クロード・スティール「ステレオタイプの科学 『社会の刷り込み』は成果にどう影響し、わたしたちは何ができるのか」英治出版 藤原朝子訳
本書が目指すのは、きちんと認識されていないけれど、ステレオタイプ脅威は個人と社会の最も厄介な問題の一部に寄与していること、しかし現実的な対策を講じると、劇的な変化をもたらす可能性があることを示すことだ。
――1 アイデンティティを持つがゆえの制約わたしたちは自律的に物事を選択していると思っているが、その選択は常にコンテクストにしたがっている
――10 わたしたちを分断するもの サウスウエスト航空のファーストクラス
【どんな本?】
人は様々な属性を持っている。男だ、日本人だ、髪が薄い、ヲタクだ、理系だ、リべラルだ、巨人ファンだ等。うち幾つかは、時と場所と状況によっては好ましくない色合いを帯びる。甲子園球場の一塁側は巨人ファンに居心地が悪いだろう。
一般にその属性が強調される場所・状況で、少数派に属するのは心地よくない。また、属性に付きまとう思い込みや決めつけもある。女は数学が苦手だ、髪が薄い奴は助平だ、保守系は人種差別主義者だ、等々。
様々な属性のうち、本書は主に人種と性別に注目し、それにつきまとう思い込みや決めつけが、人の能力や実績への影響を調べてゆく。それは、本当に影響があるのか。他の原因は考えられるのか。影響はどんな集団に現れるのか。影響の多寡を左右する要素は何か。そして、どうやって調べればよいのか。
スタンフォード大学の心理学教授が、自らの研究や交友関係を交えつつ、「人種のサラダボウル」と呼ばれる米国でのアイデンティティの影響と制御法を語る、一般向けの解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Whistling Vivaldi: How Stereotypes Affect Us and What We Can Do, by Claude M. Steele, 2010。日本語版は2020年4月6日第1版第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約275頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント44字×17行×275頁=約205,700字、400字詰め原稿用紙で約515枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。
文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容もわかりやすい。ときおりSAT(大学進学適性試験,→Wikipedia)やジョン・ヘンリー(→Wikipedia)など米国ならではの制度や表現も出てくるが、たいていは説明があるので、知らなくても問題はない。
【構成は?】
基本的に前の章を前提として次の章が展開する構成なので、素直に頭から読もう。
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- 日本語版序文
- 1 アイデンティティを持つがゆえの制約
- 2 アイデンティティと成績の不可思議な関係 「女性は数学に弱い」という刷り込み
- 3 ステレオタイプ脅威の正体 何が実力発揮を妨げていたのか
- 4 何を主要なアイデンティティと捉えるか 「別の人生」を歩むことを選んだ人々
- 5 誰しもが影響を受ける アジア系女子大生が教えてくれたこと
- 6 優秀な人ほど打ちのめされる 過剰努力の悲劇
- 7 思考と身体への負担 蝕まれるワーキングメモリ
- 8 環境に潜む「サイン」の働き
- 9 ステレオタイプ脅威を縮小する方法 ナラティブというトリック
- 10 わたしたちを分断するもの サウスウエスト航空のファーストクラス
- 11 人をつなぐ橋としてのアイデンティティ
- 訳者あとがき/参考文献
【感想は?】
つまりは偏見や決めつけと、それが人に与える影響を調べた本だ。
著者は学者だけに、様々な実験で影響を調べてゆく。その調べる能力は大半が学力であり、調査対象は学生が多い。学力なのは結果がわかりやすい数値で出るからで、学生なのは立場的に調達しやすいからだろう。
ただ、実験によりサンプル数を示さなかったりするので、さすがに「科学」は言いすぎだろう、とも思う。なので、カテゴリはノンフィクションとした。
さて、人は様々な属性を持っている。性別だったり、性癖だったり、肌の色だったり、趣味だったり。
誰もがアイデンティティを持っている。それも、しばしばたくさん。
――11 人をつなぐ橋としてのアイデンティティ
そんな中で、本書が主に扱うのは、肌の色と性別だ。これは、おそらく大学教授である著者にとって、最も身近で切実な属性だからだろう。具体的には、こういう事だ。
一般に黒人学生の成績は、大学入学時のSATが同レベルの、ステレオタイプの脅威を受けていない学生よりも低い。
――9 ステレオタイプ脅威を縮小する方法 ナラティブというトリック
米国では、高校までは他の人種と同等の成績を示す学生でも、大学に入ると成績が落ちる傾向があるそうだ。この原因を、著者は「黒人は頭が悪い」という偏見に求める。似たような偏見で、「女は数学が苦手」なんてのもあって、それも本書で扱っている。いずれにせよ、「○○が得意」とか「○○が好き」などではなく、「××は▽▽が下手」とかの、悪く見る類の決めつけである。
一つのアイデンティティを際立ったものにするのは、そのアイデンティティへの脅威だ。
――4 何を主要なアイデンティティと捉えるか 「別の人生」を歩むことを選んだ人々
幾つかの実験を進めるに従い、現実にそういう傾向が現れる事も明らかになってくる。ただし、現れるには幾つかの条件がある。
スティグマのプレッシャーは、学力不足の学生よりも、学力が高い学生に大きな影響を与えるのかもしれない!
――3 ステレオタイプ脅威の正体 何が実力発揮を妨げていたのか
当初、著者の実験に参加したのはスタンフォード大学などの名門大学の大学生や大学院生などで、実験内容は数学の難しい問題を解いてもらうなどだった。要は優秀で自信がある人に、能力の限界に挑んでもらう、そういう実験である。
そうではなく、平凡な高校生や、簡単な計算問題の場合は、ほぼ影響がなかった。偏見が影響を与えるには、やはり条件があったのだ。
ネガティブなステレオタイプのプレッシャーを感じるのに、特別な素地は必要ない。研究で見つかった必須要件は一つだけ、その人が自分のパフォーマンスを気にしていることだ。
――5 誰しもが影響を受ける アジア系女子大生が教えてくれたこと
困った事に、本人はそのプレッシャーをわかっていなかったりする。
本人には明確な自覚がないことが多い。
――7 思考と身体への負担 蝕まれるワーキングメモリ
著者は更に突っ込んで、どんな能力がダメージを受けるのか、まで追跡してゆく。
最もダメージを受けるのはワーキングメモリ(作業記憶)、すなわち「即時的またはほぼ即時的に使用するために情報を維持し、操作するために使われるタイプの記憶」だ。
――7 思考と身体への負担 蝕まれるワーキングメモリ
こういった、現象を捉えるだけに留まらず、こういった現象を抑える手段にまで、著者は踏み込んでゆく。そして、実際に手段は見つかったのだ。
安全を確実に示唆するサインがあれば、多くの場合、ステレオタイプ脅威を示唆するサインの威力は抑えられたのだ。
――8 環境に潜む「サイン」の働き
このあたりは、ちょっとした解放感まで感じさせる。
などの主筋も面白いが、個々の実験の設計も楽しい。例えば学生に数学の問題を解かせるにせよ、実験の目的をどう伝えるかで、結果が違ってきたりする。
だが、どんな実験にすればいいのか。
――2 アイデンティティと成績の不可思議な関係 「女性は数学に弱い」という刷り込み
そして、個々の実験を積み重ねて、次の設問へつなげてゆく本書の構成も、謎解き物語としての楽しさ・面白さを生み出す、巧みな構成になっている。
次の挑戦が見えてきた。
――8 環境に潜む「サイン」の働き
また、同じ黒人であっても、米国とパリでは立場が違うなどの、下世話な事情がわかるのも嬉しい。いや、やっぱりパリにも差別はあるんだけど、条件が違うのだ。
すべてのアイデンティティは特定の場所に根ざしたローカルなものだ
――4 何を主要なアイデンティティと捉えるか 「別の人生」を歩むことを選んだ人々
ただ、数学の勉強のコツはン十年前に教えて欲しかったなあ。一人で頑張るより、優秀な人たちと一緒に勉強すると効率がいいらしい。
アジア系学生は、黒人学生や白人学生と比べて、大学の教室でもプライベートでもグループで勉強することが多い。
――6 優秀な人ほど打ちのめされる 過剰努力の悲劇
他にも吊り橋効果のソースが出てきたり、ハンマー使いのジョン・ヘンリー(→Wikipedia)の伝説など、楽しい挿話は盛りだくさんだ。基本的に心理学の本なので、ヒトのココロに興味があるヒトなら、きっと楽しめるだろう。
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