小野不由美「幽冥の岸」新潮文庫
「景麒か行くから大丈夫だよ」
――幽冥の岸
【どんな本?】
1992年6月に少女向けレーベルのホワイトハートより刊行された「月の影 影の海」から始まった巨大ファンタジイ・シリーズ、十二国記。2019年に戴国の内覧を描く全四巻の「白銀の墟 玄の月」により一応の完結を迎えたものの、ファンの熱気は冷めずに続きを待ち望む声は高まるばかり。そんな飢えた獣たちの前に差し出された本書は、「白銀の墟 玄の月」外伝集とも呼べる四編の短編集だ。
ただし、あくまでも十二国記ファン向けの作品なので、本書からシリーズを読みはじめるのはお薦めしない。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2026年9月17日発行。文庫で本文335頁に加え朝宮運河の解説がたっぷり15頁。9ポイント39字×17行×335頁=約222,105字、400字詰め原稿用紙で約556枚。文庫では普通の厚さ。
パッと見ると難しそうに見える。なにせ見慣れない漢字が多い。その多くは十二国記世界ならではの当て字で、最初に登場する際にはルビが振ってある。が、それを除けば文章はこなれているので、あまり苦労することはない…って、このシリーズの読者なら先刻ご承知だろう。
それより、問題は内容。なにせ長いシリーズの外伝的な短編集だ。主な登場人物の多くはシリーズのファンにはお馴染みの人だし、「あのひとがここで」的なオチもある。そのため、シリーズを読んでいない人には辛いだろう。特に「白銀の墟 玄の月」との結びつきが強い作品集なので、「白銀の墟 玄の月」から…と言いたいのだが、その「白銀の墟 玄の月」がシリーズの集大成的な作品で、やはり前提知識が必要なんだよなあ。
じゃ、シリーズのどれから読むか、となると、これまたファンの間で喧々囂々の議論があって。私は「図南の翼」を薦めます。だってとっつきやすいし。
【どんな話?】
虚海に浮かぶ十二の国。各国の王は麒麟が選び、補佐する。王やその部下は仙として不老不死となる。しかし、他国へ攻め入るなどの禁を犯したり、政を誤って国が乱れれば、王は失道となり命を失う。その際は麒麟を道連れにすることもあれば、麒麟は生きのびて次の王を選ぶ場合もある。
戴国では長く王の驍宗と麒麟が行方不明となり、阿選が王と称して君臨していた。しかし阿選は政を司る気配もなく、国は荒れ果てる。驍宗の無事を信じる李斎は他国の協力を得て戴麒の戴麒を見つけ出し、戴国へ戻る。民は飢え賊は村を襲う戴国だが、驍宗を信じる者たちは少しづつ集い、その労は実り驍宗は戻ったが、国も民も戴麒も深く傷ついていた。
【収録作は?】
「戦城南」「異邦の客」「夢の結び」「幽冥の岸」の四編。いずれも戴国またはその関係者に焦点を当てた作品だ。
- 戦城南
「俺たちが何をしたって言うんだ……天が助けてくれるはずだ。いい加減、助けてくれたっていいだろう……なあ」
王と偽王が睨み合う戴国。その山奥の道を二人の男が行く。片足を引き摺る初老の神農(=行商人)短章と、道着姿の若い去思だ。二人は偽王との戦いで亡くなった者を弔い、その遺品を探すために来たのだ。二人は目的地の近くで、戦死した者たちの墓を作っている者と出会う。彼はその戦いに深く関わっていた。- 元は少女向けレーベルで始まったシリーズながら、このシリーズは人がバタバタ死ぬ。それもギャグめいた死に方じゃない。ホラー作品でも辣腕を振るう著者らしく、むごく冷酷に死んでゆく。その手腕は本作でも遺憾なく発揮され、村の運命は読み飛ばしたくなるほどのおぞましさに溢れている。唯一の救いは、子供のできかたが十二国記世界の特殊な形であること。お陰で強姦はない…と思ったが、本作はそれを逆手に取り更に陰惨な形で読者と登場人物を絶望へと突き落とす。「白銀の墟 玄の月」で描いた戴国の状況を、改めて噛み締めさせる作品。
- 異邦の客
「手伝ってくれてもいいぞ?」
妖獣・妖魔が跳梁跋扈する黄海に生きる朱氏は、彼らだけの里を作って住む。琅燦は、その里の一つに住む少女だ。そこに珍しく二人の旅人が訪れる。元は戴国の軍人の驍宗と巌趙だ。二人は王の命を疑問に思い、軍を辞し仙籍を返上して旅に出た。本来なら黄朱でない者は立ち入れないはずの二人だが…- 登極する前の気ままな旅人であった驍宗&巌趙と、「白銀の墟 玄の月」ではトリックスターとして独特の役割を演じた琅燦の出会いを描く作品。ある意味、シリーズの中心人物である筈の驍宗だが、妙に影が薄いのはどうした事か。筋肉質の銀髪で頭脳明晰おまけに賢く頼りになるイケメンだから、さぞかしファンも多かろうと思うんだが。好奇心と知識欲旺盛でいささかフリーダムなまでに無謀な琅燦と、彼女に対しぶっきらぼうな態度しか取れない壮節の関係は、ホワイトハードで出してもいいぐらいの「若者向け」な風味が漂う。いや、子育て世代にこそ沁みるのかな?
- 夢の結び
「――名を知った以上、お前を帰すわけにはいかないな」
乱で親とはぐれ浮民となった幼い白玉は、草浩平と名のる中年男に拾われ、彼の店で働き始める。いささか冴えない浩平だが、白玉は彼への恩を忘れずまめに働いていた。浩平には悪い癖があり、「客の前には姿を見せない」と噂の花娘に入れ込んでか、足しげく妓楼に通い詰めている。ある時、不審な男が浩平を訪ねてきて…- この世界における浮民は不法移民に近く、ほぼ人権がない。さすがに司法に追われる立場ではないが、ほとんど奴隷みたいなモンである。それを救われ人として扱われたとはいえ、その恩に少しでも報いようとこまめに働く白玉がいじらしい。というか、本シリーズに登場する人の多くはたいてい働き者なんだよなあ。たまにいる悪役は某柳国の王みたく引きこもりだし。舞台背景は戴国の内乱真っ最中の話。さて、浩平が通い詰める妓楼におわす花娘は…それはそれである種の人には捗るかも←をい
- 幽冥の岸
「天は人を助ける意志を持たない」
麒麟としては前代未聞の行ないで驍宗との合流を果たしたものの、麒麟にあるまじき行動は穢れとなって戴麒を蝕む。彼を救うため李斎は虚海と黄海を越え蓬山に戴麒を連れてゆく。西王母により多少の穢れは払えたが、戴麒の様子はさえない。その見舞いに訪れた延麒は…- 「白銀の墟 玄の月」の結末から直接につながる作品。使令としては超大物の傲濫を従えるが女怪を除けばそれしかいない、色も例を見ない黒で黒麒と呼ばれるなど、スペックは破天荒な戴麒だが、中身は優しく生真面目な少年というアンバランスさ。要領のいい延麒に学んでほしいところだが、なぜか景麒に懐いているんだよなあ。口数が足らず、そのせいで陽子も散々に苦労させた景麒だが、生真面目な所や己の未熟を自覚している点で気が合うんだろうか。
収録の四編はいずれも戴国とその関係者にまつわる作品だ。シリーズの読者としては他の国の話も欲しいところだが、果たして続きは出るのだろうか。お願いします主上。
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