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2025年3月16日 (日)

フィリップ・ポール「量子力学は、本当は量子の話ではない 『奇妙な』解釈からの脱却を探る」フィリップ・ボール 化学同人 松井信彦訳

本書のテーマは、「量子力学の数学は本当は何を意味しているのか」である。
  ――第1章 量子力学が何を意味しているかを言える者はいない(これが本書の主張である)

波動関数の収縮とは知識を生成する何かということになる。答えが明らかになる過程ではなく、答えがつくられる過程なのだ。
  ――第5章 何が「起こる」かは、それについて何を見出すかによる

「波動関数を収縮させる」ために意識が「見る」必要はないのである。環境が量子コヒーレンスを拡散すればいい。
  ――第11章 日常世界は量子世界の人間スケールにおける現れである

私たちは、系から環境へと送り込んだ情報量に応じて量子性を壊す。
  ――第12章 経験するすべてはそれを引き起こしている何かの(部分的な)複製である

任意の(未知の)量子状態の正確な複製はつくれない。
  ――第14章 量子力学はテクノロジーに活かせる

【どんな本?】

 量子力学は、ワケがわからない。光は波で粒子だったり、電子が雲みたいだったり、猫が生きていると同時に死んでいたり。私たちの常識を、これでもかと裏切る話が次々と出てくる。

 なぜそうなのか。量子力学者は何を考えて、そんなケッタイなことを言いだすのか。どうやってケッタイな理屈を確かめたのか。この宇宙がそんなに奇妙なら、なぜ古典力学は私たちの感覚と巧く折り合うのか。

 米国のサイエンス・ライターが、量子力学の奇妙な世界を紹介するとともに、その奇妙さを科学者たちはどう捉えているのか、奇妙さはどこから生まれるのかを語る、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Beyond Weird : Why Everything You Thought You Knew About Quantum Physics Is Different, by Philip Ball, 2018。日本語版は2023年12月8日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約321頁。9.5ポイント46字×18行×321頁=約265,788字、400字詰め原稿用紙で約665枚。文庫ならちょい厚め。

 文章はこなれていて親しみやすい。数式も出てこな…いや少し出てくるけど、中身を理解する必要はない。「なんか物理学で出てくる数式っぽい」ぐらいに考えれば充分だから、数学が苦手でも大丈夫。

 が、中身はかなりややこしい。流し読みだと「なんか面倒くさいことが書いてあるな」ぐらいにしかわからない。論理的な帰結や実験の手順、「誰が何を知っていて何を知らないか」などを、落ち着いてじっくり検証しながら読む必要がある。例えば、こんな面倒くさい文章がある。

(ダゴミール・)カスリコウスキーらは、どうやら非局所性と状況依存性が互いに排他的らしいことを示した。
  ――第10章 「不気味な遠隔作用」はない

 なので、充分に集中できる環境を整えて挑もう。

 あ、それと、肝心の「量子とは何か」の説明がないのは不親切。

【構成は?】

 数学や科学の本でありがちな、前の章を受けて次の章が展開する構成なので、素直に頭から読もう。

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  • 前置きにかえて
  • 第1章 量子力学が何を意味しているかを言える者はいない(これが本書の主張である)
  • 第2章 量子力学は、本当は量子の話ではない
  • 第3章 量子物体は波動でも粒子でもない(が、そのようなこともある)
  • 第4章 量子粒子は一度に二つの状態にはない(が、そのようなこともある)<
  • 第5章 何が「起こる」かは、それについて何を見出すかによる
  • 第6章 量子論の解釈の仕方にもいろいろある(そして、どれもどうも意味をなさない)
  • 第7章 どのような問いも、答えは「イエス」だ(「ノー」でない限り)
  • 第8章 すべてを一度に知ることはできない
  • 第9章 量子物体の性質がその物体だけに収まっている必要はない
  • 第10章 「不気味な遠隔作用」はない
  • 第11章 日常世界は量子世界の人間スケールにおける現れである
  • 第12章 経験するすべてはそれを引き起こしている何かの(部分的な)複製である
  • 第13章 シュレーディンガーの猫には子がいる
  • 第14章 量子力学はテクノロジーに活かせる
  • 第15章 量子コンピューターが「多くの計算を一度に」実行するとは限らない
  • 第16章 「量子」あなたはほかにいない
  • 第17章 物事はさらにいっそう「量子的」になりえた(ならば、なぜそうなっていないのか?)
  • 第18章 量子力学の基本法則は思ったよりシンプルかもしれない
  • 第19章 底へはたどり着けるのか?
  •  謝辞/参考文献/原注/索引

【感想は?】

 結論から言うと、ハッキリした解は出ない。そもそも、物理学者たちも分かってないのだ。

 ついでに、量子力学の奇妙さも残る。ただ、「そういうものだと思うしかない」、みたいな諦めはついた。また、幾つかの勘ちがいにも気が付いた。例えば、これだ。

量子力学は微視的なスケールで機能し、古典力学は巨視的なスケールで機能することではない
  ――第2章 量子力学は、本当は量子の話ではない

 私はこう思ってた。「電子とか光子とかミクロの世界じゃ確率的だけど、それが大量に集まった古典力学の世界じゃ確定的になる」。でも、どうやら違うらしい。どう違うのかは分からないけど。どうも「測定」が鍵らしい。

量子物理学では、系の常態とその系に対する測定の結果とのあいだに、古典物理学とは異なる関係がある。
  ――第2章 量子力学は、本当は量子の話ではない

どうやら、測定という行為そのものに何か不可解なところがありそうだ。
  ――第4章 量子粒子は一度に二つの状態にはない(が、そのようなこともある)

 この測定についても、私は勘違いをしていた。測る対象があまりに小さいので、計測機器が対象の値を変えてしまう、そう思ってた。例えば、雨粒の温度を測ろうとして、雨粒に室温を測るアルコール温度計を突っ込んだら? きっと温度計自体の温度が出てくるだろう。そんな感じだろう、と。だが、これも間違いらしい。

 繰り返すが、計測そのものが問題なのだ。どうも量子から情報を引き出すことに意味がありそうだ。

量子論理の何が妙かと言えば、(略)測定の順序が問題になりうることだ。
  ――第7章 どのような問いも、答えは「イエス」だ(「ノー」でない限り)

量子物体は原理上、観測可能な性質を複数持ちうるのだが、それらすべてを一度に知る(略)ことはできない。一度にすべて存在することはあるえないからだ。
  ――第8章 すべてを一度に知ることはできない

 ただ、すべての測定ってワケでもないのが、幸なのか不幸なのか。

厳密な知識に対するこの制約は、量子力学的な性質のどの組み合わせにも当てはまるわけではない。当てはまるのは「共役変数」と呼ばれる一部のペアにだけである。
  ――第8章 すべてを一度に知ることはできない

 具体的にどのペアなのか、っまではさすがに書いていない。たぶん、書くには波動方程式を引き合いに出さなきゃいけないんだろう。

 そう、結局、方程式が示す結果を、どう解釈するかって問題なのだ。例えば粒子か波かって疑問も…

波動と粒子の二重性とは(略)適した言葉を見繕う苦労であって、その背後にある現実の記述ではない。
  ――第3章 量子物体は波動でも粒子でもない(が、そのようなこともある)

 電気回路の世界でも「複素数が出てくるんだけど、虚数部の意味は分からない」って話をどっかで聞いたが、そんな感じなんだろうか?意味は分からんが使えてるからいいや、みたいな。量子力学だと「スピン」とかって言葉がでてくる。これ、実際に電子が自転してるワケじゃなく、「そういう事にして計算すると実態と合う」のだ。向きが上下のいずれかだけだったり値が整数だったりするのも、そういう事。

 やはり私の勝手な解釈で、「実は量子より細かい世界で色々起きてて、でもソレは私たちに見えないから、理不尽に思える」って発想も、間違いだと否定された。

シュレディンガー方程式に言わせれば、量子事象(原子の放射線崩壊など)は事実上わけもなく起こる。ただ起こるのである。
  ――第9章 量子物体の性質がその物体だけに収まっている必要はない

 放射線崩壊、マクロな世界だと半減期は分かるけど、ミクロの世界で「どの原子が崩壊するか」は分からないし、予兆もない。でも、半減期は分かるのだ。

古典物理は測定精度が落ちてきたときの量子物理から立ち現れる。
  ――第13章 シュレーディンガーの猫には子がいる

 こんな風に、「なんか理屈に合わない」と思ってるのは素人ばかりでなく、実は物理学者も納得いってない、ってのは大きな収穫だった。納得いかないから、様々な解釈が出てくる。

ここ数十年の量子力学研究は実験も理論も、数ある解釈の絞り込みに貢献するには至っていない。それどころか、さらなる増殖を促してきた可能性もある。
  ――第6章 量子論の解釈の仕方にもいろいろある(そして、どれもどうも意味をなさない)

 そんな解釈の一つが多世界解釈。SFでよく使われるアレね。SF小説家だけでなく、物理学者にも支持する人が居るってのは驚きだ。かなり無茶な理屈だと思うんだが。

(多世界解釈の)「ほかの世界」はとにかくどこにある?ヒルベルト空間に、というのが一般的な答えだ。
  ――第16章 「量子」あなたはほかにいない

 なんにせよ、こういう量子力学のケッタイさは、私たちが感じている古典力学の世界とは異なる理屈が支配している点にある。

論理によって確立される事実と、観測によって確立される事実とでは、どちらのほうが根源的か? 量子力学に絡んで不可解に見えるものはすべて、この二つの整合性がとれないことから派生している。
  ――第19章 底へはたどり着けるのか?

 量子の世界は、私たちの感じている世界とは異なる法則で動いていて、それは私たちには理不尽に感じる、そういう事なんだろう。

 「…らしい」とか「…だろう」とか、煮え切らない語尾ばかりになってしまったが、本書も終盤はそんな感じなのだ。著者なりの解釈は示しているが、あくまでも解釈であって事実じゃない。とまれ、本職の物理学者も解釈には困っている、なんて実態を知れたのは収穫だった。「数学は苦手だけどSFは好き」な人にお薦め。

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