高野秀行「イラク水滸伝」文藝春秋
湿地帯で舟大工を探して、舟を造ってもらえばいいんだ!
――はじめに
【どんな本?】
「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」をポリシーとする旅行記作家の高野秀行が本書で出向くのは、イラク南部の湿地帯。
イラクは砂漠の国の印象が強い。しかし南部は全く様相が異なる。ティイグリス川とユーフラテス川が合流し、イランとの国境やペルシャ湾も近いあたりだ。8メートルもの背丈の葦が生い茂り、道路の代わりに水路が縦横に走る。もちろん重い戦闘車両は近寄れない。シュメールの時代から、都市を追われた者たちが隠れ潜む、いわば梁山泊のような土地だという。
現代でもマンダ教徒(→Wikipedia)が多く住んでいる。もっとも、多くのマンダ教徒は他国へ移住してしまった。サダム・フセインの圧政やイランイラク戦争・湾岸戦争・イラク戦争と相次ぐ戦乱と、その後の混乱が原因だ。
湿地帯を行き交い、水牛を飼い、葦の家に住み、独自の舟で水路を行き来する。そんな幻の民族を尋ねてイラクの「辺境」へ向かった著者は、誰と出会い、何を食い、どんな風景を見るのか。
スリルと意外性とトラブルに満ちた、捧腹絶倒の紀行ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2023年7月30日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約462頁。9.5ポイント43字×19行×462頁=約377,454字、400字詰め原稿用紙で約944枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。
文章はこなれていて親しみやすく読みやすい。内容もわかりやすい。歴史的・地理的そして最近のイラク情勢など、多くの背景事情が関わっている。が、その都度わかりやすく多分に雑な説明があるので、素人でも充分に理解できる。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。もっとも、中身は右往左往してるんだが、それも、というより、それこそがこの著者の作品の魅力なのだ。
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- はじめに
- 第1章 バグダード、カオスの洗礼
- 1 有田焼のお土産が困惑を呼んだ理由
- 2 イラク料理、こわい
- 3 バグダード民泊は「鶴の恩返し」
- 4 鶴の見た古都バグダード
- 5 謎の古代宗教マンダ教
- 6 「すべての人類はマンダ教から生まれた」
- 7 ヨハネの愛弟子たちの洗礼
- 第2章 イラン国境の水滸伝
- 1 ディープサウスへ
- 2 湿地帯が生んだイラクの国民的朝食
- 3 マンダ教徒の舟大工
- 4 湿地帯の王
- 5 混沌と文明の間にあるもの
- 6 奇人サーレ先生と天国の湖
- 第3章 新世紀梁山泊チバーイシュ
- 1 シュメール文明を受け継ぐ「葦の館」
- 2 驚異の新世紀梁山泊
- 3 伝統的水滸伝と古代粘土板せんべい
- 4 プチ梁山泊の最強コンビ
- 5 原初的水滸伝の謎
- 6 湿地帯に自由はあるのか
- 7 シュメールのウル遺跡で逆タイムトラベル
- 第4章 イラク水滸伝六千年 脳内タイムマシンの旅
- 1 シュメール時代の水滸伝
- 2 異端グノーシス時代の水滸伝
- 3 二十世紀水滸伝の主役はコミュニスト
- 第5章 「エデンの園」の舟造り
- 1 「エデンの園」は実在した!
- 2 氏族長のリムジン「タラーデ」
- 3 神をも恐れぬ舟造り
- 4 水滸伝にはブリコラージュがよく似合う
- 5 抵抗者たちの系譜
- 6 湿地帯の核心「マアダン」とは何者か
- 7 衝撃の「ゲッサ・ブ・ゲッサ」
- 8 アメリカvsイラン戦争危機とタラーデ完成
- 第6章 呪われた水滸伝の旅
- 1 「エデンの園」から追放されて
- 2 主なき梁山泊
- 3 天地明け初めぬ島
- 4 ゲーマルの謎
- 5 移動経路を調査する
- 6 われら聚義庁を乗っ取る!
- 第7章 謎のマーシュアラブ布を追え!
- 1 頭領ジャーシム宋江の帰還
- 2 世界最古の都市国家ウルク
- 3 謎の刺繍布の作り手と会う
- 4 アザールを作っていたのは“禁じられた民”!?
- 5 湿地帯に存在した「禁じられた民族」
- 6 刺繍布によって浮かび上がるアフワールの真の姿
- 第8章 古代より蘇りし舟は行く
- 1 湿地帯の罠、再び
- 2 過激なる水滸伝右派
- 3 マイ・スウィート梁山泊
- 4 浮島、最後の晩
- 5 好漢たちが集結、タラーデに乗る
- あとがき
- 謝辞/参考文献一覧
【感想は?】
相変わらずの無謀っぷりが楽しい一冊。
何かと物騒なイラク、それも辺境に行くとなれば、普通は武装したボディガードをつけるだろう。が、著者が引き連れるのは探検家で川の達人・山田高司氏(→Wikipedia)のみ。あとは日本で知り合った何人かのイラク人のツテで、芋づる式にガイドを増やしてゆく。
今回の旅は2回。最初はアタリを付け、二回目で本格的な調査に入る予定。
ってんで、最初の旅でバグダードに着いたとたん、著者はご馳走攻めにあう。「イラクの料理はすっごく美味しい」そうで、中でも有名なのが恋の円盤焼きこと「サマッチ・マスグーフ」。
イラクでは五千年前から鯉が食されているのだ。
――第1章 バグダード、カオスの洗礼
そしてマンダ教徒が多く住む南部アフワールに向かう。湿地と呼ばれるが…
湿地帯と聞いていたから全体的にじめじめとした場所をイメージしていたが、それも全然ちがった。雨がいくらも降らないため、水があるところ以外はひどく乾燥しており、風が吹くごとに土埃が舞う西部劇の舞台みたいな土地である。
――第2章 イラン国境の水滸伝
やはり砂漠の国なのだ。大河の水で潤っているが、天水はない。だから大河の水量で湿地も広がったり狭まったりする。そして湿地に住む人も、水が減れば地上に移り住むのだ。
彼らにとって欠かせないのが水牛とカサブ(葦)。葦ったって、高さ8メートルにも及ぶのがビッシリ生えてて、煮炊きの燃料から家にもなる。
ここでは何でもカサブ(葦)で物が造られ、ムディーフ(ゲストハウス)も例外ではない。
――第3章 新世紀梁山泊チバーイシュ
ゲストハウスのみならず、住む家だってカサブだ。本書では浮島と呼んでいる。これが実に簡単に作れてしまう。実際、著者の目の前で、アッサリ実演してくれたり。
全工程で20分ぐらい。これが原初チバーシェ(浮島)なのである。
――第6章 呪われた水滸伝の旅
そんな風に、家が簡単に作れるのと、水の多寡で湿地の環境が年々変わるためか、彼らは不規則に住処を変える。お陰で…
「アフワールには私有地なんてない」
彼らが所有するのは水牛のみで、あとは公共のもの。
――第3章 新世紀梁山泊チバーイシュ
つまりは遊牧民なのだ。一応の縄張りはあるようだが。だから、「どこに住むか」より「どの氏族か」が大事だったりする。後に公安らしき者が著者らに事情聴取するのだが、そこで公安がこだわったのは…
私たちの目的や身分はどうでもよく、「誰の客なのか=保護者が誰か」を知りたがっているのだ。
――第8章 古代より蘇りし舟は行く
公安が動くのも当然で、シュメールの昔から湿地帯は都市を追われた者が隠れ潜む地だった。なにせカサブが生い茂る地だ。葦の中に隠れれば、まず見つからない。大軍も動かしにくい。その歴史を背負い、最近では…
20世紀、イラク水滸伝の主人公は意外なグループだった。
イラク共産党である。
――第4章 イラク水滸伝六千年 脳内タイムマシンの旅
なのだが、彼らが言う共産党は、私たちが考える共産党とは全く異なる。なにせ…
三島(由紀夫)や武士は「大義のために自分の命をかけた人」というくくりで、共産主義者の仲間になってしまっているようだった。
――第6章 呪われた水滸伝の旅
だから、おそらくマルクス主義とは関係ない。反政府組織とか革命勢力とか、そういう意味だろう。1960年代にCIAが主導した途上国内の共産主義勢力の弾圧を「ジャカルタ・メソッド」が書いていた。が、本当に彼らは共産主義者だったんだろうか。もっとも、政府から見れば、いずれにせよ「俺たちに逆らう輩」なんだが。
さて、冒頭から、湿原に住むマンダ教徒を、どう呼ぶかが、著者らの一つの悩みとなる。通称は「マアダン」なのだが、イラク人らの解釈だと、「マアダン」は蔑称の印象が強い。が、当人らはそう思っていない。また、「俺はマアダンじゃなくなった」と言う人もいたり。最終的に、著者の解釈は…
マアダンは水牛中心の生活を送っている人たちなのだ。
――第5章 「エデンの園」の舟造り
って所に落ち着く。
争いは好まない…ことになっているが、
抗争はよく起きた。抗争の原因は大きく四つある。
1 婚外の性交渉(親の承認を得ない結婚や不倫、婚前交渉など)
2 テリトリーの侵害
3 水牛が耕作地の米や小麦を食べてしまう
4 盗み
――第5章 「エデンの園」の舟造り
女と縄張りは、ありがちだね。水牛の食害も、遊牧民と定住民の衝突で、納得できる。困るのは盗みだ。マアダンにとって、盗みは…
「遠くの氏族のものを盗むことは讃えられた。『夜のライオン』と呼ばれて英雄になった」
――第5章 「エデンの園」の舟造り
たぶん、トンズラかませばまず捕まらない遊牧民の暮らしが、そういう文化を育んだんだろう。異文化共生ってのは、そういう人たちと共に生きるって事です。シンドそうだなあ。
そんな彼らのマンダ教は、なかなかに気位が高い。シュメール人すら「道を踏み外した」と断じる。一種のグノーシス主義(→Wikipedia)だ。
グノーシスは「この世は間違っている」というのが思想の出発点
――第4章 イラク水滸伝六千年 脳内タイムマシンの旅
そう言われると、近ごろ流行ってる陰謀論も、グノーシスの一種かもしれない。いや知らんけど。
いったん帰国した著者は、衝撃的なモノに出会う。アザール刺繍布(→Google画像検索)だ。カラフルで自由奔放なアザール刺繍布は、マアダンが作っていた。マアダン曰く…
「ここは昔、マンダ教徒とユダヤ教徒が住んでいた。彼らが昔から(アザール刺繍布を)作っていて、ムスリムはあとから習ったんだ」
――第7章 謎のマーシュアラブ布を追え!
やはり気位が高い。
前回の旅では、そんな彼らに舟を造ってもらった著者。が、再入国するまでの間に、だいぶ傷んでしまった。そこで職人を呼んで修理してもらう。その祭、職人も彼ら(のガイド)も喋りっぱなし。
この地では、クライアントは職人や業者にお茶を出したり弁当を用意したりする以上に、話し相手になることが「接待」になるようだ。
――第8章 古代より蘇りし舟は行く
日本でも、中東系の人はスマートフォンで喋りっぱなし、なんてネタになってる。きっと、そういう文化なんだろう。お喋りが好きなのだ、彼らは。
高野秀行流の無謀にしてユーモラスなイラク南部の旅行記。彼のファンにはお馴染みの、現地の人々との体当たりのコミュニケーションと、それが祟ってのご馳走攻めなどのトラブルもあれば、グノーシスや共産主義などの考察も興味深い。フセイン時代から今日までのイラク情勢も、イラク南部ならではの独特の視点が貴重だ。何はともあれ、高野秀行ファンにお薦め。
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