ローマン・テッペル「クルスクの戦い1943 第二次世界大戦最大の会戦」中央公論新社 大木毅訳
クルスクは、第二次世界大戦最大の戦車戦として歴史に刻まれてきた。(略)
こちらの方面(クルスク屈曲部北方)では、何よりも、尋常でない数の砲兵を投入した対決ということが特徴になっている。
加えて、クルスクは、第二次世界大戦でも有数の規模の航空戦であった。(略)
おそらく、本会戦は、今後も「史上最大の会戦」であることだろう。
――1 はじめに「本会戦は、『物量消耗戦の連続』という新しい性格を帯びている」
――3 炎の弧「急迫する敵の突撃に対し、前方で戦線を支えているあいだに、後方では村々を燃やしつくす」
――3 炎の弧作戦的にみれば、クルスク会戦はドイツ軍の一大退却行のはじまりをみちびいた。
――4 消耗戦クルスクの攻防は、戦場での都市をめぐる戦闘ではなく、人々の記憶や文献における神話をめぐる闘争として、なお続いているのである。
――5 偽られた勝利
【どんな本?】
1943年春。スターリングラードを失ったドイツ軍は、情勢を好転すべく、ツィタデレ(城塞)作戦を計画する。クルスク近郊に突出した赤軍に南北から攻撃を仕掛けて分断する。クルスクの戦い(→Wikipedia)である。
最も大規模な戦車戦として名高く、独ソ戦の戦況の逆転を決定づけたとも言われる戦いだけに、戦後は独ソ双方が多くの出版物で取り上げた。それにより、計画段階から戦闘の結果に至るまで、様々な言説が流布し、多くの伝説が形作られてきた。
だが、その多くは作戦に従事した高級将校の回顧録などであり、当然ながら著者の立場により多少の脚色がある、また、独ソ双方の政府も戦後は「神話」を必要としたため、一般に語られたのはいわば「物語」だった。
これに対し、本書の著者は当時の報告書などの一次資料に当たって戦いの実態を明らかにし、幾つかの俗説を覆してゆく。
旧東ドイツ出身の歴史家が、俗説に流されず一次資料を元に再現した、史上最大の戦車戦の記録。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Kursk 1943 : Die groesste Schlacht des Zweiten Weltkriegs, Roman Toeppel, 2017。日本語版は2020年12月10日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約255頁に加え、訳者解説7頁。9ポイント49字×19行×255頁=約237,405字、400字詰め原稿用紙で約594枚。文庫ならちょい厚め。
軍事物だけあって文章は硬い。また「団隊」など、著者独自の用語もある。冒頭の訳者注釈に書いてあるが、麾下と隷下の使い分けなど、訳者なりの拘りと気配りによるものだ。内容も専門的だ。そもそも「一般にはAと言われているが、実はBなんです」という本である。想定している読者は、一般的な説を知っている人、すなわち学者や学生なのだ。そこんとこ、覚悟しよう。
とはいえ、一応は一般の読者にも気を使ってか、時間的には計画段階から戦闘終了まで、視点では西部戦線を含めた戦況全体から各部隊の進退までを、本書のボリュームに相応しいレベルで書き込んであるので、「興味を持ったマニア」程度の読者でも、なんとかついていける。正直言って、私には少々歯ごたえがあった。
【構成は?】
ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。ただし巻末の訳者解説は巧みに本書のテーマをまとめてあるので、むしろ最初に読んだ方がいい。また、冒頭の地図は何度も見返すので、複数の栞を用意しよう。
- 訳者注釈/地図/写真図版
- 序
- 1 はじめに 「クルスク会戦」か、それとも「オリョール=ビェルゴロド間の会戦」か?
- 2 行動の法則 1943年夏季会戦の準備
- 3 「炎の弧」 1943年夏のクルスク、オリョール、ハリコフをめぐる諸戦闘
- 4 消耗戦 1943年の東部戦線における夏季戦闘の結果
- 5 偽られた勝利 記憶をめぐる闘争
- 訳者解説/経過表/註/引用史料・文献/推奨文献/写真クレジット/人名索引
【感想は?】
学者が学者向けに書いた、専門書だ。そのわりに、意外と読みやすい。
同じ戦記物でも、コーネリアス・ライアンの「史上最大の作戦」やコリンズ&ラピエールの「おおエルサレム!」などジャーナリストの作品は、首相など政府のトップから末端の兵そして現地の民間人まで多様な人物が登場し、壮大なドラマが展開する。
対してアントニー・ビーヴァーの「スターリングラード」やイアン・トールの「太平洋の試練」など歴史家の作品は、軍人を中心とするのに加え、兵器や弾薬などの記述も増える。
本書の著者は歴史家であり、後者の性質が強い。著者はドラマを描こうとはせず、作戦の推移を正確に伝えることを目的としている。あまり感情を動かす類の本ではない。
しかも、「今までは○○と言われてたけど実際は××だよ」と、従来の説に異議を唱える目的も兼ねている。つまり多少は「その界隈の常識」を知っている人向けの本なのだ。私のような初心者には少々キツい。
にも関わらず、むしろ初心者にこそ薦めたい部分もある。それは「なぜそんな説が流布したのか」を語っている所だ。パウル・カレル(→Wikipedia)の正体を暴いてたり。まあ、要は「著者の立場を考えよう」って事なんだけど。
それはともかく、やはり歴史家の書いた本だけあって、数字への拘りは強い。例えば作戦全体の規模だ。
…さまざまな数字を総合すれば、約78万のドイツ軍将兵が、190万以上の赤軍将兵に対峙していたことになる。
航空機では、ドイツ軍の総数およそ1800機に対し、赤軍は、会戦初期段階だけで3600機以上を投入した。
(略)ドイツ軍は、7400門の砲・迫撃砲を持っていた。ところが、ソ連軍の保有数は31400門、つまり四倍以上だったのだ。
――2 行動の法則
現在のウクライナの戦いでもロシア軍の特徴は大量の砲で、これは大祖国戦争以来の伝統なんだろう。
これらの数字を出すため、著者は従来の歴史家の書物はもちろん、軍が残した当時の報告書やメモまでも漁り、互いに突き合わせて信頼性を検証するのだ。その熱意には恐れ入る。
そんな本書は、戦車戦の印象が強いクルスクの戦いに、違った方向からスポットを当ててゆく。その一つが、先の引用にもある「砲」だ。特に強い印象を残すのが、表紙にも写真が出ている駆逐戦車フェルディナント(→Wikipedia)である。
駆逐戦車とあるが、現代の区分だと自走砲になるんだろうか。戦車との違いは主砲が左右に回らない点ぐらいだ。本書を読んで、私はますます戦車と自走砲の違いが判らなくなった。それはともかく、独軍将兵からのフェルディナントへの信頼は厚く、かなり頼りにされていた模様。
やはり独軍で頼りになるのが空軍だ。当時の独軍の特徴は、軽爆撃機を砲のように使うこと。これには空軍と陸軍の綿密な連携が必要で、技術だけでなく組織編制も考えなきゃいけない。そこで…
ドイツ軍の戦術的航空攻撃は、陸軍と武装親衛隊の大規模団隊のほとんどに、空軍の「航空連絡将校」が配置されていることによって、その効果を高めていた。彼らは、地上部隊と空軍の協同を調整し、撃破すべき目標を航空士に伝達したのである。
さらに、「シュトゥーカ誘導将校」、もしくは「爆撃機誘導将校」や「航空機無線連絡手」が投入された。味方部隊の最前線に位置し、空軍諸団隊と直接無線連絡を取るのが、その役目であった。
――4 消耗戦
そんな事をやってたのか。陸軍の砲兵なら射弾観測員(→Wikipedia)に当たる役割だね。
現代の独裁国家の軍はクーデターを恐れるため、こういう組織の垣根を越えた協力は難しいようだが、ドイツ軍は組織の作り方が巧みなんだよなあ。下級将校や下士官が独自の判断で動くし。
その逆が赤軍で、硬直した指揮系統が大きな損害をもたらす。
多くのソ連軍指揮官にとって、損害は何の意味も持たなかった。彼らは、この戦争の後半においても、麾下将兵を繰り返し「無意味で流血にみちみちた攻撃」に投じたのである。
――4 消耗戦
にも拘わらず勝利を得たのは、単純に量の問題。
クルスクの勝利は、すでに20年も前にロシアの歴史家ボリス・ソコロフが「破滅的」と形容したような代価によって贖われたのである。
――4 消耗戦
これは本書の各方面の戦闘で何度も出てくるパターンで、少数の独軍が多数の赤軍に挑み、キル・レシオでは優勢ながら量に押しつぶされる、そういう戦いが続くのですね。
旧東独出身という経歴もあり、当時の東側の事情に通じている著者は、東西双方の通説をひっくり返すだけでなく、「なぜそんな説が流布したのか」まで明らかにしてゆく。その過程で得られた視点は、独ソ戦ばかりでなく、あらゆるノンフィクションに適用できるものだろう。
専門家向けの本だけに歯ごたえはあるが、ノンフクションの読み方を学ぶという点では、むしろ素人こそ読むべき本かもしれない。
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