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2025年11月の5件の記事

2025年11月27日 (木)

ロマ・アグラワル「ナットとボルト 世界を変えた7つの小さな発明」草思社 牧尾晴喜訳

宇宙であれ、生物であれ、人間による発明品であれ、それを形作る複雑な仕組みは、より小さくて単純な「なにか」からできている。(略)本書はそのような身の回りの物の根本的で魅力的な仕組みについて、明らかにするものである。
  ――はじめに

【どんな本?】

 私たちの身の回りには、さまざまなモノがある。家・時計・電話・スピーカー・洗濯ばさみ・自転車・水道etc。これらのコノは、幾つかの小さな部品や機構からできている。モノを固定する釘やネジ。くるくる回る車輪。伸び縮みするバネ。鉄を引き付ける磁石。視力を補うレンズ。モノを繋ぐひも。そして水や空気を動かすポンプ。

 これらの部品や機構は、いつ・どこで生まれたのか。それはどのように進歩し、どんな所でどのように使われたのか。そして現代ではどのように進歩し使われているのか。

 エンジニアとして橋や建築物の構造設計に携わってきた著者が、例えばひもならつり橋のような大きなものから防弾チョッキのケプラー繊維そして楽器タンブーラの弦まで、大小さまざまな機構や部品のルーツと歴史をたどり、また現代の最新技術での応用を取材した、一般向けの科学と技術と歴史の楽しい読み物。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Nuts & Bolts: Seven Small Inventions That Changed the World, Roma Agrawal, 2023。日本語版は2024年7月4日第1刷発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約281頁。9.5ポイント40字×18行×281頁=約202,320字、400字詰め原稿用紙で約506枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすく、数式も出てこない。日本の例も少し出てくるのは、インド系である著者の出自ゆえの視野の広さだろうか。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

  • はじめに
  • 1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり
  • 2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと
  • 3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり
  • 4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく
  • 5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし
  • 6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで
  • 7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで
  • おわりに
  • 謝辞/協力者一覧/参考文献

【感想は?】

 著者はハッカー、それもハードウェア・ハッカーだ。ただしハックの相手はコンピュータじゃない。建築物、特に橋である。

 冒頭の幼少期にクレヨンを分解するあたりから、ハッカー魂が炸裂してる。ハッカーの卵は、なんでもかんでも分解して中身を調べて学ぶのだ。代表的な被害者は時計ね。まあ、その後、元に戻せない事も多いんだがw

 そんな著者が最初に紹介するのが、釘。今でこそありふれたモノで…

現在の釘製造機は、1分間に800本以上の金属釘を製造することができる。
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 と、大量生産している。が、著者は敢えて昔ながらの鍛冶による手作りに挑む。この場面で、かつての釘の貴重さが伝わってくる。そう、真っ赤に熱した鉄をトンカン叩いて釘の形に成型するのだ。そんな釘の歴史は古く…

最古の青銅の釘は紀元前3400年頃のもので、エジプトで発見された。
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 と、歴史は古い。もっとも、現在の鋼鉄製の釘に比べると頑丈さは劣るが。頑丈さを求めると、リベットを介してナットとボルトに行きつく。そしてもう一つ、ワッシャーも。あれ、私は役割が今一つわかっていなかったが…

ワッシャーは、ナットと接合される鋼製の母材の間に取り付けられ、ナットが締め付ける力を分散させる役割を果たす。ワッシャーを使わないと、ナットを締める際に梁や柱に小さな亀裂が生じ、強度が落ちる可能性がある。
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 あ、そういう事なのね。ここでは軍ヲタに嬉しい雑学も一つ。

(ホーカー・)ハリケーンは二つのフレーム(構造と外皮)が必要だったのに対し、(スーパーマリン・)スピットファイアに必要なフレームは一つだけだった
  ――1 NAIL 釘 ものを固定することは偉大なり

 機体が軽くなって、いわゆる出力重量比が良くなるのか。他にも昔の船に木釘を使った例も出てきて、水中だと木が湿り膨れてより締まるのが嬉しいそうです。

 続くのは車輪。ところが、発端は意外な分野で。

車輪はもともと陶器のための発明だった。
  ――2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと

 もしや…と思ったらその通り、ろくろだった。垂直な回転軸を水平にしたのが、馴染みの車輪。最初は丸い木の板だったけど、年輪に沿って割れやすいとか重いとかで、リムとスポークに進歩する。更に製鉄技術の進歩で鋼鉄製になり…

両面が皿形になった(自転車の)テンションワイヤースポークの車輪は、その軽さと優れた強度や柔軟性(ガタついた地面でも簡単には壊れない)により、車輪の進化の中でも極めて重要なポイントとなった。
  ――2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと

 と、ちょっとした形の違いが大きな進歩をもたらす事もあるんです。

 現代の車輪は宇宙にも飛び出し…

ISSの構成要素や実験装置の動力源である太陽電池パドルは壊れやすいため、通常、スラスターを起動する場合は収納してロックする必要があり、ISSの運用に非常に致命的となる。そこで小さく、穏やかな動きで構造体を操縦できるように、エンジニアたちはコントロール・モーメント・ジャイロ(CMG)(→JAXA)と呼ばれる四つのジャイロスコープを使用している。
  ――2 WHEEL 車輪 ものを遠くへ運ぶこと

 なんて意外な所で活躍してる。要ははずみ車だね。はずみ車に溜めた角速度を取り出して、機体の姿勢を変えるのだ。スラスターは貴重な推進剤を使うし。

 車輪の次はバネ。これのルーツも意外で。

弓はバネの一種だ。バネとは基本的に、外力によって変形したときにエネルギーをたくわえる。外力が取り除かれるとバネは弾けるようにして元の形に戻り、その時にエネルギーを放出する。
  ――3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり

 意外なようだが、曲がったり伸びたりってんなら、今だって板バネがあるよね。その曲がりを極めたのが、ゼンマイだろう。そしてゼンマイ仕掛けの花形が、時計だ。もっとも、初期のゼンマイ時計は…

初期の動力ゼンマイによる時計も正確性では(従来の時計に)むしろ劣っていた。なぜなら、ゼンマイはきつく巻かれた状態で最もエネルギーをたくわえ、ほどけるとエネルギーが減少するからである。
  ――3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり

 おまけにゼンマイの品質がバラけてると、場所によって強さが違うんで、クロノメーターのジョン・ハリスン(→Wikipedia)は苦労したのだ。

 これらのバネは力を溜めて解放する、いわばバッテリーだが、もっと大きなバネは力を「伝えない」ために使われている。建物に使われる免振装置(→Wikipedia)だ。

構造物においては、バネの役割は(騒音や振動を)遮断することにあり、特に用のない限りは静止して、ひっそりと隠れているのだ。
  ――3 SPRING バネ 力を溜めたり、解放したり

 日本だと地震対策で有名だが、本書の例は音楽ホールの防音構造だ。確かに一つの建物に大小のホールや練習室があると、防音は大事だよね。

 お次の磁石は指南車や羅針盤が有名だが、本書が主に扱うのは情報の伝達と保存…って偉そうだが要は電信・電話そして電子記録媒体です。

近代的な通信手段はすべて、ある地点から別の離れた場所へほとんど一瞬のうちに信号を送るという技術に基づいている。そしてその中心をなすのが「磁石」である。
  ――4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく

 ったって電磁石だけど。とまれ、この章を読むと、機械式に対する電子式の有利さがひしひしと伝わってくる。なにせ速さが桁違いなのだ。また…

初期の電話にはさまざまなデザインがあったが、一つ共通点があった。磁石と電線のコイルを一緒に使って相互作用を生み出していたことである。
  ――4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく

 なんてアッサリ触れてるだけだけど、つまりはマイクとスピーカーね。音を電気に変える、または電気を音に変える機構だ。ここはもう少し突っ込んで欲しかったが、そうするとオーディオの歴史になって一冊の本になっちゃうか。

 そんな磁石も今や…

今ではディスク、メモリーチップ、インターネットポート、洗濯機、電話、ラジオ、時計、メーターなど、磁石は私たちの家庭に何百個も存在するようになった。
  ――4 MAGNET 磁石 情報が距離を超えてゆく

 と、すっかり当たり前のモノになったのだ。

 電磁気の次は電磁波、つか光を扱うモノ、レンズだ。私も眼鏡には日頃からお世話になってる。科学と工学の関係にはよくあるように…

磁石や多くの発見と同様に、レンズの振舞いに関する知識や使い方は、その理論的な解明よりもはるかに先をいっていた。
  ――5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし

 まあ運動方程式を知らなくてもキャッチボールはできるし。

 現代のレンズの応用で身近なのは写真だろう。昔から写真の持つ「人の心を動かす」力を判っていた人はいたようで…

19世紀に最も写真に収められたアメリカ人は、アブラハム・リンカーンではなく、(フレデリック・)ダグラス(→Wikipedia)である。
  ――5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし

 奴隷制度廃止運動家の彼は、写真が人々に与える力を意識して使ったのだ。ここでは、当時のフィルムは白人の肌の色に合わせて調整していたため、黒人はうまく写らなかった、なんて話も。

 さて、当時のカメラのレンズは一つだが、最近のスマートフォンは複数のレンズがついてる。これはハッタリじゃない。

最近では、レンズが二つ、あるいは三つ付いたスマートフォンを見るようになった。一つは遠くのものを撮影するために非常に長い焦点距離を持つレンズであり、一方で、広角撮影が可能な短焦点のレンズ、中間的な撮影ができるレンズもある。
  ――5 LENS レンズ 小さな生命へのまなざし

 スコープドッグのカメラが複数あるのは、そういうことか。いや赤外線や紫外線など広い波長の電磁波を捕える目的かな?

 なんてハイテクなネタに続くのが、ひも。単純だけど、人類の文明に与えた影響は大きいし、今だってあらゆる所に使われている。例の紐とか←をい

今もなお、傷を縫い合わせ、谷に橋をかけ、身体を保護する、そのすべてを静かに支えるのがひもの力なのだ。
  ――6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで

 単純ながら、理屈は意外と複雑だ。そこらの蔦の蔓を持って来たんじゃ、弱くて役に立たない。使い物にするには…

ひもは繊維からできているが、単一の繊維だけでは弱いし有用ともいえない。有用なものにするためには、複数の繊維を互いにこすり合わせるようにして一体化する必要がある。これによって生まれる繊維間の摩擦力こそがひもの強さの源だ。
  ――6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで

 「撚る」必要があるのだ。つか、強さの秘訣は摩擦力だったのか。知らなかった。しかも、撚り方にもコツがある。

S撚りと呼ばれるやりかたで、ひもの長さ方向に沿って、繊維がSの字の中間部のように左上から右下に巻かれている。さらにその撚糸を3本使って、今度は反対向き、つまり右上から左下(Z撚りと呼ばれる)に巻いて、1本のひもを形成している。
  ――6 STRING ひも 巨大な構造から楽器まで

 右回り・左回りの両方で巻くのだ。でないと、巻きをほどく方向にねじれようとする。これも知らなかったぞ。

 そうやって撚ったひもは、織って布になったり、吊り橋を吊るすケーブルになったり。最近は斜張橋が多いよね。

 最後はポンプ。

ポンプとは液体や気体を移動させる装置だ。
  ――7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで

 この章では、誰もが体内に持つポンプ、すなわち心臓の話も出てくるが、まずは水を送るポンプ。

革新的なポンプは、もともと乾燥地帯で生まれた。
  ――7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで

 つまりは灌漑用ですね。本章は古代メソポタミアのシャドーフ(→英語版Wikipedia)から始まって、これが実に説得力に富んでる。

 現代じゃポンプも宇宙に進出してて、こんな所でも活躍してたり。

宇宙服には大きく分けて2種類あり、一つは打ち上げと再突入の際に宇宙船内で着用するもので、もう一つは宇宙遊泳(NASAが言うところの「船外活動(EVA)」(略))に使用されるものである。
  ――7 PUMP ポンプ 心臓、渋さを超えて宇宙まで

 2種類あるなんて知らなかったぞ。本書で詳しく語るのは船外活動用で、つまりは空調用です。贅沢だと思うかもしれないが、人類初の船外活動を行ったアレクセイ・レオーノフ(→Wikipedia)の逸話を読むと、命に係わる機能だと納得するはず。

 モノにせよ仕組み・仕掛けにせよ、身の回りに溢れていると、ソレは最初からあったかのように思ってしまう。が、ひもや釘のように単純なモノでも、ソレは人類史上の大きな発明と呼べるものであり、また長い時代を経て改良を重ねてきた歴史を持っている。雑学が好きな人はもちろん、科学史・技術史に興味がある人にお薦め。

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2025年11月24日 (月)

SFマガジン2025年12月号

0.006気圧の大気中では、舞い上がった砂塵は速やかに地面に落下するからだ。
  ――宮西建礼「マールスの子どもたち」

「おまえの母親は英雄だ。くれぐれもそれを忘れるんじゃない」
  ――ウォレ・タラビ「暴噴」鳴庭真人訳

私が親友を壊したのは、17歳の冬のことです。
  ――小野美由紀「春を待つ君を待つ」

 376頁の標準サイズ。

 特集は「火星SF特集」として小説4本に評論やエッセイなど。

 小説は11本+1本。特集で4本、連載が5本、読み切りが2本+冒頭のみが1本。

 火星SF特集。小説は4本。宮西建礼「マールスの子どもたち」,チャズ・ブレンチリー「第十二の駅」桐谷知未訳,ウォレ・タラビ「暴噴」鳴庭真人訳,王侃瑜「火星の祝融」大恵和実訳。

 連載小説5本。山本浩貴(いぬのせなか座)「親さと空」第2回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第62回,吉上亮「ヴェルト」第二部第九章,夢枕獏「小角の城」第84回,飛浩隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第30回。

 読み切り小説2本。カスガ「不滅の遊戯」,小野美由紀「春を待つ君を待つ」。

 冒頭のみは第13回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作の関本聡「摂氏千度、五万気圧」。

 火星SF特集。

 宮西建礼「マールスの子どもたち」。レムとロムはコンテナトラックに潜み“都市”への密航を企てた。“都市”は自己複製機械群マルシスによりクレーター内で建設が進みつつある。ただしそこに人はいない。マルシス制御下の自動機械が動いているだけ。画面でも見れるが、二人は自らの目で見たかったのだ。望みは叶ったものの、マルシスに見つかりお説教を食らう。

 火星に相応しく酸素タンクの容量が気になる定番の冒頭から、今世紀ならではの技術を用いた“都市”の建設風景はSF心をくすぐりワクワクする。トム・ソーヤ―よろしく少年の冒険物語になるかと思いきや、現在ホットな進歩を遂げつつあるアレの行く末を見つめた舞台背景は、希望と絶望が入り混じったモノで…

 チャズ・ブレンチリー「第十二の駅」桐谷知未訳。カッシーニ・クレーターには、まわりを巡るモノレールがある。その駅の一つは“第十二の駅”と呼ばれ、必ず誰かが居る。周辺には何もない。駅にも説明板がなく、駅名の由来は人に訊ねるしかない。かつて“大戦争”で大英帝国とロシアが戦い…

 いかにもイギリス出身の作家らしい作品。というのも、イギリス陸軍は大日本帝国陸軍と同じく、部隊は出身地ごとに編成するからだ。スコットランド高地の舞台はタータンチェックのスカートをはいてバグパイプを吹いてたりする(→Wikipedia)。米国の作家だと、こういう発想は出ないだろう。いや本作の雰囲気はイングランドっぽいけど。

 ウォレ・タラビ「暴噴」鳴庭真人訳。フォラケが軌道のネリオ・ステーションで火星の地表の掘削現場を監視していた時、通信回線から轟音が鳴り響く。現場で爆発が起きたようだ。キック(→JOGMEC石油・天然ガス資源情報キック)と判断したフォラケは情報を整理する。想定した数字より2桁も大きい。現場には弟のフェミもいる。

 暴噴って言葉は知らなかったが、なんとなく見当がつくのが漢字の嬉しい所。ナイジェリア出身の著者らしくアフリカ宇宙機関が火星開発に携わっているのが独特。アフリカは鉱物資源が豊富なので、掘削技術が発達するのは理にかなってる。遠隔操作型のロボット,イベジの活躍が楽しい作品。

 王侃瑜「火星の祝融」大恵和実訳。祝融は火星の大都市天荒を管理するAIだ。その能力を認めた人類はより多くの任務を祝融に任せ、権限も拡大した。ナノマシン生産に秀でた火星の人々は肉体をナノ化し、祝融に権限を譲って火星から去る。残された祝融は自らを拡張し生命について考え始める。

 もしかして「フロストとベータ」?と思ったら「光の王」が少し混じって「十二月の鍵」に…という、年寄りを泣かせまくる作品。たまたまカブったのかと思ったが、これは完全にロジャー・ゼラズニイへのオマージュだ。神話ベースだし。壮大なストーリーを短編にギュッと詰めこんだせいか、語り口は武骨でぶっきらぼうだが、それだけに濃ゆいSF魂が煮えたぎってる。

 連載小説。

 山本浩貴(いぬのせなか座)「親さと空」第2回。2017年。柚葉は中学受験を経て県内チップの中高一貫校に入学する。だがほとんど学校には通わず、オンラインFSPゲーム Vosok に入り浸っていた。そこで知り合った同年代のマリアと親しくなり、無料インディーズ・ゲームにも手を伸ばす。その一つ Arek-Chain は奇妙なゲームで…

 前作「無断と土」に引き続き、本作でも今回はゲームが重要な役割を果たす。つか光の速度でも距離が問題になるって、どんな運動神経してるんだFPSプレイヤー。続いて出てくる Arek-Chain、不気味さと怪しさは抜群で。カギとなる事件(ネタバレ?→アムネスティインターナショナル)も実に怖い。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第62回。イースターズ・オフィス,クィンテットそしてマルドゥック市警の三者連合によるリバーサイド・ホテル攻略は続く。バジルから三階のセキュリティ・フロアを任されたトーディは、刑務所でギャングから効果的な放火の方法を学んだ。それを今、役立てよう。

 前回に続き次々とホラーな場面が続く回。特におぞましいのがハエ男。某映画の気色悪さが生々しく蘇ってくる。ばかりか、本作のハエ男はおましい方向へ大きな進歩を遂げて…。

 吉上亮「ヴェルト」第二部第九章。大恐怖(→Wikipedia)のさなか、ロベスピエールの指揮による<最高存在の祭典>が始まる。相次ぐ処刑のせいか、革命の熱は冷めてゆく。だが処刑の数は増す一方だ。なまじ効率的な道具ができたため、歯止めがなくなってしまった。この事態を憂いながらも、サンソンは役目をまっとうし続ける。

 なかなかSFな仕掛けが出てこない本作だが、王の目に続く仕掛けがやっと片鱗を見せる。それも意外な所で。科学者らしい遠大な目標のために邁進する某氏(ネタバレ、→Wikipedia)の姿は崇高…には見えず、狂気に囚われているように感じるのは何故だ。でも、その発想は相応しいかも。

 飛浩隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第30回。大館いつきに大小の刃物が迫る。フロックコートの男と印南凍が揉み合っている。女が石室一佐にのしかかり、一佐の身体から銛を抜く。早坂篤子が女に飛びかかる。

 いろいろあるが、最後の一行の衝撃が最も大きい。

 読み切り。

 カスガ「不滅の遊戯」。北条茅子は入学した高校で南七都子と出会う。二人だけの囲碁同好会で、二人は三年間ただ碁を打ち続けた。競技会に参加するでもなく、二人だけで。もっとも、当初の茅子は小学生の頃に三か月ほど囲碁教室に通っただけ。七都子に至っては入門書を読み始めたばかり。それでも七都子はめきめきと腕をあげ…

 何かに特化した集団の中では、往々にして独自の言葉が発達する。家族の中だけ、職場の仲間内だけ、または業界用語とか。あれは単位時間内の情報伝達量を増やすという合理的な目的より、仲間意識を養う役割が大きいんだろう…ってカタいな、俺。シライシユウコのイラストが作品の空気を巧みに伝えている。

 小野美由紀「春を待つ君を待つ」。登志乃世イツキは、小学三年生のときにスイと仲良くなる。スイの父は一代でセクサロイド製造会社を育て上げた。名門の一貫校で成金と蔑まれるスイは、とても可愛く男子からもてた。甘やかされて育ったスイは自由奔放で傲慢だった。イツキはそんなスイが大好きだった。スイは人気アイドルのハルそっくりなセクサロイドを手に入れ…

 文章の大半がベッドシーンという、なかなかに攻めた作品。イツキがカウンセラーに語る一人称で話は進む。これ聴いてるカウンセラーは落ち着かないだろうなあw ある意味ジェームズ・ティプトリー・ジュニアの「接続された女」なんだが、もちろん展開はまったく違う。

 第13回ハヤカワSFコンテスト優秀賞受賞作の関本聡「摂氏千度、五万気圧」の冒頭。温暖化が進む地球。太陽系外から<救済者>が突然現れ、幾つかの密閉都市を造り去ってゆく。やがて地表の気温は昼まで70℃にまで上がり、人が住めるのは密閉都市だけとなる…例外を除いて。だが密閉都市のいくつかと、連絡が取れなくなる。バンクーバーとフェアバンクスのコクーン(密閉都市)は、調査隊を派遣する。

 いかにも映像化したら映えそうな<救済者>到来の出だしは、多少の胡散臭さもあって懐かしの50年代SFっぽい雰囲気が漂う。この胡散臭さは<救済者>の真意と正体にも付きまとっている。いや掲載分じゃ何もわからないけど。地表に残った「例外」のパートでは、スケールの大きい海洋冒険物語の予感がする。

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2025年11月17日 (月)

ロジャー・サロー、スコット・ギルマン「飢える大陸アフリカ 先進国の余剰がうみだす飢餓という名の人災」悠書館 岩永勝監訳

本書は、緑の革命の成果がいかに食いつぶされたか、そして21世紀に飢餓や飢饉を誕生させた怠慢についての物語だ。
  ――序文 うわべだけの後悔 エチオピア ハイランド地方ボリチャ、2003年

「ジャンジャウィード(→Wikipedia)は、作物が十分育つまで待ち、その頃に動物を持ち込んで、実った作物をすべて食べさせるんです」
  ――8章 イモムシを食べる スーダン、スワジランド、ジンバブエ、2003年

【どんな本?】

 昔から「アフリカは飢えている」と言われる。一時期はアジアや中南米も危なかったが、化学肥料やノーマン・ボーローグ(→Wikipedia)による品種改良ど「緑の革命」(→Wikipedis)により状況は良くなった。だが、アフリカは置き去りになっている。

 原因の一つは、政治的・軍事的な不安定さだ。例えば本書の主な舞台であるエチオピア。2025年WFP(世界食糧計画)のエチオピアによると、国内の避難民に加え南スーダン・ソマリア・エリトリア・スーダンからの避難者で「1,020万人が深刻な食料不安に直面して」いる。コンゴ民主共和国の東部は、もはや紛争が固定化してしまった(→「名前を言わない戦争」)。

 だが、先進国の政策の誤りもまた、飢餓を生み出す原因となっている。支援の方法がピント外れな場合もあれば、国内の農業政策の影響もある。いずれにせよ、重要なのは現場の事情をよく知り、それに合わせた支援を行うことだ。

 中南米で成功した緑の革命が、なぜアフリカでは失敗したのか。先進国が時刻の農家を支援する政策が、なぜアフリカの農家を苦しめるのか。なぜアフリカでは繰り返し飢餓が起きるのか。状況を改善するために、先進国には何ができるのか。

 アフリカで飢餓が起きる原因と構造を明らかにし、より効果的な支援の方法を模索する、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Enough: Why the World's Poorest Starve in an Age of Plenty, Roger Thurow and Scott Kilman, 2009。日本語版は2011年10月15日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約9.5ポイント45字×18行×415頁=約336,150字、400字詰め原稿用紙で約841枚。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻。

 文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。アフリカの国や地名がよく出てくるので、地図があると便利だろう。

【構成は?】

 原則として前の章を踏まえて次の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

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  • 序文 うわべだけの後悔 エチオピア ハイランド地方ボリチャ、2003年
  • 第1部 革命は終わっていない
  • 1章 変化のきざし メキシコ、1944年
  • 2章 寄せては返す波 ノルウェー オスロ、1970年
  • 3章 アフリカへ エチオピア北部、1984年
  • 4章 不公平な補助金 マリ ファナ、2002年
  • 5章 余剰と罰 エチオピア アダミ・ツル、2003年
  • 6章 誰が誰を援助している? エチオピアナザレス、2003年
  • 7章 水、水、水 エチオピア バハール・ダミ、2003年
  • 8章 イモムシを食べる スーダン、スワジランド、ジンバブエ、2003年
  • 第2部 もう、たくさんだ!
  • 9章 激怒するしかない
  • 10章 「何かできるはずだ」 ダブリンとシアトル
  • 11章 食物とともに服用すること ケニア、モソリオト
  • 12章 二歩進んで、二歩下がる 世界各地
  • 13章 失われた環(ミッシング・リング) ケニアとガーナ
  • 14章 取引開始のベルが鳴る シカゴからアディスアベバ、タァクハスネックへ
  • 15章 現場主義 ダボスからダルフールへ
  • 16章 小さな活動がもたらす大きな成果 ケニア、オハイオ州、マラウイ
  • 17章 「彼らの期待を裏切ってはならない」 ワシントンD.C.
  • エピローグ
  • 謝辞/監訳者あとがき

【感想は?】

 農協の意義がよくわかる本だ。

 冒頭では、「緑の革命」の原動力となったノーマン・ボーローグによる小麦の品種改良の物語を描く。驚くのは、彼の独特な品種改良の手法だ。大雑把に言って、小麦の栽培法は二種類ある。春播きと秋播きだ。

 ボーローグは小麦の品種改良の期間を短縮するため、無謀ともいえる手を使う。メキシコ北西部ヤキ渓谷では秋に蒔いて春に収穫する。そこで春に収穫した種をメキシコシティ周辺で春に蒔けば、倍の速さで研究が進むぞ。

 これには、意外な効果があった。一般に植物の成長や実の結実には、日照の長さの変化がトリガーとなる。日本では小学生の頃に朝顔を育てて学ぶアレだ。が、春と秋と半年のサイクルで世代を重ねることで…

(ノーマン・)ボーローグが何度も南と北を往復させて開発した小麦は、日の長さに影響を受けにくくなり、メキシコ全体だけでなく、世界中で栽培しやすい性質を持つようになった。
  ――1章 変化のきざし メキシコ、1944年

 と、気候の違う世界中に適応できる性質を備えたのだ。

 この小麦はインドが導入し、大きな成果を挙げる。だが、アフリカでは通用しなかった。この原因が、多種多様な上に根深い。

  1. アジアは稲作用の灌漑設備が整っていたがアフリカは雨水頼り、日照りが続けば全滅
  2. アジアは市場に運ぶ道路・鉄道網や川など輸送網が整っていたがアフリカの輸送路は鉱山と港を結ぶだけ
  3. アジアは市場や貿易の流通制度があり余剰作物を吸収できたがアフリカは数百年前と同じ
  4. アジアはコメと麦だけに品種改良の焦点を絞れたがアフリカはミレット(雑穀、キビ・アワ・ヒエ・ソルガムなど)・キャッサバ・トウモロコシなど多種多様
  5. 元手がなく肥料が使えず機械化も進まない
  6. 政府による価格保証や不作の際の保険がない
  7. 戦争や紛争
  8. 政府の腐敗
  9. 政府の農業の軽視

 それぞれに歴史的な経緯や政権の政策に農家の事情も加わっている。

 まず、灌漑設備の未発達だが、エチオピアの場合は隣国エジプトやスーダンとの関係で、青ナイル川水系にダムや貯水池を作れなかったのだ。

2003年、エジプトではナイル川から水を引く何千キロもの用水路によって800万エーカー(約320ヘクタール)の農地が灌漑されていたが、エチオピアの灌漑された農地は5万エーカー(約20万ヘクタール)にも満たなかった。
  ――7章 水、水、水 エチオピア バハール・ダミ、2003年

 アフリアの政府は農業を軽んじて工業化を進めたがるけど、先進国は工業化の資本を農業で溜めてきたのだ、そして農業には水資源の管理が重要で…

「川の水力の利用とその水資源の活用なしで発展した国は、これまでない」

 なんてのもある。そういやイギリスの産業革命も、最初は水力による紡績と力織機だった。

 そのエチオピア、今はルネサンスダム(→Wikipedia)が稼働しているが、相変わらずエジプトやスーダンとは揉めている様子。

 対してアジア。緻密な水路の管理が必要な水稲=米作が盛んな地域は昔から治水を重んじてきた。ニューギニアの山奥でも、高度な水路網が整っているとか。

 次の輸送網は、自国で整えた場合もあればインドのように宗主国が造った所もある(→「綿の帝国」)。基本的にアジアは人口密度が高いので、輸送網の整備は費用対効果が高いんだろう。市場が充実しているのも、同じ理由だと思う。日本じゃ江戸時代から米の先物取引所があったし(→Wikipedia)。

 切実なのが、穀物の種類が多い点。一見、非効率なように思えるが、実は合理的なのだ。というのも…

変わりやすい天候や害虫に立ち向かう大勢の貧しい農民たちにとって唯一の保険となるのが、雑穀、モロコシ、トウモロコシ、キャッサバ、サツマイモなど、できるだけ多様な穀物を育て、何らかの形で収穫が得られる可能性を高める事だった。
  ――13章 失われた環(ミッシング・リング) ケニアとガーナ

 平均的な利益ではなく、飢え死にという最悪の状況を避ける。ゲーム理論で言う一種のミニマックス法(→Wikipedia)ですね。

 豊作の時の蓄えで不作を凌げば…と思うでしょ。実はボーローグの協力でエチオピアじゃ豊作に恵まれた年もあったのだ。だが、流通網がないので、近くの市場でしか売れない。そこに小麦が雪崩れ込み、値崩れを起こしたのだ。いわゆる豊作貧乏ね。道路が整備され軽トラでもあれば値が張る市場まで持って行けた。または空調などが整った倉庫があれば保存もできたんだが。結果…

記録的な大豊作から10年後、フフォのトウモロコシの収穫は、ボーローグが訪れる前の水準に落ち込んでいた。
  ――3章 アフリカへ エチオピア北部、1984年

 先進国からの援助もあるが、来るのは食料。道路をつくる補助金は出ない。そして世界銀行(→Wikipedia)は、アフリカ諸国の農業への支援にいい顔をしなかった。

「アメリカでは農家へ補助金を出しているのに、なぜ我々の国に対して農家へ補助金を出すなと言うのか」
  ――2章 寄せては返す波 ノルウェー オスロ、1970年

 ばかりか、道路や灌漑設備など農業を振興させるインフラへの支援も渋るのである。

「私たちが飢えているときには、専門家やら穀物を送ってきますが、農業をビジネスに発展させる支援となると、姿を見せなくなります」
  ――5章 余剰と罰 エチオピア アダミ・ツル、2003年

医療を対象とした資金が数十億ドル規模であるのに対し、アフリカの農業の向上を目指したノーマン・ボーローグの笹川アフリカ協会の予算は数百万ドル規模と、桁違いの低さだ。
  ――11章 食物とともに服用すること ケニア、モソリオト

 先の引用で少し出てきたように、米国は国内の農業に多額の補助金を出している。お陰で米国は農産物でも大輸出国だ。綿花ではブラジルと首位を争ってる。これが世界市場での綿花の価格を下げ、アフリカの綿花農家が育たない。これは豆や穀物も同じ。米国内で余った小麦は、米国政府が買い上げアフリカ向けの支援物資となる。

アメリカの農家には、飢えたアフリカの人々が必要なのだ。
  ――6章 誰が誰を援助している? エチオピアナザレス、2003年

 しかも米国の農家は資本があり設備も整ってる。

1日に150梱(1梱の重さは約22kg)を刈りとる能力のある綿鏑み機は、1台30万ドルもする。
  ――4章 不公平な補助金 マリ ファナ、2002年

 イマドキの農業にはカネがかかるのだ。米作も資金が必要で、今調べたらコンバインも150万~2000万円とか。刈入れの時しか使わないのに。

 米国の補助金の仕組みも問題で、売れただけカネが貰える仕組み。だから、ちょっとした歪みがでできてる。

2006年には、アメリカ農家のうち、売り上げで上位10%を占める農家が、補助金全体の半分以上を受け取っていた。
  ――12章 二歩進んで、二歩下がる 世界各地

 ただ、この仕組みが好ましい状況もある。そもそも米国の農業補助金は、1930年代のダストボウル(→Wikipedia)による米国農業の壊滅および世界恐慌への対策として発足した。当時は適切な対策だったのだ。

農家の大半が貧しければ、生産量に応じた補助金を払うか、種や肥料の価格を割り引くのが理にかなっている。政府にとって比較的提示しやすい基準であり、需要の高い食料の生産が促される。ただ、農業がすでに近代化した国家の場合、生産量に応じた補助金支払い制度では、支援の必要のない農家の手にも補助金が渡ってしまう。
  ――17章 「彼らの期待を裏切ってはならない」 ワシントンD.C.

 まさしく、この仕組みが向いているのがアフリカの農家だ。

ある推計によれば、エチオピア全体の農業生産高の大部分、実に95%が、数エーカーの畑で農耕する小農によるものだという。
  ――14章 取引開始のベルが鳴る シカゴからアディスアベバ、ファクッハスネックへ

 この仕組みだと、農家は頑張って多くの収穫を得ようとする。反面、現在だと、豊かな農家ほど多くの補助金を得てしまう。米国内でも農家は豊かな人が多く…

連邦準備制度によれば、アメリカの一世帯当たりの純資産の中央値は、2004年で9万3100ドル。それに対し、同年の農家一世帯当たりの純資産の中央値は45万6914ドルにのぼる。この額は2007年のは53万3975ドルにまで伸びた。
  ――12章 二歩進んで、二歩下がる 世界各地

 と、農家をバカにしちゃいけない。もっとも、農家の純資産には土地すなわち農地も含んでるんだけど。そういやニール・ヤングとかがファーム・エイド(→Wikipedia)をやってたな、と思ったが、アレの対象は「小規模農場や個人経営の農家」だった。

 とかの理由で、本書は米国の農業補助金を悪く言ってるけど、農作物輸入国の日本人としては複雑な気分だ。いわゆる食料安保で「自国の農業を守るのは当たり前」ってのもあるし、日本の畜産業は米国の安いトウモロコシ飼料でギリギリ持ってるんだし。

 本書は大きく二部構成だ。前半でこれらのアフリカで飢餓が起きるしくみを明らかにし、後半で解決策を示す。その一つは、食糧援助の形を変えることだ。まずは食料の現物支給ではなく、カネを渡す。そして飢餓が起きた地域の近隣で食料を調達するのである。

その年(2003年)、世界食糧計画が試算した結果によれば、アメリカからエチオピアまでの輸送費と取扱手数料は、穀物1トンにつき200ドルにのぼるという。
  ――12章 二歩進んで、二歩下がる 世界各地

 と、費用対効果が高い。また、迅速な対応も可能となる。

「世界食糧計画の概算によれば、現物による支給には、提供国が支援を確認してから最終的な配給地へ食糧援助が届くまでに、三ヵ月から五ヵ月かかる」
「一方、支援を現金のかたちにして食料を国内で調達すれば、配給にかかる時間は一ヵ月から三ヵ月に短縮できる」
  ――12章 二歩進んで、二歩下がる 世界各地

 確かイラク戦争でも、米軍はなるたけ補給物資を近くの国から調達するようにしてた。そうすりゃ近隣諸国の理解を得やすいし。日本も朝鮮戦争が復興の足掛かりになったんだよなあ。

 とまれ、近くの国や地域から調達しようにも、市場がなきゃどうしようもない。そこで必要なのが商品取引所だ。これも、少しづつではあるが、立ち上がりつつある。

商品取引所の目的とは、まさに小農が余剰作物を市場に売るのを支援することにある。
  ――14章 取引開始のベルが鳴る シカゴからアディスアベバ、タァクハスネックへ

 これは豊作貧乏を避けるためでもある。余った作物は、商品取引所で売ればいいのだ。ウクライナが繊細に見舞われている今なら、エジプトが小麦を買うだろう。確かパンの値上げで国民の不満が溜まってたし。

 さて、アフリカは食料に加え医療の支援も必要としている。中でも…

発展途上国での死者数が多い病気は、エイズ、結核、マラリアの三つだ。
  ――10章 「何かできるはずだ」 ダブリンとシアトル

 そこでエイズのワクチンを送ったのだが、効かない例が多かった。何故か。栄養不足だ。食料がないので、病に対抗する体力がないのだ。飢えってのは、実にタチが悪い。

 送る食料にも工夫が居る。カップ麺はお湯さえあればいいんだが、そのお湯どころか水すら手に入らない状況もある。そこで登場したのがプランピー・ナッツ。

深刻な栄養失調児への標準栄養食だった粉ミルクとは異なり、プランピー・ナッツ(→日本ユニセフ協会)は水不足に襲われた地域では貴重品の真水と混ぜる必要がなく、母親は袋の隅をちぎり、わが子の口にペーストを流し込むだけでいい。
  ――15章 現場主義 ダボスからダルフールへ

 プランピー・ナッツはフランスのNutriset社が開発した。日本でも日清食品がウクライナに人道支援しているように(→日清食品)、民間企業が支援に乗り出すことは多い。ただ、これにはコツもある。

「歴史的に見て、企業の慈善事業は、団体に金銭を拠出するものでした。しかしこのやり方は、継続が難しいのです」
「次期会長の夫人が、別の慈善事業を展開するかもしれない」
「活動を継続させるには、それを企業の事業活動に組み込む必要があります」
  ――15章 現場主義 ダボスからダルフールへ

 カネを出すのもいい。加えて、専門の部署を立ち上げちゃえば、長く続くのだ。

 また、教会などによる支援活動もある。これらは予算が少ないから、どうしたって小規模になる。が、だからこそ上手くいく場合もある。エチオピアのルネサンス・ダムほどではない、小さな貯水池でも、いやだからこそ、地元の農民には嬉しかったり。本書の例では、地元の農家が自分たちでダムと貯水池を造った話だ。

「大規模ダムを建設するとなると、リスクの大きさに躊躇するでしょう。地元地域も『不具合が起こったらどうやって補修すればいいのか?』と頭を悩ませます。このダムは自分たちで造ったものですから、修理も自分たちでできるというわけです」
  ――16章 小さな活動がもたらす大きな成果 ケニア、オハイオ州、マラウイ

2008年末の時点で(オハイオ州アーチボルドの)プロジェクトが集めた13万ドルは、(ケニアの)マチャコス県の合計500ヵ所の小規模ダムと貯水池の建設費用に充てられ、5000世帯を超える家族に水と食料をもたらした。
  ――16章 小さな活動がもたらす大きな成果 ケニア、オハイオ州、マラウイ

 散々に米国の農業政策をDisってる本書では、米国のバイオ・エタノールも散々罵っている。

「トウモロコシを燃料にするなんてどうかしています。大勢の人々を死に追いやることになりますよ」
  ――エピローグ

 需要供給資本主義。穀物の供給量が変わらず、バイオエタノール用の需要が増えれば、食料に回す分が減って価格が上がり、アフリカの飢えた人に回らなくなる、そういう理屈です。でも米国のトウモロコシは飼料用だったような。こういう所が、本書はちと荒っぽいんだよなあ。でも確かに米国産トウモロコシのバイオエタノールは胡散臭いんだよね(→Wikipedia)。

 他にもいすゞの五トントラックが「アルカイダ」と呼ばれる、なんて話もあって、なかなか興味深い本だった。なんでアルカイダかって?「猛々しく走るその威嚇的な姿から」だそうだ。

 さすがに16年前の本で、幾つかの点は再確認が必要だ。ルネサンス・ダムとか。状況が改善している所も、逆に悪化してる所もある。アフリカと言いつつ西サハラやニジェール川沿岸が出てこないのも、少し不満だ。が、食糧支援が一筋縄じゃいかないのは、充分に伝わってきたし、何より農協の重要性が身に染みてわかったのは大きい。人道支援に興味がある人はもちろん、農政の基礎を知りたい人にもお薦め。

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2025年11月 7日 (金)

村上柾勝「シェークスピアは誰ですか? 計量文献学の世界」文春新書

本書では、文章の数量的な性質の中から、個人を識別するのに役立つ「文章の指紋」ともいうべき性質を探すことによって、作者の推定を試みた内外の研究を紹介した。
  ――おわりに

著者を推定するということから始まった文章の計量分析の研究は一層の広がりを見せ、現在では文章の数量的性質の変化から、著作年や、著作順序を推定したり、さらには思想の変化や精神状態の変化を探るという方向にも進んでいる。
  ――はじめに

【どんな本?】

 計量推計学は、文章の特徴を統計的な手法で数値化し、著者の真贋や著作年などを調べる技術である。その数値化も、着目点や技法は様々だし、文献の性質により使える技法や問題点は異なる。例えば英語は単語が分かれているが、日本語は分かれていないので、形態素解析が必要だ。

 本書は計量文献学の歴史や手法をザックリと語るとともに、シェークスピアの正体や源氏物語の著者など読者に馴染みの深い事例を披露し、「計量文献学とは何をして何ができるか」を紹介する、一般向けの解説書である。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2004年10月20日第1刷発行。新書で縦一段組み本文約185頁。9ポイント42字×16行×185頁=約124,320字、400字詰め原稿用紙で約311枚。文庫でも薄い部類。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も比較的にわかりやすい。一部に数式も出てくるが、加減乗除と分数までだし、なんなら読み飛ばしても構わない。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに
  • 1 かい人21面相の脅迫状と文体分析
    グリコ・森永事件/書き手は二人?/作家・内田康夫氏の推理/脅迫状・挑戦状の漢字含有率/かい人21面相の文章の模倣
  • 2 筆跡鑑定にかわる「文章の指紋」
    筆跡鑑定がむずかしくなった/文体から書き手を推定する/「パウロの書簡」をめぐる古くからの疑問/文章の指紋/この三人の作家の正体は?/一人三人作家/三つのペンネームによる文章の共通点 読店の付け方
  • 3 文学作品と哲学書の著者を推定する
    • 1 シェークスピアは誰か?
      Did he exist or did'nt be?/シェークスピアの候補たち/単語の長さの分析から/シェークスピア別人説その後
    • 2 プラトンの『第七書簡』は贋作か?
      贋作説の背景/二重母音、不変化詞を分析すると/文の長さの分析で贋作説を否定
    • 3 マーク・トウェインの戦争経験談?
      南北戦争経験談『Q.C.Sレター』はマーク・トウェインの著作か/単語の長さを分析すると/マーク・トウェインのシェークスピア別人説
    • 4 『静かなドン』をめぐる疑惑
      ショーロホフとソルジェニーツィン/『静かなドン』は盗作か/コンピュータの分析では
    • 5 『紅楼夢』は一人の作者が書いたものか
      /曹雪芹はどこまで書いたか/47の虚詞/81回以降は高蘭墅の作品か
  • 4 聖書と宗教書の著者を推定する
    • 1 『キリストにならいて』は誰が書いたか
      著者はケンピスかジェルソンか/語彙の豊富さを計るK特性値
    • 2 『旧約聖書』の中の『イザヤ書』の著者
      聖の預言者イザヤ/著者は三人か/文章の一貫し性に疑問/分析の問題点
    • 3 『新約聖書』の『パウロの書簡』
      パウロの14通の手紙/本当にパウロが書いたのか
  • 5 政治や犯罪の文献をめぐって
    • 1 英国内閣を攻撃した投書『ジュニアス・レター』
      200年以上謎のままだった著者の正体/人物の識別指標とは/区間推定法を用いた著者の推定
    • 2 『連邦主義者』の著者の推定
      作者は合衆国大統領?/記述内容に関係しない言葉の分析/執筆者の好みが現れる言葉の使用率
    • 3 パトリシア・ハースト誘拐事件
      誘拐、転回そして銀行強盗/法廷でのやりとり/声明文の執筆者は?
    • 4 東京の保険金殺人事件
      深夜のひき逃げ事件/犯人の告白書・遺書/四通の文章の類似点は/犯人逮捕
  • 6 日本古典の謎をめぐって
    • 1 『源氏物語』の計量分析
      古典文学の最高峰『源氏物語』/作者に関する疑問/「宇治十帖」の作者は本当に紫式部か?/数値でみる『源氏物語』の全体像/言葉の使用率で「宇治十帖」をみる/『源氏物語』を品詞から分析する/グラフでみる「宇治十帖」の異質性/「宇治十帖」を書いたのは別人か?/『源氏物語』の成立順序の疑問/助動詞に基づく成立順の推定/安本美典氏の計量分析/本居宣長の犯したミス
    • 2 日蓮遺文の著者の推定
      日蓮遺文の真贋問題/問題となっている五編の文献/日蓮の好みの言葉で/言葉の情報に基づく分析/品詞の情報に基づく分析/五編の文献の真贋は/『三大秘宝稟承事』の異なる写本を用いた分析
  • 7 文体の変化とこころの変化
    • 1 川端康成の文体の変化
      心のありようと文章/読点の付け方の変化
    • 2 日蓮の文体の変化
      佐渡流罪の前と後
  • 8 日本語の計量分析の課題と限界
    日本文の分析のむずかしさ/ワープロ、パソコンと手書きでは文体は異なるか/日本の古典は宝の山
  • おわりに
  • 参考文献

【感想は?】

 本書のテーマはシェークスピアの正体をめぐるミステリではない。いや、それも少し触れてるけど、あくまでもネタの一つとしてだ。本題は、計量文献学の紹介である。まあ、その辺は副題や構成を見ればわかるんだけど。

 計量文献学とは何か。文章から特徴を洗い出して数値化する技術だ。数値化することで、客観的な比較ができる。贋作を見分けたり、真の書き手を見つけたり、成立順を並べ直したり、そういう事ができる。

 私が興味を持ったのは、「どう数値化するか」だ。これが思ったより遥かに色とりどりで、工夫に富んでいる。

 パッと思いつくのは、文の長さだ。私が読む本だと、一般に学者が書いた本は文章が長い。対して新聞記者などジャーナリストの文章は短い。これは書くのが商売か否かの違いだろう。カート・ヴォネガットも、記者時代に「とにかく文を短く」とシゴかれたとか。でないと、読んでもらえないのだ。

 日頃から「読んでもらいたい」と思ってる人なら頷けるだろうが、こんな指摘があった。

「短文というのは、修練がいる」
  ――1 かい人21面相の脅迫状と文体分析

 そうか。やはり意識して訓練しないと、文は長くなっちゃうのか。某カクヨムの作家さんで、やたら文章が短い人がいて感心してたんだが、相当に訓練したんだろうなあ。

 もっとも、商業作家、それも娯楽作品で稼いでる人は文の長さを気にするだろうけど、学者さんは違う。以下は宗教書『キリストにならいて』(→Wikipedia)の分析で得た傾向なのだが…

文の長さの平均値や文の長さのバラツキを示す四分位範囲と呼ばれる統計量は作家間で異なるが、同じ作家の作品ではほぼ同じ値となるという結果を得た。
  ――4 聖書と宗教書の著者を推定する

 だそうです。

 さて、文の長さつまり句点「。」の次は、読点「、」だ。最近読んだ「日本アニメ誕生」は、やたら読点が多いと感じた。栗本薫も多いんだよなあ。この二人は商業作家だから意識して付けてるんだろうけど…

読点は文章を読みやすくするために付けられるが、多くの人はほぼ無意識に読点を付けている。個人の文章の特徴は、このような無意識に書く所に現れやすい。
  ――2 筆跡鑑定にかわる「文章の指紋」

 もっとも、本書の注目点は読点の数じゃない。どの文字の後で読点を使うか、だ。たいてい助詞、いわゆる「でにをは」の後なんだが、この頻度に書き手の特徴が出るのだ。とまれ、この章でサンプルとして出てきた作家の長谷川海太郎(→Wikipedia)のペンネーム使い分けの芸には脱帽した。やっぱプロの作家は凄いや。

 読点・句点の次は、やっと単語だ。でも、最初の例は虚詞。これは中国語の助詞や副詞などを含むシロモノで、単独では意味をなさない。そんなモノに注目するのも、ちゃんと意味がある。

一般に文章の書き手を推定する場合には、虚詞のような記述内容に依存しない言葉で、かつ多数回使用される言葉の頻度に着目することが多い。
  ――3 文学作品と哲学書の著者を推定する

 先の長谷川海太郎のように傾向の違う本だと、出てくる単語の種類は大きく違ってくる。例えば丹下作善は「剣」が、牧逸馬は「銃」が多い…んじゃ、ないかなあ。そういう、テーマに依存する単語は、計量文献学じゃ使いにくいワケです。

 先の引用は『紅楼夢』の話。あれぐらいの大長編だと、統計的にもサンプルが多いので取り組みやすい。対して犯罪の予告状や脅迫状だと、文章の量が少なすぎて計量統計学じゃ扱いにくい。そこで、多数の手法を組み合わせることとなる。

1.どのような助詞がどの程度もちいられているかに関する頻度情報
2.どの助詞の後にどの助詞が出現するかに関する頻度情報
3.どの文字の後に読点がつけられているかに関する頻度情報
  ――5 政治や犯罪の文献をめぐって

 と、様々な角度から分析していくワケですね。

 終盤では、ついに出ました日本文学の金字塔『源氏物語』。いや読んでないけど。しかも作家複数説まであるとは知らなかった。ばかりか…

『源氏物語』に関して問題が指摘されているのは、作者複数説だけではない。54巻の成立順序に関しても、多くの研究者が現在の巻序の順かどうかについて疑問を呈している。
  ――6 日本古典の謎をめぐって

 大長編でよくある、前日譚や外伝的な章を後から付け加えるパターンね。人気が出たので読者のリクエストに応えた的な。

 この分析過程でガツンとやられたのが、紫式部の才女ぶりを示すくだり。いや村上氏の意図は違うんだけど。

『源氏物語』の中に「あはれ」に関する言葉は、「あはれ」(名詞・感動詞)、「あはれがる」(動詞)、「あはれさ」(名詞)、「あはれなり」(形容動詞)など41種類出現する。
  ――6 日本古典の謎をめぐって

 この41種類って所に、彼女の語彙の豊かさが出てるよなあ、などと感嘆したのだ。私なんて二言目には「面白い」「興味深い」ばっかだってのに。

 などと本題とは違うネタばかりになったが、計量文献学の魅力そのものは充分に伝わってくる本だった。何より、従来の文学者による主観的な分析に対し、力づくながらも客観的で数値化できる手法なのが心地よい。コンピュータと相性がよさそうな分野だけに、さすがに2004年と古いのは辛いが、「軽量文献学とは何か」を知るには手軽で楽しく読める格好の紹介書だ。文系と理系の狭間に興味がある人にお薦め。

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2025年11月 5日 (水)

アンディ・グリーンバーグ「サンドワーム ロシア最恐のハッカー部隊」角川新書 倉科顕司・山田文訳

本書では、サイバー戦争によってディストピア化を進行させているならず者の最も明確な例として、サンドワームの話を紹介する。
  ――はじめに

【どんな本?】

 2015年のクリスマスイブ。ウクライナは大規模な停電に陥る。事故ではない。事件だ。物理的な攻撃ではない。サイバー攻撃である。目標はサーバでもパソコンでもない。制御システムだ。そして目的は愉快犯でも金銭でもない。政治的・戦略的・経済的にウクライナに打撃を与えることだ。単独犯による犯行ではない。組織によるものだ。それも、大規模で高度な技術を擁する。

 以前から、連中にはコードネームがついていた。サンドワーム。

 雑誌 WIRED のシニアライターを務める著者が、ウクライナ政府のみならず世界中の港湾施設や病院などのコンピュータを停止させた謎のサイバー・テロ組織サンドワームを追い、世界を巡ってその被害者やセキュリティ関連企業に取材した、迫真のドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Sandworm: A New Era of Cyberwar and the Hunt for the Kremlin's Most Dangerous Hackers, Andy Greenberg, 2019。日本語版は2023年1月10日初版発行。新書版で縦一段組み本文約423頁に加え、著者あとがき7頁。9ポイント41字×16行×423頁=約277,488字、400字詰め原稿用紙で約694枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章は比較的こなれている。内容も、少なくとも技術的には難しくない。というか、著者はあましITに詳しくない。取材相手からDNS(→Wikipedia)の講義を受けてたり。そのためか、多少IT系の言葉遣いがあやしい。と思えば、幾つかの用語を説明なしに使ってたり。その例は以下。

  • マルウェア:不正プログラム(→Wikipedia)
  • フォレンジック:証拠の保護およびシステムの保全?(→Wikipedia)
  • ハクティビスト:政治目的を掲げる(広い意味での)ハッカー(→Wikipedia)
  • ゼロデイ攻撃:修正プログラム配布前の脆弱性を突く攻撃(→Wikipedia)

 あと、「ハッカー」は悪党の意味で使ってる。かと思えば、.vbs(→Wikipedia)やDNSは簡潔な説明がある。また、ド「メインコントローラ」(→Wikipedia)って言葉も出てくるんだが、これマイクロソフトのシロモノだよね。同様に「ワード」も、マイクロソフト・ワードを示すんだろうけど、KWord(→Wikipedia)やEGWORD(→Wikipedia)とかもあったんだぜ。最近は~WORDではなく~Writerが流行りみたいだけど。いったい、どういう読者を想定してるんだろう…って、雑誌 WIRED の読者か。

 という事で、索引か用語集が欲しかった。

【構成は?】

 前の章を踏まえて後の章が展開する構成なので、なるべく頭から読もう。

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  • はじめに
  • プロローグ
  • 第1部 出現
  • 1 ゼロデイ
  • 2 ブラックエナジー
  • 3 アラキス
  • 4 戦力倍増
  • 5 スターライト・メディア
  • 6 ホロドモールからチョルノービリまで
  • 7 マイダンからドンパスまで
  • 8 停電
  • 9 視察団
  • 第2部 起源
  • 10 回想 オーロラ
  • 11 回想 エストニア
  • 12 回想 ジョージア
  • 13 回想 スタックスネット
  • 第3部 進化
  • 14 警告
  • 15 ファンシー・ベア
  • 16 Fソサエティ
  • 17 ポリゴン
  • 18 インダストロイヤー、あるいはクラッシュオーバーライド
  • 第4部 神格化
  • 19 マースク
  • 20 エターナルブルー
  • 21 ノットペチャ
  • 22 全国規模の大災害
  • 23 崩壊
  • 24 損害
  • 25 事後分析
  • 26 距離
  • 第5部 アイデンティティ
  • 27 GRU
  • 28 離反者
  • 29 情報敵対
  • 30 ペナルティ
  • 31 バッド・ラビット、オリンピック・デストロイヤー
  • 32 偽旗
  • 33 74455
  • 34 タワー
  • 35 ロシア
  • 36 ゾウと反乱者
  • 第6部 教訓
  • 37 ブラックスタート
  • 38 回復力
  • エピローグ
  • 付録 サンドワームとフランス選挙ハッキングのつながり
  • 謝辞/著者あとがき/出典について/参考文献

【感想は?】

 つくづく、ロシアはロクな事をしない。

 ロシアのサイバー・テロ組織「サンドワーム」を雑誌 WIRED の記者が追ったドキュメンタリーだ。その過程で最大の標的となったウクライナはもちろん、ジョージア・オランダ・イギリス・米国などを飛び回り、被害者やセキュリティ企業そして国家の治安機関などに話を聞いている。

 残念ながら技術的な詳しい話は出てこない。そもそも著者はプログラマじゃないし。また、情報セキュリティ関係者に役立つネタも、ほぼ出てこない。だから、その辺は期待しないように。あくまでも「記者がテロ組織を追ったドキュメンタリー」であって、技術書じゃないのだ。

 冒頭から、標的にされたウクライナの悲惨な状況が切々と描かれる。マルウェア(不正プログラム)が蔓延しているのだ。

「ウクライナでは、攻撃されていない場所がありません。どの岩をひっくり返しても、コンピュータネットワークへの工作の痕跡が見つかるんです」
  ――第1部 出現

 素人が面白半分で仕掛けてるんじゃない。組織的に、ウクライナを標的として攻撃を仕掛けているのだ。その結果、ウクライナでは大規模な停電が起きた。

長年身を潜め、能力を高め、偵察活動をしてきたサンドワームは、これまでそのハッカーも踏み出したことのない一歩を踏み出した。実際に停電を引き起こし、数十万人の民間人が利用する現実世界のインフラを無差別に破壊したのだ。
  ――第1部 出現

 実質的な被害を考えれば、戦略爆撃みたいなモンだろう。犯罪どころか戦争行為である。これには、予兆があった。2007年4月のエストニアだ。DDoS(→Wikipedia)攻撃で、エストニア国内の多くのサイトが使えなくなった。

エストニアで起こったこの2カ月間の出来事は、一部の専門家のあいだでは、史上初のサイバー戦争、あるいは、刺激的に“第一次ウェブ大戦”と言われるようになる。
  ――第2部 起源

 政府が大胆にITを活用する国として有名なエストニアだが、悪党にとっては魅力的な標的だったのだ。もっとも、エストニアを狙った理由は、もっと下世話なものだけど。だってNATO加盟国だし。

 また、ロシアは実際の軍事侵略にサイバー攻撃を組み合わせた先例も作った。2008年のジョージア南オセチア戦争(→Wikipedia)だ。北京オリンピック期間中でもあり、軍事衝突ばかりが話題になったが、その陰でロシアはサイバー攻撃もしていたのだ。

(2008年8月のジョージアに対する)サイバー攻撃の実際の効果よりも重要なのは、ロシアが歴史的前例をつくったことだ。ハッカーによる破壊工作と伝統的な戦争をこれほど公然と連携させた国はこれまでになかった。
  ――第2部 起源

 この時はサイバー攻撃による大きな被害はなかったが、ニュース・メディアはサイバー攻撃について大きな報道をしなかったし、各国の政府も表向きは問題視しなかった。

ジョンズ・ホプキンス大学で戦略と軍事を研究しているトマス・リッド教授の指摘によると、そのように(攻撃への非難や反撃を)放置された状況のもとでロシアは技術力の限界を押し広げるだけではなく、国際社会が許容する限界を探っているという。
  ――第3部 進化

 つまり、ツケあがらせてしまうのだ。平和を維持するには、小競り合いでもキチンと反撃してメンツを保つのも大切なんです(「戦争と交渉の経済学」)。

 さて、ロシアのサーバー・テロ組織としては、「情報セキュリティの敗北史」でファンシー・ベア(→Wikipedia)が挙がっているが…

サンドワームのハッカーは、姿を見せないプロの破壊活動家だ。一方、ファンシー・ベアは恥知らずで下品なプロパガンダ活動家のようだ。
  ――第3部 進化

 「140字の戦争」にはロシアが運営するトロール(荒らし)工場が出てくる。著者もセキィリティ関係者も、その三者は見分けにくいというか、どうも連携してる雰囲気があったり。

 さて、本書の主な舞台はウクライナだが、他国の情報セキュリティ企業の関係者も、テロリストが武器として使った不正プログラムを手に入れ、解析している。その結果、かなりヤバい事がわかってきた。

「このマルウェア(CRASHOVERRIDE,→IPA 独立行政法人情報処理推進機構/pdf)のすばらしさは、どの国でも、どの変電所でも実行できることです」
  ――第3部 進化

 変電設備は国により様々なメーカーや機種があり、操作・命令系統も異なる。この違いを吸収するために、ロシア製の不正ソフトウェア CRASHOVERRIDE は、設備への命令部分をモジュール化していた。他国を攻撃する際は、そこだけ差し替えればいい。つまり、わが国がいつ攻撃されても不思議じゃないのだ。

 更にロシアはよりより凶悪な不正プログラム NotPetya を発動、2017年6月27日にウクライナ中のパソコンが狂ってしまう。

ウクライナのインフラ相ヴォロディミール・オメリヤン「政府が機能停止しました」
  ――第4部 神格化

 ばかりではない。NotPetya は世界中で猛威を振るい、例えば世界トップの海運企業マースク(→Wikipedia)の社内でもパンデミックを起こし、各国の港湾が麻痺状態に陥った。病院も被害を受けたというから恐ろしい。

 この被害を…

ホワイトハウスの評価では、結果として合計100憶ドルを超える損害があったという。
  ――第4部 神格化

 これはあくまでも表沙汰になったモノだけで、水面下でどれぐらいの被害が出たのかは不明だ。最近も日本じゃアスクルやアサヒグループホールディングスが被害を受けてたり(→YaHoo!ニュース)。いや犯人はサンドワームじゃないようだけど。

 さて、これらの不正プログラムの感染源となったのは、会計支援アプリケーションのアップデート・サーバだ。脆弱性を塞ぐために最新版にアップデートしたら、おまけに不正プログラムまでついてきたのだ。病院でワクチンを受けたら病気に感染した、みたいな話で実に怖い。その会社の担当者曰く…

単に狙われるとは思っていなかった
  ――第4部 神格化

 発電所などのインフラでもなく、軍のような安全保障のキモでもない、ただの民間企業だから、と油断してたワケです。ありがちですね。

 これらの事故というより事件の裏にはロシアのスパイ組織GRU(→Wikipedia)がある、そう情報セキュリティ企業が明言しているにも関わらず、西側の政府はダンマリを決め込んでいたが、2018年にやっと…

ジェレミー・ハント英外相「同盟諸国とともに、われわれは国際社会の安定を脅かそうとするGRUの企てを明らかにし、それに対応する」
  ――第5部 アイデンティティ

 と、声明が出た。それまで、オバマ政権もトランプ政権も黙っていたのだ。その理由の一つは、イランの核燃料濃縮施設を狙い明国とイスラエルが共同開発した不正プログラムStuxnet(→Wikipedis)だろう、と著者は推測している。「俺たちが使えなくなったら困るじゃないか」、そういう理屈だ。

 先に述べたように、ロシアが狙うのはウクライナだけとは限らない。というか、既にマースク社などが巻き添えで大きな被害を受けている。幸か不幸か、当時のウクライナはあまりコンピュータが浸透しておらず、従来のアナログな技術が多く残っていた。そのため、コンピュータを切り離すことで復旧できたのだ。

 だが、現代の米国や日本は、もっとIT化が進んでいる。加えて、若い担当者はアナログな時代を知らない。これが示す現実は怖ろしい。

「アメリカの送電網を停止させるのは、ウクライナでやるよりむずかしいでしょう」
「でも停止させたままにしておくのは簡単かもしれません」
  ――第6部 教訓

 などの本筋の迫力に加え、情報セキュリティ企業が不正プログラムを集めるため敢えて囮とするサーバを運営しているとかの、情報セキュリティ系のゴシップも山盛りで楽しかった。技術的にはあまり役立つ内容ではないが、ロシアの悪辣な手口や、それに対する西側各国の甘い対応、そして被害を受けた現場の状況などは、実に身につまされる本だった。マウスが勝手に動く場面とかね。いやマウス操作の自動化は、まっとうなソフトもあるのよ、おーとくりっか~ (→窓の杜)とか。

 そんなワケで、ロシアを警戒する人にお薦め。

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【蛇足】

 技術的にも情報セキュリティにもあまり役に立たない本だが、二つほど気が付いた事がある。先の「ワード」や「ドメインコントローラ」が示すように、本書で被害を受けたのは、みな Windows なのだ。というか、著者はコンピュータ=Windows、と思い込んでるフシがある。

 マースク社は Windows のドメインコントローラを潰され、会計支援ソフトの企業はアップデートサーバが感染源になった。なら、サーバとクライアントやバックアップと日常用は、異なるOSにすりゃいんじゃね、と思うのだ。クライアントや日常用がWindowsならサーバやバックアップはLinuxやMacintoshやAWSとか。まあ、それはそれで管理が面倒ではあるんだろうけど。

 もう一つ気づいたのは、感染のパターンだ。電子メールの添付ファイルについてたワープロ文書のマクロに不正プログラムが入ってた、そういうケースが多いのだ。

 そもそも、なぜワープロ文書なのか。地図や構成図などの絵があるならともかく、文章だけなら電子メールの本文に書けばいいじゃないか。本当にワープロ文書である必要があるのか。「屈辱の数学史」には、「某社の表計算ファイルの42.2%には一つも数式がなかった」なんて記述もある。「なんかカッコいいからワープロを使う」みたいな風潮が、社内に蔓延してたんじゃないか。

 と思ったら、ソコを指摘してるサイトもあった(セキュアSAMBAワードをメール添付で送るリスク)。やっぱりそうか。

 ヤバいマクロが勝手に動く危険もあるし、メールサーバの容量も無駄に食うしね。下手すっと一桁多くなるのだ、メールの容量が。だもんで、ネットワーク管理者には嫌われるのだ。

 そのうち、マクロ機能がないワープロソフトとかが出回るんじゃないかなあ。セキュア・ワードみたいな名前で。

 そんなワケで、マナー講習とかでも、「電子メールはなるたけ添付ファイルを使わないように」とか広めてほしいな、と思うのであった。

 以上、駄文でした。

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