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2025年12月の5件の記事

2025年12月31日 (水)

ウルリッヒ・リンス「危険な言語 エスペラント弾圧と迫害の歴史」国書刊行会 石川尚志・佐々木照央・相川拓也・吉田奈緒子・臼井裕之訳

本書で示そうとしたのは、差別を排した人間同士のコミュニケーションを実現する努力が、どれほどの疑念、嫌悪、抵抗を呼び起こしたか、である。
  ――はじめに

エスペラントの目的は、民族語に取って代わることではなく、民族語との併用だ
  ――3-3 社会主義と国際語

【どんな本?】

 1887年、帝政ロシアに生まれたユダヤ人ラザロ・ザメンホフ(→Wikipedia)は、国際語の案を発表する。そこには、ある決意があった。

言語の違いが、人々の対立を煽り憎しみ合う集団に分裂させる。世界中の人が、第二の言語として国際語を身に付ければ、争いは減るだろう。

 世界に言語は多数ある。個々の言語ごとに翻訳・通訳するなら、n個の言語に対しn×(n-1)の数の通訳者・翻訳者が必要だ。だが世界中の人が第二言語として国際語を身に付ければ、世界中の人々が語り合える。言葉の壁が消えれば、民族ごとの憎しみあいもなくなるだろう。そんなザメンホフの理想は、彼が創り上げた言語エスペラント(→Wikipedia)の優秀さも相まって、世界中の人々を惹きつけ、エスペラントの利用者も少しづつ増えていった。

 人が集まれば組織や派閥ができる。エスペラント愛好家も同じだ。国ごとのエスペラント組織やそれを基盤とした国際組織,逆に国を問わず個人会員を集めたUEA,国際的な階級闘争を表に出したSATなど、様々な組織が立ち上がり文書や雑誌を刊行し、また文通を主な手段として国を越えたエスペラント愛好家間の交流も促す。

 だがエスペラントを敵視する者たちもいた。権力を握った彼らは、エスペラント愛好家やその組織に激しい弾圧を加える。幸か不幸か幾つもの派閥・組織に分かれていたエスペラント愛好家たちは、組織ごとに異なった戦略で生き残りを図るのだが…

 なぜ権力者たちはエスペラントを憎むのか。それに対し、エスペランティストたちはどのように応じたのか。

 各国のエスペランティストたちの手紙や愛好家組織の資料に加え、東欧・ソ連崩壊に伴って公開された資料も漁り、主にロシア以西の欧州を舞台に、人々の争いをなくそうとしたザメンホフとその後継者たちの理想と活動、彼らを憎む者たちの動機と執念と弾圧、それに対し生き残りをかけた各組織・派閥の様々な対応と運命を綴り、知られざる20世紀の歴史の一幕を描く、重量級の歴史ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は La Dangera Lingvo: Studo Pri La Persekutoj Kontrau Esperanto, Ulrich Lins, 2016。日本語版は2025年9月20日初版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約371頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント50字×20字×371頁=約371,000字、400字詰め原稿用紙で約928枚。文庫なら上下巻ぐらいの容量。

 文章はやや硬いが、読みにくいって程でもない。目次を見ても分かるように、最も多くの頁を占めているのはソ連編だ。ここはいかにも共産主義的なしち面倒くさい政治思想の議論がある。共産主義に興味があるならともかく、そうでなければテキトーに流して構わない。というか、私はそうした。だって所詮はスターリンの都合だし。

【構成は?】

 ほぼ時系列に進むので、素直に頭から読もう。

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  • はじめに
  • 1 新しい言語に向けられた疑念
  • 1-1 ザメンホフとエスペラントの誕生
  • 1-2 帝政ロシアの検閲下で味わった産みの苦しみ
  • 1-3 西欧への進出
  • 1-4 エスペラントの思想的側面
  • 1-5 第一次世界大戦以前に直面した障害
  • 1-6 国際連盟におけるエスペラント
  • 1-7 労働者と「中立主義者」
  • 1-8 1920年代の迫害
  • 2 「ユダヤ人と共産主義者の言語」
  • 2-1 ヴァイマル共和国におけるエスペラント
  • 2-2 新たな敵の台頭
  • 2-3 「均制化」
  • 2-4 エスペランティストのナチ党員たち
  • 2-5 禁止への道
  • 2-6 エスペラントは単なる言語か
  • 2-7 ナチ・ドイツのモデルにならって
  • 2-8 中立主義エスペラント運動を健全化した教訓
  • 3 「プチブルとコスモポリタンの言語」
  • 3-1 ソ連におけるエスペラントの繁栄
    • 3-1-1 革命後の期待
    • 3-1-2 SATとSEU 多元主義と統一戦線
    • 3-1-3 エスペラントによる国際教育の取り組み
    • 3-1-4 階級闘争の激化とエスペラントの「悪用」
  • 3-2 分裂と終焉
    • 3-2-1 無民族主義
    • 3-2-2 SATの分裂
    • 3-2-3 スターリン体制確立期におけるエスペラント
    • 3-2-4 ソ連のエスペランティストの沈黙
  • 3-3 社会主義と国際語
    • 3-3-1 革命前の国際主義という問題
    • 3-3-2 レーニンと民族問題
    • 3-3-3 マルクス主義言語科学を目指して
    • 3-3-4 エスペラント化に反対するスクリプニク
    • 3-3-5 ロシア語論争
    • 3-3-6 無益な空論
  • 3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由
    • 3-4-1 1937~38年に何が起きたか
    • 3-4-2 大粛清化のエスペランティスト
    • 3-4-3 ソビエト愛国主義の出現
    • 3-4-4 国際文通の成功と限界
    • 3-4-5 文通の終焉
  • 3-5 第二次世界大戦の後に
    • 3-5-1 東欧における大いなる沈黙
    • 3-5-2 スターリンのマル批判
    • 3-5-3 時代の要請
    • 3-5-4 運動の再生
    • 3-5-5 東欧 問題を抱えつつも前進
    • 3-5-6 ソ連 希望と疑いの間で
  • むすび
  • 訳者あとがき/参考文献/関連年表/略語一覧/注/事項索引/人名索引

【感想は?】

 エスペラントという言葉は知っていた。でも、それが政治的に重要な意味を持つとは思わなかった。

 本書が描くのは、まさしくそれだ。エスペラントが持つ政治的な意味であり、エスペラント愛好家たちの政治的な姿勢だ。そして、彼らの政治姿勢を警戒し憎み虐げる者たちとの闘いである。

 本書の舞台は主に欧州だ。「1 新しい言語に向けられた疑念」では1920年代までの欧州全体、「2 『ユダヤ人と共産主義者の言語』」ではドイツを、「3 『プチブルとコスモポリタンの言語』」ではソ連および東欧を中心に描く。

 となれば、「2 『ユダヤ人と共産主義者の言語』」と「3 『プチブルとコスモポリタンの言語』」の敵は見当がつくだろう。そう、ナチスとソ連共産党だ。先の構成を視れば判るように、ソ連編が200頁以上と頁の過半数を占める。

 帝政ロシアに生まれたザメンホフは、ポーランドのワルシャワで学生生活を送る最中に、1881年のポグロム(ユダヤ人排斥、→Wikipedia)の洗礼を受ける。普通はそこでシオニズムにいきそうなモンだが、彼はスケールが違った。人類愛に目覚め、全人類の懸け橋となるエスペラントを産み出すのだ。

 文豪トルストイの支持を受けたものの、ロシア当局のウケは悪かった。「検閲できねえだろ」。最初からエスペラントは政治的な問題を孕んでいたのだ。

 幸いにしてフランスではルイ・ド・ボーフロンなどのインフルエンサーが活躍し、次第に盛り上がる。当初は「商業・観光・学術分野」で売り込むが、「平和運動家、社会主義者、アナキスト」なども加わり始める。1905年に国際大会も開かれた。各国政府の警戒に配慮し、当面は政治から距離を置き、エスペラントの普及に努める方針でまとまった。

 やがて1908年、国際的なエスペラント組織UEA(→Wikipedia)が誕生。当局との摩擦を警戒し国ごとの組織結成がためらわれる中、当初の会員は個人のみだった。

 そう、各国政府はエスペラントを警戒したのだ。

エスペラントが普及するにつれて明らかになったのは、敵対者の抱く反感が言語としての構造的弱点ではなく、エスペラントのもつ政治イデオロギー的背景に向けられている事実だった。
  ――1-5 第一次世界大戦以前に直面した障害

 当時はブルジョワなインテリ層が多かったエスペラント愛好者たちだが、やがて庶民にも思考かが増える。それを受けてか、1921年には階級闘争を声高に叫ぶ国際組織も生まれる。全世界無民族性協会SAT(→英語版Wikipedia)だ。

 以後、中立主義を掲げるUEAと階級闘争を前面に押し出すSATが並立する。政府の弾圧に対する両者の対応の違いは、本書の読みどころの一つ。

 続く「2 『ユダヤ人と共産主義者の言語』」は、やがて欧州を席巻するナチス・ドイツの弾圧が主題だ。

ナチスは、エスペラントという言語と、それと現に結びついている、あるいは結びついていると仮定された思惑に対して、かついてないほどに徹底した敵意を見せ、しかもそれは、年を経るごとにエスカレートしていった。
  ――2-2 新たな敵の台頭

 これに対しドイツ国内のエスペラント協会GEAは当局に迎合するが、SATは対決姿勢を崩さない。困ったことに、エスペラントには当局がつけ入るスキがあったのだ。だって創ったのはユダヤ人のザメンホフだし。おまけに当局は人々が集うのを嫌った。

ナチスの奴隷化政策の中であまり知られていないのは、それがユダヤ人やスラブ人のコミュニケーション上の権利をも抑圧した事実である。1942年7月にヒトラー自らが、東欧占領地域の非ドイツ系住民には「けっして高等教育を許さない」ように(略)求めている。
  ――2-6 エスペラントは単なる言語か

 欧州ではドイツに支配下に入ったオーストリア・ポーランド・オランダ・イタリア・ハンガリー・ブルガリア・ユーゴスラヴィアに加え、ポルトガルとスペインもエスペラントを弾圧する。例外は…

ドイツの同盟国の中で日本だけが唯一、ナチのモデルにならっていない。日本のエスペラント運動は、戦時中も迫害されなかったのだ。
  ――2-7 ナチ・ドイツのモデルにならって

 だからって喜んじゃいけない。

戦争終結まで、朝鮮でエスペラントを公に宣伝したり学んだりすることも、厳しく禁じられた。
  ――2-7 ナチ・ドイツのモデルにならって

 結局はエスニズム・ナショナリズムに囚われていたワケです。

 最後の「3 『プチブルとコスモポリタンの言語』」はロシア改めソ連が舞台。意外なことに…

1920年代の末、ソ連のエスペラント運動は盛況だった。
  ――3-1 ソ連におけるエスペラントの繁栄

 そりゃ「万国のプロレタリアートよ団結せよ」が共産主義の掛け声だし。しかしレーニンが没しスターリンが跡を継ぐと、様子が変わってくる。

「ナショナリズム的偏向」への攻撃は1937年半ばごろから強まった。
  ――3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由

 ソ連は多民族国家だ。よって多言語国家でもある。ならエスペラントが役立ちそうだが、スターリンはロシア語への統一を目指した。ソ連はそういう国だったのだ。ソ連でさえそうなら、今のロシアもやり口は更にアレだろうなあ。

ソ連の多数のエスニック集団が相互にロシア語で意思疎通できるようになる状態を党がめざしたため、ロシア語を学ばねばならない圧力がますます高まっていた。
  ――3-3 社会主義と国際語

 やがて大粛清(→Wikipedia)が始まると、エスペラント愛好家にも当局が踏み込んでくる。

ある米国人研究者によると、約5000人のエスペランティストが「強制労働収容所」で命を落としたという。
  ――3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由

 ここまで嫌う当局の言い訳は…

「おまえは国際スパイ組織の積極分子である」
  ――3-4 ソ連でスぺラントが死滅した理由

 エスペラント愛好家は文通を好む。それも外国との。手紙の中身は日々の事だ。仕事はどうか、どこに行ったか、何を食ったか、何を買ったか、誰とどんな事を話したか。となれば、ソ連の実情も漏れる。五か年計画がうまくいってりゃともかく、まあ、アレだし。つまりは鉄のカーテンですね。

 これに対しソビエト・エスペランティスト同盟SEUは当局に迎合し、集団文通なんてケッタイな対策を講じたりもするんだが。あ、つまりは検閲・校閲つきの文通です。あんましにも紋切型な共産主義の宣伝ばっかな内容のため、西欧の文通相手からはソッポ向かれちゃったけど。

 第二次世界大戦が終わりソ連が東欧を席巻すると、その影響は東欧圏のエスペランティストにも及んでくる。

エスペラント運動がソ連で弾圧されたならば、その勢力化の国々でも遅かれ早かれ存続不能にならざるをえなかった。(略)
コスモポリタン主義の危険への警告は、市民たちにいかなる外国との接触をも思いとどまらせる便利な口実となったのだ。
  ――3-5 第二次世界大戦の後に

 ばかりでなく、ロクでもないオマケがついてきた。

1948年末から1949年初めにかけては、反コスモポリタン主義キャンペーンにおぞましい要素が付け加えられた。戦争を挑発する西側と共謀する「シオニスト」に対する攻撃を装った、反ユダヤ主義である。
  ――3-5 第二次世界大戦の後に

 もしかしたらイスラエル独立が関係してるのかも。

 もっとも、そんなソ連の方針への従順さの…

…度合いは国によってまちまちだった。ハンガリーやポーランドのエスペラント協会は、機関誌に政治色の濃い記事をさほど多く載せる必要はないと考えていた。それに対してブルガリア、チェコスロバキア、東ドイツでは、党の政策をエスペラントに訳して宣伝するために、かなりの紙面が割かれた。
  ――3-5 第二次世界大戦の後に

 ユーゴスラヴィアについて何も触れられてないのは残念。まあチトーが踏ん張ったせいでソ連からハブられてたからなあ。

 そんな厳しい弾圧も、スターリンの死で風向きが変わる。特に1970年代に入ると…

(ブレジネフ時代に)バルト三国およびウクライナ人の間でエスペラントの人気が高い理由は主に、エスペラントがあればロシア語を使わずに済むという点にあった
  ――3-5 第二次世界大戦の後に

 嫌われてるなロシア。そのせいでソ連崩壊後もバルト三国じゃロシア語話者は差別されたし。

 などの苦難を乗り越えたエスペラント、ソ連崩壊後はどうなったか、というと。

旧共産圏でエスペラントを学ぼうという人の数は、減る一方だった。というのも、今や著しく増大した国際交流の場において、英語のほうがより必要に応えてくれる手段だと考えられたからである。
  ――3-5 第二次世界大戦の後に

 これにはインターネットの普及も関係あるだろう。だってネットの共通語は英語だし。いささか寂しい「むすび」だが、現代の時流を考えると更に肝が冷えるくだりが。

双方の迫害者を比較すると、一つの共通点が浮かび上がる。いずれも陰謀論を信じてそれを熱狂的にあおったことである。
  ――むすび

 まさしく今起きている事じゃないか。彼らの手口は変わっていない。ただ、新しい媒体に順応しただけなのだ。

 エスペラントなんてたかが言語と思っていたが、これほどまでに政治的な軋轢を引き起こすとは想像もつかなかった。確かに20世紀初頭の共産主義・社会主義の盛り上がりもあって、活発な政治活動を繰り広げたエスペランティストもいたが、当局に協力した組織もあった。それでも、当局は許さなかったのだ。政治的圧力に抗する方法に興味がある人にお薦め。

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2025年12月23日 (火)

徳田雄洋「離散数学 ものを分ける理論 問題解決のアリゴリズムをつくる」講談社ブルーバックス

本書では参加者全員が好きな対象物、あるいは参加者全員が嫌いな対象物で、分割可能な場合、参加者全員から全く文句が出ないように分割する不思議な方法を扱います。
  ――はじめに

ようかんを3人で分けたいのですが、もめないようにするにはどうしたらよいでしょうか
  ――第1章 ようかん問題

大きな長方形と小さな長方形を少し離して置きます。1本の長い直線でどちらの長方形の面積も2等分できるでしょうか
  ――第8章 結婚式のケーキカット

【どんな本?】

 2人でようかんを分けるの際に、どちらも文句が言えない分け方は有名だ。

  1. 片方が等分に2つに切る。
  2. もう片方が好きな方を選ぶ。

 では、3人の場合は?

 とんちクイズのようだが、数学者が挑み論文を仕上げるに足る、立派な数学の問題である。

 本書では、「好みが異なる2人が数種類のくだものを公平に分ける」「三つの居室がある家の家賃を3人で分ける」「嫌いな料理を3人で分ける」など、様々な状況で参加者全員が公平だと感じる分け方を紹介する。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年5月20日第1刷発行。新書版で横一段組み本文約218頁。9.5ポイント24字×27行×218頁=約141,264字、400字詰め原稿用紙で約354枚だが、イラストやグラフが多いので文字数は7~8割程度。文庫なら薄め。

 文章はこなれていて親しみやすい。が、内容はかなり歯ごたえがある。数式も容赦なくバリバリ出てくる。ただし大半は加減算と分数ぐらい。と書くと楽そうだが、 f(x)=うんたら、みたいな形が多い。数式が苦手な人はここで放り出すだろう。

 基本的に「数人でものを分ける」手順を説明するのだが、この手順の中身がややこしいく面倒くさい。冴えた頭で落ち着いてじっくり読まないと、なかなか頭に入ってこないし、時おり反則技もかましてくる。

 ということで、充分に覚悟して挑もう。私は途中でギブアップしました。

【構成は?】

 前の章を踏まえて後の章を積み上げてゆく構成だ。しかも、数学の本なので、一歩づつ着実に進める必要がある。まだるっこしくても、充分に理解威できるまでじっくり時間を掛けて挑もう。

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  • はじめに/登場人物紹介
  • 第1章 ようかん問題
  • 第2章 トリミング調整法
  • 第3章 くだもの問題
  • 第4章 最大化問題
  • 第5章 三角形の建物定理
  • 第6章 家賃問題
  • 第7章 赤道の気温定理
  • 第8章 結婚式のケーキカット
  • 第9章 料理問題
  • 第10章 人数増加法
  • 第11章 絶対的優位法
  • 第12章 存在定理
  • 歴史まとめ
  • 付録
  • 参考文献/索引

【感想は?】

 と、いいながら、私は途中で諦めたんだけど。ごめんなさい。

 最初の3人でようかんを分ける問題は、どうにか理解できた。説明しろ、と言われたら怪しいけど。遺産分割などで揉めたら使えるか?と言われると、まず無理です。数学ってのは、そういうモンだよねw

 この問題には前提条件がある。ようかんは中身が均等で、どこをとっても質は同じ、という条件だ。つまり単なる量の問題に単純化している。しかも、最初の解はちと酷いw

 これを、中身は様々で、かつ参加者の好みも様々、としたのが「第3章 くだもの問題」。

何種類かのくだものを1個ずつ頂いたので、2人で分けたい
  ――第3章 くだもの問題

 ようかん問題との違いは、分けるべきモノの種類が様々って点だ。それともう一つ、2人の好みも異なる。片方はメロンが一番好きで、もう一方はモモが一番好き。

 面倒なようだが、ここでは両者の好みの違いが幸いして、双方ともに「半分より多くを手に入れた」と満足する結果に。いやしまいにゃ線形計画法なんて重砲をブッぱなしてるんだけど。普通は線形計画法アプリなんかスマートフォンに入ってないってw

 まあ小学校の算数の応用問題も、この手の理不尽に文句を言ったらキリないんで、「数学とはそういうもの」と割り切るしかないね。

 と、ここまではどうにか納得できたんだけど、「これは反則だろ」と思ったのが、「第7章 赤道の気温定理」。

赤道上の180度正反対の2地点で、同一時刻に気温が同じところが1個存在することが知られている。この1組の場所を探す方法を作れ。
  ――第7章 赤道の気温定理

 現実問題として考えると、標高の高低や天気の違いなどがあって、「そうはならんやろ」となる。そこから何を選び何を捨てるか、みたいなモデル化の能力まで問われる書き方だよね、これ。たぶん、こんな前提なんだと思う。

気温の高低は日照のみで決まる。つまり昼は暑く夜は冷える。

 …と思ったら、解説の途中で気圧が出てきた。なんで問題文にない気圧が出てくる?

 恐らくは、親しみやすくするための工夫なんだろう。つまり、直接に数式を出すのではなく、とっつきやすい文章で語ろうとしたのだ。ただ、モデル化の際に必要な前提条件を入れ忘れたり、読者が余計な条件を思い浮かべてしまったりで、著者の思惑と異なった形で読者に問題が伝わってしまったのだ。

 と、まあ、そんな具合に、分かりやすくしようとする努力はしているのだが、色々と残念な結果になってしまった本だと思う。もっとも、終盤になると著者も開き直ったのか、容赦なく数式が出てくるんだけど。

 20世紀に生まれ発達した、新しい数学の一分野を紹介する本として貴重だが、読み解くには相応の覚悟が要る。同じ段落を何度も読み返す、どころか何段落か前に戻って読み直す、それぐらいの覚悟でじっくり挑もう。

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2025年12月19日 (金)

ジョン・キーガン「ノルマンディ戦の六ヵ国軍 Dデイからパリ解放まで」中央公論新社 並木均訳

本書は、社会生活において戦争と関連組織が果たす役割を別の角度から理解しようとする試みである。
  ――序文

ノルマンディの戦いは、交戦国の間に深く根を張るような反感を生んだことがなく、戦後代々にわたってその性格を冷静に分析することを妨げるものではなかった。
  ――エピローグ 「大西洋の壁」から鉄のカーテンへ

【どんな本?】

 1944年6月6日。第二次世界大戦で反撃に転じた連合軍は、ついに欧州西部に本格的な第二戦線を形成した。史上最大の作戦ことノルマンディ上陸作戦である。

 イギリスの戦史家による本書は、この作戦で上陸を敢行した連合軍のイギリス・アメリカ・カナダ・ポーランド・フランスの連合軍と、それを迎え撃つドイツの六ヵ国軍の戦いを描くとともに、当時におけるそれぞれの軍の状況や文化を綴り、各軍と将兵の姿を浮き彫りにするものである。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Six Armies in Normandy From D-Day to the Liberation of Paris, John Keegan, 1982。日本語版は2024年3月10日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約433頁に加え訳者あとがき4頁。9ポイント47字×20行×433頁=約407,020字、400字詰め原稿用紙で約1,018枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はやや詩的と言うか文学的というか。加えてイギリス人らしい皮肉で回りくどい表現が多く、ちととっつきづらい。また歴史家/戦史家らしく欧米の歴史/戦史への言及も多く、素人にはピンとこない言い回しもかなりある。

【構成は?】

 原則として時系列順に進む。第1章は米英政府および軍の首脳陣を中心に、ノルマンディ戦までの政略・大戦略レベルの過程を描く。以降の各章は、章の題でわかるように、各国の軍に焦点を当ててゆく。その結果として、各章はほぼ独立しているので、気になる所だけを拾い読みしてもいい。各章の頭に地図があるので、多くの栞を用意しておこう。

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  • 序文/はじめに
  • プロローグ 反攻作戦の地にて
  • 第1章 第二戦線への旅
    スティルウェル/ウェデマイヤー/アイゼンハワー/モロトフ/マーシャル/ブルック/モントゴメリー/ロンメル
  • 第2章 全米の雄叫びを上げる鷲たち
    飛行/降下/着地/集合/戦闘
    • 1 サント・メール=エグリーズの第56パラシュート歩兵連隊第3大隊
    • 2 メンドレ川の第505パラシュート連隊第1大隊
    • 3 コーキニーの第507パラシュート歩兵連隊第2大隊
    • 4 ドゥーヴ橋の第506パラシュート歩兵連隊第3大隊
    • 5 WXYZ地点における第502パラシュート歩兵連隊第1大隊
    • 6 プップヴィルの第501パラシュート歩兵連隊第3大隊
  • 第3章 カナダ:南岸へ
    ディエップ:恐るべき警鐘/火力支援/ドイツ軍守備隊/射爆撃/海岸までの最終航程/着岸/内陸へ
  • 第4章 スコットランド回廊
    ドイツ装甲師団の戦い/戦場への進軍/シェルブール陥落/大嵐/エプソム作戦/勇敢なるスコットランド/敵発見/渡河
  • 第5章 イングランドのヨーマン
    敵中突破計画/待機する機甲部隊/前線に移動/砲爆撃/回廊に突入/フォン・ルック戦闘断/反撃/撃退
  • 第6章 栄光のドイツ陸軍
    突破/パットン将軍の登場/相当の意志/リュティヒ作戦
  • 第7章 「ポーランド軍の戦場」
    「わが人生で最悪の日」/優柔不断な指令/「シコルスキ将軍の観光客」/シャンボワでの接敵/「鎚矛」
  • 第8章 自由フランス
    反乱/休戦/ドゥ・ゴール/ルクレールの師団/解放
  • エピローグ 「大西洋の壁」から鉄のカーテンへ
  • 謝辞/原注/主要参考文献/訳者あとがき/主な部隊の所属師団の編成/英米独軍のノルマンディ到着日/部隊名索引/索引

【感想は?】

 本書の主眼は、各国軍の歴史や個性を描くことだ。ノルマンディ以降の戦いの全体像を期待しちゃいけない。

 流れは時間軸に沿って進む。が、各章ではそれぞれの軍にスポットを当て、その歴史・立場・性格そして戦い方を描いて得ゆく。いわば連作短編集のような構成だ。

 第一章では、第二次世界大戦全体の中で、どのようにノルマンディ上陸作戦が決まったのか、その経緯を語る。よって登場する人物も、政治や外交関係の人が多い。当時のソ連のスターリンは第二戦線を切望していたが、米国は太平洋に目が行っていた。これを覆したのが…

「ドイツ第一」戦略を救ったのは、(1942年)6月4日のミッドウェー海戦の大勝利だった。ミッドウェー以後、どの提督も、どの太平洋線行きの将軍も、雄弁なマッカーサーでさえも、一夜にしてアメリカ太平洋艦隊と同等にまで零落した大日本帝国海軍のことを、戦争の主導権を維持できる戦力としてもっともらしく説明することができなくなったのである。
  ――第1章 第二戦線への旅

 第二次世界大戦全体の方向性を変えるほど、ミッドウェー海戦の影響は大きかったとは。もっとも、そこからノルマンディまでは、二年間を擁するんだけど。

 続く第2章は、米軍の空挺部隊が主役だ。一般に空挺部隊は格別に優れた将兵が集まっている。それも当然だ。空輸可能な軽装備で敵中に飛び込むんだから。おまけに本隊が来るまで補給も期待できない。だもんで、どうしても荷物は多くなり…

装備の(略)重量は体重のほぼ2倍に達し…
  ――第2章 全米の雄叫びを上げる鷲たち

 と、立つことすら満足にできない状況で機体に乗り込み、敵中に飛び降りるのだが…

第501パラシュート歩兵連隊のS3〔作戦担当〕参謀が集めた100人からなる一団のうち、1/4は捻挫か骨折をしていた。
  ――第2章 全米の雄叫びを上げる鷲たち

 おまけにドイツ軍が氾濫させた沼地に下りちゃった部隊もあって、そのまんま溺れちゃったり。もっとも、真夜中なのもあって、あまりドイツ軍には気づかれずに済んだ。というのも…

兵士というものは、どうしようもないほど睡眠を好むものである。
  ――第2章 全米の雄叫びを上げる鷲たち

 戦場じゃロクなメシもないし、寝るぐらいしか楽しみはないんだろう。日中は敵が居なくても緊張する事ばっかりだし。

 次の第3章はカナダ軍が主役。ここでは、悲劇に終わったディエップ強襲作戦(→Wikipedia)を並行して描いてゆく。「グリーンビーチ」は傑作です。

 カナダ軍にとって幸いな事に、今回の敵は手薄だった。

ディエップでは、ドイツ軍は2.5個大隊を持って6個大隊を迎え撃った。ジュノー海岸では、一個大隊未満をもって9個大隊を迎え撃つことになった。
  ――第3章 カナダ:南岸へ

 悲劇に終わったディエップだけど、連合軍はそこから多くを学び、爆撃機や艦砲射撃などによる掩護となって活かすのだ。失敗を直視するって大事だよね。

混乱をもたらす媒介となったのが、地上部隊を船から陸に移す純技術的な困難だった。(略) 特殊な上陸用舟艇の建造、大規模な空挺部隊の創設、艦砲と戦闘機による直接的な火力支援の改善、上陸地帯を敵のほかの防御地域から隔絶する航空戦力の活用…
  ――エピローグ 「大西洋の壁」から鉄のカーテンへ

 迎え撃つドイツ軍は…

(カナダ軍が上陸するジュノー海岸を守るドイツ軍第716師団は)移動する輸送手段を実質的に欠いていた。機動力の証として各師団の一個大隊に配備されていたのは自転車だった。機械式の唯一の自動車輛は、師団長のスタッフカーのみだった。それ以外――師団砲兵の火砲や歩兵大隊の補給用荷車――は、全て馬に引かれていた。兵員は徒歩で行軍するものと見なされていた。
  ――第3章 カナダ:南岸へ

 電撃戦の印象が強いドイツ軍だけど、当時の機動力は…

1944年当時、ドイツ陸軍の9割は移動するのに依然として馬か列車に依存していた。
  ――第1章 第二戦線への旅

 これは後にも効いてきて、他の部隊を支援に向かわせても、なかなか到着しない、なんて話がよく出てくる。

 それはともかく。「ノルマンディ上陸作戦1944」ではシャーマン戦車を現場で改造する米軍兵の臨機応変ぶりが印象深かったが、カナダ兵も負けちゃいない。

ベルニエールでは、砂丘の先にある浸水地帯によって彼ら(地雷処理戦車と工兵戦車)の作業が困難になっていたため、泥沼に戦車一輌を沈め、それをまたぐように橋を架けて横断路を作った。
  ――第3章 カナダ:南岸へ

 次の第4章ではスコットランドの各連隊と、それに抗うドイツ軍に光を当てる。やはり制空権は重要なようで、連合軍の爆撃によってドイツ軍は身動きがとれなくなっていた。

1944年6月11日エルウィン・ロンメル「敵は戦線の後方約100kmまでの戦域上空の制空権を完全に有しており、強力な戦闘爆撃機および爆撃機の編隊をもって、路上や開豁地〔遮蔽物がない開けた地〕での日中の往来をほぼ完全に麻痺させている」
  ――第4章 スコットランド回廊

 特に鉄道が寸断されたのが痛かったようで…

(ドイツ軍)第7軍司令部は、軍の移動を鉄道に依存するのは無駄と判断し、Dデイ当日に設置した運輸計画部を閉鎖したのだった。
  ――第4章 スコットランド回廊

 これらの爆撃を効果的にしたのが、ウルトラ。ドイツ軍が誇る暗号エニグマ(→Wikipedia)の解読だ。連合軍は「解読していること」を隠そうと、特に潜水艦戦では慎重に運用していたのだが…

ウルトラに関する物語の中で最も注目すべきは、(略)(ドイツ軍に)情報源が暴露されれたことは実際に皆無だったという点である。
  ――第4章 スコットランド回廊

 「第一次大戦は化学者の、第二次大戦は物理学者の戦争だった、第三次大戦は数学者の戦争になる」と言われる所以だろう。対するスコットランドの各連隊は…

スコットランド人にとって戦争とは国策産業のようなものであった
  ――第4章 スコットランド回廊

 と、戦争民族である由を強調している。とはいえ、生死の境にある前線の兵がもたらす情報は、どうしてもあやふやになり…

ドイツ軍戦車2輌――ティーガーと識別されたが、危険の浅い歩兵は敵の戦車を何でもそう見なした
  ――第4章 スコットランド回廊

 なんて記述も。そりゃ小銃しか持たない歩兵にとっちゃ、Ⅳ号戦車もティーガーも歯が立たない点じゃ同じだしね。

 第5章では激戦地カーンへの猛爆撃で幕を開ける。連合軍は続々と戦力を補充するのに対し、ドイツ軍は…

Dデイ以降、彼(オマール・ブラッドリー、米軍司令官)の兵力は14個師団に増加し、これに対してドイツ軍は。50マイル〔約80km〕の戦域にわずか6個師団しか擁しておらず、そのうち3個はDデイ当日の戦闘で壊滅された師団の敗残兵からなっていた
  ――第5章 イングランドのヨーマン

 と、散々な様子。ここでも、前線の将兵から見た戦争の模様が興味深い。例えば…

爆撃機搭乗員というものは、できるだけ早く搭載物を投下して安全な場所に向かおうとする傾向がある。
  ――第5章 イングランドのヨーマン

 レン・デントンが「爆撃機」で描いていた、「あとずさり」がコレなのか、と納得した次第。戦車では…

(シャーマン戦車は)燃えやすく、着火すると激しく燃えた。ディーゼル燃料ではなく、ガソリン燃料であったためである〔シャーマン戦車には、(略)ディーゼルエンジンを搭載したものもあった〕。
  ――第5章 イングランドのヨーマン

 ちなみに〔〕内は訳注。他にも訳注で原書の誤りを正してる所が多く、丁寧な訳者の仕事が有り難い。

 第6章ではヒトラー暗殺からドイツ軍のリュティヒ作戦へ。この時期になると戦力差は歴然で。

今や彼(オマール・ブラッドリー)は、残骸と化したドイツ軍の9個師団に対して15個師団を擁し、戦車も、敵の110輌に対し、750輌を保有していた。
  ――第6章 栄光のドイツ陸軍

 これまで慎重だったモントゴメリーも、形勢有利とみて…

1944年8月4日バーナード・モントゴメリー「総員、今や総力をあげて昼夜兼行で前進せよ。連合軍の主たる戦略はパリに向かって……旋回し、敵をセーヌ川まで押し戻すことである」
  ――第6章 栄光のドイツ陸軍

 そういえば、今まで読んだ西部戦線物の中で、本書は最もモントゴメリーを好意的に書いてる。英国人視点だから、かな?

 さて米軍の特徴の一つは、化物じみた兵站能力だろう。太平洋戦争でも、海軍将兵はアイスクリームを楽しんでたし。その理由の一端が、これ。

アメリカ陸軍は兵站を重視し、ハーバード・ビジネス・スクールの手法を戦争遂行に持ち込み、先進国の軍の中で唯一、産業動員の研究を目的とした参謀大学を維持していた
  ――第6章 栄光のドイツ陸軍

 ドイツはアルベルト・シュペーアが有名だけど、米国はそれがチーム単位でいたのだ。Google もそうなんだけど、数を力に変えるのが巧みなんだよな、米国は。

 続く第7章はポーランド軍。ここではカナダ同様に悲劇との対比で描いてゆく。そう、ワルシャワ蜂起(→Wikipedia)だ。「ワルシャワ蜂起1944」は傑作ですぜ。読めば現在のポーランドがロシアを警戒し軍備増強に励む理由が理解できます。

 ポーランド国内軍の戦意と執念は凄まじく…

(1944年のワルシャワ蜂起の際に)市内に投下された何千という数の不発弾は、手製の手榴弾の原材料として国内軍の工兵に珍重され、作業中に信管が作動する危険を承知のうえで慎重に解体された。(略)
物資投下中に撃破された連合軍爆撃機の燃えさかる機体から機銃を取り出そうと、爆発する前にその中に入る者もいた。
  ――第7章 「ポーランド軍の戦場」

 ここでは孤立しつつもファレーズ包囲(→Wikipedia)の栓の役割を果たしたポーランド軍指揮官の言葉が重い。

「わたしはポーランド人として話しているのだ」
  ――第7章 「ポーランド軍の戦場」

 さて終盤の第8章はパリ攻略、そして主役はルクレール率いるフランス軍だ。「パリは燃えているか?」にあるように、当初の連合軍はパリを迂回するつもりだった。

モントゴメリーとアイゼンハワーはパリを「スポンジ」と見なしており、占領するのに優秀な部隊が吸収され、ひいてはドイツ国境への前進に必要な大量の食糧と燃料が無益に吸収されてしまうと考えていた。
  ――第8章 自由フランス

 著者はヒトラーの死守命令に疑問を呈しつつも、ドイツ軍が各所に爆薬を仕掛けたのは認めている。結局、ヒトラーはこんな命令を出しているし。

「パリは廃墟以外の形で敵の手中に収めてはならない」
  ――第8章 自由フランス

 本章ではフランス国内の共産党レジスタンスを警戒するドゥ・ゴールの執念が印象に残る。

(イギリスの)特殊作戦執行部とロンドンのドゥ・ゴール組織は、都市に勢力を持つ共産主義者の力が増大するのを恐れ、パラシュートによる投下物質の圧倒的多数が野外地に落ちるように配慮していた
  ――第8章 自由フランス

 仏国内のレジスタンスは多様な勢力があり、都市部では共産党系が強かったのだ。中でもパリは…

パリ市内では共産主義者がレジスタンスの中で最大の派閥となっており、彼らが局地的勝利を利用して、政府所在地への彼(ドゥ・ゴール)の四年にわたる長旅を土壇場になって妨げるおそれがあった。
  ――第8章 自由フランス

 共産党を筆頭とするレジスタンスの蜂起がパリ奪回の立役者になれば、ドゥ・ゴールは主役の座を奪われてしまう。戦後のフランスの政治情勢も、大きく変わっていただろう。

 結局は半ば抜け駆けみたいな形でルクレールが駆けつけるんだけど。

 終盤では、絶望的な状況下でも頑強に戦ったドイツ軍の秘密を解き明かそうとする。

この都市(ベルリン)を制圧するのに要した12日間の戦闘で、120万人のソ連兵が死傷したと推定される。
  ――エピローグ 「大西洋の壁」から鉄のカーテンへ

 実際、「ベルリン陥落」は凄惨な場面が多かった。

 ノルマンディからパリ解放までの第二次世界大戦の西部戦線を、アメリカ・イギリス・カナダ・フランス・ポーランドそしてドイツ各国の軍を、舞台ごとに主役を交代しながら、彼らがソコに至るまでの過程と戦いを描く、いわば企画物の感がある作品だ。どちらかといえばマニア向けの本だろう。

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2025年12月10日 (水)

ユリア・エブナー「ゴーイング・メインストリーム 過激主義が主流になる日」左右社 西川美樹訳

(2021年)1月6日に米国の国会議事堂を襲った)暴徒の中心は事業家や医師、法律家、エンジニアやCEOといったホワイトカラーの専門家の人間だった。
  ――はじめに

わたしはユリア・エブナー。(略)ロンドンを拠点とする戦略対話研究所ならびにオックスフォード大学社会的結束研究センターに所属するオーストリア人の研究者です。研究の一環として、自分の正体を明かして参加できない各種のムーヴメントに潜入する目的で、複数の偽名を使っています。
  ――第1章 過激主義の主流化

すでに彼ら(ロシア軍)はマリウポリで化学兵器を使っている。
  ――第7章 代理戦争の遂行

【どんな本?】

 反フェミニスト,気候変動否定論者,白人ナショナリスト,反LBGTQ,ワクチン反対派,反リベラリズム。そんな「過激主義者」たちは、かつて水面下でうごめいていた。しかし最近は極右政党などの形で、政治の表舞台に飛び出してきた。

 彼らは、どのような手段で人々を集め扇動しているのか。彼らの根城はどこなのか。なぜ過激主義が彼らを魅了するのか。左派は四分五裂するのに、なぜ彼らは連帯を保てるのか。そして、彼らを操る「影の黒幕」は存在するのか。

 研究者でありッジャーナリストでもある著者は、偽名を使って彼らに潜入し、その実態を暴こうと試みるが…

 体当たりの取材によって、台頭する過激主義の実態に迫る、現代のルポルタージュ。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Going Mainstream: How extremists are taking over, Julia Ebner, 2023。日本語版は2024年6月15日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約344頁。10ポイント41字×16行×344頁=約225,664字、400字詰め原稿用紙で約565枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章は比較的にこなれている。ただ、いささか「カタカナ言葉」が多い。例えば以下だ。

  • ラビットホール:沼にハマる、→ピクシブ百科事典
  • グルーミング:てなづけ
  • レジリエンス:回復力,復元力

 内容は難しくない。とまれ、主な舞台はイギリス・フランス・ドイツなどの西欧なので、その辺の政治情勢に詳しいと、更に迫力が増すだろう。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。

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  • まえがき/はじめに
  • 第1章 過激主義の主流化
    ゴーイング・ダークネスからゴーイング・メインストリームへ
  • 第2章 サブカルチャーの創生
    インセルの潜入調査
  • 第3章 ネットワークの構築
    気候変動否定論者の世界
  • 第4章 オルトメディアの興亡
    ホワイト・ライブズ・マター
  • 第5章 バックラッシュの誘発
    トランスフォビアの究明
  • 第6章 大衆の説得
    反ワクチンネットワークの世界
  • 第7章 代理戦争の遂行
    ロシアによる反リベラリズムの戦い
  • 第8章 わたしたちにできること
    5人の専門家による15の提案
  • 謝辞/解説 清水和子/原註

【感想は?】

 正直、ちょっと期待外れ。

 体当たりの潜入取材が中心の本だと思っていた。いや確かに彼らの会合や集会に潜り込んでもいるのだ。が、それは全体の半分未満。むしろ、彼らに攻撃される側の人々、例えばトランスジェンダーなどへの取材の方が多い。

 最初の「インセルの潜入調査」からして、拍子抜けだ。だって彼らのサイトを覗いてるだけだし。まあ著者は女だから、潜入できないのはわかるけどさ。ちなみにインセルとは喪男をこじらせて女を逆恨みし暴力的になった野郎どもね(→Wikipedia)。

 私も喪男で2ちゃんの喪男板も出入りしてた。いやあ、あそこジメジメしてて、居心地がよかったんだよなあ。

彼らのミソジニーや暴力的なファンタジーがおそらく自己嫌悪や自己憐憫から生まれていることだ。
  ――第2章 サブカルチャーの創生

 喪男板も自己嫌悪や自己憐憫に満ちてたけど、暴力的ではなかった。欧州じゃ暴力的になるのは、なんでだろ?

 さて、お次の「気候変動否定論者の世界」は、生身で会議に潜り込んでる。ただし偽名で。参加者の多くは意外なことに…

およそ250人の参加者のほとんどはスーツを着た年配の白人男性だ。
  ――第3章 ネットワークの構築

 これが他の過激主義者たちとの大きな違い。珍しく彼らについては、黒幕もハッキリしてる。

戦略対話研究所(ISD)の調査によれば、環境保護運動の信用を落としたり、これを嘲笑したりする試みは、ハートランド研究所や「建設的な明日のための委員会」(CFACT)と関係していることがわかっている。これらの組織は(略)化石燃料業界と古くからのつながりがある。
  ――第3章 ネットワークの構築

 そりゃ炭鉱の所有者にとっちゃ、二酸化炭素排出規制は面白くないよね。ただ、ペルシャ湾岸のアラブ人がいないのは意外だった。とまれ、現実的な利害関係があるのが、他の過激主義者と異なる点だろう。

 次の「ホワイト・ライブズ・マター」は、ブラック・ライブズ・マター(→Wikipedia)に対抗する、白人至上主義者たち。なんか彼ら、被害者意識をこじらせてるんだよなあ。

「大いなる交代」と称するもの――グローバルなエリートの秘密結社が世界を支配するために、白人が非白人に抹殺されているとの考え…
  ――第4章 オルトメディアの興亡

 まあ世界の人口を考えれば、アフリカとインドの人口が急成長しているワケで、白人が少数派なのは事実ではある。が、そこに秘密結社や陰謀を見出すあたりが、なんとも。幼いうちに仮面ライダーやサイボーグ009などで「世界征服を狙う悪の秘密結社」に触れて免疫をつけていないと、大人になってこういうのにカブれるんだろうか。

 続く「トランスフォビアの究明」でも、奇妙な陰謀論が飛び出す。

ジェニファー・ビレクは、LGBTQの権利とは「テックと医療業界の複合体にとっての最前線」だとの発想を広める活動家だ。「『トランスジェンダー』とは企業による作り話で、現実には存在しないと考えています」
  ――第5章 バックラッシュの誘発

 などと書いちゃいるが、実は私もトランスジェンダーについて全く分かっていないと、本章で思い知った。それについては追って。ただ、これについてはフェミニストの間でも対立があり、事態をややこしくしてる。

トランスの権利を擁護する活動家と急進的なフェミニストの衝突は、1970年代にまでさかのぼる。(略)
急進的なフェミニストはふたつの集団に分かれることになる。
かたやトランス女性を支持し、平等を求めるもっと広い闘いの一翼を担うものとして受容する者たち、
かたやトランス女性の葛藤を非難し、女性の権利についての議論を乗っとったと責める者たちだ。
  ――第5章 バックラッシュの誘発

 最近じゃハリー・ポッターの著者J.K.ローリングが炎上したし。ところで、ここ、原文も「急進的なフェミニスト」なんだろうか?「熱心なフェミニスト」か「活動的なフェミニスト」のような気がするんだが。

 次の「反ワクチンネットワークの世界」でも、なかなかに香ばしい発言が飛び出す。

1 この世界を制するエリートたち(イルミナティ一族の爬虫類)は
2 意のままにできる人間たち(テレパシーによって操る奴隷)を
3 普通の人間と結婚させて我々を絶滅させようしている
  ――第6章 大衆の説得

 マグマ大使に「人間もどき」ってのが出てきたなあ。いや齢がバレるね。それはともかく、「何者かの悪意・敵意が状況を悪化させてる」って考えは、別に目新しいモンでもない。

歴史を見れば、偽情報が危機の時代に勢いづくのはいつものことだ。14世紀のペストはユダヤ人が井戸に毒を入れたせいだと非難された。19世紀のコレラ禍では、医師が死体を入手するためにわざと病気をつくったとのデマが広まった。
  ――第6章 大衆の説得

 関東大震災でも似たようなデマが広まり、無実の人々が犠牲になった。大昔からある手口だが、それだけに効果も実証されている。また、この手の扇動を巧くやるには、タイミングや状況も重要だ。

急進化はたいてい不安や不満が重なったときに始まるものだ。
  ――第8章 わたしたちにできること

 本書では、コロナ禍がこれに当たる。そして、この状況を計画的・組織的に利用している者もいる。外でもない、ロシアのプーチン政権だ。「140字の戦争」が詳しいが、ロシアは国家あげてトロール(荒らし)を運営し、デマをバラ撒き、親ロシア勢力を育てようとしている。

ロシアの偽情報はしばしばクレムリンからQアノンに直接流れ、その最終的な目的地、すなわち西側の右派メディアに届くのだ。
  ――第7章 代理戦争の遂行

 大量の戦場的なデマで不信感を煽り、政府やまっとうな報道機関の信頼性を揺るがすのがロシアの手口だ。彼らの手口は狡猾で…

ロシアのプロパガンダは聴衆に応じて慎重に行われる。RT(ロシア・トゥデイ、→Wikipedia)やスプートニクはロシア語版でワクチン接種を奨励する一方、英語版やドイツ語版ではワクチンにまつわる不安や懸念を拡散する。
  ――第7章 代理戦争の遂行

 スプートニクやRTなんていかにも怪しげじゃん、とネット老人は思うんだが、それは冷戦を経験しているからなんだろうか。あとイランの Pars Today も要注意ね。実際、どんな世代が惑わされているか、というと。

2022年にドイツで実施された調査では、30歳から49歳までのテレグラムユーザーが新ロシアのプロバガンダや陰謀論に最も影響を受けやすいとわかった。
  ――第8章 わたしたちにできること

 まったく、近ごろの若い奴は、なって思ってたら、すぐに逆襲を食らった。

また別の調査からは、総じて65歳以上のフェイスブックユーザーは、若いユーザーよりもフェイクニュースのサイトへのリンクを7倍もシェアしていることがわかった。
  ――第8章 わたしたちにできること

 はい、いずれにせよ、油断しちゃイカンって事です。

 ただ、西側の者も単にやられるだけじゃない。ロシアや中国はインターネットを検閲してるけど、それを出し抜く人たちもいる。

グーグルマップ上のレストランのレビューは、活動家が誤情報と闘う新たな手段になっている。ロシアの反体制派や国際的な活動家は、クレムリンが牛耳るソーシャルメディアを出し抜き、自分たちのメッセージをロシアに届けるクリエイティブな手法を編み出している。
  ――第8章 わたしたちにできること

 いつの時代も、検閲に抗う人たちはいるのだ。ジミー・カーターが大統領時代に東側にバラ撒いたFAXが後にベルリンの壁を崩す勢力を育てたように、こういう地道な活動が、プーチンの権力基盤を揺るがすんだろう。少しづつ、ではあるけれど。

 本書はあくまでも現状報告だ。より深い原因や構造の究明、例えば人々が陰謀論にハマる理由やその過程を求めると、少々ガッカリする。とはいえ、頷ける主張もある。例えば、反ワクチンや人種差別や荒唐無稽な陰謀論は、混然一体となって繋がり連帯を保っているのに対し、リベラルや中道はタコツボ化して四分五裂しているのはマズいよね、なんて指摘だ。

 過激主義より、それにより被害を受ける人々こそ、著者が描きたかった主題なんだろう、と私は思う。

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2025年12月 8日 (月)

高野秀行「イラク水滸伝」文藝春秋

湿地帯で舟大工を探して、舟を造ってもらえばいいんだ!
  ――はじめに

【どんな本?】

 「誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も書かない本を書く」をポリシーとする旅行記作家の高野秀行が本書で出向くのは、イラク南部の湿地帯。

 イラクは砂漠の国の印象が強い。しかし南部は全く様相が異なる。ティイグリス川とユーフラテス川が合流し、イランとの国境やペルシャ湾も近いあたりだ。8メートルもの背丈の葦が生い茂り、道路の代わりに水路が縦横に走る。もちろん重い戦闘車両は近寄れない。シュメールの時代から、都市を追われた者たちが隠れ潜む、いわば梁山泊のような土地だという。

 現代でもマンダ教徒(→Wikipedia)が多く住んでいる。もっとも、多くのマンダ教徒は他国へ移住してしまった。サダム・フセインの圧政やイランイラク戦争・湾岸戦争・イラク戦争と相次ぐ戦乱と、その後の混乱が原因だ。

 湿地帯を行き交い、水牛を飼い、葦の家に住み、独自の舟で水路を行き来する。そんな幻の民族を尋ねてイラクの「辺境」へ向かった著者は、誰と出会い、何を食い、どんな風景を見るのか。

 スリルと意外性とトラブルに満ちた、捧腹絶倒の紀行ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2023年7月30日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約462頁。9.5ポイント43字×19行×462頁=約377,454字、400字詰め原稿用紙で約944枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて親しみやすく読みやすい。内容もわかりやすい。歴史的・地理的そして最近のイラク情勢など、多くの背景事情が関わっている。が、その都度わかりやすく多分に雑な説明があるので、素人でも充分に理解できる。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。もっとも、中身は右往左往してるんだが、それも、というより、それこそがこの著者の作品の魅力なのだ。

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  • はじめに
  • 第1章 バグダード、カオスの洗礼
    • 1 有田焼のお土産が困惑を呼んだ理由
    • 2 イラク料理、こわい
    • 3 バグダード民泊は「鶴の恩返し」
    • 4 鶴の見た古都バグダード
    • 5 謎の古代宗教マンダ教
    • 6 「すべての人類はマンダ教から生まれた」
    • 7 ヨハネの愛弟子たちの洗礼
  • 第2章 イラン国境の水滸伝
    • 1 ディープサウスへ
    • 2 湿地帯が生んだイラクの国民的朝食
    • 3 マンダ教徒の舟大工
    • 4 湿地帯の王
    • 5 混沌と文明の間にあるもの
    • 6 奇人サーレ先生と天国の湖
  • 第3章 新世紀梁山泊チバーイシュ
    • 1 シュメール文明を受け継ぐ「葦の館」
    • 2 驚異の新世紀梁山泊
    • 3 伝統的水滸伝と古代粘土板せんべい
    • 4 プチ梁山泊の最強コンビ
    • 5 原初的水滸伝の謎
    • 6 湿地帯に自由はあるのか
    • 7 シュメールのウル遺跡で逆タイムトラベル
  • 第4章 イラク水滸伝六千年 脳内タイムマシンの旅
    • 1 シュメール時代の水滸伝
    • 2 異端グノーシス時代の水滸伝
    • 3 二十世紀水滸伝の主役はコミュニスト
  • 第5章 「エデンの園」の舟造り
    • 1 「エデンの園」は実在した!
    • 2 氏族長のリムジン「タラーデ」
    • 3 神をも恐れぬ舟造り
    • 4 水滸伝にはブリコラージュがよく似合う
    • 5 抵抗者たちの系譜
    • 6 湿地帯の核心「マアダン」とは何者か
    • 7 衝撃の「ゲッサ・ブ・ゲッサ」
    • 8 アメリカvsイラン戦争危機とタラーデ完成
  • 第6章 呪われた水滸伝の旅
    • 1 「エデンの園」から追放されて
    • 2 主なき梁山泊
    • 3 天地明け初めぬ島
    • 4 ゲーマルの謎
    • 5 移動経路を調査する
    • 6 われら聚義庁を乗っ取る!
  • 第7章 謎のマーシュアラブ布を追え!
    • 1 頭領ジャーシム宋江の帰還
    • 2 世界最古の都市国家ウルク
    • 3 謎の刺繍布の作り手と会う
    • 4 アザールを作っていたのは“禁じられた民”!?
    • 5 湿地帯に存在した「禁じられた民族」
    • 6 刺繍布によって浮かび上がるアフワールの真の姿
  • 第8章 古代より蘇りし舟は行く
    • 1 湿地帯の罠、再び
    • 2 過激なる水滸伝右派
    • 3 マイ・スウィート梁山泊
    • 4 浮島、最後の晩
    • 5 好漢たちが集結、タラーデに乗る
  • あとがき
  • 謝辞/参考文献一覧

【感想は?】

 相変わらずの無謀っぷりが楽しい一冊。

 何かと物騒なイラク、それも辺境に行くとなれば、普通は武装したボディガードをつけるだろう。が、著者が引き連れるのは探検家で川の達人・山田高司氏(→Wikipedia)のみ。あとは日本で知り合った何人かのイラク人のツテで、芋づる式にガイドを増やしてゆく。

 今回の旅は2回。最初はアタリを付け、二回目で本格的な調査に入る予定。

 ってんで、最初の旅でバグダードに着いたとたん、著者はご馳走攻めにあう。「イラクの料理はすっごく美味しい」そうで、中でも有名なのが恋の円盤焼きこと「サマッチ・マスグーフ」。

イラクでは五千年前から鯉が食されているのだ。
  ――第1章 バグダード、カオスの洗礼

 そしてマンダ教徒が多く住む南部アフワールに向かう。湿地と呼ばれるが…

湿地帯と聞いていたから全体的にじめじめとした場所をイメージしていたが、それも全然ちがった。雨がいくらも降らないため、水があるところ以外はひどく乾燥しており、風が吹くごとに土埃が舞う西部劇の舞台みたいな土地である。
  ――第2章 イラン国境の水滸伝

 やはり砂漠の国なのだ。大河の水で潤っているが、天水はない。だから大河の水量で湿地も広がったり狭まったりする。そして湿地に住む人も、水が減れば地上に移り住むのだ。

 彼らにとって欠かせないのが水牛とカサブ(葦)。葦ったって、高さ8メートルにも及ぶのがビッシリ生えてて、煮炊きの燃料から家にもなる。

ここでは何でもカサブ(葦)で物が造られ、ムディーフ(ゲストハウス)も例外ではない。
  ――第3章 新世紀梁山泊チバーイシュ

 ゲストハウスのみならず、住む家だってカサブだ。本書では浮島と呼んでいる。これが実に簡単に作れてしまう。実際、著者の目の前で、アッサリ実演してくれたり。

全工程で20分ぐらい。これが原初チバーシェ(浮島)なのである。
  ――第6章 呪われた水滸伝の旅

 そんな風に、家が簡単に作れるのと、水の多寡で湿地の環境が年々変わるためか、彼らは不規則に住処を変える。お陰で…

「アフワールには私有地なんてない」
彼らが所有するのは水牛のみで、あとは公共のもの。
  ――第3章 新世紀梁山泊チバーイシュ

 つまりは遊牧民なのだ。一応の縄張りはあるようだが。だから、「どこに住むか」より「どの氏族か」が大事だったりする。後に公安らしき者が著者らに事情聴取するのだが、そこで公安がこだわったのは…

私たちの目的や身分はどうでもよく、「誰の客なのか=保護者が誰か」を知りたがっているのだ。
  ――第8章 古代より蘇りし舟は行く

 公安が動くのも当然で、シュメールの昔から湿地帯は都市を追われた者が隠れ潜む地だった。なにせカサブが生い茂る地だ。葦の中に隠れれば、まず見つからない。大軍も動かしにくい。その歴史を背負い、最近では…

20世紀、イラク水滸伝の主人公は意外なグループだった。
イラク共産党である。
  ――第4章 イラク水滸伝六千年 脳内タイムマシンの旅

 なのだが、彼らが言う共産党は、私たちが考える共産党とは全く異なる。なにせ…

三島(由紀夫)や武士は「大義のために自分の命をかけた人」というくくりで、共産主義者の仲間になってしまっているようだった。
  ――第6章 呪われた水滸伝の旅

 だから、おそらくマルクス主義とは関係ない。反政府組織とか革命勢力とか、そういう意味だろう。1960年代にCIAが主導した途上国内の共産主義勢力の弾圧を「ジャカルタ・メソッド」が書いていた。が、本当に彼らは共産主義者だったんだろうか。もっとも、政府から見れば、いずれにせよ「俺たちに逆らう輩」なんだが。

 さて、冒頭から、湿原に住むマンダ教徒を、どう呼ぶかが、著者らの一つの悩みとなる。通称は「マアダン」なのだが、イラク人らの解釈だと、「マアダン」は蔑称の印象が強い。が、当人らはそう思っていない。また、「俺はマアダンじゃなくなった」と言う人もいたり。最終的に、著者の解釈は…

マアダンは水牛中心の生活を送っている人たちなのだ。
  ――第5章 「エデンの園」の舟造り

 って所に落ち着く。

 争いは好まない…ことになっているが、

抗争はよく起きた。抗争の原因は大きく四つある。
1 婚外の性交渉(親の承認を得ない結婚や不倫、婚前交渉など)
2 テリトリーの侵害
3 水牛が耕作地の米や小麦を食べてしまう
4 盗み
  ――第5章 「エデンの園」の舟造り

 女と縄張りは、ありがちだね。水牛の食害も、遊牧民と定住民の衝突で、納得できる。困るのは盗みだ。マアダンにとって、盗みは…

「遠くの氏族のものを盗むことは讃えられた。『夜のライオン』と呼ばれて英雄になった」
  ――第5章 「エデンの園」の舟造り

 たぶん、トンズラかませばまず捕まらない遊牧民の暮らしが、そういう文化を育んだんだろう。異文化共生ってのは、そういう人たちと共に生きるって事です。シンドそうだなあ。

 そんな彼らのマンダ教は、なかなかに気位が高い。シュメール人すら「道を踏み外した」と断じる。一種のグノーシス主義(→Wikipedia)だ。

グノーシスは「この世は間違っている」というのが思想の出発点
  ――第4章 イラク水滸伝六千年 脳内タイムマシンの旅

 そう言われると、近ごろ流行ってる陰謀論も、グノーシスの一種かもしれない。いや知らんけど。

 いったん帰国した著者は、衝撃的なモノに出会う。アザール刺繍布(→Google画像検索)だ。カラフルで自由奔放なアザール刺繍布は、マアダンが作っていた。マアダン曰く…

「ここは昔、マンダ教徒とユダヤ教徒が住んでいた。彼らが昔から(アザール刺繍布を)作っていて、ムスリムはあとから習ったんだ」
  ――第7章 謎のマーシュアラブ布を追え!

 やはり気位が高い。

 前回の旅では、そんな彼らに舟を造ってもらった著者。が、再入国するまでの間に、だいぶ傷んでしまった。そこで職人を呼んで修理してもらう。その祭、職人も彼ら(のガイド)も喋りっぱなし。

この地では、クライアントは職人や業者にお茶を出したり弁当を用意したりする以上に、話し相手になることが「接待」になるようだ。
  ――第8章 古代より蘇りし舟は行く

 日本でも、中東系の人はスマートフォンで喋りっぱなし、なんてネタになってる。きっと、そういう文化なんだろう。お喋りが好きなのだ、彼らは。

 高野秀行流の無謀にしてユーモラスなイラク南部の旅行記。彼のファンにはお馴染みの、現地の人々との体当たりのコミュニケーションと、それが祟ってのご馳走攻めなどのトラブルもあれば、グノーシスや共産主義などの考察も興味深い。フセイン時代から今日までのイラク情勢も、イラク南部ならではの独特の視点が貴重だ。何はともあれ、高野秀行ファンにお薦め。

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