« SFマガジン2025年6月号 | トップページ | 脇本平也「宗教学入門」講談社学術文庫 »

2025年5月19日 (月)

ダニ・オルバフ「ナチス逃亡者たち 世界に潜伏、暗躍したスパイ・武器商人」朝日新聞出版 山岡由美訳

本書は何よりもまず、敗者について、つまり歴史の残骸ともいうべきナチ・ドイツとその情報・治安機関で働いていた多くの個人について語るものだ。
  ――おわりに 鏡に映った亡霊 ナチ浪人の歴史的重要性

わたしはこの本で、第二次世界大戦後から数十年にわたり、金銭目当てでさまざまな仕事を請け負ったナチの動きについてまずは語ろうと思う。さらにそうしたナチが引き起こした現象の重要性を説明したうえで、それが冷戦の全体像や西ドイツ国内で繰り広げられた権力闘争ドラマ、またイスラエル・アラブ紛争や情報機関による秘密戦争と混じりあった経緯を説明したい。
  ――はじめに

【どんな本?】

 ナチス・ドイツは滅びた。連合軍に身柄を拘束された者たちは、ニュルンベルク裁判で裁かれる。だが、当局の追及を逃れ、落ち延びた者もいた。

 ある者たちは、ナチスの思想の一部を捨て、幾つかの欠片を守り続けた。反共思想で西側情報機関で働く者。反ユダヤ思想でアラブ諸国に協力する者。逆に米英仏への恨みで東側の手先となる者。

 または、思想をスッパリ捨て、武器商人として暗躍する者もいれば、誰彼構わず情報を切り売りしてあぶく銭を稼ぐ者もいた。

 元ナチたちは、どこに潜み、どのように生計を立てていたのか。イスラエルやドイツなどは、彼らをどう考え追跡したのか。それにより、冷戦時代の世界はどのような影響を受けたのか。

 軍事史の研究者でありイスラエル軍情報部の勤務経験を持つ著者が、20世紀後半の歴史の闇を照らし出す、一般向け諜報ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Fugitives: A History of Nazi Mercenaries During the Cold War, by Danny Orbach, 2022。日本語版は2024年5月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本部約329頁に加え、日本の読者のための著者による解説が豪華15頁。9.5ポイント46字×18行×329頁=約272,412字、400字詰め原稿用紙で約682枚。文庫ならやや厚め。

 文章は比較的にこなれている。ただし、ややこしい内容が多い。というのも、本書はスパイ物の色が濃いためだ。そもそも登場人物が膨大な上に、名前・経歴・目的などを偽る者も多く、その関係も複雑に絡み合っている。幸い、親切な事に各章の頭に「本性の主な登場人物」の項があり、これがとても助かった。また巻末に人名索引があるのも嬉しい。

 が、組織の略称が次々と出てくるのには参った。CIA・KGB・MI6・モサドぐらいは分かるが、次に挙げる名前はなじみが薄い。これも略称一覧などをつけて欲しかった。なお、リンク先は日本語版Wikipedia。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進むので、なるべく頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • はじめに
  • 第1部 凋落と復活
  • 第1章 荒れ地
  • 第2章 ゴミ溜めのなかから 生き延びたナチ浪人
  • 第3章 乞う者と選ぶ者ゲーレンとCIA
  • 第4章 ブラインドと赤の脅威
  • 第5章 モスクワ、先手を打つ 花火作戦
  • 第6章 チェスと二重スパイ ルードヴィヒ・アルベルトをめぐる謎の事件
  • 第2部 副産物と影響
  • 第7章 漁夫の利
  • 第8章 ハダード通りの家
  • 第9章 オリエント貿易会社 第三世界のネオナチによる目論見
  • 第10章 反撃するフランス
  • 第11章 バイスナー、吹き飛ばされる
  • 第12章 敵の敵は アロイス・ブルンナーの企て
  • 第13章 「懲罰攻撃」 モサドの参入
  • 第14章 シリアの冬 OTRACOの没落
  • 第15章 暴かれる不都合な過去 ゲーレンの苦難のとき
  • 第3部 余震と幻影
  • 第16章 ダモクレス作戦 幻影を追跡するモサド
  • 第17章 目の前の獲物と核の悪夢
  • 第18章 悪魔との取引 ナチを使うユダヤ人国家
  • 第19章 ハエは蜜で取るもの
  • 第20章 沙汰止み
  • おわりに 鏡に映った亡霊 ナチ浪人の歴史的重要性
  • 謝辞/日本の読者のための著者による解説/参考文献/原注/人名索引

【感想は?】

 書名は「ナチス逃亡者たち」だが、読後の印象は「第二次世界大戦後の中欧と中東のスパイ合戦」みたいな感じ。

 逃亡者の皆さん、昔取った杵柄なのか、諜報機関と関係を持ちたがる者が多い。中にはラインハルト・ゲーレンのように出世する者もいるが、多くは情報屋としてネタを売りまくるのである。それも相手かまわずで、CIAもKGBもお構いなし。

 そんな感じで、出てくるのは次のような人物だ。断りがない場合のリンク先は日本語版Wikipedia。

 この辺の名前で食指が動く人向けの本です。

 …で終わっちゃったらアレなので、私が気になった所を紹介する。

 ドイツは日本と同じ敗戦国なので、やはり敗戦後の状況は気になる。どうも敗戦国には他国の軍人だけでなく、情報機関の者も押し寄せるようだ。欧州の人は見ただけじゃ国籍を見分けにくいので、様々な国のスパイが交錯する。そして元ナチたちは、その人脈を使い情報屋として小遣いを稼ぐのである。その報酬は現物支給の場合もあるが…

西ドイツにいたエージェントは同業者が占領国(米英仏)のどの国のために働いているのかを、その人物が吸っているタバコの銘柄をもとに特定したという。
  ――第3章 乞う者と選ぶ者ゲーレンとCIA

 当時はそれぐらい喫煙者が多かったんです。

 そんな状況でも、ドイツ連邦共和国(当時は西ドイツ)が成立した以上、相応の情報機関が要る。よってラインハルト・ゲーレンがゲーレン機関(後のBND、ドイツ連邦情報局)を立ち上げた。そこで人を集めるんだが、二重スパイが潜り込むとマズい。ってんで採用の際は身元を調べるんだが…

ゲーレンのセキュリティ顧問は二重スパイを探すにあたって、ナチの治安機関出身者ではなく、共産党とのつながりをもつ者やドイツのレジスタンス闘士を標的にしたのだ。
  ――第5章 モスクワ、先手を打つ 花火作戦

 一応タテマエとして「ナチ関係者は駄目」となってたんだが、実際にはザルで…。こういう所は日本の公安警察や公安調査庁と似てる。加えて…

終戦時に秘密野戦警察隊の文書のほとんどが廃棄された
  ――第6章 チェスと二重スパイ ルードヴィヒ・アルベルトをめぐる謎の事件

 と、組織的に証拠隠滅してたのだ。これもまた日本とソックリ。だもんで身元調査は難しく、チェックも緩かった。これが祟り、後に醜聞として炎上、首相の怒りを買う。

(西ドイツ首相)アデナウアーの命令を受け、「部会85」という内部組織がBNDの全職員についてナチ時代の経歴の調査に当たり、SDやゲシュタポなどのナチの治安機関に勤務していた数十人を追放した。
  ――第15章 暴かれる不都合な過去 ゲーレンの苦難のとき

 ばかりか、東側の二重スパイの侵入も許す体たらく。こういう「姿勢は強硬だが間抜け」な例は、現代の国際社会にも思い当たる節が幾つか。

 さて、本書のテーマの一つは、元ナチスが世界情勢に与えた影響だ。欧州では、アルジェリア民族解放戦線FLNとフランスと武器商人の関係がある。

 当時、独立を求めるFLNとフランスは対立していた。そのFLNに武器を売っていたのがアロイス・ブルンナーなど元ナチの武器商人である。アルジェリアへの武器流入を止めたいフランスは、SDECEが主体となり武器商人の暗殺を企てる。一時期は功を奏したように見えたが…

(アルジェリア民族解放戦線FLNに武器を売る)ドイツ人武器商人に対する(フランスによる)テロ攻撃は、FLNに供給される武器の流れを止めるどころか、アルジェリア人を共産圏のなかへと勢いよく押しやることになったのだ。
  ――第11章 バイスナー、吹き飛ばされる

 今度はソ連や中国が国家として武器を売り始めたのだ。フランスとしては、まさかソ連に表立って喧嘩を売るわけにもいかず、事態は更に悪化してしまう。つかベトナムといい、この頃のフランスはロクな事してないな。

 そのフランス、イスラエルには比較的に同情的で、それには理由があった。

アルジェリアで戦争が続いていたうえに、イスラエル人が国の存亡をかけてアラブ人と戦っていることにフランスの軍民の指導者は深い同情を寄せていた
  ――第13章 「懲罰攻撃」 モサドの参入

 「激突!! ミサイル艇」でも、フランスやギリシャは(非公式に)イスラエルに同情的なんだが、それは「敵の敵は味方」って理屈なんだろうか。

 ドイツでも、保守本流の人はイスラエルに同情的だったりする。

(西ドイツ元国防相のフランツ・ヨーゼフ・)シュトラウス(→Wikipedia)はイスラエルを中東の反ソ・新欧米の要塞と見なしていた。
  ――第19章 ハエは蜜で取るもの

 当時のドイツは東西対立の最前線だけに、東側への対策は切実な問題だったんだろう。

 かように西欧がイスラエルに好意的なのに対し、敵意剥き出しなのがアラブ。なので、元ナチを様々な形で受け入れる。中でもイスラエルに衝撃を与えたのが、エジプトのナセルが迎え入れたドイツ人ロケット科学者たち。

エジプトの革命記念日に当たる1962年7月23日、(略)ナセル大統領が(略)長距離ロケットをパレードで披露したのだ。
(略)エジプト大統領は、次にイスラエルとの戦闘を余儀なくされたときには、その国の都市に死と破壊の雨を降らせてやるとすごんだ
(略)この恐ろしい武器を開発したのは、エジプトに拠点を置く新世代の雇われドイツ人だった。
  ――第16章 ダモクレス作戦 幻影を追跡するモサド

 これで当時のイスラエル首相ダヴィド・ベン=グリオンはパニックに陥る。実際はエジプトの工業力やドイツ人科学者の能力などが障壁となり、エジプトの予算を無駄遣いするだけに終わるのだが、ベン=グリオンには慌てるだけの原因があったのだ。

ユダヤ人絶滅を企むナチのイメージをイスラエルに敵対するアラブ人、ことにエジプト人、より具体的にはアラブ世界で最高の強さとカリスマ性をもつ指導者、ガマール・アブドゥル・ナセルに投影していたのだ。
  ――第16章 ダモクレス作戦 幻影を追跡するモサド

 それぐらい、この頃のナセルの人気は凄かったのだ。

 有名なナセルに対し、ハーッジ・アミーン・フサイニーは日本じゃあまり知られていない。エルサレム大法官であり、ナチスの高官と親密な関係にあり、第二次世界大戦後はパレスチナの武装蜂起を煽った人物だ。2015年に現イスラエル首相のネタニヤフが暴論を吐いて炎上する羽目になった(→AFP)。そのフサイニ―も、ナチ逃亡者を庇っている。本書に曰く、「中東のナチ逃亡者の守護天使」だとか。

 最近のパレスチナに対するネタニヤフをはじめとするイスラエル右派の、あまりに短絡的で暴力的な対応の裏には、ベン=グリオンがナセルと元ナチに怯えたように、フサイニーとナチの亡霊への怯えがあるんじゃないか、と私は思っている。

 実際、今世紀に入っても、シリアは元ナチを匿っていた。アロイス・ブルンナー、アドルフ・アイヒマンの副官である。一応、シリア政府はタテマエとして「そんな人知らない」って姿勢を保っていたが、ブルンナーは勝手に取材を受け、こんな事を言ってる。

「君はわたしに感謝すべきだ。君たちの美しいウィーンからユダヤ人がいなくなったのだから」
  ――第20章 沙汰止み

 反ユダヤ思想は筋金入りのだ。そしてアイヒマンに対しては「わたしにとって大切な方だった」なんてコメントしてる。裁判じゃ凡庸な役人を演じたアイヒマンだが、ブルンナーの言葉から推し量れば、思想的にも「忠実」だったんだろう。

 書名は「ナチス逃亡者たち」で、実際に元ナチの戦後の暗躍を描いている。が、元ナチの潜伏先として有名な中南米にはほとんど触れず、欧州と中東それも東地中海周辺が主な舞台となる。要は「イスラエルから見た元ナチ」なのだ。そんなワケで、イスラエルを中心とした中東情勢、それもスパイや密輸組織などの裏面史が好きな人にお薦め。あ、もちろん、著者はイスラエル贔屓です。

【関連記事】

|

« SFマガジン2025年6月号 | トップページ | 脇本平也「宗教学入門」講談社学術文庫 »

書評:軍事/外交」カテゴリの記事

書評:歴史/地理」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« SFマガジン2025年6月号 | トップページ | 脇本平也「宗教学入門」講談社学術文庫 »