るしくみ
  • 1.9 管楽器の管の共鳴で倍音が出るしくみ
  • 1.10 スペクトルは各周波数成分のパワーを表す
  • 1.11 ノイズは連続スペクトルで表現される
  • 1.12 広帯域ノイズと狭帯域ノイズ
  • 1.13 うなり;周波数がわずかにずれた2つの純音はうなる
  • 1.14 聴覚のしくみ:空気の振動を電気信号に変えて脳に伝える
  • 1.15 音はまず耳に入ってくる
  • 1.16 音を効率よく伝える鼓膜と耳小骨のコンビネーション
  • 1.17 基底膜の進行波が周波数の情報を伝える
  • 1.18 蝸牛の有毛細胞が神経インパルスを脳に伝える
  • 1.19 神経インパルスが発火する様子
  • 1.20 聴覚フィルタが周波数分析をしてくれる
  • 1.21 難聴は音楽を聴きすぎても生じる
  • 1.22 高齢社会で注目される老化に伴う聴力低下
  • 1.23 補聴器と人口内耳が聴覚の衰えを補ってくれる
  • 第2章 音の物理と心理
  • 2.1 音の大きさとデシベル
  • 2.2 デシベルのメリット
  • 2.3 等ラウドネス曲線は聴覚の感度の周波数依存性を表す
  • 2.4 騒音レベルは聴覚補正特性で補正した音圧レベル
  • 2.5 男と女のラウドネス(ラブソングではなく?)
  • 2.6 ラウドネスは音の大きさの比率関係を示す
  • 2.7 マスキングとは妨害して聞こえなくすること
  • 2.8 音の高さ(ピッチ)の2面性:トーン・ハイトとトーン・クロマ
  • 2.9 周期的複合音のピッチは、基本音がなくても基本音のピッチ
  • 2.10 絶対音感者は、周りの音をドレミで認識する
  • 2.11 ピッチが上昇(下降)し続ける無限音階
  • 2.12 音色は複雑な性質
  • 2.13 音色の印象的側面は3次元
  • 2.14 音色の識別的側面は聞き分ける力
  • 2.15 ものまね名人は「らしさ」解析の達人
  • 2.16 音色とスペクトルの対応関係
  • 2.17 パワー・スペクトルの重心が音の鋭さ(明るさ、固さ)に影響する
  • 2.18 ホルマントが母音の識別の手がかりになる
  • 2.19 音の立ち上がり、減衰部が音色の違いに及ぼす影響
  • 2.20 位相スペクトル(倍音間の位相差)が音色に及ぼす影響
  • 2.21 ビブラートは音色を豊かにする
  • 2.22 楽器音の偶発的なノイズや変動が楽器音の「らしさ」を作る
  • 2.23 擬音語は都の感性を伝える言葉
  • 第3章 音楽のしくみ
  • 3.1 メロディはピッチの変化の理解に基づく
  • 3.2 音階のしくみ;音の連なりが調性感をつくる
  • 3.3 音名は階名の周波数を決める
  • 3.4 ペンタトニック・スケール:世界に広がる5音音階
  • 3.5 12音技法:調性感を否定した音階
  • 3.6 音律は、音階の構成音の周波数を定める
  • 3.7 完全5度の美しい響きを基本にしたピタゴラス音律
  • 3.8 単純な整数比にこだわり、3度の音程も美しく響かせるようにした純正律
  • 3.9 平方根の導入で転調に耐えうるようにしたミーン・トーン、ウェル・テンペラメント
  • 3.10 単純な整数比の理想は捨てたが自由な転調を可能にした平均律
  • 3.11 メロディのゲシュタルト:メロディを感じる枠組み
  • 3.12 まとまり(ゲシュタルト)を形成するピッチのパターン
  • 3.13 音脈分凝:メロディが分離して聞こえるしくみ
  • 3.14 存在しない音が聞こえる
  • 3.15 ハーモニーの科学:協和を感じるしくみ
  • 3.16 協和感を決めるのは音と音の干渉
  • 3.17 倍音の干渉が協和音と不協和音を決める
  • 3.18 手陰部では完全5度でも協和しない
  • 3.19 協和と不協和の絶妙なバランスが名曲をつくる
  • 3.20 リズムは音列のまとまり、テンポは音列の速さ
  • 3.21 リズムとテンポのしくみと表現
  • 3.22 リズムの心理学:時間間隔がリズムになる
  • 3.23 ちょうといい加減のテンポ
  • 3.24 リズムのゲシュタルト:リズムを感じるしくみ
  • 3.25 リズムのゆらぎ:グルーブ感を出すために
  • 第4章 音の空間性
  • 4.1 耳が二つある生態学的理由:眼鏡をかけるためではない
  • 4.2 水平面の音の定位:音の方向は両耳間の差から聞き分ける
  • 4.3 時間差の影響:左右の耳への到達時間差が音像定位に影響する
  • 4.4 位相差の影響:波の進みあるいは遅れが音像定位に影響する
  • 4.5 強度差の影響:音の大きい側に引きつけられる
  • 4.6 正中面の音の定位
  • 4.7 方向感覚の弁別限は音源の方向に依存する
  • 4.8 音の定位に及ぼす視覚の影響
  • 4.9 腹話術効果
  • 4.10 音の距離感:大きな音は近くに聞こえるけれど
  • 4.11 両耳聴取が音の空間性を感じさせる
  • 4.12 コンサート・ホールに求められるもの
  • 4.13 直接音,反射音,残響:適度なバランスが演奏音を豊かにする
  • 4.14 音楽の邪魔をする反射音
  • 4.15 残響時間:コンサート・ホールの特徴を表すモノサシ
  • 4.16 ホールに広がり感をもたらす横からの反射音
  • 4.17 遮音と吸音:音を遮断することと音を吸い込むこと
  • 4.18 コンサート・ホールの誕生と発展
  • 4.19 コンサート・ホールの形状
  • 第5章 オーディオ機器の歴史と原理
  • 5.1 レコード:音を記録・再生する初のメディア
  • 5.2 録音テープ:磁石の性質を使って音を録音・再生する
  • 5.3 放送メディアは世界的ヒット曲を生み出した
  • 5.4 オーディオ機器:さまざまな音楽メディアを再生する装置
  • 5.5 アンプ:スピーカを鳴らすパワーを供給する
  • 5.6 スピーカ:電気信号を音に変換する
  • 5.7 ヘッドホンとイヤホン:自分だけで音楽を楽しむ機器
  • 5.8 オーディオ機器の音響特性
  • 5.9 音楽メディアに革命をもたらしたデジタル技術
  • 5.10 CDによってデジタル・オーディオの時代が訪れた
  • 5.11 デジタル化することの利点
  • 5.12 1ビット量子化方式(デジタルシグマ変調方式)
  • 5.13 圧縮技術と音楽メディア:音楽を持ち歩く生活
  • 5.14 携帯型プレーヤはさらに進化を遂げた
  • 5.15 高臨場感を実現する音楽メディア
  • 5.16 忠実な3次元再生を目指すバイノーラル方式,トランスオーラル方式
  • 第6章 楽器の分類とそのしくみ
  • 6.1 各種の楽器と音が出るしくみ:楽器の分類とその系統
  • 6.2 楽器がカバーする音域と音量
  • 6.3 打楽器:叩いて音を出す楽器
  • 6.4 木管楽器のなかま:吹いて音を出す楽器のいろいろ
  • 6.5 管の共鳴でメロディを奏でるエア・リード楽器
  • 6.6 リードの振動で音を発生させるリード楽器
  • 6.7 金管楽器のなかま:きらびやかなファンファーレの秘密
  • 6.8 弦楽器のなかま:弦の振動がメロディを奏でる
  • 6.9 撥弦楽器では弦を弾いて音を出す
  • 6.10 摩弦楽器では弦を擦って音を出す
  • 6.11 弦を叩いて演奏する打弦楽器
  • 6.12 鍵盤楽器のなかま:高度な音楽を奏でる工夫
  • 6.13 多彩な表現力を備えた鍵盤楽器の王者ピアノ
  • 6.14 オーケストラに匹敵する多彩な音色を備えたパイプ・オルガン
  • 6.15 歌:人の声も楽器である
  • 6.16 オーケストラに打ち勝つベルカント唱法の秘密
  • 第7章 電子楽器からDTMへ
  • 7.1 電気楽器の原理
  • 7.2 電子楽器:電気のチカラで音を作る
  • 7.3 ユニークな電子楽器
  • 7.4 デジタル技術が電子楽器にも恩恵をもたらした
  • 7.5 エフェクタ:音楽表現に彩りを添えるツール
  • 7.6 空間系エフェクタ:響きを人工的に作る
  • 7.7 モジュレーション系エフェクタ:ここちよい「ゆらぎ」を作る
  • 7.8 ひずみ系エフェクタ:わざとひずませてカッコいいサウンドを作る
  • 7.9 ひずみに美的価値を与えたエレキギターは反骨の楽器だった
  • 7.10 インサート系エフェクタ:過大入力を防ぐ
  • 7.11 イコライザ:スペクトルを変化させる
  • 7.12 MIDI:コンピュータとつながるインターフェース
  • 7.13 デスクトップ・ミュージック:コンピュータ1台で音楽制作
  • 7.14 ボーカロイド:ついに歌声もコンピュータで合成
  • 7.15 DAW(Digital Audio Workstation):一人でレコーディング
  • 7.16 音楽制作の質向上にはオーディオ・インターフェースは必須
  • 7.17 マイクロホン:ダイナミック型とコンデンサ型
  • 7.18 テクノロジイーの発展は音楽も変えた:現代音楽からメディア・アートへ
  • 第8章 映像メディアにおける音の役割
  • 8.1 映像エディアに活かす音のチカラ
  • 8.2 映像作品に世界では音も演出されている
  • 8.3 演出効果のある環境音
  • 8.4 しずけさの音:無音のテクニック
  • 8.5 リアリティを演出する効果音
  • 8.6 チャンネルはそのまま:テレビで多用される効果音
  • 8.7 ナマオトの効果:本物の音よりも本物らしい音
  • 8.8 笑いの神を降臨させる音:音で笑わされている
  • 8.9 音と映像の同期の効果:シンクロのチカラ
  • 8.10 音楽のムードの利用:寄り添う、ずらす
  • 8.11 音と映像の対位法
  • 8.12 定番曲で状況を伝える
  • 8.13 テーマ曲の利用
  • 8.14 ヴァルキューレのライトモチーフ
  • 8.15 映像の世界で鳴っている音楽
  • 8.16 音楽をテーマにしたドラマ
  • 第9章 サウンドスケープ
  • 9.1 サウンドスケープの意味するところ
  • 9.2 サウンドスケープは環境、社会、文化と関わる
  • 9.3 サウンドスケープは人間が意味づけ、構成した音環境
  • 9.4 音響生態学はサウンドスケープの学問分野
  • 9.5 マリー・シェーファーの提唱する音の分類法
  • 9.6 歳時記に詠まれた四季折々の日本の音風景
  • 9.7 おもてなし精神が生んだ日本の音分化
  • 9.8 紀行文に残された明治の音風景
  • 9.9 音の環境教育
  • 9.10 シェーファーのめざすサウンドスケープ・デザイン
  • 9.11 音名所、残したい音風景:地域の音文化の掘り起こし
  • 9.12 音楽と環境:「楽音」対「騒音」の二項対立の解消
  • 第10章 音のデザイン
  • 10.1 音のデザインは芸術と工学のあいだにある
  • 10.2 デザインのいろいろ:音のデザインのいろいろ
  • 10.3 製品に快音化の時代が到来した
  • 10.4 音が魅力のモノづくり
  • 10.5 サイン音のあり方を探る
  • 10.6 音楽的表現を用いたサイン音
  • 10.7 音のユニバーサル・デザイン
  • 10.8 音環境デザイン
  • 10.9 音楽における音のデザイン的側面
  • 10.10 失われたリアリティを再現する音のデザイン
  • 参考文献/索引

【感想は?】

 音と音楽を総合的に語る本だ。それだけに、話題は多方面に渡る。特に後半では、章ごとに内容が全く違う。という事で、ここでは章ごとに記事を書いていこう。

●第1章 音と聴覚のしくみ

老化による聴力低下の特徴は、高い周波数の音が著しく聞こえにくくなっている
  ――第1章 音と聴覚のしくみ

 「音」を物理学的に解説し楽器が音を出す原理を説明すると共に、ヒトが耳で音を聴き脳で解釈するまでの医学的な仕組みを解説する章。倍音構成や閉管と開管の違いなど、かなり突っ込んだ話も出てくる。

●第2章 音の物理と心理

母音「i」が用いられる「キー」などの擬音語表現で表される音は、一般に「明るい」「鋭い」といった印象が持たれます。「i」の音は、日本語の5母音の中でスペクトルの重心(あるいはシャープネス)が最も高い音で…(略)
逆に、「鈍い」「暗い」といった印象を喚起し、低い周波数帯域に主要なエネルギーを有する音には、(略)スペクトル重心が最も低い母音「o」が擬音語に用いられます。
  ――第2章 音の物理と心理

 ヒトが音をどう感じるか、どんな音がどんな印象を与えるかなどを、音の大きさ・周波数分布・音量の変化具合などを用い、物理的・数学的に説明してゆく。数式に加え、デシベル・スペクトル・ホルマントなどの専門用語も容赦なく出てくる。数式はともかく、専門用語は後の章のために理解しておいた方がいい。

●第3章 音楽のしくみ

演奏者は、楽譜そのものではなく、楽譜から解釈された音楽イメージを演奏するのです。
  ――第3章 音楽のしくみ

 音階・和音・メロディからリズムそしてグルーブ感まで、音楽の理論を駆け足で語ってゆく。話題としては西洋音楽が中心ながら、世界中の民謡で床われるペンタトニック・スケールも少し触れている。ビートルズのエリナー・リグビーから感じる不思議さの秘密が分かったのが私には嬉しかった。

●第4章 音の空間性

(左右に)少しでも時間差があると音像は早く提示された側に定位します。
  ――第4章 音の空間性

 ひとつの音から、ヒトは多くの情報を得る。音源の方向、音源までの距離、周辺の環境など。なぜ・どうやって・それらを聞き分けるのか、といったヒトの聴覚の仕組みから、それを応用したコンサート・ホールや映画館の音響設計までを、総合的に解説してゆく。左右の定位は音の大きさだけで決まると思っていたが、時間差も関係あるとは知らなかった。

●第5章 オーディオ機器の歴史と原理

1ビット量子化方式では、(略)信号が0か1のみで量子化します。ただし、非常に高速なサンプリング周波数で(略)標準的なスーパー・オーディオCDという方式では、サンプリング周波数は2.8224MHz(2,822,400Hz)となっています。
  ――第5章 オーディオ機器の歴史と原理

 エジソンの蓄音機からオーディオ機器を経て最近のバイノーラル録音まで、録音・再生技術の歴史と原理を駆け足で解説する。「デジタルになればオーディオ機器の優劣が関係するのはスピーカーぐらいだろう」と思っていたが、実はデジタルをアナログに変換する所でも工夫が必要なのだった。

●第6章 楽器の分類とそのしくみ

ザックス=ホルンボルテス分類法(略)によると、楽器は、体鳴楽器,膜鳴楽器,弦鳴楽器,気鳴楽器,電鳴楽器に分類されます。
  ――第6章 楽器の分類とそのしくみ

 この引用で分かるように、「音を出す仕組み」に注目すると、鍵盤楽器は存在しない。また、多くの楽器では、「いかに音を反響させて大きくするか」がキモなのだ、とわかる。私はギターが好きなのだが、バイオリンと異なり交響楽の主役になれないのは、やはり音の大きさ故なんだろう。にしてもパイプオルガンの音程の広さと音量の大きさは、つくづくチートだ。まあ、あれは楽器というより建物だし。

●第7章 電子楽器からDTMへ

シアトルで開催された国際音響学会(1998年)では、ジミ・ヘンドリクスを偲んで「ひずみ」特別セッションが行われました。
  ――第7章 電子楽器からDTMへ

 エレキギター,シンセサイザ,エフェクタ,MIDI,DTMからマイクロホンまで、電気楽器・電子楽器そのものはもちろん、電気楽器だから・電子楽器だからこそ可能な表現や、それが切り拓いた音楽の可能性を語る。最近のロックのギターはメタルじゃなくてもひずみ系エフェクタ大流行りだよなあ。

●第8章 映像メディアにおける音の役割

骨を折る音も、(略)べニア板,割り箸などを薄めの布で巻いて折った音が使われています。セロリをねじるという技もあります。
  ――第8章 映像メディアにおける音の役割

 映画やドラマの音楽から効果音まで、映像メディアで音をどう使い、どんな効果を狙っているかを、豊富なサンプルを挙げながら基本的な技術から常識を逆手に取った手法まで紹介してゆく。視聴者の慣れを利用し、敢えて無音にするなどの演出も興味深いが、私は効果音の作り方が楽しかった。

●第9章 サウンドスケープ

(ジョン・ケージの)『4分33秒』では、すべての環境音が聴取の対象となります。
  ――第9章 サウンドスケープ<

 マリー・シェーファー(→Wikipedia)が提唱したサウンドスケープの概念を中心に、私たちが日頃から聴いている(がたいていは意識していない)身の回りの音を紹介する。そういえば、私の住む地域を象徴する音って、何だろう?

●第10章 音のデザイン

家電製品のサイン音に対しては、日本工業規格「高齢者・障碍者配慮設計指針 消費生活製品の報知音」(JIS S 0013)として(略)設計指針では、サイン音を操作確認音,終了音,注意音に分類し、それぞれにふさわしい音が定められています。この規格では、高齢者の聴覚特性にも配慮して「報知音の周波数は2.5kHzを超えないことが望ましい」との条項を盛り込んでいます。
  ――第10章 音のデザイン<

 ポスターや工業製品にデザインがなるなら、音だってデザインがある筈だ、そういう主張の章。スマートフォンやデジタルカメラは、ワザとシャッター音を出している。最近の自動車はカーナビが喋る。そういやパソコンも起動時にピコッと鳴るなあ。これらの音も、実はデザインされているのだ。ジミ・ヘンドリクスやエディ・ヴァンヘイレンが代表すように、エレキギターを弾く人は、自分の音をデザインしてきたんだよね。

 一冊の本で音と音楽のすべてを説明しよう、などどいう欲張ったテーマの本だ。それだけに話題の幅は広い反面、全体的に駆け足の感が強く、中身も異様に濃い。入門書というより、音の世界を紹介する本が近いと思う。それに相応しく、巻末の参考文献も充実しているし。ということで、音と音楽に興味がある人にお薦め。

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2026年3月31日 (火)

マイケル・ブラストランド+デイヴィッド・シュピーゲルハルター「もうダメかも 死ぬ確率の統計学」みすず書房 松井信彦訳

危険はいつどこにでもある。そして、どれをとっても例の2つの顔をもっている。無感情で型にはまった、計算に徹する顔と、人間くさい希望と恐怖に満ちた顔だ。
  ――はじめに

避妊薬、子宮内避妊具、インプラント、注射は99%の効果があるとされ、したがって1年後に妊娠するのは100人中1人未満と予想される
  ――8 セックス

個々の殺人は予測できないが、その数とパターンは予測できる。
  ――22 犯罪

確率とは混乱そのものなのである。
  ――27 審判の日

【どんな本?】

 危険はあらゆる所にある。道を歩けば交通事故にあうかもしれない。盛り場ではチンピラに絡まれることもある。病気で亡くなる人は多い。博打で有り金をスる人もあれば、薬物中毒で廃人になる人も。

 人生には様々なリスクがある。予防接種にしたって、人によっては副作用に苦しんだりする。だが、受けなければ伝染病にかかりかねない。

 いずれにしても、そこには利益と不利益がある。一人にとっては重大な事態だが、社会全体で見れば一定の法則が見えてくる。つまり、確率だ。大抵の国では、毎年の交通事故の件数がいきなり変わることはない。

 英国のジャーナリストと統計学教授が、人が見舞われる災厄について、主に英国の統計を用いてそのリスクを明らかにするとともに、災厄が引き起こす事態を物語形式で語る、少し変わった統計と確率の解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Norm Chronicles: Stories and Numbers About Danger and Death, Michael Blastland + David Spiegelhalter, 2013。日本語版は2020年4月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約364頁。9ポイント48字×20行×364頁=約349,440字、400字詰め原稿用紙で約874枚。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。ジャーナリストの著作のためか、英国人っぽい紛らわしいジョークも控えめ。一般向けを目指しているだけあって、内容もわかりやすい。中学生でも充分に読みこなせるだろう。

【構成は?】

 「はじめに」と「1 人生のはじまり」だけは最初に読もう。以降の章の基礎となる設定を語っている。以降の章は、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 1 人生のはじまり
  • 2 乳児期
  • 3 暴力
  • 4 平穏無事
  • 5 事故
  • 6 予防接種
  • 7 偶然の一致
  • 8 セックス
  • 9 薬物
  • 10 大きなリスク
  • 11 出産
  • 12 ギャンブル
  • 13 平均的なリスク
  • 14 偶然
  • 15 交通機関
  • 16 エクストリームスポーツ
  • 17 ライフスタイル
  • 18 安全衛生
  • 19 放射線
  • 20 天空
  • 21 失業
  • 22 犯罪
  • 23 手術
  • 24 検診
  • 25 老後のお金
  • 26 人生の終わり
  • 27 審判の日
  • 謝辞/索引/原注

【感想は?】

 統計と確率の本だ。それも、少し変わった構成になっている。

 統計も確率も数字だ。だがヒトは数字に弱い。直感的に数字を理解できる人は少ない。けど、物語には強く心を動かされる。だから、本書お各章は、大雑把に二部構成になっている。具体例を物語で示し、その後で数字を示していく。

 正直、私はこの物語パートは余計だと感じた。ぶっちゃけ、物語作家としては…まあ、アレだ。

 その分、数字を示すパートは良くできていると思う。特に感心したのが、二つの概念、マイクロモートとマイクロライフだ。

主として用いるのが、(略)マイクロモート(Micro Mott, MM)(略)で、死亡確率1/100万のことである。
  ――1 人生のはじまり

マイクロライフとは(略)30分である。
  ――17 ライフスタイル

 ソレがそれだけヤバいかを示すのがマイクロモートだ。要はパーセントの1万分の1なんだが、少数より整数のほうが直感的に分かりやすいのだ。

 そしてマイクロライフは、ソレでどれだけ寿命が縮むかを示す数字だ。こんな風に使う。

たばこ1本で平均余命は平均約15分短くなる
  ――17 ライフスタイル

 かなり切実に伝わってくると思う。

 ちなみに、統計の大半は英国の数字を用いている。日本とは異なるが、同じ島国の先進国だから、大きな違いはないだろう。

 お話は、まさしく「ゆりかごから墓場まで」の順に進んでゆく。まずは乳児の頃だ。

(乳児の)危険の大半は最初の数週間に集中しており、(略)最初の誕生日を迎えたなら、1年あたりのリスクは激減して、1歳になるまでの年4300MMから、7歳児の年100MM未満になるまで、あるいは全原因で1日あたり約1/4MMにまで下がる。
  ――2 乳児期

 昔は乳児の死亡率が高かった。現代でも途上国はそうだ。そして先進国でも、乳児の死亡率が高い。そもそも乳児は死にやすいんだろう。人類、よく今まで存続できたなあ。

 当然、産む側の負担も大きい。そして産んだ後も。

新生児の母親の10~15%前後が(産後うつに)悩まされる。
  ――11 出産

 前世紀はあまり話題にならなかった産後うつだが、実際にはありがちな事らしい。育児休暇の必要性がよくわかる数字だ。

 どうにか乳児期を過ぎても、親の心配は尽きない。その一つが犯罪に巻き込まれることだ。しかし…

あなたが親なら、平均的にいってわが子に対する断トツで最大の暴力リスクは、あなたである。
  ――3 暴力

 いわゆる児童虐待だね。そして…

殺されるリスクは15歳未満の子供のほうがどの年齢層よりも低く、年2~3MMほどだ。子供が1年かけてさらされる殺害リスクは、平均的な大人が数日単位でさらされている不自然な原因による急死の標準的なハザードと同じである。
  ――3 暴力

 これは老人にも当てはまるようで。

65歳ともなると、暴力犯罪のリスクは20代前半の男性と比べて1/10未満となる。(略)
イギリスで女性が暴力犯罪の犠牲になる確率は男性の半分だ。
  ――22 犯罪

 と、案外と子供と老人は犯罪の被害にあいにくい。最もヤバいのは若い男だったりする。これは事件ばかりでなく、事故も…

子供はほかのどの年齢層と比べても事故死の可能性は格段に低い。
  ――5 事故

 もしかしたら、その理由の一つは、親をはじめ周囲の大人が子供を見守るようになったおかげかも。

 日本でも、昭和に比べれば社会は子供に注意を払うようになった。これを逆に危ぶむ声もある。

子供の事故件数が一部低いのは過保護のせいかも知れず、子供は何も学ばずに大人になって代償を払うことになる、という主張をHSE(イギリス安全衛生庁)が受け入れているらしい
  ――5 事故

 最近の子供はヤバい事・所に近寄らない。だからヤバさが分からず、妙な所に踏み込んじゃうかもしれない。そんな心配だ。もっとも、これについては、「らしい」で、明言は避けている。

 先に書いたように、大人の方が暴力事件に巻き込まれやすい。テレビでも、殺人事件の報道が相次いでいる。マスコミが私たちの判断に与える影響は大きく…

何かに命を奪われかねないという心配が募るのは、命を奪われる確率が高いからではなく、テレビに向いていそうだからなのだ。
  ――4 平穏無事

手に入るどのデータを見ても長期的な傾向は横ばいか減少なのだが、イギリスではここ10年で犯罪が増加していると思われており、その根拠をちまたで聞いてみるとメディア報道が挙がる。
  ――22 犯罪

 と、こと細かな事件の報道があるたびに、私たちの心は怯えるのだ。

 新型コロナでも、予防接種の是非が話題になった。なんであれ、予防接種には多少の副作用が付きまとう。私の知人にも、腕の痛みを訴える人がいた。その程度ならともかく、重い副作用に見舞われた、なんて話もある。が、これも、ある程度は確率と統計の問題だ。

どのような大規模介入においても注射時期に前後して必ず悪い物事が起こる
  ――6 予防接種

 「注射時期に前後して」と言うと何か関係がありそうだが、世界はいつだって「悪い物事」が起きているのだ、どこかで。まあ、さすがにホルムズ海峡封鎖と予防接種を結びつける人はいないだろうけど。いなよね?

 医師の多くは予防接種を薦めるが強制はしない。というか、最近の医師はだいぶ態度が柔らかくなったように私は感じる。昔はもっと偉そうで独善的だった。まあ私が歳をとったから、かもしれないけど。

今日の医療はミスや不確かさを受け入れる間口を広げる段階に達しつつあり、ミスのリスクがあることや快方に向かわせている/いない本当の要因がわかっていないことを、従来よりも積極的に認めている。
  ――23 手術

 これは私も最近になって体験した。とある問題が見つかり原因を尋ねたところ、医師曰く「わからないですね~」だった。いや今は特に症状が出てなくて、困ってもいないんだけどね。

 さて、そんな予防医療や検診だが。擬陽性だの偽陰性だのの問題もあるが…

ヨーロッパで行われた男性18万2000人を対象とする調査では、11年後、検診を受けていいたグループで前立腺がんによる死亡が21%減っていた。これは男性1000人中1人の減少に相当することから、前立腺がんで死ぬ人を1人減らすには、1056人の男性に検診を受けてもらって治療の症例を37例増やす必要があるということである。
  ――24 検診

 そもそも「どれぐらい多い病気なのか」も重要なのだ。確率に加え、実際の数字も大事なんですね。

 確率ってのは直感に反するもので、完全にランダムな事象でも、いやランダムだからこそ、一か所/一時期にかたまる傾向もある。

真にランダムな事象にはまとまる傾向もある
  ――7 偶然の一致

 サイコロで6が出た際、次に6が出る確率が最も高いのは、何回目だろう? 実は1回目なのだ。

 事件や事故は避けるのが難しい。が、自ら危険に近づく人もいる。そんな危険の一つが、薬物だ。一般に薬物の危険を云々する際は、使用者本人の身に降りかかる危険に着目する場合が多い。が、本書が紹介する論は、社会全体や環境にも着目した危険度のランキングだ。

(使用者への害に加え社会や環境への害を計算し)算出されたランキングの最上位は72点のアルコール、ヘロインとクラックがそれぞれ55点と54点で続き、たばこは26点の6位、エクスタシーは(略)最下位に近い9点だった。
  ――9 薬物

 どう計算したんだろ? 社会への浸透度合いも考えたのなら、アルコールがトップなのも頷けるんだが。

 さて、本書では様々な危険とその度合いを数値で示している。じゃ本書で学べば安全に暮らせるか、というと、どうもヒトの心とはそれほど単純ではないようだ。

(法学教授のダン・)カハン(→英語版Wikipedia)の研究によると、新たな知識はえてして「みずからの情緒的および文化的気質を強化する形で」吸収される。
  ――10 大きなリスク

 たとえば酒が好きな人は、先に挙げたアルコールの危険度を軽く見るだろう。また、知識に耳を傾けるか否かは、「誰が言ったか」にも大きく左右される。

専門家の専門知識を、その専門家が自分の同類そうかどうか、自分と文化的姿勢を共有していそうかどうかで判断しているのである。(略)科学に知識が豊富な人ほどその傾向が強い。
  ――10 大きなリスク

 左派だから/右派だから、なんて理由で、専門家の意見の是非を判断する人は多い。あだ、「科学に知識が豊富な人ほどその傾向が強い」のは意外だった。この傾向は…

大きなリスク、すなわち何百、何千、何億もの人の身を危険にさらしかねないリスクは、文化的な認識に左右されがちである。
  ――10 大きなリスク

 大きなリスクの代表は、地球温暖化だろう。もはや科学ではなく政治問題だしなあ。

 さて、確率といえば、その成立から博打と縁が深い。まあ寺銭があるから、博打で勝つのは胴元と相場が決まってるんだが、寺銭の多寡は種類によって違う。

(イギリスの)カジノはルーレットに掛けられたお金の平均97.3%を還元している。
  ――12 ギャンブル

 意外と良心的なんだなあ。これ調べてたら、社会実情データ図録なんて面白いサイトを見つけた。テラ銭の割合なんてのも。宝くじは阿漕だなあ。

 さて日本のマスコミは統計データを発表する際、平均をよく使う。が、モノによっては平均は実情と大きく離れた数字になったりする。その例が収入だ、

イギリスでは約2/3の人の収入が単純平均より少ない。世界中の人を裕福な順に並べたなら、単純平均に当たる人の位置は下から3/4ほどになる。
  ――13 平均的なリスク

 こういうのは中央値または最頻値で発表して欲しいんだが、どうにかならんかね。

 もっとも、こういった統計や確率を駆使しても、どうにもならない事は往々にしてあるもので。

ドーソンは火災挙動分析官(FBAN)で、コロラド州で発生する森林火災の進路予想がその仕事である。
2012年、火災の挙動が危険なほど(コンピューターモデルでは)予測不能になりだし、(略)
(原因の)1つは甲虫の挙動の変化という、だれも検討すらしていなかったことだった。
冬にアメリカマツノキクイムシが押し寄せ、樹木を枯らして燃えやすくしていたのである。
  ――14 偶然

 これ、コンピューターモデルのばバグと言っていいんだろうか? あなた、どう思います?

 理屈じゃどうにもならない事の一つが、飛行機恐怖症だ。SF作家にもいる。確かレイ・ブラッドベリがそうだった。これも意外と多くて…

飛行機の恐怖症は(略)3~5%の人がとにかく飛びたがらず、17%ほどは「飛ぶのが怖い」ことを認め、30~40%はそこそこ不安になる。
  ――15 交通機関

 実際には自動車よりよほど安全なんだが、理屈じゃないんだよね、こういうの。

 ところが、敢えて危険に挑む人もいる。その一つがスカイダイビングやベースジャンピングだ。もちろん、事故も起きる。

アメリカのパラシュート協会の推定によると、2000~2007年には平均260万回のジャンプが行われた。(略)279人が亡くなっており(略)
詳細な検証によると、主な死者は何千回何万回と飛んできた経験豊富な愛好家だ。
  ――16 エクストリームスポーツ

 と、統計では、そういう事になっている。本書は「ベテランほど強いスリルを求めるから」と解釈している。が、別の解釈もできる気がする。飛ぶ回数が多い人ほど事故に見舞われる可能性が高いんでない?

 ダイビングは娯楽だが、仕事にも危険は付きまとう。ただ…

ILO(国際労働機関)では、2008年に全世界で20億人いた労働者に対して、5日以上の欠勤を要する負傷が3憶1700件、労災による死者が32万人と推定している。そのうち公式ルートで報告された死者数はわずか2万2000人だった。
  ――18 安全衛生

 数字が信用できるとは限らないのだ。にしても、剥離が大きすぎるだろ。いやこの数字、全世界なんで、途上国のデータも多く含んでるんだけど。

 もっとも、数字が出たからといって、それをキチンと解釈できるか否かは別問題。特に見えないモノは何かと惑わされやすい。その代表が放射線だ。単位もいろいろあるし。

シーベルト(略)は放射線暴露の生物学的影響を示す尺度である。
  ――19 放射線

 副島の原発事故では、様々な憶測が飛び交った。福島原発周辺で影響が最も深刻な地域の実効線量は10~50ミリシーベルト。全身CTスキャンでも、10ミリシーベルトの放射線を浴びる。なお、本書の刊行は2013年なんで、2026年の現在だと福島の線量は更に低くなっているはず。

 原発事故は人災だが、どうしようもない天災もある。その代表が隕石だ。これまた意外なことに、小惑星は頻繁に地球を訪れている。

差し渡し5~10mという(略)小惑星は、年に1度くらいふらりとやってくる。大気圏上空で爆発したなら、広嶋型原爆とだいたい同じTNT約1万5000トンに相当するエネルギーを放つと思われる。だが、ほとんどは目に触れないし、記録に残らない。
  ――20 天空

 マジかい。まあ小さいのは見つけにくいから、しょうがないね。じゃ大きければ見つけやすいし安全かというと…

恐竜を絶滅させた差し渡し10kmという大きさを超えるものは、基本的にはとめられないと見なされる。
  ――20 天空

 現代の技術じゃどうしようもないそうです。

 対して政府の政策次第にでどうにかなりそうなのが、失業率。やはり失業者は職に就いている者よりヤバいらしい。その原因は…

失業者に見られた死亡率の増加は、失業そのものが圧倒的なほど直接的な原因だった。
  ――21 失業

 やっぱり気落ちするのが大きいんですね。

 対して定年退職だと年金が出る。まあ現役時代より額は減り生活は苦しくなるが…

定年の段階で貧困に苦しんでいる人の大半は、その前から貧困だったのだ。貧困の引き金はおそらく定年退職ではない。
  ――25 老後のお金

 まあ日本も英国も、年金は現役時代の所得に応じて出るからなあ。これがいつまで貰えるか、つまり寿命となると。

イギリスの平均寿命はここ数十年、一定して年に3ヵ月延びている。
  ――26 人生の終わり

 途上国ならともかく、先進国でも寿命が延びているのだ。なお日本は既に世界トップクラスで、伸びは止まっている模様。ヒトの体の限界に近いんじゃなかろか。

 私の趣味で数字の部分だけをとり上げた紹介になっちゃったのは申し訳ない。その数字も、大半は英国の統計がネタ元なんで、日本人にはピンとこないかもしれないが、たぶん日本と大差ないと思う。この記事で挙げたように、数字が好きな人にお薦め。

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2026年1月22日 (木)

マシュー・ルベリー「読めない人が『読む』世界 読むことの多様性」原書房 片桐晶訳

この本では、型破りな方法で文字を読む人々の物語と、活字を理解する能力に影響を及ぼす多種多様な神経学的状態が、彼らの生活に及ぼしてきた影響を取り上げる。
  ――序章 厄介な読者

【どんな本?】

 私は本が好きだ。だが、世の中にはさまざまな事情で本が読めない、または読むのが難しい人がいる。幼い頃から文章が読みにくい難読症、逆に一瞬で写真を撮るように紙面を憶える過読病、事故や病気による脳の損傷で読めなくなる失読症、文字や単語に色がついて見える共感覚、あるはずのないコノや見えたり声が聞こえる幻覚、そして記憶を失う認知症。

 私たちの暮らしは文字・文章に囲まれている。それが読めないとなると、人はどう感じ、反応するのか。他の人から、どう扱われるのか。問題に対し、どう対処するのか。支援できることはあるのか。

 ロンドン大学の文学教授が、「読む」ことに問題を抱えた人々を紹介し、彼らの生き方や読書への取り組み方を語ることで、読み方は人により様々なのだと説くとともに、読むことが人生に与える重みも伝える、一般向けの医学ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Reader's Block: A History of Reading Differences, Matthew Rubery, 2022。日本語版は2024年3月19日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約328頁に加え訳者あとがき2頁。9ポイント45字×18行×328頁=約265,680字、400字詰め原稿用紙で約665枚。文庫なら少し厚め。

 文章はやや硬い。だが内容は難しくない。なにせ「読む」ことに関する本なので、本好きは興味を持ちやすいだろうし。当然、本の名前がアチコチに出てくる。最も多いのは英米の古典文学・主流文学で、次に多いのは問題を抱えた人の自叙伝。

 あと、説明抜きで「デコーディング」なる単語が出てくるのは不親切。後で説明がでてくるんだけど。曰く…

音韻化(デコーディング)、つまり、記号を意味ある情報に変換すること
  ――第5章 幻覚

 だ、そうです。文字の連なり CAT を見て、ニャアと鳴く動物を思い浮かべる作業または能力のことですね。

【構成は?】

 序章だけは最初に読もう。以降は気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • 序章 厄介な読者
  • 第1章 難読病 ディスクレシア
  • 第2章 過読病 ハイパーレクシア
  • 第3章 失読症 アレクシア
  • 第4章 共感覚 シナスタジア
  • 第5章 幻覚
  • 第6章 認知症
  • 終章
  • 訳者あとがき/注

【感想は?】

 言われてみれば、私もいつから読めるようになったのか、憶えていない。気が付いたら、漫画をむさぼるように読んでいた。どうやら読むって能力はかなり複雑で。

「読む」という行為には生来の能力は一切関わっていない(略)。
発話能力とは異なり、脳には読字専用の回路が備わっているわけではない。むしろ読字は後天的なスキルであり、脳の可塑性、つまり、ほかの認知作業用にデザインされた回路を再利用する能力に大きく依存している。
  ――第1章 難読病 ディスクレシア

 そりゃ野生状態じゃ文字なんかないしね。この辺は音楽と似てる。ただ、本書は医学書じゃないので、認知機能の細かい所には立ち入らない。

 最初の難読症は、トム・クルーズが有名だろう。本人たちの様々な証言が出てくる。文字が揺れ動いたり b と d を混同したり。学校で教読まされるのが屈辱だった、などの切ない証言が続く。この難読症、歴史をさかのぼると、最初は目の問題と思われていた。しかし…

文字を正しく読めない子どもたちでも、文字を正確に書き写すことはできる。要するに、問題は言語的なものであり、視覚とは関係ない。(略)読字困難とは、実際には発話のプロセスにまつわるものなのだ。
  ――第1章 難読病 ディスクレシア

 おお、そうなのか。ちなみに、色付きのセロファンを紙面にかぶせると読める人もいるとか。また、デジタルスクリーンだと読めたり、サンセリフ書体は読めたり。モリサワもUD書体を出してるね。

 お次は自閉症に多いハイパーレクシア。と書くと分かってる風だが、自閉症はスペクトラムと呼ぶぐらい幅が広い概念/傾向で…

自閉症は(略)まったく同じ症状の人はふたりといない。
  ――第2章 過読病 ハイパーレクシア

 などと、症状の現れ方も幅が広い。本章には写真のような記憶力を持つ人も出てくるが、内容を理解しているか、

瞬間記憶能力は、通常の読字とは逆のプロセスをたどっている。つまり、記号化したあとに音韻化(デコーディング)するのだ。
  ――第2章 過読病 ハイパーレクシア

 なんて、憶えちゃいるが分かっちゃいない場合も。

 この章は、本好きには身につまされる話が多い。

 本には執着するが身だしなみには無頓着とか、「実用的価値がない対象に関心を向けている」とか「読んでいる内容よりも、何かを読んでいることを重要視する」とか「本を溜め込むので家に住めなくなった」とか「人間の行動は不安定で予測がつかないように見えるが、本は安定していて一貫している」なんて告白とか。いや本好きに限らず、ヲタク全般に言える事なんだけど。

 あなたにも心当たりがありませんか? 私はあります。つまり、自閉症的な傾向は、多くの人に当てはまるのだ、きっと。そうだ、俺だけじゃないのだ。そういう事にしておこう。

 続く失読症は、事故や病気で脳の一部が働かなくなり、いきなり「読めなく」なる失読症。

難読症が幼少期に読むことを学習するプロセスを妨げるのに対し、アレクシアは、すでに識字能力のある大人に影響を及ぼす。
  ――第3章 失読症 アレクシア

 これまた症状は様々かつ複雑で。

もっとも不可解な症例は、多言語に通じた患者がそれまで流ちょうに使えていた言語のひとつについてだけ、読み方を忘れてしまうというものだった。
  ――第3章 失読症 アレクシア

 例として出てくるのは、ラテン語を読めなくなった人。でも「8年の歳月をかけてラテン語を学び直」したというから凄い。また、文字は読めるが単語は読めないとか、読めないが書けるなどもある。

 どうも「読む」という機能は、幾つかのモジュールが順次に処理して実現しているらしい。unix のパイプのように。だから、壊れたモジュールによって、症状が異なるのだ。

 第4章は、近ごろ有名になった共感覚(→Wikipedia)。音で色を感じたり、文字に色がついたりするあまり利益も不便も感じないため目立たないが、実は意外と多いらしく…

成人人口の4%強と推計される
  ――第4章 共感覚 シナスタジア

 だいたい25人に一人ぐらいはいる勘定だ。その感覚も人それぞれで…

共感覚という用語は多様な感覚体験を包含しており、色聴のような比較的一般的なものから、色痛や色オーガズムのような珍しいものにいたるまで、現在64種類以上が存在する。
  ――第4章 共感覚 シナスタジア

 ちなみに日本語版Wikipediaでは「150種類以上」だとか。何せ文字に色を感じるタイプでも…

共感覚者にはそれぞれに独自の配色がある(しかも、誰もが自分の配色が「正しい」と主張する)
  ――第4章 共感覚 シナスタジア

 と、人によりけりだったり。大半の人は書体が変わっても感じ方は同じだが、「見た目の形の違いに反応する人もいる」。

 それでも「ほとんどの共感覚者はスムーズに」読めるし、中には…

ごく少数の人は、心のなかで、発せられたすべての言葉が活字になったものを見ている。
  ――第4章 共感覚 シナスタジア

 なんて便利な能力を備えた人も。

 共感覚者が感じる色は大きな害がないケースが多いが、幻覚となるとそうはいかない。中でも怖いのは…

悪夢のなかでもっとも恐ろしいのは、死体(略)が部屋に入ってきて、抱きしめてくることだった
  ――第5章 幻覚

 ゾンビって概念は、こういう幻覚から生まれたのかも。

 幻覚は統合失調症の症状の一つでもある。そうなる原因は…

たいていの脳は、入ってくる眺めや音をふるいにかけるが、機能不全の脳は、感覚データの洪水に対処しなければならないので、認知活動はほぼ不可能になってしまう。
  ――第5章 幻覚

 なんて説もある。そういや「妻を帽子とまちがえた男」に、数秒間しか記憶が持たないが、愉快な話し相手になる人が出てきた。この人は、設定を即興で創り上げ、それを信じている。ヒトの脳は、認識したものの辻褄を勝手に合わせる優れた能力があるようだ。もっとも、これは時として困った現象を引き起こす。

偏執的な読者は、もっともらしいことを無理やりこじつけて、隠された意味を見分けたりもする
  ――第5章 幻覚

 いわゆる陰謀論ですね。昔は「源義経=ジンギスカン説」とか「津軽にキリストの墓が」とか「古代の壁画に宇宙飛行士が」とか、壮大なのが多かったんだけどなあ。

 笑っちゃうのが…

キリスト教終末論の伝統に見られる比喩的な書物は、必ず実際の本の形をとっている
  ――第5章 幻覚

 少なくとも旧約聖書は、成立年代から考えて、オリジナルは巻物のはず。死海文書も巻物だし。

これは私の勝手な思い込みなんだが。
自閉症がスペクトラムと言われるほど程度も症状も様々なように、統合失調症も症状の重い軽いは様々なはず。そして大半の人は多かれ少なかれ統合失調症の傾向があり、また心身の具合で傾向が強くなったり弱くなったりするんだ、と思っている。現在はやってる陰謀論も、そういう傾向の強い状態の時に刷り込まれるとハマるんじゃないかな、と。

 最後の認知症は、誰にもあり得る事なので、なかなか身につまされる話が多い。次第に読めなくなるってのが怖い。あるがちな症状は…

「すでに読んだことがあると気づかないまま、なにか(本または新聞や雑誌の記事)を読みはじめてしまう」
  ――第6章 認知症

 読んだ内容を憶えられないのだ。これは…

記憶の喪失は認知症に特有のものであり、ほかの末期症状の物語との違いを際立たせる症状だ。
  ――第6章 認知症

 やはり認知症を患った人は大きなショックを受けるようで、抗う人もいる。例えば…

長編小説から短編小説へ切り替える
  ――第6章 認知症

 なんて工夫をする人も。

 羨ましいのは、認知症を患った人向けの本を出してる出版社があること。小説、それも古典の主流文学が中心なんだが、色々と工夫してる。例えばオリジナルから文体を変えるのはもちろん、余談などを省いて「約8000字から4000字に」削る。また「登場人物のリスト、大きな活字、挿し絵、要約などを活用して憶えやすく」してる。とにかく読者に親切にするのだ。

 そういえば池波正太郎の「剣客商売」も、とっつきやすい連作短編だなあ。しかも作中にさりげなく「今までのあらすじ」や登場人物紹介を入れてる。あれ、どこからでも読みはじめられる工夫かと思ったけど、読書に不慣れな読者への配慮なのかも。売れる人ってのは、相応に工夫しているのだ。

 逆にマズいのは…

「文章が非常に長いと、物語を理解するのはむずかしいいかもしれない」
  ――第6章 認知症

構文(とくに受動態、否定、節など認知的に要求の高い文体(略))
  ――第6章 認知症

 だそうです。

 ところで、挿し絵が好ましいなら、漫画はどうなんだろ? いや慣れないと読み方が分からないかな?

 著者は医師でも医学者でもなく文学教授なので、あまり認知科学や脳医学には踏み込まない。病気の原因やヒトが文章を読み理解する手順などの話は、ほとんどない。それより、患った人たちが、問題にどう立ち向かったか、問題を避ける手段を講じたか、そして問題を抱えてどう感じたか、などの話が多い。

 そういう点では、序章にあるように、オリヴァー・サックスの著作と似た感触を受ける。つまり、科学というより、ヒトを描いた本なのだ。なので、オリヴァー・サックスが好きな人にお薦め。

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2026年1月18日 (日)

西多昌規「眠っている間に体の中で何が起こっているのか」草思社

この本では、わたしの専門である脳をはじめ、心臓や肺、胃腸、骨や筋肉、免疫、内分泌、泌尿器、皮膚などが、睡眠中にどのような状態になっているのか、また睡眠不足によってどのようなダメージを受けるのかについて、過去の研究をひもときながらまとめています。
  ――はじめに

【どんな本?】

 眠りについて書かれた書物や記事は多い。その多くは脳や神経系を扱っている。だが、「寝不足はお肌に悪い」などと言われるように、睡眠は体の全体に影響する。では、なぜ寝不足が肌によくないのか。睡眠は肌にどんな役割を果たすのか。眠っている間に、肌には何が起きているのか。

 本書が扱うのは、肌ばかりではない。ホルモンで有名な内分泌系,感染症を防ぐ免疫系,胃腸などの消化器系,肺などの呼吸器系,心臓などの循環器系,骨と筋肉の筋骨格系,頻尿が困る泌尿器系,お肌=皮膚、そしてもちろん脳神経系など、機能で見た体のそれぞれの機構が、眠っている間に何をしているのか・どうなっているかを調べ、寝不足や睡眠の質の悪化が及ぼす影響を明らかにする、身近で切実で一般向けの科学・医学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2024年2月7日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約296頁。9.5ポイント43字×17行×296頁=約216,376字、400字詰め原稿用紙で約541枚。文庫なら普通の一冊分。

 文章はこなれていて親しみやすい。やっぱり日本語ネイティブが書いた本はいいね。内容も分かりやすいんだが、読み方にコツがある。というのも、専門用語がビシバシ出てくるからだ。脳下垂体やS状結腸など体の一部だったり、グレリンやレプチンなどの体内物質だったり。これらをキッチリ理解しようとはせず、言葉だけ覚えてテキトーに読み飛ばそう。それも最後まで覚えていなくてもいい。その章を読む間だけ、「そういうモノがある」と思っていれば充分。複数の章で出てくる言葉もあるけど、本書はその都度、説明してくれます。

【構成は?】

 「はじめに」と「第1章」は基礎や用語説明なので最初に読もう。以降の章はほぼ独立しているので、気になった所から読んでも構わない。

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  • はじめに
  • 第1章 睡眠・生体リズムの基礎
  • 1 睡眠段階 ノンレム睡眠とレム睡眠
  • 2 睡眠はどこから生まれるのか? 睡眠中枢の話
  • 3 覚醒を制御するオレキシン 覚醒と睡眠のコンロトーラー
  • 4 朝の光を視交叉上核がキャッチして、交感神経を刺激する
  • 5 眠りのホルモン? 謎の多いメラトニン
  • 6 深部体温でわかる生体リズム
  • 7 徹夜明けなのに眠りが浅いのはなぜか?
  • 8 睡眠中に活動が低くなる交感神経、活発になる副交感神経
  • コラム 睡眠中の寝返りは少ない方がいい?
  • 第2章 眠っている間に内分泌系では何が起こっているのか
  • 1 内分泌系にとって睡眠はなぜ重要なのか
  • 2 内分泌系の基礎 ホルモンとは何か
  • 3 ホルモンの24時間リズムは多種多様
  • 4 成長ホルモン 「寝る子は育つ」は正しい?
  • 5 コルチゾル 夜中に喘息発作が多いわけ
  • 6 甲状腺ホルモン 寝不足でギラギラしてくるわけ
  • 7 性ホルモン 不妊や月経前症候群は夜のホルモンが不安定になるため
  • 8 ブドウ糖代謝 睡眠中に血糖値は上がる?
  • 9 食欲と睡眠 睡眠不足だと太りやすくなる
  • 10 ミネラル調節 寝不足は脱水になり易い
  • 第3章 眠っている間に免疫系では何が起こっているのか
  • 1 なぜ風邪をひくと眠くなるのか
  • 2 免疫とは? 病原体から身を守る免疫、そして睡眠
  • 3 睡眠不足だと風邪をひきやすくなるのは本当?
  • 4 風邪や肺炎、膀胱炎、炎症反応って何? 急性炎症について
  • 5 細胞間のSNS? サイトカイン
  • 6 睡眠を生じさせるサイトカイン
  • 7 風邪をひくと眠くなるが、睡眠は悪化する
  • 8 睡眠不足によって機能低下するサイトカイン
  • 9 がんやうつ病も炎症から? 慢性炎症の怖さと睡眠不足
  • コラム 炎症と鎮痛剤、睡眠物質プロスタグランジン
  • 第4章 眠っている間に消化器系では何が起こっているのか
  • 1 寝る前に食べるとなぜ悪いのか
  • 2 睡眠中の胃腸の動きと自律神経 朝にお腹が減るのはなぜ?
  • 3 睡眠中は、胃に入った物が逆流しやすい
  • 4 睡眠不足での胃の危機的状況
  • 5 睡眠中も休まない働き者の小腸
  • 6 大腸、肛門と睡眠、眠っている間に便が出ない精巧なメカニズム
  • 7 睡眠中に胸焼けが起こる逆流性食道炎、睡眠時無呼吸症候群との意外な関係
  • 8 過敏性腸症候群と睡眠障害との悪いサイクル
  • 9 頑固な便秘「慢性便秘症」と睡眠 女性は寝すぎると便秘になりやすい
  • 第5章 眠っている間に呼吸器系では何が起こっているのか
  • 1 眠っている間の呼吸は不安定
  • 2 眠っている間の呼吸筋の力は低下する
  • 3 低酸素への反応も、睡眠中は鈍くなる
  • 4 息苦しいと目覚めてしまうわけ
  • 5 睡眠中はのどの空気の通り道がつぶれやすくなる
  • 6 睡眠中は、肺での換気効率も悪くなる
  • 7 睡眠時無呼吸症候群 頻度、症状、合併症
  • 8 無呼吸はどうして人体に悪いのか1 交感神経系の過剰活動
  • 9 無呼吸はどうして人体に悪いのか2 低酸素状態
  • 第6章 眠っている間に循環器系では何が起こっているのか
  • 1 日本人の1/3が高血圧
  • 2 慢性的な睡眠不足では、血圧は上昇する
  • 3 ノンレム睡眠中に血圧が下がるメカニズム
  • 4 レム睡眠中に血圧が不安定になるわけ
  • 5 睡眠中も血圧が下がらない危険なノン・ディッパーとは
  • 6 オレキシン 隠れた睡眠中の血圧ペースメーカー
  • 第7章 眠っている間に脳神経系では何が起こっているのか
  • 1 眠っている間の記憶の整理と忘却
  • 2 ノンレム睡眠中に素早く、かつゆっくり「振動」する脳
  • 3 ノンレム睡眠中に「洗浄」される脳
  • 4 レム睡眠中に血流が増加する脳
  • 5 レム睡眠で脳は大人でも成長する?
  • 6 睡眠中に活動を停止するドーパミンやセロトニン
  • 7 夢を見る脳
  • 8 睡眠不足で老化する脳
  • 第8章 眠っている間に筋骨格系では何が起こっているのか
  • 1 リカバリーとしての睡眠1 筋トレと睡眠
  • 2 睡眠中に強化される筋肉
  • 3 睡眠不足で壊れる筋肉
  • 4 リカバリーとしての睡眠2 骨折と睡眠
  • 5 睡眠で生まれ変わる骨
  • 6 睡眠不足で壊れる骨
  • 7 炎症は骨も筋肉も弱めてしまう
  • 8 骨を強化する意外な立役者 レプチンと自律神経
  • 第9章 眠っている間に泌尿器系では何が起こっているのか
  • 1 睡眠中にトイレの回数が減る理由
  • 2 子どもの夜尿症の原因は?
  • 3 歳をとると困る夜間頻尿の3つの原因
  • 4 睡眠不足で尿量が増える?
  • 5 睡眠時無呼吸症候群と夜間頻尿の深い関係
  • 6 妊娠中の夜間頻尿 がまんのし過ぎは、尿路感染症になりやすい
  • 第10章 眠っている間に皮膚では何が起こっているのか
  • 1 美肌には「ゴールデンタイム」だけで十分なのか
  • 2 皮膚の構造とターンオーバー
  • 3 成長ホルモンは皮膚のどこにはたらくのか
  • 4 たるみ、シワ、乾燥、シミ……睡眠不足による皮膚ダメージ
  • 5 寝不足の皮膚の血流低下と目の下の「クマ」
  • 6 皮膚の酸化ストレスと睡眠
  • 7 朝起きたら顔がむくむ、寝相が悪いとシワが増える
  • 8 寝不足による見た目の劣化で社会から孤立する
  • おわりに
  • 参考文献

【感想は?】

 本書のテーマは睡眠時の体の変化だ。が、医学に疎い私は、それ以前の、ヒトの体についての知識も有り難かった。もちろん、睡眠時の話も嬉しい。

 なんたって、しょっぱなから驚かされた。体の一日のリズムについてだ。

生体リズムは脳にしかない、というのは間違いです。胃腸や肝臓、心臓、腎臓、皮膚、筋肉など、あらゆる末梢の組織に生体リズム、つまり時計遺伝子がインストールされています。
  ――第1章 睡眠・生体リズムの基礎

 それぞれが独自にリズムを刻んでいるのだ。もっとも、ちゃんと同期をとる仕掛けもあって、脳の視交叉上核がマスター・クロックなんだけど。NTPサーバみたいなモンだね。

 続く内分泌系は、ホルモンを扱う。ったって、ホルモン焼きとは少し違う。本書のホルモンとは…

細胞から血中に分泌されて、ほかの臓器や細胞に作用するメッセンジャー役が、ホルモンです。
  ――第2章 眠っている間に内分泌系では何が起こっているのか

 一種の情報系だね。「落ち着け」と知らせるノルアドレナリンや、満腹を知らせるレプチンとか。ヒトの体は、神経に加えて化学物質でも情報の伝達・受信をしているのだ。恐らくだがホルモンの長所はブロードキャストな事だろう、P2PやDMではなく。

 さて、ここでは多くの人が経験している事を裏書きしてくれる。つまり、寝不足と食欲の関係だ。

お腹が減って空腹になると睡眠時間は減ります。また睡眠不足になると、食欲は増えます。
  ――第2章 眠っている間に内分泌系では何が起こっているのか

 そう、寝不足だと腹が減るのだ。当然、その結果としてブクブク太るのである。ダイエットには充分な睡眠も必要なのだ。

 寝不足はダイエットに悪影響ってだけじゃない。風邪にもかかりやすくなる。

夜間の平均睡眠時間が5時間以下の睡眠不足の人は、7時間眠った人と比べて、4.5倍多く風邪にかかり、風症状が出やすい
  ――第3章 眠っている間に免疫系では何が起こっているのか<

 うーむ、恐ろしい。コロナを防ぐには充分な睡眠も大事なのだ。ここでは、注釈にも美味しい話があった。

白血球は、好中球、リンパ球、単球(マクロファージ)、好酸球、好塩基球の5種類に分けられる。
  ――第3章 眠っている間に免疫系では何が起こっているのか

 「はたらく細胞」では好中球だけが白血球扱いだったが、本書ではマクロファージなども白血球の仲間になっている。たぶん好中球・好酸球・好塩基球は、それぞれ中世・酸性・アルカリ性で活躍するって意味なんだろう。

 私は朝起きた時には腹が減っている。だもんで朝食をガッツリ摂るタイプだ。眠っている間にも胃腸が働いてるんだろう、と思ったら、やっぱり。

脂肪をつくる「BMAL1」というタンパク質の活動が、午後10時から午前2時がピークになります。したがってこの深夜の時間帯に吸収された食べ物は、脂肪合成が促進され、脂肪として蓄積されやすい、すなわち太りやすくなります。
  ――第4章 眠っている間に消化器系では何が起こっているのか

 夜更かしすると夜食が欲しくなるのはこのためか←たぶん違う そして寝る前に食べると太るって話は本当だったのだ。ここでは、寝てる間に大便が漏れない理由も書いてあった。睡眠中は腸の蠕動が不活発になるのだ。

 お次は呼吸器系。ここでは睡眠時無呼吸症候群を大きく取り上げている。というのも、著者も睡眠時無呼吸症候群を患っているため。珍しいように思える病気だが…

日本における睡眠時無呼吸症候群の患者数は2200万人(30~69歳人口の32.7%)、CPAP治療を必要とする重症患者は940万人(30~69歳人口の14.0%)と推計されました。
  ――第5章 眠っている間に呼吸器系では何が起こっているのか

 と、日本では隠れた患者がとても多い。だって自分じゃわからないし。なんか Apple Watch が欲しくなってきたぞ。ちなみに本書では後の章でも睡眠時無呼吸症候群がチョコチョコ出てくる。よほど注意喚起したいんだなあ。

 第6章では循環器系、つまり心臓や血管の話。となれば、やはり出ました高血圧。

厚生労働省による令和元年(2019年)の国民健康・栄養調査を見ると、実に約3450万人もの人が、高血圧に当てはまります。
  ――第6章 眠っている間に循環器系では何が起こっているのか

 もはや国民病だね。ここでも、寝不足は血圧を上げると書いてある。血圧が気になるなら、夜は充分に寝ましょう。

 第7章は、睡眠の本命である脳の話。私も夢を見るけど、起きるとスグに忘れてしまう。忘れるだけで、実は…

人間の脳は、平均的な睡眠時間(約8時間)のうちに、約4.8時間にもわたる膨大な量の夢をつくり出している
  ――第7章 眠っている間に脳神経系では何が起こっているのか

 と、とんでもなくたくさんの夢を見ているらしい。夢はレム睡眠でと言われるけど、実はノンレム睡眠中も夢を見ているそうだ。

 次の第8章は、骨と筋肉。実は著者、早稲田大医学スポーツ科学学術院の教授で、これが本業。「Good to Go 最新科学が解き明かす、リカバリーの真実」にもあったように、アスリートにとっては睡眠も重要で…

トレーニング効果を上げるためには、筋肉が回復する2~3日間は、深いノンレム睡眠もレム睡眠も含む、十分な睡眠時間をとることが重要です。
  ――第8章 眠っている間に筋骨格系では何が起こっているのか

 だとか。これは筋肉だけでなく、骨も同じ。

人間の体の中では、古い骨をつねに壊して、その場で新しい骨をつくるということを繰り返しています。
  ――第8章 眠っている間に筋骨格系では何が起こっているのか

 寝不足だと、骨を壊す働きが盛んになり、つくる働きが鈍くなって、骨粗鬆症の危険が増します。年寄りはちゃんと寝ましょう。

 お次は泌尿器系。歳をとると夜中に膀胱がいっぱいになって深夜に起きることが多くなるけど、若い人にも苦労はある。

(夜尿症は)3歳では3人に1人、5才では5人に1人、小学校低学年で10人に1人、中学生で20人に1人
  ――第9章 眠っている間に泌尿器系では何が起こっているのか

 と、「おねしょ」の人も意外と多いのだ。中学生でも、クラスに1~2人はいる勘定だね。

 終盤では「寝不足はお肌に悪い」理由を切々と書いてある。その代表が目の下のクマ。曰く…

睡眠不足のときにできるクマは、目の周りのうっ血、つまり血行不良によって生じます。目の周りの皮膚は、体の皮膚の中でももっとも薄いので、ちょっとした変化でも目立つのです。
  ――第10章 眠っている間に皮膚では何が起こっているのか<

 これを更に深掘りすると…

睡眠不足では、交感神経系が活発になってしまい、細い血管が収縮してさらに細くなってしまうことが、血行不良の原因として考えられます。
  ――第10章 眠っている間に皮膚では何が起こっているのか

 だ、そうです。また、寝室の温度や湿度もお肌の具合に影響があるそうで、あまし乾いてるとお肌が脂ぎってくるとか。

 と、さんざん寝不足を警告してたけど、「じゃ何時間ぐらい寝ればいいのさ」となると、これが困ったことに…

「良い睡眠」とは、8時間以上たっぷりと長く眠る事でも、深いノンレム睡眠が多い睡眠でもありません。その人が「まあよく眠れた」と考えていて、日中に元気に活動できていれば、それが「良い睡眠」です。
  ――おわりに

 なんてある。つまり、人によりけりなのだ。

 専門用語が容赦なく出てくるけど、医師や医学者になるのでなければ、テキトーに流して読もう。一般向けの本なので、医学に疎くても大丈夫。小学校の理科で学んだ程度でも、充分についていける。素人向けに各臓器のしくみと働きから書いてあるし。全ての人に関係ある本だから万民にお薦めしたいが、ダイエット中や高血圧や美容に関心がある人には特にお薦め。

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2025年12月23日 (火)

徳田雄洋「離散数学 ものを分ける理論 問題解決のアリゴリズムをつくる」講談社ブルーバックス

本書では参加者全員が好きな対象物、あるいは参加者全員が嫌いな対象物で、分割可能な場合、参加者全員から全く文句が出ないように分割する不思議な方法を扱います。
  ――はじめに

ようかんを3人で分けたいのですが、もめないようにするにはどうしたらよいでしょうか
  ――第1章 ようかん問題

大きな長方形と小さな長方形を少し離して置きます。1本の長い直線でどちらの長方形の面積も2等分できるでしょうか
  ――第8章 結婚式のケーキカット

【どんな本?】

 2人でようかんを分けるの際に、どちらも文句が言えない分け方は有名だ。

  1. 片方が等分に2つに切る。
  2. もう片方が好きな方を選ぶ。

 では、3人の場合は?

 とんちクイズのようだが、数学者が挑み論文を仕上げるに足る、立派な数学の問題である。

 本書では、「好みが異なる2人が数種類のくだものを公平に分ける」「三つの居室がある家の家賃を3人で分ける」「嫌いな料理を3人で分ける」など、様々な状況で参加者全員が公平だと感じる分け方を紹介する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年5月20日第1刷発行。新書版で横一段組み本文約218頁。9.5ポイント24字×27行×218頁=約141,264字、400字詰め原稿用紙で約354枚だが、イラストやグラフが多いので文字数は7~8割程度。文庫なら薄め。

 文章はこなれていて親しみやすい。が、内容はかなり歯ごたえがある。数式も容赦なくバリバリ出てくる。ただし大半は加減算と分数ぐらい。と書くと楽そうだが、 f(x)=うんたら、みたいな形が多い。数式が苦手な人はここで放り出すだろう。

 基本的に「数人でものを分ける」手順を説明するのだが、この手順の中身がややこしいく面倒くさい。冴えた頭で落ち着いてじっくり読まないと、なかなか頭に入ってこないし、時おり反則技もかましてくる。

 ということで、充分に覚悟して挑もう。私は途中でギブアップしました。

【構成は?】

 前の章を踏まえて後の章を積み上げてゆく構成だ。しかも、数学の本なので、一歩づつ着実に進める必要がある。まだるっこしくても、充分に理解威できるまでじっくり時間を掛けて挑もう。

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  • はじめに/登場人物紹介
  • 第1章 ようかん問題
  • 第2章 トリミング調整法
  • 第3章 くだもの問題
  • 第4章 最大化問題
  • 第5章 三角形の建物定理
  • 第6章 家賃問題
  • 第7章 赤道の気温定理
  • 第8章 結婚式のケーキカット
  • 第9章 料理問題
  • 第10章 人数増加法
  • 第11章 絶対的優位法
  • 第12章 存在定理
  • 歴史まとめ
  • 付録
  • 参考文献/索引

【感想は?】

 と、いいながら、私は途中で諦めたんだけど。ごめんなさい。

 最初の3人でようかんを分ける問題は、どうにか理解できた。説明しろ、と言われたら怪しいけど。遺産分割などで揉めたら使えるか?と言われると、まず無理です。数学ってのは、そういうモンだよねw

 この問題には前提条件がある。ようかんは中身が均等で、どこをとっても質は同じ、という条件だ。つまり単なる量の問題に単純化している。しかも、最初の解はちと酷いw

 これを、中身は様々で、かつ参加者の好みも様々、としたのが「第3章 くだもの問題」。

何種類かのくだものを1個ずつ頂いたので、2人で分けたい
  ――第3章 くだもの問題

 ようかん問題との違いは、分けるべきモノの種類が様々って点だ。それともう一つ、2人の好みも異なる。片方はメロンが一番好きで、もう一方はモモが一番好き。

 面倒なようだが、ここでは両者の好みの違いが幸いして、双方ともに「半分より多くを手に入れた」と満足する結果に。いやしまいにゃ線形計画法なんて重砲をブッぱなしてるんだけど。普通は線形計画法アプリなんかスマートフォンに入ってないってw

 まあ小学校の算数の応用問題も、この手の理不尽に文句を言ったらキリないんで、「数学とはそういうもの」と割り切るしかないね。

 と、ここまではどうにか納得できたんだけど、「これは反則だろ」と思ったのが、「第7章 赤道の気温定理」。

赤道上の180度正反対の2地点で、同一時刻に気温が同じところが1個存在することが知られている。この1組の場所を探す方法を作れ。
  ――第7章 赤道の気温定理

 現実問題として考えると、標高の高低や天気の違いなどがあって、「そうはならんやろ」となる。そこから何を選び何を捨てるか、みたいなモデル化の能力まで問われる書き方だよね、これ。たぶん、こんな前提なんだと思う。

気温の高低は日照のみで決まる。つまり昼は暑く夜は冷える。

 …と思ったら、解説の途中で気圧が出てきた。なんで問題文にない気圧が出てくる?

 恐らくは、親しみやすくするための工夫なんだろう。つまり、直接に数式を出すのではなく、とっつきやすい文章で語ろうとしたのだ。ただ、モデル化の際に必要な前提条件を入れ忘れたり、読者が余計な条件を思い浮かべてしまったりで、著者の思惑と異なった形で読者に問題が伝わってしまったのだ。

 と、まあ、そんな具合に、分かりやすくしようとする努力はしているのだが、色々と残念な結果になってしまった本だと思う。もっとも、終盤になると著者も開き直ったのか、容赦なく数式が出てくるんだけど。

 20世紀に生まれ発達した、新しい数学の一分野を紹介する本として貴重だが、読み解くには相応の覚悟が要る。同じ段落を何度も読み返す、どころか何段落か前に戻って読み直す、それぐらいの覚悟でじっくり挑もう。

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2025年11月27日 (木)

ロマ・アグラワル「ナットとボルト 世界を変えた7つの小さな発明」草思社 牧尾晴喜訳

宇宙であれ、生物であれ、人間による発明品であれ、それを形作る複雑な仕組みは、より小さくて単純な「なにか」からできている。(略)本書はそのような身の回りの物の根本的で魅力的な仕組みについて、明らかにするものである。
  ――はじめに

【どんな本?】

 私たちの身の回りには、さまざまなモノがある。家・時計・電話・スピーカー・洗濯ばさみ・自転車・水道etc。これらのコノは、幾つかの小さな部品や機構からできている。モノを固定する釘やネジ。くるくる回る車輪。伸び縮みするバネ。鉄を引き付ける磁石。視力を補うレンズ。モノを繋ぐひも。そして水や空気を動かすポンプ。

 これらの部品や機構は、いつ・どこで生まれたのか。それはどのように進歩し、どんな所でどのように使われたのか。そして現代ではどのように進歩し使われているのか。

 エンジニアとして橋や建築物の構造設計に携わってきた著者が、例えばひもならつり橋のような大きなものから防弾チョッキのケプラー繊維そして楽器タンブーラの弦まで、大小さまざまな機構や部品のルーツと歴史をたどり、また現代の最新技術での応用を取材した、一般向けの科学と技術と歴史の楽しい読み物。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Nuts & Bolts: Seven Small Inventions That Changed the World, Roma Agrawal, 2023。日本語版は2024年7月4日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約281頁。9.5ポイント40字×18行×281頁=約202,320字、400字詰め原稿用紙で約506枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすく、数式も出てこない。日本の例も少し出てくるのは、インド系である著者の出自ゆえの視野の広さだろうか。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに
  • 1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり
  • 2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと
  • 3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり
  • 4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく
  • 5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし
  • 6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで
  • 7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで
  • おわりに
  • 謝辞/協力者一覧/参考文献

【感想は?】

 著者はハッカー、それもハードウェア・ハッカーだ。ただしハックの相手はコンピュータじゃない。建築物、特に橋である。

 冒頭の幼少期にクレヨンを分解するあたりから、ハッカー魂が炸裂してる。ハッカーの卵は、なんでもかんでも分解して中身を調べて学ぶのだ。代表的な被害者は時計ね。まあ、その後、元に戻せない事も多いんだがw

 そんな著者が最初に紹介するのが、釘。今でこそありふれたモノで…

現在の釘製造機は、1分間に800本以上の金属釘を製造することができる。
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 と、大量生産している。が、著者は敢えて昔ながらの鍛冶による手作りに挑む。この場面で、かつての釘の貴重さが伝わってくる。そう、真っ赤に熱した鉄をトンカン叩いて釘の形に成型するのだ。そんな釘の歴史は古く…

最古の青銅の釘は紀元前3400年頃のもので、エジプトで発見された。
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 と、歴史は古い。もっとも、現在の鋼鉄製の釘に比べると頑丈さは劣るが。頑丈さを求めると、リベットを介してナットとボルトに行きつく。そしてもう一つ、ワッシャーも。あれ、私は役割が今一つわかっていなかったが…

ワッシャーは、ナットと接合される鋼製の母材の間に取り付けられ、ナットが締め付ける力を分散させる役割を果たす。ワッシャーを使わないと、ナットを締める際に梁や柱に小さな亀裂が生じ、強度が落ちる可能性がある。
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 あ、そういう事なのね。ここでは軍ヲタに嬉しい雑学も一つ。

(ホーカー・)ハリケーンは二つのフレーム(構造と外皮)が必要だったのに対し、(スーパーマリン・)スピットファイアに必要なフレームは一つだけだった
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 機体が軽くなって、いわゆる出力重量比が良くなるのか。他にも昔の船に木釘を使った例も出てきて、水中だと木が湿り膨れてより締まるのが嬉しいそうです。

 続くのは車輪。ところが、発端は意外な分野で。

車輪はもともと陶器のための発明だった。
  ――2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと

 もしや…と思ったらその通り、ろくろだった。垂直な回転軸を水平にしたのが、馴染みの車輪。最初は丸い木の板だったけど、年輪に沿って割れやすいとか重いとかで、リムとスポークに進歩する。更に製鉄技術の進歩で鋼鉄製になり…

両面が皿形になった(自転車の)テンションワイヤースポークの車輪は、その軽さと優れた強度や柔軟性(ガタついた地面でも簡単には壊れない)により、車輪の進化の中でも極めて重要なポイントとなった。
  ――2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと

 と、ちょっとした形の違いが大きな進歩をもたらす事もあるんです。

 現代の車輪は宇宙にも飛び出し…

ISSの構成要素や実験装置の動力源である太陽電池パドルは壊れやすいため、通常、スラスターを起動する場合は収納してロックする必要があり、ISSの運用に非常に致命的となる。そこで小さく、穏やかな動きで構造体を操縦できるように、エンジニアたちはコントロール・モーメント・ジャイロ(CMG)(→JAXA)と呼ばれる四つのジャイロスコープを使用している。
  ――2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと

 なんて意外な所で活躍してる。要ははずみ車だね。はずみ車に溜めた角速度を取り出して、機体の姿勢を変えるのだ。スラスターは貴重な推進剤を使うし。

 車輪の次はバネ。これのルーツも意外で。

弓はバネの一種だ。バネとは基本的に、外力によって変形したときにエネルギーをたくわえる。外力が取り除かれるとバネは弾けるようにして元の形に戻り、その時にエネルギーを放出する。
  ――3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり

 意外なようだが、曲がったり伸びたりってんなら、今だって板バネがあるよね。その曲がりを極めたのが、ゼンマイだろう。そしてゼンマイ仕掛けの花形が、時計だ。もっとも、初期のゼンマイ時計は…

初期の動力ゼンマイによる時計も正確性では(従来の時計に)むしろ劣っていた。なぜなら、ゼンマイはきつく巻かれた状態で最もエネルギーをたくわえ、ほどけるとエネルギーが減少するからである。
  ――3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり

 おまけにゼンマイの品質がバラけてると、場所によって強さが違うんで、クロノメーターのジョン・ハリスン(→Wikipedia)は苦労したのだ。

 これらのバネは力を溜めて解放する、いわばバッテリーだが、もっと大きなバネは力を「伝えない」ために使われている。建物に使われる免振装置(→Wikipedia)だ。

構造物においては、バネの役割は(騒音や振動を)遮断することにあり、特に用のない限りは静止して、ひっそりと隠れているのだ。
  ――3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり

 日本だと地震対策で有名だが、本書の例は音楽ホールの防音構造だ。確かに一つの建物に大小のホールや練習室があると、防音は大事だよね。

 お次の磁石は指南車や羅針盤が有名だが、本書が主に扱うのは情報の伝達と保存…って偉そうだが要は電信・電話そして電子記録媒体です。

近代的な通信手段はすべて、ある地点から別の離れた場所へほとんど一瞬のうちに信号を送るという技術に基づいている。そしてその中心をなすのが「磁石」である。
  ――4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく

 ったって電磁石だけど。とまれ、この章を読むと、機械式に対する電子式の有利さがひしひしと伝わってくる。なにせ速さが桁違いなのだ。また…

初期の電話にはさまざまなデザインがあったが、一つ共通点があった。磁石と電線のコイルを一緒に使って相互作用を生み出していたことである。
  ――4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく

 なんてアッサリ触れてるだけだけど、つまりはマイクとスピーカーね。音を電気に変える、または電気を音に変える機構だ。ここはもう少し突っ込んで欲しかったが、そうするとオーディオの歴史になって一冊の本になっちゃうか。

 そんな磁石も今や…

今ではディスク、メモリーチップ、インターネットポート、洗濯機、電話、ラジオ、時計、メーターなど、磁石は私たちの家庭に何百個も存在するようになった。
  ――4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく

 と、すっかり当たり前のモノになったのだ。

 電磁気の次は電磁波、つか光を扱うモノ、レンズだ。私も眼鏡には日頃からお世話になってる。科学と工学の関係にはよくあるように…

磁石や多くの発見と同様に、レンズの振舞いに関する知識や使い方は、その理論的な解明よりもはるかに先をいっていた。
  ――5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし

 まあ運動方程式を知らなくてもキャッチボールはできるし。

 現代のレンズの応用で身近なのは写真だろう。昔から写真の持つ「人の心を動かす」力を判っていた人はいたようで…

19世紀に最も写真に収められたアメリカ人は、アブラハム・リンカーンではなく、(フレデリック・)ダグラス(→Wikipedia)である。
  ――5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし

 奴隷制度廃止運動家の彼は、写真が人々に与える力を意識して使ったのだ。ここでは、当時のフィルムは白人の肌の色に合わせて調整していたため、黒人はうまく写らなかった、なんて話も。

 さて、当時のカメラのレンズは一つだが、最近のスマートフォンは複数のレンズがついてる。これはハッタリじゃない。

最近では、レンズが二つ、あるいは三つ付いたスマートフォンを見るようになった。一つは遠くのものを撮影するために非常に長い焦点距離を持つレンズであり、一方で、広角撮影が可能な短焦点のレンズ、中間的な撮影ができるレンズもある。
  ――5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし

 スコープドッグのカメラが複数あるのは、そういうことか。いや赤外線や紫外線など広い波長の電磁波を捕える目的かな?

 なんてハイテクなネタに続くのが、ひも。単純だけど、人類の文明に与えた影響は大きいし、今だってあらゆる所に使われている。例の紐とか←をい

今もなお、傷を縫い合わせ、谷に橋をかけ、身体を保護する、そのすべてを静かに支えるのがひもの力なのだ。
  ――6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで

 単純ながら、理屈は意外と複雑だ。そこらの蔦の蔓を持って来たんじゃ、弱くて役に立たない。使い物にするには…

ひもは繊維からできているが、単一の繊維だけでは弱いし有用ともいえない。有用なものにするためには、複数の繊維を互いにこすり合わせるようにして一体化する必要がある。これによって生まれる繊維間の摩擦力こそがひもの強さの源だ。
  ――6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで

 「撚る」必要があるのだ。つか、強さの秘訣は摩擦力だったのか。知らなかった。しかも、撚り方にもコツがある。

S撚りと呼ばれるやりかたで、ひもの長さ方向に沿って、繊維がSの字の中間部のように左上から右下に巻かれている。さらにその撚糸を3本使って、今度は反対向き、つまり右上から左下(Z撚りと呼ばれる)に巻いて、1本のひもを形成している。
  ――6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで

 右回り・左回りの両方で巻くのだ。でないと、巻きをほどく方向にねじれようとする。これも知らなかったぞ。

 そうやって撚ったひもは、織って布になったり、吊り橋を吊るすケーブルになったり。最近は斜張橋が多いよね。

 最後はポンプ。

ポンプとは液体や気体を移動させる装置だ。
  ――7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで

 この章では、誰もが体内に持つポンプ、すなわち心臓の話も出てくるが、まずは水を送るポンプ。

革新的なポンプは、もともと乾燥地帯で生まれた。
  ――7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで

 つまりは灌漑用ですね。本章は古代メソポタミアのシャドーフ(→英語版Wikipedia)から始まって、これが実に説得力に富んでる。

 現代じゃポンプも宇宙に進出してて、こんな所でも活躍してたり。

宇宙服には大きく分けて2種類あり、一つは打ち上げと再突入の際に宇宙船内で着用するもので、もう一つは宇宙遊泳(NASAが言うところの「船外活動(EVA)」(略))に使用されるものである。
  ――7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで

 2種類あるなんて知らなかったぞ。本書で詳しく語るのは船外活動用で、つまりは空調用です。贅沢だと思うかもしれないが、人類初の船外活動を行ったアレクセイ・レオーノフ(→Wikipedia)の逸話を読むと、命に係わる機能だと納得するはず。

 モノにせよ仕組み・仕掛けにせよ、身の回りに溢れていると、ソレは最初からあったかのように思ってしまう。が、ひもや釘のように単純なモノでも、ソレは人類史上の大きな発明と呼べるものであり、また長い時代を経て改良を重ねてきた歴史を持っている。雑学が好きな人はもちろん、科学史・技術史に興味がある人にお薦め。

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2025年11月 7日 (金)

村上柾勝「シェークスピアは誰ですか? 計量文献学の世界」文春新書

本書では、文章の数量的な性質の中から、個人を識別するのに役立つ「文章の指紋」ともいうべき性質を探すことによって、作者の推定を試みた内外の研究を紹介した。
  ――おわりに

著者を推定するということから始まった文章の計量分析の研究は一層の広がりを見せ、現在では文章の数量的性質の変化から、著作年や、著作順序を推定したり、さらには思想の変化や精神状態の変化を探るという方向にも進んでいる。
  ――はじめに

【どんな本?】

 計量推計学は、文章の特徴を統計的な手法で数値化し、著者の真贋や著作年などを調べる技術である。その数値化も、着目点や技法は様々だし、文献の性質により使える技法や問題点は異なる。例えば英語は単語が分かれているが、日本語は分かれていないので、形態素解析が必要だ。

 本書は計量文献学の歴史や手法をザックリと語るとともに、シェークスピアの正体や源氏物語の著者など読者に馴染みの深い事例を披露し、「計量文献学とは何をして何ができるか」を紹介する、一般向けの解説書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年10月20日第1刷発行。新書で縦一段組み本文約185頁。9ポイント42字×16行×185頁=約124,320字、400字詰め原稿用紙で約311枚。文庫でも薄い部類。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も比較的にわかりやすい。一部に数式も出てくるが、加減乗除と分数までだし、なんなら読み飛ばしても構わない。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 1 かい人21面相の脅迫状と文体分析
    グリコ・森永事件/書き手は二人?/作家・内田康夫氏の推理/脅迫状・挑戦状の漢字含有率/かい人21面相の文章の模倣
  • 2 筆跡鑑定にかわる「文章の指紋」
    筆跡鑑定がむずかしくなった/文体から書き手を推定する/「パウロの書簡」をめぐる古くからの疑問/文章の指紋/この三人の作家の正体は?/一人三人作家/三つのペンネームによる文章の共通点 読店の付け方
  • 3 文学作品と哲学書の著者を推定する
    • 1 シェークスピアは誰か?
      Did he exist or did'nt be?/シェークスピアの候補たち/単語の長さの分析から/シェークスピア別人説その後
    • 2 プラトンの『第七書簡』は贋作か?
      贋作説の背景/二重母音、不変化詞を分析すると/文の長さの分析で贋作説を否定
    • 3 マーク・トウェインの戦争経験談?
      南北戦争経験談『Q.C.Sレター』はマーク・トウェインの著作か/単語の長さを分析すると/マーク・トウェインのシェークスピア別人説
    • 4 『静かなドン』をめぐる疑惑
      ショーロホフとソルジェニーツィン/『静かなドン』は盗作か/コンピュータの分析では
    • 5 『紅楼夢』は一人の作者が書いたものか
      /曹雪芹はどこまで書いたか/47の虚詞/81回以降は高蘭墅の作品か
  • 4 聖書と宗教書の著者を推定する
    • 1 『キリストにならいて』は誰が書いたか
      著者はケンピスかジェルソンか/語彙の豊富さを計るK特性値
    • 2 『旧約聖書』の中の『イザヤ書』の著者
      聖の預言者イザヤ/著者は三人か/文章の一貫し性に疑問/分析の問題点
    • 3 『新約聖書』の『パウロの書簡』
      パウロの14通の手紙/本当にパウロが書いたのか
  • 5 政治や犯罪の文献をめぐって
    • 1 英国内閣を攻撃した投書『ジュニアス・レター』
      200年以上謎のままだった著者の正体/人物の識別指標とは/区間推定法を用いた著者の推定
    • 2 『連邦主義者』の著者の推定
      作者は合衆国大統領?/記述内容に関係しない言葉の分析/執筆者の好みが現れる言葉の使用率
    • 3 パトリシア・ハースト誘拐事件
      誘拐、転回そして銀行強盗/法廷でのやりとり/声明文の執筆者は?
    • 4 東京の保険金殺人事件
      深夜のひき逃げ事件/犯人の告白書・遺書/四通の文章の類似点は/犯人逮捕
  • 6 日本古典の謎をめぐって
    • 1 『源氏物語』の計量分析
      古典文学の最高峰『源氏物語』/作者に関する疑問/「宇治十帖」の作者は本当に紫式部か?/数値でみる『源氏物語』の全体像/言葉の使用率で「宇治十帖」をみる/『源氏物語』を品詞から分析する/グラフでみる「宇治十帖」の異質性/「宇治十帖」を書いたのは別人か?/『源氏物語』の成立順序の疑問/助動詞に基づく成立順の推定/安本美典氏の計量分析/本居宣長の犯したミス
    • 2 日蓮遺文の著者の推定
      日蓮遺文の真贋問題/問題となっている五編の文献/日蓮の好みの言葉で/言葉の情報に基づく分析/品詞の情報に基づく分析/五編の文献の真贋は/『三大秘宝稟承事』の異なる写本を用いた分析
  • 7 文体の変化とこころの変化
    • 1 川端康成の文体の変化
      心のありようと文章/読点の付け方の変化
    • 2 日蓮の文体の変化
      佐渡流罪の前と後
  • 8 日本語の計量分析の課題と限界
    日本文の分析のむずかしさ/ワープロ、パソコンと手書きでは文体は異なるか/日本の古典は宝の山
  • おわりに
  • 参考文献

【感想は?】

 本書のテーマはシェークスピアの正体をめぐるミステリではない。いや、それも少し触れてるけど、あくまでもネタの一つとしてだ。本題は、計量文献学の紹介である。まあ、その辺は副題や構成を見ればわかるんだけど。

 計量文献学とは何か。文章から特徴を洗い出して数値化する技術だ。数値化することで、客観的な比較ができる。贋作を見分けたり、真の書き手を見つけたり、成立順を並べ直したり、そういう事ができる。

 私が興味を持ったのは、「どう数値化するか」だ。これが思ったより遥かに色とりどりで、工夫に富んでいる。

 パッと思いつくのは、文の長さだ。私が読む本だと、一般に学者が書いた本は文章が長い。対して新聞記者などジャーナリストの文章は短い。これは書くのが商売か否かの違いだろう。カート・ヴォネガットも、記者時代に「とにかく文を短く」とシゴかれたとか。でないと、読んでもらえないのだ。

 日頃から「読んでもらいたい」と思ってる人なら頷けるだろうが、こんな指摘があった。

「短文というのは、修練がいる」
  ――1 かい人21面相の脅迫状と文体分析

 そうか。やはり意識して訓練しないと、文は長くなっちゃうのか。某カクヨムの作家さんで、やたら文章が短い人がいて感心してたんだが、相当に訓練したんだろうなあ。

 もっとも、商業作家、それも娯楽作品で稼いでる人は文の長さを気にするだろうけど、学者さんは違う。以下は宗教書『キリストにならいて』(→Wikipedia)の分析で得た傾向なのだが…

文の長さの平均値や文の長さのバラツキを示す四分位範囲と呼ばれる統計量は作家間で異なるが、同じ作家の作品ではほぼ同じ値となるという結果を得た。
  ――4 聖書と宗教書の著者を推定する

 だそうです。

 さて、文の長さつまり句点「。」の次は、読点「、」だ。最近読んだ「日本アニメ誕生」は、やたら読点が多いと感じた。栗本薫も多いんだよなあ。この二人は商業作家だから意識して付けてるんだろうけど…

読点は文章を読みやすくするために付けられるが、多くの人はほぼ無意識に読点を付けている。個人の文章の特徴は、このような無意識に書く所に現れやすい。
  ――2 筆跡鑑定にかわる「文章の指紋」

 もっとも、本書の注目点は読点の数じゃない。どの文字の後で読点を使うか、だ。たいてい助詞、いわゆる「でにをは」の後なんだが、この頻度に書き手の特徴が出るのだ。とまれ、この章でサンプルとして出てきた作家の長谷川海太郎(→Wikipedia)のペンネーム使い分けの芸には脱帽した。やっぱプロの作家は凄いや。

 読点・句点の次は、やっと単語だ。でも、最初の例は虚詞。これは中国語の助詞や副詞などを含むシロモノで、単独では意味をなさない。そんなモノに注目するのも、ちゃんと意味がある。

一般に文章の書き手を推定する場合には、虚詞のような記述内容に依存しない言葉で、かつ多数回使用される言葉の頻度に着目することが多い。
  ――3 文学作品と哲学書の著者を推定する

 先の長谷川海太郎のように傾向の違う本だと、出てくる単語の種類は大きく違ってくる。例えば丹下作善は「剣」が、牧逸馬は「銃」が多い…んじゃ、ないかなあ。そういう、テーマに依存する単語は、計量文献学じゃ使いにくいワケです。

 先の引用は『紅楼夢』の話。あれぐらいの大長編だと、統計的にもサンプルが多いので取り組みやすい。対して犯罪の予告状や脅迫状だと、文章の量が少なすぎて計量統計学じゃ扱いにくい。そこで、多数の手法を組み合わせることとなる。

1.どのような助詞がどの程度もちいられているかに関する頻度情報
2.どの助詞の後にどの助詞が出現するかに関する頻度情報
3.どの文字の後に読点がつけられているかに関する頻度情報
  ――5 政治や犯罪の文献をめぐって

 と、様々な角度から分析していくワケですね。

 終盤では、ついに出ました日本文学の金字塔『源氏物語』。いや読んでないけど。しかも作家複数説まであるとは知らなかった。ばかりか…

『源氏物語』に関して問題が指摘されているのは、作者複数説だけではない。54巻の成立順序に関しても、多くの研究者が現在の巻序の順かどうかについて疑問を呈している。
  ――6 日本古典の謎をめぐって

 大長編でよくある、前日譚や外伝的な章を後から付け加えるパターンね。人気が出たので読者のリクエストに応えた的な。

 この分析過程でガツンとやられたのが、紫式部の才女ぶりを示すくだり。いや村上氏の意図は違うんだけど。

『源氏物語』の中に「あはれ」に関する言葉は、「あはれ」(名詞・感動詞)、「あはれがる」(動詞)、「あはれさ」(名詞)、「あはれなり」(形容動詞)など41種類出現する。
  ――6 日本古典の謎をめぐって

 この41種類って所に、彼女の語彙の豊かさが出てるよなあ、などと感嘆したのだ。私なんて二言目には「面白い」「興味深い」ばっかだってのに。

 などと本題とは違うネタばかりになったが、計量文献学の魅力そのものは充分に伝わってくる本だった。何より、従来の文学者による主観的な分析に対し、力づくながらも客観的で数値化できる手法なのが心地よい。コンピュータと相性がよさそうな分野だけに、さすがに2004年と古いのは辛いが、「軽量文献学とは何か」を知るには手軽で楽しく読める格好の紹介書だ。文系と理系の狭間に興味がある人にお薦め。

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2025年10月21日 (火)

関根慶太郎監著 瀧澤美奈子著「読んで納得!図解で理解!『ものをはかる』しくみ」新星出版社

単位のルーツはどの民族でも、だいたい次の3系統に分類できる。
1 体の部分の長さや歩幅を尺度に利用した単位
2 自然の現象や物を尺度に利用した単位
3 生活習慣を尺度に利用した単位
  ――第1章 基本量のはかり方

【どんな本?】

 「日本酒度」ってなに? 電気料金や下水道料金はどうやって決める? 「桜の開花」の基準は? 虹はどれぐらい遠い? 警察のネズミ捕りの仕掛けは? 乱視はどう調べる? 放射線の多寡は? マラソンのコースはどうやって決める? 地球の重さがなぜ判る? 星の重さは?

 キッチンメーターや血圧計など身近な計測機器のしくみから、春のニュースの定番である桜の開花予報、科学と工学の粋である天文学まで、様々なコノ・コトのはかり方・決め方・数値化の方法を、豊富な写真とイラストで親しみやすく語る、一般向けの科学・工学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2007年7月25日初版発行。単行本ソフトカバー横一段組み本文約253頁。9.5ポイント26字×25行×253頁=約164,450字。各頁の上20%~40%程度はイラストや写真で、また文中にも図版が入ったりするので、文字数はもっと少ない。書名の「図解で理解!」は伊達じゃない。

 文章は比較的にこなれている。ただ内容の分かりやすさは記事によりけり。工学系の学者の著書でありがちなように、得意分野だと高度な話がバリバリ出てくるのだ。数式も容赦なく出てくる。ただし加減乗除に累乗と平方根までなので、理屈では中学生でも理解できる…ハズ。いや私は読み飛ばしたけど。

【構成は?】

 2~4頁の独立した記事が並ぶ構成なので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。各章の末尾にも1頁の独立したコラムがある。

クリックで詳細表示
  • 第1章 基本量のはかり方
  • はかり方の基本
  • 第2章 感覚量をはかる
  • 味覚をはかる
  • 辛味をはかる
  • 日本酒の味はどう表す
  • アルコールの度数って何?
  • 日本酒度をはかる
  • 酸度をはかる
  • においをはかる
  • 包丁の切れ味をはかる
  • 第3章 生活をはかる
  • 重さをはかる
  • 複雑な庭の面積をはかる
  • 体積をはかる
  • 地面の傾斜をはかる
  • 水道使用量をはかる
  • ガス使用量をはかる
  • 電気使用量をはかる
  • 電気料金をはかる
  • タクシーメーターのしくみ
  • パーキングメーターのしくみ
  • 照明の明るさをはかる
  • 電波の周波数をはかる
  • 方角をはかる
  • 磁力をはかる
  • カメラのオートフォーカスのしくみ
  • カメラの手ぶれ防止のしくみ
  • 火災報知機のしくみ
  • 第4章 自然をはかる
  • 山の高さをはかる
  • 海や湖の深さをはかる
  • 川の流れの速さをはかる
  • 水の透明度をはかる
  • 年代をはかる
  • 花の開花度
  • 水質をはかる
  • 地面の水分量をはかる
  • 第5章 天気・気象をはかる
  • 気温をはかる
  • 気圧をはかる
  • 湿度をはかる
  • 風速をはかる
  • 雨量をはかる
  • 震度をはかる
  • マグニチュードをはかる
  • 竜巻の強さをはかる
  • 雷までの距離をはかる
  • 雨雲の移動速度をはかる
  • 積雪量をはかる
  • 視度(視程)をはかる
  • 二時までの距離をはかる
  • 第6章 交通をはかる
  • 自動車の速度をはかる
  • 船と飛行機の速度をはかる
  • 飛行機の高度をはかる
  • タイヤの空気圧をはかる
  • エンジンの馬力をはかる
  • 自分のいる位置を知る
  • スピード取り締まりはどうはかる
  • 道路標識の表示距離
  • 第7章 健康をはかる
  • 体温をはかる
  • ヘルスメーター
  • 血圧をはかる
  • 視力と乱視をはかる
  • 聴覚をはかる
  • 肌年齢をはかる
  • 血管年齢をはかる
  • 体脂肪率をはかる
  • 食品のカロリーをはかる
  • 呼気のアルコール濃度をはかる
  • 心臓の状態を知る
  • 脳波をはかる
  • サーモグラフィのしくみ
  • 第8章 環境をはかる
  • 人工衛星による環境計測
  • 騒音の大きさをはかる
  • 振動の大きさをはかる
  • CO2濃度をはかる
  • 放射線の量をはかる
  • クリーンルーム
  • まな板の汚れをはかる
  • 第9章 スポーツをはかる
  • 歩行数をはかる
  • ゴルフなどで使う距離計
  • 短距離のタイムをはかる
  • マラソンの距離をはかる
  • マラソンのタイムをはかる
  • 第10章 地球をはかる
  • 地球の重力の大きさをはかる
  • 地磁気の大きさをはかる
  • 地球の形や大きさをはかる
  • 大陸の移動をはかる
  • 海流の速度をはかる
  • 地球の重さをはかる
  • 標高の基準
  • 第11章 宇宙をはかる
  • 月や太陽までの距離をはかる
  • 星や銀河までの距離をはかる
  • 星の明るさをはかる
  • 星の重さをはかる
  • 太陽の温度をはかる
  • 宇宙の膨張速度をはかる
  • 惑星でなくなった冥王星
  •  さくいん

【感想は?】

 典型的な科学/工学の雑学本だ。

 そのためか、多くの人に親しんでもらうために、様々な配慮をしている。写真やイラストが紙面の半分近くを占めていて。パッと見ただけでもとっつきやすさを感じる。各記事が独立していて、長さも2~4頁と短いので、スキマ時間でチビチビと読めるし、美味しそうな所だけをつまみ食いできるのも嬉しい。

 ただ、工学系の著者にありがちなパターンで、筆が乗ってくると専門的な話が出てきたり、数式がワンサカと載っているのは、まあそういうモンです。よって読む側にもスキルが必要で、ったって数学や科学の能力じゃない。「わからない所は気にせず読み飛ばす」って能力ね。特に数式。ミステリ小説じゃあるまいし、多少読み飛ばしても無問題。

 幸いにして本書は2~4頁の独立した記事が並ぶ構成なので、前の記事が理解できなくても後の記事には何の影響もないし。

 また、第2章が感覚量で第3章が生活と、身近で暮らしに密着した話題なのも編集の工夫だろう。やはり自分が実際に感じたり、日々の生活に影響があるネタだと、強い興味がわくのだ。

 という事で、「ぼちぼち包丁を研がねば」と感じている私には、こんなネタが嬉しかったり。

研究によると、包丁にモノが当たった瞬間の切れ味は、刃先0.1mmの角度の鋭さで決まり、切断する途中の切れ味は刃面のなめらかさで決まるようです。
  ――包丁の切れ味をはかる

 ちなみに、あんまし刃先を鋭くするとすぐ鈍るんで、プロは加減するそうです。

 こんなのも、「おお賢い!」と感心したり。デジタルカメラのオートフォーカスの「コントラスト検出方式」なんだが…

“ピントが合っているのは、コントラストが最も高いときである”という考え方で、ピントを検出する方法です。
  ――カメラのオートフォーカスのしくみ

 言われてみればその通りなんだが、よく気が付いたなあ。コンピュータの画像処理・演算能力も必要だし、現在ならではの技術だね。ちなみにオートフォーカスには「位相差検出方式」もあって、主に一眼レフで使ってるとか(→Wikipedia)。最近の複数レンズを備えたスマートフォンは、どういう理屈なんだろ? こういう所が、2007年発行の悔しい所。

 やはり身近なネタでは、国土地理院が司る水準点(→Wikipedia)。これは標高の基準となるモノで、思わず Google Map で漁ってしまった。近所にもあるので、散歩のついでに見てこよう。

日本各地には標高の永久標識である水準点が約2万点もあって、あらかじめ正確な標高と位置が測量されています。
  ――山の高さをはかる

 「あれ、そうなの?」も、雑学本の楽しみの一つ。例えば震度(→Wikipedia)。

震度は地震の振動の強さを表す指数で、単純な物理量ではありません。そのため、もともと体感で決めてきた尺度です。
  ――震度をはかる

 数字一つで示されると、ナニやら厳密な規格がありそうな気がしてくるんだよな。でも実際には揺れ幅・周期・継続時間などがあって、数字一つで表すのが難しいのだ。とはいえ、あくまでも「もともとは」であって、現在は気象庁が工夫して計算してるんだけど。

 やはり「そうだったのか!」が、これ。

変速ギアがトップ(変速比1)のとき、速度計の針の「角度」とタコメーターの針の「角度」が同じであるのが正しい習わしである。
  ――自動車の速度をはかる

 クルマに詳しい人は知ってるんだろうなあ。最近のクルマは自動変速が多いけど、上の理屈を知っていれば「今は何速か」が判るのだ。

 「こんな所にお役所が」と感心したのが、脳波計。

脳波計は、頭皮に付けた電極から生じる活動電位の変動を増幅し、波形として記録します。そのため、電極。入力部、増幅部、補助入力部、記録部、電源部から成り立っています。また、安全性を含めてJIS規格で規定されています。
  ――脳波をはかる

 「脳波」も近年はfMRIなどが発達し、あまり聞かなくなった言葉だけど、一時期はオカルト系でよく出てくるネタでした。SFでもポール・アンダースンの小説が、って読んでないけど。

 やはりオカルトとSFの定番が放射線)(→Wikipedia)。これもシーベルト(→Wikipedia)なんて単位があって、一つの数字で表してるけど…

放射線にはいろいろな種類があるだけに、計測器もさまざまな種類(*1)があります。そのため、ふつうは対象によってどの放射線を測定するかをあらかじめ決めて、検出器を選びます。
  ――放射線の量をはかる

 と、中身はフクザツなのだ。

*1:β線=電子,β+線=陽電子,α線=ヘリウム原子核,エックス線=電磁波,γ線=高エネルギー電磁波

 ちなみに放射線測定器はタダで借りられる。

(財)放射線計測協会では、文部科学省の委託を受けて、簡易放射線測定器「はかるくん」(*2)の無料貸し出しを行い、自然放射線への理解増進をはかっている(→簡易放射線測定器の貸出)。
  ――放射線の量をはかる

 これも調べて分かったんだが、今は「はかるくん」もイロイロと進歩している様子。

*2:はかるくんWeb「はかるくん」の種類によると、はかるくんCP-100/はかるくんDX-200/はかるくんDX-300/はかるくんメモリー/はかるくんⅡ/はかるくんGM-100/はかるくんGM-200の7種類がある。

 やはり最近の進歩が凄いのが、万歩計。スマートフォンや時計にも機能がついてたり。私は相変わらずiPod nano を使ってるけど。いやスマートフォンだと電池の減りが気になって。ちなみに…

「万歩計」は同社(山佐時計計器株式会社)の登録商標。
  ――歩行数をはかる

 ということで、スマートフォンとかは歩数計などの表現を使ってる。あと山佐時計計器株式会社は、スマートウォッチ型やバックル型など、様々なバリエーションを出してるなあ。

 などの身近なネタの後、終盤では地球規模や宇宙規模の話題が。話の規模は大きいけど、「はかる」となると、やたら数字が小さくなるから科学者は大変だ。例えば地磁気。

地表での地磁気の大きさは、(略)冷蔵庫に付けるマグネット(フェライト磁石)の1/1万程度です。
  ――地磁気の大きさをはかる

 その程度でさえ動くコンパスも凄いと思う。

 これが宇宙となると、やはり謎も残っていて。

太陽を取り囲むコロナ(太陽大気の上層に太陽半径の10倍以上の距離まで広がっている)は約100万Kという超高温であることがわかっていますが、その理由は太陽系最大の謎とされ「コロナ加熱問題」(→Wikipedia)と呼ばれています。
  ――太陽の温度をはかる

 これも調べたら、2025年現在の今も複数の仮説が並び立っている状態だった。現代の科学でも、こういう細かい?謎がたくさん残っているんだろうなあ。というか、謎が一つ解けると二つの謎が生まれるのが科学だし。

 幅広い分野のネタをたくさん集め、それぞれを2~4頁の短い記事にまとめた、とっつきやすく親しみやすい科学/工学の雑学本。読み終えると個々の記事が短いので食い足りない気もするが、じっくり読むと各記事の中身は意外に濃かったりする。雑学が好きな人にお薦め。

 ただ、進歩の激しい科学/工学系の本なので、さすがに発行が2007年なのは寂しい。改訂版が欲しいぞ。

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2025年9月29日 (月)

ジョセフ・メイザー「数学記号の誕生」河出書房新社 松浦俊輔訳

本書は今の数学で確立している記号の起源と進化をたどるもので、数を数えるところから始まって、現代数学の主要な演算子までたどる。
  ――序論

【どんな本?】

 現代の数学は、様々な記号を使う。0~9の数字。+-×÷の演算子。等しいを示す=。優先順序を変えるカッコ()。定数を示すabc,変数を示すxyz。右肩の小さい数字(例::x2)はべき乗。

 これらの記号は、いつ、どこで、誰が、何のために編み出し、どのように流布したのか。そして、それを使うことで、どんな得があったのか。記号の普及と数学の発展には、何か関係があるのか。

 数学科の名誉教授が、数学記号と数学の発展の歴史を語る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Enlightening Symbols: A Short History of Mathematical Notation and Its Hidden Powers, Joseph Mazur, 2014。日本語版は2014年9月30日初版発行。単行本ハードカバー横一段組み本文約286頁に加え訳者あとがき2頁。9.5ポイント30字×29行×286頁=約248,820字、400字詰め原稿用紙で約623枚。文庫なら少し厚め。

 文章はややぎこちない。また訳文に少しクセがある。ユークリッドがエウクレイデスとか。

 数学の本だから、数式も容赦なく出てくる。が、解く必要はない。この式は連立方程式か連分数か二次・三次方程式か微分方程式か、などの種類が分かれば充分だ。数式にアレルギーがなければ、中学卒業程度でも楽しめるだろう。

【構成は?】

 ほぼ歴史をたどって進むので、素直に頭から読もう。終盤に行くに従ってより高度な概念が出てくる。

クリックで詳細表示
  • 序論/定義/図版に関する註
  • 第1部 数字
  • 第1章 奇妙な始まり
  • 第2章 古代の数の体系
  • 第3章 絹の道と王の道
  • 第4章 インドからの贈物
  • 第5章 ヨーロッパへの到来
  • 第6章 アラビアからの贈物
  • 第7章 「リベル・アバチ」
  • 第8章 起源への反論
  • 第2部 代数
  • 第9章 記号なし
  • 第10章 ディオファントスの「算術」
  • 第11章 偉大なる技
  • 第12章 幼い記号
  • 第13章 おずおずとした記号
  • 第14章 威厳の階層
  • 第15章 母音時と子音字
  • 第16章 爆発
  • 第17章 記号のカタログ
  • 第18章 記号の達人
  • 第19章 最後の魔術師
  • 第3部 記号の力
  • 第20章 頭の中でのランデブー
  • 第21章 良い記号
  • 第22章 見えないゴリラ
  • 第23章 頭の中の像
  • 第24章 結論
  • 付録A ライプニッツの表記法
  • 付録B ニュートンによるxnの流率
  • 付録C 実験
  • 付録D 複素数の視覚化
  • 付録E 四元数
  • 謝辞/訳者あとがき/原註

【感想は?】

 数式はややこしい。でも、数式がないと、もっとややこしい。

 エウクレイデス(ユークリッド)の「原論」(→Wikipedia)には、こんな文章が出てくる。

直線を任意に切れば、全体の上にできる正方形は、各線分の上にできる正方形と、線分で囲まれる長方形の二倍に等しい。

 これを数式で表すと、こうなる。

(a+b)=a+b+2ab

 数危機は簡潔で要領を得ている。と同時に、少ない文字数に多くの意味や情報を詰め込んでいる。だから、数式は難しくて当たり前なのだ。

 また、数式は移項や約分などの操作もできる。とても便利だ。これにより、幾つかの式が実は同じ解法で解けることが分かったりする。また、「aの右肩のは分数や負数もあり?」なんて発想はひらめいたりする。こういった性質が、数学の発展にもつながった。

 そんな感じの主題を、歴史上の多くの例を挙げて語るのが本書だ。

 全体は3部で、第1部では数の表し方をじっくり辿ってゆく。第2部では加減乗除や等号などの代数記号の発明と普及の物語だ。第3部はだいぶ毛色が違い、私たちの脳が数式をどう扱うか、数式が私たちの考え方にどんな影響を与えるか、を探ってゆく。

 さて、第1部は数字だ。私たち日本人がアラビア数字と呼ぶ、0~9の数字である。どうやら数字は文字と同時に誕生したらしく、最古の文献は「会計、名前、レシピ、旅日記だ」。

書く必要が生じたのは、記憶を記録する必要によるのであり、物語でないのは意外なことではない。
  ――第1章 奇妙な始まり

 数字は国や地域により色とりどりだが、共通している点もある。

ほとんどの古代文化にとって、最初の三つの数を表す記号は縦か横かの線で…
  ――第3章 絹の道と王の道

 漢数字でも最初は一,二、三だしね。

 一桁ならいいが、二桁以上になると、面倒くさい事になる。ローマ数字は5がⅴで10がⅩ、と多くの文字を憶えなきゃいけない。漢数字だと十,百,千,万,十万…となる。いずれにせよ、位取りと零はなかった…ワケじゃない。

(古代バビロニアのニブル石板では)「空白」が記号として用いられているのだ。
  ――第2章 古代の数の体系

 「その桁がない/ゼロである」と示すために、空白を置いたのだ。もっとも、この方法にも欠点はある。複数の桁がゼロだと、幾つの桁なのかハッキリしない。確かに。

 まあ、文字で数を著すのはインテリだけで、庶民が集う市場じゃ別の方法を使ってたんだが。

文字が市場では不便だった昔には、指で数えるのがあたりまえだった。
  ――第4章 インドからの贈物

 私たち日本人は指を折って数えるんで、片手で数えられるのは5までだ。でもプログラマは31まで数えられる←をい 体の部位で示す方法もあって、インド人は親指で他の指の関節を示す形で片手で16まで数えられる、なんて噂も。

 そのアラビア数字を欧州に紹介したのは12~13世紀イタリアのフィボナッチ(→Wikipediaって話が流布してるが…

フィボナッチの本は、ヨーロッパ社会のある部分にはアラビア数字をもたらしたらしいが、イタリアを旅行したりそこで商売をしていた人々は、すでにこの数字を知っていた可能性も高い。
  ――第5章 ヨーロッパへの到来

 と、もっと前からイタリアの商人たちは知っていたらしい。

 そのイタリア商人たちにアラビア数字を伝えたのは、アラビアの商人たち。彼らはインドから「インド数字」を仕入れた。それをアラブ世界に紹介したのは、9世紀前半のバグダッドのアル=フワーリズミー(→Wikipediaの著作「インドの数の計算法」だ。

インド式の数の表し方がアラブ世界全体、さらにはヨーロッパに広まったのは、主としてこの本による。
  ――第6章 アラビアからの贈物

 と、本書はそういう説を紹介しているが…

ヒンドゥー=アラビア数字の起源は、2世紀近くにわたって専門家によって論じられてきた。
  ――第7章 「リベル・アバチ」

 と、この説に落ち着くまでは、様々な紆余曲折があったようだ。フランス語で書かれた「古代の文献」が登場したりw どの国でも、身びいきが過ぎる人ってのは、いるもんなんだね。

 このアラビア数字、何が嬉しいかというと、簡潔に書けるのはもちろんだが、加えて筆算がしやすいのがいい。嘘だと思ったらローマ数字や漢数字で掛け算や割り算を筆算してみよう。

当時は苦労してローマ数字で数を表し計算をしていたヨーロッパ人は、(アラビア数字という)贈物をもらったようなものだ。
  ――第8章 起源への反論

 もっとも、紙の値段が高かった時代は、算盤を使ってたんだけど。本書には西洋の算盤の写真もあって、なかなか興味深い。

 第2部からは、記号と共に数や数学の概念が拡がってゆく歴史を描く。まずは、かつての世界第2位のベストセラー「原論」の著者から。ちなみにトップは聖書。原論がNo.2なのは、欧州じゃ長く数学の教科書として使われたから。

エウクレイデス(=ユークリッド)の著作(「原論」)には、べき乗やプラス、マイナスを著す代数記号はまったく見あたらない。
  ――第9章 記号なし

 前の引用で示したように、すべて文章で表したのだ。しかも、多くは幾何と関連付けて。

 何を「数」に含めるかは、時代と共に少しづつ広くなってゆく。例えば…

分数や有理数ならかまわないが、16世紀になるまでは、負の数は――負債としてなら文句なく認められたが――ヨーロッパでは本当の数とは認められなかっただろう。
  ――第10章 ディオファントスの「算術」

 数学者はそうだろうけど、商人はどうなんだろ? 要は借金や買掛金なんだけど。あと、負数に負数を掛けたら正の数になる、って理屈も、当時の数学者は苦労した模様。これも「借金してる相手が減った」と考えれば、納得いくよね。

 それはともかく、やはり昔のインドは数学の先進国だったようだ。

(7世紀インドの)ブラーマグプタ(→Wikipedia)は、2次方程式には二つの根が出ることがあり、その方程式が出てくる具体的場面での条件から、一方は排除されることを知っていた。
  ――第11章 偉大なる技

 もっとも、一般的な解き方=二次方程式の解の公式を知っていたワケじゃないようで、個々の例ごとに具体的な解法を文章で書き綴っている。

 が、やはり一般的な解き方=解の公式を求める動きはあった。そして二次方程式の解の公式には、自乗や自乗根=ルートが出てくる。今は標準的な記号や書き方が決まっているが、当時はなかった。

代数の考え方が記号をもたらしたのであって、逆ではない。
  ――第12章 幼い記号

 という事で、第2部では、当時の人たちが考えた様々な記号や記法が出てくる。今の私たちからすればわかりにくいが、それでも当時の人たちにとっては大きな変化だったろう。

 そして、記号の導入は、数学者たちの考え方にも大きな変化をもたらしてゆく。

古い幾何学的な捉え方から代数的表現を解放したのだ。
  ――第13章 おずおずとした記号

((16世紀イタリアのラファエル・)ボンベッリ(→Wikipedia)による)巧妙で本物の記号は、代数を幾何から独立させた。
  ――第14章 威厳の階層

 私が方程式を解く際は、単純に数学のルールに従って式を変形してゆく。「ソレはどんな図形を表すか」は考えない。でも、当時の人たちにとっては、数学と幾何=図形や立体は、分かちがたく結びついていた。二次方程式は図形を、三次方程式は立体を表したのだ。

 更に定数や変数などの概念も。

(16世紀フランスのフランソワ・)ヴィエト(→Wikipedia)の驚異の母音時・子音字表記は、集合としての一般的な、何でも、すべてについて考える方法をもたらす。
  ――第15章 母音時と子音字

 一部のIT技術者には「デカルト座標系」で有名なデカルト。そのデカルト座標系は、幾何学と代数学の関係を更に見直すことになる。

(17世紀前半フランスのルネ・)デカルト(→Wikipedia)は概念化のモードを切り替え、幾何学の問題を代数学的な座標へと移し替える方法を教えてくれた。
  ――第16章 爆発

 と書くと順風満帆なようだが、文句を言う人たちもいた。他でもない、植字工だ。今だってワープロソフトやDTPソフトで数式を扱うのは難しい。HTMLじゃ無理だ。私は累乗を<sup>で誤魔化してるが、分数や平方(ルート)は扱えない。だから本記事でも、その辺が出てこないように書いてる。いやライブラリを使えばイケるらしけど。活字を拾って組んでいた当時の植字工の苦労は、察するに余りある。

デカルトさえ『幾何学』ではときどき、鉄十字✠を使っていたが、これは印刷所で足りなくなった活字を、新しく作らずにすませて、見つかる中でいちばん近い記号でまにあわせたためにそうなったのかもしれない。
  ――第17章 記号のカタログ

組版業者をなだめ、紙面がもっと魅力的に見えるように、(17世紀ドイツのゴットフリート・)ライプニッツ(→Wikipedia)は項をどこまで考えるかを示すためにかっこを用いるというアイデアを導入した。
  ――第18章 記号の達人

 写本の時代にはなかった問題だね。まあワープロが出始めた頃は、外字で似たような問題があったし、今だって住基ネットじゃ姓名でゴタゴタがブツブツ。

 最後の第3部では、これらの記号が数学や数学者に与えた影響や、私たちが数式を見た際に脳がどう反応するかを考察してゆく。

 現代の代数は、幾何から離れ、ルールに従った記号操作になった。変数をxやyで、定数をaやbで表す。なら、xやaは複素数でもいいんじゃね?なんて発想も出てくる。本書には出てこないが、フラクタル理論じゃ整数じゃない次元なんてのもある。xnのnは整数じゃなくてもいいよね、そういう拡張だ。

数学ですばらしいことの一つは、それが進むと――よくできた記号によって――視野が広がることだ。
  ――第20章 頭の中でのランデブー

 とまれ、困った副作用もある。いわゆる「机上の空論」の陥りかねないのだ。

記号による代理には、代理される対象がすぐに見えなくなり、対象がまったく対応しないことも多い記号について演算が続くという不利益もある。
  ――第21章 良い記号

 電気の世界じゃ複素数が必須らしいけど、虚数部の意味はわかっていない、なんて話を聞いたが、そういう事だろうか? いずれにせよ、複雑な式は、多くの人にとってピンとこない。何を表しているのか、その対象が既に頭の中にあるならいいんだが、そうでない時は酷く苦労する。

根源はイメージで、書かれた言葉や数学の記号は考えられたものだ。
  ――第22章 見えないゴリラ

 それでも、やはり数学記号や数式の力は大きい。

数学の美しさ――すっきりした照明、簡潔な提示、巧みさ、複雑なものの単純化、わかりやすい接続――は、大部分、巧妙で整った記号の、わかりやすくする能力によっているのだ。
  ――第24章 結論

 数学が得意な人は、オイラーの等式eiπ+1=0が美しいと言う。私にはわからないけど。でもK&Rこと「プログラミング言語c」を初めて読んだとき、ungetc() の見事さ舌を巻いた。そういう感じなのかな、と思う。

 数学の本でもあるので、相応の歯ごたえはある。とはいえ、別に式を解く必要はないので、その辺は気楽に挑んでもいい。数学記号で数学者の思考がどれぐらい変わったか、という本でもある。だから、言語と思考の関係を、「言語は思考に強い影響を与える」と考える人には、とっても心地よい本でもある。歴史と数学の雑学に興味がある人にお薦め。

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