ジョン・マッケイド「おいしさの人類史 人類初のひと噛みから『うまみ革命』まで」河出書房新社 中里京子訳
本書は風味の略歴である。記述は地上の生命の夜明けから始まり、現在に至って終わる。
――第1章 舌の味覚分布地図「視覚と味覚のシグナルは相互作用するのです」
――第8章 後期重爆撃期
【どんな本?】
私たちは、生存競争の過程で風味を味わう能力を身に付けた。カロリーの高い果糖を多く含む果実は、おいしい。同じ理由で、脂肪も私たちを虜にする。逆に、毒の可能性があるモノは苦い。だから、私たちはソレを避け…るとは、限らないのが奇妙な所だ。例えば、コーヒーを好む人は多い。野菜も好き嫌いが分かれる。ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領はブロッコリーが嫌いだった。
長らく味覚は甘味・酸味・塩味・苦味の四つと思われていたが、最近になってやっと旨味が認められた。だが、味の素そのものには、ほとんど味がない。
私たちを惹きつけ、時として惑わす「風味」について、進化の過程から近年の分子ガストロノミーまで、科学ジャーナリストが体当たり取材で紹介する、美味しくて楽しい一般向け科学ノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Tasty: The Art and Science of What We Eat, by John McQuaid, 2015。日本語版は2016年2月28日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約267頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント47字×19行×267頁=約238,431字、400字詰め原稿用紙で約597枚。文庫なら普通の厚さ。
文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容もわかりやすい。なにせ食べ物の話だしね。敢えて言うなら、出てくる料理や食材は洋風なモノが多いぐらいか。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。
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- 第1章 舌の味覚分布地図
- 第2章 風味の誕生 五つの食事をめぐって
- 第3章 苦味の遺伝子
- 第4章 風味の文化
- 第5章 甘味の誘惑
- 第6章 味と嫌悪感
- 第7章 辛さの探求
- 第8章 後期重爆撃期
- 第9章 美味のDNA
- 謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注
【感想は?】
「風味は不思議」や「『おいしさ』の錯覚」と同じ傾向の本だ。だから、その2冊が好きな人なら気に入るだろう。
よく言われるように、「味わう」感覚は、進化の過程すなわち生存競争の中で身に付けた能力だ。それだけに、基本的な能力でもある。
哺乳類の退治の大脳新皮質において最初に発達する領域は、口と舌を司る部分だ。
――第2章 風味の誕生 五つの食事をめぐって
カロリーの高い甘い果実や脂肪を求め、または苦味で毒を避けるための能力なのだ。果物の甘味は果糖で、私たちを強く惹きつける。しかも、ダイエット中の人には少々困った性質があり…
果糖は、空腹感を刺激するグレリンというホルモンのレベルを上昇させるようにうかがわれる。糖分を摂取することは、わたしたちを満足させるどころか、もっと欲しいという気持ちにさせるのだ。
――第5章 甘味の誘惑
「甘いモノは別腹」ってのは、本当なのだ。食後のデザートに甘味が出てくるのも、そういう理由だろう。さて、甘いモノの代表はバニラアイス。あの香りは食欲をそそる。特にこれからの暑い季節は。それもヒトの感覚の性質で…
味とにおいは風味にすんなり混じるため、感覚同士が融合して、区別がつかなくなる。(略)たとえば、香料のバニラは通常、甘いと感知される。
――第4章 風味の文化
そういえば「甘い香り」なんて言葉もあるなあ。食欲をそそるのは、他にもカレーの香りとか肉が焼ける匂いとか。とんこつラーメン屋から漂う匂いは、人によって好みが別れるだろうなあ。
これらは経験によって得た感覚だ。苦味も初期値は「嫌なモノ」だ。なにせ毒を避けるための感覚だし。そして、世の中に毒になるモノは多い。そのためか…
研究者たちはこの(苦味を感じる)遺伝コードをT2R1と名付けた。それからの数か月間に、さらに16個の遺伝コードが発見され、現在では23個まで判明している。
――第3章 苦味の遺伝子
と、苦味を感じるセンサーは、種類が異様に多い。だけでなく、人により感度が大きく異なる。これは遺伝子で決まっているのだ。特に敏感な人を、本書はスーパーテイスターと呼んでいる。オトナになっても苦味が嫌いな人は、スーパーテイスターなのかもしれない。
これは苦味だけでなく、脂質への感受性にも言える。なお、今のところ、脂味は認められていないが…
最近の研究によると、脂質は実際に第六の基本味だという。舌には資質を感知する機能が存在し、独特の快い感覚を引き起こすというのだ。
――第8章 後期重爆撃期
と、ヒトはちゃんと脂を感じる能力があるのだ。どうりで背脂ギトギトなラーメンは旨いはずだ。旨いのはいいが、やはり体重は気になる。これまた人によりけりで…
一部の人は他の人より、脂質に対する感受性が数千倍も高い。一方、脂質に対して鈍感な人は太りやすい。
――第8章 後期重爆撃期
鈍い人はなかなか満足せず、マシマシで頼むためどうしても太ってしまうのだ。この太りすぎは人類全体の問題で、特に米国で目立つ。これはカロリーだけでなく、味付けの問題もある。
(米国から)東京に着いた時に、寿司のように軽くデリケートな風味を持つ料理を味わえるようになるには、三日待たなければならない。
――第9章 美味のDNA
日ごろからケチャップやマヨネーズなどの調味料たっぷりで味付けの濃い食事ばかりなので、舌が馬鹿になっているのである。ちなみにこれを語っているのは頻繁に東京に出張するビジネスマンで、スラムの住人じゃない。そういう階層の人でも、米国の食事はアレらしい。寿司が流行っているのも、「俺は味が分かるんだぜ」的な見栄が混じっているから、かも。
そんな濃い味付けで血圧が上がった人は、医者から「出汁を効かせて塩を抑えろ」と言われる。出汁の正体グルタミン酸=旨味は、これまた奇妙な性質があって。
水に溶かした純粋なグルタミン酸は、ほとんど無味だ。だが、他の風味と合わせると旨味成分が活性化し、脳をスキャンしてみると、砂糖のものに似た脳活動パターンが示される。
――第4章 風味の文化
今風に言えば、バフをかけるんだね。少しの塩がガツンと響くのだ、出汁を効かせると。ただ、単体だと味がないので、発見が遅れたんだろう。
など、何かと大味な米国では野菜の類も災難で、風味が失われつつある。というのも、主な評価基準が重さ・大きさに加え硬さ(輸送しやすいから)で、味や香りは軽んじられているためだ。だが、これには例外もある。ワインだ。
ワインは、大量生産されたトマトが抱えるような問題に直面したことは一度もない。
――第9章 美味のDNA
なぜかワインだけは繊細に品質を問われるのである。呑兵衛、つまみにも気を遣えよ。
さて、「風味は不思議」や「『おいしさ』の錯覚」と本書を比べて嬉しい点の一つは、進化の視点が入っていることだ。もう一つは、辛さを扱っている点にある。
辛味は味覚ではない、と言われる。だが、大抵の調理場や食卓には胡椒や七味が置いてある。料理に辛味は必須なのだ。世の中には激辛に挑む人も居る。本書に登場するのは、単なる激辛マニアではない。自らトウガラシを品種改良して、最も辛いトウガラシを生み出そうとする者たちである。
それはともかく、辛味の分類にはうなずける点が多い。長い引用だが許してほしい。
トウガラシの辛さには三つの要素がある。
第一の要素はタイムラグに関するものだ。(略)最初のひと噛みから辛さを感じるまでには時間差がある。この差はトウガラシの品種によってさまざまだ。ハバネロの時間差はとりわけ長く、15秒から20秒もある。
第二の要素は消散だ。タイ料理で使われるトウガラシの辛さは急速に消えやすいが、幽霊トウガラシのような品種の辛さは、ずっと後までまとわりつく。
第三の要素は、燃えるような辛さの質が品種によって違うことだ。アジアのトウガラシの辛さは突き刺すように感じられるが、アメリカ南西部のトウガラシの辛さは大味だ。
――第7章 辛さの探求
私はこの「タイムラグ」に強く頷いた。何回か、これで痛い目を見たことがある。「激辛」と言われるカレーに挑んだ時などだ。最初の一口は、「あれ、意外と平気じゃね?」と感じる。二口目も、まだ大丈夫。だが、三口目・四口目あたりで、ジワジワと効いてくるのである。何度これで地獄を見たことか。
この章ではもう一つ、過去の人類の食生活を調べる学者の話が出てくる。貝塚のようにゴミが溜まっていれば分かりやすいが、それは骨や貝殻が長く残るからだ。野菜や穀物などの植物は痕跡が残りにくい。が、最近の科学は凄い。
多くの植物は、「デンプン粒」と呼ばれる極微の“アンプル”に炭水化物を蓄える。それは指紋に似ている。デンプン粒は、それを生み出す植物によってサイズも形も異なっているのだ。さらにそれは、人間の消化器官を通り抜けて化石化する。(略)さまざまなデンプン粒は、特定の場所と時間に執られた食事、スナック、食生活を活写してくれるのだ。
――第7章 辛さの探求
…はい、つまり、排泄物を調べるんですね。学者も大変だなあ。
とかに加え、人の性格や信条も、食べ物の好き嫌いと関係あるっぽい、なんて話も出てくる。
脳のスキャン結果は、共感力が強い人ほど嫌悪感を抱きやすく、島皮質が明るく発火することを示している。
――第6章 味と嫌悪感
他にも鰹節に倣って豚節を作るとか酒の起源とか、教科書に載らない歴史の裏話や奇想天外な難事に挑む人々の話など、雑談のネタは満載だ。科学と雑学そして美味しい物が好きな人にお薦め。ただしダイエットには向かないので、そのつもりで。
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