« マシュー・ルベリー「読めない人が『読む』世界 読むことの多様性」原書房 片桐晶訳 | トップページ | SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2026年版」早川書房 »

2026年1月27日 (火)

若宮總「イランの地下世界」角川新書

地下世界――。そこには、イラン政府はもちろん、ときにイラン国民でさえも容易には認めたがらない、この国の真実が隠されている。
  ――はじめに

ベールで女性が何を隠さなければならないのかについて、コーランには具体的な記述がない
  ――第1章 ベールというカラクリ

圧倒的多数のイラン人に共通しているのは「イスラム共和国は“オワコン”」という認識だ。
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

【どんな本?】

 ホメイニ→ハネメイと、イスラム聖職者による圧制が続くイラン。2025年末から2026年初頭にかけ、市民による大規模な抗議行動と、当局による暴力的な鎮圧がニュースになり、ついにイラン政府はインターネットまで遮断した。

 厳格なイスラム共和制の印象が強いイランだが、それはあくまでも政権の話。普通の人々は、どんな人々なのか。何を考え、どのように友人知人と付き合い、どんな暮らしをしているのか。どんな人がイスラム共和制を支えているのか。他の国を、どう見ているのか。付き合ってみると、どんな人たちなのか。

 10代からイランに魅せられ、長くイランと日本を行き来する暮らしを続けている著者が、市民目線で見たイラン社会とイラン人を語る、ちょっと変わったイランの解説書。

 ちなみに「若宮總」は筆名で、登場人物もすべて仮名である。イランの当局に正体がバレるとヤバいのだ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2024年6月15日初版発行。新書版で縦一段組み本文約278頁に加え、高野秀行による解説が豪華12頁。9ポイント41字×16行×278頁=約182,368字、400字詰め原稿用紙で約456枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすい。イランの歴史に触れる所も多いが、特に20世紀以降の現代史については、かいつまんだ説明があるので、素人でも大丈夫。イランについてペルシャ絨毯とイスラム共和制ぐらいしか知らなくても、充分についていける。

【構成は?】

 「はじめに」だけは最初に読もう。以降は美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

  • はじめに
  • 第1章 ベールというカラクリ 貞節、政治化、「イスラム・ヤクザ」
  • 第2章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」 キリスト教、神秘主義、古代礼賛
  • 第3章 終わりなきタブーとの闘い 薬物、酒、自由恋愛、美容整形
  • 第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本 王政復古、反米、反中、親日
  • 第5章 イラン人の頭の中 謙遜、メンツ、嫉妬心
  • 第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか 小さな独裁者、コネ、歪んだ義理人情
  • おわりに
  • 解説 愛溢れる唯一無二のイラン観 高野秀行

【感想は?】

 俺的結論:イラン人の中身はイタリアン。

 すまん。トバしすぎた。本書の書名には「地下世界」とあるが、別にマフィアやスラムの話じゃない。いや少しだけイランでは違法なネタもあるけど。

 じゃ何かというと。我々が思い浮かべるイランは、厳格なイスラム法に縛られた社会だ。だが、そのベールを脱ぐと、どうなのか。普通のイラン人は、何を考えどんな風に暮らしているのか。現代のイランで長く暮らし、現地の友人知人も多い著者が語る、そういう本です。

 先にも書いたが、「若宮總」は筆名だし、登場人物もすべて仮名だ。その程度にはヤバいネタも含んでいる。繰り返すが、ヤバいのは政府当局の追求であって、反社や裏社会に追われるワケじゃない。

 イランでは2025年末から盛んに反政府デモが起きているので判るように、イラン市民の多くは現体制を嫌っている。だが、とりあえず今まではホメイニ/ハネメイが支配するイスラム共和制を維持してきた。では、いったい、誰が支えているのか。敬虔なイスラム教徒なのか。どうも、違うらしい。

 本書に出てくるのは、バシージ(→Wikipedia)およびハネメイの直属機関「イスラム宣伝局」に属する人だ。コネで電気はタダ、テレビじゃ禁制の衛星放送、画面のホメイニやハネメイには悪態。つまり、現体制で甘い汁を吸っている輩である。

数の上では決して多くないが、いかんせん生活がかかっているため、彼らは大した信仰心もないくせに、いついかなる場合も全力でイスラム体制を支えようとする。
  ――第1章 ベールというカラクリ

 革命防衛隊の連中は小金持ちの家に押しかけて家探しし、欧米のCDや製品を見つけちゃ脅して小遣いを稼いでる、そんな話をどっかで聞いたが、どうも本当らしい。

 そんな具合に、当局にコネがある輩はイスラムを口実にやりたい放題だが、普通の市民は経済制裁で苦しんでる。これで市民のイスラム離れにもつながっている、というから意外だ。

「イスラムを掲げているのに、ちっとも国がよくならない。これはきっとイスラムそのものに問題があるからだ」
  ――第2章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」

 全員がそうではないにせよ、そんな風に考える人も出てきているのだ。

 2026年1月下旬のイランは当局の妨害により他国との通信が難しくなっているが、本書が出た当時はそうでもなかった。だから、多くの市民は開国のニュースにも触れている。

イラン人が洗脳されていないのは、彼らが国営放送をはじめとする国内の「御用メディア」を、まったくと言っていいほど見ていないからである。
では、何を見ているかといえば衛星放送である。
  ――第3章 終わりなきタブーとの闘い

 ちなみに衛星放送も違法で、パラポラアンテナも見つかれば御用…のはずだが、当局もそこまで手が回らないようだ。おまけに…

「俺たちイラン人は、賢くなったんだ。こいつ(スマートフォン)のおかげでな」
  ――第3章 終わりなきタブーとの闘い

 そう、インターネットである。これも当局は金盾みたいな形で規制してるんだが、市民側もVPNで出し抜いてる…つもりが。

VPN業者と当局は裏でつながっていて、「フィルタリング・ビジネス」でズブズブの関係にあるとも言われている。
  ――第3章 終わりなきタブーとの闘い

 つまり当局も腐敗しきってるんだね。

 で、欧米のメディアじゃ、イランは完全な悪役だ。それを市民もよく知っている。お陰で…

イラン人であることに自信が持てない。イラン人であることが恥ずかしい――。
この辛さ、この悔しさを想像してみてほしい。
  ――第2章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」

 私も日本を持ち上げるニュースは大好きだ。逆に日本の悪口ばかりだと、悲しくなってしまう。

 そんなイラン人は、他の国をどう思っているか。これが実に面白い。まずお隣のアラブ人。

イラン人がアラブ人に対して抱いているイメージはズバリ「野蛮人」である。
  ――第2章 イスラム体制下で進む「イスラム疲れ」

 かつてペルシアは何度か偉大な帝国を築いた。その誇りは今も残っているのだ。まあ、湾岸の金満国家への妬みも、いくらかはあるんだろうけど。お次の欧米に対しては…

イラン人の多くが、われわれ日本人と同様に、米国、そしてヨーロッパの文化に対して、親しみと強い憧れを抱いている。
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 革命前は普通に洋服を着ていたし、インターネットも iPhone も米国製だしね。

 ただし欧米には多少複雑な感情も混じっている。

 そして現在のイランが親しく付き合っているのは、ロシアと中国。この両国に対しては…

イランにおける英国のイメージが「狡猾」だとすれば、武力の行使を躊躇しないロシアのそれは、まさに「野蛮」
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 いやアケメネス朝のペルシアもギリシアに攻め込んで(→Wikipedia)…って、紀元前の話をしてもしょうがないか。でも、紀元前から大帝国を築いてたんだから、威張りたくもなるよなあ。

 それはさておき、現在は中国とも親しい。そして、中国資本も続々とイランに進出してる。のだが…

多くの国民は中国人を、経済制裁下で生じた空隙を突いてイランを食い物にする、「招かれざる客」
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 と、中国もあまり良く思われていない。噂じゃ携帯電話の通信網の監視ツールも中国が提供しているとか。加えてイラン・中国25ヵ年包括的協力協定なんてのも結んでる。れにはキーシュ島(→Wikipedia)の租借や中国軍の駐留なども含むんだが…

イラン政府は、今なお協定の詳細を公表しておらず
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 これに関しちゃ、日本も米軍の核の持ち込みを黙認する、なんて協定があったんでブツブツ…。

 思いっきり意外だったのがイスラエル。イラン政府はハマスのパトロンだが…

2023年以降続くイスラエルによるガザ侵攻では、若者を中心に多くのイラン国民がイスラエルを熱狂的に支持している。
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 世界的に見てもイスラエルを支持する国民は珍しいんじゃなかろか。後は米国の福音派ぐらい? 日本でも、少なくともニュース・メディアじゃイスラエルは悪役だし。

 他にも好まれる土地や国はあって。

今日、イラン人にもっとも人気のある旅行先はイスタンブルである。
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 トルコもイスラムだけと緩いしね。旨いビールもあるみたいだし。

 意外なことに、わが日本は相当に評判がいい。この理由も、これまた意外なことに…

決定的だったのは、1980年代の終わりごろから日本にやって来たイラン人労働者
  ――第4章 イラン人の目から見る革命、世界、そして日本

 彼らが盛んに喧伝してくれたのだ。あまし良い待遇じゃなかった筈だが、それでも在日生活を楽しんでくれたようだ。そして若い世代は、ジブリや鬼滅などのアニメを楽しんでいる模様。ただし違法サイトで。

 いいのかイスラム的に…と思ったが、市民のイスラム感覚は相当に緩い。

テヘランのような大都市では、よほど敬虔なムスリムや、体質的にアルコールを受け付けない人を除けば、ほとんどの人が多かれ少なかれ酒をたしなむ。
  ――第3章 終わりなきタブーとの闘い

 著者もアチコチにお呼ばれしてソレナリに楽しんでいる様子。緩いのは酒に限らず、マリファナなどの薬物も、テヘランではかなり出回っているっぽい。アフガニスタンから流れてくるのか?

 緩いのは薬物に限らず、人間関係もだ。

男の子は通りすがりの女の子に、ごく自然な感じで声をかける。
  ――第3章 終わりなきタブーとの闘い

 こういう所がイタリアンなんだよなあ。きっと本来は明るくお洒落な人たちなんだろう。もちろん、ナンパばかりではなく…

家族や友人はもちろんのこと、八百屋の店先では店員と、タクシーの中では運転手と、行列では前後の人と、バスや電車では隣に居合わせた乗客と、喜怒哀楽を素直に表現しつつ、イラン人は常に誰かと会話をしている。
  ――第5章 イラン人の頭の中

 と、彼らはおしゃべりが大好きなのだ。この辺はアラブ系と似てる。そう言うと、きっと嫌な顔をするけど。もっとも、とっつきやすいけど、長続きするかというと、そうでもない。

「去年は友達、今年は知り合い」
  ――第5章 イラン人の頭の中

 なんて言葉もあるとか。けっこう、その場のノリで生きてる感じ。

 そして、これはインド人とも似ているな、と思うのが…

誰もがおめでたいくらいの自信家
  ――第5章 イラン人の頭の中

 こういう所は日本人と対照的だけど、米国あたりじゃ巧くやっていけるかも。そのせいか…

英語は、日本同様かそれ以上にイランでも需要がある。
  ――第5章 イラン人の頭の中

 政府はアレでも、市民は現金なもんです。

 さて、技術系の人には嬉しいことに…

エンジニアはペルシア語で「モハンデス」と呼ばれ、これはイランでは一種の尊称
  ――第5章 イラン人の頭の中

 なんだけど、自称エンジニアはゴロゴロいる。なにせ自信家だから、少し齧った程度で「Linux完全に理解した」状態になっちゃうのだ。そのため…

イランで腕のいいエンジニアにお目にかかることは、実に稀
  ――第5章 イラン人の頭の中

 駄目じゃん。

 そんな自信過剰も手伝って、イランじゃ独立起業が盛んだ。もっとも、これにはこんな側面も。

イランでは人に雇われると、まず例外なくこき使われる
  ――第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか

 彼らは立場や権力を手にすると、最大限にソレを振り回すのだ。そりゃ汚職や腐敗が蔓延するよ。これは市民に限らず、政府の要人も同じ。

(2022年当時)ライシ現大統領をはじめ、イスラム共和国の大物政治家たちの多くが、最高指導者ハネメイと親戚関係にある
  ――第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか

 と、徹底したコネ社会なのだ。こういう社会で生きていると、著者も…

イランのようなコネ社会では、(略)否応なしに袖の下やタアーロフ(お世辞)といった「邪道」に引きずり込まれてしまう
  ――第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか

 と、ソレナリに立ち回らないと、やってけないんです。

 こんな社会じゃシンドそうだが、逆に利用する人も。

「VPNが機能しないことを口実に、仕事や勉強をサボる」
  ――第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか

 わはは。私もこういうタイプだw

 など、今まで「イラン人」と一括りにしてきたが、実はイランも他民族国家だ。ベルシア系が多いが、テヘランにはトルコ系・クルド系・ロル系・アルメニア系など、様々な民族が混在しいている。

 これに2026年初頭の情勢を考えると、実に不吉な未来が見えてくる。というのも…

異民族に対する潜在的な不信感は、今もほぼすべてのイラン人の心のなかに眠っている
  ――第6章 イランは「独裁の無限ループ」から抜け出せるか

 なんてのが、心の底に眠っているからだ。ユーゴスラビアの二の舞にならなきゃいいが。

 「ホメイニ師の賓客」に、印象的な場面がある。テヘランから出国する飛行機で、離陸と同時にご婦人たちがスカーフを脱ぎ捨てるのだ。いささか戯画的で「作り話じゃないか?」と疑ってたんだが、本書を読むと本当っぽい。

 登場人物の多くは、イランで暮らす著者が直接に知り合った人だ。そのっため、平均的なイラン人というには、いささか偏りはある。都市に住むやや豊かな人、いわゆる中産階級が大半だと思う。それでも、彼らが狂信的なイスラム教徒ではないのは、充分に伝わってくる。お喋り好きで派手好きで楽しいことが大好きな人たちなのだ。イランはもちろん、異国の事情に興味がある人にお薦め。

【関連記事】

|

« マシュー・ルベリー「読めない人が『読む』世界 読むことの多様性」原書房 片桐晶訳 | トップページ | SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2026年版」早川書房 »

書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« マシュー・ルベリー「読めない人が『読む』世界 読むことの多様性」原書房 片桐晶訳 | トップページ | SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2026年版」早川書房 »