« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »

2025年1月の6件の記事

2025年1月29日 (水)

フランク・M・スノーデン「疫病の世界史 上・下」明石書店 桃井緑美子・塩原通緒訳 2

1980年に、国立癌研究所のロバート・ギャロ博士が、日本でよく見られる種類の白血病をひき起しているのがある種のレトロウイルスであることを証明し、そのウイルスをヒトTリンパ好性ウイルス(HTLV)(→国立感染症研究所)と命名していた。
  ――第20章 HIV/エイズ アメリカの経験

人間に感染できることがわかっているウイルスは何万種とあり、細菌だと30万種にのぼる。
  ――第21章 新興感染症と再興感染症

 フランク・M・スノーデン「疫病の世界史 上・下」明石書店 桃井緑美子・塩原通緒訳 1 から続く。

【感想】

 イェール大学の学部課程の講座から発展した本書、下巻は結核から幕を開ける。労咳とも呼ばれる結核は、妙に上品な印象がある。日本で有名な患者は沖田総司だろう。男であれ女であれ、結核は育ちがよくはかなげなイケメンや美女の病気、みたく思われている。

診断結果としての消耗病は、白人様の専有物だったのだ。
  ――第14章 「消耗病」 ロマン主義時代の結核

 これには結核の症状も関係している。ペストのようにいきなり亡くなるワケじゃない。ジワジワと命を削ってゆくあたりが、悲劇的な印象を強めたのだ。実際には栄養状態の悪い貧乏人も、というか貧乏人こそが苦しむ病気なのだが、貧しい者は空気のよい高地のサナトリウムで療養なんざ出来ないから、文学の題材にもならないのだ。

 そう、疫病は芸術のテーマにもなる。が、取り上げられる病気は限られる。ペストは貧富に限らず大量の人を襲うゆえ、絵画や文学でも扱われた。上巻の表紙はピーテル・ブリューゲルの「死の勝利」(→Wikipedia)だ。結核は悲劇の小道具として使われてきた。昭和では白血病が、現代では癌だろうか。エイズはかつてのケータイ小説の常道って思い込みがある。

 が、まず使われない病気もあって、その代表がコレラだろう。取り上げるのは筒井康隆ぐらいだ。赤痢や腸チフスもそうだろう。消化器系の病気は貧しい者が被害に遭いやすいし、見た目も悪いしね。

 さて、結核が文学の題材になり易い理由の一つが、サナトリウムだ。本書では主に米国でのサナトリウム流行の歴史を描いている。一般にサナトリウムでは医師などスタッフが強い権限を持って患者の生活を支配した。現代にも続く医師と患者の関係を形作った原因の一つがサナトリウムだ。

 それだけでなく、結核と対峙する人々は、その病巣である街中へも活動を広げ、住環境や食生活ばかりでなく、識字率工場や賃金上昇そして児童労働の規制など、社会構造まで変えてゆく。すげえ。こういったあたりは「清潔文化の誕生」ともダブる。

この運動から生まれて広まった一連の用語の中心には「社会」という意味深いキーワードが鎮座していたのである。
  ――第15章 「伝染病」 非ロマン主義の時代の結核

 欧米はそれで変わっても、植民地は置き去りだった。そのツケが、19世紀後半~20世紀初頭からの香港やボンベイ発のペスト流行だ。いずれも狭い所に貧しい者がひしめきあって暮らしているだけでなく、港湾都市でもあり、世界中の船が行き来する。

 下手すれば世界中に疫病をバラ撒きかねない。船に便乗した鼠が媒介すると明らかになったのもあり、「海運業者は鼠の駆除と鼠よけの対策をするよう求められる」など、国際的な協力体制が取られる。

どの国でも鼠の侵入を食い止めることが経済の面でも公衆衛生の面でも第一の優先事項になり、現実的な方策について早急に国際的な合意がなされた。
  ――第16章 ペスト第三のパンデミック 香港とボンベイ

 少数の列強が世界を支配していたからこそ、合意に至るのも早かったんだろう、なんて事を本書の終盤じゃ考えたくなるが、それは追って。

 続く話はイタリアのサルディーニャ島のマラリア。地元イタリアが撲滅に向け地道に活動していたが、第二次世界大戦後に米国がDDTをひっさげ乱入、お得意のパワープレイで事態を急速に収束させてゆく。著者は米国の実績は認めるものの、それまで地道に続けてきた教育と広報の土台あってこそだぞ、と不満げだ。

マラリアもまた、あらゆる疫病と同様に、国家の危機ではなく人類の危機なのである。
  ――第17章 マラリアとサルディーニャ 歴史の利用と誤用

 「蚊が歴史をつくった」にもあったが、米国はDDTを武器に中南米で成功してるんで、その自負があったんだろう。

 今でもマラリアはアフリカで猛威を振るっているが、根絶に成功した疫病もある。天然痘だ。これに勢いを得て、1950年代あたりから、楽観論が出てくる。「この調子ですべての疫病を潰せるんじゃね?」と。その標的となったのが、ポリオだ。これには理由がある。ポリオは、人獣感染症じゃない。

①天然痘と同様に、ポリオのウイルスも人間のほかに病原保有体をもたないこと
②伝染を断ち切るための有効で投与しやすいワクチンがあること
③感染を検出するための近代的な診断ツールがそろっていること
  ――第18章 ポリオと根絶問題

 野生動物が病原体を保持する伝染病は、野生動物にまでワクチンなどを投与し、または保持する種を撲滅させにゃならんので、実質的に無茶なのだ。幸いポリオはヒトだけなので、イケるんじゃね?と思ったんだが…

発展途上国で毎年大勢の子供が弛緩性麻痺の犠牲になり、死にいたることさえ少なくなかったというのに、その受難(略)は報告がなされず、可視化されていなかった。
  ――第18章 ポリオと根絶問題

 先進国じゃワクチンなどで激減しており、その感覚で楽観してたんだが、途上国の悲惨な実情を、「先進国の賢い人たち」は誰も分かっていなかったのだ。

 今世紀に入っても、ナイジェリア北部でワクチン投与が頓挫してる。地元のイスラム教徒は、キリスト教徒の陰謀じゃないかと疑い、ワクチンを拒むのである。「他にもマラリアや結核とかの脅威があるのに、なんでポリオを特別扱いするんだ?」と、そういう理屈だ。

 「これだからナイジェリアは」と言いたいところだが、米国や日本でも新型コロナ・ワクチンを陰謀扱いする人がいるワケで、ヒトゴトじゃないんだよなあ。

 ポリオ以上に思い込みや偏見が対応を難しくしているのが、性感染症だ。妙な道徳論をかざす、特に宗教組織のウザい干渉が、社会的な対策を難しくする。かつて梅毒が花柳病と呼ばれたように、この手の疫病には独特の性質がある。その一つが…

性感染症は、つねに都市部で大流行する。
  ――第19章 HIV/エイズ 序論と南アフリカの事例

 そして、都市化は世界的な傾向なのだ。

戦後、人口がどこよりも急増したのは、世界で最も貧しく、最も脆弱な地域と、流入人口を収容しきれるだけのインフラが整っていない都市だった。
  ――第21章 新興感染症と再興感染症

 そう、いわゆるスラムだ。「インドのムンバイ、アフリカのラゴスやカイロ、パキスタンのカラチ」「リマ、メキシコシティ、リオデジャネイロ」と、地名を見ただけでも「ヤバいじゃん」とボヤきたくなるぐらい、疫病の温床に最適な環境が整ってる。

 南アフリカじゃアパルトヘイトとその負の遺産そして政府の無策で、特に黒人にエイズが蔓延する。

 「いや南アフリカは特別だよね」と思っていたかどうかはともかく、こういう格差は米国でもあって。

アフリカ系アメリカ人女性のエイズ発症率は白人女性より15倍も高く、黒人男性は白人男性より5倍高かった。
  ――第20章 HIV/エイズ アメリカの経験

 この章では、80年代当時の米国の政策のマズさも槍玉にあげてる。ぶっちゃけレーガンだ。宗教保守層に媚びるため、コンドームの普及や性教育を疎かにしたツケを、黒人女性が払う羽目になったのだ。酷い話である。意外なのがサンフランシスコ。同性愛者が集まる地域柄で、市長に加えゲイ・コミュニティも組織的に啓蒙活動に動き、蔓延を防いだ。

 そんな世紀末、更なる恐怖が世界を襲う。エボラ出血熱だ。リチャード・プレストンが書いた「ホット・ゾーン」は大当たりしたが、特に症状についてかなり「作って」いるらしい。それはともかく、当時は「コウモリの肉を食った原住民が感染源」とか言われたが…

1976年以降にエボラのアウトブレイクが発生した地域は、中部アフリカと西アフリカの森林破壊の地図とぴったり重なる。
  ――第22章 21世紀のためのリハーサル SARSとエボラ

 と、実はアブラヤシのプランテーションの強引な開発が大きな原因だったようだ。ウイルスを宿してたのは、森の樹幹に住むオオコウモリ。森の開拓で住処を奪われたオオコウモリは、ヒトの近くに住むようになり、接触の機会が増え…ってっわけ。

 この危機に最初に動いたのは国境なき医師団。米国政府も最初はシカトしてたんだが、医師団メンバーの米国市民が感染して帰国すると動き出すあたりは、なんとも。

 ギニア・リベリア・シエラレオネなど地元政府も、ヤバい噂が立つと海外からの投資や観光客が途絶えるからと隠蔽に走ったり、軍を主体とした強硬策に出て感染者の離散を招いたりと、この章では政府の対応のまずさに泣きたくなる。疫病に対しては、社会の対応が重要なのだが、人類はまだ学んでいない。

 しつこいようだが、これについては「アフリカだから」と馬鹿には出来ないのを、新型コロナで私たちも思い知った筈だ。それはともかく…

2013年から2016年の(エボラ)危機が示した最も苦々しい皮肉の一つは、この流行との闘いにかかった費用が、堅固な医療インフラを構築するコストの三倍と見積もられていることである。
  ――第22章 21世紀のためのリハーサル SARSとエボラ

 疫病ってのは指数的に感染は広がるワケで、初期の対応が大事なのだ。それ以上に、何であれトラブルは起きてから対策するより防ぐほうが安上がりで効果もデカいのである。ただあまりに巧みな防衛策を講じると、愚か者には何もしていないように見えちゃうのが困り物なんだよね。そう思わないかい、そこのインフラ担当者。

 それはさておき。幸いエボラ出血熱は地域の流行で済んだが、新型コロナは世界的に蔓延してしまった。最初に襲われた中国に次ぎ、第二の被害にあったのはイタリア北部のロンバルディア。

 イタリアには南北問題がある。大雑把に言うと、貧しく遅れた南部 vs 豊かで進んだ北部って構図。で、ロンバルディアは大都市ミラノを要する豊かな北部。

ロンバルディアは経済的に発展していたにもかかわらず、この感染症を許したのではない。経済的に発展していたゆえに、この感染症のアウトブレイクを引き起してしまったのである。
  ――第23章 COVID-19の震源地 ロンバルディアの2020年1月から5月まで

 というのも、積極的に中国と提携し、航空機の直行便を増やして中国からの観光客を呼び込んでいたのだ。

 新型コロナの世界的な蔓延は、航空機による人の往来が盛んになったためだろう。この傾向は今後も進むだろうし、疫病の温床となるスラムも当面は増殖と成長を続けそうだ。mRNAワクチンの迅速な開発など科学と医学は進歩したが、疫病が蔓延する環境も整ってしまった。

 これに対応するには世界的な協力が必要だ。20世紀初頭なら数国の列強が歩調を合わせれば国際的な枠組みが作れたが、多数の独立国が主権を保ち、その幾つかは独立運動や内戦を抱える現代では、全ての国家と武装勢力が合意に至るのは難しい。

 などと考えると眠れなくなるし、家から出ることさえ怖くなるのでアレだが、それぐらい怖い本なのは確かだ。だもんで、あまり共感力が豊かな人には向かないかも。その辺は割り切れて、マスな視点で歴史を眺めるのが好きな人にお薦め。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年1月28日 (火)

フランク・M・スノーデン「疫病の世界史 上・下」明石書店 桃井緑美子・塩原通緒訳 1

本書の目標は関連分野の専門家に届くことでなく、疫病の歴史に興味を持ち、微生物からの新たな挑戦に人間社会がどれだけ備えられていいるかを心配する、一般読者や学生に、議論をしてもらえるようにすることなのだ。
  ――まえがき

感染症は経済危機や戦争、革命、人口動向と同様に、社会の動きや変化を理解するのに欠かせない要素だ
  ――第1章 はじめに

【どんな本?】

 新型コロナは、またたく間に世界中に広がった。航空機など交通機関の発達により、国境を超えた人の移動が増えたためだ。これに対応するため、人間は様々な措置を講じた。各個人はマスクをして手洗いを心がけ、民間企業は在宅勤務を増やし、政府や自治体はワクチンを手配し、ロックダウンなど強硬な手段に出たケースもあった。

 古来から疫病は人類史に暗い影を落とし、社会に大きな影響を与え、時として歴史の行方すら左右した。ただ、その影の形や大きさは、疫病の性質や種類により、また医学知識・技術や社会の性質により異なる。

 本書は、主に西欧と北米を視野に据え、ペスト・天然痘・コレラなどの伝染病が人類の歴史と社会に及ぼした影響を見つめ、また古代ギリシアのヒポクラテスから現代までの医学の発達をたどり、疫病と人類の関係を描く、一般向けの歴史・科学解説書である。

 なお、上巻・下巻それぞれ副題がついている。上巻は「黒死病・ナポレオン戦争・顕微鏡」、下巻は「消耗病・植民地・グローバリゼーション」。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Epidemics and Society: From the Black Death to the Present (Open Yale Courses), by Frank M. Snowden, 2020。日本語版は2021年11月18日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約369頁+396頁=約765頁に加え訳者あとがき3頁。、9.5ポイント43字×19行×(369頁+396頁)=約625,005字、400字詰め原稿用紙で約1563枚。文庫なら上中下巻ぐらいの大容量。

 見た目のお堅い印象を裏切って、意外と文章はこなれていて親しみやすい。内容もわかりやすい。それぞれの疫病の性質を示すため、病原体の性質や感染経路や症状などの説明がある。ウイルスと細菌の違いも怪しい人向けに、丁寧に説明しているので、理科が苦手でも大丈夫だ。歴史も背景や情勢をしつこくない程度に解説していて、素人でも充分についていける。

 「まえがき」には「イェール大学の学部課程の講座から発展したもの」とあるが、そこまで前提知識は必要ない。本を読み慣れていれば中学生でも読みこなせるだろう。

【構成は?】

 ほぼ病気ごとに分かれていると共に、穏やかに時代ごとともなっている。各病気ごとに独立しているが、第2章は全体の前提・基礎となる所なので、なるべく頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • 上巻 黒死病・ナポレオン戦争・顕微鏡
  • まえがき/新版まえがき
  • 第1章 はじめに
  • 第2章 体液理論による医学 ヒポクラテスとガレノスの遺産
    病気は神の業である/病気は悪霊の仕業である/ヒポクラテスの革新/体液理論の医学哲学/ガレノスとテキスト偏重/体液理論の残したもの/神殿医療/まとめ
  • 第3章 ペスト、三度のパンデミック
    ペストと公衆衛生/ペストの影響/三度のパンデミック
  • 第4章 ペストという病気
    ペストの病因/症状と治療/ペストの病型/まとめ
  • 第5章 ペストへの対応
    市民の自発的な対応/公衆衛生対策/評価
  • 第6章 エドワード・ジェンナー以前の天然痘
    感染症を比較する/ウイルス性疾患/伝播/症状/治療
  • 第7章 天然痘の歴史への影響
    ヨーロッパの天然痘/アメリカの天然痘/天然痘と公衆衛生
  • 第8章 戦争と疾病1 ナポレオンと黄熱とハイチ革命
    サン・ドマング/「苦い砂糖」/社会の緊張/奴隷反乱と黒いスパルタクス/奴隷制度回復をねらうナポレオンの戦い/フランス軍の壊滅/まとめ
  • 第9章 戦争と疾病2 1812年のロシア、ナポレオンと赤痢と腸チフス
    ニエーメン渡河/ロシアの奥へ/赤痢/ボロジノの戦い/モスクワで/敗走/発疹チフス/まとめ
  • 第10章 パリ臨床学派
    体液病理論の危機 パラケルスス/正統医学への科学からの異論/パリの知識革命の背景/パリ病院学派の活動
  • 第11章 衛生改革運動
    パリの衛生学/エドウィン・チャドウィックと救貧法改正/病気の不衛生環境説 トマス・サウスウッド・スミス/衛生報告書(1842年)/衛生改革運動/衛生設備の健康への効果/衛生思想と芸術/衛生観念の高まりが公衆衛生に残したもの
  • 第12章 細菌病原説
    思想と組織の基礎 パリの病院医学からドイツの研究室医学へ/技術の基礎 顕微鏡と「アニマルクル」/著名な三人 パスツール、コッホ、リスター/「研究室医学」と専門職としての医師/細菌説の家庭生活への影響/まとめ
  • 第13章 コレラ
    病因、症状、芸術への影響/治療/疫学とナポリの例/コレラの恐怖 社会の緊張と階級対立/公衆衛生とコレラ 都市の改造/新たな生物型 エルトール型コレラ菌/第七次パンデミックの発生/リタ・コルウェルとコレラの環境病原巣の発見/ペルーにおける現代のコレラ/2010年以降のハイチ
  •  註
  • 下巻 消耗病・植民地・グローバリゼーション
  • 第14章 「消耗病」 ロマン主義時代の結核
    病因/症状と段階/消耗病についての医学理論/消耗病と階級とジェンダー/消耗病と人種/ロマン主義/消耗病による社会への影響/長患い
  • 第15章 「伝染病」 非ロマン主義の時代の結核
    接触伝染病/結核との闘い/療養所/予防所/健康教育 衛生意識/「闘い」の評価/戦後の時代と抗生物質/結核の新たな緊急事態
  • 第16章 ペスト第三のパンデミック 香港とボンベイ
    細菌説と瘴気とペスト/ボンベイの壊滅/イギリスの植民地ペスト対策/市民の抵抗と暴動/ペスト対策の方向転換/世界が学んだこと
  • 第17章 マラリアとサルディーニャ 歴史の利用と誤用
    マラリア原虫と、その生活環/症状/伝播/サルディーニャ島の世界的な重要性/マラリアと、その同義語とされたサルディーニャ/最初のマラリア撲滅運動 DDT以前/第二次世界大戦後の危機/第二次マラリア撲滅運動 ERALAASとDDT/その他の根絶要因/まとめ
  • 第18章 ポリオと根絶問題
    ポリオという病気/現代ポリオ/新たな科学的理解 希望から失望へ/カッター事件/世界的な根絶に向けての取り組み/2003年から2009年までの挫折
  • 第19章 HIV/エイズ 序論と南アフリカの事例
    エイズの起源/HIVと人体/感染経路/治療と予防/南アフリカでのパンデミック
  • 第20章 HIV/エイズ アメリカの経験
    アメリカでの起源/最初に認められた症例/生物医学技術/初期の検査と命名/スティグマ/伝播/「怒れる神の復讐」とエイズ教育/複合流行/まとめ
  • 第21章 新興感染症と再興感染症
    不遜の時代/もっと危険な時代/デング熱とコレラの教訓/院内感染と薬剤耐性
  • 第22章 21世紀のためのリハーサル SARSとエボラ
    再武装/重症急性呼吸器症候群 SARS/エボラとの闘い/まとめ
  • 第23章 COVID-19の震源地 ロンバルディアの2020年1月から5月まで
    グローバリゼーション/人口統計/大気汚染/パンデミックのはじまり/初期の公衆衛生対策/危機/全国的なロックダウン
  • 訳者あとがき/註/参考文献/事項索引/人名索引

【感想は?】

 とりあえず上巻を読み終えたので、その感想を。

 新型コロナの流行で、私たちは思い知った。疫病の被害は、政府の対応次第で違ってくる、と。

 また、在宅勤務が増え、スポーツの試合や音楽のライブなど娯楽産業は大きな被害を受けた。多かれ少なかれ、社会も変化を意義なくされた。

 つまり、疫病は社会と深い関係にあるのだ。社会の性質は疫病の被害状況に影響し、疫病もまた社会の運営に影響を与えるのである。

 科学も医学も発達し、またたく間に病因は新型コロナウイルスだと特製され、感染経路も主に空気感染と見当がつき(よってマスクで多少は防げると防衛策が分かり)、すぐにmRNAワクチンが開発される今世紀でさえ、この騒ぎだ。

 病気の原因も正体もわからなかった昔なら、どんな事態になっていたやら。もっとも、その分、人の交流も少なかったから、流行の広がりもゆっくりしていただろうけど。

 さて、本書は現代的な医学が発達する前から話が始まる。医学の歴史では最も有名な人物ヒポクラテスの思想は、病気に対しヒトが持つ思い込みや偏見を浮き上がらせる。

(ヒポクラテス全集は)多面的でも、そこには一貫した論理がある。病気とは自然原因によってのみ引き起こされ、合理的な方法によってのみ治療しうる純粋な自然現象であるということだ。
  ――第2章 体液理論による医学 ヒポクラテスとガレノスの遺産

 神の怒りでも悪霊の祟りでもない、と言いたいのだ。困ったことに、エイズ対策の議論でも分かるように、現代でも似たような偏見に囚われた人たちは多く、しかも組織化されてるからタチが悪い。つかWHO脱退とか正気かトランプ。

 さて、本書が最初に取り上げるのは黒死病ことペストだ。幸い日本じゃ流行らなかったが、欧州では三度も流行し、人口を激減させた。当時のペストの特徴は、被害者を選り好みしない点だ。貧しい者も富む者も、卑しい者も高貴な者も、見境なく毒牙にかける。それだけに、権力者も検疫などの対策に本腰を入れる。

ペストは、社会にある重大な動きを起こした点でも無視できない影響を残した。公衆衛生の発達である。
  ――第3章 ペスト、三度のパンデミック

 凶悪なペストの流行がなかなか収束せず、何度もぶり返した理由の一つは、こんな所にもあった。

(ペストの感染を世界的に)つなげたものの一つが罹患者の衣服である。近代初期には衣類は貴重だったので、死者の衣服や寝具は再利用されたり箱に詰めて市場や祭りで売られたりし、そこに蚤が生きたまま紛れ込んだ。
  ――第4章 ペストという病気

 産業革命で布が安くなったのは、実にありがたい。それはともかく、ペストは人を減らしただけでなく、国民と政府の関係も変えた。先の検疫でわかるように、政府の役割と権力が増えたのだ。

ペスト規制は政治史にも長い影を落とした。国家権力がそれまで対象外だった人間の生活の領域にまで伸長したのである。(略)近代国家の権力と正当性の増大を促したのである。
  ――第5章 ペストへの対応

 このペストの項では、流行収束の原因として鼠の種類の違いを挙げているのも面白い。かつてはあまりヒトを恐れないクマネズミが媒介していたが、ヒトを避けるドブネズミがクマネズミのニッチを奪い、よってヒトが感染する機会が減ったって説。

 はいいが。ペストは齧歯類(につく蚤)が媒介する。そしてペスト菌を保持する野生の齧歯類の集団があり、例えばアルゼンチンの南部に群生地があって、そこに入り込んだヒトが21世紀の今日でも罹患し…なんて怖い話も出てくる。これだから人獣感染症は。

 そう、人獣感染症はタチが悪いのだ。野生動物に潜むから。気になる人は「スピルオーバー」をどうぞ。逆に人間だけに限られた疫病の代表が、天然痘。

(天然痘根絶の)成功の理由の一つは、天然痘ウイルスを保有する動物が(人間の)ほかにいなかったからなのだ。
  ――第6章 エドワード・ジェンナー以前の天然痘

 根絶できたもう一つの原因が、地球規模で根絶に向け協力できたこと。これまた社会の対応で疫病の被害が違ってくる例の一つだね。

 根絶は天然痘の明るい話題だが、コロンブス交換の時代じゃおぞましいネタとなる。そう、天然痘が南北の米大陸の原住民を一掃したのだ。これに砂糖や綿花のプランテーションが、奴隷貿易の推進力となり…

アメリカ大陸で奴隷制度が発達し、悪名高い中間航路が確立されたことには、感染症が大きな要因となっていたのである。
  ――第7章 天然痘の歴史への影響

 これは「蚊が歴史をつくった」にも詳しく書かれていた。

 その奴隷が立ち上がり、白人を追い出したのがハイチ。反乱の首謀者は、疫病を武器として使った。

トゥーサン・ルヴェルテュール(ハイチ独立運動の指導者、→Wikipedia)「敵を撃退してくれる雨季を待つあいだ、われわれの武器は破壊行為と火のみであることを忘れるな」
  ――第8章 戦争と疾病1 ナポレオンと黄熱とハイチ革命

 一般的には英雄として持ち上げられることが多いナポレオンだけど、本書じゃ完全に悪役になってる。しかもええトコなし。ハイチに続きロシアでも彼の軍は疫病で大打撃を受けるのだ。

ロシアでも疫病がフランス軍を襲い、ナポレオンの野望を打ち砕いた。戦いの行方を決定したのは戦略力でもなければ軍事力でもない。赤痢と発疹チフスだった。
  ――第9章 戦争と疾病2 1812年のロシア、ナポレオンと赤痢と腸チフス

 軍隊は若い男が大勢群れて暮らす。大抵はロクに教育もなく、衛生概念に乏しい。だからいったん疫病が流行ると歯止めが効かない。それでも勝ってるうちは栄養状態も良く抵抗力があるが、負けが込むと食う物にも困り体力が落ちる。それでも連日の行軍は続く。

前進中は夏の暑さのなかを30キロ近い背嚢を背負い、背丈ほどもあるフリントロック式マスケット銃を携え、首に弾薬帯を引っかけ、手に銃剣と剣を持って、一日に24キロから32キロを移動した。
  ――第9章 戦争と疾病2 1812年のロシア、ナポレオンと赤痢と腸チフス

 ここでロシアは焦土作戦(→Wikipedia)を取り…

 寒冷地じゃ疫病は勢いを失いそうな気もするが、軍隊は風呂にも入らず着替えもしない暮らしが続くんで、20世紀に入っても「スターリングラード」で亡くなった兵の遺体から虱が集団で引っ越す話があったりする。

 ナポレオンが火力を重んじたように、医学も次第に変わってくる。ヒポクラテスやガレノスの体液説から脱却しようとする動きだ。そのきっかけとなったのが、パリ臨床学派。古典的な医学書より、患者の観察を重んじる、現場主義な方針だ。なんかよさげだが…

パリの(臨床学派の)病院は医学と科学の知識を深めることを目的としていた。患者の治療よりも知識の向上を重んじたのである。
  ――第10章 パリ臨床学派

 ということで、治療の成績はイマイチだったとか。とはいえ、医学の思想としては大きな転換を成している。

疾患特有性という革命的な概念である。病気はそれぞれの不変の特徴によって区別でき、したがって(分類学のカール・フォン・)リンネの方法にもとづいて分類できると彼ら(臨床学派)は確信した。
  ――第10章 パリ臨床学派

 それまで、病気はみな一つだったのだ。原因は体液のバランスが崩れたから、の一点張り。個々の病気にはそれぞれ別々の原因がある、とは考えていなかったのだ。偉大なるヒポクラテスもガレノスも、この点は囚われていた。というか、現代でも「体に良い・悪い」って言葉に、そういう発想の残滓が残ってる気がする。

 それはともかく、体液でもなく神の怒りでも悪霊の祟りでもないなら、原因は何なのか。ってんで出てきたのが瘴気説。かのナイチンゲールも瘴気説だった。今では間違いと分かるが、クリミア戦争でのナイチンゲールの活躍が示すように、一応の効果はあった。ただ、住宅や上下水道など、大規模なインフラの整備が必要で、それを為しうるのは強力な政府だけなのだ。

チャドウィックの改革は確固としたトップダウン主義、中央集権主義であり、国家権力が著しく強大になった「ヴィクトリア時代の統治革命」の第一歩だったのだ。
  ――第11章 衛生改革運動

 やがて顕微鏡の発達や医学の進歩で、細菌説が瘴気説に取って代わる。はいいが、ここでも思い込みが。

パスツールは仔細な観察と培養によって、細菌には形態、栄養、脆弱性の違いから種別があることを明らかにした。
  ――第12章 細菌病原説

 そう、当初、すべての細菌は同じ種だと思っていたのだ。まあ瘴気なら一つの物質ですべて説明がつくわけで、その瘴気が細菌に代わったんなら、そう思い込むのも仕方がないか。

 いずれにせよ、細菌が原因だと分かると、今度は人々の考え方や暮らしにも変化が訪れる。要は黴菌を恐れ清潔を良しとする思想・文化が拡がるのだ。

人びとは(略)家庭を微生物のひそむ危険な場所と見なすようになった。家庭環境と日常の習慣は改善すべきものになったのである。
  ――第12章 細菌病原説

 詳しくは「清潔の歴史 美・健康・衛生」と「清潔文化の誕生」をどうぞ。

 とまれ、清潔を保つのは高くつく。現代の日本のように上下水道が発達し、清潔な水が楽に手に入る社会ならともかく、発展途上国のスラムでは、体・衣服・食料そして住環境を、清潔に保つのは難しい。その結果、コレラのような疫病が猛威を振るう。

「社会病」であるコレラは現在、弱者が顧みられず、ことに政治的な危機が重なってWHOのいう「複合緊急事態」にある社会でのみ流行が発生している。
  ――第13章 コレラ

 コレラは主に飲食物から感染する。上下水道が完備し、綺麗な水が大量に手に入り、清潔な環境を保てる、豊かな者には縁がない。狭く不潔なスラムにスシ詰めで住む、底辺の者が犠牲になる。社会の階層で被害が異なる性質があり、よって貧しい者の不平不満が暴動へと変わりかねない。これが犠牲者をえり好みしないペストとの違いだ。

 食べ物が原因だけに、かなり怖い話も出てくる。時代と場所によっては農作物の肥料に下肥を使う。これが感染の原因になる・だけでなく、葉物野菜のネタが怖い。レタスはアンモニアに晒すと発色が良くなるそうで、都市近郊の農家は町に売りに行く際、収穫後のレタスを…

 さすがに現代日本でそんな心配はないだろうが、他にも症状の説明などは冷静かつ客観的に書いている分、グロに弱い人には相当にキツかったりする。上巻では歴史的な話が中心だが、下巻では現代の話が多くなり…

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年1月21日 (火)

ジェームズ・ヴィンセント「計測の科学 人類が生み出した福音と災厄」築地書館 小坂恵理訳

計測のルーツは文明のルーツと深く関わっており、古代エジプトやバビロニアにまで遡る。
  ――はじめに

今日使われるあらゆる測定単位の中で、心がそれを理解できるようになる以前から存在していたのは、一日が24時間という単位しかない。
  ――第1章 文明の発展と計測

細かく計測するほど、たくさんの間違いが見つかる。真実を突き止めようと努力するほど、前提の不適切さが明らかになる。
  ――第9章 すべての人たちのための計測

【どんな本?】

 計測は文明の基礎だ。売り買いに、税の徴収に、政策や計画の策定に、科学法則の発見に、計測した数字が基礎を築く。

 モノゴトを数値化することで、そこに隠れた傾向や法則が見え、予測や管理が可能となる。その反面、数値化から漏れ見逃した性質・形質は「なかった」ことにされる。統計数値として全体は見えるが、個々の事情は消えてしまう。

 数値化することで、遠くに離れた地にいる職人に手紙で指示を出すこともできる。ただし、同じ単位を使っていれば。

 ヒトはいつから、どんな形で、何の計測を始めたのか。計測することで、どんな利益を得たのか。それは人々の暮らしと考え方に、どんな影響を与えたのか。

 ロンドン出身のジャーナリストが、「測ること」の意味と効果を語る、一般向けのノンフクション。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は BEYOND MEASURE, by James Vincent, 2022。日本語版は2024年1月10日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約308頁に加え訳者あとがき3頁。9ポイント49字×20行×308頁=約301,840字、400字詰め原稿用紙で約755枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。

 文章はこなれていて親しみやすく読みやすい。内容も分かりやすい。書名に「科学」とあるが、実はあまり科学的に突っ込んだ話は出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。

【構成は?】

 各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  • はじめに
    キログラムの定義見直し/計測するのは人類だけ/権威を増す計測/不均衡の解消/偽りの客観性
  • 第1章 文明の発展と計測
    ナイルの豊かさを計測する/文字と数と計測の発明/神の意志と計測/最初の単位
  • 第2章 融通の利く計測
    商人の計測、王の計測/計測の融通性/信仰と計測/地域独自の計測法
  • 第3章 世界を測る
    計測と近世初期の精神/古代ギリシャ人と数学/アリストテレスとオックスフォードの計算者たち/芸術、音楽、時間を計測する/時計仕掛けの宇宙
  • 第4章 計測基準を定める
    世界を解剖する/温度をとらえる/不動点を決める/絶対零度/エネルギーとエントロピー
  • 第5章 メートル革命勃発
    公文書館のメートルとキログラム/地球は横長の楕円形/イデオロギーと抽象化/一日は十時間
  • 第6章 世界じゅうを区切る
    四角に区切られた大平原/境界を検分する/西に広がる四角い区画/先住民の破滅/地図と領土
  • 第7章 生と死を測定する
    死亡統計表/統計学の胎動/平均人の誕生/平均値と異常値/優生学とIQ
  • 第8章 メートル法に抗う人々
    計測自警団/ナショナリズムと国際主義/ピラミッドは万国共通の測定単位/指標を襲撃する
  • 第9章 すべての人たちのための計測
    役目を終えたキログラム原器/計測学者、チャールズ・サンダース・パース/計測制度の高まり/光でメートルを定義する/マイケルソンとモーリーの失敗/新定義の誕生
  • 第10章 管理される日常
    規格化されたピーナツバター/大量生産、戦死者数/自己の定量化/科学的根拠のない一万歩
  • おわりに 頭のなかの測定器
  • 謝辞/訳者あとがき/注釈/索引

【感想は?】

 そう、書名は「計測の科学」だが、実際は「計測の歴史」が相応しい。

 確かにテーマは計測、つまり測ることだ。そこで著者がまず注目するのは、何を測るかだ。ただし、どう測るか・その方法でなぜ測れるのか・どれぐらい正確か、などの原理的・科学的・工学的な詳細には触れない。

 著者が注目するのは、社会的・心理的な事柄だ。測ることで、人々の考え方がどう変わるのか。図った数字には、どんな意味があるのか。それは社会や人々の暮らしを、どう変えるのか。

 これらを、人類の歴史をたどりエピソードを拾い、時には現地に赴いて取材し、まとめ上げたのが本書だ。

 そんな全体を象徴しているのが、「第1章 文明の発展と計測」っで、著者が訪れるナイロメーター(→Wikipedia)だろう。エジプトのナイル川の水位を測るモノサシであり、古代エジプト文明を支えた土台でもある。

 ナイル川は毎年氾濫し、肥沃な土砂をエジプトに運ぶ。この水量で収穫量が決まる。ちなみにナイル川の氾濫は、日々ジワジワと水位が上がってゆくのであって、日本の川の洪水のように激しい濁流が押し寄せるのではない。そこで氾濫時の最高水位が分かれば、冠水した畑の面積も分かり、収穫量も計算できるのだ。

 ここに本書のテーマが潜んでいる。

 つまり、「測る」ことは「知る」ことだ。が、それだけではない。ナイロメーターを設置したのは、当時の権力者たちだ。つまり、測ることで、管理や支配が可能となったのだ。

計測は、現実への理解を深め、管理するための手段として情報されてきた
  ――第10章 管理される日常

 管理や支配といえば大袈裟だが、計画といえば誰もが使っている。例えば勤め人は、職場までの通勤時間を基準に朝の起床時間を決めるだろう。そんな風に、目的があって測る場合、往々にして目的に沿った単位が使われる。

たとえばドイツ語圏で使われる Tagwerk とは、一日で耕すことができる面積という意味で、およそ3400平方メートルまたは36,600平方フィートに相当する。
  ――第2章 融通の利く計測

 こういう単位は地元の使う人にとっちゃ便利なんだが、地域や業界ごとにバラバラなのが困りもの。そこで出てきたのがメートルをはじめとした国際単位系(SI、→Wikipedia)で、フランス革命を機に…なんて話が「第5章 メートル革命勃発」。革命前のフランスは絶対王政とか言ってたクセに、単位系は乱立してて、案外と王の権威もたいしたことないなあ、なんて思ってしまう。

 そのフランス革命、確かに理念は気高く、また人類の未来への希望にあふれた発想が根底にあって、それがメートル法の採用の動機だった、なんて話も出てくる。

コンドルセ侯爵(→Wikipedia)「ニュートンは数学の分野で徹底した研究によって知識を身につけ、天才のひらめきによって新しい発見をしたが、今日学校を卒業する若者の知識はニュートンを上回る」
  ――第5章 メートル革命勃発

 そういう未来志向の思想だったんだなあ。

 にも関わらず、今でもイギリスやアメリカはメートル法を拒んでるけど…

そもそも(米合衆国)連邦政府は1893年から、フィートやポンドやオンスをメートル法に基づいて定義してきた。
  ――第8章 メートル法に抗う人々

 と、根本じゃ国際単位系に頼ってるのだ。ちなみに日本の元号制も1873年から根本はグレゴリオ暦なんで、日本独自の伝統を背負ってるフリしてるけど実際は西暦に和風の衣を被せただけです。あと現代科学の粋に思えるコンピュータの世界もアメリカが幅を利かしてるんで、dpi とかでインチが出てくるんだよなあ。

 先にも書いたように、計測の効用は、理解し、管理・支配または計画できることだ。私たちの日常生活では計画だが、科学や工学の世界では「計算」となる。というか、計算できるようにするのが、科学の神髄だろう。

もっと重要なのは、(物理学者ジェームズ・)ジュール(→Wikipedia)がこのプロセスを定量化、すなわち測定したことだ。水温の変化と錘の質量が移動した距離を記録した結果、熱を運動や仕事の一種として計算できるようになったのである。
  ――第4章 計測基準を定める

 ジュールは熱とエネルギーを定量化し、熱力学への道を切り開いた。お陰で私たちは電気や内燃機関で多大な恩恵を受けている。計測はより精微な制御を可能にするのだ。

 似たような事が、西洋音楽にも起きた。記譜法で音楽を記録できるようになると、音楽理論が発達し、対位法や和音などの技巧が開発され、音楽は複雑化してゆく。なんであれ、新しいモノを歓迎する人もいれば反発する人もいる。

新しいスタイル(の音楽)は当時の理論家たちにアルス・ノバ(「新しい芸術」)あるいは musica mensurata(「測定された音楽」)として知られた。
  ――第3章 世界を測る

 と、かつてのシンプルな音楽を懐かしむ人も。なんかパンクに駆逐されたプログレみたいだ。こういう、音楽における単純さと複雑さの対立って、昔からあったんだなあ。

 などは個々の値の測定だった。だが、社会全体を測ろうとすると、当たり前だがバラツキがある。分かりやすいのが背の高さだ。それでも、合計や平均や標準偏差などの形で、全体の傾向は見えてくる。つまり統計だ。これは社会を治める、すなわち政治には便利な道具ともなるが、諸刃の剣でもある。往々にしてアレな国の統計は信用できないし。

アドルフ・ケトレー(→Wikipedia)「犯罪は社会が準備するものだ。有罪の人間は、準備された犯罪を実行する道具に過ぎない」
  ――第7章 生と死を測定する

 なんて発想も出てきたり。

 とまれ、統計には大量の情報と計算が必要で、それをコンピュータとインターネットが満たし、現代ではターゲティング広告やカナ漢字変換の単語予測などで大活躍してる。

 などは計測の明るい面だが、暗い面もある。それを描くのが「第6章 世界じゅうを区切る」だ。ここではアメリカ合衆国の西部開拓を、土地の計測を基に現住民から土地を奪い虐殺した歴史として語りなおしていく。こういう所はイギリス人らしい。

そもそも測量のような単純な作業に、なぜあれほどの力が備わったのだろう?
つぎに測量には、支配や残虐行為に役立つ何かが先天的に備わっているのだろうか。
そして同じ道具はいつまでも利用できるのだろうか。
  ――第6章 世界じゅうを区切る

 計測はモノゴトを理解し管理・支配する第一歩だ。例えば道を歩きながら電柱やマンホールの数を数えるだけでも、私たちは世界への理解が深まった気分になる。「温度」のように正体の掴めないシロモノも、「測る」ことで実態に迫ることができた。だが独り歩きした数字は知能指数にように悪用される場合もある(→「人間の測り間違い」)。

 書名の「科学」は忘れていい。本書は計測の原理的・科学的・技術的な側面には深入りしない。掘り下げるのは、なぜ計測するのか/計測の結果、何が分かったのか/計測が社会や人々の考え方をどう変えたか、などであり、それらを歴史の興味深いエピソードから拾い紹介してゆくスタイルだ。技術史や科学史の雑学が好きな人にお薦め。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年1月16日 (木)

ジェームズ・キャロル「戦争の家 ペンタゴン 上・下」緑風出版 大沼安史訳 2

私たちが今なお直面している歴史的な問題――それは、米国はなぜ、大規模な兵器庫を、その存在を正当化する敵が消えた今、解体せずにいるのか?――という疑問である。
  ――第8章 終わりなき戦争

2004年、コリン・パウエル国務長官は、東京の指導者たちに、日本は平和憲法を廃棄しない限り、国連の常任理事国にはなれない、と語った。
  ――エピローグ

 ジェームズ・キャロル「戦争の家 ペンタゴン 上・下」緑風出版 大沼安史訳 1 から続く。

【概要】

 やっと読み終えた。「一般向けの歴史書」と書いたが、あれは間違いだ。すまん。

 確かに歴史書ではある。主題は、第二次世界大戦以降の米国の軍備、それも主に核兵器が、いかにして膨れ上がってきたか、だ。

 書名「戦争の家」は、米の国防総省=ペンタゴンを示す。五角形の印象的な形の建物だ。なので、国防総省の内部事情を書いた本だ、と思うでしょ? 違うんだな、これが。

 国防総省内の記述で多くを占めるのは、DIA(国防情報局、→Wikipedia)ぐらいだ。それも、著者の父ジョセフ・キャロルが初代長官だったためである。あと上巻では空軍のカーチス・ルメイが、上下通してはポール・ニッツ(→Wikipedia)が暴れるが、ニッツは国務省だったり。

 つまり、国防総省の内部については、ほとんど書いていない。詳しいのはホワイトハウスの事情だ。そういう意味で、本書は「ベスト&ブライテスト」の拡大版、と見るべきか。

 さて、歴史書、それも現代史は、著者の姿勢が強く出る。例えばポール・ジョンソンの「アメリカ人の歴史」は、右派の視点だ。そりゃもう清々しいほどキッパリと、共和党政権を誉め民主党政権を貶している。

 対して本書の著者ジェームズ・キャロルは、敬虔なカトリックで左派だ。リベラルではない。左派だ。特にニクソン以後の共和党政権を貶し、民主党政権は…褒めないんだなw いやケネディは持ち上げてるんだが、それ以外は批判してる。共和党政権は狂犬のごとく扱い、民主党政権は失敗をあげつらう。

 ただ、いずれも評価の対象は軍事・外交政策で、それもソ連を焦点とした視点である。下巻では少し中米も出てくるけど。こういう国際感覚は、一般的な米国人の感覚なんだろうか。そして軍事以外の内政は、ほとんど出てこない。

 それはさておき、リベラルではなく左派としたのは、いわゆる反米国・反米勢力にやたら甘いからだ。いくらなんでもイランのホメイニを「平和の使者」はないだろ。奴は革命の輸出を目論み、後継のハネメイも同じ路線を継いでるんだぞ。お陰でイラクもイエメンもレバノンもガタガタじゃん。

 …すまん、興奮しすぎた。

 そんな風に、身びいきが強い著者なのだ。お父さんもそうだし、主に中南米で行われている解放の神学(→Wikipedia)も「カトリックの伝統」と言うのは誤解を招く。歴史も20世紀以降だから、長いローマ・カトリックの歴史に比べりゃつい昨日の話でしかないし、バチカンでも少数派だろう。

 そんな感じで、1940年代生まれで敬虔なカトリックかつ左派の作家による、第二次世界大戦以降の米国の核戦略を批判する本、が私の印象だ。

 そう、作家が書いた本、なのだ。ジャーナリストでも学者でもなく。

私に取り付いたものは、他の多くの問題がそうであるように、政治的なものではなかった。私自身に完全に属する、個人的なものだった。
  ――第8章 終わりなき戦争

 あくまでも「私はこう見た」という、主観を大切にした作品なのである。そこんとこ、覚悟して読もう。

【やっと内容の紹介】

 第二次世界大戦が産み落とした災厄の卵、核兵器。しばらく米国の独占が続くと思いきや、あっさりスターリンに追いつかれ、米国では「ミサイル・ギャップ」論が盛んになる。「ソ連は山ほど核を持ってるのに、俺たちは…」ってな論調だ。

スチュアート・サイミントン(初代空軍長官、→Wikipedia)などは、ソ連のICBMは60年代の初めまでに、3000発に達する、と警告さえしていた。(略)
偵察衛星「ディスカバラー」が「発見」した、ソ連のICBMはわずかに「四発」だった。
  ――第5章 転換点 続き

 いわゆる「鉄のカーテン」で実態が掴みにくいのもあるし、予算が欲しい人たちの事情もある。が、見積もりが膨れ上がったのは空軍のせいで、他の情報機関は別の意見だった。それというのも…

空軍の情報部がそうした結論に達したひとつの理由は、何を生産しているか分からない工場をミサイル工場と見なし(略)たことによるものだった。
  ――第5章 転換点 続き

 正体がわからん工場は、みんなミサイル工場って事にしたのだ。無茶苦茶である。

 などと上空に気を取られている間に、米国は泥沼に足を突っ込んでしまう。ベトナム戦争だ。詳しくは「ベスト&ブライテスト」をどうぞ。これ、政権は仕方なしに軍事介入したのかと思ってたが…

ダニエル・エルズバーグが内部告発した「ペンタゴン文書」(→Wikipedia)は1970年6月半ば、ニューヨーク・タイムズ、その他の新聞に掲載され、暴露されたが、この文書で明らかになったように、米国の情報機関のコミュニティーは最初から「ベトナム戦争」に批判的だった。
  ――第6章 悪魔祓い

 というのは意外。フランスも「やめとけ」な態度だったし、なんで深入りしちゃったんだろうね。

 それはさておき、この時代に青春を送った人は、JFKを崇拝する人が多い。スティーヴン・キングも「11/22/63」とか書いてるし。ピッグス湾事件(→Wikipedia)でヘマこいて、キューバ危機(→Wikipedia)も半ば彼が招いたようなもんだ。だもんで、なんでそんなに人気があるのか、よく分からなかった。

 が、本書でやっとわかった。彼はキューバ危機の後、ソ連に核軍縮を呼びかけたのだ。地球滅亡の恐怖を味わった後だけに、そりゃ効いただろう。

 そんなケネディは凶弾に倒れ、後を継いだジョンソンは北爆(→Wikipedia)に手を出す。

 続くニクソン政権・フォード政権も散々こき下ろし、カーター政権に代わると…

ジミー・カーター「今、われわれの兵器庫にある核兵器の数を減らすには、それだけの時間がかかるの?」
  ――第7章 流れに抗して

 引退後も、主に北朝鮮などの非友好国を訪れ「最強の元大統領」などと呼ばれた人だったが、着任当初は Carter Who?(誰よカーターって?)などと侮られ、最後はイラン米国大使館占拠事件(→Wikipedia)で窮地に追い込まれた不運な人だった。「ホメイニ師の賓客」は面白いぞ。

 本書もカーターを侮ってるけど、実力行使に逸るCIAの方針を変え、東側の市民にラジオとFAXをバラ撒いて体制崩壊の種を蒔いたのもカーターだぞ。

 先のミサイル・ギャップ、つまりはソ連の軍事力の過大評価が原因だった。私たちもベルリンの壁が壊れて分かったんだが、東側は経済もアレで…

80年代半ばにアメリカは、(略)3000万台のパーソナル・コンピューター(PC)が普及していた。対するロシアは5万台のPCしかなかった。
  ――第7章 流れに抗して

 …アメリカ、そんなにPCあったか? 16bit機の頃だよね。

 まあいい。米国はコワモテのレーガンがブイブイいわしてた頃、ソ連じゃ世界を変えたあの人が登場する。

ミハイル・ゴルバチョフ「ノー・プロブレム。全部、なくしましょう」
  ――第7章 流れに抗して

 そして冷戦が終わり、米国の軍事費は削減…されないんだな、これが。しかも、世界で最も充実した予算を得ている筈の諜報機関は…

米政府部局の誰もが、サダム(・フセイン)の(クウェート)侵攻を予想だにしなかったのである。
  ――第8章 終わりなき戦争

 なんて体たらく。

 このしょうもなさ、改善されるかと思いきや、911で再び間抜けっぷりを晒す羽目になる。後に直接イラクに乗り込む米軍は…

「家」の報道官は、米軍は最早、敵の死者数をカウントしないと明言した。
  ――第8章 終わりなき戦争

 まあ敵はいいけど、巻き込まれた民間人は数えようよ、と思うんだが。

 これで気になってたのは、なぜブッシュJr. はあれほど熱心にタリバンやイラクと戦いたがったのか、だ。が、この記述で「なるほど!」と納得した。

米国の対テロ戦争の、それほどの秘密ではない狙いの一つは、旧ソ連地域における米軍基地の展開だった。
  ――第8章 終わりなき戦争

 確かにタジキスタンやカタールに米軍基地があるなあ。いやカタールは旧東側じゃないけど。

 これに対し、ロシアも黙っちゃいない。

2000年にプーチン大統領は、(略)通常兵器による攻撃に対しても核を使って防衛する、と宣言したのだった。(→「力の信奉者ロシア」)
  ――第8章 終わりなき戦争

 通常戦力じゃ敵わないから核に頼る、そういう理屈だ。ただ、ウクライナ侵略じゃ膨大な兵数がいる筈の予備役を招集しないのは謎なんだよなあ。

 さて、「テロとの戦争」をブチ挙げた米国。いやそれキリないよね、と思うし、実際、成否はどうやって調べるんだろう、と心配になるが。

2003年の秋、(国防長官ドナルド・)ラムズフェルドは「家」の内部メモで、こう告白した。「われわれは、テロに対する世界戦争に勝っているのか、負けているのか、その測定法を知らない」
  ――エピローグ

 つまり、その気になれば、いつまでも続けられるし、予算もいくらでも引き出せるのだ。とんでもねえ話である。

 索引も参考文献もないのは辛いが、脚注が同じ見開きにあるのは親切だ。日本では評判のが良く、私も好感を抱いていたコリン・パウエルの印象は大きく変わった。また、イラン・コントラ事件(→Wikipedia)の説明はわかりやすかった。

 とはいえ、著者の思想が強く出た本なので、楽しめる人は限られる。やはり反米な人にお薦め。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年1月 8日 (水)

ジェームズ・キャロル「戦争の家 ペンタゴン 上・下」緑風出版 大沼安史訳 1

国内・外で激震を惹き起こしつつ蓄積されて来た「家(ペンタゴン)」の権力が、「アメリカの権力」そのものを如何にして変異するに至ったか、その姿を見ようとするものだ。
  ――プロローグ

「家(ペンタゴン)」の住人に共通するのは、「戦士」の魂ではなく、「職員」の心得である。
  ――第1章 1943年 ある週の出来事

【どんな本?】

 ペンタゴン、合州国国防総省。9.11のテロ攻撃の60年前、1941年9月11日に起工式が行われ、俗に「家(ハウス)」と呼ばれる、合衆国の軍事を司る政府機関。

 日本なら防衛省に当たるこの機関は、元は合衆国陸海軍の統合を目的とした組織だった。だが第二次世界大戦から原爆開発・使用を経て冷戦へと時代が進むにつれ、本来なら外交を司るはずの国務省を差し置いて軍事政策を優先させる、巨大な権力へと成長してゆく。

 ペンタゴンに空軍の将官として勤めていた父を持ち、作家・コラムニスト・ジャーナリストとして活躍する著者による、第二次世界大戦から今世紀初頭までの合衆国の軍事・外交政策決定の内幕を描く一般向けの歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は House of War : The Pentagon and the Disastrous Rise of American Power, by James Carroll, 2006。日本語版は上巻が2009年3月31日初版第1刷発行、下巻が2009年12月28日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約652頁+665頁=1,317頁に加え、訳者あとがきが上巻9頁+下巻13頁。9ポイント45字×18行×(652頁+665頁)=約1,066,770字、400字詰め原稿用紙で約2,667枚。文庫なら5冊分ぐらいの巨大容量。

 文章は軍事物のわりにこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。第二次世界大戦から今世紀初頭までの、米国が関わった主な軍事トピック、例えばベルリン封鎖などを取り上げるので、その辺を知っている人、要は年寄りには取っつきやすいが、その辺に疎い若い人には辛いかも。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、素直に頭から読もう。ただ、索引がないのは残念。

クリックで詳細表示
  •  上巻
  • プロローグ 誰にも気づかれず、そこにいたのは、少年の私
  • 第1章 1943年 ある週の出来事
    地獄の底/無条件降伏/ポイントブランク作戦/ルメイ/天才児/全てはグローヴズが…/さまざまな「9.11」
  • 第2章 絶対兵器
    「トルーマンの決断」/スティムソンの弁明/日本ではなく、モスクワ?/核の健忘症/グローヴズの橇/怒りの再臨/一線を超えたハンブルク/ドレスデン後/爆撃隊のベーブ・ルース/原罪の中に生まれて
  • 第3章 冷戦、始まる
    軍務に就く/スティムソンの「9.11」/フォレスタルの闘い/ケナンのあやまち/土台としての被害妄想/「家」の中の戦争/ベルリン封鎖/空軍の誕生/ロシア人が来る!/海軍対空軍/あの警官野郎が…
  • 第4章 現実化する被害妄想
    スターリンの牙/水爆への「ノー」/ニッツの救援/フォレスタルの幽霊/「国家安全保障会議文書68号」/「朝鮮はわれわれを救った」/トルーマンのもう一つの決断/水爆実験/伏せろ 隠れろ!/大量報復/失われた機会/防衛の知識人たち/「トップ・ハット作戦」/「ゲイザー報告」 ニッツの再登場
  • 第5章 転換点
    「家」の日々/ベルリンの悪戯/「戦争ですね」/リッチモンドに逃げろ!/米ソがそろって
  • 訳者 上巻あとがき
  •  下巻
  • 第5章 転換点 続き
    新しい情報機関/マクナマラとルメイ/発作的全面攻撃/ケイセンのメモ/崖っぷちに立つ/アメリカン大学で/ケネディを愛する理由
  • 第6章 悪魔祓い
    破壊の現場で/不条理のルメイ/心の過ち/白い巨鯨/マクナマラ、最後の闘い/軍縮から軍備管理へ/ベリガン兄弟/ABMへ、ニッツの復帰/ニクソンとレアード/ノックアウト・パンチ/「家」を爆破?/静かな幕切れ
  • 第7章 流れに抗して
    核の神父たち/狂人の理論/シュレジンジャー・ドクトリン/ラムズフェルドとチェイニーの登場/ジミー・カーターの疑問/凍った微笑み/民衆の声が聞こえる/恐るるなかれ/勝った、サインしろ/凍結/核の廃絶音/聖域/ゴルバチョフの登場/フォレスタルへの答え
  • 第8章 終わりなき戦争
    剣を鋤に変える/スティムソンに還る/「ジャスト・コーズ作戦」/愚か者のゲーム/新世界秩序/中国の言葉/ゴールドウォーター・ニコルズ法/移民の子/クリントンの名誉/軍隊の同性愛者/トルーマンとの違い/核体制の見直し/バルカン戦争/核の使徒列伝/2001年9月11日
  • エピローグ
    国民の記憶/戦争の常態化/録画再生/国家安全保障?/復讐/私には夢がある
  • 訳者 下巻あとがき

【感想は?】

 上巻を読み終えた状況で、これを書いてる。

 書名や他の書評などから、米国の国防総省の歴史を描いた本だと思い込んでいたが、だいぶ違う。

 いや確かに国防総省は出てくるのだが、その内幕はほとんど出てこない。特に、生粋の国防総省育ちの人物は、ほとんど出てこない。国防長官は出てくる。例えば初代長官のジェームズ・フォレスタル(→Wikipedia)や、ケネディ政権で国防長官に就いたロバート・マクナマラ(→Wikipedia)などだ。

 もっとも、日本でも省庁の長官=大臣は政治家が務める場合が多く、生え抜きの役人はトップになる事はまずないから、そういうものなんだろう。

 その国防長官マクナマラ、本書では白鯨=国防総省に挑むエイハブ船長に例えてる。それぐらい国防総省というお役所は御しがたいと言いたいんだろうが、出てくるのは制服組すなわち軍人ばかりなのだ。

 中でも目立つのが、カーチス・ルメイ(→Wikipedia)である。第二次世界大戦で爆撃機部隊を指揮し、特に戦略爆撃を率いた将軍だ。戦後は陸軍から独立した空軍で、SAC=戦略航空軍団(→Wikipedia)を立ち上げる。

 そのSACの任務なんだが、少なくとも上巻では東側、主にソ連への爆撃機による核攻撃なのだ。それを率いるのがイケイケなルメイ。そういう米国の体制と、それが生み出す好戦的な政策・戦略が、冷戦の緊張を生み出した、そんな内容である。少なくとも上巻は。

 内容の前に、幾つか気になった所を。

 まず、語り口なのだが、所々に著者の体験や父との関係など、私小説的な内容が入る。彼の父は国防総省に務めた将軍であり、彼も予備役の士官として訓練を受けた身なので、確かに関係はあるのだが、いささか抒情的な雰囲気が漂う。

 それに釣られてか、訳者も黒丸尚並みにルビを多用している。いや気になったってだけな案だが。

 また、登場人物の内心にまで踏み込んだ記述も多い。つまりはジャーナリストではなく作家なのだ、この著者は。

 さて、内容に戻ろう。ルメイの登場は重要な意味がある。彼は戦略爆撃、つまり民間人を巻き添えにする攻撃を進めた。そして、核兵器は否応なく民間人を巻き添えにしてしまう。この性質が、特に上巻の後半では大きな意味を持ってくる。

 話は第二次世界大戦中から始まる。といっても、戦闘場面はほとんどなく、政略・戦略の話が主になる。

 欧州で戦略爆撃の経験を積んだ米軍は、開発が成功した原爆の使用に踏み切る。ここで著著者は指摘する。元々、原爆はドイツの核開発に対抗するためだった。既にドイツに勝っているんだから、使う必要はないのでは?

 現在の米国では、こんな説が有力だ。本土上陸作戦になったら、百万近い米軍将兵が犠牲になっただろう。原爆のお陰で、その犠牲が避けられた。

 日本の民間人の被害を無視した理屈だが、米国の立場じゃそうなるだろう。現代の日本だって、北朝人民の飢えを無視して経済封鎖を続けてるし。

 話がそれた。それだけじゃなく、戦後の対ソ連を睨んだ思惑もあったのだ。トルーマンはともかく、一部の政治家には。

ジェームズ・バーンズ(→Wikipedia)「アメリカの空軍力を見せつければ、ロシアはもっと扱いやすくなるかも知れない」
  ――第2章 絶対兵器<

 そんな鼻息の荒い一部の政治家や軍人はさておき、戦争は終わった。となれば、軍は縮小され軍事予算は減る。これが嬉しくない連中は多い。予算獲得に余念がない軍人をはじめ…

ソ連がアメリカに敵意を燃やしていると強調することは、海軍や空軍の官僚機構の野心を正当化する(略)
共産主義者から距離を置こうとしていた当時の労働運動にとっても、
軍需の持続に飢えていた産業家にとっても、
金に糸目をつけない防衛研究委託の拡大を狙っていた大学にとっても、
再選を目指し国民の支持を集めようとする大統領にとっても、
好都合なことだったのである。
  ――第3章 冷戦、始まる

 と、「強大な敵」を必要とする人が、アチコチにいたのだ。これは米国に限らず現代でも似たような手口を使う権力者は珍しくない。それはともかく、実際の共産圏は、というと。

モスクワはもちろんのこと、北京やベオグラードにしても、「正常なナショナリズム」が単に「コミンテルン」のレトリックに覆われていただけ
  ――第3章 冷戦、始まる

 と、著者は見ている。お堅いマルクス主義の言葉を使って賢そうなフリしてるけど、その中身はありがちな国粋主義だ、と。「でも好戦的な事に変わりはない」と思うかもしれないが、少し違う。共産主義は、共産主義国同志がツルんで、革命を輸出しようとするのだ。それも相手国に潜入させtた手先を使って…って、まるきし今のイランだな。

 それはともかく、先に挙げたように、第二次世界大戦は終わったにも関わらず、危機感を煽ることが目的に適う者が多い中で、特に核兵器を巡りトルーマンは国内からの圧力に晒される。原爆を単なるデカい爆弾としか思っていない軍人も多いなかで…

反・全面戦争、反・原子戦争、反・予防戦争――このトルーマンの「三重の決断」
  ――第4章 現実化する被害妄想

 と、最終的にトルーマンは三つの軛をはめたのだ。本書は全般的にトルーマンに対し批判的だが、この三つを成し遂げた功績は大きいと私は思う。特に核兵器を特別扱いにした点は高く評価したい。

 そんなホワイトハウスの思惑を差し置き、戦略空軍を率いるカーチス・ルメイときたら…

ゲイサー委員会「結局のところ、(戦略空軍司令部を率いるカーチス・)ルメイは先制攻撃をする航空戦力しか築いていなかったんだ」
  ――第4章 現実化する被害妄想

 …よく戦争にならなかったなあ。あ、もちろん、先制攻撃とは、重爆撃機に搭載した核兵器による戦略爆撃、つまりソ連の軍事基地ばかりか、駅や橋などのインフラはもちろん、都市も焼け野原にする全面攻撃を示します。

 しかも、核兵器の評価が酷い。

当時の専門家たちは、核攻撃による損害を「爆発効果」という限定した尺度で計算していた。「爆発」以外の最悪の結果を排除したものだった。
  ――第5章 転換点

 爆発以外の結果とは、火災や死の灰などね。当時の米国じゃ、放射能の危険はほとんど知られてなかったのだ。核の冬が話題になるのは1980年代以降だし。ロバート・R・マキャモンの「スワン・ソング」は傑作だぜえ。

 つまりは「デカい爆弾」としか思ってなかったのだ。そんなんで、よく水爆なんか作ったなあ。それはともかく、核を持つ者たちに核被害の実態を理解させるためにも、日本原水爆被害者団体協議会のノーベル平和賞受賞の価値は大きいよね。

 ってなあたりで、下巻の紹介は次の記事で。

【関連記事】

| | コメント (0)

2025年1月 2日 (木)

SFマガジン2025年2月号

「スーザンはな」ハキームは言った。「おれたちの町の一員なんだよ」
  ――ナオミ・クリッツァー「陽の光が届かなくなった年」桐谷知未訳

「われわれはいま、雪風の世界にいるわけだな」
  ――神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」最終回

なにかがやって来た。この地にやってきた。
  ――飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第26回

 376頁の標準サイズ。

 特集は「創刊65周年記念号」として、2025オールタイム・ベストSF結果発表など。

 小説は9本+3本。連載で6本+3本、読切3本。

 連載6本+3本。新連載の辻村七子「博士とマリア」第1回,冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第57回,神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」最終回,飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第26回,吉上亮「ヴェルト」第二部第四章,夢枕獏「小角の城」第79回に加え、田丸雅智「未来図ショートショート」3本「自動のドライブ」「ドローン養蜂家」「ロボット投資」。

 読み切り3本。グレッグ・イーガン「アフター・ゼロ」山岸真訳,ナオミ・クリッツァー「陽の光が届かなくなった年」桐谷知未訳,大木芙沙子「やけにポストの多い町」。

 2025オールタイム・ベストSF。山田正紀は作家としては人気があるのに作品がベスト20に入ってないのは、多作が災いして表割れしたのか?でも「神狩り」と「宝石泥棒」はベスト50に入ってた。海外部門は米国人作家がベスト5中2人、長編作品ではベスト5中1作品なのが日本独特で面白い。東京は世界中の料理が食べられるって話もあって、案外と日本人はすべての国の文化を原則的には歓迎する姿勢なのかも。あと海外短編で「フロストとベータ」がベスト50に入ってるのが嬉しい。キャロル・エムシュウィラーの「順応性」も、アンソロジーとかに収録されればきっと人気が出るんだろうけど。

 連載小説。

 新連載の辻村七子「博士とマリア」第1回。急速な温暖化で海水面が上昇し、海沿いの地域が水没した未来。巨大企業HAはシチリガハマの調査掘削と再開発に巨大船を派遣している。作業船の副船長キンバリーは、ウオノメを削るためドクターの医療船を訪れる。無愛想なドクターと、機転が利いて愛想のいい医療用ロボットのマリアⅡ。その次に医療船を訪れたのは男女の二人組。

 いつも不機嫌でへそ曲がりなドクターと、愛想がよく気が利き客あしらいは巧みだがドクターに対しては鋭いツッコミをかますマリアⅡの会話が楽しい。少なくとも外見的には若い姿を保てるほど医療技術は発達しているが、社会全体としての医療サービス体制は何かと問題含みなあたありから、この世界の社会情勢がうっすら見えてくる。

 冲方丁「マルドゥック・アノニマス」第57回。法廷闘争では、陪審員の選任が始まった。珍しく、原告・被告ともに同じ望みを抱いている。シザースに介入されたくない。懸念は当たり、十人の陪審候補者にもシザースが紛れ込んでいる。そればかりか、シザースはウフコックに語りかけてきた。

 いよいよ終盤かと思っていたが、今回はハンターもシザースもオクトーバー一族も、大きく動き出し、まだまだ波乱は続く様子。どうもクインテットともシザースとも異なる、別の思惑を持つ何者かが裏で動いてるっぽい。

 神林長平「戦闘妖精・雪風 第五部」最終回。ジャムの気配を探る雪風。その後方にジャムの超空間通路らしき存在が発生、亜音速で雪風を追ってくる。田村大尉も飛燕で駆けつける。ジャムを暴く邪眼が。

 ジャムを目前にして緊張した場面のはずなのに、深井・桂城・田村の三人の会話は、ドツキ漫才の様相を呈しているのはなぜなのかw いや内容は真面目なんだが、特に桂城への態度がw その桂城も深井に対しかなり酷い事を言ってるしw 終盤で一応はジャムの正体が語られるが、果たして…

 飛博隆「空の園丁 廃園の天使Ⅲ」第26回。試写室では天使化した唐谷と、園丁たちの戦いが始まる。そこに乱入する遠野暁。<クレマンの年代記>の世界にも、侵入者が現れる。

 もともとシミュレーションの世界でありながら、登場人?物(の一部)は自分が計算された存在だと知っている、そういうややこしい設定のお話だったのが、今回は更に面倒くさい状況に。そして第三部完。

 吉上亮「ヴェルト」第二部第四章。サドの劇は続く。舞台にはシャルロット・コルデー(→Wikipedia)。故郷のカーンからパリへとやって来た若い女、暗殺の天使。劇が終わり、王の目の引き渡しをサドに迫るサンソン。

 歴史上の有名人を巧みに登場させる本作、今回はこうきたか、と感心する。お話の内容も実に凝ってて、サドの作った劇って体裁をとりつつ、現実と幻想の境を混乱させてゆく。おまけに時制が絡み…

 読み切り。

 グレッグ・イーガン「アフター・ゼロ」山岸真訳。温暖化が進んだ未来。かつて核融合炉で一世を風靡したラティファだが、今、ラティファの会社・質量融合社は清算手続きに入った。悪態をつき終えた時に、仲間のエミリーから連絡がきた。<散乱装置>を太陽と地球のラグランジュ・ポイント1に置き、地球に届く太陽の熱を少し減らす計画だ。

 地球と太陽の間のL1に、デカい「日傘」を置く、いわゆるソーラーシールドって発想は、幾つか提案されている。本作の発想は少し違い、レンズで拡散させる、というもの。実は私もよくわかってないが、分からなくてもお話を楽しむには問題ない。いやホント、負け惜しみじゃないって。

 ナオミ・クリッツァー「陽の光が届かなくなった年」桐谷知未訳。大気中に埃が舞い、陽がささなくなった。電力は停電が多くなり、水道水は出るが浄化が必要だ。多くの店舗は空っぽで、薬品は重要なものだけ入荷する。インターネットは通じない。わたしはタニーシャが作った「伝言板」を手伝い、近所の人たちの家を訪ね始めた。

 災害を機に、ご近所の人たちとの関係が変わってゆく。米国が舞台の災害物は「悪魔のハンマー」や「ポストマン」や「スワン・ソング」が思い浮かぶが、途切れがちながら電力が通じてるあたり、政府は存在してる模様。20世紀なら教会が大きな役割を担いそうだし、大都市ならもっと物騒な雰囲気になるだろう。そう考えると、絶妙なバランスの舞台を選んでる。

 大木芙沙子「やけにポストの多い町」。恋人の望と共に、洋平は望が生まれ育った町へやってきた。ここは日本で最も美しい夕焼けの町。そして、無線通信が通じない町。町はやたらとポストが多い。ポストは二種類。ひとつは普通の赤いポスト。もう一つは蒲公英のような黄色で、こっちが異様に多い。

 無線通信が通じない=スマートフォンが使えない、だと思っていい。実際、ソレはソレで需要があるから、時代ってのはわからない。ちょっと変わった町を訪れる、のほほんとした話かと思ったら、微妙にホラーな雰囲気になり、真相は更にその奥に。夕焼けが美しいのも、スマートフォンが通じないのも、ちゃんと理由があるのが見事。

 鯨井久志の世界SF情報、ローカス・ベストセラーリストを見てびっくり。チャイナ・ミエヴィルが、なんとキアヌ・リーブスと共著で The Book of Elsewhere なんて作品を出してる。二人に何があったんだ? と思って検索すると記事が幾つか。二人とも色々あったんだなあ。

  伴名練の戦後初期日本SF・女性小説家たちの足跡 新井素子――日本SF史に残るベストセラー作家②。やっぱりいたんだ、彼女の作品をSFだと思っていないファンが。そういう人にとって、SFな仕掛けは特別なモノではなくて、お話の作り方としてあり得る手法の一つ、みたいな位置づけなんだと思う。それだけ時代的にSFな仕掛けが普及してきたのと、新井素子の作品が広い層にウケたって事だろう。

| | コメント (0)

« 2024年12月 | トップページ | 2025年2月 »