リチャード・J・サミュエルズ「特務 日本のインテリジェンス・コミュニティの歴史」日本経済新聞出版 小谷賢訳
共産党が拉致問題をはじめて国会に持ち出したのだった
――第4章 失敗の手直し 1991~2001「我々が集める情報は、即時に分析できる量をはるかに超えてしまっている」
――第6章 インテリジェンス・コミュニティの再構築 2013年以降
【どんな本?】
米国にはNSAやCIAやFBIが、イギリスにはMI5やMI6が、ロシアにはFSBやGRUがある。たいていの国は独自の情報機関を持つ。
日本も複数の情報機関がある。最も有名なのは警察の公安だろう。防衛省にも情報本部があり、内閣直属の内閣情報調査室もある。
日本が近代的な国家の体制を整えたのは明治維新以降だ。以来、日本にはどんな情報機関があり、どう運用してきたのか。太平洋戦争の敗北に伴う軍や特高の解体から、どのように再建してきたのか。現代日本はどんな情報機関を持ち、どの官庁が監督し、どのような役割を担っているのか。日本の情報機関にはどんな特徴があり、どんな関係を政権と築いてきたのか。
MITで政治学部部長を務め、MIT-日本プログラム署長でもある著者が、実態の捉えにくい日本のインテリジェンスについて、21世紀の情勢も含めて詳しく語る、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Special Duty : A History of the Japanese Intelligence Community, by Richard J. Samuels, 2019。日本語版は2020年12月18日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約402頁に加え、訳者解題6頁。9.5ポイント45字×18行×402頁=約325,620字、400字詰め原稿用紙で約815枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。
文章はいささか硬い。また語り口も外交官や政治家っぽく、遠回しな言い方が多いため、意味を掴むのに苦労する。学者の文章と役人の文章の悪い所を合わせた感じだ。訳文も学者の文章で、原文に忠実っぽい。つまりは覚悟して挑もう。
【構成は?】
原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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- 序
- 第1章 インテリジェンスの推進
推進力/失敗/6つの要素
- 第2章 特務の拡張 1895~1945年
始まり/総力戦への道における軍事インテリジェンス/技術的向上/太平洋を越えたヒュミント/日本の戦時インテリジェンス/スパイ技術を整える/衰退するインテリジェンス/サイロ(縦割り)/最後の要素
- 第3章 敗北への適応 1945~1991年
日本の戦後初期のインテリジェンス・コミュニティの弾力性/ご主人様の声?/ウィロビー狂からの回復/非生産的な冷戦期インテリジェンス・コミュニティの設立/冷戦期の軍事インテリジェンス/防諜/ムサシ機関/技術的失敗と成功/制服の仕組み/監視
- 第4章 失敗の手直し 1991~2001
政治のリーダーシップ/勝者と敗者/顕著な失敗と顕著な改革/軍事インテリジェンス/さらなる失敗/拉致にまつわる政治
- 第5章 可能性の再考 2001~2013年
推進力/一連の提案/ゆっくりと進化する冷戦後のインテリジェンス・コミュニティ/軍事インテリジェンス/「意思の疎通が欠けていたようだ」
- 第6章 インテリジェンス・コミュニティの再構築 2013年以降
インテリジェンス改革の核心/王者に安眠なし
- 第7章 日本のインテリジェンスの過去と未来
拡張の時期 1895~1945年/適応の時期 1945~1991年/手直しの時期 1991~2001年/再考の時期 2001~2013年/再構築の時期 2013年以降/これまでに得られた教訓/前に進み、将来に備える - 謝辞/訳者解題/原註/参考文献
【感想は?】
本書のウリは、新鮮さだ。
なんたって、21世紀以降の日本の情勢について、実に詳しく、かつ分かりやすく書いてあるのだ。だから、歴史書というよりニュース解説に近い。実態の掴みにくいインテリジェンス組織について、よくぞここまで調べたものだ、と思う。
もっとも、その「わかりやすさ」の原因の一つは、背景事情を過不足なく解説しているためでもある。一つは「インテリジェンスとは何か」といった、この世界の基礎的な知識/常識であり、もう一つは明治維新以降の歴史的背景、つまり日本独自の事情だ。
例えばインテリジェンスの基礎/常識については、こんな感じでサラリと語ってゆく。
本書ではそのような6つの要素を時代と共に確認して考察していく。すなわち、収集、分析、伝達、保全、秘密工作、監視である。
――序
世界の情勢、特に第二次世界大戦以降の米国中心のインテリジェンスの情勢についても、こんな感じだ。
1945年9月にトルーマン大統領によって許可された。これはカナダ、イギリス、オーストラリア、アメリカ、ニュージーランドからなる世界的なシギント網(略)公式には味気なくUKUSA協定として、また非公式には「ファイブ・アイズ」として知られている。この協定は後に政府間の秘密協定として正式なものとなり、共有される暗号コードや分類方法をつくり出した。
――第1章 インテリジェンスの推進
さて、日本独自の話だが、これが実に情けない話が多い。とまれ、これはインテリジェンスの宿命で、巧くいってる時には目立たず、失敗した際にはやたらと目立つモンなのだ。そもそもが密かに仕事するのが役目だし。
ってのは置いて。特に大日本帝国の時代には、ロクなインテリジェンス機関がなかったのだ。お陰で大陸浪人に鼻面を引き釣り回されたり。ただ、仮に優秀な機関があっても、活かせなかっただろうことは、太平洋戦争を始めたことでもわかる。
1941年にはまさにこの参謀本部が、国策に合わないインテリジェンスの見積りは参謀総長がその分析に反論の余地を見出せない場合ですら燃やすよう指示したのである。
――第2章 特務の拡張 1895~1945年
事実に基づいて政策を立てるんじゃない。まず政策があって、それを正当化するネタを求めたのだ。これじゃ、どんな優秀なインテリジェンス機関があっても無意味だったろう。
これに続く、戦後のGHQ指導下による復興編も、陸軍中野学校教官の小俣洋三や陸軍情報部長の有末精三らの暗躍など、ドロドロした内情を白日の下に晒していて、戦後のドタバタが好きな人にはたまらん話が多いのだが、本書の中ではあくまで前菜に過ぎない。
戦後は冷戦に突入したのもあり、米国も日本にインテリジェンスが必要だと考え始める。ここで戦後日本のインテリジェンスの大きな特徴の一つが出てくる。米国べったりな点だ。本書では「服従」なんて刺激的な言葉すら使っている。「CIA秘録」でも、自民党の岸信介などに選挙資金を渡していたとあるし、そういう事なんだろう。
もう一つの特徴は、国民が軍事にアレルギーを示す点だ。そのため、自民党の政権もインテリジェンスの改革や強化に不熱心で、少なくとも表立って推進しようとはしない。まあ、やろうとしても、三つ目の特徴で暗礁に乗り上げるんだが、その前に。
「こりゃ国民の支持を得られなくても当然だよね」と思う事件が起きる。ソ連のベレンコ中尉がMiG-25に乗って亡命してきたんだが、自衛隊は海上で機体を発見できなかったのだ。この事件は政府や他の役所の対応も酷いもので…
蔓延した無能ぶりの証拠を隠そうとして、政府は自衛隊にMiG-25事件(→Wikipedia)関係の書類すべてを廃棄するよう命じた。
――第3章 敗北への適応 1945~1991年
そういう事をするから国民も政府を信用しないんだぞ。
とはいえ、このヘマがルックダウン能力(→Wikipedia)の強化に繋がったりする。やはりヘマが強化に繋がったのが、北朝鮮のテポドン事件。
テポドン事件が日本のインテリジェンス・システムの向上――今回は画像収集能力――への切実な理由をもたらした
――第4章 失敗の手直し 1991~2001
民間企業だとヘマした部署は潰されたりするんだが、インテリジェンスの場合はヘマが予算と人員の強化に繋がったりする、と本書は何回も繰り返す。言われてみれば確かにそうだ。それはそれとして。
そんな事をしてるためか、米国ベッタリでありながら、決して対等のパートナーじゃないのが悲しいところ。著者が所在した元当事者たちも、憤ってる人が多い。いわゆるファイブ・アイズでも三軍扱いだし。
アメリカは60ヵ国以上と正式なインテリジェンス共有協定を結んでいたのに日本とは2007年になるまで結んでいなかった。
――第5章 可能性の再考 2001~2013年
まあ、これは法的な問題もあって、やはり日本は本当にスパイ天国だったらしい。いわゆる「スパイ防止法」がないため、機密がダダ漏れだった、と。この辺については様々な意見があるだろうが、著者はインテリジェンスの充実を訴える立場だし。
先のMIG-25事件のヘマの原因の一つが、三つ目の特徴である、各機関どうしの縄張り争い。本書は組織図まで乗っていて、これが実に参考になる。省庁としては、外務省・防衛省・警察庁・公安調査庁がメジャーなところ。米でも911まではFBIとCIAがにらみ合ってたし、この手の組織の宿命ではあるんだが、日本は特に酷いらしい。
これを解決しようとしたのが、NSC(→Wikipedia)とNSS(国家安全保障局、→内閣官房)。
NSSはかつて各省庁の奥深くに保管されていた秘密情報を、首相報告のために集約するという権限を割り当てられたのである。
――第6章 インテリジェンス・コミュニティの再構築 2013年以降
これで、外務省と防衛省の関係は多少良くなった。が、警察庁が仕切る内閣情報調査室は相変わらず。なお、経産省の縄張りであるジェトロ(日本貿易振興機構、→Wikipedia)を著者は高く評価してるようだが、ジェトロ側はインテリジェンス扱いされるのを迷惑がっている様子。昨今のニンジャ・ブームで変に誤解されて苦労したんだろうか。あと、厚労省の麻薬取締部(→Wikipedia)は出てこなかったなあ。
意外と歴史的経緯はアッサリで、あくまでも背景説明の感がある。本番は21世紀に入ってからで、情報を掴むのが難しいインテリジェンスの世界で、よくぞここまで調べたと感服するぐらい、生々しく迫力あるネタが続く。歴史というより、日本の現在のインテリジェンスを語る本だと思っていい。ワイドショウ感覚で読んでも楽しめるだろう。
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