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2024年11月14日 (木)

リチャード・J・サミュエルズ「特務 日本のインテリジェンス・コミュニティの歴史」日本経済新聞出版 小谷賢訳

共産党が拉致問題をはじめて国会に持ち出したのだった
  ――第4章 失敗の手直し 1991~2001

「我々が集める情報は、即時に分析できる量をはるかに超えてしまっている」
  ――第6章 インテリジェンス・コミュニティの再構築 2013年以降

【どんな本?】

 米国にはNSAやCIAやFBIが、イギリスにはMI5やMI6が、ロシアにはFSBやGRUがある。たいていの国は独自の情報機関を持つ。

 日本も複数の情報機関がある。最も有名なのは警察の公安だろう。防衛省にも情報本部があり、内閣直属の内閣情報調査室もある。

 日本が近代的な国家の体制を整えたのは明治維新以降だ。以来、日本にはどんな情報機関があり、どう運用してきたのか。太平洋戦争の敗北に伴う軍や特高の解体から、どのように再建してきたのか。現代日本はどんな情報機関を持ち、どの官庁が監督し、どのような役割を担っているのか。日本の情報機関にはどんな特徴があり、どんな関係を政権と築いてきたのか。

 MITで政治学部部長を務め、MIT-日本プログラム署長でもある著者が、実態の捉えにくい日本のインテリジェンスについて、21世紀の情勢も含めて詳しく語る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Special Duty : A History of the Japanese Intelligence Community, by Richard J. Samuels, 2019。日本語版は2020年12月18日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約402頁に加え、訳者解題6頁。9.5ポイント45字×18行×402頁=約325,620字、400字詰め原稿用紙で約815枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はいささか硬い。また語り口も外交官や政治家っぽく、遠回しな言い方が多いため、意味を掴むのに苦労する。学者の文章と役人の文章の悪い所を合わせた感じだ。訳文も学者の文章で、原文に忠実っぽい。つまりは覚悟して挑もう。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • 第1章 インテリジェンスの推進
    推進力/失敗/6つの要素
  • 第2章 特務の拡張 1895~1945年
    始まり/総力戦への道における軍事インテリジェンス/技術的向上/太平洋を越えたヒュミント/日本の戦時インテリジェンス/スパイ技術を整える/衰退するインテリジェンス/サイロ(縦割り)/最後の要素
  • 第3章 敗北への適応 1945~1991年
    日本の戦後初期のインテリジェンス・コミュニティの弾力性/ご主人様の声?/ウィロビー狂からの回復/非生産的な冷戦期インテリジェンス・コミュニティの設立/冷戦期の軍事インテリジェンス/防諜/ムサシ機関/技術的失敗と成功/制服の仕組み/監視
  • 第4章 失敗の手直し 1991~2001
    政治のリーダーシップ/勝者と敗者/顕著な失敗と顕著な改革/軍事インテリジェンス/さらなる失敗/拉致にまつわる政治
  • 第5章 可能性の再考 2001~2013年
    推進力/一連の提案/ゆっくりと進化する冷戦後のインテリジェンス・コミュニティ/軍事インテリジェンス/「意思の疎通が欠けていたようだ」
  • 第6章 インテリジェンス・コミュニティの再構築 2013年以降
    インテリジェンス改革の核心/王者に安眠なし
  • 第7章 日本のインテリジェンスの過去と未来
    拡張の時期 1895~1945年/適応の時期 1945~1991年/手直しの時期 1991~2001年/再考の時期 2001~2013年/再構築の時期 2013年以降/これまでに得られた教訓/前に進み、将来に備える
  • 謝辞/訳者解題/原註/参考文献

【感想は?】

 本書のウリは、新鮮さだ。

 なんたって、21世紀以降の日本の情勢について、実に詳しく、かつ分かりやすく書いてあるのだ。だから、歴史書というよりニュース解説に近い。実態の掴みにくいインテリジェンス組織について、よくぞここまで調べたものだ、と思う。

 もっとも、その「わかりやすさ」の原因の一つは、背景事情を過不足なく解説しているためでもある。一つは「インテリジェンスとは何か」といった、この世界の基礎的な知識/常識であり、もう一つは明治維新以降の歴史的背景、つまり日本独自の事情だ。

 例えばインテリジェンスの基礎/常識については、こんな感じでサラリと語ってゆく。

本書ではそのような6つの要素を時代と共に確認して考察していく。すなわち、収集、分析、伝達、保全、秘密工作、監視である。
  ――序

 世界の情勢、特に第二次世界大戦以降の米国中心のインテリジェンスの情勢についても、こんな感じだ。

1945年9月にトルーマン大統領によって許可された。これはカナダ、イギリス、オーストラリア、アメリカ、ニュージーランドからなる世界的なシギント網(略)公式には味気なくUKUSA協定として、また非公式には「ファイブ・アイズ」として知られている。この協定は後に政府間の秘密協定として正式なものとなり、共有される暗号コードや分類方法をつくり出した。
  ――第1章 インテリジェンスの推進

 さて、日本独自の話だが、これが実に情けない話が多い。とまれ、これはインテリジェンスの宿命で、巧くいってる時には目立たず、失敗した際にはやたらと目立つモンなのだ。そもそもが密かに仕事するのが役目だし。

 ってのは置いて。特に大日本帝国の時代には、ロクなインテリジェンス機関がなかったのだ。お陰で大陸浪人に鼻面を引き釣り回されたり。ただ、仮に優秀な機関があっても、活かせなかっただろうことは、太平洋戦争を始めたことでもわかる。

1941年にはまさにこの参謀本部が、国策に合わないインテリジェンスの見積りは参謀総長がその分析に反論の余地を見出せない場合ですら燃やすよう指示したのである。
  ――第2章 特務の拡張 1895~1945年

 事実に基づいて政策を立てるんじゃない。まず政策があって、それを正当化するネタを求めたのだ。これじゃ、どんな優秀なインテリジェンス機関があっても無意味だったろう。

 これに続く、戦後のGHQ指導下による復興編も、陸軍中野学校教官の小俣洋三や陸軍情報部長の有末精三らの暗躍など、ドロドロした内情を白日の下に晒していて、戦後のドタバタが好きな人にはたまらん話が多いのだが、本書の中ではあくまで前菜に過ぎない。

 戦後は冷戦に突入したのもあり、米国も日本にインテリジェンスが必要だと考え始める。ここで戦後日本のインテリジェンスの大きな特徴の一つが出てくる。米国べったりな点だ。本書では「服従」なんて刺激的な言葉すら使っている。「CIA秘録」でも、自民党の岸信介などに選挙資金を渡していたとあるし、そういう事なんだろう。

 もう一つの特徴は、国民が軍事にアレルギーを示す点だ。そのため、自民党の政権もインテリジェンスの改革や強化に不熱心で、少なくとも表立って推進しようとはしない。まあ、やろうとしても、三つ目の特徴で暗礁に乗り上げるんだが、その前に。

 「こりゃ国民の支持を得られなくても当然だよね」と思う事件が起きる。ソ連のベレンコ中尉がMiG-25に乗って亡命してきたんだが、自衛隊は海上で機体を発見できなかったのだ。この事件は政府や他の役所の対応も酷いもので…

蔓延した無能ぶりの証拠を隠そうとして、政府は自衛隊にMiG-25事件(→Wikipedia)関係の書類すべてを廃棄するよう命じた。
  ――第3章 敗北への適応 1945~1991年

 そういう事をするから国民も政府を信用しないんだぞ。

 とはいえ、このヘマがルックダウン能力(→Wikipedia)の強化に繋がったりする。やはりヘマが強化に繋がったのが、北朝鮮のテポドン事件。

テポドン事件が日本のインテリジェンス・システムの向上――今回は画像収集能力――への切実な理由をもたらした
  ――第4章 失敗の手直し 1991~2001

 民間企業だとヘマした部署は潰されたりするんだが、インテリジェンスの場合はヘマが予算と人員の強化に繋がったりする、と本書は何回も繰り返す。言われてみれば確かにそうだ。それはそれとして。

 そんな事をしてるためか、米国ベッタリでありながら、決して対等のパートナーじゃないのが悲しいところ。著者が所在した元当事者たちも、憤ってる人が多い。いわゆるファイブ・アイズでも三軍扱いだし。

アメリカは60ヵ国以上と正式なインテリジェンス共有協定を結んでいたのに日本とは2007年になるまで結んでいなかった。
  ――第5章 可能性の再考 2001~2013年

 まあ、これは法的な問題もあって、やはり日本は本当にスパイ天国だったらしい。いわゆる「スパイ防止法」がないため、機密がダダ漏れだった、と。この辺については様々な意見があるだろうが、著者はインテリジェンスの充実を訴える立場だし。

 先のMIG-25事件のヘマの原因の一つが、三つ目の特徴である、各機関どうしの縄張り争い。本書は組織図まで乗っていて、これが実に参考になる。省庁としては、外務省・防衛省・警察庁・公安調査庁がメジャーなところ。米でも911まではFBIとCIAがにらみ合ってたし、この手の組織の宿命ではあるんだが、日本は特に酷いらしい。

 これを解決しようとしたのが、NSC(→Wikipedia)とNSS(国家安全保障局、→内閣官房)。

NSSはかつて各省庁の奥深くに保管されていた秘密情報を、首相報告のために集約するという権限を割り当てられたのである。
  ――第6章 インテリジェンス・コミュニティの再構築 2013年以降

 これで、外務省と防衛省の関係は多少良くなった。が、警察庁が仕切る内閣情報調査室は相変わらず。なお、経産省の縄張りであるジェトロ(日本貿易振興機構、→Wikipedia)を著者は高く評価してるようだが、ジェトロ側はインテリジェンス扱いされるのを迷惑がっている様子。昨今のニンジャ・ブームで変に誤解されて苦労したんだろうか。あと、厚労省の麻薬取締部(→Wikipedia)は出てこなかったなあ。

 意外と歴史的経緯はアッサリで、あくまでも背景説明の感がある。本番は21世紀に入ってからで、情報を掴むのが難しいインテリジェンスの世界で、よくぞここまで調べたと感服するぐらい、生々しく迫力あるネタが続く。歴史というより、日本の現在のインテリジェンスを語る本だと思っていい。ワイドショウ感覚で読んでも楽しめるだろう。

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2024年10月 4日 (金)

マーチイン・ファン・クレフェルト「戦争の変遷」原書房 石津朋之監訳

本書は一つの目的をもって書かれている。(略)戦争を行っているのは誰なのか、そもそも戦争とはどういうものなのか、なぜ戦うのか、といった事柄である。
  ――はじめに

我々の社会も含めて、戦争を経験しているあらゆる文明社会が制限を設けている。
  ――第3章 戦争とはどういうものなのか

クラウゼヴィッツによれば戦闘力にとって主要な二つの障害は、不確実性と摩擦である。ここに硬直化を加えてもよかった
  ――第4章 どのようにして戦うのか

戦争とは、誰かが誰かを殺して始まるのではないのであって、自分たち自身が報復として殺されるのを覚悟した時点で始まるのだ。
  ――第6章 なぜ戦うのか

その昔、小火器が戦士とその重い甲冑に取って代わったように、大型で高価で強力な兵器が廃れ、小型で大量に生産でき、どこででも利用できる兵器に移行する
  ――第7章 戦争の将来

【どんな本?】

 ベトナムから、ソマリアから、アフガニスタンから、米軍は撤退した。装備は一級品で訓練も行き届き充分に統率もとれていた。空軍は空を支配していた。米軍は世界最強のはずだった。だが負けた。なぜだ?

 著者はその解をクラウゼヴィッツの戦争論に求める。米国はクラウゼヴィッツの説に従って軍を派遣した。だが、ベトナムもソマリアもアフガニスタンも、クラウゼヴィッツが前提とした条件に沿っていなかった。前提が間違っているのだから、思った通りにはいかない。

 有史以前から、人々は戦争をしてきた。だが、その動機・意味・目的・方法などは、時代や地域や文化により、大きく異なる。クラウゼヴィッツが考えていた戦争は、彼の生きた時代と社会のものだ。そして現代の戦争は、彼の時代の戦争と変わりつつある。

 イスラエルのヘブライ大学で教鞭をとる軍事史の著者が、歴史上の戦争を例に挙げ、我々の考える戦争と大きく異なると指摘し、またクラウゼヴィッツの生きた時代と社会情勢を語り、なぜ彼が戦争論に至ったか、なぜ彼の戦争論が現代に通用しないのかを解説し、近未来の戦争の形を模索する、危険で挑発的な軍事哲学書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TheTransformation of War : The Most Radical Reinterpretation of Armed Conflict Since Clausewitz, by Martin Van Creveld, 1991。日本語版は2011年9月22日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約365頁に加え、監訳者の石津朋之による解説「戦争の将来像 『戦争の変遷』を手掛かりとして」21頁。9.5ポイント43字×18行×365頁=約282,510字、400字詰め原稿用紙で約707枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は学者らしくかしこまっているが、それだけだ。まあ軍事関係の本はたいてい文体が堅苦しいんで、そういうもんだとい思っておこう。内容は有名な戦いなどを例に出して語るため、相応の歴史それも世界史の知識が必要だが、(恐らく訳者が)割注などで本文中に説明しているので、素人でもどうにかついていける。

【構成は?】

 前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

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  • 日本語版への序文 マーチン・ファン・クレフェルト
  • はじめに 本書の目的、内容、構成
  • 第1章 現代の戦争
    軍事的均衡/核戦争/通常戦争/低強度戦争/失敗の記録
  • 第2章 誰が戦うのか
    クラウゼヴィッツ的世界/三位一体戦争/総力戦/非三位一体戦争/低強度紛争の復活
  • 第3章 戦争とはどういうものなのか
    プロイセン人にとってのラ・マルセイエーズ/戦争法規 捕虜/戦争法規 非戦闘員/戦争法規 武器/戦争に関する法律
  • 第4章 どのようにして戦うのか
    続・プロイセン人にとってのラ・マルセイエーズ/戦略について 軍隊の創設/戦略について 軍隊の妨げとなるもの/戦略について 軍隊の使用
  • 第5章 何のために戦うのか
    政治的な戦争/非政治的な戦争 正義/非政治的な戦争 宗教/非政治的な戦争 生存/変貌する利益
  • 第6章 なぜ戦うのか
    戦う意思/手段と目的/緊張と安心/余談 女性/戦略的思考の限界
  • 第7章 戦争の将来
    誰が戦うのか/戦争とはどういうものなのか/どのようにして戦うのか/なぜ戦うのか
  • 来たるべきものの姿
  • 解説 「戦争の将来像 『戦争の変遷』を手掛かりとして」石津朋之
  • 主要参考文献/索引

【感想は?】

 最初に言っておく。クレフェルト先生はタカ派、それもバリバリのタカ派だ。しかも「戦わなきゃやられるから」じゃない。「俺は戦争が好きだ」と言っちゃうのだ、この人は。誤魔化そうとしないだけ誠実だが、開き直ってる分、余計に始末に負えない。

我々が戦争をする本当の目的は、男たちが戦争を好み、女たちが自分たちのために戦う男たちを好むからである。
  ――第7章 戦争の将来

 そして、「俺だけじゃねえぞ、人間は戦争が好きなんだ」と、私たちが目を背けている事実を突きつけてくる。

人々は、言うなれば、戦争そのものとそれに関するあらゆることを体験する、ただそれだけを目的として戦うのであある。
  ――第6章 なぜ戦うのか

戦争は真剣さを最高の形に表現するものであり、まさに遊びである。
  ――第6章 なぜ戦うのか

人々はしばしば戦うために目標をつくりだす。  ――来たるべきものの姿

 そういう人が書いた本だ、と予めハッキリ示しておく。本書は危険な人が書いた危険な本なのだ。

 本書はクラウゼヴィッツの戦争論を批判する本だ。クラウゼヴィッツは、戦争についてこう考えた。

  1. 戦争を行うのは国家だ
  2. 戦争は暴力の無制限の行使だ
  3. 戦争は目的を達するための手段だ

 彼が生きた時代のヨーロッパは、ギリシャの都市国家や中世の封建制と異なり、「国家」が地位を固め領土を支配していた。この動きは現代へと向かい、国際連合の結成で「国家」は更に地位を確固たるものにする…少なくとも、先進国に住む者たちの脳内では。

 いずれにせよ、戦争は国家の専業だし、その動機・目的は利害だ、と私たちは思い込んでいる。

  1. 戦争遂行は政治的配慮の元にあるべき
  2. 戦争していいのは政治的理由だけだ
  3. 戦争の準備は政治が最も重要な基準であるべき

 著者もクラウゼヴィッツの偉大さは認めているようで、彼がそう考えたのは、彼が生きた時代がそうだったからだ、と情状酌量もしている。

戦争に対するクラウゼヴィッツの考え方は、1648年以降、戦争は圧倒的に国家により遂行されていたという事実にもっぱら根ざしているのだ。
  ――第2章 誰が戦うのか

 彼だけじゃない。現代に生きる私たちも、国家の方針を決める政治家たちも、クラウゼヴィッツの考え方に囚われてきた。それも、そういう時代背景のせいだ。

 第二次世界大戦は、まさしく国家vs国家の戦いだった。戦後も国家と戦うために軍を保ち装備を整え将兵を鍛えてきた。だが、今や国家vs国家の戦争は滅多に起きない。

今日、軍事力の多くは、世界の大部分において、政治的な利益を伸ばすとか守るための手段としてはまったく機能していいない。
  ――第1章 現代の戦争

 確かにロシアがウクライナに攻め込んでるけど、NATOの通常戦力がロシアの牽制になってないって意味じゃ、この指摘も当たってるのかな? そんなわけで…

すでに今日、もっとも強力な最新鋭の軍隊は現代の戦争とほとんど無関係な存在になっている
  ――第1章 現代の戦争

 米軍は強いけど、朝鮮戦争を最後に、「前線を形成する戦争」を戦っていない。ベトナムもアフガニスタンもイラクも、そういう戦いじゃなかった。

今日の軍隊がゲリラやテロリストに対して思うような成果を上げられない理由の一つは、彼らが基地や兵站線をもたないからである。このためゲリラやテロリストは通常の意味では包囲されることがない。
  ――第3章 戦争とはどういうものなのか

 たいてい、装備はゲリラの方が貧弱だ。だから、被害はゲリラの方が大きい。それでも、ゲリラは戦いを続ける。というのも、そもそも目的が違うのだ。米軍は利害で戦っているが、北ベトナム軍は国家の存亡を賭けているし、アルカイダは宗教的な正義が目的だ。

生存にかかわる戦いでその共同体が死に物狂いになっている場合には、通常の戦略用語は通用しない。
  ――第5章 何のために戦うのか

 こういう相手には理屈が通用しない。

利益を重視する戦争の力は限られており、当然ながら、それを政治目的を達成するための手段ではない戦争と対抗させると、多くの場合敗北を招くだけである。
  ――第5章 何のために戦うのか

 困ったことに、最初は利害で始まった戦争が、違う目的にすり替わってしまうこともある。

血が流されれば流されるほど――たいていは我々自身の血だが、敵の血が流れる場合もある――それは神聖化される。
  ――第6章 なぜ戦うのか

 末期の太平洋戦争も、これだった。そして戦って亡くなった将兵は、祀るべき存在になるし、戦いの目的は神聖なものでなければならないのだ。でなければ、亡くなった将兵を愚弄することになる。困った理屈だが、感情には訴えるんだよな。

 実際、歴史的には、少なくともタテマエじゃ利害以外の理由で戦った例も多い。

旧約聖書において民族間の戦争は、それぞれの民が崇める神々の優劣が証明されたり反証されたりする戦いでもあった。
  ――第5章 何のために戦うのか

 キリスト教も十字軍があった。イスラム教も、元は戦う宗教だった。

コーランは世界を二つに分けている――イスラムの家と戦いの家(非イスラムの世界のこと)である。この二つは絶えず交戦状態にあるとされていた。
  ――第5章 何のために戦うのか

 などと最初は過激だったのが、次第に穏健になるのは世界的な宗教になるための通過儀礼なんだろうか。

12世紀になってから(略)法学者によってはイスラムの家と戦いの家の間に三つ目のカテゴリー、契約の家を設けた。この言葉は、イスラム教を信仰してはいないがイスラム世界と条約を結んだ国を指す。
  ――第5章 何のために戦うのか

 いずれにせよ、これらの戦争で戦った者たちは賞賛される。少なくとも、彼らの同胞には。

 もっとも、これが成り立つのは、双方が同じ立場の軍隊の時だけだ。例えば現在、イスラエル軍はガザで戦っている。そして、多くの非難を浴びている。なぜか。あまりに戦力が違いすぎるからだ。

強者がが弱者に対して行う行為はほぼすべて残虐行為と考えられている
  ――第6章 なぜ戦うのか

 ハマスは弱い。前線を形成したら、すぐに全滅するだろう。だから逃げ隠れする。往々にして市民を楯にして。それでも、非難されるのは戦車に乗ったイスラエル軍なのだ。だって弱い者いじめじゃん。

 と、ここまで書いて、今になって気が付いた。クレフェルト先生は、現在のガザにいるイスラエル軍将兵の立場でも、「俺は戦争が好きだ」と言うんだろうか? いやどう考えてもネタニヤフとは話が合わなそうだが。

 さすがにソ連崩壊直後の1991年の本なので、ロシアのウクライナ侵攻までは予言できていない。が、ハマスとヒズボラとフーシ派に囲まれたイスラエルの苦境は、困ったことに当たっちゃってる。著者の苦り切ってるだろうなあ。などと、以降の国際情勢も答え合わせとして楽しめる。いや物騒な本なんだが。いずれにせよ、戦争を考えるには必須の本だ。

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2024年8月19日 (月)

イアン・カーショー「ナチ・ドイツの終焉 1944-45」白水社 宮下嶺夫訳,小原淳解説

(1945年の)ドイツ崩壊の理由は明白であり、よく知られている。しかし、なぜ、また、どのようにして、ヒトラーの帝国が最後の土壇場まで機能し続けたのかは、それほど明白ではない。本書はこのことを解明しようとするものである。
  ――序章 アンスバッハ ある若者の死

戦争最後の10カ月の戦線死者数が開戦以後1944年7月までの五年間のそれにほぼ等しいのだ。
  ――第9章 無条件降伏

【どんな本?】

 1945年4月30日、追い詰められたアドルフ・ヒトラーは自殺する。翌日、海軍総司令官カール・デーニッツが政権を引き継ぎ、連合軍との交渉に当たり、(書類上は)5月8日に無条件降伏を受諾、ドイツの戦争は終わった。これによりナチ・ドイツは完全に消滅する。

 戦争の終わり方は色々あるが、一つの国が完全に消えるまで戦い続けることは稀だ。たいていはどこかで条件交渉に移り、停戦へと至る。

 なぜナチ・ドイツは最後まで戦いつづけたのか。続けられたのか。

 ヒムラーなど政権上層部やヨードルなど軍の上層部はもちろん、東西両戦線の全戦で戦った将兵、空襲に怯える市民、地域のボスとして振る舞う管区長など、様々な立場・視点から戦争末期のドイツの様子をモザイク状に描き出し、政権が国を道連れにして滅びゆく模様を浮かび上がらせる、重量級の歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は THE END : Hitler's Germany 1944-45, by Ian Kershaw, 2011。日本語版は2021年12月5日第一刷発行。私が読んだのは2022年1月20日発行の第二刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約501頁に加え小原淳の解説7頁+訳者あとがき8頁。9ポイント45字×20行×501頁=約450,900字、400字詰め原稿用紙で約1,128枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの大容量。

 文章はやや硬い。内容は特に難しくないが、第二次世界大戦の欧州戦線の推移、特に1944年10月以降について知っていると迫力が増す。ドイツの地理に詳しいと更によし。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に話が進む。特に忙しい人は、「終章 自己破壊の解剖学」だけ読めば主題はわかる。

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  • 主な登場人物/地図/謝辞/初めに
  • 序章 アンスバッハ ある若者の死
  • 第1章 体制への衝撃
  • 第2章 西部での崩壊
  • 第3章 恐怖の予兆
  • 第4章 束の間の希望
  • 第5章 東部の災厄
  • 第6章 戻ってきたテロル
  • 第7章 進みゆく崩壊
  • 第8章 内部崩壊
  • 第9章 無条件降伏
  • 終章 自己破壊の解剖学
  • 解説:小原淳/訳者あとがき/写真一覧/参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 多くの日本人は、特にこの季節だと、戦争というと太平洋戦争を思い浮かべる。

 太平洋戦争で、大日本帝国は消滅した。ナチ・ドイツ同様、大日本帝国も完全に滅びたのだ。領土を失い、政権が変わっただけじゃない、大日本帝国憲法を基盤とした、国家の体制そのものが潰れた。私はそう思っている。

 世界史的に、そこまで悪あがきを続けるケースは珍しい。例えば中東戦争だ。イスラエルと周辺のアラブ諸国は、武力衝突と停戦を何度も繰り返している。大日本帝国だって、日清戦争と日露戦争は、利権や賠償金や一部の領土の割譲でケリをつけた。

 そういう意味で、本書のテーマ、「なぜナチ・ドイツは国家を道連れにしてまで戦いつづけたのか」は、「終戦史」が描く大日本帝国の終焉と通じる所がある。が、その経緯はだいぶ違う。少なくとも、この二冊を読む限り。

 ナチ・ドイツは、トップがハッキリ決まってる。言わずと知れたヒトラーだ。そのトップは、確固たる信念を固めていた。

「われわれは降伏しないぞ」(略)「絶対にするものか。われわれは滅びるかもしれぬ。だが、世界を道連れにして滅びるのだ」
  ――第4章 束の間の希望

 連合国にとっても、ドイツ国民にとっても、迷惑な話ではある。が、滅びるときは国を道連れにする、そういう決意を国のリーダーは固めていた。となれば、残る疑問は、なぜ他の者は逆らわなかったのか、となる。

 戦況が不利になると、特に東部戦線でヒトラーは軍に無茶な命令を連発する。「一歩も退くな」とかね。で、「いや無理です」とか言い返せば更迭だ。それを歴戦の国防軍の将軍たちはどう見ていたのか。

ゴットハルト・ハインリキ(→Wikipedia)<自分のヴィスワ軍集団に課せられた任務は、ほんのわずかであれ成功する見込みは、まったくありません>
  ――第8章 内部崩壊

 判っていたのだ、駄目じゃん、と。にもかかわらず、将軍たちはヒトラーに従い続けた。この理由の追求が、本書の狙いの一つだ。

 この辺、将軍たちの評価は厳しい。例えばカール・デーニッツ。今まで実直な海軍提督だと思ってたけど、著者は「いやあんた盛んにヒトラー持ち上げてたじゃん」とバッサリ。

 戦後の国防軍神話、つまり国防軍は国を守るために戦ったのであって侵略を企てたのではないって説も、「将軍の皆さんはヒトラーとその思想に心酔してたよね、戦後の回顧録じゃ誤魔化してるけど」と容赦ない。

 本書が追及しているのは、軍だけではない。政府の高官も、だ。具体的にはハインリヒ・ヒムラー/マルティン・ボアマン/アルベルト・シュペーア/ヨーゼフ・ゲッペルスの四人である。もっとも、こっちの解答は、実にみもふたもないんだけど。

 この面子では、軍需大臣アルベルト・シュペーアの野心的かつ優秀ながら、やや冷めた感覚が異色だった。実業界との関係が深い分、良くも悪くも計算高いのだ。

 そんな、ヒトラーのそばにいた将軍や大臣たちだけでなく、ケルンなど地域の様子も、本書は豊かなエピソードを収録している。幾つかの地域、特に西部では、戦わず連合軍に投降した都市もあれば、最後まで足掻いた都市もある。これは当時の管区制度の影響が大きく、ヒトラーとの連絡が取れなくなっても、最後まで総統に忠誠を尽くした地域も多い。

 かと思えば、自分だけ逃げだした大管区長もいたり。いずれにせよ、ナチの統治体制はかなりしぶとかったのが伝わってくる。本書が暴くその理由は、少なくともドイツ人に心地よいものではない。だけでなく、一般のドイツ国民に対しても、「負けたとたんに被疑者ムーブ」と著者の筆は容赦ない。

 他にも、バルジの戦いとも呼ばれるルントシュテット攻勢(→Wikipedia)、名前からしてまるきしゲルト・フォン・ルントシュテット元帥がノリノリだったような印象だが、本音は「いや無茶だろ」と思ってたとか、なかなか切ない挿話も。

 国を道連れに滅びた独裁者は、他にイラクのサダム・フセインとルーマニアのニコラエ・チャウシェスクが思い浮かぶ。いずれの国も人物もドイツのヒトラーとは異なる経緯を辿った。何が違ったのか、それを考えてみるのも面白い。

 京極夏彦並みの分厚く迫力あるハードカバーだし、中身も見た目に劣らない充実ぶりだ。腰を据えてじっくり挑もう。カテゴリは一応二つ、軍事/外交と歴史/地理としたが、歴史と政治の割合が高いと思う。特に独裁を許すことの恐ろしさは、嫌というほど味わえる。

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2024年7月 7日 (日)

ジョン・キーガン「戦略の歴史 抹殺・征服技術の変遷 石器時代からサダム・フセインまで」心交社 遠藤利国訳

すべての文明は、その源泉を戦士に負っていた。
  ――序文

一般原則からいえば、砦がたくさんあるのは中央の権威が弱いか不在の現れということになっている。
  ――付論2 要塞

十字軍はヨーロッパの騎士階級に目的に適った戦争という軍律を教え込むことで、実兵力を備えた王国の勃興の基盤を据えたのだった。それぞれの領土内での中央権力を主張することで、これらの国家はついに、抗争が日常茶飯事だった時代から、散発的になり、やがては戦争は対外的な事業となるヨーロッパを誕生させたのである。
  ――第4章 鉄 ローマ以降のヨーロッパ 軍隊なき大陸

日本以外の非ヨーロッパ諸国は、西欧の軍事力に対抗しようとして、失敗していた。(略)西欧の武器は購入しても、西欧の軍事文化の移植を伴わなかったからだった。
  ――第5章 火 究極の兵器

【どんな本?】

 カール・フォン・クラウゼヴィッツ(→Wikipedia)が戦争論(→Wikipedia)で繰り広げた主張、「戦争は政治の延長である」は、二つの世界大戦を引き起こし、世界を荒廃させた。

 だが、人類の歴史を見渡すと、実は政治的な目的で起きた戦争は少ない。むしろ、それぞれの陣営が育んだ文化の帰結として、戦争が起きたのだ。

 豊富な歴史の文献はもちろん、先史時代の物証から、現代の文明から隔絶した社会に生きる部族など、多様かつ広範な視点で、「どんな社会の、どのような者たちが、どんな原因で、どのように戦ったのか」を調べ上げて分析し、またクラウゼヴィッツが戦争論に至った背景事情にも踏み込み、クラウゼヴィッツの主張に異を唱える、重厚な歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は A History of Warfare, by John Keegan, 1993。日本語版は1997年1月25日第1刷発行。単行本ハードカバー縦二段組み本文約431頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント26字×24行×2段×431頁=約537,888字、400字詰め原稿用紙で約1,345枚。文庫なら厚い上下巻か薄めの上中下巻ぐらいの大容量。

 今は中公文庫から上下巻で文庫版が出ている。

 文体は軍事物のわりに柔らかめだが、イギリス人の学者らしく二重否定などのまだるっこしい表現が多く、注意深く読む必要がある。内容も専門家には有名な戦いの名前がよく出てきて、多少は軍事史の知識があった方がいい。

 また、単位がヤード・ポンド法なのは、ちと辛い。

【構成は?】

 基本的に時代順に進む。順を追って読むように編集されているが、結論を早く知りたければ、最後の「結語」だけを読めばいい。

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  • 謝辞
  • 序文
  • 第1章 人類の歴史と戦争
    • 戦争とはなにか?
    • クラウゼヴィッツとは何者だったか?
    • 文化としての戦争
      イースター島/ズールー族/マルムーク軍団/サムライ階級
    • 戦争なき文化
  • 付論1 戦争の制約
  • 第2章 石
    • 人間はなぜ戦うか
    • 戦争と人間の本性
    • 戦争と人類学者
    • 原始的な種族と戦争
      ヤノマモ族/マリンダ族/マオリ族/アズテック族
    • 戦争のはじまり
    • 戦争と文明
  • 付論2 要塞
  • 第3章 肉
    • 戦車軍団
    • 戦争とアッシリア
    • 軍馬
    • ステップの騎馬民族
    • フン族
    • 騎馬民族の地平線 453~1258年
      アラブ人とマルムーク騎兵/モンゴール人
    • 騎馬民族の没落
  • 付論3 軍団
  • 第4章 鉄
    • ギリシア人と鉄
    • 密集方陣の戦争
    • ギリシア人と海陸戦略
    • マケドニアと密集方陣戦争の頂点
    • ローマ 近代的な軍隊の祖国
    • ローマ以降のヨーロッパ 軍隊なき大陸
  • 付論4 兵站と補給
  • 第5章 火
    • 火薬と要塞
    • 過渡期の火力戦争
    • 海上の火力兵器
    • 火力兵器の定着
    • 政治革命と軍事変革
    • 火力兵器と国民皆兵の文化
    • 究極の兵器
    • 法と戦争目的
  • 結語
  • 参考文献/索引/訳者あとがき

【感想は?】

 書名は「戦略の歴史」だが、中身は違う。「戦争の歴史」または「軍人の歴史」だ。

 本書の主なテーマは、クラウゼヴィッツの「戦争論」への反論である。クラウゼヴィッツの主張「戦争は政治の延長である」を、人類史全体を見渡し数多の挿話で「いや戦争ってそんな単純なモンじゃないよね」と覆そうとする本だ。

 そのため、序盤ではアマゾンの奥地に住むヤノマモ族や、鉄砲を捨てた日本の徳川幕府などを例に出し、様々な形態の戦争や軍隊の姿を紹介してゆく。

徳川家の反応は、いかにクラウゼヴィッツが誤っていたかの事例であり、戦争とは何よりもまず独自の手段による一つの文化の不朽化の試みでありうるということを証明しているのである。
  ――第2章 石 文化としての戦争

 とはいえ、中盤以降はさすがに地中海沿岸やヨーロッパの話が大半になるんだけど。

 ただ、肝心のクラウゼヴィッツの主張「戦争は政治の延長である」について、詳しく解説していないのは不親切だ。大雑把に言っちゃうと、複数の国家や集団の間で利害が対立した際に、暴力/武力でケリをつけようとするのが戦争である、そういう主張だ。この理屈を推し進めると、国家を要塞化し軍国主義にしろ、となる。

 そして、実際、この主張はヨーロッパで受け入れられた。その結果が二つの世界大戦だ。

第一次世界大戦の目的はかなりの部分がクラウゼヴィッツの思想によって決定されていたから、戦後の余波のなかで、クラウゼヴィッツは歴史的な破局の知的な生みの親とみなされた。
  ――第5章 火 政治革命と軍事変革

 第一次世界大戦も悲惨だったが、懲りずに次の大戦が起きた。しかも、国家の総力を結集する総力戦となった。これもクラウゼヴィッツの主張の帰結である。

革命的な兵器、戦士の精神、軍事力と政治的な目的を統合するクラウゼヴィッツの思想をヒトラーが思いのままに握ったことで、1939年から1945年にかけてのヨーロッパの戦争は全面戦争のレベルに達することになった。
  ――第5章 火 究極の兵器

 実際、私たちも多かれ少なかれ、クラウゼヴィッツの考えを受け入れている。北方領土問題や尖閣諸島をめぐる睨み合いは、まさしく土地や資源の奪い合いだ。だが、米国によるアフガニスタン戦争はどうだろう?

 著者は、そこで文化に注目する。それも絵画や文学や調理じゃない。実施に戦場に立つ、戦士階級の文化だ。意外なようだが、私たちが思い浮かべる「歴史」を考えると、実は保守本流の考え方でもある。少なくとも、昔は。なぜって…

記録に残された世界史は、そのほとんどが戦争の歴史である。(略)一般に歴史に名を残した最大の政治家は、暴力の人だった。
  ――結語

 かくして、著者は歴史を辿りつつ、現代の欧米の軍隊が、どんな経緯を辿って現代の組織や文化となったのかを、豊富なエピソードを紹介しつつ語ってゆく。いや豊富すぎる気もするが。

 その戦士階級の文化だが、全般に共通するのは、保守的である点だ。今までの自分たちの暮らしや戦い方に固執し、新しいものを取り入れない。例えばモンゴル帝国を築き、東西の交流を盛んにしたジンギス・ハーンも…

ジンギス・ハーンにはきわめて優れた行政能力があったと思われているが、それは安定化を促進するものではなく、遊牧民の生活様式を支えるためのものであって、それを変えるつもりはなかった。
  ――第3章 肉 騎馬民族の没落

 と、自分の暮らし方は変えるつもりがなかった。

 他にも、国や地域を問わず戦士の文化というのはある。

兵士を満足させるのは、他の兵士の賞賛である。
  ――付論3 軍団

 これ、兵士を科学者やプログラマや音楽家に置き換えても成立すると思う。

 逆に変化してきたのが、戦い方だ。著者曰く「東洋の戦争の特徴は(略)戦闘の回避、引き延ばし、間接性」となる。その逆が西欧の戦士文化だ。

 例えばギリシアの密集方陣(ファランクス、→Wikipedia)。これは決戦、それも接近戦を望む陣形だ。対する「東洋の戦争」は、騎馬民族の戦い方やゲリラ戦略が近い。

 例えば「戦闘の回避」。チェ・ゲバラのゲリラ戦争に曰く「負ける戦いはしないこと」。ヤバそうならさっさとズラかれ、そういう意味だ。砦や塹壕に籠って死守とか、しないのだ。「間接性」は、騎馬民族の軽騎兵の戦い方だ。距離を取って合成弓を射る。白兵戦はしない。まあ、これはさすがに銃が発達・普及した現代の軍も白兵戦はしないけど。

 そんな風に決戦志向が強い西欧の戦士の文化は、朝鮮戦争までブイブイいわしてた。が、ベトナム戦争で風向きが変わる。現代のイラクやソマリアも、西欧的な戦士文化が東洋風のゲリラ文化に苦戦または屈した例だろう。

 などと戦士の文化を細かく分析しているのは良いが、細かすぎて肝心のテーマ、つまりクラウゼヴィッツへの反論ががボケちゃってるきらいはある。その辺をハッキリさせたい人は、愛後の結語だけを読めばいい。逆に歴史トリビアが好きな人には、博覧強記な著者が披露する細かいエピソードや数字がギッシリ詰まった美味しい本でもある。

 そんなワケで、歴史上の軍事系の挿話が好きな人にお薦め。私はクラウゼヴィッツの位置づけが意外だった。高く評価されてると思っていたが、マーチン・ファン・クレフェルトなど現代の軍事の専門家には嫌われてるとは。

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2024年6月13日 (木)

ジョン・キーガン「戦争と人間の歴史 人間はなぜ戦争をするのか?」刀水書房 井上堯裕訳

戦争とは、歴史的には、略奪行為であった。
  ――序

【どんな本?】

 著者は英国サンドハースト士官学校で王立士官学校で軍事史の教官を務めたのち、デイリー・テレグラフ紙の特派員となった。要は英国の軍事史家でジャーナリストである。

 元はBBCラジオの講座らしい。「人間はなぜ戦争をするのか」という問いに対し、歴史上の戦争の様子や各勢力の立場と目的などを解説し、逆に戦争を避けようとした努力や工夫とその結果を語り、また現代における戦争・戦乱への歴史家なりの視点をのべ、戦争をなくすために何をすべきかを訴える、一般向けの軍事史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は War and Our World, by John Keegan, 1998。日本語版は2000年9月7日初版第1刷発行。単行本縦一段組み本文約164頁に加え、訳者のあとがき16頁。10ポイント39字×14行×164頁=約89,544字、400字詰め原稿用紙で約224枚。文庫ならかなり薄い。/p>

 文章は「です・ます」調で親しみやすいが、イギリスの知識人らしく二重否定などの皮肉な表現が多く、落ち着いて読む必要がある。内容も比較的にわかりやすいが、軍事史家らしく素人にはなじみのない戦争の名前が頻繁に出てくる。

【構成は?】

 一応は前の章を受けて後の章が展開する形だが、気になった章だけを拾い読みしても楽しめる。

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  • 第1章 戦争と我々の世界
    • 1億人の死者
    • 「昼間の恐怖」
    • 不安で死んだ母親
    • 徴兵制度が消耗戦を生み出す
    • 戦争がもたらした物質的損害
    • 文化財の破壊
  • 第2章 戦争の起源
    • 戦争は人間本性に由来するのか
    • 「攻撃性の座」
    • フロイトによる戦争の起源
    • 動物行動学の攻撃性の理論
    • 戦争は人類の発明か
    • 原始社会の戦争
    • 狩猟生活の終わり
    • 農耕民が砦を築く
    • メソポタミアで軍事文化が発達する
  • 第3章 戦争と国家
    • 与える国家
    • 消滅に向かう兵役義務
    • 国家と戦争の関係の再検討
    • 戦争をしない国家 古代エジプト王国
    • 国家なしの軍隊 モンゴル族
    • 国家は必然的に戦争をするか
    • 宗教の権威が戦争を抑制する
    • 宗教改革 非道徳的な主権国家の出現
    • クラウゼヴィッツの戦争論
    • 戦争を抑制しようとする企て
  • 第4章 戦争と個人
    • 国を守り犠牲となった兵士
    • 兵士は嫌われ蔑まれていた
    • 公正な戦いと戦士の名誉
    • 戦闘行動の道徳的規範が生まれる
    • 市民の多くは戦闘に耐えられない
  • 第5章 戦争はなくなるだろうか
    • 闘争はもう人間社会の必然ではない
    • 核戦争は避けることができる
    • 局地的な戦争の増大
    • 安い兵器が戦争を蔓延させる
    • 戦争をなくすために
  • 参考文献/訳者のあとがき

【感想は?】

 結局、「人間はなぜ戦争をするのか?」の結論は出ていない。幾つかの説は紹介するが、断言はしない。

 とはいえ、その始まりについては有力な説を冒頭で示している。

戦争とは、歴史的には、略奪行為であった。
  ――序

 みもふたもない話だ。農耕が始まったころ、農耕民を狩猟民が襲い略奪したのが始まりだろう、そんな説だ。ロマンもへったくれもない。まあ文書が残っているはずもなく、遺跡などのモノから推測するしかないんで、あやふやなのは仕方あるまい。

 文書が残る時代になると、著者の歴史家としての素養が効いてきて、意外なエピソードが次々と出てくる。戦争の悲惨さはよく話題になるが、歴史的には疫病の方が怖かった、とか。

1864年から70年のパラグアイ戦争(→Wikipedia)を除けば、どこの戦争も黒死病の致死率に肩を並べたことはなく…
  ――第1章 戦争と我々の世界

 ここでは逆にパラグアイ戦争を知りたくなって調べたが…いやはや、とんでもない戦争もあったもんだ。なんと男の9割が死んだとか。

 もっとも、そこまで戦いつづけるのは稀で、というより国民皆兵かつ総力戦みたいな発想はむしろ近代的な国家が生んだシロモノで、それ以前は、少なくとも欧州じゃ兵隊は嫌われ者だった模様。

中世やルネサンスのヨーロッパでは、(略)兵士は嫌われ者でした。また、蔑まれる存在でもありました。
  ――第3章 戦争と国家

 少なくとも戦場となった土地に住む者にとっちゃ、軍は山賊とかわらない、どころかそれ以上に忌まわしい存在だったのは、「戦場の中世史」や「補給戦」に詳しい。

 また、戦いにかかる時間も、昔と今とじゃ大ちがいで。

…ギリシアの戦争はとても短いものだった(略)。最大限、1日の戦争で、(略)1時間ほど殺しあううちにどちらか一方が崩れ、敗北した方は逃げ帰り、勝利したほうは戦死者を埋葬します。
  ――第4章 戦争と個人

 「ほほう」と納得しかけたけど、これ、籠城戦を無視してるなあ。というか、「戦争」と「戦い」の区別、かな? 最近の戦争は一度の決戦でケリがつくのは稀で、ウクライナ戦争のように前線がジワジワと前後したり、シリア内戦みたく前線がどこにあるかわかんなかったり。

 いずれにせよ、被害が大きいのは分かり切ってるのに、なかなか戦争はなくならない。その理由はなにか。本書は有力な二つの説を紹介する。

戦争の起源を研究している研究者は、何か人間本性のなかに埋め込まれている根拠を探求しようとする人々と、人間本性に作用した外的なあるいは偶然的な閉胸に根拠を求める人々とに大きく分かれています。
  ――第2章 戦争の起源

 本性のなかにある派も二つに分かれてて、某匿名掲示板風に書くと、こんな感じ。

  • ヒトの本能なんだよ派
    • すべてのヒトの本能に埋め込まれてるんだよ派
    • 一部のヒトだけがバグを抱えてるんだよ派
  • 環境や状況のせいだよ派

 「戦争文化論」は、どちらかと言うと本能派かな? いや文化は環境だから…いや、そういう分類の仕方に異を唱える説かも。まあいい。最近の戦争を見る限り、ヒトの暴力衝動もあるけど、権力者の都合もあるワケで、これは政治学も絡んでくるなあ。

 とまれ、第二次世界大戦以降は、戦争の傾向も大きく変わってきた。

戦争は、しだいに豊かな国よりも貧しい国が行う活動になってきています。
  ――第5章 戦争はなくなるだろうか

 戦争するから貧しいのか、貧しいから戦争するのかは難しい所だけど、相関関係はありそう。これに対し、著者は武器に目をつけてる。

主に言戦争を起こすのは貧しい国々なのですから、安価な武器が簡単に手に入ることは、私たちが生きている現代の軍事状況のもっとも不安な要素の一つなのです。
  ――第5章 戦争はなくなるだろうか

 実際、政情不安定なアフリカの国々では、カラシニコフが安く大量に出回ってる(「カラシニコフ」)。

 で、この状況に対し、著者が唱える対策は。

武器取引は、それが政治的な動機に基づいていようと、あるいは経済的な動機に基づいていようと、いずれにせよ、主に政府の活動です。
  ――第5章 戦争はなくなるだろうか

 ということで、世界が協力して武器取引を取り締まりましょうよ、と。

 まあ、気持ちは分かるし、やる価値もあると思う。でも、どれだけ有効かと言うと、うーん。例えば北朝鮮が素直に言うことを聞くとは思えないし、旧ユーゴスラヴィア諸国からカラシニコフが流出したのは東欧崩壊のあおりだし、ハマスは手製のカッサム・ロケットを飛ばしてるし。

 などとケチはつけたが。ヘルメットやシートベルトで全ての交通事故は防げないけど、少なくとも一部の被害は軽減できるワケで、万能薬を求めるのが間違いなのかも。

 学者の書いた本だけに、歯切れの悪い所はあるが、学者だからこそのトリビアはアチコチに出てきて、そこは楽しいし、自分の無知無学も痛感させられる。良くも悪くの量が少ないので、軽く読める反面、食い足りない感もある。軍事史の入門書というより、更に広い層に興味を持ってもらうための本、といった位置づけだろう。

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2024年2月22日 (木)

楢崎修一郎「骨が語る兵士の最後 太平洋戦争 戦没者遺骨収集の真実」筑摩書房

本書は、2011年から2018年まで、私が17回にわたって太平洋地域を中心に派遣された遺骨収集とその鑑定の物語である。
  ――おわりに

いまだに最後の様子もわからない兵士の骨が、戦後70年以上が過ぎた現在も、太平洋地域を中心とした激戦の地、玉砕の島々には数多く眠ったままだ。
  ――はじめに

現時点で大掛かりに遺骨収取に取り組んでいる国は、日本とアメリカの二ヵ国しかない。
  ――第1章 幻のペリリュー島調査

【どんな本?】

 太平洋戦争では、多くの将兵や民間人が亡くなった。海外での戦没者は(硫黄島と沖縄を含め)約240万人とされている。その多くは現地に葬られ、または海に流された。著者は主に厚生労働省の遺骨収集事業に同伴し、人類学者として遺骨の判定を行ってきた。

 というのも。骨が出てきても、必ずしも日本人の骨とは限らない。米軍将兵や現地人、果ては獣骨の場合もあるからだ。

 人類学者は、いかにして骨を見分けるのか。その際に、どんな事柄に配慮するのか。などの学術的な話題に加え、戦没者の遺骨収集の現場の様子を現地で遭遇するトラブルも含めて語る、ちょっと変わったルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年7月15日初版第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組本文約215頁。9.5ポイント41字×16行×215頁=約141,040字、400字詰め原稿用紙で約353枚。文庫ならやや薄め。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、ときどき人類学の専門用語が説明なしに出てくる。日本語の嬉しい性質で、「伸展葬」とかは文字を見ればだいたい意味が分かるのはいいが、寛骨(→Wikipedia、俗にいう骨盤の一部)など、主に骨の名前が多い。

 また、アチコチに地図があるので、栞を多く用意しよう。

【構成は?】

 はじめに~第2章までは基礎知識を語る所なので、最初に読もう。第3章~第6章はそれぞれ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 第1章 幻のペリリュー島調査
    • 1 遺骨収集へのきっかけ
    • 2 各国の遺骨収集の比較
  • 第2章 骨を読む
    • 1 遺骨は誰が鑑定するのか
    • 2 骨の読み方
  • 第3章 撃墜された攻撃機 ツバル共和国ヌイ環礁
    • 1 現地調査までの困難
    • 2 現地到着から調査開始まで
    • 3 発見
  • 第4章 玉砕の島々
    • 1 銃殺された兵士 マーシャル諸島クェゼリン環礁
    • 2 集団埋葬の島 サイパン島
    • 3 不沈空母の島 テニアン島
    • 4 天皇の島 パラオ共和国ペリリュー島
  • 第5章 飢餓に苦しんだ島々
    • 1 処刑も行われた島 マーシャル諸島ミリ島
    • 2 日本のパールハーバー トラック諸島
    • 3 水葬の島 メレヨン環礁
  • 第6章 終戦後も戦闘が行われた島 樺太
  • おわりに
  • 参考文献/太平洋戦争関連年表

【感想は?】

 著者は人類学者、それも文化ではなく自然人類学者だ。その本領が出ているのが、第2章「骨を読む」。ここでは、人体の骨の構成から性別や年齢や民族ごとの違いなどを、駆け足で語ってゆく。

 骨盤で男女が判るのは有名だが、歯だけでも専門家が見れば多くの情報が得られるのが分かる。

我々アジア人の前歯と呼ばれる上顎切歯の裏は、凹んでいる。
  ――第2章 骨を読む

 とかね。ココを読んだとき、思わず自分の歯を指でまさぐってしまった。この歯による鑑定は、後の章でも日本人と現地人の判別で頻繁に登場するので覚えておこう。

 と書くと、著者は骨の形を見るだけのように思われるが、とんでもない。例えば「第3章 撃墜された攻撃機」では、探すべき陸攻の記録を調べ、一式陸攻ではなく96式陸攻じゃないか、などと当たりをつけている。当時の戦況や部隊の構成など、できる限りの情報を集めた上で現地に赴いているのだ。もはや探偵である。

 もちろん、集めるのは帝国陸海軍の情報だけではない。現地の分野や風習なども、遺骨の判定の重要な手がかりとなる。

全員、頭を北に向け、足を南に向けた伸展葬である。現地の人々は逆で、頭は南で足は北だという。
  ――第5章 飢餓に苦しんだ島々

 このあたりは、文化人類学の領域だろう。南洋の島々が多いだけに、ピンロウジュ(→Wikipedia)に染まった歯が決め手になったり。

 かと思えば、分かりやすい証拠として帝国陸軍の手榴弾が出てきたり。かなり危ない作業でもあるのだ。特に切なかったのが、ペリリューの話。

ペリリュー州の法律で、地表から15cmまでしか掘ってはならないという。この15cmの根拠はよくわからないが、地雷や爆弾が埋まっている可能性があるためという説明を後で受けた。
  ――第4章 玉砕の島々

 勝手にやってきた連中が勝手に争ったため、現地の人々が今でも不便な思いをしているのだ。彼らの気持ちは複雑だろう。そのためか、「そこは俺の土地だから金を払え」とゴネられたり。そういった、現地の人々への心遣いも遺骨収集を巧く進める大事なコツ。

現地の人々の共同墓地で発掘調査をする際は、衆人環視の中で説明しながら行うことが重要である。
  ――第3章 撃墜された攻撃機 ツバル共和国ヌイ環礁

 ヨソ者がやってきて俺たちの墓を掘り返すとなれば、そりゃ心穏やかではいられない。たいてい、専門家がやる作業なんて素人には意味不明である。そこで、あらぬ誤解を避けるために、「今は何をしてるか、この作業にはどんな意味があるのか、それで何が分かったのか」を野次馬たちに説明し、理解してもらえるように努めるのだ。こういう細かいことが大事なんだろうなあ。

 それと、もう一つ意外だったのが、遺骨収集団のスケジュールが極めて厳しい点。なにせ南洋の島々だけに、現地にたどり着くまで3日ぐらいかかる。しかも船のエンジンが止まるなど、トラブルに見舞われることもしばしば。にもかかわらず、許された日程が8日ぐらいだったりで、実際の作業に充てられるのが2~3日しかない。せめて一カ月ぐらいかけてもいいんじゃないかと思う。

 かつての戦場を訪れ亡くなった方々の最後を再現する作業だけに、どうしても悲惨な場面を思い起こさなきゃならん場合もある…というか、特にテニアン島やサイパン島は民間人の犠牲者も多いため、なかなか読んでいて辛かった。

サイパン島やテニアン島の洞窟を調査していると、時々、部分的に焼けた焼骨が出土することがある。これらは恐らく、米軍による火炎放射器による犠牲者であると推定される。
  ――第4章 玉砕の島々

 この辺、著者はあくまで学者として冷静な姿勢を保っているが、故人の想いが起こしたかのような奇妙な出来事もあって、オカルトと片づけたくもあるが、そういった所に著者の故人に寄せる追悼の気持ちが表れているようにも感じるのだ。

 終盤、ペレストロイカの影響で入国が許された樺太での活動に続き、最後の「おわりに」で語る著者の、「いつの日か、ビルマに収骨する日が来ることを望んでいる」との想いが切ない。

 人類学者としての遺骨の判別という、いわば単なる事実確認を求められる立場で体験した事柄を書いた本だけに、乾いた筆致を心がけた文章が続く。が、行間には故人を悼む気持ちが滲み出ている。

 遺骨収集とは、過去にケリをつける儀式ではない。まさしく過去を掘り返し、私たちの眼の前に突きつける、厳しい歴史の授業なのだ。

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2023年11月26日 (日)

クレイグ・ウィットロック「アフガニスタン・ペーパーズ 隠蔽された真実、欺かれた勝利」岩波書店 河野純治訳

本書は、アメリカのアフガニスタンでの戦争の(略)どこが間違っていたのか、そして三人の歴代大統領とその政権がどのように真実を語らなかったのかを説明する試みである。
  ――序文

(トランプ)大統領は、秘密主義の強化を、敵を不安にさせておく戦術として、正当化した。しかし、方針の転換には別の目的があった。(略)戦争のことがあまり目に入らないようになれば、戦争がさらに悪化しても、トランプや彼の将軍たちが批判される可能性は低くなる。
  ――19 トランプの番

B-52とF-22はそれぞれ、運用するのに1時間あたり3万2千ドル以上の費用がかかる。しかも弾薬の費用は別である。
  ――20 麻薬国家

(2021年)4月14日、(合衆国大統領)バイデンは(略)2021年9月11日までに――9.11攻撃の20周年――すべてのアメリカ軍をアフガニスタンから撤退させることを約束した。
  ――21 ターリバーンとの対話

【どんな本?】

 2001年9月11日の同時多発テロに対し、合衆国は復讐に燃えた。同年9月14日、議会はアル=カーイダ&支持者への軍事力使用を認める。上院は98対0、下院は421対1。反対したのはカリフォルニア州選出で民主党のバーバラ・リード(→Wikipedia)だけ。

 だが当初の目論見とは異なり、戦いは長引く。盛り返したターリバーンは2021年に首都カーブルを奪取、同年8月30日に米軍は撤退した。

 アフガニスタン復興担当特別監察官(SIGAR)事務局(→Wikipedia)は合衆国の政府機関だ。目的は、米国が将来間違いを繰り返さないため、アフガニスタンにおける政策の失敗の原因を突き止めること。そのため、戦争に関わった数百人にインタビューし、その声を集めた。

 これに加え、開戦当時の国防長官ドナルド・ラムズフェルドが残した多数のメモや、バージニア大学付属機関ミラー・センターが集めたジョージ・W・ブッシュ政権関係者のインタビュー記録を、著者は手に入れる。

 これらの記録から浮かび上がってくるのは、アフガニスタンに対する合衆国政府の杜撰で迷走した政策であり、また合衆国国民への欺瞞に満ちた態度である。

 アフガニスタンで、合衆国は何をどう間違えたのか。もっと早く戦争を終わらせる方法はあったのか。そして、国民にどんな嘘をついたのか。

 ワシントン・ポスト紙の調査報道記者が、大量の資料から政府の欺瞞を暴く、衝撃のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Afghanistan Papers : A Secret History of the War,by Craig Whitlock, 2021。日本語版は2022年6月24日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約311頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント52字×19行×311頁=約307,268字、400字詰め原稿用紙で約769枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない…と思うのは、私が911に衝撃を受けた世代だからかも。つまり、911以降の世界のニュースを熱心に見ていた世代なので、出てくる人名や事件に馴染みがあるからだ。若い人にとっては、知らない人や事件が続々と出てくるので、ちと辛いかも。

【構成は?】

 話は時系列順に進むのだが、各章はほ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただし、序文だけは読んでおいた方がいいだろう。

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  • 序文/アフガニスタン地図
  • 第1部 誤った勝利の味 2001~2002
    • 1 混乱した任務
    • 2 「悪者は誰だ?」
    • 3 国造りプロジェクト
  • 第2部 大きな動揺 2003~2005
    • 4 アフガニスタンは後回しになる
    • 5 灰の中から軍隊をよみがえらせる
    • 6 超初心者でもわかるイスラム教
    • 7 二枚舌
  • 第3部 ターリバーンの復活 2006~2008
    • 8 嘘と情報操作
    • 9 一貫性のない戦略
    • 10 軍閥
    • 11 アヘンとの戦争
  • 第4部 手を広げすぎたオバマ 2009~2010
    • 12 倍賭け
    • 13 無限の資金の暗い穴
    • 14 友人から敵へ
    • 15 腐敗にとりつかれて
  • 第5部 崩壊 2011~2016
    • 16 真実との戦い
    • 17 内なる敵
    • 18 大いなる幻想
  • 第6部 膠着状態 2017~2021
    • 19 トランプの番
    • 20 麻薬国家
    • 21 ターリバーンとの対話
  • 謝辞/情報源に関する注記/注/訳者あとがき/参考文献/索引(事項索引・人名索引)

【感想は?】

 感触は、呆れるほど「ベスト&ブライテスト」や「ベトナム戦争全史」に似ている。

 もう一つ、「アメリカの卑劣な戦争」とも。その記事で書いたように、「卑劣な戦争」より「間抜けなテロ対策」が相応しいんだけど。この流儀で言えば、本書は「アメリカの失敗だらけのアフガニスタン政略」かな。

 序文にあるように、本書はアフガニスタン戦争の全体を見渡す内容じゃない。だもんで、戦記は期待しないように。そうではなく、米ホワイトハウスのアフガニスタン戦争の政策・戦略がいかに間違いだらけだったか、そしてその間違いと失敗を国民に隠し続けたかを告発する本だ。

 流れは全章がほぼ同じ。米政府が政策を掲げる→現場が実施して失敗する→政府は失敗を隠す。こればっか。だから、ぶっちゃけどこから読んでも、似たようなストーリーが延々と続くだけだ。ブッシュJr,オバマ,トランプとキャラは変わるし、それに伴い政策/戦略の方向性も違ってくるが、お話の流れはほぼ同じで、どんどん深みにはまっていくだけ。

 そもそも、最初から酷かった。CIA長官から国防長官になったロバート・ゲイツ(→Wikipedia)曰く。

「実を言うと、911同時多発テロの時点で、われわれはアル=カーイダのことを、まったく知らなかった」
  ――2 「悪者は誰だ?」

 他ならぬCIAのボスがコレだもんなあ。にも拘わらず、敵はアフガニスタンと決めつけ、軍の派遣を決める。とはいえ、大軍は送らず、少数の軍で軽く蹴散らせると踏んでいた。国造りには関わらないとブッシュJrは語るが、最終的には…

2001年から2020年のあいだに、ワシントンはこれまでのどの国よりもアフガニスタンの国造りに多くを費やし、復興、援助プログラム、アフガニスタン治安部隊に1430憶ドルを割り当てた。インフレ調整後の金額に直すと、これは第二次世界大戦後のマーシャル・プランにおいて、アメリカが西ヨーロッパで費やした金額を上回っている。
  ――3 国造りプロジェクト

 こうなった原因はいろいろあるが、最も呆れるのは先のロバート・ゲイツの言葉が見事に象徴している。つまり、アフガニスタンについて何も知らず、知ろうともせず、何より知る必要があるとすら考えなかった点だ。

 上がこれだから、米軍の将兵も現地について何も知らない。そのため、色々とマズい対応をしながらも、少しづつ学んでゆく。例えば…

全国的な慣習として、部族の長老やアフガニスタン軍の将校たちは、他の男と手をつないで歩きまわることによって、友情と忠誠を示した。
  ――6 超初心者でもわかるイスラム教

 まさしく「俺たちは手を組んでるんだぜ」と態度で示すのだ。欧米人にとっちゃ気色悪いかもしれんが、そういうモンなんだろう。こういう、米国政府や軍が自分たちの文化は地球上で唯一絶対のものだと思い込んでいるらしいのは、アフガニスタン軍の兵士が米軍が用意したトイレを壊しまくったり、食事の様式などの話で痛いぐらい伝わって…いや、和式便所を知らない若い人には通じないかも。

 そんなんだから、肝心のターリバーンについても、ほとんどわかっておらず、軍を派遣してから現地の軍人に尋ねている。

アフガニスタン軍の将軍
「ターリバーンには三種類ある」
一つ目のターリバーンは「過激なテロリスト」だ。
もう一つのグループは「自分たちのためだけに参加」している。
あとの一つは「他の二つのグループの影響を受けた貧しい人々、無知な人々」だ。
  ――8 嘘と情報操作

 私の解釈だが、「過激なテロリスト」がターリバーンの中核だろう。「自分たちのためだけに参加」しているのは、軍閥や族長たちが旗色の良い側についただけ。最後は、文字通り。

 その「自分たちのためだけに参加」しているのが、軍閥。本書で出てくるのはアブドゥルラシード・ドゥースタム(→Wikipedia)ぐらいで、グルブディン・ヘクマティアル(→Wikipedia)はもちろんアフマド・シャー・マスード(→Wikipedia)すら出てこない。基本的に米国政府に焦点を当てた本であって、アフガニスタン情勢を語る本じゃないのだ。

 それはともかく、ドゥースタムの評価は「ホース・ソルジャー」と異なり、マフィアの親分みたいな扱いだ。ドゥースタムに限らず、地元の者にとって軍閥は気まぐれな暴君って感じで、嫌われている。対してターリバーンは、少なくとも法に基づいているだけマシらしい。

ジャーナリスト&米軍民間顧問サラ・チェイズ
「ターリバーンが軍閥を追い出してくれたことに、国民が興奮していたとは、われわれは知らなかった」
  ――10 軍閥

 いずれにせよ、こういった事情を現地の者に虚心に尋ねれば教えてくれるのだ。それどころか、しつこく求められてすらいた。やはりロバート・ゲイツ曰く。

「われわれがカルザイ(アフガニスタン大統領)と大げんかをしたり、カルザイが公の場で怒りを爆発させるときはいつも、その問題について何か月も非公式にわれわれに相談していた」
  ――14 友人から敵へ

 言われたけど聞いちゃいなかったのである。あなたの周りにもいませんか、そういう上司。

 それでも、上司として優れた仕事をしているなら、部下も不満を押し殺すだろう。でも、肝心の政策決定者がすべき仕事、政策決定者だけしかできない仕事がほったらかしだった。

イギリス軍デビッド・リチャーズ中将
「われわれは単一の一貫した長期的アプローチ――適切な戦略――を手に入れようとしていたが、代わりに手に入れたのは、たくさんの戦術だった」
  ――9 一貫性のない戦略

 戦争を始めるには、まず何のために戦争するのか、目的をハッキリさせなきゃいけない。次に具体的な目標を決める。何が実現したら勝利と見なすのか。そのいずれも、政府は明らかにしなかった。というか、本人たちも解ってなかった。そういう事だ。だから、迷走するのも当たり前なのだ。

 だったら、せめて黙っててくれりゃいいのに、何かと口出ししてくるから困る。

「われわれは、まずいアイデアをたたき落すのに、ひじょうに多くの時間を費やした」
  ――20 麻薬国家

 あなたの周りにも…いや、もういいか。

 さて、戦争の方針だ。政策と戦略、目的と目標に加えて、できれば目標達成の指標もあるといい。それがあれば、現在の戦況の良し悪しが分かる。ウクライナ戦争のように、土地の取り合いなら、地図を見ればわかる。でも、フガニスタンの戦争は、元から目的が不明だった。いや、一応の指標を示した人もいるんだけど…

米外交官ジェームズ・ドビンズ
「(戦争の勝敗の)重要な基準は(略)何人のアフガニスタン人が殺されているかです」
「数が増えれば負けている。数が減れば勝っている」
  ――16 真実との戦い

 ところが、この指標に基づいて戦況を語ると、非常にマズい事になる。というのも…

2009年から2011年のあいだに、アメリカ軍がアフガニスタンに増派されると、民間人の年間死亡者数は2412人から3133人に増加した。合計は2012年には減少したが、2013年には増加し、2014年も増加し続け、死者数は3701人に達した。
  ――16 真実との戦い

 一応、米政府の目論見としては、アフガニスタンに中央集権型の民主的政府を作り、米軍が手を引いた後は彼らに任せるつもりだったのだ。ベトナムと同じだね。ところが、肝心のアフガニスタン軍の将兵は…

多くの(アフガニスタン軍)兵士が最初の給料をもらうと姿を消した。(再び)現れる者もいたが、彼らは制服、装備、武器を持っていなかった。追加の現金を得るために売り払っていたのだ。
  ――5 灰の中から軍隊をよみがえらせる

 そもそも読み書きすらできない者が大半だったし、ヤル気もなかったんだろう。実際、逃げて正解だったようだ。

研究者の計算によると、2019年11月までに、6万4千人以上の制服を着たアフガニスタン人(=兵士と警察官)が戦争中に殺されたという――アメリカ軍とNATO軍の死傷者の約18倍である。
  ――17 内なる敵

 亡くなった彼らのために、米政府は何かしたんだろうか。

 明確な政略がない上に、戦略レベルでもベトナムと同じ間違いを犯している。

米外交官リチャード・ホルブルック
「(ベトナム戦争とアフガニスタン戦争の)最も重要な類似点は、どちらの場合も、敵が隣国に安全な聖域を持っていたという事実だ」
  ――12 煤賭け

 中国の人民解放軍は農村に隠れた。ベトコンは北ベトナムを聖域とした。タリバンの聖域はパキスタンだ。そのパキスタン政府、というかISI(パキスタン軍統合情報部)は、米から予算を受け取りつつ、ターリバーンを匿い続けた。その動機を本書は明かしていない。「シークレット・ウォーズ」によると、アフガニスタンからインドの影響を追い出すことらしい。

 まあ、パキスタンにも言い分はあるのだ。彼らは彼らの利害と戦略に基づいて動く。

ISI(パキスタン軍統合情報部)長官アシュファーク・キヤーニー中尉
「われわれは二股をかけている。なぜなら、いつかはあなたたちはまた去っていくからだ」
  ――7 二枚舌

 米は一時的な都合で関わっているが、パキスタンは建国以来の仮想敵インドと今後も睨みあわにゃならん。という本音は押し隠し、カネだけむしり取ってたんだな。

 こういった事情を知らぬまま、軍は政権の方針に従って動く。ブッシュJrは兵を出し惜しみした。まあイラクにリソースを奪われたのもあるが。対してオバマは増派を決めるが、撤退時期も明言した。当然、ターリバーンは考える。「暫く身を潜めてりゃ奴らは帰る」。

 また、ケシの栽培が蔓延したのもヤバかった。焼き払おうとしたが、これも恨まれるだけに終わる。

ウィスコンシン州兵ドミニク・カリエッロ大佐
「ヘルマンド州の人々の収入の90%は、ケシの販売によるものだ。われわれはそれを取り上げようとしている」
「彼らは武器を手に取り、あなたを撃つだろう。なにしろ生計の手段を奪われたのだから」
  ――11 アヘンとの戦争

 「ケシ栽培をやめりゃ補助金出すよ」政策も打ち出したが…この辺の顛末は、現地住民の賢さに舌を巻いてしまう。学はなくても、したたかなのだ。

 他にもオバマ政権はカネをバラ撒いて現地住民を懐柔しようとするが…

アメリカとカナダの軍隊が村人に月90ドルから100ドルを支払って灌漑用水路を掃除させた。
(略)この地域の教師の収入ははるかに少なく、月に60ドルから80ドルしかなかった。
「それで、まず学校の教師が全員仕事を辞めて、溝堀りに加わった」
  ――13 無限の資金の暗い穴

 うん、まあ、そうなるか。おまけにバラ撒いたカネが元で、現地には腐敗が蔓延してしまう。例えば…

腐敗の唯一最大の発生源は、アメリカ軍の広大な供給網だった。国防総省は、アフガニスタンおよび国際的な請負業者に金を支払って、毎月トラック六千台から八千台の(略)物資を戦争地帯に届けていた。(略)
トラック業者は軍閥指導者、警察署長、ターリバーン司令官に多額の賄賂を支払い、地域を安全に通過できるように保証してもらった。
  ――15 腐敗にとりつかれて

 パキスタンのカラチ港からアフガニスタンの各地まで、多くの物資をトラックで運んだのだ。そういや「戦場の掟」で、イラクじゃ「なぜかトレーラー・トラックの運転手はパキスタン人が多」かった。その理由は、アフガニスタン戦争で従事した運転手がイラクに出稼ぎに出たから、なんだろうか。

 それはともかく、米が出したカネは最終的にターリバーンの懐を潤してたんだから、なんとも情けない。

 ってな具合に、ズルズルと長引く戦争に、911当時は怒りに燃えてた米市民も飽きが来る。

2014年12月のワシントン・ポストとABCニュースの合同調査によると、この戦争は戦う価値があると考えているのは国民の38%だけになっていた。紛争の開始時には国民の90%が戦争を支持していたのにである。
  ――18 大いなる幻想

 市民とは、なんとも無責任で気まぐれなものだ。もっとも、だからこそ戦争をやめられたんだが。

 他にも、頻繁な人事異動や部隊の入れ替えで、やっと現地の事情に通じた者が育ったのに帰国して、新しく来た奴は何も知らないとか、最初の事情説明じゃアラビア語を教えられたとか、間抜けな話がてんこもり。米国ってのは、軍は強いのに政府は戦争が下手だよなあ、とつくづく感じる本だった。それでも、SIGAR みたいな組織を作り、今後の政策に活かそうとする姿勢は羨ましくもあるんだよね。

【関連記事】

 いろいろ挙げたいんだが、敢えて記事中に出てくる本は外した。

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2023年8月30日 (水)

ダニ・オルバフ「暴走する日本軍兵士 帝国を崩壊させた明治維新の[バグ]」朝日新聞出版 長尾莉紗/杉田真訳

軍人の不服従によって引き起こされた事件は、散発的でも偶発的でもなく、深い根をもつ歴史パターン、すなわち、1860年代から1930年代までの日本の軍隊社会の一要素であった反逆と抵抗の文化に基づいていた、というのが私の主張だ。
   ――序論

本書は、反抗と反乱のイデオロギー的基盤をなす不服従の文化を明治維新以降の日本軍が常に抱えてきたことを明らかにした。
  ――結論 恐ろしいものと些細なもの

【どんな本?】

 戦争の悲惨さを伝える本は多いが、大日本帝国がなぜ太平洋戦争に至ったのかを分析する本は少ない。大きな事件やその関係者を取り上げ、歴史の流れを語る本はある。特定の人物を吊るし上げたり、陸軍悪玉論など組織を悪役に仕立て上げる論もある。しかし、さらに突っ込んで「なぜそんな考えに至ったか」「なぜそんな組織体質になったか」まで掘り下げた本や論は珍しい。

 本書は、明治維新から太平洋戦争に至るまで、大小の事件や制度改革を取り上げ、大日本帝国政府要人と帝国陸軍将校の根底に流れる「志士」の思想と文化を掘り起こし、それを「反逆と抵抗の文化」と名づけ、その文化と組織体質が引き起こした反抗的な将校たちの「前線への逃亡」の連鎖が、太平洋戦争へ至る陸軍の暴走へと繋がった、とする。

 ハーバード大学で歴史学を学び、イスラエル軍情報部に勤務し、ヘブライ大学アジア学部で上級講師を務める著者が、膨大な日米英の一次資料を基に描き出す、斬新かつ緻密な帝国陸軍の反逆史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Curse on This Country: The Rebellious Army of Imperial Japan, by Danny Orbach, 2017。日本語版は2019年7月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約369頁。9ポイント46字×18行×369頁=約305,532字、400字詰め原稿用紙で約764枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も学者の著作にしては意外と親切で読みやすい。維新以降の日本の歴史について、充分に調べた上で素人にも分かりやすく説明している。イスラエル人に日本の近・現代史を教わるのは少々アレな気分だが、しょうがないね。

【構成は?】

 基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • 謝辞
  • 序論
  • 第1章 志士 不服従のルーツ 1858-1868
    志士登場以前 徳川幕府の衰退/狂と愚 志士のイデオロギー/同志 組織としての志士/天誅 混成集団の盛衰/高杉晋作と長州征伐 軍事組織の全盛期/長州、薩摩、そして雄藩同盟の誕生/擬態(ミメシス) 志士のその後
  • 第1部 動乱の時代 1868-1878
  • 第2章 宮城の玉 新しい政治秩序 1868-1873
    宮城の玉 「霞んだ中心」としての天皇/綱渡り 連立政権と明治の改革/政治、軍隊、薩長の対立/崩壊 朝鮮と雄藩同盟の終焉
  • 第3章 止まることなく 軍人不服従と台湾出兵 1874
    「怒りの感情を鎮める」 琉球と薩摩ロビー/出兵の前兆 副島種臣の清国派遣/厄介な問題 大久保政権下の台湾問題/予期せぬ展開 外国公使の干渉/「前日の従道にあらず」 不服従の決断/台湾の西郷従道と軍隊 不服従の拡散?/台湾出兵の最後/台湾出兵 未来の予兆?
  • 第4章 破滅的な楽観主義 1870年代の反逆者と暗殺者 1876-1878
    土佐の悲観主義、楽観主義、陰謀/悲観的な反逆者たち 宮崎、戸田、千屋/武市熊吉一派 楽観的な反逆者たち/佐賀の乱 集団的な楽観主義と前線への逃亡/革命的楽観主義の終焉 西郷隆盛と薩摩の反乱/見当違いの楽観主義 士族の反乱と失敗
  • 第2部 軍部独立の時代 1878-1813
  • 第5章 黄金を食らう怪物 軍部独立と統帥権 1878
    1878年の軍制改革/タブーの問題 改革の説明と抵抗の排除/軍事改革の謎/改革のロジック 権力の集中と分散/輸入できなかったもの 失敗点はどこにあったのか/長期的な影響
  • 第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895
    反乱の基盤 軽視されていた朝鮮君主/迫りくる危機 朝鮮に対する日本のジレンマ/計画の始まり 相反する期待/羅針盤なき航行 漢城での三浦梧楼/志を同じくする者 三浦と大院君/キツネ狩り 日本人壮士と閔紀暗殺決定/暗殺/非難の的 広島での裁判/将来への影響 楽観主義の購買力
  • 第7章 三幕のクーデター 大正政変 1912-1913
    枠の取り合い 1900年代後半の予算争い/陸軍が振るう刀 現役武官制/大正政変 第一幕:西園寺対陸軍/第二幕:桂対海軍/第三幕:「朝露のごとく」 陸海軍の窮地/崩壊の淵 大正政変の裏側/タイムリミットの延長 将来への影響
  • 第3部 暗い谷底へ 1928-1936
  • 第8章 満州の王 河本大作と張作霖暗殺 1928
    新たな統帥権イデオロギー/1920年代後半の満蒙問題/満州の王 軍人として、陰謀家としての河本大作/二つの別計画/河本の陰謀/偽装工作 河本と浪人たち/作戦決行/発覚と調査/結論 犬とネズミ
  • 第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931
    国家改造 標的は日本/首謀者、橋本欣五郎/桜会と民間協力者/三月事件/東京での小競り合い 政府の反応/満州事変/10月事件/結論 反抗から反乱へ
  • 第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936
    志士と特権階級 青年将校の情熱/虎を手なづける 飼いならされた青年将校/5.15事件/陸軍士官学校事件/最後の一線/2.26事件 天誅/雪中の光 中橋中尉と、宮中へつながる門/正義か反逆か 陸軍大臣のジレンマ/霞を払って 昭和天皇の決断/裁判と処罰/不服従の限界 2.26事件のその後
  • 結論 恐ろしいものと些細なもの
    第一のバグ 曖昧な正当性
    第二のバグ 一方通行の領土拡大
    第三のバグ 終わりなき領土拡大の道

【感想は?】

 繰り返すが、特定の誰かや組織を悪役に仕立て上げたり、愚かさを吊るし上げる論調ではない。それは最終章で明らかだ。

軍の独立を進めて国家を主客転倒状態に陥らせたのは、政治家、軍幹部、官僚の悪意や愚かさ、過失ではない。国家に破滅への道のりを少しずつ歩ませた政策決定一つひとつは合理的かつ理解可能な(略)当時の現実に即したものだった。
  ――結論 恐ろしいものと些細なもの

 本書では、軍の暴走の根本を明治政府の三つのバグとし、そのルーツを「維新の志士」に求め、明治維新から226事件までの歴史を追ってゆく。

 著者も、原因の一つが「軍の独走・専横」にある点は認めている。とはいえ、現代でも世界を見渡せば軍事政権は多い。だが、無謀で無制限な国土の拡大や侵略を目論む軍は少な…いや、ロシアがそうかw 逆に言えばロシアぐらいで、北朝鮮もミャンマーも、あまりニュースにはならないがパキスタンやエジプトも、軍は国内の統制と軍備拡張には熱心だが領土拡大には突き進まない。脅しはするけどね。

 第二次世界大戦以降の世界情勢の変化はあるが、大日本帝国陸軍は独特だ。なんといっても、ヒトラーやムッソリーニのような、政府や軍のトップの命令によるものではない。例えば閔妃暗殺事件(→Wikipedia)の首謀者である三浦梧楼(→Wikipedia)は、政府や軍の命令で動いたのではない。勝手に(民間人を含めた)人を集め組織し実行したのだ。

(朝鮮領事)内田定槌(→Wikipedia)は計画に関わっていなかったため、日本人が(閔紀暗殺に)加担していたと知って愕然とした。
  ――第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895

 無茶しやがってと思うが、派遣した外務省の姿勢も酷い。「じゃ好きにやっていいのね」と三浦が解釈したとしても仕方あるまい。

結局外務省は就任後も(朝鮮公使に任命した)三浦に政策指針を何も示さないのだが、おそらくそれは幹部も自分たちの目標がどこにあるのかわからなかったからだろう。
  ――第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895

 ここで描く当時の朝鮮情勢が、とってもわかりやすい。国内外の多様な勢力が離合集散し陰険な謀略をめぐらす中、当時の最大勢力である閔妃に日本は嫌われた。そこで脳筋な三浦が一発逆転を狙い院政を目論む大院君と組んで武力で解決しようとしたのだ。

 結果を見れば日本の横暴だが、著者の解釈は日本に好意的だ。当時の状況として、関係各国はどこが似たような真似をしてもおかしくなかった、としている。

 とはいえ、三浦のやり方は独特だ。普通、こんな大掛かりな事件は国家ぐるみで行う…それを認めるか否かは別として。しかも、得体のしれない民間人も積極的に関わっている。本人たちは壮士と名のっているが。

 政府中枢の決定ではなく公的な役職が低く現場に近い者が勝手にやらかすこと、強い思想を持つ民間人が大きく関わること、この二点が閔紀暗殺の、そしてその後の大日本帝国の軍の暴走の特徴だ。加えて、暴走のあと、政府が追認しちゃう事も。

 これらの原因を、著者は維新の志士に見る。

彼ら(維新の志士)は何年にもわたり、無数の文化人、愛国的組織、国家主義的団体、そして極めて重要なことに軍人グループの文化的ヒーローやロールモデルになった。
  ――第1章 志士 不服従のルーツ 1858-1868

 実際、明治政府の要人は元志士だし。志士の多くは下級武士だったり、脱藩した浪人だったりだ。彼らが天皇を担ぎ上げて維新を成し遂げた。ただ、維新後の政府は天皇の絶対王政ではなく、元志士たちによる一種の貴族政治であり、天皇は決まった政策を追認するのが実情だったが、国民には実情を隠していた。

未熟な君主に真の権力を与えずに、天皇制という権威ある統治体制の背後に自らの権力を「隠す」ということだった。(略)この新政府の決定は、その後70年間にわたって軍人不服従の成長を促進させる統治システム内の「バグ」を生み出した。
  ――第2章 宮城の玉 新しい政治秩序 1868-1873

 見えない天皇の意向を、志士に憧れる壮士たちは勝手に解釈する。

後年の多くの軍人不服従において、反抗的な将校たちは、隠れた天皇の意向を、政府の命令や方針に抵抗する口実として「再解釈」するようになる。
  ――第3章 止まることなく 軍人不服従と台湾出兵 1874

反逆者は、明治政権の第一のバグ――天皇の不明瞭さ――により、天皇が本当は何を望んでいるのかを「推測」することによって、自分たちの行動を正当化した。
  ――第4章 破滅的な楽観主義 1870年代の反逆者と暗殺者 1876-1878

 それでも、せめて陸軍のトップが強力な権限により押さえつければ、どうにかなったかもしれない。だが、制度にも欠陥があった。有名な統帥権の問題だ。

参謀本部、陸軍省、監軍本部はそれぞれ独立し、つまり各機関のトップは互いを任命したり解雇したりする権限をもたなかったが、それが将来的に繰り返される派閥争いのもとになった。(略)大日本帝国陸軍全体に対する権力を掌握する者は存在しなかった。
  ――第5章 黄金を食らう怪物 軍部独立と統帥権 1878

 統帥権の問題を、私は「陸海軍が強すぎる権限を持つ」点だと思っていたが、そんな単純な話じゃなかったのだ。力は強いが、全体をまとめるリーダーはいない。ヤベエじゃん。

 そして、この懸念は、軍部大臣現役武官制(→Wikipedia)により現実になる。軍は内閣を潰す権限を手に入れた。

陸軍のクーデター計画の基盤には、1900年に勅令により定められた軍部大臣現役武官制という制度があった。これは、陸海軍大臣を現役の将校に限定するというものである。
  ――第7章 三幕のクーデター 大正政変(→Wikipedia) 1912-1913

 それでも、せめて強力なリーダーがいれば、全体を引き締める可能性もあった。だが、そんな者は存在せず、ただでさえ勇猛果敢が尊ばれる軍の組織全体に、独断専行な志士への憧れが染み込んでいる。となると…

陸軍の(略)組織内で権力が分散し、それをまとめる人物が一人もいなかった。将軍たちは仲間から「柔和」に見られてはならないと感じていた。それゆえ、軍の総意は最も急進的な意見に沿って形成された。
  ――第7章 三幕のクーデター 大正政変 1912-1913

 そんな上級将校も、言葉は勇ましいが、上官としてのメンツがある。血気に逸る佐官に突きあげられるのはウザい。だもんで、そんな連中は東京から離れた前線にトバす。これもマズかった。マッチを火薬庫に放り込むようなモンだからだ。

軍が独自に戦略上の決定を下すことを許すこの統帥権の概念に、満州で浸透していた独断専行という(略)二つが組み合わさり、河本(大作大佐、→Wikipedia)などの下級将校が国の方針に完全に逆らって国家指導者の暗殺といった戦略レベルの決定を下すに至った。
  ――第8章 満州の王 河本大作と張作霖暗殺(→Wikipedia) 1928

 気が付いた時にはすでに遅し。軍にもメンツがある。やらかしを認めたら、メンツが潰れる。だもんで、追認するしかない。その結果…

関東軍の不服従は、政府から独立した行動を軍高官に許す統帥権イデオロギーと、上官から独立した行動を下級将校に認める独断専行が融合して生まれた。その結果として満州全土は日本軍の手に渡り、関東軍が支配する傀儡国家としての満州国が誕生した。
  ――第9章 桜会(→Wikipedia) 反抗から反乱へ 1931

 これは政府も似たようなモンで。「政府じゃ軍を抑えられない」なんて言うわけにもいかない。

政府高官たちに陸軍を抑え込みたいという気持ちはあったが、1895年および1928年と同様、世界に日本の恥をさらすという代償を払いたくなかった。
  ――第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931

 それでも、せめてジェレミー・スケイヒルみたく政府の恥部を容赦なく暴くジャーナリストやマスコミがあれば、政府も「どうせバレるんだし」と開き直ったかもしれない。だが、大日本帝国は情報公開体制もマスコミも成熟してなかった。だもんで、隠しおおせると踏んだんだろう。

 それより当時のマスコミが盛んに取り上げたのは右翼系の民間思想家で、民衆も軍の佐官・尉官将校も、彼らの思想に強い影響を受け、多くの会合もあった。

橋本(欣五郎、→Wikipedia))をはじめとする将校たちは軍の上官よりも大川周明(→Wikipedia)などの民間右翼指導者に影響を受けていた。
  ――第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931

 この辺、最近の防衛大学の講演者が云々なんて話もあって、なんかキナ臭いとも思うんだが、それは置いて。

 桜会までは首謀者は佐官級だったんだが、ついに尉官級が首謀する2.26事件が起きる。この特徴は暴力で東京の中枢、それも宮城に踏み込んだ点で、陛下の強烈な怒りを買い頓挫。結果として…

軍の権力層のうち2.26事件(→Wikipedia)の衝撃波に足をすくわれず残ったのは、統制派(→Wikipedia)と結びつきのある中堅の佐官級将校のみだった。
  ――第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936

 この不祥事に対する軍の開き直りは実に鼻持ちならないが、いかなる機会も己の権限拡大に利用する政治的な狡猾さでもあるんだろうか。

軍は2.26事件のような反乱を防ぎたければ政府は自分たちの要求をもっと受け入れるべきだと示唆した。事件直後に広田(弘毅新首相、→Wikipedia)は現役武官制を復活させ、陸相の退任によって倒閣する権限を軍に与えた。
  ――第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936

 その狡猾さを国際社会でも発揮してくれりゃ良かったんだが、結果はご存知の通り。

 私が今まで読んだ本で、大日本帝国が太平洋戦争へと向かった原因に触れているのは、イアン・トールの「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 上」ぐらいだ。その「太平洋の試練」では、陸海軍の予算の奪い合いに原因を求めていた。

 本書は、その奪い合いの原因を、歴史的経緯に加え文化論や組織論に基づき、より踏み込んで分析・解説している。特に統帥権に関わる制度・組織的な問題点は図式がハッキリしていて分かりやすかった。また、志士文化・思想と、王政とは異なる天皇制の、合わせ技というか合同バグも、納得できる点が多い。

 取扱うネタがネタだけに、特に日本じゃ読者の政治思想により賛否は大きく分かれるだろう。だが、無謀な太平洋戦争の原因を、軍の暴走で片付けるには、納得がいかない人も多いはずだ。あの戦争の原因を、より深く知りたい人には、少なくとも入門書として役立つはずだ。

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2023年7月 9日 (日)

アブラハム・ラビノビッチ「激突!! ミサイル艇 イスラエル高速ミサイル艦隊 vs. アラブ艦隊」原書房 永井煥生訳

ミサイルによる駆逐艦の撃沈は艦砲の導入、さらには一世紀前の鋼鉄艦の出現と同様に海上戦の性格を劇的に変える出来事であった。
  ――第1章 1967年、駆逐艦エイラートの悲劇

ロシアのミサイルはガブリエル・ミサイルよりも遥かに大きな射程を有していたが、イスラエル艇部隊は激戦中に54発のソビエト・ミサイルに対して完璧な役割を演じてきた立証済みの電子戦システムを保有していた。
  ――第27章 グランドピアノ

【どんな本?】

 1967年10月21日。エジプト海軍のコマール級ミサイル艇は、ソ連製スティックス・ミサイル(→Wikipedia)で、イスラエル海軍の駆逐艦エイラートを沈める。たった85トンのミサイル艇が、1,710トンの駆逐艦を沈めたのだ。

 この事件はイスラエル海軍を震撼させる。もはや艦砲では対抗できない。だが、どうすれば?

 同じイスラエル軍でも、精強で知られる空軍・陸軍に対し、海軍は規模も知名度もなく、予算も少ない。加えて当時のイスラエルは多くの国から武器の禁輸措置を受けていた。

 少ない予算で、他国の力も借りず、自力でソ連製スティックス・ミサイルに対抗できるミサイルおよびミサイル艇を開発し、その戦術も創り上げなければならない。

 この無理難題に対し、イスラエル海軍は小国の小海軍ならではの独自の道を切り開き、ガブリエル対艦ミサイルおよびサール級ミサイル艇を開発し、またスティックス・ミサイルへの対抗手段も産みだしてゆく。

 現代では陸海空いずれの戦場でも常識となった誘導ミサイルと、その対抗策である電子戦を築き上げ、海軍史上の革命を成し遂げたイスラエル海軍の奮闘を描く、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Boats of Cherbourg, by Abraham Rabinovich, 1988。日本語版は1992年3月31日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約351頁に加え、訳者あとがき10頁。9ポイント47字×21行×351頁=約346,437字、400字詰め原稿用紙で約867枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はいささか古くさく、お堅い。なにせ訳者が当時は現役の防衛大学助教授なので、軍人っぽい言い回しになる。とまれ、これは慣れれば大丈夫。内容は特に難しくないが、できれば第三次中東戦争(文中では六日間戦争、→Wikipedia)~第四次中東戦争(文中ではヨム・キプール戦争、→Wikipedia)について知っているといい。

 あと、浬(かいり)は約1852メートル、1ノットは時速1浬、主機はメイン・エンジン。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  •  序文
  •  第1部 構想
  • 第1章 1967年、駆逐艦エイラートの悲劇
  • 第2章 まず二隻
  • 第3章 ローン・ウルフ
  • 第4章 ドイツへの旅
  • 第5章 ガブリエル
  • 第6章 木の葉落とし計画
  • 第7章 シェルブール
  •  第2部 脱走
  • 第8章 極秘計画
  • 第9章 手品
  • 第10章 秒読み
  • 第11章 続いて五隻
  • 第12章 逃避行
  • 第13章 嵐の目
  • 第14章 帰国
  •  第3部 戦争
  • 第15章 戦闘艦艇へ
  • 第16章 紅海部隊
  • 第17章 仕上げ稽古
  • 第18章 戦争へ
  • 第19章 ラタキア
  • 第20章 ファントム追跡
  • 第21章 ゼロ距離
  • 第22章 ガンマン
  • 第23章 バルディーン沖の海戦
  • 第24章 小競り合い
  • 第25章 コマンド作戦
  • 第26章 米海軍第六艦隊
  • 第27章 グランドピアノ
  •  訳者あとがき

【感想は?】

 実は「無人暗殺機 ドローンの誕生」で教えていただいたのだが、他に読みたい本が山積みだったので後回しにしていた。が、お薦めどおり、とても面白い本だ。

 もちろん新技術開発史としても面白いが、それを「誰が、どのように使うか」の物語としても楽しい。

 第二次世界大戦で、海戦の様子は大きく変わる。それまでの大艦巨砲主義に対し、空母の時代となった。だが、カネと技術のある大国ならともかく、小国は金食い虫の空母なんか持てないし、艦載機だって開発できない。そこで考え出されたのが、誘導ミサイルだ。

(米ソ)両艦隊とも、基本的武器としては“火砲”を放棄していた。すなわち米艦隊は第二次世界大戦中に太平洋で得た膨大な経験から海上航空戦力に頼っており、一方、ロシアは航空母艦の分野で対決することを期待しないで射程250浬に達する艦対艦ミサイルを開発していた。
  ――第26章 米海軍第六艦隊

 米国が航空機に頼りミサイルを軽視してソ連に出し抜かれるあたりは、両者の核戦略の歴史と重なって興味深い。

 さて、ミサイルの威力について、ちょっとお節介。本書に出てくるスティックス・ミサイルの射程距離は約46km。これは戦艦大和の主砲の射程42kmに優る。大和の排水量は64,000トンだが、スティックスを撃つコマール級ミサイル艇は85トン。桁が三つ違う。ちなみに浅草とお台場を結ぶ水上バスのエメラルダス(→Wikipedia)は132トン。水上バスより小さい船が、大和の主砲以上の射程を持つのだ。もっとも、船が小さい分、弾数も2発と少ないんだけど。

 そんなワケで、対艦ミサイルの登場は、海軍艦艇の思想を大きく変えてえ行くことになる。本書は世界の海軍の革命の曙を描く物語でもあるのだ。

まさに行われようとしている試験がもし成功すれば、イスラエル海軍とってもはや駆逐艦の必要性は全くないであろう。
  ――第7章 シェルブール

 なおイスラエルが開発するガブリエルMK-1の射程は22.5kmで、母艦のサール級は排水量250トン。排水量こそ大きいものの、ミサイルの射程はスティックスの半分以下。この差をいかに詰めるかも、本書の読みどころ。

 読んでいて楽しかったポイントは三つある。一つはイスラエルの軍事物にありがちな、他国における諜報/非合法活動。次にガブリエル・ミサイルの開発物語。そして最後にミサイル艇の運用すなわち戦闘場面だ。

 まず、最初の諜報/非合法活動だ。当時のイスラエルは六日間戦争=第三次中東戦争の影響で、世界中からハブられてた。お陰でサール級ミサイル艇も、フランスに発注したは良いが、武器禁輸を食らいシェルブールから出られなくなってしまう。ってんで、コッソリとトンズラかます。

「我々は本日、ハイファへ向け出港する。なおフランス人はこの件について知ってはいない」
  ――第2章 まず二隻

 こういう他国での工作はモサドが協力しそうなモンだが、珍しく?本件では海軍だけで計画・実施してる。そのため、艇を奪うためフランスを訪れたイスラエル海軍将兵は入国審査で目をつけられたり。

「パスポートは全て続き番号で、皆さっぱりした頭髪をしており、全員同じ種類のジャケットを着ていますね」
  ――第10章 秒読み

 言われてみりゃ疑われて当たり前だが、軍人さんはそういう所にまで気が回らないのだw

 なんとか艇を奪って海に出たはいいが、もちろん大騒ぎになる。ここでフランス政府の政策と国民の世論のズレが見えるのも楽しい。このあたりでは、ミラージュIII改ことクフィル(→Wikipedia)の誕生秘話もちょろりと出てきたり。

世論調査はフランス人の3/4がイスラエル艇の逃走を拍手喝采して称賛していることを示していた。
  ――第14章 帰国

 やはり国際世論では、奪った艇が地中海に入ってからの沿岸諸国の対応も、各国の事情を反映してて、意外な国がイスラエルに好意的だったり。

「もし艇が国際的に認知された旗章を掲揚しているならば、ギリシャは国際法の定めるところにより、燃料補給の便宜提供を拒否できない」
  ――第13章 嵐の目

 各国の事情と言えば、まさしく今キナ臭いNATOとロシアの海軍の軍事姿勢も少し出てくる。海における米・欧の役割分担は、みもふたもないもので、ほぼ米軍にお任せ。

「いかなる大規模な対決においても、NATOの枠組み内での自己の任務は船団護衛や対潜戦などの端役的な任務に限定される」(略)
彼ら(ヨーロッパ人)にとってソビエト海軍との対決は、アメリカ海軍、特にアメリカの空母任務部隊の問題だったのである。
  ――第4章 ドイツへの旅

 いいのか、それで。バルト三国・フンランド・ポーランドが加わったバルト海だと、今はどうなんだろう?

 さて、読みどころの二つ目、開発物語では、異端の技術者オリ・エベントブがミサイル開発の中心となる。既に対艦ミサイルの開発は始まっていた。問題は誘導方式で、最初は目視による誘導つまりラジコン式だった。これがコケる描写は、技術者の胸をえぐる。やはり現場での運用を、細かい所までキチンと想定してないとダメなのだ。

 対してオリ・エベントブは、独自の方法を唱えるが会社じゃシカトされる。そこで顧客の海軍に直接売り込むのだ。

「昼夜を問わず、ミサイルが自分で目標を探し出すことのできる自動誘導システムについて僕なりのアイデアを持っているのだけどね」
  ――第3章 ローン・ウルフ

 売り込んだはいいが、やっぱり開発じゃ何度も失敗するんだけど。試射でミサイルが海に突っ込む場面と、そのバグを見つけ対応するあたりは、技術者の心に迫る。ゲームなどのプログラムと違い、何度もテストできないのも、この手の開発じゃ辛いところ。加えて、「バグは一つとは限らない」のも厳しい現実で。

これによってガブリエルの高度計に関する諸問題全てを取り除いたことになる、という確証はなかった。
  ――第5章 ガブリエル

 漫画などでは、必殺技を開発したら、その対応策も考慮するのが定石。しかもイスラエル軍のガブリエルは、ソ連製スティックスより射程が短い。だから、イスラエル海軍はミサイル開発と同時に、敵ミサイルを躱す技術も開発しなきゃいけない。つまりは電子戦の幕開けも描いているのだ、本書は。

推進されつつある戦術開発方針の中で基本的な狙いとなったのは、長射程のスティックス・ミサイルを電子線装置、速力及び運動によって回避し、もし全てが失敗したならば砲火で対処しつつミサイル帯を横断することにあった。
  ――第15章 戦闘艦艇へ

 これはミサイルだけでなく、艇の設計にも大きく関わってくる。ってんで、壮絶な場所取り競争が始まったり。民間の製品開発でもよくあるパターンだね。

敵艦船を探索する捜索用レーダーとミサイルを目標に向け誘導する射撃指揮用レーダーは、マストのより高い位置を求めて争い合った。火砲と魚雷発射管は、甲板上のよりよいポジションを競い合った。ソーナーは重量軽減の目的で犠牲にされてしまうことに反対した。
  ――第6章 木の葉落とし計画

 かくして駆け足で準備を整えたイスラエル海軍は、ついに決戦の時を迎える。イスラエルが奇襲を食らったヨム・キプール戦争(第四次中東戦争、→「ヨム キプール戦争全史」)である。

「これは戦争であると申し上げます」
  ――第17章 仕上げ稽古

 開戦当初の戦力比は、こんな感じ。

イスラエルの作戦可能ミサイル艇11隻とミサイルのないサール級2隻に対し、エジプト地中海艦隊はオーサ級12隻とコマール級2隻を、シリア海軍はオーサ級3隻とコマール級6隻を保有していた。
  ――第18章 戦争へ

 ここからが第三の読みどころ、ミサイル艇の運用すなわち戦闘場面。なおイスラエル海軍、公式には取材に非協力なんだが、非公式に退役軍人を紹介してたりして、まあアレです、タテマエとホンネだね。お陰で戦闘場面は「レッド・プラトーン」と並ぶ分単位の緊張感あふれる場面の連続。

最初のガブリエルがその最大射程である20キロでガーシの甲板を離れた時には、スティックスはいまだ来襲中であった。二発のミサイルはお互いに近距離ですれ違った。
  ――第19章 ラタキア

 小国だけに海軍と空軍の仲もいいようで、ちょっとした空海共同作戦もあったり。

彼(イスラエル空軍ファントムのパイロット)はミサイルの軌跡が普通の火砲の射撃のように修正できるものと思って、「400メートル近、500メートル左」という具合に修正を指示し始め、しばしの間、海軍の将兵を喜ばせた。
  ――第20章 ファントム追跡

 電子戦の始まりは、海の戦いを大きく変える。それを実感したのが、こういう描写。もはや夜の帳は、安全を保障するものではないのだ。いや昔も火船の襲撃とかはあったんだけど。まさしく24時間休みなしの戦いとは。

海軍はその作戦のほとんど全部を夜間に実施することになるであろう。暗闇は敵をしてレーダーに依存させることになり、その結果、イスラエル艇の電子戦上の優位を全幅活用させることになるであろう。暗闇はまた、敵性海域における航空攻撃に対して良好な防御を提供した。
  ――第22章 ガンマン

 やはり戦いの迫真性を感じるのが、こんな描写。射程ギリギリだと、こんな状況も起こったり。

ガブリエル・ミサイルの射程は20キロであったが、目標は逃中であった。この結果、最大射程で発射された全ミサイルはその二分間の飛行を完了するまでに目標が既に遠ざかってしまっていることを認識することになる。
  ――第23章 バルディーン沖の海戦

 ヨム・キプール戦争の激しさは陸軍と空軍ばかりが語られるが、海軍も小さいながら全力を振り絞っている。というか、ここまで酷使される海軍も珍しいだろう。まあ、それぞれの出撃が一晩で終わるってあたりも、小海軍であるイスラエル海軍らしいけど。

大半の艇と乗組員はこの三週間の間、ほぼ毎夜出撃してきた。
  ――第24章 小競り合い

 やはり戦場が狭いからか、こんな漫画みたいな場面も出てきたり。こういう、現場での臨機応変な対応というかドサクサ紛れのその場しのぎが、意外と有効だったりするのも、「戦場の霧」の性質の一つなんだろう。

揚陸艇の開放式格納庫からハーフ・トラック上に載せた迫撃砲をもし正確に発射できるならば、エジプトの泊地を沖合から砲撃することが可能であり、これによって火力を有する艦艇がイスラエルに欠如していることを補うことができるであろう。
  ――第25章 コマンド作戦

 などと頑張っている現場じゃ、すっかり要らない人扱いされる彼の姿に、思わず涙してしまう技術者も多いのでは?

「皆、オリ・エベントブを忘れていないか」
  ――第26章 米海軍第六艦隊

 技術開発の物語として、海軍の革命の記録として、国際的秘密工作の秘話として、そして迫真の戦闘の描写として。いささか古くはあるが、色とりどりの面白さがギッシリと詰まった、文句なしの掘り出し物だった。ご紹介下さった方に深く感謝します。

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2023年4月16日 (日)

イアン・トール「太平洋の試練 レイテから終戦まで 下」文藝春秋 村上和久訳

いちばんむずかしいのは<腹部の患者>だと、医師たちは認めた――胃や腸などの重要な臓器を撃ち抜かれた患者である。
  ――第11章 硫黄島攻略の代償

もし向こう(地上を機銃掃射する戦闘機)が狙っていたらわかります。そのときは火花が散るのが見えますから。
  ――第12章 東京大空襲の必然

第六海兵師団所属のノリス・ブクターは、多くの日本兵が民間人のような恰好をして、一般市民に混じって前線をすり抜けようとしたと回想している。なかには女に見せかけようとする者さえいた。
「その結果、残念ながら、われわれは彼らを撃たねばならなかった。このとき多くの不運な沖縄人も殺された」
  ――第14章 惨禍の沖縄戦

【どんな本?】

 合衆国の海軍史家イアン・トールが太平洋戦争を描く、歴史戦争ノンフクション三部作の最終章。

 米国における第二次世界大戦は、欧州戦線の、それも陸軍を主体として描く作品が多い。対してこの作品は、太平洋戦争を両国の海軍を主体に描くのが特徴である。歴史家の作品だけに、日米両国の資料を丹念に漁りつつも、戦場の描写は日米双方の様子をリアルタイムで見ているような迫力で描き切る。

 最終巻となるこの巻では、戦時中の合衆国市民の暮らしと世論の変化で幕を開け、マッカーサー念願のルソン島侵攻&マニラ奪回、日米双方が多大な犠牲を出した硫黄島と沖縄の上陸戦、そして広島と長崎の悲劇を経て終戦へと向かう。

 レイテ沖の海戦で日本の海軍は壊滅状態となった。ルソン上陸を果たしたマッカーサーは陸戦兵力をマニラへと急がせるが、日本軍は雑多な住民もろとも都市内に立てこもり、徹底抗戦の姿勢を崩さない。マッカーサーが航空戦力の支援を断ったため、マニラ占領は都市戦の混沌へと突き進む。追い詰められた日本軍は…

 徴兵だけでなく戦時特需が生みだす米国の市民生活・文化の変化、 圧倒的な火力と航空戦力にも関わらず多大な犠牲を出す硫黄島と沖縄の陸戦、 敗戦の現実を受け入れられない日本の権力機構の欠陥、 日本本土占領を目指した幻のオリンピック作戦、 そして戦後の人々の暮らしと心境の移り変わりなど、 豊富な取材と資料を元に多様な視点で太平洋戦争を描く、重量級の戦争ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Twilight of the Gods : War in the Western Pacific 1944-1945, bg Ian W. Toll, 2020。日本語版は2022年3月25日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで上下巻、本文約353頁+530頁=883頁に加え、訳者解説「壮大な交響曲の締めくくりにふさわしい最終章」10頁。9ポイント45字×20行×(340頁+345頁)=約794,700字、400字詰め原稿用紙で約1987枚。文庫本なら4巻でも言いい大容量。

 文章は比較的にこなれている。内容も軍事物にしてはとっつきやすい方だろう。加えて当時の軍用機に詳しければ、更によし。敢えて言えば、1海里=約1.85km、1ノット=1海里/時間=1.85km/hと覚えておくといい。

 日本側の航空機名・地名・作戦名など、原書では間違っていたり、日米で異なる名で呼んでる名称を、訳者が本文中で補足しているのは嬉しい。ただ索引がないのはつらい。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  •  上巻
  • 序章 政治の季節
  • 第1章 台湾かルソンか
  • 第2章 レイテ攻撃への道
  • 第3章 地獄のペリリュー攻防戦
  • 第4章 大和魂という「戦略」
  • 第5章 レイテの戦いの幕開け
  • 第6章 ハルゼーの誤算、栗田の失敗
  • 第7章 海と空から本土に迫る
  • 第8章 死闘のレイテ島
  •  ソースノート
  •  下巻
  • 第9章 銃後のアメリカ
  • 第10章 マニラ奪回の悲劇
  • 第11章 硫黄島攻略の代償
  • 第12章 東京大空襲の必然
  • 第13章 大和の撃沈、FDRの死
  • 第14章 惨禍の沖縄戦
  • 第15章 近づく終わり
  • 第16章 戦局必ずしも好転せず
  • 終章 太平洋の試練
  • 著者の覚書と謝辞/ソースノート/参考文献/訳者解説

【感想は?】

 「太平洋の試練 ガダルカナルからサイパン陥落まで 下」では、帝国陸海軍のパイロット養成制度のお粗末さに触れていた。少数の精鋭を育てるならともかく、多くの新兵を補充できる制度ではなかった、と。対して合衆国は…

(米国)海軍は<金の翼章>を1941年には新米搭乗員3,112名に、1942年には10,869名に、1943年には20,842名に、1944年には21,067名に授与した。この驚異的な拡大は、訓練水準を落とすことなく達成された。(略)
1944年の新米たちは、平均して600時間の飛行時間を体験して第一線飛行隊に到着した。そのうち200時間は彼らが割り当てられる実用機で飛行したものだった。
  ――第9章 銃後のアメリカ

 そのために必要な航空機や航空燃料そして飛行場の建設といったハードウェアや社会・産業基盤の差は、もちろんあるだろう。また、リチャード・バックの「飛べ、銀色の空へ」や「翼の贈物」に見られる、航空文化みたいなのも、日本にはない。

 が、それ以上に、この国には人を教え育てる能力が欠けている。それこそ旧ソ連の赤軍のように、ヒトは田んぼでとれるとでも思ってるんじゃなかろか。政府も軍も民間も、とにかくヒトの扱いが粗末なんだよなあ。

 もっとも、それ以前の根本的な問題として、組織や制度を作るのが下手だってのもある。これは「終章 太平洋の試練」で指摘しているが、大日本帝国の制度には、根本的な欠陥があったのだ。

 さて、それは置いて。シリーズの終幕を飾るこの巻では、海戦ばかりでなく陸戦も多くなる。それも、広い平野での決戦ではなく、島への上陸・占領作戦だ。まずはマニラ大虐殺(→Wikipedia)で、日本人読者の心に錆びた釘を打ち込んでくる。

マニラの戦いで罪のない人間が何人死んだかは誰にも分らないが、膨大な数であることはまちがいない――だぶん10万人以上だろう。
  ――第10章 マニラ奪回の悲劇

 ここで描かれる帝国陸海軍将兵の狂態は、統率を失った軍がどうなるかを嫌というほど読者に見せつける。東部戦線では独ソ双方が、半ば組織的に蛮行に及んだ。焦土作戦のためだ。だが、ここでの帝国陸海軍の蛮行は、少なくとも戦略・戦術的には何の意味もない。単に自暴自棄になった凶悪犯が暴れている、それだけだ。

 日本では情けないほど知られていない虐殺だが、著者はこう皮肉っている。

 日本の右派の反動的なひと握りの神話作者をのぞけば、世界中の誰からも称賛されていない。

 激戦の悲劇として名高い硫黄島の戦いや、やはり双方が多大な犠牲を払った沖縄戦では、上巻のペリリューの戦いと同様、いかに火力と航空戦力が優れていようとも、地形を活かし丹念に要塞化した陣の攻略が、どれほど難しいかを痛感させられる。

 硫黄島を得た米軍は、B-29による日本本土への空襲に本腰を入れる。原則としてB-29の発着はサイパンとテニアンなんだが、硫黄島には二つの意味があった。一つは緊急時にB-29が着陸できること。もう一つは、護衛のヘルキャットが発着できること。焼夷弾も開発した米軍は、東京や名古屋など都市部への空襲を本格化させてゆく。

もしいちばん多い死亡者数の推定が正しければ、東京空襲は、広島と長崎を合わせたより多くの人々を(当初は)殺していたかもしれない。
  ――第12章 東京大空襲の必然

 ところで「B-29日本爆撃30回の実録」では、東京を襲うB-29の飛行コースを高空から低空に変えた。それって危なくなるだけじゃないの? と思っていたが、ちゃんと理由があったのだ。

 まず、燃料を節約できる。ジェット気流に晒されないし、上昇時の燃料も使わずに済む。また、爆弾からナパーム弾に変えたので、より広い範囲を攻撃でき、精度が悪くても問題なくなる。加えて時刻を夜にしたので、日本軍の迎撃も減るはず。なら迎撃用の50口径機関銃と弾薬も要らないよね。ということで、爆弾や焼夷弾の搭載量が4トン→6~8トンに増やせた。

 ちなみに下町を狙ったのは、よく燃えるから。わかるんだが、どうせなら大本営のある市ヶ谷か、権力者や金持ちが住む山の手の方が戦意をくじくのに効果がああったんじゃなかろか。

 また、ここでは、サイパンやテニアンをあっという間に航空基地に作り変える土木力と、それを維持する兵站力に舌を巻いた。必要なモノを必要な時に必要な所に届けるには、パワーだけじゃ足りない。先を見通す計画性や、時と場合に応じ計画を変える柔軟にも大切だ。モノゴトをシステム化し、かつソレを状況に応じて変える能力が凄いんだ、米国は。

 ってな時に、日本が計画したのが大和特攻である。「海上護衛戦」で大井篤海軍大佐が怒り狂ったアレだ。著者も、これを徹底してコキおろしている。

大和と九隻の護衛艦の士官と乗組員たちは、幻想を抱いていなかった。彼らの任務は海上バンザイ突撃だった。実際の戦術目的には役立たない。無益な自殺行為の突進である。
  ――第13章 大和の撃沈、FDRの死

 戦略上の利害ではなく、エエカッコしいの感情で作戦を決めているのだ。もっとも、戦意を失いつつある国民への政治宣伝って政略はあるのかもしれない。でも、それにしたって、時間稼ぎにはなっても傷を深めるだけなんだよなあ。

 そんな日本に対する諸国の目は、というと。

ポツダム会談は主として、同年のヤルタ会談で未解決だったヨーロッパの問題をあつかうことになっていた。(略)日本にたいする最後の攻勢と、戦後のアジアに広まることになる取り決めは、主要な会議の議題の合間に、おもに主導者たちのあいだの非公式な集まりでのみ、取扱われた。
  ――第15章 近づく終わり

 もう、ほとんどオマケ扱い。当時の世界情勢だと、日本の地位なんてそんなモンだったんだろう。今でも太平洋戦線は軽く見られてる気配があって、だからこそ著者もこの作品を書いたんだろうけど。もっとも、自分の影響力を過大評価する傾向ってのは、どんな人や国にも多かれ少なかれあるんだけど。

 まあいい。残念なことに、当時の日本の権力者たちは、そういう世界情勢を分かってなかった。原爆が炸裂しソ連が満州を蹂躙している時にさえ、こんな事を言ってる。

強硬派(阿南惟幾陸相,梅津美治郎参謀総長,豊田副武軍令部総長)はさらに三つの条件をあくまで要求した。
まず第一に、日本本土は外国に占領されないこと。
第二に、外地の日本軍部隊は自分たちの将校の指揮下で撤退、武装解除すること。
そして第三に、日本は自分たちで戦争犯罪人の訴追手続きを行うこと。
  ――第16章 戦局必ずしも好転せず

 米国は日本を徹底的に改造するつもりだし、その能力もあるんだってのが、全く分かってない。

 往々にして組織のなかで地位を得るには、ある種の楽観性というか、強気でモノゴトを進める性格の方が有利だったりする。とはいえ、それが行き過ぎると、組織そのものの性格がヤバくなってしまう。当時の帝国陸海軍は、その末期症状だったんじゃないか。

 いずれにせよ、著者が下す太平洋戦争への評価は、みもふたもないものだ。

太平洋戦争は東京の政治上の失敗の産物だった――壊滅的規模の失敗、どんな政府、どんな国家の歴史においても屈指のひどい失敗の。
  ――終章 太平洋の試練

 そして、その原因についても、実に手厳しい。これはシリーズ冒頭の「真珠湾からミッドウェイまで 上」でも詳しく書いている。

何十年にもわたって、海軍は計画立案の目的でアメリカを<仮想敵国>と指定してきた――アメリカと実際に戦いたいとか、戦うことを予期していたからではなく、そのシナリオが予算交渉において目的を達成するための手段となったからである。
  ――終章 太平洋の試練

 もっとも、そんな風にコキおろしているのは上層部だけで、例えば硫黄島を要塞化した栗林忠道陸軍中将や、沖縄であくまでも籠城戦を主張した八原博通陸軍大佐には、その戦術眼に好意的な記述が多い。また、米軍についても、マッカーサーやハルゼーなどの自己顕示欲旺盛な将官には厳しく、理知的なスプルーアンスには好意的だったりと、好みが伺えるのもご愛敬。

 六巻もの長大なシリーズは、書籍としても充分すぎるボリュームだろう。にもかかわらず、「私は太平洋戦争について何もわかっていなかったし、今もわかっていない」と思い知らされる、そんなシリーズだった。

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