ジョディ・ローゼン「自転車 人類を変えた発明の200年」左右社 東辻賢治郎訳
この本がお届けするのは自転車への愛と憎しみの物語だ。
――序章 自転車の惑星はじめて(自転車に)乗れたときはすばらしい気分だった。自由で、一人前になったようななんともいえない感覚があった。
――第11章 アメリカの海がら海まで
【どんな本?】
人は自転車に乗る。ママチャリで買い物に。ロードバイクで遠乗りに。マウンテンバイクで野山を駆け巡る。若者はUberEatsで稼ぎ、幼児はキックバイクで自転車の乗り方を学ぶ。私たちにとって、自転車は便利な道具であり、ちょっとした気晴らしでもある。
と同時に、自転車は社会問題の種でもあり、社会運動の象徴でもあり、社会階層を露わにするレンズでもある。1933年に権力を得たヒトラーは、さっそくドイツ自転車連盟を解体した。
そのくせベルリン防衛戦じゃ対戦車ロケットをくくりつけた自転車に少年兵を載せてT-34戦車と戦わせてる。
カール・フォン・ドライス(→Wikipedia)が1817年にラウフマシーネ(ドライジーネ、→Wikipedia)をお披露目してから約200年たった。その歴史で自転車は人々に刺激を与え、社会を揺るがし、そして今も様々なメッセージを象徴している。
米国のジャーナリストが、ヒトと自転車、社会と自転車の関わりを通して歴史を見直し、また現代社会の姿を浮き彫りにする、少し変わったルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Two Wheels Good: The History and Mystery of the Bicycle, Jody Rosen, 2022。日本語版は2025年1月20日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約417頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント44字×18行×417頁=約330,264字、400字詰め原稿用紙で約826枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらいの文字量。
文章はこなれている。内容も難しくないが、単位がマイルだったりする。1マイルは約1.6km。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- プロローグ 月の世界へ
- 序章 自転車の惑星
- 第1章 自転車の窓
- 第2章 洒落者の馬
- 第3章 自転車というアート
- 第4章 もの言わぬ駿馬
- 第5章 自転車狂時代 1890年代
- 第6章 バランスの妙技
- 第7章 脚のあいだの悦楽
- 第8章 凍てつく大地
- 第9章 山間の王国
- 第10章 停まったまま全速力で
- 第11章 アメリカの海がら海まで
- 第12章 荷を負う動物
- 第13章 ぼくの自転車遍歴
- 第14章 墓場
- 第15章 大衆運動
- 謝辞/訳者あとがき/索引/原註
【感想は?】
私にとって自転車は便利な道具であり、旅の友でもあった。昔はランドナーで遠乗りに行った。だが、社会的な意味までは気が回らなかった。自転車のメッセージ性にまで踏み込んでいるのが本書の特徴だろう。
お約束どおり、まずは始祖カール・フォン・ドライスから物語は始まる。
(カール・フォン・)ドライス(→Wikipedia)にとってラウフマシーネ(→Wikipedia)は「ものごとの利便をはかるもの」「加速する機械」、つまり人間が本来備えている移動能力を増幅する装置だった。
――第1章 自転車の窓
機構は今のキックバイクに似ている。ただしハンドルは回らないしブレーキもペダルもない。足で地面を蹴って進むのだ。それでも「10キロほどを1時間弱で移動してみせた」。ヒトは歩きだと時速約4kmだから、相当な速さだ。
地元ドイツじゃキワモノ扱いされたが、イギリスでは貴族や富裕層にウケてパクリ品が多く出回る。のはいいが、乗り手の傍若無人な振る舞いが、馬車との軋轢もあって顰蹙を買う。今でいう珍走団だね。
1819年のうちに、ロンドンではヴェロシペード(→Wikipedia)に乗ることが禁止されたのだ。さらにイギリス各地をはじめ、(略)ミラノ、ニューヨーク、フィラデルフィアといった場所でも禁止令を出された。
――第2章 洒落者の馬
やがて馬鹿でかい前輪のペニー・ファージング(→Wikipedia)も出てくるんだが、ヤバさは更に増してる。なにせコケたら大怪我は確実だ。
そこに登場したのが安全自転車(→Wikipedia)。最大の工夫はペダルの回転をチェーンで後輪に伝えたこと。これでグッと安全になり…
チェーンによる駆動のメカニズムは自転車を大いに民主化するものだった。
――第3章 自転車というアート
それまで豊かで無謀な若い男の玩具だった自転車が、万民に受け入れられるようになる。また、もう一つ重要な工夫がある。
自転車にとって大事なもうひとつの形は三角形だ。
――第3章 自転車というアート
自転車には二つの三角形がある。いわゆるダイヤモンドフレームだ。一つはハンドルの下・サドルの下・ペダルの中心を結ぶもの、もう一つはサドルの下・ペダルの中心・後輪の中心を結ぶもの。工業デザイナーや建築家は三角形が大好きだ。だって頑丈だし。もっとも最近のママチャリとかはハンドルの下とサドルの下を結ぶチューブがなかったりするけど、これは素材の進歩ゆえだろう。お陰で三角乗りは伝説に←どうでもいい
先に馬車との軋轢に触れた。やはり自転車は馬と比べられる存在で、これは騎兵を用いる軍も注目する。
自転車の最大の軍事的利点はその隠密性だった。
――第4章 もの言わぬ駿馬
まぐさが要らないのも嬉しいが、まず重宝されたのが静けさ。だって馬はいななくし蹄の音がするし。ってなワケで…
フランス軍は1870年から翌年にかけての独仏戦争で偵察目的の自転車を出動させたのだ。1881年代になると、ヨーロッパの列強ではどの国の軍隊にも自転車舞台が配備されていた。
――第4章 もの言わぬ駿馬
なお20世紀後半になってもベトナム戦争じゃ北ベトナム軍がビルマルートの補給で自転車を活用しました。
太平洋戦争でも帝国陸軍の銀輪部隊が話題になったし、フィンランド軍も冬戦争・継続戦争で自転車部隊がスキー部隊と共に活躍してる(→「フィンランド軍入門」)。
などと世間に広まった自転車だが、その分、社会との軋轢も増えた。特に19世紀終盤では、自転車が「新しい女」の象徴となり、伝統主義者から大声で非難を浴びる。そうか、自転車は女性解放運動とも関係があったのか。「ママチャリ」なんて言葉を知ったら、彼/彼女らは、どう思うんだろう?
1895年『ジャーナル・アンド・トリビューン』テネシー州ノックスヴィル
「自転車狂いのせいだ」(略)「二人とも自転車を欲しがり、その次はブルマー、しまいには丸きり男の格好をするようになってしまった」
――第5章 自転車狂時代 1890年代1894年『シカゴ・トリビューン』イリノイ州シカゴ
問題は、自転車乗りから「新しい女」が生まれるのか、それとも、「新しい女」から自転車乗りが生まれるのか、ということであろう。
――第5章 自転車狂時代 1890年代
などの歴史を経て、時代は現代へと移る。その最初に登場するのは、曲乗りのダニー・マカスキル。
『チェーンスポッティング』のストリート・トライアル(略)ビデオに登場するライダーたちは公園のベンチを跳びこえ、貯水タンクの上に乗り、道路の車止めの上でバランスを取り、車止めの柱から柱へとジャンプし、三メートルの塀から一回転しながら飛び降りる。
――第6章 バランスの妙技
自転車版ヤマカシとでもいうか、これは説明するより動画を見てもらう方が早い。
GoPro: Danny MacAskill - Cascadia
高所恐怖症の人にはいささかキツい映像だ。なお、ダニー・マカスキルのYoutubeの公式チャンネルはこちら。
とんでもねー真似をする人だが、ホンモノの変態も世の中にはいたり。
シンプルに自転車をファックしたい人びとがいるのである。
――第7章 脚のあいだの悦楽
まあ、この辺を詳しく知りたい人は本書を読んでください。
そんな自転車も、苦手な季節がある。それは冬。いや寒いのはいいのだ。困るのは、雪と凍結した道。
冬の自転車乗りの敵は低い気温ではなく路面の悪さである。
――第8章 凍てつく大地
四輪の自動車だって滑るのだ。二輪の自転車じゃお察し。だが、これを逆手に取る者もいる。
かたく締まった氷と雪の斜面では、倒れさえしなければものすごい速度で駆け下りることができる。
――第8章 凍てつく大地
ということで、速度の限界に挑戦したのが、エリック・バローヌ。
2017年、56歳のときにバローヌは世界有数の高速スキーコースとして知られるフレンチ・アルプスのヴァルにあるシャブリエール・スロープをマウンテンバイクで下り、自分の世界記録を更新した。最高速度はなんと時速227.7キロだ。
――第8章 凍てつく大地
(OFFICIAL) Eric Barone - 227,720 km/h (141.498 mph) - Mountain Bike World Speed Record - 2017
自転車というよりオートバイみたいなゴツい車体に、バローヌも宇宙服みたいなのを着て宇宙人みたいなヘルメットをかぶり、雪の急斜面を駆け下りるのである。
ツール・ド・フランスが有名なように、西欧では自転車レースの人気が高く、また選手もヒーロー扱いだ。だが、アジアでも意外なところで自転車で振興を企てる国があった。
ブータンには自転車で山を駆け回る王様がいる。
――第9章 山間の王国
ヒマラヤの麓で坂ばっかりの土地だ。自転車には向かないと思うのだが…
元ブータン首相ツェリン・トブゲ「ブータンの土地は自転車向きです」「ぜんぶ真っ平だったら楽しみもないでしょう」「ブータンの風景には、上り坂もあれば下り坂もあります。上りがあるところには必ず下りがある。どちらも必要です。そしてどちらも楽しい」
――第9章 山間の王国
そういう考え方もあるのか。
Tour of the Dragon, Bhutan: The World's Toughest One-Day Mountain-Biking Race
この国では、ツアー・オブ・ザ・ドラゴンなんていう過酷な自転車レースまである。標高1200mから3340m、約268kmのコースを1日で走り抜けるのだ。
とまれ、チベット系住民虐待などの暗黒面にも触れているあたりは、さすがジャーナリスト。
などと野山を駆け回る人もいれば、室内でペダルを回す人も。納屋や押し入れの定番、エクササイズ用バイクだ。いかにも退屈そうなシロモノだが、それだけに…
ジョナサン・ゴールドバーグ「スピニング・プログラムとは――大宇宙に自らを捧げることであり、精神を解き放ち、心の扉を開いて、ひとりひとりの指標をつくりだすことなのです」
――第10章 停まったまま全速力で
なんて意味不明な理屈を並べて人気を集める人も。フィットネス業界ってのは、ニューエイジっぽいのと相性がいいんだろう。
かと思えば、自転車で北米横断なんてツアーもある。本書が取り上げたのは1976年のアメリカ独立宣言二百周年記念にあわせで行われた、バイクセンテニアル。小さな町を通りオレゴン州からバージニア州まで6,800kmを、自転車の集団で駆け抜けよう、というイベント。なんと参加者は4065人。うち…
アメリカ横断をやりとげた最高齢の参加者は67歳、最年少は二人の9歳児だった。
――第11章 アメリカの海がら海まで
今は Google で「アメリカ横断 自転車 ルート」と訊ねると AI が親切に教えてくれたり。
そんな「人生を楽しむ」目的で自転車に乗る人もいれば、生きていくために自転車を漕ぐ人もいる。次に登場するのは、バングラデシュの首都ダッカのリクシャワラーで一家を養うモハメド・アブル・バドシャー。リクシャとは自転車の後ろに二輪馬車みたいのを繋いだような、三輪の人力タクシーで、リクシャワラーはリクシャの運転手。
バドシャーは金曜日以外の毎日、朝の十時から晩の八時までリクシャを漕ぐ。平均して15回から20回くらい客を運び、約400バングラデシュ・タカ、およそ5ドルを稼ぐ。
――第12章 荷を負う動物
ちなみにリクシャの語源は日本の人力車らしい。漕ぐ者と乗客の格差を否応なしに実感させる乗り物だが、あの辺の観光旅行では必須の乗り物でもある。リクシャの装飾に凝るのは、あの辺の人らしいなあ。「広告を載せれば」と思ってしまうのは、私がさもしいからか?
なお舞台はインドのデリーだが、リクシャワラーを主人公とした本「歓喜の街カルカッタ」と、それを原作とした映画「シティ・オブ・ジョイ」もあります。こっちのリクシャは自転車じゃなく人が走って曳く、モロに人力車だけど。
さて、西欧では自転車の地位はソレナリにあるが、米国での自転車の地位は低い。特に都市部では。なにせ自動車の国だし。だもんで…
ニューヨークでは毎年何千人という自転車乗りが自動車によって負傷しているが、自動車のドライバーが法的な責任を問われることは稀だ。
――第13章 ぼくの自転車遍歴
なんて恐ろしい話も。そういやクイックシルバーなんて映画もあったなあ。日本の自転車の地位は…西欧と米国の中間ぐらい、だろうか。放置自転車が問題になるくらい、自転車に乗る人が多いから、政府も自転車をおろそかにできないんだろう。
放置自転車は西欧でも大きな問題らしく、特に運河や川に捨てられる自転車も多い。沈んだ自転車に船がひっかかる、なんて事も。
(アムステルダムの運河で)年間に(略)引き上げる自転車は一万五千台におよぶ。
――第14章 墓場
こういう、廃棄/放置自転車は、レンタサイクル事業が上手くいかない原因の一つでもある。ダイチャリはうまくいって欲しいなあ。
などと政治的な乗り物でもある自転車だが、この半世紀ほどで自転車政策を二転三転させた国もある。中国だ。
(1989年6月4日)天安門の抗議者は自転車に乗る人びとの群れだった。
――第15章 大衆運動
かつての中国は、自転車大国だった。事件以前の天安門広場は、大量の自転車が行きかっていた。国を挙げて自転車を作っていたし、人民にとっても自転車は大切な財産だった。
だが、改革開放政策が軌道に乗り自動車が普及すると、風向きが変わる。
上海は2000年代初頭に、交通量の多い都心の一部で自転車を全面的に禁止した。
――第15章 大衆運動
米国の都市部と同様に、自転車は邪魔者扱いされるようになったのだ。もっとも、今は逆に高級自転車がソコソコ出回っているみたいだけど。
などと抑圧された歴史を持つ自転車に、意外な追い風が。
アメリカでロックダウンが始まった2020年3月から翌年の4月までに、アメリカ国内の自転車の販売数は前年比で60%近く増加した。
――第15章 大衆運動
なんと、新型コロナの流行が、自転車の復活につながったのだ。みんな鬱屈してたんだろうなあ。
最近は日本でもピチピチなジャージを着ていかにも軽快そうな細いタイヤの高級自転車で走る集団をよく見かけるようになった。太いタイヤのランドナーやキャンピングは滅多に見ないけど。また電動アシスト自転車やダイチャリなどのレンタサイクルとか、自転車の選択肢が増えたのも嬉しい。だが、自転車の社会的側面は私も知らなかった。お薦めは…やっぱり、自転車が好きな人に、かな。
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