ウルリッヒ・リンス「危険な言語 エスペラント弾圧と迫害の歴史」国書刊行会 石川尚志・佐々木照央・相川拓也・吉田奈緒子・臼井裕之訳
本書で示そうとしたのは、差別を排した人間同士のコミュニケーションを実現する努力が、どれほどの疑念、嫌悪、抵抗を呼び起こしたか、である。
――はじめにエスペラントの目的は、民族語に取って代わることではなく、民族語との併用だ
――3-3 社会主義と国際語
【どんな本?】
1887年、帝政ロシアに生まれたユダヤ人ラザロ・ザメンホフ(→Wikipedia)は、国際語の案を発表する。そこには、ある決意があった。
言語の違いが、人々の対立を煽り憎しみ合う集団に分裂させる。世界中の人が、第二の言語として国際語を身に付ければ、争いは減るだろう。
世界に言語は多数ある。個々の言語ごとに翻訳・通訳するなら、n個の言語に対しn×(n-1)の数の通訳者・翻訳者が必要だ。だが世界中の人が第二言語として国際語を身に付ければ、世界中の人々が語り合える。言葉の壁が消えれば、民族ごとの憎しみあいもなくなるだろう。そんなザメンホフの理想は、彼が創り上げた言語エスペラント(→Wikipedia)の優秀さも相まって、世界中の人々を惹きつけ、エスペラントの利用者も少しづつ増えていった。
人が集まれば組織や派閥ができる。エスペラント愛好家も同じだ。国ごとのエスペラント組織やそれを基盤とした国際組織,逆に国を問わず個人会員を集めたUEA,国際的な階級闘争を表に出したSATなど、様々な組織が立ち上がり文書や雑誌を刊行し、また文通を主な手段として国を越えたエスペラント愛好家間の交流も促す。
だがエスペラントを敵視する者たちもいた。権力を握った彼らは、エスペラント愛好家やその組織に激しい弾圧を加える。幸か不幸か幾つもの派閥・組織に分かれていたエスペラント愛好家たちは、組織ごとに異なった戦略で生き残りを図るのだが…
なぜ権力者たちはエスペラントを憎むのか。それに対し、エスペランティストたちはどのように応じたのか。
各国のエスペランティストたちの手紙や愛好家組織の資料に加え、東欧・ソ連崩壊に伴って公開された資料も漁り、主にロシア以西の欧州を舞台に、人々の争いをなくそうとしたザメンホフとその後継者たちの理想と活動、彼らを憎む者たちの動機と執念と弾圧、それに対し生き残りをかけた各組織・派閥の様々な対応と運命を綴り、知られざる20世紀の歴史の一幕を描く、重量級の歴史ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は La Dangera Lingvo: Studo Pri La Persekutoj Kontrau Esperanto, Ulrich Lins, 2016。日本語版は2025年9月20日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約371頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント50字×20字×371頁=約371,000字、400字詰め原稿用紙で約928枚。文庫なら上下巻ぐらいの容量。
文章はやや硬いが、読みにくいって程でもない。目次を見ても分かるように、最も多くの頁を占めているのはソ連編だ。ここはいかにも共産主義的なしち面倒くさい政治思想の議論がある。共産主義に興味があるならともかく、そうでなければテキトーに流して構わない。というか、私はそうした。だって所詮はスターリンの都合だし。
【構成は?】
ほぼ時系列に進むので、素直に頭から読もう。
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- はじめに
- 1 新しい言語に向けられた疑念
- 1-1 ザメンホフとエスペラントの誕生
- 1-2 帝政ロシアの検閲下で味わった産みの苦しみ
- 1-3 西欧への進出
- 1-4 エスペラントの思想的側面
- 1-5 第一次世界大戦以前に直面した障害
- 1-6 国際連盟におけるエスペラント
- 1-7 労働者と「中立主義者」
- 1-8 1920年代の迫害
- 2 「ユダヤ人と共産主義者の言語」
- 2-1 ヴァイマル共和国におけるエスペラント
- 2-2 新たな敵の台頭
- 2-3 「均制化」
- 2-4 エスペランティストのナチ党員たち
- 2-5 禁止への道
- 2-6 エスペラントは単なる言語か
- 2-7 ナチ・ドイツのモデルにならって
- 2-8 中立主義エスペラント運動を健全化した教訓
- 3 「プチブルとコスモポリタンの言語」
- 3-1 ソ連におけるエスペラントの繁栄
- 3-1-1 革命後の期待
- 3-1-2 SATとSEU 多元主義と統一戦線
- 3-1-3 エスペラントによる国際教育の取り組み
- 3-1-4 階級闘争の激化とエスペラントの「悪用」
- 3-2 分裂と終焉
- 3-2-1 無民族主義
- 3-2-2 SATの分裂
- 3-2-3 スターリン体制確立期におけるエスペラント
- 3-2-4 ソ連のエスペランティストの沈黙
- 3-3 社会主義と国際語
- 3-3-1 革命前の国際主義という問題
- 3-3-2 レーニンと民族問題
- 3-3-3 マルクス主義言語科学を目指して
- 3-3-4 エスペラント化に反対するスクリプニク
- 3-3-5 ロシア語論争
- 3-3-6 無益な空論
- 3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由
- 3-4-1 1937~38年に何が起きたか
- 3-4-2 大粛清化のエスペランティスト
- 3-4-3 ソビエト愛国主義の出現
- 3-4-4 国際文通の成功と限界
- 3-4-5 文通の終焉
- 3-5 第二次世界大戦の後に
- 3-5-1 東欧における大いなる沈黙
- 3-5-2 スターリンのマル批判
- 3-5-3 時代の要請
- 3-5-4 運動の再生
- 3-5-5 東欧 問題を抱えつつも前進
- 3-5-6 ソ連 希望と疑いの間で
- むすび
- 訳者あとがき/参考文献/関連年表/略語一覧/注/事項索引/人名索引
【感想は?】
エスペラントという言葉は知っていた。でも、それが政治的に重要な意味を持つとは思わなかった。
本書が描くのは、まさしくそれだ。エスペラントが持つ政治的な意味であり、エスペラント愛好家たちの政治的な姿勢だ。そして、彼らの政治姿勢を警戒し憎み虐げる者たちとの闘いである。
本書の舞台は主に欧州だ。「1 新しい言語に向けられた疑念」では1920年代までの欧州全体、「2 『ユダヤ人と共産主義者の言語』」ではドイツを、「3 『プチブルとコスモポリタンの言語』」ではソ連および東欧を中心に描く。
となれば、「2 『ユダヤ人と共産主義者の言語』」と「3 『プチブルとコスモポリタンの言語』」の敵は見当がつくだろう。そう、ナチスとソ連共産党だ。先の構成を視れば判るように、ソ連編が200頁以上と頁の過半数を占める。
帝政ロシアに生まれたザメンホフは、ポーランドのワルシャワで学生生活を送る最中に、1881年のポグロム(ユダヤ人排斥、→Wikipedia)の洗礼を受ける。普通はそこでシオニズムにいきそうなモンだが、彼はスケールが違った。人類愛に目覚め、全人類の懸け橋となるエスペラントを産み出すのだ。
文豪トルストイの支持を受けたものの、ロシア当局のウケは悪かった。「検閲できねえだろ」。最初からエスペラントは政治的な問題を孕んでいたのだ。
幸いにしてフランスではルイ・ド・ボーフロンなどのインフルエンサーが活躍し、次第に盛り上がる。当初は「商業・観光・学術分野」で売り込むが、「平和運動家、社会主義者、アナキスト」なども加わり始める。1905年に国際大会も開かれた。各国政府の警戒に配慮し、当面は政治から距離を置き、エスペラントの普及に努める方針でまとまった。
やがて1908年、国際的なエスペラント組織UEA(→Wikipedia)が誕生。当局との摩擦を警戒し国ごとの組織結成がためらわれる中、当初の会員は個人のみだった。
そう、各国政府はエスペラントを警戒したのだ。
エスペラントが普及するにつれて明らかになったのは、敵対者の抱く反感が言語としての構造的弱点ではなく、エスペラントのもつ政治イデオロギー的背景に向けられている事実だった。
――1-5 第一次世界大戦以前に直面した障害
当時はブルジョワなインテリ層が多かったエスペラント愛好者たちだが、やがて庶民にも思考かが増える。それを受けてか、1921年には階級闘争を声高に叫ぶ国際組織も生まれる。全世界無民族性協会SAT(→英語版Wikipedia)だ。
以後、中立主義を掲げるUEAと階級闘争を前面に押し出すSATが並立する。政府の弾圧に対する両者の対応の違いは、本書の読みどころの一つ。
続く「2 『ユダヤ人と共産主義者の言語』」は、やがて欧州を席巻するナチス・ドイツの弾圧が主題だ。
ナチスは、エスペラントという言語と、それと現に結びついている、あるいは結びついていると仮定された思惑に対して、かついてないほどに徹底した敵意を見せ、しかもそれは、年を経るごとにエスカレートしていった。
――2-2 新たな敵の台頭
これに対しドイツ国内のエスペラント協会GEAは当局に迎合するが、SATは対決姿勢を崩さない。困ったことに、エスペラントには当局がつけ入るスキがあったのだ。だって創ったのはユダヤ人のザメンホフだし。おまけに当局は人々が集うのを嫌った。
ナチスの奴隷化政策の中であまり知られていないのは、それがユダヤ人やスラブ人のコミュニケーション上の権利をも抑圧した事実である。1942年7月にヒトラー自らが、東欧占領地域の非ドイツ系住民には「けっして高等教育を許さない」ように(略)求めている。
――2-6 エスペラントは単なる言語か
欧州ではドイツに支配下に入ったオーストリア・ポーランド・オランダ・イタリア・ハンガリー・ブルガリア・ユーゴスラヴィアに加え、ポルトガルとスペインもエスペラントを弾圧する。例外は…
ドイツの同盟国の中で日本だけが唯一、ナチのモデルにならっていない。日本のエスペラント運動は、戦時中も迫害されなかったのだ。
――2-7 ナチ・ドイツのモデルにならって
だからって喜んじゃいけない。
戦争終結まで、朝鮮でエスペラントを公に宣伝したり学んだりすることも、厳しく禁じられた。
――2-7 ナチ・ドイツのモデルにならって
結局はエスニズム・ナショナリズムに囚われていたワケです。
最後の「3 『プチブルとコスモポリタンの言語』」はロシア改めソ連が舞台。意外なことに…
1920年代の末、ソ連のエスペラント運動は盛況だった。
――3-1 ソ連におけるエスペラントの繁栄
そりゃ「万国のプロレタリアートよ団結せよ」が共産主義の掛け声だし。しかしレーニンが没しスターリンが跡を継ぐと、様子が変わってくる。
「ナショナリズム的偏向」への攻撃は1937年半ばごろから強まった。
――3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由
ソ連は多民族国家だ。よって多言語国家でもある。ならエスペラントが役立ちそうだが、スターリンはロシア語への統一を目指した。ソ連はそういう国だったのだ。ソ連でさえそうなら、今のロシアもやり口は更にアレだろうなあ。
ソ連の多数のエスニック集団が相互にロシア語で意思疎通できるようになる状態を党がめざしたため、ロシア語を学ばねばならない圧力がますます高まっていた。
――3-3 社会主義と国際語
やがて大粛清(→Wikipedia)が始まると、エスペラント愛好家にも当局が踏み込んでくる。
ある米国人研究者によると、約5000人のエスペランティストが「強制労働収容所」で命を落としたという。
――3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由
ここまで嫌う当局の言い訳は…
「おまえは国際スパイ組織の積極分子である」
――3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由
エスペラント愛好家は文通を好む。それも外国との。手紙の中身は日々の事だ。仕事はどうか、どこに行ったか、何を食ったか、何を買ったか、誰とどんな事を話したか。となれば、ソ連の実情も漏れる。五か年計画がうまくいってりゃともかく、まあ、アレだし。つまりは鉄のカーテンですね。
これに対しソビエト・エスペランティスト同盟SEUは当局に迎合し、集団文通なんてケッタイな対策を講じたりもするんだが。あ、つまりは検閲・校閲つきの文通です。あんましにも紋切型な共産主義の宣伝ばっかな内容のため、西欧の文通相手からはソッポ向かれちゃったけど。
第二次世界大戦が終わりソ連が東欧を席巻すると、その影響は東欧圏のエスペランティストにも及んでくる。
エスペラント運動がソ連で弾圧されたならば、その勢力化の国々でも遅かれ早かれ存続不能にならざるをえなかった。(略)
コスモポリタン主義の危険への警告は、市民たちにいかなる外国との接触をも思いとどまらせる便利な口実となったのだ。
――3-5 第二次世界大戦の後に
ばかりでなく、ロクでもないオマケがついてきた。
1948年末から1949年初めにかけては、反コスモポリタン主義キャンペーンにおぞましい要素が付け加えられた。戦争を挑発する西側と共謀する「シオニスト」に対する攻撃を装った、反ユダヤ主義である。
――3-5 第二次世界大戦の後に
もしかしたらイスラエル独立が関係してるのかも。
もっとも、そんなソ連の方針への従順さの…
…度合いは国によってまちまちだった。ハンガリーやポーランドのエスペラント協会は、機関誌に政治色の濃い記事をさほど多く載せる必要はないと考えていた。それに対してブルガリア、チェコスロバキア、東ドイツでは、党の政策をエスペラントに訳して宣伝するために、かなりの紙面が割かれた。
――3-5 第二次世界大戦の後に
ユーゴスラヴィアについて何も触れられてないのは残念。まあチトーが踏ん張ったせいでソ連からハブられてたからなあ。
そんな厳しい弾圧も、スターリンの死で風向きが変わる。特に1970年代に入ると…
(ブレジネフ時代に)バルト三国およびウクライナ人の間でエスペラントの人気が高い理由は主に、エスペラントがあればロシア語を使わずに済むという点にあった
――3-5 第二次世界大戦の後に
嫌われてるなロシア。そのせいでソ連崩壊後もバルト三国じゃロシア語話者は差別されたし。
などの苦難を乗り越えたエスペラント、ソ連崩壊後はどうなったか、というと。
旧共産圏でエスペラントを学ぼうという人の数は、減る一方だった。というのも、今や著しく増大した国際交流の場において、英語のほうがより必要に応えてくれる手段だと考えられたからである。
――3-5 第二次世界大戦の後に
これにはインターネットの普及も関係あるだろう。だってネットの共通語は英語だし。いささか寂しい「むすび」だが、現代の時流を考えると更に肝が冷えるくだりが。
双方の迫害者を比較すると、一つの共通点が浮かび上がる。いずれも陰謀論を信じてそれを熱狂的にあおったことである。
――むすび
まさしく今起きている事じゃないか。彼らの手口は変わっていない。ただ、新しい媒体に順応しただけなのだ。
エスペラントなんてたかが言語と思っていたが、これほどまでに政治的な軋轢を引き起こすとは想像もつかなかった。確かに20世紀初頭の共産主義・社会主義の盛り上がりもあって、活発な政治活動を繰り広げたエスペランティストもいたが、当局に協力した組織もあった。それでも、当局は許さなかったのだ。政治的圧力に抗する方法に興味がある人にお薦め。
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