ジョセフ・メイザー「数学記号の誕生」河出書房新社 松浦俊輔訳
本書は今の数学で確立している記号の起源と進化をたどるもので、数を数えるところから始まって、現代数学の主要な演算子までたどる。
――序論
【どんな本?】
現代の数学は、様々な記号を使う。0~9の数字。+-×÷の演算子。等しいを示す=。優先順序を変えるカッコ()。定数を示すabc,変数を示すxyz。右肩の小さい数字(例::x2)はべき乗。
これらの記号は、いつ、どこで、誰が、何のために編み出し、どのように流布したのか。そして、それを使うことで、どんな得があったのか。記号の普及と数学の発展には、何か関係があるのか。
数学科の名誉教授が、数学記号と数学の発展の歴史を語る、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Enlightening Symbols: A Short History of Mathematical Notation and Its Hidden Powers, Joseph Mazur, 2014。日本語版は2014年9月30日初版発行。単行本ハードカバー横一段組み本文約286頁に加え訳者あとがき2頁。9.5ポイント30字×29行×286頁=約248,820字、400字詰め原稿用紙で約623枚。文庫なら少し厚め。
文章はややぎこちない。また訳文に少しクセがある。ユークリッドがエウクレイデスとか。
数学の本だから、数式も容赦なく出てくる。が、解く必要はない。この式は連立方程式か連分数か二次・三次方程式か微分方程式か、などの種類が分かれば充分だ。数式にアレルギーがなければ、中学卒業程度でも楽しめるだろう。
【構成は?】
ほぼ歴史をたどって進むので、素直に頭から読もう。終盤に行くに従ってより高度な概念が出てくる。
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- 序論/定義/図版に関する註
- 第1部 数字
- 第1章 奇妙な始まり
- 第2章 古代の数の体系
- 第3章 絹の道と王の道
- 第4章 インドからの贈物
- 第5章 ヨーロッパへの到来
- 第6章 アラビアからの贈物
- 第7章 「リベル・アバチ」
- 第8章 起源への反論
- 第2部 代数
- 第9章 記号なし
- 第10章 ディオファントスの「算術」
- 第11章 偉大なる技
- 第12章 幼い記号
- 第13章 おずおずとした記号
- 第14章 威厳の階層
- 第15章 母音時と子音字
- 第16章 爆発
- 第17章 記号のカタログ
- 第18章 記号の達人
- 第19章 最後の魔術師
- 第3部 記号の力
- 第20章 頭の中でのランデブー
- 第21章 良い記号
- 第22章 見えないゴリラ
- 第23章 頭の中の像
- 第24章 結論
- 付録A ライプニッツの表記法
- 付録B ニュートンによるxnの流率
- 付録C 実験
- 付録D 複素数の視覚化
- 付録E 四元数
- 謝辞/訳者あとがき/原註
【感想は?】
数式はややこしい。でも、数式がないと、もっとややこしい。
エウクレイデス(ユークリッド)の「原論」(→Wikipedia)には、こんな文章が出てくる。
直線を任意に切れば、全体の上にできる正方形は、各線分の上にできる正方形と、線分で囲まれる長方形の二倍に等しい。
これを数式で表すと、こうなる。
(a+b)2=a2+b2+2ab
数危機は簡潔で要領を得ている。と同時に、少ない文字数に多くの意味や情報を詰め込んでいる。だから、数式は難しくて当たり前なのだ。
また、数式は移項や約分などの操作もできる。とても便利だ。これにより、幾つかの式が実は同じ解法で解けることが分かったりする。また、「aの右肩の2は分数や負数もあり?」なんて発想はひらめいたりする。こういった性質が、数学の発展にもつながった。
そんな感じの主題を、歴史上の多くの例を挙げて語るのが本書だ。
全体は3部で、第1部では数の表し方をじっくり辿ってゆく。第2部では加減乗除や等号などの代数記号の発明と普及の物語だ。第3部はだいぶ毛色が違い、私たちの脳が数式をどう扱うか、数式が私たちの考え方にどんな影響を与えるか、を探ってゆく。
さて、第1部は数字だ。私たち日本人がアラビア数字と呼ぶ、0~9の数字である。どうやら数字は文字と同時に誕生したらしく、最古の文献は「会計、名前、レシピ、旅日記だ」。
書く必要が生じたのは、記憶を記録する必要によるのであり、物語でないのは意外なことではない。
――第1章 奇妙な始まり
数字は国や地域により色とりどりだが、共通している点もある。
ほとんどの古代文化にとって、最初の三つの数を表す記号は縦か横かの線で…
――第3章 絹の道と王の道
漢数字でも最初は一,二、三だしね。
一桁ならいいが、二桁以上になると、面倒くさい事になる。ローマ数字は5がⅴで10がⅩ、と多くの文字を憶えなきゃいけない。漢数字だと十,百,千,万,十万…となる。いずれにせよ、位取りと零はなかった…ワケじゃない。
(古代バビロニアのニブル石板では)「空白」が記号として用いられているのだ。
――第2章 古代の数の体系
「その桁がない/ゼロである」と示すために、空白を置いたのだ。もっとも、この方法にも欠点はある。複数の桁がゼロだと、幾つの桁なのかハッキリしない。確かに。
まあ、文字で数を著すのはインテリだけで、庶民が集う市場じゃ別の方法を使ってたんだが。
文字が市場では不便だった昔には、指で数えるのがあたりまえだった。
――第4章 インドからの贈物
私たち日本人は指を折って数えるんで、片手で数えられるのは5までだ。でもプログラマは31まで数えられる←をい 体の部位で示す方法もあって、インド人は親指で他の指の関節を示す形で片手で16まで数えられる、なんて噂も。
そのアラビア数字を欧州に紹介したのは12~13世紀イタリアのフィボナッチ(→Wikipediaって話が流布してるが…
フィボナッチの本は、ヨーロッパ社会のある部分にはアラビア数字をもたらしたらしいが、イタリアを旅行したりそこで商売をしていた人々は、すでにこの数字を知っていた可能性も高い。
――第5章 ヨーロッパへの到来
と、もっと前からイタリアの商人たちは知っていたらしい。
そのイタリア商人たちにアラビア数字を伝えたのは、アラビアの商人たち。彼らはインドから「インド数字」を仕入れた。それをアラブ世界に紹介したのは、9世紀前半のバグダッドのアル=フワーリズミー(→Wikipediaの著作「インドの数の計算法」だ。
インド式の数の表し方がアラブ世界全体、さらにはヨーロッパに広まったのは、主としてこの本による。
――第6章 アラビアからの贈物
と、本書はそういう説を紹介しているが…
ヒンドゥー=アラビア数字の起源は、2世紀近くにわたって専門家によって論じられてきた。
――第7章 「リベル・アバチ」
と、この説に落ち着くまでは、様々な紆余曲折があったようだ。フランス語で書かれた「古代の文献」が登場したりw どの国でも、身びいきが過ぎる人ってのは、いるもんなんだね。
このアラビア数字、何が嬉しいかというと、簡潔に書けるのはもちろんだが、加えて筆算がしやすいのがいい。嘘だと思ったらローマ数字や漢数字で掛け算や割り算を筆算してみよう。
当時は苦労してローマ数字で数を表し計算をしていたヨーロッパ人は、(アラビア数字という)贈物をもらったようなものだ。
――第8章 起源への反論
もっとも、紙の値段が高かった時代は、算盤を使ってたんだけど。本書には西洋の算盤の写真もあって、なかなか興味深い。
第2部からは、記号と共に数や数学の概念が拡がってゆく歴史を描く。まずは、かつての世界第2位のベストセラー「原論」の著者から。ちなみにトップは聖書。原論がNo.2なのは、欧州じゃ長く数学の教科書として使われたから。
エウクレイデス(=ユークリッド)の著作(「原論」)には、べき乗やプラス、マイナスを著す代数記号はまったく見あたらない。
――第9章 記号なし
前の引用で示したように、すべて文章で表したのだ。しかも、多くは幾何と関連付けて。
何を「数」に含めるかは、時代と共に少しづつ広くなってゆく。例えば…
分数や有理数ならかまわないが、16世紀になるまでは、負の数は――負債としてなら文句なく認められたが――ヨーロッパでは本当の数とは認められなかっただろう。
――第10章 ディオファントスの「算術」
数学者はそうだろうけど、商人はどうなんだろ? 要は借金や買掛金なんだけど。あと、負数に負数を掛けたら正の数になる、って理屈も、当時の数学者は苦労した模様。これも「借金してる相手が減った」と考えれば、納得いくよね。
それはともかく、やはり昔のインドは数学の先進国だったようだ。
(7世紀インドの)ブラーマグプタ(→Wikipedia)は、2次方程式には二つの根が出ることがあり、その方程式が出てくる具体的場面での条件から、一方は排除されることを知っていた。
――第11章 偉大なる技
もっとも、一般的な解き方=二次方程式の解の公式を知っていたワケじゃないようで、個々の例ごとに具体的な解法を文章で書き綴っている。
が、やはり一般的な解き方=解の公式を求める動きはあった。そして二次方程式の解の公式には、自乗や自乗根=ルートが出てくる。今は標準的な記号や書き方が決まっているが、当時はなかった。
代数の考え方が記号をもたらしたのであって、逆ではない。
――第12章 幼い記号
という事で、第2部では、当時の人たちが考えた様々な記号や記法が出てくる。今の私たちからすればわかりにくいが、それでも当時の人たちにとっては大きな変化だったろう。
そして、記号の導入は、数学者たちの考え方にも大きな変化をもたらしてゆく。
古い幾何学的な捉え方から代数的表現を解放したのだ。
――第13章 おずおずとした記号((16世紀イタリアのラファエル・)ボンベッリ(→Wikipedia)による)巧妙で本物の記号は、代数を幾何から独立させた。
――第14章 威厳の階層
私が方程式を解く際は、単純に数学のルールに従って式を変形してゆく。「ソレはどんな図形を表すか」は考えない。でも、当時の人たちにとっては、数学と幾何=図形や立体は、分かちがたく結びついていた。二次方程式は図形を、三次方程式は立体を表したのだ。
更に定数や変数などの概念も。
(16世紀フランスのフランソワ・)ヴィエト(→Wikipedia)の驚異の母音時・子音字表記は、集合としての一般的な、何でも、すべてについて考える方法をもたらす。
――第15章 母音時と子音字
一部のIT技術者には「デカルト座標系」で有名なデカルト。そのデカルト座標系は、幾何学と代数学の関係を更に見直すことになる。
(17世紀前半フランスのルネ・)デカルト(→Wikipedia)は概念化のモードを切り替え、幾何学の問題を代数学的な座標へと移し替える方法を教えてくれた。
――第16章 爆発
と書くと順風満帆なようだが、文句を言う人たちもいた。他でもない、植字工だ。今だってワープロソフトやDTPソフトで数式を扱うのは難しい。HTMLじゃ無理だ。私は累乗を<sup>で誤魔化してるが、分数や平方(ルート)は扱えない。だから本記事でも、その辺が出てこないように書いてる。いやライブラリを使えばイケるらしけど。活字を拾って組んでいた当時の植字工の苦労は、察するに余りある。
デカルトさえ『幾何学』ではときどき、鉄十字✠を使っていたが、これは印刷所で足りなくなった活字を、新しく作らずにすませて、見つかる中でいちばん近い記号でまにあわせたためにそうなったのかもしれない。
――第17章 記号のカタログ組版業者をなだめ、紙面がもっと魅力的に見えるように、(17世紀ドイツのゴットフリート・)ライプニッツ(→Wikipedia)は項をどこまで考えるかを示すためにかっこを用いるというアイデアを導入した。
――第18章 記号の達人
写本の時代にはなかった問題だね。まあワープロが出始めた頃は、外字で似たような問題があったし、今だって住基ネットじゃ姓名でゴタゴタがブツブツ。
最後の第3部では、これらの記号が数学や数学者に与えた影響や、私たちが数式を見た際に脳がどう反応するかを考察してゆく。
現代の代数は、幾何から離れ、ルールに従った記号操作になった。変数をxやyで、定数をaやbで表す。なら、xやaは複素数でもいいんじゃね?なんて発想も出てくる。本書には出てこないが、フラクタル理論じゃ整数じゃない次元なんてのもある。xnのnは整数じゃなくてもいいよね、そういう拡張だ。
数学ですばらしいことの一つは、それが進むと――よくできた記号によって――視野が広がることだ。
――第20章 頭の中でのランデブー
とまれ、困った副作用もある。いわゆる「机上の空論」の陥りかねないのだ。
記号による代理には、代理される対象がすぐに見えなくなり、対象がまったく対応しないことも多い記号について演算が続くという不利益もある。
――第21章 良い記号
電気の世界じゃ複素数が必須らしいけど、虚数部の意味はわかっていない、なんて話を聞いたが、そういう事だろうか? いずれにせよ、複雑な式は、多くの人にとってピンとこない。何を表しているのか、その対象が既に頭の中にあるならいいんだが、そうでない時は酷く苦労する。
根源はイメージで、書かれた言葉や数学の記号は考えられたものだ。
――第22章 見えないゴリラ
それでも、やはり数学記号や数式の力は大きい。
数学の美しさ――すっきりした照明、簡潔な提示、巧みさ、複雑なものの単純化、わかりやすい接続――は、大部分、巧妙で整った記号の、わかりやすくする能力によっているのだ。
――第24章 結論
数学が得意な人は、オイラーの等式eiπ+1=0が美しいと言う。私にはわからないけど。でもK&Rこと「プログラミング言語c」を初めて読んだとき、ungetc() の見事さ舌を巻いた。そういう感じなのかな、と思う。
数学の本でもあるので、相応の歯ごたえはある。とはいえ、別に式を解く必要はないので、その辺は気楽に挑んでもいい。数学記号で数学者の思考がどれぐらい変わったか、という本でもある。だから、言語と思考の関係を、「言語は思考に強い影響を与える」と考える人には、とっても心地よい本でもある。歴史と数学の雑学に興味がある人にお薦め。
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