« デニス・プロフィット+ドレイク・ベアー「なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学」白揚社 小浜杏訳 | トップページ | キャス・サンスティーン「同調圧力 デモクラシーの社会心理学」白水社 永井大輔・高山裕二訳 »

2025年6月24日 (火)

トム・スタンデージ「ヴィクトリア朝時代のインターネット」ハヤカワ文庫 服部桂訳

本書で語るのは、この最初にオンラインの最前線に立っていた、変人、奇人、夢想家のパイオニアや、彼らの構築した世界的ネットワーク、つまり「ヴィクトリア朝時代のインターネット」の物語である。
  ――まえがき

インターネットをめぐる期待や懐疑、当惑、また新しい形の犯罪の発生や社会的慣習との軋轢、ビジネスのやり方の再定義といった現象は、電信の発明によって引き起こされた希望、恐れ、誤解などを鏡に映したように似ている。
  ――エピローグ

異論もあるかもしれないが、アマチュア科学紳士の伝統は彼(モールス)とともに消えた。
  ――第12章 電信の遺産

【どんな本?】

 インターネットが一般家庭に普及し始めたころ、私たちはインターネットに大きな期待を寄せた。「これは革命だ。理性の時代がやって来る。やがて世界はひとつになる」。現実は、皆さんご存知の通り。

 19世紀にも、似たような反応を引き起こした技術があった。電信である。モールス符号で有名なサミュエル・モールス(→Wikipedia)が発明した電信は、従来の馬に頼った通信とは比べ物にならない伝送速度を実現し、大西洋横断ケーブルの施設などにより、世界中を席巻してゆく。

 今は祝電などで名残を残すだけとなった電信だが、当時の人々にとっては驚異的な新技術であると共に、様々な悲喜劇や詐欺事件を引き起こした。その多くは現代のインターネットでも再び繰り返されている。

 腕木通信から電信そして電話に至るまで、新しい情報通信技術の登場が巻き起こす騒動を掘り起こし、時代を超えて変わらぬ人間の姿を描き出す、ユーモラスで親しみやすい一般向けの歴史ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Victorian Internet: The Remarkable Story of the Telegraph and the Nineteenth Century's On-line Pioneers, by Tom Standage, 1998。日本語版は2011年12月にNTT出版より単行本で刊行、私が読んだのは2024年5月15日発行のハヤカワ文庫NF版。文庫で縦一段組み本文約216頁に加え、訳者解説10頁+文庫版のための訳者解説「インターネットの前に来たもの 文明を画した電信時代」8頁。9ポイント40字×16行×216頁=約138,240字、400字詰め原稿用紙で約346枚。文庫では薄い部類。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。基礎的な電気関係の科学・数学知識がほんのわずか必要だが、小学生の頃に豆電球を光らせた程度で充分。

 ただ、単位がヤード・ポンド法なのは慣れない人には辛いかも。最初に換算表はあるんだけど。

【構成は?】

 時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • まえがき
  • 第1章 すべてのネットワークの母
  • 第2章 奇妙に荒れ狂う火
  • 第3章 電気に懐疑的な人々
  • 第4章 電気のスリル
  • 第5章 世界をつなぐ
  • 第6章 蒸気仕掛けのメッセージ
  • 第7章 暗号、ハッカー、いかさま
  • 第8章 回線を通した愛
  • 第9章 グローバル・ヴィレッジの戦争と平和
  • 第10章 情報過多
  • 第11章 衰退と転落
  • 第12章 電信の遺産
  • エピローグ
  • 新版あとがき
  • 謝辞/参考文献/訳者解説/文庫版のための訳者解説/電信に関する出来事とヴィクトリア朝時代(年表)

【感想は?】

 歴史物としては極めて親しみやすく楽しい本だ。

 画期的な技術である電信が普及してゆく時代を背景に、ソレを商売はもちろんペテンや色恋沙汰にまで、知恵を働かせて発明者が予想もしなかった形で使う、今と変わらぬ血の通った人々の姿を描く本書は、三面記事やスキャンダル週刊誌みたいな猥雑な面白さが溢れている。

 物語は腕木通信(→Wikipedia)から始まる。SF者にはキース・ロバーツの「パヴァーヌ」でお馴染みのアレだ。フランス政府はほぼ軍専用としていたようだ。

パリとリール間の線は、国家テレグラフ局の初の一部門として1794年5月に稼働し始め、同年8月15日にはオーストリアとプロシアからある町を奪回した報告を、戦闘終結から1時間以内に伝えた。
  ――第1章 すべてのネットワークの母

 現実には霧などで視界が悪くなると通じなくなるなどの制限もあったようだが、従来の馬よりは遥かに速い情報伝達が可能となった。それより前に「電気」は見つかっていたが、その性質はよくわかっていなかった。幸い伝達速度が速いのは知られていて、多くの発明家が電気による通信に挑む。その中の最大の成功者がモールスである。

幸いと言うべきか、モールスは他のテレグラフ開発者が長距離を伝送できずに失敗していたことも知らなかった。
  ――第2章 奇妙に荒れ狂う火

 黎明期の発明の多くが、いわゆるパラレル回線でありながら、最終的にはシリアルなモールスの電信が制するあたりは、SCSIやGPIBなどの乱立からUSBに制される現代のコンピュータ機器の通信規格を彷彿とさせる。でもUSBも規格が複数あるんだよなあ。

 なんであれ、新しいモノが出てくると難癖をつける輩ってのは、いつの時代にもいるようで。

間もなくボルチモアの宗教指導者たちが、新しいテクノロジーは黒魔術に酷似しており疑わしいものだと言い始め…
  ――第3章 電気に懐疑的な人々

 さすがに最近は聞かないが、携帯電話が流行り始めた頃は「電波が云々」と文句を言う人もいた。もっとも、自動車の「ながら運転」などは、実際に害があるんだけど。

 そして、妙な勘ちがいをする人も。

ある女性が息子から送金依頼の電報を受け取って、それはうかつに信じられないと言いだした。彼女は息子の筆跡はよく知っており、局で書かれたメッセージは明らかに違うと主張したのだ。
  ――第4章 電気のスリル

 コンピュータも「ウィルス」は妙な勘ちがいをする人がいたし、こういうのは新しい技術の宿命なんだろう。

 かと思えば、逆に大きな期待を寄せる人たちもいた。

駐米英国大使エドワード・ソーントン「世界のすべての国や国民が常にきちんと交わることほど、平和に寄与するものはないのではないか」
  ――第5章 世界をつなぐ

 これまたインターネット、特に NewsGroup やブログは期待されたのだが、現実はむしろ匿名掲示板が断絶を煽ってたり。

 さて、発足当初は回線にも余裕があったが、利用者が増えるにつれ回線が混んでくる。特に、人に先んじる事が利益につながる商人が使い始めると大変なことになって…

ロンドンでは1850年代の初期からこうした輻輳(→Wikipedia)の問題が起きており、メッセージの半分は証券取引所の関係で、1/3はビジネス関係、「家族関係」は7通に1通の割合だった。
  ――第6章 蒸気仕掛けのメッセージ

 ここでは証券取引所と中継局との混雑の解決法が、なかなかに楽しかったり。今だって距離とデータ量によってはSSDなどの大容量記憶媒体を直接に運ぶ方が速かったりする。

 電信は先方に届くまでオペレータなど多くの人が間で働く。となれば、買収して盗聴しよう、なんて悪事を考える奴も出てくる。だから、政府や軍は暗号などで機密を守ろうとする。ばかりか、民間も…

長距離ケーブルの利用は90%がビジネス関係で、さらのその95%が暗号を使っていた。
  ――第7章 暗号、ハッカー、いかさま

 もっとも、本書の「暗号」は符丁も含んでるんだが。というのも、電信は文の長さで値段が決まる。だから文を短く切り詰めれば安くあがるのだ。そこで双方が示し合わせ、決まり文句は短縮形で送れば安上がりなのだ。Null Pointer Exception を nurupo とか。

 そんな電信のオペレータは、当時の憧れの職業だったようで、かのトーマス・エジソンも凄腕のオペレータとして名を馳せていたとか。

(電信は)出世を夢見る者には小さな町から都会に逃れる道を開き、旅行好きにはどこでも仕事を保証してくれるものだった。
  ――第8章 回線を通した愛

 1990年代までは、プログラマにそんな印象を持つ人もいたような気が。今だとLLMだろうか。ところが、かつての小規模なCOBOLプログラムなら、現代は Excel で充分に使えるシートが作れちゃったりする。そんな風に、電信オペレータにも機械化の波が押し寄せる。

たゆみないテクノロジーの変化によって、電信の仕事は緻密な学習による高い技量を必要とする職業から、誰でもできる技量の不要な職業になった。
  ――第11章 衰退と転落

 商人は目ざとく電信に目をつけ適応したのに対し、役人や軍人は腰が重い。お陰で、困った事も起きる。

1854年3月にフランスと英国がロシアに宣戦布告し、クリミア半島に軍隊が出発したとき、ロンドンの軍事担当者は軍の規模や活動について詳細な情報を出していた。これはそのまま『タイムズ』に掲載されたが、それは読者にできるだけ情報を提供して戦争への意欲をかきたてようとするものだった。
  ――第9章 グローバル・ヴィレッジの戦争と平和

 確かクリミア戦争は写真も世論の形成に大きな影響があったような。それはともかく、世論を誘導するためとはいえ、軍が「詳細な情報を出していた」のは意外。

 そんな政府に対し、商人は積極的に電信を利用していたが、それはそれで困った事に。というのも、

「(商人は)常に興奮状態にあり、静かに休む間もない」
  ――第10章 情報過多

 これまた現代でSNSにハマった人たちが、眠る時間も惜しいと感じるようなモンだろうか。

 などの騒動を引き起こした電信も、やがて新しい技術に取って代わられることになる。そう、電話だ。

「2006年1月27日をもって、ウエスタン・ユニオン社はすべての電報と商用メッセージング・サービスを終了します」
  ――新版あとがき

 このあたり、かつてパソコン通信にハマっていた人たちは、しばらく遠い目になるんじゃなかろか。

 他にも競馬の稼ぎにつかったり、通信相手の正体が意外な人物だったり、娘が胡散臭い男に引っかかったりと、現代のインターネットでも聞いたような話が満載で、下世話な意味でとっても楽しい本だった。三面記事が好きな人にお薦め。

【関連記事】

|

« デニス・プロフィット+ドレイク・ベアー「なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学」白揚社 小浜杏訳 | トップページ | キャス・サンスティーン「同調圧力 デモクラシーの社会心理学」白水社 永井大輔・高山裕二訳 »

書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« デニス・プロフィット+ドレイク・ベアー「なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学」白揚社 小浜杏訳 | トップページ | キャス・サンスティーン「同調圧力 デモクラシーの社会心理学」白水社 永井大輔・高山裕二訳 »