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2025年4月 1日 (火)

エド・ヨン「動物には何が見え、聞こえ、感じられるのか 人間には感知できない驚異の環世界」柏書房 久保尚子訳

たくさんの生き物が、同じ物理的空間にいながら、まったく異なる環世界を生きている。
  ――はじめに 五感の外側に広がる世界を旅しよう

種が絶滅するとき、彼らの環世界も消滅する。生き物が消滅するたびに、私たちは世界を理解する方法を一つ失う。
  ――第13章 静けさを守り、暗闇を保護する 脅かされる間隔風景

【どんな本?】

 犬はかすかな臭いも嗅ぎ分ける。蚊は二酸化炭素であなたを感じ寄ってくる。コウモリは超音波を発し反射音で世界を聴く。マムシやガラガラヘビは赤外線で獲物を見つける。クモは枯れ葉が網にかかっても動かないが、蝶などの獲物がかかると急いで襲いかかる。

 かつては静かだと思われていたコウモリが、実は盛んに超音波で「鳴いて」いるように、動物たちはヒトが感じ取れない方法で周囲を認識し、また語りかけている。彼らはヒトと同じ空間にいながら、ヒトとは全く異なる世界に生きているのだ。

 今なお研究の途上にある動物たちの環世界(→Wikipedia)について、想像を超えた数多くの発見を紹介し、読者の世界観を何度もひっくりかえす、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は An Immense World : How Animal Senses Reveal the Hidden Realms Around Us, by Ed Yong, 2022。日本語版は2025年3月5日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約490頁。9ポイント46字×19行×490頁=約428,260字、400字詰め原稿用紙で約1,071枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容もわかりやすい。いや知らない動物が次々と出てくるんだが、冒頭に多くの写真が載ってるんで、だいたいは分かる。ホンの少し量子力学が出てくるが、理解できなくても大きな問題はない。「最近になって発見された現象」ぐらいに思っていれば充分。

【構成は?】

 一応、頭から読む想定で書いてあるが、各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。ただし、「はじめに」は全体の基礎となる部分なので、最初に読もう。

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  • はじめに 五感の外側に広がる世界を旅しよう
  • 第1章 滲み出る化学物質 匂いと味
  • 第2章 無数にある見え方 光
  • 第3章 人間には見えない紫 色
  • 第4章 不快を感知する 痛み
  • 第5章 寒暑を生き延びる 熱
  • 第6章 乱れを読む 接触と流れ
  • 第7章 波打つ地面 表面振動
  • 第8章 あらゆる耳を傾ける 音
  • 第9章 賑やかな沈黙の世界 エコー
  • 第10章 生体バッテリー 電場
  • 第11章 方向が分かる 磁場
  • 第12章 同時にすべての窓を見る 感覚の統合
  • 第13章 静けさを守り、暗闇を保護する 脅かされる間隔風景
  • 謝辞/訳者あとがき/口絵クレジット/原注/参考文献/索引

【感想は?】

 今、そこにある異世界への招待状。

 これぞセンス・オブ・ワンダー。世界は、私の知らない信号で満ちている。ただ、私が感じ取れないだけだ。

 例えば、匂い。犬は匂いに敏感で、だから麻薬犬や警察犬として活躍できる。ヒトは視覚すなわち光に強く依存している。光は瞬時に情報を伝えるが、遮られれば見えないし、逃げ去った者も感知できない。だが匂いは違う。

光はその場に留まることはないが、匂いは残留し、過去を物語る。
  ――第1章 滲み出る化学物質 匂いと味

 だから警察犬は姿の見えない犯人を追える。匂いはその場に残るからだ。さて、大抵の犬は散歩を好む。ただ歩くだけでなく、アチコチで足を止めて匂いを嗅ぐ。匂いから、犬たちは私たちが得られない情報を得ているのだ。犬にとっての散歩は、あなたが起きた時に見るSNSやニュースサイトのようなものなのかも知れない。

散歩とは、(略)積み重ねられた目には見えない物語をめぐるツアーなのだ。
  ――第1章 滲み出る化学物質 匂いと味

 そこに残った/残した匂いで、犬たちは会話しているのかもしれない。ヒトが顔色や表情で互いの体調や気分を推し量るように、犬も匂いで互いの様子を伝えあっているのかも。何せがん探知犬(→Wikipedia)なんてのもいるんだし。

 そんな具合に、動物たちはヒトと異なった形で世界を認識している。だが、ヒトは往々にしてその事を忘れ、自分の感覚で考えてしまう。例えば、シマウマの縞。かつてはライオンなど捕食動物の眼をくらますため、と言われていた。だが、種によって見える色は異なるし、視力も違う。ヒトは赤青緑の三色が見えるし、視力もいい。マムシは赤外線が見える。多くの昆虫は紫外線=UVが見える。そしてライオンなどシマウマを狩る動物は…

捕食動物の眼にはシマウマの縞模様は見えていない可能性が高いんです。
  ――第2章 無数にある見え方 光

 ということで、縞の効果は今でもよく分かっておらず、幾つかの仮説に留まっているようだ(→ナショナル・ジオグラフィック)。

 そんな具合に、世界は種によって「見える」ものが異なる。ヒトにとって光の三原色は赤青緑だが、多くの昆虫は紫外線=UVが見える。そして、そんな昆虫に花粉を運ばせる花もまた…

1992年、ラーズ・チッカとランドルフ・メンツェルは180種の花の色を解析し、どんな種類の眼に最も識別されやすいかを解明した。その結果は、緑色、青色、UVの三食型色覚の眼――まさに、ミツバチをはじめとする多くの昆虫の眼だ。
  ――第3章 人間には見えない紫 色

 と、「そこらの草」でさえ、私たちヒトには見えない「色」で着飾っているのだ。

 こういった色が見えるのは、眼にそういう色(というかそういう波長の光)を感じる細胞があるからで、そういう細胞は中のタンパク質をアレンジすれば様々な波長を感じられるらしい。ただ、目は多くのエネルギーを消費するので、生存に不要な機能は発達しない。洞窟など暗闇に住む魚は目を失うし、ヒトも栄養不足が続くと失明する。

だが今は飽食の時代。遺伝子操作で紫外線や赤外線が見えるヒトを作り出しても、少なくともエネルギー消費の点では大丈夫な気がする。いや脳が負担に耐えられるかって問題はあるか。

 と、視覚だけでも動物の世界はバリエーションに富んでいるし、植物もそれに合わせてヒトに見えない工夫をしている。こういうヒトが知らない世界は視覚だけじゃない。

 例えば魚の体の脇にある側線は、水流を感じる。

群れで泳ぐ魚は、側線を使って近隣の仲間たちと泳ぐ速度と方向を一致させている。
  ――第6章 乱れを読む 接触と流れ

 魚の群れが一斉に向きを変えるのは、このためだ。これが昆虫になると、もっと奇妙な感覚を持つ。植物の表面に伝わる振動=表面波を捕え、または自らも表面波を起こすのだ。

植物は強くてしなやかで弾力があるため、表面派の優れた運び屋になる。昆虫たちはその特性を活かし、振動の歌で植物を満たす。
  ――第7章 波打つ地面 表面振動

 静かに見える草原も、昆虫たちは盛んに表面波でメッセージを交換し合っているのだ。

 なお、こういう、空気を通じない振動を、多少はヒトも感じるらしい。

(ヒトは)部分的には骨伝導を通して聞いている。録音された音がしばしば生の音と違って聞こえるのも、それが理由である。録音から再生されるのは、私たちの声のうち、空気中の音を構成する部分だけであり、頭蓋骨経由で伝わる振動は再生されないからだ。
  ――第7章 波打つ地面 表面振動

 生楽器の音はマイクを通すと「香り」のようなモノが消えると感じるのは、そういう事か。今は骨伝導イヤホンもあるから、録音の方法によってはよりリアルな音が録れるのかも。

 聞こえているつもりでも、実態が分かっていないケースもある。いわゆる鳥の歌だ。あれはヒトにも聞こえる。だから分かってるつもりだったが、実は複雑な「音の時間微細構造」を持っていた。あまりに高速で変化するので、ヒトには聞き取れないのだ。なお本書は「音の時間微細構造」と書いてあるが、たぶん音色の事だと思う。いや声だから声色か。

私たちにも聞こえている音の中にこれほど多くの謎が隠されていたのであれば、私たちには聞こえない音の中には、私たちが気づいていない謎がいったいどれほど隠されていることか。
  ――第8章 あらゆる耳を傾ける 音

 鳥の歌は聞こえるが、コウモリの超音波はヒトに聞こえない。そんなコウモリが「見る」世界は、視覚の世界と大きく異なる。なぜって、音は光と違い「回り込む」からだ。これを利用した超音波診断(エコー検査)なんてのもある。コウモリは、皮や肉を透視して骨まで「見え」るのだ。

「われわれがX線検査かMRI検査でもしない限り存在に気づけないものを、彼らは見ることができるんです」
  ――第9章 賑やかな沈黙の世界 エコー

 超音波なら、音の類推で多少は想像できる。これ電場となると、想像すら難しい。だが、意外と電場は変化に富んでいるようだ。

穏やかな晴れた日でさえ、大気は地上から1mごとに約100ボルトの電圧がかかっている。
  ――第10章 生体バッテリー 電場

 ここで本書に登場するのはお馴染み電気ウナギ・電気ナマズの他に、サメや蜘蛛の出番もある。蜘蛛の使い方はなかなかに奇想天外だ。そんな動物に合わせ、植物も電場を使うらしい。ここでは蜜を集めるハナバチと、それに受粉を頼る花の関係を通し、ヒトがいかに多くの次元を見逃しているかを感じさせてくれる。

花々は、私たちの目に見える鮮やかな色(と私たちには見えない紫外線)だけでなく、目に見えない電気的な後光にも取り囲まれているのだ。
  ――第10章 生体バッテリー 電場

 それでも、電気ならラジオなど身近な所で使っているので、どうにか想像できる。これが地球の磁場となると、何がなんやら見当すらつかない。

これを書いている時点で、磁覚は唯一、いまだにセンサーの存在が知られていない感覚である。
  ――第11章 方向が分かる 磁場

 が、渡り鳥などが磁場を感じているのは実験で確かめられている。量子力学が出てくるのはここなんだが、分からなくても気にしないように。

 などの動物の生態も面白いが、それを調べる研究者たちの苦労も楽しい。いや人の苦労を笑っちゃいけないんだろうけどw 例えば動物が「痛み」を感じるか否かを調べようとすると…

「人々の意見は、動物も人間たちと同じように痛みを感じるに決まっているのだから、そんな研究はくだらないという意見と、動物は私たち人間が感じるようには痛みを感じていないのだから、そんな研究はくだらないという意見に、大きく二分されます」
  ――第4章 不快を感知する 痛み

 どないせえちゅうねんw ヒトは倫理的な問題は算術のように理屈で解を出しているように思えるけど、実は感情や感覚に近く、瞬時に反射的に解を出しているのだ。

 調べる種によって、苦労は様々だ。マウスやラットを調べ躾ける手段は数多く試され洗練されているが、小食の種は難しい。

他の動物の環世界を理解するためには、その動物の行動を観察する必要がある。だが、マムシの行動はほとんどが待機である。彼らは自分で体温を生み出すことができないので、数か月間は食べなくてもやっていけるし、絶好の機会が訪れるまでじっと待ち伏せすることができる。
  ――第5章 寒暑を生き延びる 熱

 かと思えば、こんな形で餌を調達する研究者も。

蚊を飼育している科学者は、飼育ケージの中に自分の腕を突っ込むだけで餌やりを終わらせることも少なくない。
  ――第12章 同時にすべての窓を見る 感覚の統合

 大丈夫かいなw

 SF作家のスタニスワフ・レムは凡庸なスペース・オペラを「宇宙は拡大された地球ではない」と批判した。その挑発に乗ったわけではないにせよ、SF作家たちは様々なエイリアンや生態系を創り上げてきた。だが、私たちは、宇宙どころか地球すらロクに分かっちゃいなかったのだ。この世界は、私の知らないメッセージで満ちている。

 奇想天外なエイリアンや生態系が出てくるファースト・コンタクト物のSFが好きな人なら、きっと熱中できるだろう。めくるめくセンス・オブ・ワンダーに溢れた一冊だ。

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