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2025年3月の5件の記事

2025年3月24日 (月)

ジョージ・ソルト「ラーメンの語られざる歴史 世界的なラーメンブームは日本の政治危機から生まれた」国書刊行会 野下祥子訳

ラーメンにはどこか過剰なところがある。
  ――はじめに 国民食

米が全国民の日々の主食だという考えが定着したのは、戦時下の配給制があったからだ。
  ――第1章 人々の暮らし 日本人労働者のための中華汁麺

ラーメンは日本のレストラン産業にとって、1980年代に国際化した寿司のあとにもっとも有名になり成功した輸出品であり、ここ20年で世界的現象になった。
  ――おわりに 時が教えてくれる(抵抗の食べ物)

ラーメンは起源は中国だが、原料はアメリカで、象徴性ということでは日本なのだ。
  ――おわりに 時が教えてくれる(抵抗の食べ物)

【どんな本?】

 ラーメンは、いわゆる「和食」ではない。だが、日本で生まれ育ち、多くの日本人に愛されている。かつては屋台や定食屋でアンチャンやオッサンが掻き込むものだったが、最近は専門店が増えた。観光地の名物にもなり、行列ができる店や独特の符丁が飛び交う店もあれば、暖簾分けに近い形で緩い系列を連ねる店もある。

 現在のように、ラーメンがどこでも食べられるようになるには、開国以来の日本の歴史が大きく関わっている。味も調理法も和食と大きく異なっていることでもわかるように、その歴史は国際的でもある。

 今や世界に羽ばたこうとしているラーメンの歴史を、開国以来の日本の歴史や国際関係と関連付けて綴る、少し変わった一般向けの歴史学の本。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Untold History of Ramen : How Political Crisis in Japan Spawned a Global Food Craze, George Solt, 2014。日本語版は2015年9月25日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約242頁に加え訳者あとがき2頁。9ポイント44字×18行×242頁=約191,664字、400字詰め原稿用紙で約480枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。中学生程度に開国以来の歴史を知っていれば、充分に読みこなせるだろう。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進む。章ごとに時代もテーマも変わるので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

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  • はじめに 国民食
  • 第1章 人々の暮らし 日本人労働者のための中華汁麺
  • 第2章 困難な道 闇市のラーメンとアメリカの占領
  • 第3章 進展 急成長のエネルギー
  • 第4章 昔と今 イメージチェンジ
  • 第5章 今月のおすすめ アメリカ人のラーメンと「クールジャパン」
  • おわりに 時が教えてくれる(抵抗の食べ物)
  • 訳者あとがき/原註

【感想は?】

 表紙は赤ちょうちんの立ち食い屋台でラーメンを啜る、仕事帰りらしきオッサン。今は専門店が増えたが、昭和後半じゃラーメンは屋台や中華料理屋のメニューの一つだった。

 書名に「語られざる」とある。ラーメンは日本が発祥と言われるが、「中華料理屋」のメニューなのだ。そう、中国人が大きく関わっているのだが、そのことはあまり語られない。

日本における戦後の食事の「西洋化」に関してよくあげられる論点で、しばしば見過ごされているのは、日本人がラーメンや餃子のような「中華料理」として、あるいは焼きそばやお好み焼きのような伝統的ではない日本食として、大量の小麦粉や肉を食べていたことだ。
  ――第3章 進展 急成長のエネルギー

 この中華料理ってのも不思議なモノで、カレー同様に日本では独自の進化を遂げている。とまれ、中華料理には開国以来の国策も関わっていた。富国強兵政策である。国民の体格・体力を増強するため、肉食を普及させよう、そういう発想だ。そこでは軍隊も役割を担った。

軍隊は国が後押ししている栄養学の発見を大衆へと広げる最初の場所のひとつだった。
  ――第1章 人々の暮らし 日本人労働者のための中華汁麺

 「とんかつの誕生」や「カレーライスの誕生」でも、軍が大きな役割を担っていた。国がまとまる上で、軍は軍事力だけでなく思想や文化的に、国民に一体感を持たせる効果があるんだろう。

 明治から昭和初期までイケイケできた大日本帝国。敗戦で憲法は変わったが、当時しくみや制度はどっこい今でも生きのびていたりする。

軽工業から重工業への転換や、工具や部品の下請けシステム、銀行主導の企業再編の発展、経済官僚による行政指導、職業別組合から企業別組合への移行のすべてが戦争中に行われた転換であり、戦後の経済システムの基礎となった。
  ――第1章 人々の暮らし 日本人労働者のための中華汁麺

 その敗戦、というか米国との関係は現代日本を語るうえで欠かせないばかりでなく、ラーメンの普及でも大きく関わっている。が、その前に、庶民は配給では食いつなげず、否応なしに闇市に頼るしかない。その闇市の商品の出所は…

アメリカ軍が正式に日本を占領し、日本政府に代わって指揮権を持つと(1945~1952年)、日本軍が備蓄していた配給用食料と生活物資が消え失せ、すぐに法外な価格で闇市に現れた。
  ――第2章 困難な道 闇市のラーメンとアメリカの占領

 しかも、政府は消えた追跡に全くやる気を見せなかった(→「 敗北を抱きしめて」)。今でも日本人に残る軍事アレルギーの原因の一つは、政府のこういう所にあると思う。

 繊細で飢えた各国に米国は食料を援助する。これには少なくとも二つの目的があった。倉庫に溢れる米国産小麦の販売と、各国の共産化防止だ。だが、支援先には格差があった。

(米国から)日本に送られた食料の量はドイツの三倍ではあったが、ドイツの一日あたり1275カロリーの配給は日本の800カロリーの配給より60%も多かった。
  ――第2章 困難な道 闇市のラーメンとアメリカの占領

 まあ、それでも支援があっただけ、日本はマシかも。ベトナムなど東南アジアも酷い飢饉に陥ったそうだ。その原因の一つは、戦争中に帝国陸軍がインドシナの米蔵であるビルマに麻などの商用作物の栽培を押しつけたため。

 それはさておき、米国は日本に思いっきり恩をきせる。例えば学校給食だ。

学校給食は、戦略的な反共同盟国に必要な頑健な労働力育成に不可欠だっただけでなく、被占領民に占領を合法的だと認めさせる強力なプロパガンダの手段でもあった。
  ――第2章 困難な道 闇市のラーメンとアメリカの占領

 私の時代、学校給食は米がなくパンばかりなのは、そういう事だったのね。いやさすがにGHQの時代じゃないけど。で、てっきりアレは無償支援だと思ってたら…

アメリカの寛大さが宣伝されはしたものの、最終的には日本政府が占領中に受け取った食料その他の援助の代金を支払うことになった。1962年1月、日本政府は占領中に輸入された食料と原材料、燃料の4憶9500万ドルの弁済に同意した。
  ――第2章 困難な道 闇市のラーメンとアメリカの占領

 酷いペテンじゃん。

 それはさておき、戦後は日本政府が盛んに公共事業を進めたのもあり、日本は順調に復興してゆく。建築現場では都会に出稼ぎにきた労働者が働いた。彼らの腹を満たしたのが、屋台のラーメンだ。本書の表紙は、その雰囲気を良く掴んでる。

 そのラーメン、多くの日本人に愛されてはいるが、自らスープを仕込み麺を打つ人は滅多にいない。基本的に店で食べるものだ。そこに現れたのが、即席麺。手軽に楽しめるのはいいが、ウザい事を言う奴は昔からいた。

村島健一「主婦どもがサボるのを、合理化や革新だとは認めない」
  ――第3章 進展 急成長のエネルギー

 こういう「手間をかけるのは善である」って発想、ロクなモンじゃないと私は思うんだが、あなたどうですか。いずれにせよ、手軽な分だけ安物感が漂った即席麺だが、やがて中華三昧などの高級即席麺をメーカーが売り出す。「各社が新商品につけた名前はすべて、はっきりと中国を示して」いる所が面白い。

 ちなみに今「高級即席麺」で検索したら、喜多方など国産を示す商品が多かった。これまたラーメンの激動の歴史だね。こんな風に、ラーメンは、かつての「労働者が空腹を満たすモノ」ではなくなってゆく。

玉村豊男「ただ空腹を満たすための簡便食品から、それについて書かれた本を読んだり、食べながらひとこと、それについて知識をひけらかしたりする、ウンチク・フードの仲間入りをしたのである」
  ――第4章 昔と今 イメージチェンジ

 とはいえ、麺類の運命で(→「ヌードルの文化史」)、寿司のようなハイソ感はなく、あくまで労働階級のメニューなのもラーメンの特色だろう。「B級グルメ」って言葉は偉大な発明だ。

 最近では米国でもラーメンは普及しつつある。ただ、その順番は意外だった。

アメリカ人は日清が「Top Ramen」を売り出した1970年代初期からインスタントラーメンになじんではいたが、レストランのラーメンに関心を持つようになったのは、ニューヨークやロサンゼルスでラーメン店成功のニュースが数多く報じられるようになった、ここ十年ほどのことだ。
  ――第5章 今月のおすすめ アメリカ人のラーメンと「クールジャパン」

 なんと、店のラーメンより先に即席麺が普及していいたのだ。本書には、その即席麺の米国風レシピが載っているんだが、その一つ「甘くてスパイシーなコーク・ラーメン」は酷いw いやまあ、どう料理しようが自由だけど、テキサス人ってのは味覚が壊れてるんじゃなかろか。

 ラーメン関係の歴史書はもちろん雑誌記事にまで目を通し、脚注じゃ世界ラーメン協会が大災害の被災者支援でインスタントラーメンを提供している(→緊急災害支援)のを紹介してたりと、著者の調査の膨大さ・綿密さには恐れさえ感じる。が、あくまでもテーマはラーメンらしく、文章のそこかしこに親しみやすさが漂ってくる。ラーメン好きなら、是非とも読んでおこう。

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2025年3月20日 (木)

デニス・ショウォルター「クルスクの戦い1943 独ソ『史上最大の戦車戦』の実相」白水社 松本幸重訳

クルスクはあくまでもまず戦闘であった。それゆえに、誰が誰に対して、何を、いつ、どこで、何を使って、そしてなかんずく、なぜ行ったのかを知ることに価値がある。
  ――はしがき

(1943年)7月26日、ヒトラーはクルーゲ中央軍集団司令官を呼びつけ、SS装甲軍団は直ちにイタリアへ移されねばならないと告げた。
  ――第7章 交錯

赤軍は戦争を科学として理解し、(略)ドイツ軍にとって戦争は究極的に一つの技芸形式であって…
  ――結び 分岐点

【どんな本?】

 多大な犠牲を払いつつも、ソヴィエトはモスクワとスターリングラードを守り通した。そして11943年の春。アフリカを失ったドイツは、連合軍に対し主導権を取り戻すため、東部戦線のクルスク近辺に突出したソヴィエト軍部隊を分断する計画を立てた。

 この動きを察知したソヴィエト軍は、敢えて受けに回る。綿密かつ多重に構成した防衛陣にドイツ軍を誘い込み、徹底的に消耗させ、充分に弱った所で反撃に出る作戦である。

 著者は軍事史家で、専門はドイツ軍事史。史上最大の戦車戦とも呼ばれ、第二次世界大戦の転回点ともなったクルスクの戦いを、冷戦終結の恩恵で参照可能となったソヴィエト軍の資料も参照しつつ全貌を描く、重厚な戦史。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Armor and Blood : The Battle of Kursk : The Turning Point of World War II, by Dennis E. Showalter, 2013。日本語版は2015年5月5日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約331頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×20行×331頁=約297,900字、400字詰め原稿用紙で約745枚。文庫なら厚い一冊分。

 文章は硬く、とっつきにくい。そのくせ妙に「文学」を気取り、この世代の米国人以外には通じない比喩を使うなど、まわりくどい表現を使うからタチが悪い。ただ、時おり入るシモネタは嬉しいw 内容も専門的で難しい。そこそこ軍事に詳しくないと、ついていけないだろう。というか、私は完全に置いてかれた。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。また、アチコチに地図があるので、栞を多く用意しよう。

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  • 凡例/はしがき/ツィタデレ作戦時の独ソ両軍戦闘序列
  • 第1章 淵源
  • 第2章 準備
  • 第3章 打撃
  • 第4章 取っ組み合い
  • 第5章 決断
  • 第6章 激闘
  • 第7章 交錯
  • 結び 分岐点
  • 謝辞/訳者あとがき/地図一覧/参考文献案内/原注/関連部隊名索引/地名索引/人名索引

【感想は?】

 日本語版Wikipedia の「クルスクの戦い」は1943年7月4日~8月27日とある。が、本書が扱うのは7月4日~7月13日までだ。

 そういう点で、書名は「クルスクの戦い」より「ツィタデレ作戦」が妥当かもしれない。「プロホロフカの戦い」を頂点とした、東部戦線でドイツ軍が見せた最後の攻勢である。

 その戦いを、本書は主に元帥や将軍の視点で描く。よって下士官や兵はもちろん、民間人も出てこない。戦いの推移も師団や軍団単位だ。もっとも、読者サービスらしくハンス=ウルリヒ・ルデルとミハエル・ヴィットマンが終盤で少しだけ顔を出すけど。

 さて、独ソ戦=バルバロッサ作戦は、ドイツ軍の不意打ちだった。電撃戦とは、そういう事だ。だが、この戦いは違う。ドイツ軍が攻めてくると、ソヴィエト軍は充分に知っていた。これを掴んだソ連側の優れた諜報網と、ナチスの意外と杜撰な防諜体制に驚く。

 とはいえ、ドイツもヤバいとは気が付いていて、計画は何度も延期になる。戦力を整えるのに加え、あの地域特有の泥濘期もあるし。実際、この作戦中も雨や川や湿地帯でドイツ軍の装甲車両が立ち往生する場面が何度も出てくる。

これはギャンブルだという認識が「空前絶後の軍指導者」と彼の将軍たちのほぼ完全に一致している一点であった。
  ――第2章 準備

 さて、ネタを掴んだソヴィエト軍は、作戦を立てる。入念に整えた陣地でドイツ軍を迎え撃ち消耗させ、弱り切った所で反撃に出て包囲殲滅しよう。ということで、地雷を埋め塹壕を掘り、しまいにゃ戦車まで砲塔だけ出して地面に埋めてしまう。機動力はなくなるが、的が小さくなるので、敵の戦車や攻撃機からも撃たれにくくなる。

 だけじゃなく、待ち伏せの意味もあるのだ。

ソヴィエト軍の指揮官たちは動けなくした戦車の前の隠された陣地に別の動ける戦車を配備した。ドイツ軍戦車は地面に埋め込まれた装甲戦闘車寮への攻撃に集中して、しばしばソヴィエト軍の動ける戦車を見落とした――側面または後方から砲撃を受けるまで。
  ――第4章 取っ組み合い

 戦車戦として有名なクルスクの戦いだし、本書にもティーガーとT--34の対決は出てくる。双方ともに戦車を頼みにしていたのが伺える。が、特にソヴィエト軍の戦車兵にとっては厳しい戦争だった。

ソ連では戦争中に40万名の戦車兵が養成された。戦闘で30万名以上が死んだ。この戦死率はしばしば引用されるナチのUボート乗組員の損害に匹敵する。しかし、その数は10倍多い。
  ――第1章 淵源

 ドイツ軍は無敵と誇ったティーガー戦車だが、ソヴィエト軍も対処は考えていた。

戦車一両を効果的に掩護するには少なくとも一個分隊、できれば一個小隊、いずれにせよ一ダースないし二ダースの歩兵が必要だった。
  ――第3章 打撃

 今でも戦車には随伴歩兵が必須だ。これは第二次世界大戦の時代じゃ既に常識だった模様。そこで…

…ソヴィエト軍歩兵は最初にティーガーを通過させ、これに随伴する歩兵に攻撃を集中した。
  ――第3章 打撃

 敵の弱い所を突くのが戦術の常道なんだろう。

 など、ソヴィエト軍は陸軍も空軍も、苦しい戦いを経て経験を積み、それなりに狡猾になっている。

ソヴィエト(空)軍の操縦士たちは仕事をつうじて学んでいた。部隊を戦術的に二つに分け、最初の編隊を自軍支援中のドイツ軍戦闘機と交戦させた。しかる後に第二編隊が、突然掩護を失ったシュトゥーカに襲いかかった。
  ――第4章 取っ組み合い

 こういう、「囮に食いついた敵を伏兵で叩く」のは、古今東西を通じて戦術の基本なんだろうか。もっとも、囮役はシンドい思いをするんだが。実際、キルレシオは6:1~8:1ぐらいで圧倒的にドイツ軍優勢だし。それでも、結局は物量と兵力差に押しつぶされるんだが。

 なお、被害の大きさはさすがにソヴィエト側も認めていて、むしろ政治宣伝に利用してたりする。

第二次世界大戦におけるソヴィエト連邦の成功は数量の文脈で大方は規定されたし、今もそうである――すなわち、ファシストのモンスターを物量で圧倒し、血の海の中で溺れさせたソヴィエトとその人民の能力である。運用可能な戦車が多ければ多いほど文化遺伝子は説得力を増すのだ。
  ――第6章 激闘

 先にソヴィエト空軍の学習の成果を挙げたように、陸軍だって学んでいる。シュトゥーカの恐ろしさの一つは、有名なサイレンだ。これについても…

どこの急降下爆撃機の場合も、その強みは、急降下の下にいる者全員に自分自身が攻撃の焦点になっていると思い込ませる能力にあった。実際には、ひとたび急降下を開始すれば、シュトゥーカとその同類たちはみな、空からぶら下がった標的と化すのである。
  ――第5章 決断

 太平洋戦争の空襲の体験で米軍機に狙われたと語る民間人がいるけど、その理由の一つはこういう事なのかも。そりゃ素人にはわかんないよね。

 それはさておき、戦車戦の印象が強いこの戦いだが、特にドイツ軍にとっては空軍の存在感が大きい。とにかく頼りになるのだ。その反面、曇りや雨などで空軍が出れないと、途端に心細くなったり。

ツィタデレの始めから終わりまで、ドイツ軍の成功した攻撃は、とりわけ旧式のJu-87機によって行われる極めて精密な近接航空支援に大きく依存していた。ドイツ軍の航空機掩護不在は、至る所にあるソヴィエト軍対戦車砲至近距離命中の機会を増やしていた。
  ――第5章 決断

 そんな空軍に頼れない状況で頼りになるはずなのがティーガー戦車で、本書でも一日の終わりに戦車が何両生きのびたかを書いてるんだが、ティーガーだけは別扱いで数を挙げてたり。が、そんなティーガーにも弱点はある。

 それは重い事。本書には何度か川を渡る場面がある。そのたび、工兵は夜を徹して敵の砲撃を受けつつ仮設の橋を架けるんだが、重いティーガーには特別の橋が必要なのだ。他にも工兵は地雷原を切り拓いたりと、かなり危険な役割を担っているのがわかる。

 シンドいのは整備兵も同じで、前日に動けなくなった戦車が次の日には戦線に復帰していて、これは整備兵が夜のうちに直したから。もっとも、そんな風に眠れないのは工兵や整備兵に限らず…

誰をも常時苦しめるものとして厳存したのが睡眠不足である。夕闇が戦闘を終わらせると、塹壕掘りと運搬が始まった。(略)車両乗組員以外の誰にとっても、乾いた寝場所を見つけるのはまず無理な事だった。空襲による安眠妨害も持続した。
  ――第6章 激闘

 戦闘で疲弊した部隊には休養が必要だ、と司令官が部隊の交代を求める場面が何度も出てくるんだが、そういう状況じゃ当然だよね、とも思うのだ。

 私の趣味で戦術レベルのネタばかりを挙げたけど、全体としては師団レベルの話が中心で、個々の兵や下士官の顔はほぼ見えず、単なる数として扱っている。非情な話だと思うが、そうでもなきゃ将は務まらないのも否応なしに分かる。

 第二次世界大戦の戦況の変わり目となったクルスクの戦い…というかツィタデレ作戦を、独ソ双方の記録を参照しつつ、主に将官の視点で描いた、思いっきり濃い本だ。独ソ戦に興味があり、相応に全体像を知っていて、より詳細を知りたい人にお薦め。

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2025年3月16日 (日)

フィリップ・ポール「量子力学は、本当は量子の話ではない 『奇妙な』解釈からの脱却を探る」フィリップ・ボール 化学同人 松井信彦訳

本書のテーマは、「量子力学の数学は本当は何を意味しているのか」である。
  ――第1章 量子力学が何を意味しているかを言える者はいない(これが本書の主張である)

波動関数の収縮とは知識を生成する何かということになる。答えが明らかになる過程ではなく、答えがつくられる過程なのだ。
  ――第5章 何が「起こる」かは、それについて何を見出すかによる

「波動関数を収縮させる」ために意識が「見る」必要はないのである。環境が量子コヒーレンスを拡散すればいい。
  ――第11章 日常世界は量子世界の人間スケールにおける現れである

私たちは、系から環境へと送り込んだ情報量に応じて量子性を壊す。
  ――第12章 経験するすべてはそれを引き起こしている何かの(部分的な)複製である

任意の(未知の)量子状態の正確な複製はつくれない。
  ――第14章 量子力学はテクノロジーに活かせる

【どんな本?】

 量子力学は、ワケがわからない。光は波で粒子だったり、電子が雲みたいだったり、猫が生きていると同時に死んでいたり。私たちの常識を、これでもかと裏切る話が次々と出てくる。

 なぜそうなのか。量子力学者は何を考えて、そんなケッタイなことを言いだすのか。どうやってケッタイな理屈を確かめたのか。この宇宙がそんなに奇妙なら、なぜ古典力学は私たちの感覚と巧く折り合うのか。

 米国のサイエンス・ライターが、量子力学の奇妙な世界を紹介するとともに、その奇妙さを科学者たちはどう捉えているのか、奇妙さはどこから生まれるのかを語る、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Beyond Weird : Why Everything You Thought You Knew About Quantum Physics Is Different, by Philip Ball, 2018。日本語版は2023年12月8日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約321頁。9.5ポイント46字×18行×321頁=約265,788字、400字詰め原稿用紙で約665枚。文庫ならちょい厚め。

 文章はこなれていて親しみやすい。数式も出てこな…いや少し出てくるけど、中身を理解する必要はない。「なんか物理学で出てくる数式っぽい」ぐらいに考えれば充分だから、数学が苦手でも大丈夫。

 が、中身はかなりややこしい。流し読みだと「なんか面倒くさいことが書いてあるな」ぐらいにしかわからない。論理的な帰結や実験の手順、「誰が何を知っていて何を知らないか」などを、落ち着いてじっくり検証しながら読む必要がある。例えば、こんな面倒くさい文章がある。

(ダゴミール・)カスリコウスキーらは、どうやら非局所性と状況依存性が互いに排他的らしいことを示した。
  ――第10章 「不気味な遠隔作用」はない

 なので、充分に集中できる環境を整えて挑もう。

 あ、それと、肝心の「量子とは何か」の説明がないのは不親切。

【構成は?】

 数学や科学の本でありがちな、前の章を受けて次の章が展開する構成なので、素直に頭から読もう。

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  • 前置きにかえて
  • 第1章 量子力学が何を意味しているかを言える者はいない(これが本書の主張である)
  • 第2章 量子力学は、本当は量子の話ではない
  • 第3章 量子物体は波動でも粒子でもない(が、そのようなこともある)
  • 第4章 量子粒子は一度に二つの状態にはない(が、そのようなこともある)<
  • 第5章 何が「起こる」かは、それについて何を見出すかによる
  • 第6章 量子論の解釈の仕方にもいろいろある(そして、どれもどうも意味をなさない)
  • 第7章 どのような問いも、答えは「イエス」だ(「ノー」でない限り)
  • 第8章 すべてを一度に知ることはできない
  • 第9章 量子物体の性質がその物体だけに収まっている必要はない
  • 第10章 「不気味な遠隔作用」はない
  • 第11章 日常世界は量子世界の人間スケールにおける現れである
  • 第12章 経験するすべてはそれを引き起こしている何かの(部分的な)複製である
  • 第13章 シュレーディンガーの猫には子がいる
  • 第14章 量子力学はテクノロジーに活かせる
  • 第15章 量子コンピューターが「多くの計算を一度に」実行するとは限らない
  • 第16章 「量子」あなたはほかにいない
  • 第17章 物事はさらにいっそう「量子的」になりえた(ならば、なぜそうなっていないのか?)
  • 第18章 量子力学の基本法則は思ったよりシンプルかもしれない
  • 第19章 底へはたどり着けるのか?
  •  謝辞/参考文献/原注/索引

【感想は?】

 結論から言うと、ハッキリした解は出ない。そもそも、物理学者たちも分かってないのだ。

 ついでに、量子力学の奇妙さも残る。ただ、「そういうものだと思うしかない」、みたいな諦めはついた。また、幾つかの勘ちがいにも気が付いた。例えば、これだ。

量子力学は微視的なスケールで機能し、古典力学は巨視的なスケールで機能することではない
  ――第2章 量子力学は、本当は量子の話ではない

 私はこう思ってた。「電子とか光子とかミクロの世界じゃ確率的だけど、それが大量に集まった古典力学の世界じゃ確定的になる」。でも、どうやら違うらしい。どう違うのかは分からないけど。どうも「測定」が鍵らしい。

量子物理学では、系の常態とその系に対する測定の結果とのあいだに、古典物理学とは異なる関係がある。
  ――第2章 量子力学は、本当は量子の話ではない

どうやら、測定という行為そのものに何か不可解なところがありそうだ。
  ――第4章 量子粒子は一度に二つの状態にはない(が、そのようなこともある)

 この測定についても、私は勘違いをしていた。測る対象があまりに小さいので、計測機器が対象の値を変えてしまう、そう思ってた。例えば、雨粒の温度を測ろうとして、雨粒に室温を測るアルコール温度計を突っ込んだら? きっと温度計自体の温度が出てくるだろう。そんな感じだろう、と。だが、これも間違いらしい。

 繰り返すが、計測そのものが問題なのだ。どうも量子から情報を引き出すことに意味がありそうだ。

量子論理の何が妙かと言えば、(略)測定の順序が問題になりうることだ。
  ――第7章 どのような問いも、答えは「イエス」だ(「ノー」でない限り)

量子物体は原理上、観測可能な性質を複数持ちうるのだが、それらすべてを一度に知る(略)ことはできない。一度にすべて存在することはあるえないからだ。
  ――第8章 すべてを一度に知ることはできない

 ただ、すべての測定ってワケでもないのが、幸なのか不幸なのか。

厳密な知識に対するこの制約は、量子力学的な性質のどの組み合わせにも当てはまるわけではない。当てはまるのは「共役変数」と呼ばれる一部のペアにだけである。
  ――第8章 すべてを一度に知ることはできない

 具体的にどのペアなのか、っまではさすがに書いていない。たぶん、書くには波動方程式を引き合いに出さなきゃいけないんだろう。

 そう、結局、方程式が示す結果を、どう解釈するかって問題なのだ。例えば粒子か波かって疑問も…

波動と粒子の二重性とは(略)適した言葉を見繕う苦労であって、その背後にある現実の記述ではない。
  ――第3章 量子物体は波動でも粒子でもない(が、そのようなこともある)

 電気回路の世界でも「複素数が出てくるんだけど、虚数部の意味は分からない」って話をどっかで聞いたが、そんな感じなんだろうか?意味は分からんが使えてるからいいや、みたいな。量子力学だと「スピン」とかって言葉がでてくる。これ、実際に電子が自転してるワケじゃなく、「そういう事にして計算すると実態と合う」のだ。向きが上下のいずれかだけだったり値が整数だったりするのも、そういう事。

 やはり私の勝手な解釈で、「実は量子より細かい世界で色々起きてて、でもソレは私たちに見えないから、理不尽に思える」って発想も、間違いだと否定された。

シュレディンガー方程式に言わせれば、量子事象(原子の放射線崩壊など)は事実上わけもなく起こる。ただ起こるのである。
  ――第9章 量子物体の性質がその物体だけに収まっている必要はない

 放射線崩壊、マクロな世界だと半減期は分かるけど、ミクロの世界で「どの原子が崩壊するか」は分からないし、予兆もない。でも、半減期は分かるのだ。

古典物理は測定精度が落ちてきたときの量子物理から立ち現れる。
  ――第13章 シュレーディンガーの猫には子がいる

 こんな風に、「なんか理屈に合わない」と思ってるのは素人ばかりでなく、実は物理学者も納得いってない、ってのは大きな収穫だった。納得いかないから、様々な解釈が出てくる。

ここ数十年の量子力学研究は実験も理論も、数ある解釈の絞り込みに貢献するには至っていない。それどころか、さらなる増殖を促してきた可能性もある。
  ――第6章 量子論の解釈の仕方にもいろいろある(そして、どれもどうも意味をなさない)

 そんな解釈の一つが多世界解釈。SFでよく使われるアレね。SF小説家だけでなく、物理学者にも支持する人が居るってのは驚きだ。かなり無茶な理屈だと思うんだが。

(多世界解釈の)「ほかの世界」はとにかくどこにある?ヒルベルト空間に、というのが一般的な答えだ。
  ――第16章 「量子」あなたはほかにいない

 なんにせよ、こういう量子力学のケッタイさは、私たちが感じている古典力学の世界とは異なる理屈が支配している点にある。

論理によって確立される事実と、観測によって確立される事実とでは、どちらのほうが根源的か? 量子力学に絡んで不可解に見えるものはすべて、この二つの整合性がとれないことから派生している。
  ――第19章 底へはたどり着けるのか?

 量子の世界は、私たちの感じている世界とは異なる法則で動いていて、それは私たちには理不尽に感じる、そういう事なんだろう。

 「…らしい」とか「…だろう」とか、煮え切らない語尾ばかりになってしまったが、本書も終盤はそんな感じなのだ。著者なりの解釈は示しているが、あくまでも解釈であって事実じゃない。とまれ、本職の物理学者も解釈には困っている、なんて実態を知れたのは収穫だった。「数学は苦手だけどSFは好き」な人にお薦め。

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2025年3月 9日 (日)

SFマガジン2025年4月号

こいつは問題機だ。
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 エピソード零 棘を抜く者」

戦争を始めることは無能な政治家でもできる。だが、戦争を終わらせることができるのは有能な政治家だけだ。
  ――吉上亮「ヴェルト」第二部第五章

母語以外の言語で映画を撮る場合、安心してトライできるのがSFというジャンルなのだと思います。
  ――『ミッキー17』監督ポン・ジュノ インタビュー

いやあ、驚いたね。
あいつが、ルーレットじゃなくて、スロットマシンだったなんてさ。
  ――草上仁「ルーレット」

 376頁の標準サイズ。

 特集は「SF少女マンガ特集」として、マンガが再録3作+描きおろし5作に解説や作品ガイドなど。再録は萩尾望都「金曜の夜の集会」,大島弓子「サマタイム」,坂田靖子「ノスタルジー」。描きおろしは永野のりこ「地球をわれに」,吟鳥子「SFアリ」「少女の書くSF」「AIのSF」,白井弓子「あみ手の星」。

 小説は6本+3本。連載で4本+3本、読切2本。

 連載4本+3本。辻村七子「博士とマリア」第2回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第58回,吉上亮「ヴェルト」第二部第五章,夢枕獏「小角の城」第80回に加え、田丸雅智「未来図ショートショート」3本「新しい助っ人」「空の上の修学旅行」「バーチャル・レジデンス」。

 読み切り2本。神林長平「戦闘妖精・雪風 エピソード零 棘を抜く者」,草上仁「ルーレット」。

 まずは「SF少女マンガ特集」。

 萩尾望都「金曜の夜の集会」。8月最後の金曜日。小学生の男の子マーモは、夜に天文クラブでローエル・ボーエル彗星を見るのを楽しみにしていた…が、ルース先生に急用が出来て中止になってしまった。

 初出はSFマガジン1980年11月増刊号。マーモの友人ダッグのズボンなど、他の漫画家ならスクリ-ン・トーンを使うだろう所を手で柄をつけてる。お陰でシワの依り方がよくわかる。8頁目、丘の上から街を見下ろすコマは、この人のお得意の構図。

 大島弓子「サマタイム」。夏の夕食どき、小さな山村の送電線が切れて電話と電気が止まる。東京かあら里帰りするはずの信一は数日帰ってこない。実与ちゃんとの結婚を控えたトオルは、信一を迎えに東京まで行く羽目に。

 初出は別冊ララ1984年9月号。停電の場面こそベタで黒いが、頁が進むほどに頁は白くなっていく。人物だけで背景がないコマや、真っ白で文字だけのコマもある。こういう、「注目させたいモノ」に的を絞った描き方が巧みだ。

 坂田靖子「ノスタルジー」。水星には王国があった。王様は猫目石を磨くのが仕事だった。その日、ゼンマイが止まってしまった。王国のエネルギー危機だ。

 初出はSFマガジン1986年3月号。この人も頁が白い。世界観は素っ頓狂なのに、絵柄がユーモラスでトボけた感じのためか、妙に親しみを感じる。眼が点や線なのも、この人の独特の持ち味。

 永野のりこ「地球をわれに」。ハカセは創り上げた。マッドな願いを叶える装置を。地球をわがものにしようと、装置を起動し、大いなる者を召喚した…

 はい、そうです。十八番の理系メガネ男子と可愛い女の子のお話です。つか、この人、少女マンガに入るんだろうか? いや面白いからいいけどw

 吟鳥子「SFアリ」「少女の書くSF」「AIのSF」。いずれも8頁の短編ながら、綺麗にオチがついてる。あと、文字が大きいのが年寄りには嬉しい。

 白井弓子「あみ手の星」。この星の者はみな、いつも編んでいる。移民団が持ち込んだ工作機械の殆どが不良品で、無事なのは紡績機だけだった。なので人々は、あらゆる道具を自らの手で編み織るしかないのだ。

 これは貴重な編み物SF。白と黒の中間、グレーの使い方が巧みだ。

 連載小説。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第58回。<マリーン>の水上バイクに護衛されて<白い要塞>は運河を遡上し、波止場へたどり着く。波止場ではラスティにベンヴェリオらが迎えに来ていた。

 ラスティが突っ走る回。彼に振り回されるジェイクの不安がヒシヒシと伝わってくる。この作品、長さもすごいが登場人物の数もすさまじい。著者は全部、頭に入ってるんだろうか?

 吉上亮「ヴェルト」第二部第五章。公安委員会の部屋。処刑人のサンソンはロペスピエールに語る。「父祖より受け継いだ処刑人の職を辞したい」と。息子のアンリに継がせる気もない。革命の前から、処刑人は身分制度の外にいた。

 今回は狂信的なサン・ジュスト(→Wikipedia)とジョルジュ・ジャック・ダントン(→Wikipedia)などが登場するが、サンソンの奥さんマリー=アンヌがひときわ光る。

 辻村七子「博士とマリア」第2回。自分の姿はマシな方だ、そうブッサンは思っている。だが特別に美しいとは言えない、とも。美しくありたい、そう願い、日々の努力を怠らないブッサンは、とびきり美しい男を見かける。あの美しさを手に入れる手段があれば…

 前回はドクターとマリアⅡの掛け合いが楽しかったが、今回は両者ともに脇に回り、美を追求する男ブッサンが中心となって話が進む。巨大企業HAPが支配する世界で、そこらの労働者であるブッサンが貯めた額程度でどうにかなるとは思えなかったが、そこはそれ。

 読み切り。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 エピソード零 棘を抜く者」。フェアリイ星、FAF。スーパーシルフの機体シリアルナンバー79113は問題機だ。乗ったパイロット一名が死亡、一名が負傷、フライトオフィサ一名が負傷、機外に放り出されたのが一名。そこに腕はいいが性格に難ありな新人パイロットがやってきた。

 この記事を書くため改めて流し読みしたら、だいぶ印象が変わった。最初は零と雪風に注目したんだが、今回はブッカー少佐に目が行く。クーリィ准将の無茶な要求と、徹底してマイペースな部下&機体の板挟みになってる少佐に同情してしまう。

 草上仁「ルーレット」。一時期は勢いづいていたが、今は老いぼれたガンブラー。残ったのは借金と、勝負のカタで手に入れたルーレットだけ。ルーレットったってモノじゃない。れっきとしたペットだ。今は六本足の。困ったことに、金貸しは見切りをつけたらしい。ならいっそ高飛びを、と考えたが…

 草上仁にしては長めの作品。主人公は裏社会で生きる者に相応しく、その場しのぎのセコい手を駆使して金貸しから逃げまくる。よく今まで生きてこれたなあ、と思うぐらい、しょうもないw 逃亡中もギャンブラーに相応しく、いちいち博打に出るのが楽しい。オチも酷いw

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2025年3月 4日 (火)

ローマン・テッペル「クルスクの戦い1943 第二次世界大戦最大の会戦」中央公論新社 大木毅訳

クルスクは、第二次世界大戦最大の戦車戦として歴史に刻まれてきた。(略)
こちらの方面(クルスク屈曲部北方)では、何よりも、尋常でない数の砲兵を投入した対決ということが特徴になっている。
加えて、クルスクは、第二次世界大戦でも有数の規模の航空戦であった。(略)
おそらく、本会戦は、今後も「史上最大の会戦」であることだろう。
  ――1 はじめに

「本会戦は、『物量消耗戦の連続』という新しい性格を帯びている」
  ――3 炎の弧

「急迫する敵の突撃に対し、前方で戦線を支えているあいだに、後方では村々を燃やしつくす」
  ――3 炎の弧

作戦的にみれば、クルスク会戦はドイツ軍の一大退却行のはじまりをみちびいた。
  ――4 消耗戦

クルスクの攻防は、戦場での都市をめぐる戦闘ではなく、人々の記憶や文献における神話をめぐる闘争として、なお続いているのである。
  ――5 偽られた勝利

【どんな本?】

 1943年春。スターリングラードを失ったドイツ軍は、情勢を好転すべく、ツィタデレ(城塞)作戦を計画する。クルスク近郊に突出した赤軍に南北から攻撃を仕掛けて分断する。クルスクの戦い(→Wikipedia)である。

 最も大規模な戦車戦として名高く、独ソ戦の戦況の逆転を決定づけたとも言われる戦いだけに、戦後は独ソ双方が多くの出版物で取り上げた。それにより、計画段階から戦闘の結果に至るまで、様々な言説が流布し、多くの伝説が形作られてきた。

 だが、その多くは作戦に従事した高級将校の回顧録などであり、当然ながら著者の立場により多少の脚色がある、また、独ソ双方の政府も戦後は「神話」を必要としたため、一般に語られたのはいわば「物語」だった。

 これに対し、本書の著者は当時の報告書などの一次資料に当たって戦いの実態を明らかにし、幾つかの俗説を覆してゆく。

 旧東ドイツ出身の歴史家が、俗説に流されず一次資料を元に再現した、史上最大の戦車戦の記録。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Kursk 1943 : Die groesste Schlacht des Zweiten Weltkriegs, Roman Toeppel, 2017。日本語版は2020年12月10日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約255頁に加え、訳者解説7頁。9ポイント49字×19行×255頁=約237,405字、400字詰め原稿用紙で約594枚。文庫ならちょい厚め。

 軍事物だけあって文章は硬い。また「団隊」など、著者独自の用語もある。冒頭の訳者注釈に書いてあるが、麾下と隷下の使い分けなど、訳者なりの拘りと気配りによるものだ。内容も専門的だ。そもそも「一般にはAと言われているが、実はBなんです」という本である。想定している読者は、一般的な説を知っている人、すなわち学者や学生なのだ。そこんとこ、覚悟しよう。

 とはいえ、一応は一般の読者にも気を使ってか、時間的には計画段階から戦闘終了まで、視点では西部戦線を含めた戦況全体から各部隊の進退までを、本書のボリュームに相応しいレベルで書き込んであるので、「興味を持ったマニア」程度の読者でも、なんとかついていける。正直言って、私には少々歯ごたえがあった。

【構成は?】

 ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。ただし巻末の訳者解説は巧みに本書のテーマをまとめてあるので、むしろ最初に読んだ方がいい。また、冒頭の地図は何度も見返すので、複数の栞を用意しよう。

  • 訳者注釈/地図/写真図版
  • 1 はじめに 「クルスク会戦」か、それとも「オリョール=ビェルゴロド間の会戦」か?
  • 2 行動の法則 1943年夏季会戦の準備
  • 3 「炎の弧」 1943年夏のクルスク、オリョール、ハリコフをめぐる諸戦闘
  • 4 消耗戦 1943年の東部戦線における夏季戦闘の結果
  • 5 偽られた勝利 記憶をめぐる闘争
  • 訳者解説/経過表/註/引用史料・文献/推奨文献/写真クレジット/人名索引

【感想は?】

 学者が学者向けに書いた、専門書だ。そのわりに、意外と読みやすい。

 同じ戦記物でも、コーネリアス・ライアンの「史上最大の作戦」やコリンズ&ラピエールの「おおエルサレム!」などジャーナリストの作品は、首相など政府のトップから末端の兵そして現地の民間人まで多様な人物が登場し、壮大なドラマが展開する。

 対してアントニー・ビーヴァーの「スターリングラード」やイアン・トールの「太平洋の試練」など歴史家の作品は、軍人を中心とするのに加え、兵器や弾薬などの記述も増える。

 本書の著者は歴史家であり、後者の性質が強い。著者はドラマを描こうとはせず、作戦の推移を正確に伝えることを目的としている。あまり感情を動かす類の本ではない。

 しかも、「今までは○○と言われてたけど実際は××だよ」と、従来の説に異議を唱える目的も兼ねている。つまり多少は「その界隈の常識」を知っている人向けの本なのだ。私のような初心者には少々キツい。

 にも関わらず、むしろ初心者にこそ薦めたい部分もある。それは「なぜそんな説が流布したのか」を語っている所だ。パウル・カレル(→Wikipedia)の正体を暴いてたり。まあ、要は「著者の立場を考えよう」って事なんだけど。

 それはともかく、やはり歴史家の書いた本だけあって、数字への拘りは強い。例えば作戦全体の規模だ。

…さまざまな数字を総合すれば、約78万のドイツ軍将兵が、190万以上の赤軍将兵に対峙していたことになる。
航空機では、ドイツ軍の総数およそ1800機に対し、赤軍は、会戦初期段階だけで3600機以上を投入した。
(略)ドイツ軍は、7400門の砲・迫撃砲を持っていた。ところが、ソ連軍の保有数は31400門、つまり四倍以上だったのだ。
  ――2 行動の法則

 現在のウクライナの戦いでもロシア軍の特徴は大量の砲で、これは大祖国戦争以来の伝統なんだろう。

 これらの数字を出すため、著者は従来の歴史家の書物はもちろん、軍が残した当時の報告書やメモまでも漁り、互いに突き合わせて信頼性を検証するのだ。その熱意には恐れ入る。

 そんな本書は、戦車戦の印象が強いクルスクの戦いに、違った方向からスポットを当ててゆく。その一つが、先の引用にもある「砲」だ。特に強い印象を残すのが、表紙にも写真が出ている駆逐戦車フェルディナント(→Wikipedia)である。

 駆逐戦車とあるが、現代の区分だと自走砲になるんだろうか。戦車との違いは主砲が左右に回らない点ぐらいだ。本書を読んで、私はますます戦車と自走砲の違いが判らなくなった。それはともかく、独軍将兵からのフェルディナントへの信頼は厚く、かなり頼りにされていた模様。

 やはり独軍で頼りになるのが空軍だ。当時の独軍の特徴は、軽爆撃機を砲のように使うこと。これには空軍と陸軍の綿密な連携が必要で、技術だけでなく組織編制も考えなきゃいけない。そこで…

ドイツ軍の戦術的航空攻撃は、陸軍と武装親衛隊の大規模団隊のほとんどに、空軍の「航空連絡将校」が配置されていることによって、その効果を高めていた。彼らは、地上部隊と空軍の協同を調整し、撃破すべき目標を航空士に伝達したのである。
さらに、「シュトゥーカ誘導将校」、もしくは「爆撃機誘導将校」や「航空機無線連絡手」が投入された。味方部隊の最前線に位置し、空軍諸団隊と直接無線連絡を取るのが、その役目であった。
  ――4 消耗戦

 そんな事をやってたのか。陸軍の砲兵なら射弾観測員(→Wikipedia)に当たる役割だね。

 現代の独裁国家の軍はクーデターを恐れるため、こういう組織の垣根を越えた協力は難しいようだが、ドイツ軍は組織の作り方が巧みなんだよなあ。下級将校や下士官が独自の判断で動くし。

 その逆が赤軍で、硬直した指揮系統が大きな損害をもたらす。

多くのソ連軍指揮官にとって、損害は何の意味も持たなかった。彼らは、この戦争の後半においても、麾下将兵を繰り返し「無意味で流血にみちみちた攻撃」に投じたのである。
  ――4 消耗戦

 にも拘わらず勝利を得たのは、単純に量の問題。

クルスクの勝利は、すでに20年も前にロシアの歴史家ボリス・ソコロフが「破滅的」と形容したような代価によって贖われたのである。
  ――4 消耗戦

 これは本書の各方面の戦闘で何度も出てくるパターンで、少数の独軍が多数の赤軍に挑み、キル・レシオでは優勢ながら量に押しつぶされる、そういう戦いが続くのですね。

 旧東独出身という経歴もあり、当時の東側の事情に通じている著者は、東西双方の通説をひっくり返すだけでなく、「なぜそんな説が流布したのか」まで明らかにしてゆく。その過程で得られた視点は、独ソ戦ばかりでなく、あらゆるノンフィクションに適用できるものだろう。

 専門家向けの本だけに歯ごたえはあるが、ノンフクションの読み方を学ぶという点では、むしろ素人こそ読むべき本かもしれない。

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