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2025年6月の7件の記事

2025年6月27日 (金)

キャス・サンスティーン「同調圧力 デモクラシーの社会心理学」白水社 永井大輔・高山裕二訳

私が本書で強調したいのは、同調の力学――同調は何をし、どのように作用するか――についてだ。
  ――はしがき

人気とは予言の自己成就である
  ――第2章 カスケード

集団極性化とカスケード効果のあいだには密接な関係がある。両方とも、情報や評判の影響の産物である。
  ――第3章 集団極性化

集団の一人以上の人が事実の問題について正しい答えを知っている場合、集団は正しい方向に移動する傾向がある。
  ――第3章 集団極性化

教育環境によっては人種の多様性が幅広い経験や考え方を保障するのに重要であり、〔ニーズに合わせて〕厳密に定められたアファーマティブ・アクションのプログラムが憲法上認められるべき環境があると、私は強く主張する。
  ――第4章 法と制度

たいてい大衆に従うのは個人の利益にはなるが、個々人が最善だと思うことを言ったりしたりするのは社会の利益になるのである。
  ――結論 同調とそれへの不満

【どんな本?】

 「和を以て貴しとなす」なんて言葉がある。「あまし異論を出すな」と解釈されることが多いが、Wikipedia によると日本での意味は少し異なるようで、「上下関係にとらわれることが無く話し合いができたならば、何もかもを成し遂げられるだろう」ともある。

 とはいえ、話し合いで大勢に逆らい異論を述べるのは度胸がいる。「面倒くさい」とか「目立つのは嫌」とか「変わった奴と思われたくない」とか「争いたくない」とか、様々な理由で黙ってしまう事も多い。いわゆる同調圧力だ。

 同調圧力には、どんな効果があるのか。社会や個人にとって損と得、どちらをもたらすのか。同調圧力を強める/弱めるのは、どんな状況か。

 最近は「エコーチェンバー」などで注目されている同調圧力を題材に、主に政治的な話し合いにおける影響と性質そして対策について、ハーバード大学ロースクール教授であり行政管理予算局の情報・規制問題室長を務めた著者が語る、一般向けのノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Conformity: The Power of Social Influences, by Cass R. Sunstein, 2019。日本語版は2023年8月10日発行。単行本ソフトカバー縦一段組みで本文約167頁に加え、訳者あとがき7頁。9.5ポイント45字×18行×135,270字、400字詰め原稿用紙で約339枚。文庫なら薄い部類。

 文章は硬くとっつきにくい。実のところ、内容はそんなに難しい事は書いてない。が、二重否定や入れ子構文が多く、言葉遣いも堅苦しい。「増加する/減少する」は「増える/減る」でいいじゃんブツブツ。つまり悪文なのだ。これは訳者が学者だからってのもあるが、おそらく原文も「学者の文章」なんだろう。

 また、単語の使い方でひっかかる部分がある。例えば頻繁に「正しい」って言葉が出てくるが、本書では「戦略的に害が少なく益が多い」「工学的に最適に近い」「表現として事実に即している=嘘ではない」「数学的に真」などの意味で使っている。「倫理的に善である」ではない。著者はリベラル色が強く、特に対策/政策を語る終盤では思想性が強く出ているが、同調圧力の効果や性質を語る中盤までは客観的な記述が大半だ。色眼鏡で見られる事を避けるためにも、先の「正しい」などの誤解を招きやすい表現は避けた方が賢明だろう。

【構成は?】

 基本的に前の章を踏まえて後の章が展開するので、素直に頭から読もう。

  • 謝辞
  • はしがき
  • 序論 社会的影響の力
  • 第1章 同調はどのようにして生じるのか
  • 第2章 カスケード
  • 第3章 集団極性化
  • 第4章 法と制度
  • 結論 同調とそれへの不満
  • 訳者あとがき/註/索引

【感想は?】

 この人の本を読むのは二冊目だ。相変わらずもったいない。中身は面白いのに、文章が酷すぎる。

 そもそもテーマからして面白い。同調圧力だ。Wikipedia には脅迫や印象操作など明示的な働きかけが書いてある。が、それらがなくても、大勢の意見に逆らう意見を出すのは難しい。なんたって、

人は、他人が送る情報屋評判のシグナルに細心の注意を払う。
  ――結論 同調とそれへの不満

 人は社会的動物だ。他の人から変わり者と思われたり、反感を持たれるのは嫌だ。基本的には大勢の意見に従おうとする生き物なのである。別に脅迫や印象操作がなくても、大勢に従うのだ。ただ、状況によって、この性質は強まったり弱まったりする。そこで著者は幾つかの資料や論文を掘り起こす。例えば…

金銭の報酬を導入すると、(略)難易度の低い課題に関しては同調が著しく減少し、難易度の高い課題に関しては同調が著しく増加するのである。
  ――第1章 同調はどのようにして生じるのか

 正解を出せば儲かるって条件の場合、「難易度の低い課題」=「正誤がわかりやすい課題」だと異論が出やすく、難しい課題は出にくくなる。正解が分かってれば意見を出すけど、分かんない時は黙る。ありがちだね。

 また…

最低ひとりでも被験者の仲間、もしくはまともなことを言う人がいると、同調と誤回答の両方ともたちまち減少する。
  ――第1章 同調はどのようにして生じるのか

 一人で頑張るのは辛いけど、仲間がいれば頑張れる。これもよくある話。

 それに、話し合いのメンバーとの関係でも、同調圧力は変わってくる。

もし被験者が自分は多数派とは別の人間だと認識しているならば、同調の効果は大きく減ずる。
  ――第1章 同調はどのようにして生じるのか

 「自分は余所者だ」と感じていると、素の自分を出せるらしい。この逆が過激派やカルトだ。

過激派の人間は、互いに追従しあっていることがよくあるのだ。
  ――第1章 同調はどのようにして生じるのか

 今、流行りのエコーチェンバーだね。趣味の世界でマニアが集まると更に濃くなるのはありがちだ。もっとも、これが益になる時もあって、様々な「学会」も、こういう効果があるんだろう。

 他にも同調圧力が強くなる条件がある。

人びとのあいだで互いに感情的なつながりがある場合、カスケードの確率は増加する。
  ――第2章 カスケード

 「カスケード」とは、既存の意見に賛同する現象を言う。仲のいい人には賛同したくなるのだ。

 それで集団内の軋轢は減るだろうが、集団全体の利害となると話は別で。

(集団での株式投資で)もっとも運用実績の悪いクラブは、感情的な絆で成り立っており、社交関係が第一になっていた。もっとも運用実績が良いクラブは、社交関係が抑えられ、収益を増やすことに専心していた。
  ――第1章 同調はどのようにして生じるのか

 同調圧力が強いと、集団全体の利益は減るのだ。この極端なのが独裁体制や強権体制で。

東欧では共産主義体制が長年の間存続できていたわけだが、それは強圧のせいだけではなく、人びとがほとんどの人間は既存の体制を支持しているという考え違いをしていたせいでもあるのだ。
  ――第2章 カスケード

 しかも、往々にして権威主義な体制は、意図的に同調圧力を強化している=体制批判を封じ込める。その結果…

過誤は同調に対して褒賞が与えられる場合にもっとも生じやすく、集団や組織が正しい判断ができるよう手を貸した者に褒賞が与えられる場合にもっとも生じにくい。
  ――第2章 カスケード

 提灯持ちが出世する組織はロクでもない判断をしがちなのは、なんとなく分かる。

 でなくとも、基本的に人は全体に従おうとする性質がある。これで集団が困る原因の一つは、貴重な情報が埋もれてしまう点だ。

同調圧力が実際に情報の開示を少なくする結果を招くという点は、まず間違いない。
  ――第2章 カスケード

 戦前の日本でも幾つか「国力的に米英との戦争は無茶」なんて報告があったが、陸軍は握りつぶした。そこまでいかなくとも、大勢に逆らう意見は、根拠があっても言いにくい。その結果、重要な情報が埋もれてしまう。これは困る。だから…

各個人が集団に対し情報を開示するような誘因を生み出す仕組みはどれも、さらに良い結果を出す可能性が大きい
  ――第2章 カスケード

 その仕組みの一つが、言論の自由だ。

言論の自由を含むさまざまな市民的自由は、人びとを同調圧力から引き離そうとするものだとみることができるのであり、その理由は個々人の権利を守るためというだけでなく、黙秘の危険から社会全体を守るためでもある。
  ――第2章 カスケード

 原論の自由で利益を得るのは個人だけじゃない。日米開戦のような「とんでもない間違い」から国を守るためにも、言論の自由は必要なのだ。ただ、話し合いにも困った性質があって、それが集団極性化だ。

議論する集団の構成員は通常、みずからが議論する前にもっていた傾向に沿うかたちで、より極端な考え方に至る
  ――第3章 集団極性化

 分かり合うどころか、溝が拡がっちゃうのだ。

 他にも困った性質がある。先に挙げた、貴重な情報の共有なんだが…

集団では共有化された情報は取り上げられ、ほとんどの構成員が保有しない情報は無視される傾向がある
  ――第3章 集団極性化

 あまり知られていない事柄はスルーされがちなのだ。

 また、元々が仲良し同士の集団だと、結束は固いが…

集団の構成員がアイデンティティを共有し連帯が強いと考える場合、強い極性化が生じるだろう。
  ――第3章 集団極性化

 集団全体が極端な方向へ走ってしまう。特にヤバいのが…

社会において孤立した少数集団は、良い場合も悪い場合もあるが、集団極性化の温床である。
  ――第3章 集団極性化

 サティアンに閉じこもったオウム真理教が、その典型だろう。あとアルカイダとか。連合赤軍は…若い人には通じないんだよなあ。

過激派はとくに極性化しがちである。
  ――第3章 集団極性化

 過激化についていけずに脱退する人もいる。そういうブレーキ役がいなくなると、当然ながら更に濃くなってしまう。

時間が経つにつれて、構成員が物事の進んでいる方向を拒否して集団を去る「退去」によって、集団極性化は強められうる。
  ――第3章 集団極性化

 こういった事を避けるためにも、多様性は必要なんだよ、そう著者は主張しているのだ。

 別に過激派でなくとも、大抵の人は小中学校の学級会や部活動、趣味の集まりや職場での会議などで、本書に書かれている事柄を体験しているだろう。もちろん、旧Twitterや電子掲示板などのオンラインでも。そういう、なんとなく感じている事を言語化される心地よさが、本書には溢れている。ただ、その「言語化」が、やたら堅苦しく小難しい言葉遣いなのが困りものなんだが。

 それはともかく、一度でも同調圧力に居心地の悪さを感じた経験のある人なら、楽しめるだろう。ただし、繰り返すが、はなはだ文章は酷いので、それは覚悟しよう。

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2025年6月24日 (火)

トム・スタンデージ「ヴィクトリア朝時代のインターネット」ハヤカワ文庫 服部桂訳

本書で語るのは、この最初にオンラインの最前線に立っていた、変人、奇人、夢想家のパイオニアや、彼らの構築した世界的ネットワーク、つまり「ヴィクトリア朝時代のインターネット」の物語である。
  ――まえがき

インターネットをめぐる期待や懐疑、当惑、また新しい形の犯罪の発生や社会的慣習との軋轢、ビジネスのやり方の再定義といった現象は、電信の発明によって引き起こされた希望、恐れ、誤解などを鏡に映したように似ている。
  ――エピローグ

異論もあるかもしれないが、アマチュア科学紳士の伝統は彼(モールス)とともに消えた。
  ――第12章 電信の遺産

【どんな本?】

 インターネットが一般家庭に普及し始めたころ、私たちはインターネットに大きな期待を寄せた。「これは革命だ。理性の時代がやって来る。やがて世界はひとつになる」。現実は、皆さんご存知の通り。

 19世紀にも、似たような反応を引き起こした技術があった。電信である。モールス符号で有名なサミュエル・モールス(→Wikipedia)が発明した電信は、従来の馬に頼った通信とは比べ物にならない伝送速度を実現し、大西洋横断ケーブルの施設などにより、世界中を席巻してゆく。

 今は祝電などで名残を残すだけとなった電信だが、当時の人々にとっては驚異的な新技術であると共に、様々な悲喜劇や詐欺事件を引き起こした。その多くは現代のインターネットでも再び繰り返されている。

 腕木通信から電信そして電話に至るまで、新しい情報通信技術の登場が巻き起こす騒動を掘り起こし、時代を超えて変わらぬ人間の姿を描き出す、ユーモラスで親しみやすい一般向けの歴史ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Victorian Internet: The Remarkable Story of the Telegraph and the Nineteenth Century's On-line Pioneers, by Tom Standage, 1998。日本語版は2011年12月にNTT出版より単行本で刊行、私が読んだのは2024年5月15日発行のハヤカワ文庫NF版。文庫で縦一段組み本文約216頁に加え、訳者解説10頁+文庫版のための訳者解説「インターネットの前に来たもの 文明を画した電信時代」8頁。9ポイント40字×16行×216頁=約138,240字、400字詰め原稿用紙で約346枚。文庫では薄い部類。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。基礎的な電気関係の科学・数学知識がほんのわずか必要だが、小学生の頃に豆電球を光らせた程度で充分。

 ただ、単位がヤード・ポンド法なのは慣れない人には辛いかも。最初に換算表はあるんだけど。

【構成は?】

 時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • まえがき
  • 第1章 すべてのネットワークの母
  • 第2章 奇妙に荒れ狂う火
  • 第3章 電気に懐疑的な人々
  • 第4章 電気のスリル
  • 第5章 世界をつなぐ
  • 第6章 蒸気仕掛けのメッセージ
  • 第7章 暗号、ハッカー、いかさま
  • 第8章 回線を通した愛
  • 第9章 グローバル・ヴィレッジの戦争と平和
  • 第10章 情報過多
  • 第11章 衰退と転落
  • 第12章 電信の遺産
  • エピローグ
  • 新版あとがき
  • 謝辞/参考文献/訳者解説/文庫版のための訳者解説/電信に関する出来事とヴィクトリア朝時代(年表)

【感想は?】

 歴史物としては極めて親しみやすく楽しい本だ。

 画期的な技術である電信が普及してゆく時代を背景に、ソレを商売はもちろんペテンや色恋沙汰にまで、知恵を働かせて発明者が予想もしなかった形で使う、今と変わらぬ血の通った人々の姿を描く本書は、三面記事やスキャンダル週刊誌みたいな猥雑な面白さが溢れている。

 物語は腕木通信(→Wikipedia)から始まる。SF者にはキース・ロバーツの「パヴァーヌ」でお馴染みのアレだ。フランス政府はほぼ軍専用としていたようだ。

パリとリール間の線は、国家テレグラフ局の初の一部門として1794年5月に稼働し始め、同年8月15日にはオーストリアとプロシアからある町を奪回した報告を、戦闘終結から1時間以内に伝えた。
  ――第1章 すべてのネットワークの母

 現実には霧などで視界が悪くなると通じなくなるなどの制限もあったようだが、従来の馬よりは遥かに速い情報伝達が可能となった。それより前に「電気」は見つかっていたが、その性質はよくわかっていなかった。幸い伝達速度が速いのは知られていて、多くの発明家が電気による通信に挑む。その中の最大の成功者がモールスである。

幸いと言うべきか、モールスは他のテレグラフ開発者が長距離を伝送できずに失敗していたことも知らなかった。
  ――第2章 奇妙に荒れ狂う火

 黎明期の発明の多くが、いわゆるパラレル回線でありながら、最終的にはシリアルなモールスの電信が制するあたりは、SCSIやGPIBなどの乱立からUSBに制される現代のコンピュータ機器の通信規格を彷彿とさせる。でもUSBも規格が複数あるんだよなあ。

 なんであれ、新しいモノが出てくると難癖をつける輩ってのは、いつの時代にもいるようで。

間もなくボルチモアの宗教指導者たちが、新しいテクノロジーは黒魔術に酷似しており疑わしいものだと言い始め…
  ――第3章 電気に懐疑的な人々

 さすがに最近は聞かないが、携帯電話が流行り始めた頃は「電波が云々」と文句を言う人もいた。もっとも、自動車の「ながら運転」などは、実際に害があるんだけど。

 そして、妙な勘ちがいをする人も。

ある女性が息子から送金依頼の電報を受け取って、それはうかつに信じられないと言いだした。彼女は息子の筆跡はよく知っており、局で書かれたメッセージは明らかに違うと主張したのだ。
  ――第4章 電気のスリル

 コンピュータも「ウィルス」は妙な勘ちがいをする人がいたし、こういうのは新しい技術の宿命なんだろう。

 かと思えば、逆に大きな期待を寄せる人たちもいた。

駐米英国大使エドワード・ソーントン「世界のすべての国や国民が常にきちんと交わることほど、平和に寄与するものはないのではないか」
  ――第5章 世界をつなぐ

 これまたインターネット、特に NewsGroup やブログは期待されたのだが、現実はむしろ匿名掲示板が断絶を煽ってたり。

 さて、発足当初は回線にも余裕があったが、利用者が増えるにつれ回線が混んでくる。特に、人に先んじる事が利益につながる商人が使い始めると大変なことになって…

ロンドンでは1850年代の初期からこうした輻輳(→Wikipedia)の問題が起きており、メッセージの半分は証券取引所の関係で、1/3はビジネス関係、「家族関係」は7通に1通の割合だった。
  ――第6章 蒸気仕掛けのメッセージ

 ここでは証券取引所と中継局との混雑の解決法が、なかなかに楽しかったり。今だって距離とデータ量によってはSSDなどの大容量記憶媒体を直接に運ぶ方が速かったりする。

 電信は先方に届くまでオペレータなど多くの人が間で働く。となれば、買収して盗聴しよう、なんて悪事を考える奴も出てくる。だから、政府や軍は暗号などで機密を守ろうとする。ばかりか、民間も…

長距離ケーブルの利用は90%がビジネス関係で、さらのその95%が暗号を使っていた。
  ――第7章 暗号、ハッカー、いかさま

 もっとも、本書の「暗号」は符丁も含んでるんだが。というのも、電信は文の長さで値段が決まる。だから文を短く切り詰めれば安くあがるのだ。そこで双方が示し合わせ、決まり文句は短縮形で送れば安上がりなのだ。Null Pointer Exception を nurupo とか。

 そんな電信のオペレータは、当時の憧れの職業だったようで、かのトーマス・エジソンも凄腕のオペレータとして名を馳せていたとか。

(電信は)出世を夢見る者には小さな町から都会に逃れる道を開き、旅行好きにはどこでも仕事を保証してくれるものだった。
  ――第8章 回線を通した愛

 1990年代までは、プログラマにそんな印象を持つ人もいたような気が。今だとLLMだろうか。ところが、かつての小規模なCOBOLプログラムなら、現代は Excel で充分に使えるシートが作れちゃったりする。そんな風に、電信オペレータにも機械化の波が押し寄せる。

たゆみないテクノロジーの変化によって、電信の仕事は緻密な学習による高い技量を必要とする職業から、誰でもできる技量の不要な職業になった。
  ――第11章 衰退と転落

 商人は目ざとく電信に目をつけ適応したのに対し、役人や軍人は腰が重い。お陰で、困った事も起きる。

1854年3月にフランスと英国がロシアに宣戦布告し、クリミア半島に軍隊が出発したとき、ロンドンの軍事担当者は軍の規模や活動について詳細な情報を出していた。これはそのまま『タイムズ』に掲載されたが、それは読者にできるだけ情報を提供して戦争への意欲をかきたてようとするものだった。
  ――第9章 グローバル・ヴィレッジの戦争と平和

 確かクリミア戦争は写真も世論の形成に大きな影響があったような。それはともかく、世論を誘導するためとはいえ、軍が「詳細な情報を出していた」のは意外。

 そんな政府に対し、商人は積極的に電信を利用していたが、それはそれで困った事に。というのも、

「(商人は)常に興奮状態にあり、静かに休む間もない」
  ――第10章 情報過多

 これまた現代でSNSにハマった人たちが、眠る時間も惜しいと感じるようなモンだろうか。

 などの騒動を引き起こした電信も、やがて新しい技術に取って代わられることになる。そう、電話だ。

「2006年1月27日をもって、ウエスタン・ユニオン社はすべての電報と商用メッセージング・サービスを終了します」
  ――新版あとがき

 このあたり、かつてパソコン通信にハマっていた人たちは、しばらく遠い目になるんじゃなかろか。

 他にも競馬の稼ぎにつかったり、通信相手の正体が意外な人物だったり、娘が胡散臭い男に引っかかったりと、現代のインターネットでも聞いたような話が満載で、下世話な意味でとっても楽しい本だった。三面記事が好きな人にお薦め。

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2025年6月22日 (日)

デニス・プロフィット+ドレイク・ベアー「なぜ世界はそう見えるのか 主観と知覚の科学」白揚社 小浜杏訳

私たちは世界を見ているのではない。「私たちが見る世界」を見ているのだ。

本書でみなさんにお伝えしないのは、「知る」ためには、その前に「行う」こと――自分の身体を用いて、意図的に行動すること――が必要だという点である。
  ――おわりに 歩くことで道はできる

難解な言葉遣いをするパネリストほど観客に意見を変えさせる割合が低く、話し方が具体的なパネリストほど説得力を持つ
  ――第4章 考える

私たちは流暢性によって、容易さを真実と取り違える過ちを犯しやすい。
  ――第4章 考える

嫌悪感を抱きやすい人は、政治的には保守派なことが多い。
  ――第5章 感じる

結束力を高める手っ取り早い方法は、スケープゴートを選んで糾弾することだ。
  ――第8章 同一化する

【どんな本?】

 今まで、心理学者たちは、すべての人間に共通する法則・性質を求めてきた。だが、本書の著者たちは、その逆を行く。往々にして、同じモノを見ても、人により反応は異なる。例えば同じ坂を見上げ、角度を尋ねた際、人により見積もりが異なってくる。だけではない。同じ人でも、状態によっても見積もりが違ってくるのだ。

 なぜ違いが生じるのか。見積もりは何を意味するのか。

 こういった疑問を追っていくうちに、著者たちは従来の心理学とは違った発想にたどり着く。ヒトは世界を客観的に見るのではない。それぞれの立場・状況で、見えてくる世界は違ってくるのだ。

 従来のヒトの認知・認識の思い込みを覆し、体験することの意味・意義を問い直す、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Perception: How Our Bodies Shape Our Minds, by Dennis Proffitt and Drake Baer, 2020。日本語版は2023年9月13日第一版第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約276頁。9.5ポイント44字×19行×276頁=約230,736字、400字詰め原稿用紙で約577枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。敢えて言えば、米国での例が多いことぐらいだが、「サンフランシスコは坂が多い」「大学アメリカン・フットボールは人気がある」ぐらいを知っていれば充分。

【構成は?】

 原則的に前の章を踏まえて後の章が展開するので、素直に頭から読もう。

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  • はじめに おれは電熱の肉体を歌う
  • 第1部 行う
  • 第1章 発達する
    歩くことを学ぶ/視覚の機能をとらえなおす/視覚的断崖とゴンドラ猫/手でつかめば世界が把握できる/ゾーンに入る
  • 第2章 歩く
    坂の傾斜はどのように知覚されるのか/歩行が生んだ人類の世界/表現型に沿った生き方/世界は伸び縮みする
  • 第3章 つかむ
    人間の手(と行為)は心を宿している/手が語る人類の歴史/見えないのに見えている/手が注意を誘導する/聞き手が善悪を決める
  • 第2部 知る
  • 第4章 考える
    ガットフィーリング/思考と生体エネルギー/流暢性/多様性が集団意思決定において重要なのはなぜか/フェイクニュースと身体化された思考
  • 第5章 感じる
    情動を知覚する/やれ、やるな/社会的痛み/感情の誤帰属とうつ/恐怖を感じると世界が歪む
  • 第6章 話す
    口と手のつながり/手を使って話す/インデックスは音声で作られる/身体化された語源と記号設置地図/ボトックスと読解力の関係/動きによる読解
  • 第3部 帰属する
  • 第7章 つながる
    心地よい接触がないと生きられない/皮膚は社会的器官である/MRIで手をつなぐ/女の存在が重荷を軽くする/母親と他者/絆の力/認知的加齢と社会的ネットワーク
  • 第8章 同一化する
    帰属する集団でものの見方が変わる/他人種効果と没個性化/物語が持つ力/団結力の光と影
  • 第9章 文化に同化する
    名誉の文化/文化相対主義/分析的思考と包括的思考/中国 稲作文化と麦作文化/社会的アフォーダンスと関係流動性
  • おわりに 歩くことで道はできる
  • 謝辞/推薦図書/訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 「動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか」と同じ、環世界の本だ。ただし、本書は人間だけを扱う。

 扱う範囲は狭くなっているが、読者に近いネタなため、感じるセンス・オブ・ワンダーは同じぐらいだ。人によっては、本書の方がより強く感じるかしれない。

 さて、先に触れた坂を見上げる話だ。タネは簡単。日ごろから体を鍛えている者は緩く感じ、なまっている者はキツく感じる。また、身軽な者は緩く感じ、重い荷物を持つ者はキツく感じる。

 つまり、「この坂を登るのがどれぐらいシンドイか」を見積もるのである。

坂の傾斜やグラスの大きさに至るまで、人間が知覚するものはすべて、私たち個人がどのような人間かに左右されるのである。
  ――はじめに おれは電熱の肉体を歌う

 ここで重要な点が一つある。人は客観的に坂を見ているのではない。「坂を登る」という行為を通して…いや脳内でシミュレーションして角度を見積もる、という点だ。つまり、自分が世界に働きかけることで、世界を認識するのだ。

どんなことを、どれくらいうまくできるかによって、人間の環世界が形作られていくのだ。
  ――第1章 発達する

 だから、見積もりは状況によっても違ってくる。重い荷物を持って登るのはシンドい。だから、より急だと見積もる。自分の状態・状況で、「今、自分が登ったら、どれぐらいキツいか」を考えるのだ。

私たちは「自分が世界にどのように適応しているか」を見ているのである。
  ――第2章 歩く

 脳だけで考えているのではない。体全体で考えているのだ。それどころか…

銃を手にしていると、私たちは射撃する存在へと姿を変え、実際には無害な物体を持っている他者を目にしても、銃器を構えていると錯覚しやすくなるのである。
  ――第3章 つかむ

 なんて困った性質もある。体だけではない。道具を持つと、その道具に応じて世界認識も変わるのだ。「金槌を握ると、何でも釘に見えてくる」って奴だ。自分が何をできるかで、ヒトは世界を認識するのである。初めて自転車を手に入れた時、世界が広がったような気がしたのは、私だけではあるまい。だけではない。

人間は行為をなすことで世界を知る。
  ――第3章 つかむ

 これについては、乳児が「おすわり」「はいはい」「あんよ」と発達するにつれ、距離感などが変わってくる、なんて話が面白かった。ヒトは世界に働きかけ、そこからフィードバックを得て、少しづつ世界を知ってゆくのだ。

 そう、ヒトは体を介して世界を知るのである。この性質は何かを伝える際にも関係があり、例えばより強く訴えかける文章を書くには…

読者にとって最もわかりやすいのが、身体性があり、具体的で、イマジズム(写実主義、→Wikipedia)的な文章だ。
  ――第6章 話す

 身体性というと難しそうだが。例えば「怖い」とするより「背筋が凍る」のように、肉体の反応や動きで表すのだ。ちなみに映画の脚本じゃ、コレはご法度だそうです。恐怖をどう表現するかは、役者の領分なんで(→「ハリウッド脚本術」)。

 人間は社会的動物だとよく言われる。そのためか、状況や状態は「自分の周囲にどんな人が居るか」でも変わってくるのだ。

愛する人の手を握っていると、恐ろしいことに直面しても、人は安心感を抱けるのである。
  ――第7章 つながる

 人が群れると暴走しがちなのは、こういう性質のせいかもしれない。ただし、例えば政治集会など、同じ傾向の人々・似通った人々が集まった時は、だ。そうではなく、雑多な人々が集まると、これまた異なった効果が表れる。

自分と同類でない人々に囲まれているときのほうが、人は思慮深く行動するのである。
  ――第4章 考える

 野球やサッカーなどのスポーツ観戦のホームかビジターか、みたいなモンだろうか。

 さて、終盤では、現在の自分の体だけでなく、時代を超えた集団の文化の影響も出てくる。

「家畜が盗まれやすく、警察が機能していない地域では、どこでも名誉の文化が生じます。世界中の牧畜文化で見られる現象です」
  ――第9章 文化に同化する

 ここでは麦作文化と米作文化の違いなどもでてきて、かの名著「肉食の思想」を彷彿とさせる議論も出てくるのもエキサイティングだ。

 認知科学に興味がある人はもちろん、エイリアンの文明・文化やロボットの思考方法などの妄想に浸るSFファンにもお薦め。

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2025年6月18日 (水)

クリストファー・ブラットマン「戦争と交渉の経済学 人はなぜ戦うのか」草思社 神月謙一訳

ロナルド・レーガン「平和とは、武力によらない手段で紛争を処理することだ」
  ――第7章 相互依存

ひとたび戦端が開かれれば、戦闘が継続されることで利益を得る利己的な政治家や、軍事指導者、企業、将軍が必ず現れる。
  ――第4章 不確実性 原注

ここ200年間に政府が殺害した人の数は、戦争よりも虐殺によるものの方が多いのだ。
  ――第5章 コミットメント問題

「誰もが、相手の暴力に対して自分は適切に対応していると主張するのだ」
  ――第6章 誤認識

「民主主義は与えられない。つかみ取らなければいけないのだ」
  ――第8章 抑制と均衡

安定した社会や、国家、平等は、権力の中枢にいるエリートと、外部にいる商人や大衆との内部抗争のプロセスとして出現した。
  ――第11章 戦争についてのよくある議論の真偽

(援助)組織が成功するのは、何がうまくいっているかに関するフィードバックを得ているとき、改善を促す強いインセンティブがあるとき、そして、特定の政策で成功した組織がそのノウハウを秘匿できないときである。
  ――結論 斬新的平和工学者

成功している(援助)組織は、意思決定を可能な限り中心から遠ざけ、現場に近いところで行う傾向があることがわかっている。
  ――結論 斬新的平和工学者

【どんな本?】

 戦争をなくすには、どうすればいいか? この問題を考える時、多くの人は、今までに起きた戦争を分析し、その原因を探ってきた。だが、本書は敢えて逆の方法をとる。

 戦争は高くつく。だから、多くの集団は戦争を避けたがる。これは国家に限らず、シマをめぐって争うギャングも同じだ。たいていはキリのない抗争を避け、駆け引き・取り引き・話し合いでケリをつけようとする。この交渉が失敗した時に、戦争が起きるのだ、と。

 著者は大胆にも戦争の原因を5つに絞る。正確には戦争の原因というより、交渉による解決を阻む原因だ。

 国家同士の戦争や内戦からギャングの抗争にまで視野を広げ、集団同士が暴力で衝突した事例や逆に避けた事例を挙げ、時として火花散る「前線」へと赴いて戦士や司令官に取材し、経済学とゲーム理論を用いて人が争いを避けるメカニズムとそれを阻む障害を明らかにし、平和への道を示す一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Why We Fight: The Roots of War and the Paths to Peace, by Christopher Blattman, 2022。日本語版は2023年7月12日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約435頁。9.5ポイント45字×18行×435頁=約352,350字、400字詰め原稿用紙で約881枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も意外とわかりやすい。これには訳者の努力も大きい。著者の文章は衒学的というか文学的というか、西洋の古典を引用するなど詩的で回りくどい表現が多いのだが、訳者が上手く注をいれている。

【構成は?】

 ほぼ前の章を前提として次の章が展開するので、なるべく頭から読もう。

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  • 序章
    • 「なぜ殺し合うのか」という問いに直面するとき
    • 暴力はどれほど大きな問題か
      本書における「戦争」の定義
    • 戦争は例外であり、通常は選択されない
    • なぜ最も憎悪する敵同士でも戦争を避けるのか
      戦略の科学「ゲーム理論」
    • 戦争が起きる5つの理由
      原因を5つに整理したことの意味
  • 第1部 戦争を引き起こすもの
  • 第1章 人々はなぜ戦いを避けるのか
    • 犯罪組織でさえ抗争を避けビジネスを優先する
    • ゲーム理論が示す「戦わないという戦略」の正しさ
      労働争議や訴訟でも人々は戦いを避ける/「戦争の5つの原因」はパイの平和的分割を阻む
  • 第2章 抑制されていない利益
    • 武装勢力の元司令官が語った「おとぎ話」
    • 独裁者や寡頭独裁者はなぜ問題となるのか
    • アメリカ独立革命の不名誉な側面
    • 「抑制されていない私的利益」はどう働くか
      エージェンシー問題としての戦争バイアス
    • 「抑制と均衡」は権力者のインセンティブを変える
  • 第3章 無形のインセンティブ
    • 戦いでしか得られないもののために戦う
    • 義憤 不公正への抗議そのものに喜びを感じる
      民衆の憤りが「アラブの春」を誕生させた/不公正を罰するか。「最後通牒ゲーム」の実験/なぜ人は不公正を罰したいと思うのか
    • 道義的憤りが交渉領域を大幅に縮小させる
    • 名誉と威信 命を危険にさらしても得たいもの
      集団が全体として名誉と威信を重視する場合/抑制の効かない支配者が名誉や地位を求める場合
    • イデオロギー 理念のため頑なに妥協を忌避する
      平和的だが不平等な妥協が受け入れられない場合
    • 暴力そのものの喜びは無形のインセンティブか
      戦争が避けられないのは人類が暴力を楽しむから?
    • 妥協を拒んで交渉領域が狭まることの意味
  • 第4章 不確実性
    • ギャングのリーダーが自分の強さを誇示する理由
    • 敵と味方の実力差を評価する際の不確実性
      実力差の評価を誤ると交渉が難しくなる理由/自らの実力に関する信頼できるシグナルを送る
    • ブラフと私的情報は不確実性をより大きくする
      ブラフや私的情報が交渉領域を狭める理由
    • ライバルが多数いると評判はより重要になる
    • アメリカ対サダム・フセイン そこにあった不確実性
      フセインのブラフだった「大量破壊兵器保有」/不確実性を増大させた双方の事情/フセインは最後に査察団受け入れを認めたが…
  • 第5章 コミットメント問題
    • 予防戦争 敵の台頭を阻止するための戦争
    • 第一次世界大戦は予防戦争だったか
      ドイツはロシアの台頭を恐れていた/予防戦争が成立する一般的条件
    • アテネ対スパルタのコミットメント問題
    • パイ図で考えるコミットメント問題の論理
    • ジェノサイド 少数派台頭への恐怖が暴走するとき
    • 内戦が長引きやすいのもコミットメント問題のせい
    • 再びイラクへ 不確実性とコミットメント問題
    • 「5つの原因」が重なり合い交渉領域を狭めた
  • 第6章 誤認識
    • アインシュタインとフロイトの往復書簡
      集団間の憎悪の背後にある心理学的要因
    • 「速い思考」に働く心理的バイアスの数々
    • 自分に対する誤認識 自分の能力を過信する
      自信過剰は戦争にどのような影響を及ぼすか
    • 他者を誤認識する 誤った投影と誤った解釈
      誤認識が攻撃と復讐の連鎖を引き起こす/相手の立場に立った評価や予測ができない
    • 集団での意思決定に紛れ込むバイアス
      巨大官僚組織はどのように失敗するか
    • 誤認識と激情の恐ろしい相互作用
      自動的な否定的思考を矯正する認知行動療法/激情はバイアスを強化し、判断に影響を与える//偏狭さと反感が大きくなり、敵を悪魔化する/誤認識と激情が交渉領域を狭めていく
    • 5つの論理を集約し診断ツールとして使う
  • 第2部 平和をもたらす術
  • 第7章 相互依存
    • 競争を平和裏に処理するための4つの方法
    • 宗教対立が起こりづらい都市の特徴
    • 経済的相互依存は交渉領域を広くする
      商業はどのように平和を促進するか/経済的独立が交渉領域を狭める例 アメリカと石油
    • 社会的な交流は分極化を抑制する
    • 遠くの人との道徳的、文化的な結び付き
  • 第8章 抑制と均衡
    • 内戦が終結し優れた大統領が就任すれば万全か
    • なぜ安定した社会は多くの中心を持つのか
      リーダーが独裁者にならないための仕組み作り
    • 多中心的な体制になれば戦争は起こりづらい
    • 抑制と均衡は権力との長い闘争の末に実現する
  • 第9章 規則の制定と執行
    • 犯罪組織で取り決められた暴力を抑制する制度
    • 国家 暴力を抑制し鎮定する強力な存在
      警察官が増えるほど犯罪は減るが…
    • 無政府状態で暴力を抑制する「名誉の文化」
    • 半無政府状態にある国際社会での制度の意義
      国際機関の有効性を示す科学的証拠はあるか
  • 第10章 介入
    • カリスマ人権活動家の活躍と失敗
    • 戦争という「厄介な問題」に介入する54つの手段
    • 懲罰 経済制裁に効果はあるか
      国全体を対象とする「包括的制裁」の問題点/制裁に効果があるかを評価するのは難しい/それでも制裁は有効だと示す兆候はある
    • 執行 平和維持部隊の派遣などの効果
      内戦終結後の不安定な社会で起きた暴動/暴動鎮圧にとどまらない平和維持部隊の役割
    • 調性 和平協議の仲立ちをする調停者
      調停者が本当に機能しているという証拠
    • 社会化 自制、他人への共感、理性的判断など
      リベリアの若者や元兵士の行動を変える活動/認知行動療法で男性の暴力と犯罪が半減/同様の活動はシカゴでも大きな効果を発揮した/相手の立場で考えられるようになることの効能
    • インセンティブ 戦わないことの価値を高める
      レアルポリティークと理想主義のバランス
  • 第11章 戦争についてのよくある議論の真偽
    • 戦争に関する直感的理解の妥当性を評価する
    • 女性がリーダーになれば戦争は減るか
      女王は男の国王より戦争に巻き込まれやすかった
    • 貧困をなくせば紛争は防げるか
    • その他の直感的理解を裏切る事実
    • 戦って解決させた方がよい、という主張
      多くの権力割譲は戦争なしで進んだ
  • 結論 斬新的平和工学者
    • 戦争の一挙解決を夢想することの危うさ
    • 平和工学者のための十戒
      • 1 容易な問題と厄介な問題を見分けなさい
      • 2 壮大な構想やベストプラクティスを崇拝してはならない
      • 3 すべての政策決定が政治的であることを忘れてはならない
      • 4 「限界」を重視しなさい
      • 5 目指す道を見つけるためには、多くの道を探索しなければならない
      • 6 失敗を喜んで受け入れなさい
      • 7 忍耐強くなりなさい
      • 8 合理的な目標を立てなければいけない
      • 9 説明責任を負わなければならない
      • 10 「限界」を見つけなさい
  • 謝辞/参考文献/原注

【感想は?】

 目の付け所が素晴らしい。戦争の火種はどこにでも転がっている、そういう悲観的な発想から始まる。

 なら世界はいつでもあらゆる所が戦火に包まれていそうだが、幸いにしてそうじゃない。それは暴力による争い=武力衝突を阻む/避ける要因があるからだ。このブレーキが利かなくなった時に戦争が起きる。そういう発想である。

 なぜ武力衝突を避けるのか。これは身もふたもない理由で、つまりは高くつくからだ。「戦争の経済学」にもあるが、武力衝突は投資として見るとリスクがデカすぎて割に合わないのである。

 本書のもう一つの特徴は、国同士の戦争に加え内戦やギャングの抗争も「戦争」に含めている点だ。特にギャングの抗争などは、登場人物が少ないため(数学的な意味での)モデルとしてスッキリしていて理解しやすい。つまり本書でいう戦争とは、組織同士の武力衝突を示す。

 日本でも、ヤクザ同士の潰し合いは滅多にない。やらない理由も想像がつく。抗争が大きくなればマスコミが騒ぎ桜の代紋(警察)がお出ましになり、下手すれば双方の組が潰される。もしくは抗争で弱ったところに第三・第四の組が乱入し漁夫の利を狙うかもしれない。だから、なるたけ本気の抗争は避けたいのだ。

敵対し合うグループは、非生産的な結果を避けるために、取引をして資源を移譲するインセンティブを持っている
  ――第1章 人々はなぜ戦いを避けるのか

 実際…

現実に起きた1つの戦争の裏では、1000の戦争が話し合いと譲歩によって回避されてきた。
  ――序章

 これまた一つのハインリヒの法則(→Wikipedia)だろうか。と、いうことで、歴史上の例やギャングの抗争を調べ、衝突を回避した例と失敗した例を分析し、メカニズムを探ってゆくのである。

 さて、ヤクザを例に出したのは、半ば意図的なものだ。本書が求める平和は、公平でも平等でも正義でもない。強い側が多くを得て罪を免れる、そういう平和である。また、仲良しでもない。睨み合い・憎しみ合い・小競り合いは続くが、全面戦争には至らない、そういう状態だ。

 だもんで、本書が求めるのは、非武装の平和ではない。

平和は、博愛主義や協力からではなく、暴力の脅威が常に存在する状態から生まれ、交渉力は、攻撃するぞと相手を脅す力によってもたらされる
  ――第1章 人々はなぜ戦いを避けるのか

 困ったことに、この前提は現実の世界情勢と合致している。その上で、著者は、衝突を避けたい組織/集団が、なぜ回避に失敗するのかを探り、5つの原因を示す。

 これが本書の大きな特徴だ。戦争の原因を探るのではない。戦争を避けるのに失敗する原因を調べるのである。

 その一つは「抑制されていない利益」だ。決定権を持つ者がリスクを負わない状況である。

武力衝突の代償は公民権を持たない大衆によって払われるが、勝利した時の利益は指導者のものになる
  ――第2章 抑制されていない利益

 王や独裁者が盤石な権力基盤を持つ場合がこれだろう。幸か不幸か、現代の独裁者は戦争に負けると威信を失い権力基盤が揺らぐ。だから挑発はしても開戦はしない。どっかの半島の北もこれだろうなあ。

 ロシアのようにゴリ押しする場合もあるが…

暴力が発生するのは、概して、政治指導者が、自分たちの財力と政治組織とメディアへの影響力を使って、より大きな政治目標のために街頭で戦略的に騒乱を起こそうとするときだ
  ――第2章 抑制されていない利益

 現在のロシアも、国外にいるロシア人が国内の家族とは話が合わないとか。お互いに別の世界を見ているのだ。しかも、ロシアは政治状況もヤバい。

抑制されていないリーダーと民衆のパロキアル(身内びいき)な性質が混ざり合うと、有毒な混合物が生成される。
  ――第3章 無形のインセンティブ

 日本でも鬼畜米英とか言ってたし、ナチスドイツも東部戦線じゃ相手を人間扱いしなかった。なお、「無形のインセンティブ」の分かりやすい例は宗教だ。信長の比叡山焼き討ちや、現在のエルサレムをめぐる争いもこれだろう。

 さて、太平洋戦争の原因は幾つか考えられるが、その一つは米国の能力と意思を甘く見たことだ。

相手の力が把握できず、力の認識にズレがあるということが、おそらく多くの武力衝突の原因となっている。
  ――第4章 不確実性

 これを避ける方法の一つが、軍事演習だろう。「俺はこんなに強いんだぜ」と見せつけるのだ。

小競り合いは戦争を避けるためにある。
  ――第4章 不確実性

 これで避けられなかったのが、イラク戦争だろう。サダム・フセインは核査察を一応は受け入れたが、その後で査察団の邪魔をした。最終的に米国はフセインを信用できないと判断し、多国籍軍で攻め込んだ。相手が信用できないのでは、交渉しようがない。

政治経済学者がコミットメント問題について語るときは(略)交渉において、一方の側が、約束を守るという信用を得られないために、取り決めが成立しないことである。
  ――第5章 コミットメント問題

 やはりイラク戦争では、誤認識もあった。米国はフセインの野心を過大評価していたし、イラクの民衆は喜んで多国籍軍を受け入れると踏んでいた。現代の独裁者の最大の目的は、自分の地位を守ることで、意外と侵略までは考えてなかったりする。もっとも、プーチンのように自分を過大評価する場合もあるんだけど。最近の中国は挑発が目立つけど、習近平はどうなんだろうね。

グループ同士の闘争を理解する上で最も重要な3つの誤認識(略)
成功の可能性を過信すること、自分たちの信念や情報を誤ってライバルに投影すること、ライバルの動機を誤解して最悪の意図を持っていると思い込むこと
  ――第6章 誤認識

 さて、ここまでは回避を妨げる要素だ。後半では、回避を助ける要素を挙げてゆく。最初は、相互依存である。というか、むしろ相互交流が近い。よく知る相手とは、争いを避けるのである。その例が面白い。

中世の港から発達した都市は、宗派間抗争が、同じような沿岸都市の1/5しか発生しない
  ――第7章 相互依存

 港湾都市には様々な国や地域から商人が訪れ、商館もできる。だもんで、色々な国や地域や宗教信者が混ざり合って暮らしている。そのため、あまり武力抗争には発展しないらしい。

 また、権力が分散していると、争いを煽る勢力の暴走に歯止めがかかる。一部の者が頭に血が上って暴走しようとしても、冷静な者がソロバンをはじいて「損だからやめようぜ」と止めに入るのだ。

専制君主との約束は、その君主の在位期間しか持続しないが、法治国家の議会との約束はときの支配者が亡くなってからも続くのだ。
  ――第8章 抑制と均衡

 また、力による抑制もある。

ひとたび(帝国に)征服されると、帝国内の氏族や国は戦いを禁じられた
  ――第9章 規則の制定と執行

 これの失敗例が、ユーゴスラヴィア内戦(→Wikipedia)とナゴルノ・カラバフ紛争(→Wikipedia)だろう。ユーゴはチトーが、ナゴルノ・カラバフはソ連が抑えていたが、重しが外れた事で争いが激化した。成功例は第四次中東戦争かな? 米ソの睨みで、双方が矛を収めた。

 などと昔の米国はイスラエルとアラブ諸国の仲介をしたし、かつてはスウェーデンも中立国として多くの紛争で仲立ちをしていた。今はNATOに入っちゃったけど。こういった仲介者には、ちゃんと価値があるのだ。

調停者は「不確実性」と「私的情報」を減らそうとする。
  ――第10章 介入

 争う両者は、互いに相手の状況や立場がわからないし、相手の言葉も信用しない。そこで信用できる第三者が間に入って、言葉に重みを持たせるのである。ヤクザの手打ちも、これだね。ヤクザの場合、仲介者のメンツもかかってるので、効果は大きいんだろう。

 終盤では国際的な援助組織の話になる。あまし私たちに関係ないように思えるが、組織の中で働いている人には、思い当たる事も多いんじゃないだろうか。私は…

人間には状況を過度に単純化する驚くべき能力があるが、それが顕著に表れるのが他人に代わって決定を下すときである。
  ――結論 斬新的平和工学者

 これに痛い所を突かれた。

 世界の平和なんていう稀有壮大な目標を掲げた本だが、その内容は武装を前提としたもので、決して甘くないし、平和を実現する過程も、「先は嫌になるほど長いぞ」と厳しい。とはいえ、ギャングの抗争を例にとったりと、意外と身近な話も多い。ただ、あくまでも紛争を防ぐ方法であって、既に始まってしまった戦争を止める方法は扱っていないので、それは期待しないように。平和を愛するすべての人にお薦め。

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2025年6月13日 (金)

ジョン・マッケイド「おいしさの人類史 人類初のひと噛みから『うまみ革命』まで」河出書房新社 中里京子訳

本書は風味の略歴である。記述は地上の生命の夜明けから始まり、現在に至って終わる。
  ――第1章 舌の味覚分布地図

「視覚と味覚のシグナルは相互作用するのです」
  ――第8章 後期重爆撃期

【どんな本?】

 私たちは、生存競争の過程で風味を味わう能力を身に付けた。カロリーの高い果糖を多く含む果実は、おいしい。同じ理由で、脂肪も私たちを虜にする。逆に、毒の可能性があるモノは苦い。だから、私たちはソレを避け…るとは、限らないのが奇妙な所だ。例えば、コーヒーを好む人は多い。野菜も好き嫌いが分かれる。ジョージ・H・W・ブッシュ元米大統領はブロッコリーが嫌いだった。

 長らく味覚は甘味・酸味・塩味・苦味の四つと思われていたが、最近になってやっと旨味が認められた。だが、味の素そのものには、ほとんど味がない。

 私たちを惹きつけ、時として惑わす「風味」について、進化の過程から近年の分子ガストロノミーまで、科学ジャーナリストが体当たり取材で紹介する、美味しくて楽しい一般向け科学ノンフィクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Tasty: The Art and Science of What We Eat, by John McQuaid, 2015。日本語版は2016年2月28日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約267頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント47字×19行×267頁=約238,431字、400字詰め原稿用紙で約597枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容もわかりやすい。なにせ食べ物の話だしね。敢えて言うなら、出てくる料理や食材は洋風なモノが多いぐらいか。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、美味しそうな所だけをつまみ食いしてもいい。

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  • 第1章 舌の味覚分布地図
  • 第2章 風味の誕生 五つの食事をめぐって
  • 第3章 苦味の遺伝子
  • 第4章 風味の文化
  • 第5章 甘味の誘惑
  • 第6章 味と嫌悪感
  • 第7章 辛さの探求
  • 第8章 後期重爆撃期
  • 第9章 美味のDNA
  • 謝辞/訳者あとがき/参考文献/原注

【感想は?】

 「風味は不思議」や「『おいしさ』の錯覚」と同じ傾向の本だ。だから、その2冊が好きな人なら気に入るだろう。

 よく言われるように、「味わう」感覚は、進化の過程すなわち生存競争の中で身に付けた能力だ。それだけに、基本的な能力でもある。

哺乳類の退治の大脳新皮質において最初に発達する領域は、口と舌を司る部分だ。
  ――第2章 風味の誕生 五つの食事をめぐって

 カロリーの高い甘い果実や脂肪を求め、または苦味で毒を避けるための能力なのだ。果物の甘味は果糖で、私たちを強く惹きつける。しかも、ダイエット中の人には少々困った性質があり…

果糖は、空腹感を刺激するグレリンというホルモンのレベルを上昇させるようにうかがわれる。糖分を摂取することは、わたしたちを満足させるどころか、もっと欲しいという気持ちにさせるのだ。
  ――第5章 甘味の誘惑

 「甘いモノは別腹」ってのは、本当なのだ。食後のデザートに甘味が出てくるのも、そういう理由だろう。さて、甘いモノの代表はバニラアイス。あの香りは食欲をそそる。特にこれからの暑い季節は。それもヒトの感覚の性質で…

味とにおいは風味にすんなり混じるため、感覚同士が融合して、区別がつかなくなる。(略)たとえば、香料のバニラは通常、甘いと感知される。
  ――第4章 風味の文化

 そういえば「甘い香り」なんて言葉もあるなあ。食欲をそそるのは、他にもカレーの香りとか肉が焼ける匂いとか。とんこつラーメン屋から漂う匂いは、人によって好みが別れるだろうなあ。

 これらは経験によって得た感覚だ。苦味も初期値は「嫌なモノ」だ。なにせ毒を避けるための感覚だし。そして、世の中に毒になるモノは多い。そのためか…

研究者たちはこの(苦味を感じる)遺伝コードをT2R1と名付けた。それからの数か月間に、さらに16個の遺伝コードが発見され、現在では23個まで判明している。
  ――第3章 苦味の遺伝子

 と、苦味を感じるセンサーは、種類が異様に多い。だけでなく、人により感度が大きく異なる。これは遺伝子で決まっているのだ。特に敏感な人を、本書はスーパーテイスターと呼んでいる。オトナになっても苦味が嫌いな人は、スーパーテイスターなのかもしれない。

 これは苦味だけでなく、脂質への感受性にも言える。なお、今のところ、脂味は認められていないが…

最近の研究によると、脂質は実際に第六の基本味だという。舌には資質を感知する機能が存在し、独特の快い感覚を引き起こすというのだ。
  ――第8章 後期重爆撃期

 と、ヒトはちゃんと脂を感じる能力があるのだ。どうりで背脂ギトギトなラーメンは旨いはずだ。旨いのはいいが、やはり体重は気になる。これまた人によりけりで…

一部の人は他の人より、脂質に対する感受性が数千倍も高い。一方、脂質に対して鈍感な人は太りやすい。
  ――第8章 後期重爆撃期

 鈍い人はなかなか満足せず、マシマシで頼むためどうしても太ってしまうのだ。この太りすぎは人類全体の問題で、特に米国で目立つ。これはカロリーだけでなく、味付けの問題もある。

(米国から)東京に着いた時に、寿司のように軽くデリケートな風味を持つ料理を味わえるようになるには、三日待たなければならない。
  ――第9章 美味のDNA

 日ごろからケチャップやマヨネーズなどの調味料たっぷりで味付けの濃い食事ばかりなので、舌が馬鹿になっているのである。ちなみにこれを語っているのは頻繁に東京に出張するビジネスマンで、スラムの住人じゃない。そういう階層の人でも、米国の食事はアレらしい。寿司が流行っているのも、「俺は味が分かるんだぜ」的な見栄が混じっているから、かも。

 そんな濃い味付けで血圧が上がった人は、医者から「出汁を効かせて塩を抑えろ」と言われる。出汁の正体グルタミン酸=旨味は、これまた奇妙な性質があって。

水に溶かした純粋なグルタミン酸は、ほとんど無味だ。だが、他の風味と合わせると旨味成分が活性化し、脳をスキャンしてみると、砂糖のものに似た脳活動パターンが示される。
  ――第4章 風味の文化

 今風に言えば、バフをかけるんだね。少しの塩がガツンと響くのだ、出汁を効かせると。ただ、単体だと味がないので、発見が遅れたんだろう。

 など、何かと大味な米国では野菜の類も災難で、風味が失われつつある。というのも、主な評価基準が重さ・大きさに加え硬さ(輸送しやすいから)で、味や香りは軽んじられているためだ。だが、これには例外もある。ワインだ。

ワインは、大量生産されたトマトが抱えるような問題に直面したことは一度もない。
  ――第9章 美味のDNA

 なぜかワインだけは繊細に品質を問われるのである。呑兵衛、つまみにも気を遣えよ。

 さて、「風味は不思議」や「『おいしさ』の錯覚」と本書を比べて嬉しい点の一つは、進化の視点が入っていることだ。もう一つは、辛さを扱っている点にある。

 辛味は味覚ではない、と言われる。だが、大抵の調理場や食卓には胡椒や七味が置いてある。料理に辛味は必須なのだ。世の中には激辛に挑む人も居る。本書に登場するのは、単なる激辛マニアではない。自らトウガラシを品種改良して、最も辛いトウガラシを生み出そうとする者たちである。

 それはともかく、辛味の分類にはうなずける点が多い。長い引用だが許してほしい。

トウガラシの辛さには三つの要素がある。
第一の要素はタイムラグに関するものだ。(略)最初のひと噛みから辛さを感じるまでには時間差がある。この差はトウガラシの品種によってさまざまだ。ハバネロの時間差はとりわけ長く、15秒から20秒もある。
第二の要素は消散だ。タイ料理で使われるトウガラシの辛さは急速に消えやすいが、幽霊トウガラシのような品種の辛さは、ずっと後までまとわりつく。
第三の要素は、燃えるような辛さの質が品種によって違うことだ。アジアのトウガラシの辛さは突き刺すように感じられるが、アメリカ南西部のトウガラシの辛さは大味だ。
  ――第7章 辛さの探求

 私はこの「タイムラグ」に強く頷いた。何回か、これで痛い目を見たことがある。「激辛」と言われるカレーに挑んだ時などだ。最初の一口は、「あれ、意外と平気じゃね?」と感じる。二口目も、まだ大丈夫。だが、三口目・四口目あたりで、ジワジワと効いてくるのである。何度これで地獄を見たことか。

 この章ではもう一つ、過去の人類の食生活を調べる学者の話が出てくる。貝塚のようにゴミが溜まっていれば分かりやすいが、それは骨や貝殻が長く残るからだ。野菜や穀物などの植物は痕跡が残りにくい。が、最近の科学は凄い。

多くの植物は、「デンプン粒」と呼ばれる極微の“アンプル”に炭水化物を蓄える。それは指紋に似ている。デンプン粒は、それを生み出す植物によってサイズも形も異なっているのだ。さらにそれは、人間の消化器官を通り抜けて化石化する。(略)さまざまなデンプン粒は、特定の場所と時間に執られた食事、スナック、食生活を活写してくれるのだ。
  ――第7章 辛さの探求

 …はい、つまり、排泄物を調べるんですね。学者も大変だなあ。

 とかに加え、人の性格や信条も、食べ物の好き嫌いと関係あるっぽい、なんて話も出てくる。

脳のスキャン結果は、共感力が強い人ほど嫌悪感を抱きやすく、島皮質が明るく発火することを示している。
  ――第6章 味と嫌悪感

 他にも鰹節に倣って豚節を作るとか酒の起源とか、教科書に載らない歴史の裏話や奇想天外な難事に挑む人々の話など、雑談のネタは満載だ。科学と雑学そして美味しい物が好きな人にお薦め。ただしダイエットには向かないので、そのつもりで。

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2025年6月10日 (火)

ジェイソン・K・スターンズ「名前を言わない戦争 終わらないコンゴ紛争」白水社 武内進一監訳 大石晃史/阪本拓人/佐藤千鶴子訳

本書の目的は、なぜ2002年に決定的な和平合意が結ばれた後もコンゴ東部で暴力がやまないのかを説明することだ。
  ――第2章 歴史的背景

組織構造がまとまっていくと、(FDLRからの)自衛の重要性が後退し、機会主義が現れた。
  ――第7章 ライア・ムトンボキ

本書の主なる目的は、なぜコンゴの紛争がこれほど長く続くのかを理解することだ。少なくとも最近までイトゥリはその例外であり、したがって興味深い事例研究となる。
  ――第8章 イトゥリとコンゴ愛国者同盟(UPC)

【どんな本?】

 かつてベルギー国王の私有地として搾取され続けたコンゴは、豊かな資源に恵まれながらも独立後は困難が続き、21世紀に入っても特に東部における戦闘が続いている。

 ややこしい事に、ありがちな内戦と異なり、単純な政府軍vs反政府軍の構図ではない。「2021年には武装勢力の数は120を超え」ているのだ。国軍や地域ごとの勢力に加え隣国のルワンダやウガンダなどが介入し、情勢は複雑にもつれあってしまった。

 「本書の執筆段階で、550万人がコンゴ国内で避難民となっている」にも関わらず、「コンゴ紛争が『ニュートーク・タイムズ』の一面で言及されたのは、2017年にわずか2回だけだった」。日本でもシリア内戦やウクライナ戦争やイスラエルのガザ侵攻は盛んに報じられるが、コンゴは滅多にニュースにならない。

 とはいえ、国際的な支援の手も差し伸べられている。国連をはじめとして多くの国や団体が、開発・安定化・救援を目指し480憶ドルを出資し、「2015年段階で180の国際的な非営利団体がプロジェクトを回していた」。

 それでもコンゴ東部では暴力の応酬が続く。

 なぜこんな状況になったのか。どうして戦闘が続いているのか。政府や国軍は何をしているのか。どんな国のどんな勢力がどんな思惑でどんな武装勢力に肩入れしているのか。

 長く現地で調査を続け、現在はカナダのサイモン・フレイザー大学で国際学部の助教授を務める著者が、混迷を極めた原因と経緯を紐解き、平和への道を模索する、アフリカ的な内戦の解説書。

 なお、本書の「コンゴ」はコンゴ民主共和国(→Wikipedia)であり、コンゴ共和国ではない。旧ザイールであり、ルワンダやフルンジやタンザニアと接している国です。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The War That Doesn't Say Its Name: The Unending Conflict in the Congo, by Jason K. Stearns, 2021。日本語版は2024年6月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約328頁に加え、監訳者あとがき8頁。9ポイント46字×18行×328頁=約271,584字、400字詰め原稿用紙で約679枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は硬い。また、見慣れない言葉、それも主にカタカナの言葉が説明なしに出てくる。意味は文脈からボンヤリとわかる気もするが、一般用語なのか専門用語なのか不明だし、専門用語は一般的な意味とは異なる場合もあるので油断できない。つまり学者の文章なのだ。具体的な例と私なりの解釈を下に示す。

 内用もややこしい。よく知らない地域で聞きなれない多くの勢力が争い合う話で、しかも各勢力とも途中で組む相手や陣営を変え、または分裂するのだ。構成も一部に不満がある。当時のコンゴの政治・経済状況は、始めの方で説明して欲しかった。これが背景事情としてかなり重要なのだ。

 以下、わかりにくいカタカナ言葉の一部。

  • ドナー:資金や物資などの提供者
  • アクター:登場人物
  • インボリューション:社会の停滞→内部抗争、Wikipedia
  • エスニシティ:民族/部族/氏族
  • マインドセット:~のつもり
  • インフォーマル:非公式、影の、闇の
  • パトロネージ:金づる、後ろ盾、取り引き相手
  • モメンタム:勢い
  • フレーミング:設定付け/構図付け
  • チーフダム:なわばり
  • ナショナル:全国的、国家的
  • ガバナンス:統治・管理・運営

【構成は?】

 ややこしい状況を説明する本だ。巻末の「監訳者あとがき」が短い文章で巧みに情勢を説明しているので、最初に読むといいだろう。その後は素直に頭から読もう。

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  • 第1章 序論
  • 第2章 歴史的背景
  • 第3章 コンゴ紛争を説明する
  • 第4章 国家の役割 コンゴとルワンダ
  • 第5章 理論 インボリューション、分裂、軍事的ブルジョワジー
  • 第6章 人民防衛国民会議(CNDP)と3月23日運動(M23)
  • 第7章 ライア・ムトンボキ
  • 第8章 イトゥリとコンゴ愛国者同盟(UPC)
  • 第9章 平和創造とコンゴ
  • 謝辞/監訳者あとがき/注記/文献一覧/索引/略語一覧

【感想は?】

 内戦を描いた本なので、カテゴリーは「軍事」としたが、むしろ「政治」が近い。内容も戦術や軍略のネタはなく、政略レベルの話ばかりだ。

 そもそも、内戦といっても、政府軍 vs 反政府軍の構図ではない。民族/部族/氏族対立もあるだろうが、もっと複雑だ。なにせ…

2021年には武装勢力の数は120を超え、ときにローカルな問題をめぐって激しい戦闘が繰り広げられている。
  ――第1章 序論

 と、眩暈がするほど多くの勢力が乱立し、争っている。その大半は東部で、ウガンダ/ルワンダ/フルンジと接するあたり。首都キンシャサ近辺には、ほぼ影響はない。いや治安は悪いんだけどね。なんでそんなことになり、なぜ続いているのか、ぞれが本書のテーマだ。

 背景事情の一つとして、政府の汚職・腐敗がある。例えば…

政府は(略)ブカンガ・ロンゾの農産物加工工場団地に少なくとも2億8500ドルを投資し、そのうち2憶ドルが行方不明となった。
  ――第9章 平和創造とコンゴ

 予算の2/3以上が闇に消えたのだ。ここまで腐敗が進んだ原因として本書が悪役扱いしているのが、ジョゼフ・カビラ(→Wikipedia)だ。大統領だった父を殺し、その地位を奪った男。共産化を懸念する西側諸国の働きもあり、経済を自由化するが…

この時期におけるコンゴ経済の急速な自由化は劇的な成長をもたらしたが、和平プロセスを傷つけ、略奪的国家に紛争のダイナミクスを植えつけた。
  ――第9章 平和創造とコンゴ

 なんか抽象的で分かりにくいけど、例えばこんな例がある。コンゴは鉱物資源が豊富な国なのだが…

多国籍企業の多くは現地子会社に損失を計上させ、課税率がより低いところに利潤を移転させる。
  ――第9章 平和創造とコンゴ

 と、ハゲタカのような企業が殺到して資源を奪ってゆくのである。もちろん、政治家へのキックバックは忘れない。「俺たちは西側に搾取されている」って理屈にも頷けてしまう。

 そうなった原因の一つは、カビラの立場の危うさにある。

和平合意の規定により、カビラは軍の統合を求められ、かつての敵たちを新生コンゴ民主共和国軍の幹部に迎えた。これによって、カビラ自身が彼らに放逐される可能性は高まった。
  ――第4章 国家の役割 コンゴとルワンダ

 なぜ和平がなったのに、カビラの地位が危ういのか。そもそも、和平とは…

あらゆる和平プロセスの核心は政治的な歩み寄りだ。
  ――第3章 コンゴ紛争を説明する

 政治的な歩み寄りというと経済の自由化か共産化か、みたく思えるかもしれないが、まったく違う。もっと生臭く、ある意味切実なものだ。

政府との交渉にいおいて、武装勢力が自分たちのコミュニティの権利を強く要求したという記録はほぼ皆無である。2009年のPARECOのように政府と合意を締結した勢力にとって、合意締結の際に決定的に重要だったのは地元エリートへの報酬であり、その条件は国軍における階級と地位でほぼ尽くされていた。
  ――第5章 理論 インボリューション、分裂、軍事的ブルジョワジー

 長々と書いているが、要は地位や利権の奪い合いなのだ。国際ニュースでも「和平プロセス」って言葉がよく出てくるけど、その実態は分け前の分配なんだな。山賊かよ。

 実際、武装勢力がやってる事は山賊と大きく変わらない。

「カネを稼ぐ方法はいくつもある。密輸とか、課税とか、大麻とか、木炭とか。鉱物は重要だよ。でもね。まずは影響力と支配を確立することだ。そうすれば、残りはついてくる」
  ――第9章 平和創造とコンゴ

 名を上げればシノギは幾らでもある、そういう事だ。もはや戦国大名かヤクザだ。そんな連中の武装は…

国際専門家グループによれば、CNDPが引き渡した武器は、個人所有の武器2,542個、PKM機関銃7丁、MAG機関銃1丁、RPG-7砲7基、60ミリ迫撃砲4門、82ミリ迫撃砲1門、75ミリ無反動銃6丁、SPG-9無反動銃2丁、多連装ロケット砲4門である。
  ――第6章 人民防衛国民会議(CNDP)と3月23日運動(M23) 注記

 なおCNDPはルワンダ系の大手。"個人所有の武器"は自動小銃かな? PKMとRPG-7とSPG-9はソ連/ロシア、MAGはベルギー。MAGは旧宗主国つながりか? いずれにせよ、そこらのヤクザよりは遥かに重武装だ。

 本書は武器の入手元を明らかにしていないが、恐らくルワンダだろう。PKMとRPC-7がルワンダ陸軍(→英語版Wikipedia)と共通だが、いずれもベストセラー機なので根拠としちゃ弱い。彼らが暴れる理由だが…

二つの母体、すなわちコンゴのトゥチ人からなる軍事的ネットワークとルワンダの治安機関の一部を通じて、CNDPとM23の反乱を生み出した。二つの集団を動機づけていたのは、コンゴの和平プロセスが自分たちの利益を損なうという恐れだった。
  ――第6章 人民防衛国民会議(CNDP)と3月23日運動(M23)

 「自分たちの利益を損なう」とは、最悪の場合で逮捕・処刑、そうでなくとも収入源を失う。そこで見返りとして地位と利権を要求するのだ。政府は和平のため彼らを軍に迎え入れる。のだが、軍の基本給は安い。反面、「手当て」は厚い。手当ては上官の思惑で決まる。特に美味しいのが、東部での鎮圧任務である。東部に派遣してくれるよう、軍人たちは上官に頼むのだ、山吹色のお菓子を添えて。

 つまり、国軍にとっても、東部の紛争は嬉しいのだ。だもんで、鎮圧に向かっても、なかなかケリをつけない。どころか敵と内通して、武器弾薬を融通する始末。今は敵だが、元々は同じ武装勢力にいた仲間だったりするし。

 と、そんな具合に、紛争が続くよう現場の者たちが動くのである。

 こういう構図は、敵が多く立場が弱いカビラにとっても有り難い。曰く、「俺が弱くても敵がもっと弱ければいい」。だから国も軍も腐敗させ、まっとうに機能しないようにした。

 軍の給与体系も、そう計算して設計したのなら、その制度設計の能力は天才と言っていい。困った才能だが。これに東部での影響力を増したいウガンダやルワンダの思惑が重なり、国連などの支援で資金も流れ込み、紛争は半ば永久機関として動き続ける。支援する側も、もちっとキチンと調べろよ、と思うのだが。

 世界銀行の職員曰く「私たちの動機づけは、カネを使うことなんだ」。各国の支援担当者にせよ、自分の予算を減らしたくはない。だから、「巧くいってないっすよ」なんて上司に言う奴は滅多にいないのである。そして上司は…

外交上の失敗は、国際的な陰謀ではなく、関心や関与の欠如によるものなのだ。
  ――第9章 平和創造とコンゴ

 カネを出す欧米にとって、身近に感じるウクライナには関心が深いが、遠くのコンゴはよく知らないし票にもならない。だから知ろうとも調べようともしない。そして今日もコンゴは地獄が続く。

 と、そんな具合に、内戦がこじれるとどうなるかの、実に居心地が悪い実例を分析した本だ。正直言って文章は硬いし慣れない言葉も多い上に、なにせ登場人物が多く状況が複雑でわかりにくい。心地よい読書にはならないが、いわゆる「和平プロセス」の中身をぶっちゃけてたりと、嫌な現実を見せつけてくれる。

 良くも悪くも暴力の実態を明らかにした本だ。今後も増えるであろう低強度紛争に興味がある人にお薦め。

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2025年6月 3日 (火)

スコット・レイノルズ・ネルソン「穀物の世界史 小麦をめぐる大国の興亡」日本経済新聞出版 山岡由美訳

戦争と革命は、過去と同じく現在においても、小麦と大いに関係する。これが本書の主題だ。
  ――はじめに

1918年から22年にかけては、飢餓と内戦と混乱の月日だった。ソヴィエト連邦の人口は1920年み700万人、21年に1100万人、22年には1300万人減少した。
  ――第14章 権力の源泉としての穀物 1916年~1924年

わたしの見るところ、(略)世界についての彼(パルヴス)の認識は、食料の生産や保存や輸送の方法、先史時代の長距離輸送路、そして長距離交易を可能にした金融手段をめぐる奥深い歴史を理解するための手がかりとなる。
  ――第14章 権力の源泉としての穀物 1916年~1924年

【どんな本?】

 一般に歴史は政治家や軍人の活躍や争いを中心に語られる。だが、本書は全く異なった角度から歴史を見る。扱う地域は黒海から地中海そして大西洋であり、注目するのは小麦の流れである。

 ウクライナからロシアには、チェルノーゼムと呼ばれる黒く肥沃な大地が拡がる。ここで栽培された穀物=小麦は、黒海からボスポラス海峡・ダーダネルス海峡を経て地中海へと運ばれ、古代ローマ帝国を養った。

 そう、帝国は穀物が支えている。だから、穀物の流れは帝国の運命を左右する。

 商人で革命家のパルヴス(1867年9月8日~1924年12月12日、→Wikipedia)は、この視点で歴史を分析・解釈し、青年トルコ人に協力してオスマン帝国の改革に協力し、また第一次世界大戦の東部戦線およびロシア革命で暗躍した。

 パルヴスの着目点を引き継ぎ、穀物=小麦が世界のパワーゲームに与えた影響を分析・解釈し、第一次世界大戦までの世界史を語り直し、読者に新しい視点を与える一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Oceans of Grain: How American Wheat Remade the World, by Scott Reynolds Nelson, 2022。日本語版は2023年10月13日1版1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本部343頁。9.5ポイント44字×18行×343頁=約271,656字、400字詰め原稿用紙で約680枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容も難しくないが、幾つか必要な知識がある。一つは小麦の保存方法、もう一つは小麦からパンを作るまでの工程。麦は収穫したらすぐ干して水分を飛ばす必要がある。また米と違い皮が粒に食い込んでいるので、粉に挽いて皮を取り除いた方が美味しい。この粉に挽く作業はかなりの手間だ。加えて米は家庭で炊けるがパンはパン屋か村の竈で焼く。何かと手間がかかるのである。

 なお、本書が主に扱っているのは19世起以降の世界史、それも黒海から西の欧州大陸の歴史なので、その辺に詳しいと更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • はじめに
  • 第1章 黒い道 紀元前1万年前~紀元前600年
  • 第2章 コンスタンティノープルの門 紀元前800年~紀元1758年
  • 第3章 重農主義的な膨張 1760年~1844年
  • 第4章 ジャガイモ疫病菌と自由貿易の誕生 1845年~1852年
  • 第5章 資本主義と奴隷制 1853年~1863年
  • 第6章 アメリカの穀物神 1861年~1865年
  • 第7章 爆発音と大変化 1866年
  • 第8章 何をなすべきか 1866年~1871年
  • 第9章 穀物の大危機 1873年~1883年
  • 第10章 ヨーロッパの穀物大国 1815年~1887年
  • 第11章 「ロシアはヨーロッパの恥」 1882年~1909年
  • 第12章 オリエント急行、行動軍 1910年~1914年
  • 第13章 パンをめぐる世界戦争 1914年~1917年
  • 第14章 権力の源泉としての穀物 1916年~1924年
  • おわりに
  • 補遺/謝辞/訳者あとがき/原注/索引

【感想は?】

 ロシアがウクライナに侵攻し、米が高騰している今に読むと、陰謀論に入れ込みたくなる。なお陰謀の主はDSではなく穀物メジャー(→Wikipedia)だ。

 都市は人口が密集する。これを養うには大量の穀物=小麦が要る。これを集め保管し運び入れ加工せねばならない。大量の物資を運ぶには、水路が便利だ。

海上輸送のコストは、控えめに言っても馬を使った陸上輸送の1/30だった。
  ――第7章 爆発音と大変化 1866年

 よって、都市は水運に便利な場所で発達する。今だって歴史ある大都市は大河のほとりにある。

(地理学者の主張によれば)帝国は、交易路(たいていは河川や海)の掌握によって定義されるという。
  ――第1章 黒い道 紀元前1万年前~紀元前600年

 順番として、帝国が穀物の流通を促したというより、穀物の流通の拠点で帝国が発達した、そういう関係らしい。

コンスタンティノープルの門を通して世界を見ると、まず交易路が先にあって、繁栄を遂げた帝国群はそこを土台に広がったにすぎない
  ――第2章 コンスタンティノープルの門 紀元前800年~紀元1758年

 流通の拠点には大きな倉庫が立ち並ぶ。倉庫は荷物の預かり証を発行する。やがて、この預かり証は現在の手形のように、貨幣の役割を担い始める。つまり金融が発達するのだ。

ギリシャやローマ、ビザンティンといった帝国のこうした穀物倉庫は、現代の銀行の前身だった。
  ――第2章 コンスタンティノープルの門 紀元前800年~紀元1758年

 そうやって栄え始めると、更に人が寄ってくる。人が増えれば産業が育つ。

労働と資本は、食料が最も安い所に蓄積された。安い食料は水路で届けられたことから、水深の深い港湾を擁する都市が栄えたのだ。
  ――第4章 ジャガイモ疫病菌と自由貿易の誕生 1845年~1852年

産業が生まれたのは、原材料が豊富で食料が安い上に、食料を運んでくる鉄道車両や船に製品を載せて送り出すことが可能な場所だったのだ。
  ――第7章 爆発音と大変化 1866年

帝国というものは、都市に食料を送って農村に帰り荷として製造品を届ける、安価で高速かつ効率的な輸送路を必要とするものだ。
  ――第12章 オリエント急行、行動軍 1910年~1914年

 などと、穀物の流通と都市や帝国の興亡は、深い関係がある。この理屈を19世紀以降の欧州の歴史に適用したのが、本書の本筋だ。例えばナポレオン戦争は、欧州に飢えをもたらした。その結果…

フランス革命戦争とナポレオン戦争はヨーロッパに食糧不足を引き起こし、ヨーロッパの周縁としてのアメリカおよびロシアの両帝国に利益をもたらした
  ――第3章 重農主義的な膨張 1760年~1844年

 ロシアはチェルノーゼムで作った小麦をオデーサで船に積み込み、黒海からボスポラス海峡を経て欧州に小麦を運ぶ。米国の小麦は大西洋を渡りアントワープで降ろされる。オデーサ/アントワープいずれも21世紀の現代でも重要な港だ。プーチンがオデーサにミサイルを撃てば小麦の価格が上がりアフリカ諸国は政情不安定になる。

 米国の南北戦争も、小麦を軸に見ると様相が変わってくる。当時の共和党は奴隷制に反対した。というのも…

カリフォルニアからシカゴ、またニューヨークからペンシルヴァにいたるどの地域でも、共和党のもっとも裕福な支持者の多くは商人や鉄道関係者、そして両者の弁護士だった。
  ――第6章 アメリカの穀物神 1861年~1865年

 そう、鉄道が重要なのだ。

(米国)南部の鉄道の大半は、(略)綿花とタバコを載せて東に移動したが、金物類や穀物、工業製品、輸入品の奴隷州における需要はごく少なかった。東から西に戻る列車はほとんど空で、西から東に送られる商品の価格を実質的に2倍にしていた。
  ――第5章 資本主義と奴隷制 1853年~1863年

 奴隷はカネがない。だからモノが売れない。よって西に向かう列車は空になる。奴隷が解放されれば彼らもカネを手に入れ市場になる。そういう理屈で共和党は奴隷解放に賛同したのだ。

 さて、穀物の流通では輸送の費用が重要な問題になる。宝石や貴金属など高価で腐らずかさばらないモノなら輸送費はたいした問題じゃないが、穀物は重いし腐るしかさばる。だから、輸送費が価格すなわち市場競争力に大きく影響する。

穀物の輸送費が安くなりさえすれば、アメリカは世界の穀物中心地としてロシアに対抗できるかもしれない
  ――第6章 アメリカの穀物神 1861年~1865年

 アメリカで鉄道が発達した理由の一つが、これだ。ただ、輸送費には独特の性質がある。

電気、水、パンのどれを届ける場合でも、最後の1マイルは消費者に製品を届けるのに要する総コストの最大80%を占める。ここには店舗や事務所の家賃のほか、手渡しや積み替え、請求書送付のコストなどが含まれる。しかも、これらは個別かつ具体的な性格をもつ。いずれも人、交渉、生産を必要とする。
  ――第7章 爆発音と大変化 1866年

 いわゆるラスト1マイル問題だね。特に小麦の場合、生地をこねて焼く手間もデカい。発展途上国で携帯電話やスマートフォンが普及したのも、このラスト1マイル問題を回避できるって理由が大きい。

 いずれにせよ、輸送費が下がると、多くの人が利益を得る。

穀物流通に必要な輸送費を下げることでもたらされる恩恵は、物資と時間の両面においてすべての人に利益をもたらすはずだと彼(パルヴス)は説いた。
  ――第9章 穀物の大危機 1873年~1883年

 ただ、不利益を被る人もいる。地主だ。

農業における改善は、個々の地主にこそ短期的に利益をもたらすが、土地の賃貸費および金銭の貸し手としての地主層に打撃を与えるものだった。
  ――第8章 何をなすべきか 1866年~1871年

 奇妙に思えるが、日本でも特に戦後になって農家は大きく減った。農業の効率が上がれば、少ない農地で需要を満たせるので、農地が余る。そんな理屈だと思う。

 工業国の印象の強いアメリカだが、実は昔も今も農産物の大輸出国だ。工業国となった日本は都市化が進み山間部は過疎化しているが、農業国は事情が異なるらしい。

重農主義帝国のロシアとアメリカでは富のほとんどが周縁地域に集まっていたが、ドイツやイタリアのように安価な穀物に課税して消費するヨーロッパの国々は首都に富を集中させていった。
  ――第10章 ヨーロッパの穀物大国 1815年~1887年

 こういう目で見ると、第一次世界大戦の原因もだいぶ違ってくる。ドイツは中東と欧州を結ぶ鉄道を計画していた。これはロシアの穀物戦略を脅かす。だからロシアはドイツとオーストリアにアヤつけた、そういう仮説を本書は提示する。

トルコと中東を結ぶドイツの鉄道の完成は、ロシアやフランスからアラビア半島にいたる輸送路に対する脅威だった。この見方によれば、第一次世界大戦はヨーロッパの中東支配をめぐる争いとして始まった戦争で、最初に脅威を感じ取ったロシア帝国が、戦争を開始すべく兵力を動員したことになる。
  ――第13章 パンをめぐる世界戦争 1914年~1917年

 ロシアにとって輸出する穀物は重要な戦略物資だ。不凍港を求める理由の一つも、穀物にある。穀物の輸出に使える港が欲しいのだ。この野望の手段がシベリア鉄道だった…

満州にいたる鉄道の建設のために、ロシアは1904年時点で世界最大の債務を抱える帝国になった。(ロシアの蔵相セルゲイ・)ヴィッテ(→Wikipedia)にだまされたフランスの投資家の手元には、数十億金フラン相当の債権が残された。
  ――第11章 「ロシアはヨーロッパの恥」 1882年~1909年

 …のだが、日露戦争でポシャってしまった。

日本が旅順・大連からロシアを締め出すと、輸出に使える深水の不凍港をもたないこの帝国は、債務を返済する実際的な方法を失った。
  ――おわりに

現在(2021年)、大国としてのロシアが相対的に弱いのは、結局のところウクライナと別れたためだろう。
  ――おわりに

 それがプーチンがウクライナに攻め込む理由だ。プーチンは東部を齧り取るだけじゃ満足せず、少なくともオデーサを手に入れるまでは戦いを止めないだろう。

 穀物の流通を軸に世界史を見直す本書の視点は、現代の時勢にも充分に応用できる。幸か不幸か21世紀の世界の小麦市場はオーストラリア・フランス・カナダが輸出国として躍進したため、本書のような米露の二国対立ではなくなったが、小麦が世界情勢に大きな影響を与えることに変わりはない。

 書名は「穀物の世界史」だが、「小麦の近代以降の西洋史」が実態に近いだろう。もっとも、それだけ現代に近い時代を扱っている分、より身近なネタとして切実さも増している。技術や産業を軸に歴史を読み解くのが好きな人にお薦め。

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