アンリ・マスペロ「道教」平凡社ライブラリー 川勝義雄訳 ポール・ドミエヴィル編
古代の道教は何よりもまず信者を「永生」、あるいは中国語でいう「長生」、終わりのない「長い生命」に導くことをめざす宗教である。
――Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
【どんな本?】
アンリ・マスペロ(→Wikipedia)は20世紀前半にフランスで活躍した中国学の学者である。第二次世界大戦中にナチス・ドイツに連行され獄中で亡くなった。
彼が残した原稿を、同じく中国学者のポール・ドミエヴィル(→Wikipedia)が整理・編集し、「中国の宗教と歴史に関する遺稿」全3巻として出版した。本書はその第2巻「道教」の日本語訳である。
「『西暦初頭数世紀の道教に関する研究』という題をつけられそう」と編者は語る。創始者も成立年代も怪しい道教について、中国で信者を集め黄巾の乱(→Wikipedia)を起こすあたりまでの時代を中心に、西欧の歴史家に向けて解説する論稿集である。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Le Taoïsme, Henri Maspero, 1950。日本語版は1966年に東海大学出版会から出て、次に1978年に東洋文庫から文庫となり、2001年に平凡社ライブラリーとして文庫版が出た。私が読んだのは平凡社ライブラリーの2001年1月15日の初版第1刷。文庫で縦一段組み本文約419頁に加え、訳者によるあとがき13頁。9ポイント42字×16行×419頁=約281,568字、400字詰め原稿用紙で約704枚。文庫としては厚め。
文章は思ったよりこなれていて親しみやすい。ただし内容はそれぞれで、素人向けに全体像を示す部分と、学者むけに細部を詳しく語る所が混ざっており、重複した部分も多い。
なお、序文によると、著者アンリ・マスペロの遺稿を編者ポール・ドミエヴィルが整理・編集して出版にこぎつけた、とある。編集の努力を考えれば編者も名を挙げるべきと考え、この記事のタイトルに載せた。
【構成は?】
初期の道教の教義については、「附録 道教の神々 いかにしてこれと交感するか」が最も簡潔でわかりやすい。「Ⅰ 中国六朝時代人の宗教信仰における道教」と「Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究」も、ざっくりと素人向けに当時の道教を説明しているが、「附録」と重複する部分もある。道教の概要を手早く知りたいのなら「附録」だけ読めばいいだろう。
「Ⅱ 詩人康嵆(→Wikipedia)と竹林七賢(→Wikipedia)のつどい」は、タイトルで見当がつくように、相当に突っ込んだ内容で、学者向け。
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- 日本語版のための編者序文
- 編者序文
- Ⅰ 中国六朝時代人の宗教信仰における道教
- 一 道士と不死の探求 肉体的な術
- 二 精神の術 内観・瞑想・神秘的合一
- 三 道教の教会と信者の救済 制度と儀式
- Ⅱ 詩人康嵆と竹林七賢のつどい
- Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
- 序文 文献学的に
- 一 個人の宗教生活と不死の探求
- 1 外面的宗教生活 実践と修行
- a 不死の道への第一歩 倫理的生活と「徳行」
- b 生理的実践
錬金術の実践/食餌法の実践/呼吸の実践/性的実践/体操の実践- 2 内面的宗教生活 神々および道士と神々との関係
- a 道教の神統譜
- b 最高の神々と神秘的瞑想
- 二 道教教団と一般大衆の信仰
- 1 黄巾時代の教団組織
- 2 集団的な祭りと儀式
- 3 死者のための儀式
- 4 集団的道教と個人的道教 神々の観念の進展
- 5 張天師の関する附論
- 三 道教と、中国仏教のはじまり
- 四 附論 道家的宗教の起源と漢代までの発展に関する歴史的研究
- 1 荘子の時代の道家における不死の術と生の神秘的経験
- 2 秦漢時代の道教
- Ⅳ 老子と荘子における聖人と生の神秘的体験
- 附録 道教の神々 いかにしてこれと交感するか
- 文献一覧/中国史年表/あとがき/索引
【感想は?】
道教について何も知らないので、大雑把に全体像を掴もうと思って選んだんだが、そういう目的には向かない。
そういう目的なら、「附録 道教の神々 いかにしてこれと交感するか」を読めばいいだろう。「Ⅰ 中国六朝時代人の宗教信仰における道教」と「Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究」とも重なる内容も多い。
本書は、道教の解説書というより、中国学者アンリ・マスペロの遺稿集といった性格が強い。つまり、著者の業績を残すのが目的だ。よって内容もよく言えばバラエティに富んでおり、悪く言えばとっちらかっている。いや一応、どれも「西暦初頭数世紀の道教」に関係あるんだけど。
とまれ、素人の私は突っ込んだ話にはついていけないので、ここでは素人向けの内容について書く。
まず、本書では、21世紀現在の道教については、全く分からない。著者が調べた20世紀前半の状況は「教団組織としては壊滅状態」だったようだ。清帝国末期から中華民国あたりの頃だろう。
とはいえ、道教の世界観や概念は、現代の中国文化にも色濃く残っている。というか、中国のお伽噺=ファンタジイや怪談=ホラーには、道教的な小道具が欠かせない。恐らく現在でも儀式・ならわし・作法・まじない等に、道教由来のものが残っているだろう。
なんたって、道教がめざすのは、永生すなわち仙人になる事なのだ。
仙人。中国のお伽噺や怪談、または中華風ファンタジイには欠かせない存在だ。人知を超えた術を使う、西洋風ファンタジイなら魔法使いに当たる役割である。しかも、仙人は老いず死なない。
「でも道教を修めた道士も死ぬよね?」 いい質問だ。本書でも、高名な道士が亡くなっている。が、後に墓を暴くと、冠と衣装だけが残っていた、とある。
本書によると、中国の仙人は、ちゃんと肉体を持った存在だ。ただ、修行によって、少しづつ肉体を改造してゆくのである。修行にもいろいろあって、その一つは錬金術的方法。
錬金術的方法は本質的には、丹(硫化水銀、→Wikipedia)の調合と服用にある。
――Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
辰砂って、ヤバくね? と思うだろう。実際、ヤバい。が、そこはそれ、他にも「悪行を控えて善行を積め」とか「五穀を断って気を云々」とか呼吸法とか瞑想とかあって、段階を踏み順にやらないと駄目なんだとか。
これだけならケッタイな健康法で終わりそうなんだが、呼吸法や瞑想の段で出てくる世界観が、いかにも中国風でブッ飛んでいる。なんたって…
すべての人間の体内には、三つの宮殿、六つの役所、百二十の関所があり、三万六千の神様がいる。
――Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
そう、人間の体内に神様がいるのだ。どうも中国の神様は、日本の神様とも異なる存在らしい。なお、「三つの宮殿」とは、丹田を示す。現代日本だと丹田はヘソの下のみだが、道教によると頭と胸にも存在する。この丹田の近くには三虫または三尸、青古と白姑と血尸が住み、人に害をなす。なので、まずこの三尸を絶やし…
なんて世界設定が、実に凝っていると同時に、強烈に中国風の味付けになっていて、聊斎志異などの中国の怪談の世界設定と共通するテイストが漂い、マニア心をくすぐるのだ。なにせ神様の世界でも官僚が役所を回していて…
まあ、そういうのは道士として仙人を目指す、いわば出家した人の話だ。丹だって安いモンじゃない。それなりの財産が要る。食うために働かにゃならん庶民には関係ない。それじゃ教団として成り立たないんで、ちゃんと一般向けの御利益も用意してあるのだった。
道家的宗教は、普通の信者たち、つまり聖人になろうとは望まなかった人々に、健康・長生・幸福・子孫をあたえた。
――Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
まあ、そうじゃないと庶民の間には広がらないし、教団組織も力を持てないしね。
などの道教そのものの話に加え、他の宗教、特に仏教との関係が、仏教徒の多い日本人には衝撃的なネタを含んでいる。中でも無茶苦茶なのが…
仏陀とは蛮族を教化するために西に向かった老子その人にほかならぬ
――Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
まあ日本にもジンギスカン=義経説があるし、そういう事だろう。それより問題は、インドより伝来した仏教の経典を、誰がどう訳したか、だ。本書によると、訳したのは道教の徒だそうだ。そのため、お経の中にも、自然と道教の用語や概念が入り込んでしまうのだ。
やがて盛んになり人も増えた仏教は、僧が自らインドに赴いて経典を持ち帰って訳し直し、道教の影響が薄れてゆく。が、中国の仏教の初期は、道教の強い影響を受けていたのだ。
とすると、飛鳥時代に日本に渡ってきた仏教も、道教の影響を受けていた、と考えるべきだろうか。まあ、その頃の日本の仏教と、現在の仏教も、だいぶ違ってるだろうけど。
さて、こんな研究をしてきた著者は、神秘的な事柄や信者に対し、どんな姿勢だったか、というと…
神秘主義者とは、(略)絶対者と直接無媒介の関係に入っているという感じをもつ人なのである。(略)
神秘的経験はいろいろな形をとるが、種類は多くない。そしてそれは、あらゆる国、あらゆる時代、あらゆる宗教を通じて、相似た形をとる。
――Ⅲ 西暦初頭数世紀の道教に関する研究
と、彼らの話は頭から否定はせず落ち着いてじっくりと聞き、ただし俯瞰した立場で冷静に分析する、そういう姿勢で向き合っていたようだ。20世紀前半にしては、なんとも誠実かつ理性的な態度だと思う。
中国学者アンリ・マスペロの遺稿集、といった性質が強く出た本であり、道教の概要を語る部分もあれば、専門家向けの突っ込んだ話をしている所もある。独立した四部+附録の形をとっているが、重複している所も多い。これ一冊で道教の全体像を掴むには向かないが、多様な視点から見た道教の姿が拝めるのは本書ならではの味だろう。歴史好きより、中国の怪談や中華風ファンタジイが好きな人に薦めたい。
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