« ローレンス・フリードマン「戦略の世界史 戦争・政治・ビジネス 上・下」日本経済新聞出版社 貫井恵子訳 上 | トップページ | SFマガジン2026年4月号 »

2026年3月 5日 (木)

ローレンス・フリードマン「戦略の世界史 戦争・政治・ビジネス 上・下」日本経済新聞出版社 貫井恵子訳 下

(フィデル・)カストロは自身を、マルクス・レーニン主義者ではなく、リベラルであり、広範な反バティスタ連合の指導者だと見せかけていた。
  ――第25章 ブラック・パワーと白人の怒り

リー・アトウォーター(→英語版Wikipedia)「ポピュリストは反大きな政府、反大企業、反大規模労働組合で、メディアにも金持ちにも貧乏人にも敵意をいだいている」
  ――第27章 人種、宗教、選挙

ローレンス・フリードマン「戦略の世界史 戦争・政治・ビジネス 上・下」日本経済新聞出版社 貫井恵子訳 上 の続き。

【第3部 下からの戦略(続)】

 マルクスの理論を実現したはずのソ連はアレなわけで、社会学者たちは「なんかおかしくね?」と考え始める。そもそも階級とは何なのか、とか、支配側にも権力を保つ戦略があるだろう、とか。

 中でも私が頷いたのは、こんな説だ。

(ガエターノ・)モスカ(→Wikipedia)は大衆が「物質的な力や知的な力ではなく、道徳的原理に基づいて統治される」ことを好むと考えた。
  ――第22章 定式、神話、プロパガンダ

 物質的な力は、武力・暴力だろう。そして道徳的原理は愛国心や選択的夫婦別性かな? 現代の日本でも、道徳的な基準は選挙の争点になる。特に選択的夫婦別性や同性婚など民法関係は、賛否双方が実利的な理屈を語るけど、本音は双方ともに道徳的な感覚で意見を決めてるように思う。

 などの理論家に続き、実際に社会を変えた人々、それも特に非暴力を標榜した人が登場する。まずはインドの独立を勝ち取ったガンジー、続いて米国で公民権運動を繰り広げたキング牧師だ。

 この非暴力って戦略が基づいているのは、キレイゴトじゃない。案外としたたかな計算があるのだ。そこには…

問題にすべきは個人的な信念ではなく、行動によって敵対者の面目をつぶし、傍観者の同情を誘うことができるかどうかにあった。
  ――第23章 非暴力の力

 そう、傍観者…というか民意がキモで、相手を悪役に仕立てるのだ。マスコミが発達した20世紀以降ならではの戦略だね。なお、以降、激動の60年代を迎え、本書は米国に焦点を絞ってゆく。

 この非暴力主義を巧みに米国南部に応用したのがキング牧師。インドじゃインド人が多数派で、だから非暴力主義はインド全体を巻き込む潮流になりえた。しかし米国南部じゃ黒人は少数派だ。それでも戦術をアレンジし、キング牧師率いる黒人たちはパフォーマンス的な行動で世間の注目を集める。

非暴力直接行動の目的は交渉にあるが、それを実現するには「ずっと交渉を拒んできたコミュニティが問題を直視せざるをえなくなるように危機を作り出し、緊張を高める」ことが必要だ
  ――第23章 非暴力の力

 そのためには多くの人々を集めて組織化せにゃならんのだが、ここで威力を発揮したのが教会。

教会は地元で唯一、白人社会から独立した施設であり、資金提供も運営も黒人が行っていた。
  ――第23章 非暴力の力

 だからキング「牧師」なのか。納得。なお、米国南部じゃ白人と黒人は教会すら別々ってのを、私はロバート・マキャモンの小説「少年時代」で知った。傑作ですぜ。

 このような動きに伴い、社会学者や哲学者たちも政治との関係を見つめ直す。私はC・ライト・ミルズ(→Wikipedia)が印象に残った。

一個人の失業は個人的な問題に過ぎないが、人口の20%が失業者なら、それは構造的な問題であり、社会学が取り組むべき問題だ。
  ――第24章 実存主義的戦略

 今なら社会学者より経済学者の領分と言いたくなる。もっとも、米国や日本のような資本主義国なら経済学者だけど、イランやパレスチナじゃ政治学者の出番のような気も。

 それはともかく、学者の中には積極的に社会運動に関わる人も出てくる。中でも印象に残るのはソウル・アリンスキー(→Wikipedia)。シカゴの貧困地域の諸問題解決に向け、住民たちに積極的に働きかけつつ、苦い教訓を学び取るのだ。

政治意識をもった外部のオーガナイザー側と、権力を握るよう促されるコミュニティ側の見解がおのずから一致することはない
  ――第24章 実存主義的戦略

 インテリさんと教育のない貧乏人は、そうしたってスレ違っちゃうのだ。そして、困ったことに…

ソウル・アリンスキー「労働者と意思の疎通ができなければ、そしてわれわれと連携することを促さなければ、かれらは右翼に流れてしまう」
  ――第25章 ブラック・パワーと白人の怒り

 「チャヴ」にもあったけど、革新を唱える政治勢力は、労働者こそが支持基盤になるハズなのに、なぜかソッポを向かれてしまうのだ。日本でも、この前の衆議院選がそうだったよなあ。

 さて、革命にせよ社会運動にせよ選挙にせよ、いずれもキモは、いかに多くの人々から支持を得るか、だ。そこで社会学者や哲学者が注目したのが、今はやりの「ナラティブ」。この言葉、私は「物語」と解釈してる。

最終的には、どのような派に属するものであろうと、あらゆる政治的プロジェクトが独自のナラティブを求めるようになった。
  ――第26章 フレーム、パラダイム、ディスクール、ナラティブ

 今や政治どころか企業内のプレゼンテーションでも、物語というかストーリーというか、そういうのが重視されてたり。

 かような“戦略”の目で選挙を見ると、政治家とは異なった風景が見えてくる。重要なのは理屈で納得させることではなく、気持ちで好意を持たれることなのだ。この辺をよく心得てたのがヒトラーなんだよなあ。

(ドリュー・)ウェステン(→英語版Wikipedia)が最も訴えたかったのは、選挙が「基本的に争点をめぐる勝負ではなく、有権者の価値観や感情をめぐる勝負…」
  ――第27章 人種、宗教、選挙

 かくして選挙コンサルタントなんて商売も生まれてくる。これには、米国の社会構造も関係してて。

2011年の出版物に記された推計値によれば、きわめて地位の低いものも含めると、アメリカには選挙を必要とする公職のポストが50万超も存在し、四年ごとのサイクルで約100万回の選挙が行われている。
  ――第27章 人種、宗教、選挙

 米国はやたら選挙が多いのだ。例えば町の保安官とか州の判事とか。よって選挙コンサルタントの市場も大きく、多くの企業が成り立つわけ。

 とはいえ、大統領選とかの全国的で大規模な選挙だと、何かと難しい問題も出てくる。

全国的なキャンペーンにつきものの問題は、支持母体には熱烈に受け入れられうる主張が、穏健な見解を排除しかねないという点だ。
  ――第27章 人種、宗教、選挙

 かといって、あまり支持母体に媚を売ると、浮動票を逃がしたり。先の衆議院選挙でも元立憲民主党は、支持母体しか見えてなかった感があるんだけど、あなたどう思いますか。 でもドナルド・トランプは支持母体べったりで勝ったしなあ。

【第4部 上からの戦略】

 などと軍事・政治ときた“戦略”は、米国において経営や管理=マネジメントにも進出してくる。

 この章では、米国を舞台に、カッコイイ事を言うビジネス戦略家や経営コンサルタントと、その言葉に踊らされる経営者を戯画化して描くんだが、その前提は認識しておきたい。

1957年から産出されているスタンダート&プアーズ(S&P)500種株価指数の最初の構成企業のうち、30年後もその地位を維持していたのは47社だけだった。
  ――第33章 赤の女王と青い海

 米国の実業界は生存競争が激しいのだ。もっとも、この数字には二つの解釈がある。本書の論調は「453社が消えた」だが、「新たに453社が登場した」とも言える。だって1957年にはマイクロソフト社もアップル社もなかったし。

 さて、経営戦略の最初の例は、フレデリック・ウィンズロウ・テイラー(→Wikipedia)の「科学的管理法」だ。

テイラーは、計画と実施をきわめて厳格に区別した。計画する者は非常に賢くなければならないが、実施する者は頭が悪くてもかまわない。
  ――第28章 マネジメント階級の台頭

 例えば工場だと、ストップウォッチで労働者の作業というか動きにかかる時間を測り、より短時間で多くの仕事をこなせる手順を探るのだ。今でも大企業はやってると思う。ハーマン・ウォークが小説「ケイン号の叛乱」で「海軍とは天才が立案して愚者が実行する一大計画なのだ」と書いてたから、同じ思想を軍も採用したんだろうなあ。

 が、しかし、時代が進むにつれ、そういった思想は次第に廃れてゆく。

時代が進むにつれて、労働組合の力が強まり、また多くの仕事で専門性が求められるようになったことで、従順で厳格に管理された労働者を維持できる可能性は低下した。
  ――第28章 マネジメント階級の台頭

 小品目大量生産ならよかったけど、多品目少量生産じゃ労働者もオツムをつかわないとやってけない。品質を追求するなら腕っこきの職人も必要だし。つか労働者ったって製造業の工員ばっかじゃないし。

 もちろん、経営者も“戦略”を持つ。第29章では、T型フォードの安価な大量生産で革命を起こしたヘンリー・フォードと、多品目生産を保ったGMを対照して描く。

ヘンリー・フォード(→Wikipedia)「顧客は好きな色の車を買える。それが黒であるかぎりは」
  ――第29章 ビジネスのビジネス

 対してGMも方針は。

「すべての所得層の、あらゆる目的に応える」
  ――第29章 ビジネスのビジネス

 結果、当初は勢いのあったフォードだが、T型に拘り過ぎて次第に業績を落としてしまうのだ。

 もっとも、これには当時のフォード社とGM社の成り立ちと内情が関わってる。ヘンリー・フォードのワンマンで叩き上げ/成り上がりのフォード社は、T型一辺倒の思い切った戦略が取れた…というか、それしか取れる手がなかった。少なくとも最初は。対してGMは寄り合い所帯で、幅広いラインナップを揃えざるを得なかったのだ。

 とまれ、今も昔も米国でも日本でも、ビジネス書はそこそこ売れる。そこに“戦略”なる言葉を持ち込んだのが、ピーター・ドラッカー(→Wikipedia)。とまれ、最初は出版社も躊躇ったようだ。

1964年、経営者の意思決定に的を絞った著書の原稿を出版社に送る際、ドラッカーは『ビジネス戦略』(Business Strategy)というタイトルをつけた。出版社はこのタイトルが、企業側にいる潜在的な読者の強い関心を引き出すには物足りないと考えた。「戦略」という言葉は軍事用語で、(略)企業向けではないと考えられていた。
  ――第30章 経営戦略

 なんにしたって、パイオニアは苦労するんです。以降、様々なビジネス理論が出てくるんだけど…

中央集権化モデルにおいては、実践に際して判明した欠陥にくらべて、理論上の欠陥は少なかった。
  ――第30章 経営戦略

 えらく面倒くさい書き方してるなあ。つまり「理屈は完璧だけど実際はボロボロ」って事だね。つか「理論的には完璧な中央集権化」がコケるのはソ連が実証し…だけど、当時は鉄のカーテンがあって見えなかったか。

 やがてビジネス書も盛んに出版されるようになる。そこで人気だったのが…

取締役会にとっての教訓は、アレキサンダー大王やナポレオンといった人物の戦功から得ることができるという定番化した考え
  ――第31章 戦争としてのビジネス

 これも日米で共通してるね。モデルとなる人物こそ違うけど。でも宮本武蔵の五輪書が出てきたのには驚いたぞ。そういや日本じゃ他にも塚原卜伝や柳生宗矩や千葉周作や沖田総司など剣で名を上げた人は多いけど、外国じゃスパルタクスぐらいしか知らないなあ。私が無知なだけか?

 まあいい。そんないかにもウケ狙いの本ではなく、キチンとした学術的なシロモノの需要も出てくる。となれば、どの学問を土台にすりゃいいのか。

企業と市場の関係に関する問題に取り組んだのは、概して経済学だった。その流れから、経済学は組織構造の領域へと進出することになり、影響力を発揮したものの、大体において、まともな成果をあげられなかった。
  ――第31章 戦争としてのビジネス

 駄目じゃん。つか経済学って、だいぶ毛色が違くね? 共通点は主にカネを扱うって点ぐらいで。

 じゃ他に何があるか、というと…

組織を理解するうえでは、社会学のほうがはるかに有用だったが、組織とそれを取り巻く環境の関係を分析するための手段をほとんど提示することができなかった(そもそも社会学の領域内で関心が欠如していた)。
  ――第31章 戦争としてのビジネス

 改めて考えると、少なくとも現代じゃ企業は極めて普遍的な組織/社会構造なワケで、社会学者が最も関心を持っていいはずの研究対象なんだけど、なんか彼らの視野から外れてる気がする。いや知らんけど。

 その経済学者は、様々な理論を提唱する。うち幾つかは、とってもシンプルで分かりやすいモデルを提示して、そこそこウケるんだが…

洗練性と単純さが、その理論の「実践に際しての正当性を保障」するわけではない
  ――第32章 経済学の隆盛

 はい、やっぱり現実は理屈通りにゃいかないんですね。

 やがて1980年代になると、企業や経営者は、より短期的な視点で評価されるようになる。つまりは株価だ。

投資家に強い印象を与えるであろう短期的な収益性が最も重要な評価対象になりつつあった。将来に向けた投資は、収益性の低い部門の売却や、認識済みのあらゆる非効率性を改善するための積極的な行動と比べて魅力に欠けるとみなされた。
  ――第33章 赤の女王と青い海

 短期的な株価で一喜一憂するのは投資家というより投機家と呼ぶのが相応しい気がするが、どうなんだろ。いずれにせよ、こんな風潮は、より過激なBPR(→Wikipedia)なんて発想へと繋がってゆく。

 そこで流行ったのがゲーム理論だ。

1980年代末、(略)フランクリン・フィッシャー(→Wikipedia)はこう論じた。「頭脳明晰な若い理論家は、あらゆる問題をゲーム理論的な視点で考える傾向がある。ほかのやり方で取り組んだほうが容易な問題だったとしても」
  ――第33章 赤の女王と青い海

 まあゲーム理論は数学的な裏付けがある上に予測を数字で示せるからね。もっとも、理屈が現実に合ってるか否かは別問題なんだけど。

 など経済学者寄りの理論/本に続き、人間関係を重んじる社会学系のビジネス書も出てくる。中でも有名なのが…

『エクセレント・カンパニー』(略)はビジネス書として初めて全米第一位のベストセラーになり、最終的な販売部数は600万部を優に超えた。
  ――第34章 社会学的な取り組み

 ビジネス書に疎い私も名前は知ってるぐらいだから、日本でも相当に売れたんだろう。ところが…

同書で超優良とされた企業も、(略)本の刊行後まもなく、その1/3が経営危機にあると報じられた。
  ――第34章 社会学的な取り組み

 さすが米国、競争が激しい。

 かような経営戦略理論やビジネス書が次々と現れては消えた結果…

戦略は、都合のよい意味をもたせて使うことのできる、なんでもありの言葉になってしまった。
  ――第35章 計画的戦略か、創発的戦略か

 だからこそ本種が成立した、とも言えるんだが。私も「戦略原論」を読んだけど、イマイチ「戦略」の意味は分からなかった。加えて「電撃戦という幻」では、戦略と戦術の間に「作戦」って概念が入ってきたし。

 そんなビジネス本のキモは、やっぱりナラディブ/ストーリーだったりする。統計的な数字より、実例(を元にしたお話)がウケるんだな。

企業戦略本の多くは基本的にストーリーの寄せ集めであり、そうした物語はどれも、なんらかの一般論を強調することを意図したものだった。
  ――第35章 計画的戦略か、創発的戦略か

 そんなストーリーが持つ力は政府機関の報道官や企業の広報担当、そしてマスコミも気づいている。もちろん、それは好ましい影響だけじゃない。

ストーリーは並外れた説明力をもっており、一番自然な形のコミュニケーション手法といえるが、その手法を最もうまく操れる者にとって都合のよい説明を補強する一方で、異を唱えにくくするという代償をともないうる。
  ――第35章 計画的戦略か、創発的戦略か

 分かりやすい例が中国の抗日ドラマね。「ドキュメント 戦争広告代理店」でも、「悪のセルビア人 vs 可哀想なクロアチア人&ボスニア人」ってわかりやすい構図を広告代理店が創り上げたと暴いてる。

 そして、ストーリー/物語には、ヒーローが必要だ。それは地道な仕事を黙々とこなす者ではなく、危機にさっそうと現れてバッサバッサと悪を斬る、見栄えのする者でなきゃいけない。

常に関心が寄せられるのは、管理部門の退屈で苦労の多い仕事よりも、天才のきらめきなのだ。
  ――第35章 計画的戦略か、創発的戦略か

 理不尽だと思いませんか、システム管理者・ネットワーク管理者の皆様。

 などと全般的にビジネス書Disな第4部だけど、同時に「売れるビジネス書」の書き方の指南にもなっているのが面白いところ。あ、ただし、「役立つビジネス書」じゃないのがミソね。

【第5部 戦略の理論】

 などと散々に経済学者やビジネス書をコキおろした第4部に続き、第5部は比較的に最近の動きを描く。まずは、いきなり経済学の原則を突き崩す。

とりわけ強い影響力を発揮したのは、あらゆる選択を合理的であるかのように扱う便益を強調した理論だった。(略)
このいわゆる合理的選択理論は、一貫して機体をはるかに下回る成果しかあげず…
  ――第36章 合理的選択の限界

 基本である需要と供給の曲線にしたって、根本には「売り手も買い手も合理的に選ぶ」って仮定がある。ゲーム理論のミニマックス法も、「自分の利益を最大にする、または自分の損を最小化する」戦略だ。が、現実には…

「囚人のジレンマ」(略)研究の成果は(略)強盗事件の有罪答弁率、有罪判決率、受刑率はどれも変わらないことを示した。
  ――第37章 合理的選択を超えて

 もっとも、これには「相方が出所した後の報復が怖い」みたいなのもあるんだけど。つまり、現実はモデルほど単純じゃないのだ。また…

(ハーバート・)サイモン(→Wikipedia)は、最適な結果を得るには過剰なまでの努力が必要とされることから、人々は次善の結果を当然のように受け入れうることを示した。
  ――第37章 合理的選択を超えて

 人は市場の全てを知ってるわけじゃないし、商品知識も限られてる。たいていの人は最も安い商品を探すために近所のスーパー全てをめぐったりしないし、野菜や魚や肉の目利きも所詮は素人だ。だから、テキトーな所で妥協するワケです。

 ばかりか、そもそも理性的に考えるワケでもない。

本能的な感情を信じる場合、それが正しいかどうか厳格に検討するよりも、正しいことを示す根拠を探すのが自然な成り行きである。
  ――第37章 合理的選択を超えて

 この段落、まるで学者の研究対象である人々の選択/行動を示しているように読める。けど、これまでの章を振り返ると、むしろ今まで出てきた学者たちの振舞いそのものじゃないか、と思えるんだよなあ。なにせイギリス人だから、回りくどい冗談の可能性も高い。

 などと綴ってきた結果が、実にみもふたもない。

実験から得られた重要な発見は、人は生まれつき戦略的ではないということだ。
  ――第37章 合理的選択を超えて

 なんというか、今まで登場した学者たちの研究を全部ドブに捨てるような結論だ。酷いw そんな結論になるのも、今まで幾つも挙げた例の大半が、結局は…

戦略の世界には失望と挫折、機能しない手段と到達できない目標が満ちあふれている。
  ――第38章 ストーリーとスクリプト

 一時はもてはやされても、時を経ると共に馬脚を現しているからだ。それでも、ヒトは戦略を求める。というのも…

戦略は状況を制御する手段ではなく、誰も完全に制御することのできない状況に対処する方法なのである。
  ――第38章 ストーリーとスクリプト

 ヒトである限り、完全に世界の全てを知ることはできないし、ましてや制御なんかできない。いや限られた分野や時期なら、完璧に対応できる事もある。何度も攻略したオフラインのゲームとかね。けど、そういう際に使う手口や攻略法は戦略とは言わない。少なくとも本書では。環境に完全に適応しているのなら、戦略はいらない。

不透明かつ不安定で予測不能な状況になって初めて、戦略は動きはじめるのである。
  ――第38章 ストーリーとスクリプト

戦略が本当に動き出すのは、状況に何かしらの異変が起きたときである。
  ――第38章 ストーリーとスクリプト

 何かしらの不具合があったり、先が見通せなくなった時に、戦略が必要になる。加えて、あなたと利害が異なる、少なくとも何かしら競合する相手がいて、何か手を打たなければならないときだ。

環境が不安定になった時、つまり対立がついに表面化し、実際になんらかの選択をしなければならなくなったときにのみ、真の戦略に似たものが必要となるのだ。
  ――第38章 ストーリーとスクリプト

戦略が実際に動きはじめるのは、対立の要素が存在する場合だけである。
  ――第38章 ストーリーとスクリプト

 などと言われると、「戦略」の意味もうっすら分かるような気になってくる。先が見通せない状況で選択せにゃならん時の、判断の指針、みたいなもんだろうか。なんか信念や信仰とカブるって気もするけど

【おわりに】

 元は軍事用語だったのが、社会運動やビジネスの世界でも盛んに使われるようになった言葉、“戦略”。それを説明しようと多くの例をあげて試みたが、結果は挫折と混乱ばかりだった。と書くと駄目な本のようだが、その混乱と挫折を描く第3部以降が私にはとても面白かった。つまるところ、“戦略”って言葉は意味があいまいながらも強い印象を与えるので、ビジネス書や啓発本のネタとして使い勝手が良いのだ。

 イギリス人らしむ、まわりくどくて毒を含んだ冗談も多く、ぶっちゃけ文章はかなり読みにくい。が、軍事ヲタとして第2部は参考になったし、第3部は公民権運動の概要まとめとして便利だ。そして第4部・第5部の毒舌の冴えは、イギリス人らしい意地悪さに溢れている。そんなイギリス人のヒネたユーモアが好きな人にお薦め。

【関連記事】

|

« ローレンス・フリードマン「戦略の世界史 戦争・政治・ビジネス 上・下」日本経済新聞出版社 貫井恵子訳 上 | トップページ | SFマガジン2026年4月号 »

書評:軍事/外交」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ローレンス・フリードマン「戦略の世界史 戦争・政治・ビジネス 上・下」日本経済新聞出版社 貫井恵子訳 上 | トップページ | SFマガジン2026年4月号 »