ティム・ワイナー「米露諜報秘録 1945-2020 冷戦からプーチンの謀略まで」白水社 村上和久訳
ホワイトハウスとクレムリンは、20世紀中、スパイと外交官に命じて、全世界ですくなくとも117回の国政選挙を操作した。
――第1章 将来の闘争の種
【どんな本?】
第二次世界大戦が終わると、世界は西側と東側で対立する。東側を率いるソ連は、この分野で長い歴史と多くの実績を誇っていたのに対し、西側のリーダー米国は、これからCIAを立ち上げる所から始めねばならなかった。
欧州における駆け引きや途上国での陣取り合戦そして互いの国内での世論操作など、米ソの諜報機関はそれぞれの指導者の方針に従い暗躍を続ける。
やがてベルリンの壁が崩れソ連が崩壊し、世界は新しい秩序に向かうかと思われたが、元KGBのウラジーミル・プーチンの登場で盤面は大きく様相を変える。
綿密な調査と取材で「CIA秘録」を著した著者が、同じ諜報機関をテーマとしつつも米露の対決に焦点を絞り、いまなおホットな2020年の話題も盛り込んで送る、衝撃的な現代のルポルタージュ。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Folly and the Glory: America, Russia, and Political Warfare 1945-2020, by Tim Weiner, 2020。日本語版は2022年7月10日発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約308頁に加え、訳者あとがき10頁。9ポイント45字×20行×308頁=約277,200字、400字詰め原稿用紙で約693枚。文庫なら厚めの一冊分。
文章はやや硬い上に、外交文書っぽいまわりくどい表現が多い。実際、外交文書の引用も多いし。だが内容自体は比較的にわかりやすい。なにせネタは現代史だし。特に最後の「第10章 アメリカの民主主義」は、2020年の米国大統領選を扱っているので、極めてエキサイティングだ。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むが、興味のある所だけを拾い読みしてもいいだろう。
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- 第1章 将来の闘争の種
- 第2章 永遠に続くリズム
- 第3章 真実だけではじゅうぶんでない
- 第4章 西側最後の希望
- 第5章 ヴォイス・オブ・アメリカ
- 第6章 じつに汚い手
- 第7章 「黄金期の欺瞞に満ちた夢」
- 第8章 この消すことのできない炎
- 第9章 最初の犠牲者たち
- 第10章 アメリカの民主主義
- あとがき エイジェント・オブ・インフルエンス
- 謝辞/訳者あとがき/原注/人名索引
【感想は?】
私たちは2025年7月現在の米国大統領が誰か知っている。これは怖ろしい事だ。
本書は第二次世界大戦後の、米国 vs ソ連/ロシアの、情報/諜報機関の戦いを描いている。著者はそれを「政治戦」と呼ぶ。
ジョージ・F・ケナン(→Wikipedia)「政治戦は、国家の目標を達成するための、戦争をのぞく、国家が自由に使えるあらゆる手段の行使である」
――第2章 永遠に続くリズム
秘密警察チェカー(→Wikipedia)の長い歴史を誇るソ連に対し、CIAが発足したのは第二次世界大戦後だ。そのためか、最初はいささか怪しげだったCIAだが、次第に実績を積んでゆく。
CIAの国際プロパガンダ部門は、世界中でざっと50の新聞やラジオ局、雑誌、通信社を所有あるいは金銭の面倒を見て、海外のほとんどすべての重要な首都で事件の独自の見解を発表していた。
――第3章 真実だけではじゅうぶんでない
日本だとナベツネがCIAと関係があったようなんで、そういう事なんだろうか。
やがて世界は東西陣営に分かれ睨み合う形になる。そこで陣取り合戦の前線となったのが、独立まもない発展途上国、それも主にアフリカ諸国だ。南米が分かりやすいんだが、CIAは極右の独裁者が好きなんだよなあ。コンゴで選んだのも…
彼(ジョゼフ・デジレ・モブツ,→Wikipedia)はいまや国家の収入の半分あるいはそれ以上を着服していた。
――第4章 西側最後の希望
まっとうな民主主義国家を取り込むには、多くの議員を買収せにゃならんけど、独裁国家なら一人の独裁者で済む。はいいが、取り込まれた国は災難で。
そのいっぽうで、「学校や機能している病院、道路、飲料水、衛生、電気、住宅、そのほかのなにかを(国家や国民に)提供するようなことは、ほとんどなにもしなかった」
――第4章 西側最後の希望
だって発展したらライバルが育っちゃうし。お陰でコンゴは今も争いが絶えない(→「名前を言わない戦争」)。
南米やアフリカじゃ手荒い真似も遠慮なく使ったCIAだが、東欧じゃもう少し洗練された手口を使う。放送局ヴォイス・オブ・アメリカを運営したのだ。そこで深夜のジャズ番組のDJウィリス・コノヴァー(→英語版Wikipedia)はファンレターに応じて1959年6月、空路ワルシャワを訪れる。空港に多くの人が詰めかけているのを見た彼は、スーパースターのファンの群集に巻き込まれるのを避けようとして…
「あれが誰のためかは知らないが、その人が降りるまで待った方がいいな」
――第5章 ヴォイス・オブ・アメリカ
が、飛行機に最後まで残ったのは彼だった。東側じゃ彼の番組は大人気で、DJの彼も大スターだったのだ。音楽ファンには、とても心地よいエピソードだ。
このネタに触発されたワケじゃないだろうが、CIAは情報工作に力を入れ始める。当時の大統領ジミー・カーターの意向もあって…
翌(1978)年中にCIAは何十万冊という書籍と定期刊行物を(ポーランドに)送りだした。「こうしたプログラムは、われわれのどんな兵器にもおとらず、わが国の防衛に貢献する――それにくわえて、その費用は鶏の餌程度ですむ」
――第5章 ヴォイス・オブ・アメリカ
と、西側の情報を向こうに届ける工作に力を入れる。その甲斐あってか…
「戒厳令中に西側から手に入れた印刷機は、戦時中の機関銃か戦車に匹敵したかもしれない」
――第5章 ヴォイス・オブ・アメリカ
なんて、ポーランドの地下抵抗組織のメンバーはコメントしている。イランの米国大使館襲撃事件(→Wikipedia,「ホメイニ師の賓客」)もあって現役時代は散々な評判だったカーターだが、冷戦じゃMVPだと私は思う。
対するソ連の戦術は、基本的に現在のロシアがインターネットでやっているのと同じだ。つまり、欧米でデマをバラ撒くのである。
CIAがケネディ大統領を殺害したとか、FBIがマーティン・ルーサー・キングを暗殺したとか、陸軍が細菌研究所でAIDSウィルスを発明したとかいった、アンドロポフの局員と工作員が放送し、出版して、長く記憶にとどめさせた、あらゆる嘘
――第6章 じつに汚い手
確かにネタとしちゃ面白いから、噂を見聞きした人も多いだろう。昔からソ連は、こういう真似をしていたのだ。
が、奮闘むなしく、東欧は崩壊する。懸念するゴルバチョフに対し、当時のブッシュ(父)政権のジェームズ・ベイカー米国務長官は…
「われわれは、もしアメリカがNATOの枠組みのなかでドイツに駐留しつづけるなら、NATOの現在の軍事的管轄区域は1インチたりとも東方へ広がることはないと保障されることが、ソ連だけでなく、ほかのヨーロッパ諸国にとっても重要であると理解しています」
――第7章 「黄金期の欺瞞に満ちた夢」
なんて請け負っちゃってる。そりゃNATOの親玉は米国だろうけど、ポーランドやエストニアの外交/軍事方針を、なんで米国が決めるのさ。そういう傲慢な所が嫌われるんだぞ。
やがて崩壊の波はソ連にも押し寄せ、ウクライナやグルジア(現ジョージア)などが独立を果たす。ゴルバチョフを引きずり下ろしたボリス・エリツィンだが…
エリツィンのもとで、国家の経済的富は40%以上減少した。経済の崩壊はアメリカの大恐慌の倍の規模で、三倍の長さだった。
――第7章 「黄金期の欺瞞に満ちた夢」
なお本書に出てくるエリツィンは、しょうもない酔っ払いだったりする。よくそれで大統領になれたな。そんなエリツィンの跡を継いだ元KGBのプーチンは、したたかだった。
プーチンは自分のもっとも強力な反撃能力を情報戦と考えていた。
――第8章 この消すことのできない炎
だけでなく、大きな野心も抱いていた。
ウラジーミル・プーチン「ウクライナは国家でさえありません」
――第9章 最初の犠牲者たち
彼はウクライナをそう見ているのだ。である以上、キーウを落とすまで戦争は止めないだろう。そのウクライナに対し、米国も約束をしている。
ビル・クリントンとボリス・エリツィンは1994年12月、ウクライナと協定を結んだ。同国は核兵器をロシアに送り、アメリカのノウハウで解体することになった。ウクライナは核戦力を放棄するかわりに約束を受け取った。ロシアは同国の主権と国境を尊重して、同国の独立に反対する「脅しあるいは武力の使用」をしないと誓い、アメリカは国連をつうじてロシアの侵略にたいして同国を防衛する。
――第9章 最初の犠牲者たち
これが本当なら、今頃はウクライナを守るため米軍または米国主導の多国籍軍を派遣してなきゃマズいんじゃね? いや「国連をつうじて」とあるから、安全保障理事会を通す必要があるのか。じゃ無意味じゃん。だって常任理事国のロシアが必ず反対するし。でも、何かしらの形でウクライナを支援せんと、嘘を吐いたことになるぞ。
などと腰が定まらない米国に対し、ロシアは明確な目的を持ちインターネット上で米国に対し情報戦を仕掛ける。
「われわれの任務はアメリカ人を自国の政府に対抗させ、不安と不満を引き起こすことだった」
――第10章 アメリカの民主主義
うん、まんまディープステートなどの陰謀論そのものだね。だいぶ前からロシアはそういうシナリオを用意していたのだ。残念ながらオバマ政権もFBIもCIAもロシアの工作に気づくのは遅かった。もっとも、ウクライナやジョージアへの侵略に対しては、相応の対応はとっていた模様。
ある推定によれば、(オバマ政権によるロシアへの経済)制裁は1年のあいだにロシア経済の1/4~1/3を破壊した。
――第10章 アメリカの民主主義
どうも経済制裁ってのはまだるっこしい上に効果が見えにくいんだが、意味はあるようだ。
もちろん、ロシアも黙っちゃいない。米国の大統領選挙に向け、ドナルド・トランプが有利になるよう、あの手この手で工作を仕掛ける。例えば民主党支持が大多数を占める黒人に対しては…
黒人社会に向けたIRA(→Wikipedia)のメッセージは、(略)選挙を完全にボイコットするよう主張する場合がはるかに多かった。
――第10章 アメリカの民主主義
日本でも「白票を投じろ」と訴える声があるけど、それで有利になるのは現在の与党や現役の候補者なんだよね。不満があるなら、与党の対立候補に投票するのが最適解。
そんなロシアが狙っているのは、こういう事だ。
(ロシアの情報工作の)狙いは、アメリカの内部と、それにもましてロシアの国益に反すると見られる大西洋をまたぐ同盟関係の両方に、不破と不一致の種をまくことである。
――第10章 アメリカの民主主義
困った事に、今まさしく米国に起きているのが、保守とリベラルの分断であり、NATOの分担の見直しなのだ。この本、本当に2020年の著作なのか? 2024年じゃなく。
トランプ自身がロシアとの関係をどう考えているのかは、本書じゃよく分からない。だが、最終章の記述は不気味だ。
彼(ドナルド・トランプ)はプーチンと五回、直接会談したが、その公式記録は存在しない。
――あとがき エイジェント・オブ・インフルエンス
記録の破棄は安倍晋三も得意だった。そしてプーチンとの会談は20回を超えている。果たして会談の記録は残っているんだろうか。日本は米国より遥かに情報公開に渋い。それを思うと、とても憂鬱な気分になる。
正直、スパイ物につきものの秘密工作や活劇は少ない。米露に絞ったため、それ以外の国はコンゴぐらいしか出てこないのも、私は不満だ。中南米なら、山ほどネタがあるだろうに。しかし、それを置いて、特に9章と10章の迫力はすさまじい。まさしく「今、そこにある危機」を本書は描いている。情報工作に、ロシアに、プーチンに興味がある人にお薦め。
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