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2025年6月22日 (日)

デニス・プロフィット+ドレイク・ベアー「なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学」白揚社 小浜杏訳

私たちは世界を見ているのではない。「私たちが見る世界」を見ているのだ。

本書でみなさんにお伝えしないのは、「知る」ためには、その前に「行う」こと――自分の身体を用いて、意図的に行動すること――が必要だという点である。
  ――おわりに 歩くことで道はできる

難解な言葉遣いをするパネリストほど観客に意見を変えさせる割合が低く、話し方が具体的なパネリストほど説得力を持つ
  ――第4章 考える

私たちは流暢性によって、容易さを真実と取り違える過ちを犯しやすい。
  ――第4章 考える

嫌悪感を抱きやすい人は、政治的には保守派なことが多い。
  ――第5章 感じる

結束力を高める手っ取り早い方法は、スケープゴートを選んで糾弾することだ。
  ――第8章 同一化する

【どんな本?】

 今まで、心理学者たちは、すべての人間に共通する法則・性質を求めてきた。だが、本書の著者たちは、その逆を行く。往々にして、同じモノを見ても、人により反応は異なる。例えば同じ坂を見上げ、角度を尋ねた際、人により見積もりが異なってくる。だけではない。同じ人でも、状態によっても見積もりが違ってくるのだ。

 なぜ違いが生じるのか。見積もりは何を意味するのか。

 こういった疑問を追っていくうちに、著者たちは従来の心理学とは違った発想にたどり着く。ヒトは世界を客観的に見るのではない。それぞれの立場・状況で、見えてくる世界は違ってくるのだ。

 従来のヒトの認知・認識の思い込みを覆し、体験することの意味・意義を問い直す、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Perception: How Our Bodies Shape Our Minds, by Dennis Proffitt and Drake Baer, 2020。日本語版は2023年9月13日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約276頁。9.5ポイント44字×19行×276頁=約230,736字、400字詰め原稿用紙で約577枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。敢えて言えば、米国での例が多いことぐらいだが、「サンフランシスコは坂が多い」「大学アメリカン・フットボールは人気がある」ぐらいを知っていれば充分。

【構成は?】

 原則的に前の章を踏まえて後の章が展開するので、素直に頭から読もう。

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  • はじめに おれは電熱の肉体を歌う
  • 第1部 行う
  • 第1章 発達する
    歩くことを学ぶ/視覚の機能をとらえなおす/視覚的断崖とゴンドラ猫/手でつかめば世界が把握できる/ゾーンに入る
  • 第2章 歩く
    坂の傾斜はどのように知覚されるのか/歩行が生んだ人類の世界/表現型に沿った生き方/世界は伸び縮みする
  • 第3章 つかむ
    人間の手(と行為)は心を宿している/手が語る人類の歴史/見えないのに見えている/手が注意を誘導する/聞き手が善悪を決める
  • 第2部 知る
  • 第4章 考える
    ガットフィーリング/思考と生体エネルギー/流暢性/多様性が集団意思決定において重要なのはなぜか/フェイクニュースと身体化された思考
  • 第5章 感じる
    情動を知覚する/やれ、やるな/社会的痛み/感情の誤帰属とうつ/恐怖を感じると世界が歪む
  • 第6章 話す
    口と手のつながり/手を使って話す/インデックスは音声で作られる/身体化された語源と記号設置地図/ボトックスと読解力の関係/動きによる読解
  • 第3部 帰属する
  • 第7章 つながる
    心地よい接触がないと生きられない/皮膚は社会的器官である/MRIで手をつなぐ/女の存在が重荷を軽くする/母親と他者/絆の力/認知的加齢と社会的ネットワーク
  • 第8章 同一化する
    帰属する集団でものの見方が変わる/他人種効果と没個性化/物語が持つ力/団結力の光と影
  • 第9章 文化に同化する
    名誉の文化/文化相対主義/分析的思考と包括的思考/中国 稲作文化と麦作文化/社会的アフォーダンスと関係流動性
  • おわりに 歩くことで道はできる
  • 謝辞/推薦図書/訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 「動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか」と同じ、環世界の本だ。ただし、本書は人間だけを扱う。

 扱う範囲は狭くなっているが、読者に近いネタなため、感じるセンス・オブ・ワンダーは同じぐらいだ。人によっては、本書の方がより強く感じるかしれない。

 さて、先に触れた坂を見上げる話だ。タネは簡単。日ごろから体を鍛えている者は緩く感じ、なまっている者はキツく感じる。また、身軽な者は緩く感じ、重い荷物を持つ者はキツく感じる。

 つまり、「この坂を登るのがどれぐらいシンドイか」を見積もるのである。

坂の傾斜やグラスの大きさに至るまで、人間が知覚するものはすべて、私たち個人がどのような人間かに左右されるのである。
  ――はじめに おれは電熱の肉体を歌う

 ここで重要な点が一つある。人は客観的に坂を見ているのではない。「坂を登る」という行為を通して…いや脳内でシミュレーションして角度を見積もる、という点だ。つまり、自分が世界に働きかけることで、世界を認識するのだ。

どんなことを、どれくらいうまくできるかによって、人間の環世界が形作られていくのだ。
  ――第1章 発達する

 だから、見積もりは状況によっても違ってくる。重い荷物を持って登るのはシンドい。だから、より急だと見積もる。自分の状態・状況で、「今、自分が登ったら、どれぐらいキツいか」を考えるのだ。

私たちは「自分が世界にどのように適応しているか」を見ているのである。
  ――第2章 歩く

 脳だけで考えているのではない。体全体で考えているのだ。それどころか…

銃を手にしていると、私たちは射撃する存在へと姿を変え、実際には無害な物体を持っている他者を目にしても、銃器を構えていると錯覚しやすくなるのである。
  ――第3章 つかむ

 なんて困った性質もある。体だけではない。道具を持つと、その道具に応じて世界認識も変わるのだ。「金槌を握ると、何でも釘に見えてくる」って奴だ。自分が何をできるかで、ヒトは世界を認識するのである。初めて自転車を手に入れた時、世界が広がったような気がしたのは、私だけではあるまい。だけではない。

人間は行為をなすことで世界を知る。
  ――第3章 つかむ

 これについては、乳児が「おすわり」「はいはい」「あんよ」と発達するにつれ、距離感などが変わってくる、なんて話が面白かった。ヒトは世界に働きかけ、そこからフィードバックを得て、少しづつ世界を知ってゆくのだ。

 そう、ヒトは体を介して世界を知るのである。この性質は何かを伝える際にも関係があり、例えばより強く訴えかける文章を書くには…

読者にとって最もわかりやすいのが、身体性があり、具体的で、イマジズム(写実主義、→Wikipedia)的な文章だ。
  ――第6章 話す

 身体性というと難しそうだが。例えば「怖い」とするより「背筋が凍る」のように、肉体の反応や動きで表すのだ。ちなみに映画の脚本じゃ、コレはご法度だそうです。恐怖をどう表現するかは、役者の領分なんで(→「ハリウッド脚本術」)。

 人間は社会的動物だとよく言われる。そのためか、状況や状態は「自分の周囲にどんな人が居るか」でも変わってくるのだ。

愛する人の手を握っていると、恐ろしいことに直面しても、人は安心感を抱けるのである。
  ――第7章 つながる

 人が群れると暴走しがちなのは、こういう性質のせいかもしれない。ただし、例えば政治集会など、同じ傾向の人々・似通った人々が集まった時は、だ。そうではなく、雑多な人々が集まると、これまた異なった効果が表れる。

自分と同類でない人々に囲まれているときのほうが、人は思慮深く行動するのである。
  ――第4章 考える

 野球やサッカーなどのスポーツ観戦のホームかビジターか、みたいなモンだろうか。

 さて、終盤では、現在の自分の体だけでなく、時代を超えた集団の文化の影響も出てくる。

「家畜が盗まれやすく、警察が機能していない地域では、どこでも名誉の文化が生じます。世界中の牧畜文化で見られる現象です」
  ――第9章 文化に同化する

 ここでは麦作文化と米作文化の違いなどもでてきて、かの名著「肉食の思想」を彷彿とさせる議論も出てくるのもエキサイティングだ。

 認知科学に興味がある人はもちろん、エイリアンの文明・文化やロボットの思考方法などの妄想に浸るSFファンにもお薦め。

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