ボブ・ホルムズ「風味は不思議 多感覚と[おいしい]の科学」原書房 堤理華訳
風味は味覚や嗅覚にとどまらず、もっと多次元なものである。五感のどれもが――味覚、嗅覚、触覚、聴覚、そして視覚さえも――風味に大きくかかわっている。
――序章トウガラシの辛さはスコヴィル値であらわされる。(略)辛味を測定するには、被験者が辛味を感じなくなるまでトウガラシエキスを希釈すればいい
――第3章 「痛い」はおいしい 痛覚・触覚風味を味わうのは口だけではない。耳でも味わうのである。
――第4章 脳とワイン 聴覚・視覚・思考なぜ風味は口に存在するような気がするのだろう?
――第4章 脳とワイン 聴覚・視覚・思考表現しようとする努力が意識の集中につながり、意識の集中が風味体験の豊かさにつながってゆくことだ。
――終章
【どんな本?】
「おししい」は、何からできているのか。普通の人はこう思う。「それは味だろう」と。間違ってはいない。確かに、味も「おいしい」を形作る大事な要素の一つだ。
色が何で構成されているのか、知っている人は多い。コンピュータはRGB(赤青緑)の三色で色を表す。つまり、色の構成要素は3色だ。では、味の構成要素は?
甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の5種と言われる。だが、うま味が科学的に認められたのは最近だ。実は今のところ…
基本味の数さえ、科学界では合意にいたっていない。
――第1章 ブロッコリートニック 味覚
つまり、他の構成要素があると主張する科学者も多い。そして、加えるべき構成要素は、学者によって意見が異なる。
また、高級レストランは店内の飾りつけや食器にも気を配る。つまり視覚も「おいしい」を支える要素なのだ。
もちろん、香りも重大な役割を果たす。風邪をひいて鼻が詰まると、食事が味気なくなる。あれは嗅覚が麻痺するためだ。時として、「おいしい」に香りは決定的な役割を果たす。
他にも、マリアージュなんて言葉もある。つまりは「組み合わせ」だ。肴にこだわる酒飲みは多い。本書の冒頭に、その理由が書いてある。適切な酒と肴は、互いが互いを引き立てるのだ。
何が「おいしい」を形作るのか。ブロッコリーが苦手な人と好きな人がいるのはなぜか。なぜ私たちは高カロリーの食べ物に惹かれるのか。そして、食品会社は、私たちに買わせるために、どんな工夫をしているのか。
ベテランのサイエンスライターが、「おいしい」を形作る要素を追求し、追及する人たちの研究や開発を紹介し、時として自ら体を張って様々な風味を味わい、「おいしい」の正体を探る、一般向けの科学解説書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Flavor: The Science of Our Most Neglected Sense, by Bob Holmes, 2017。日本語版は2018年3月26日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約304頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×304頁=約235,296字、400字詰め原稿用紙で約589枚。文庫なら普通の厚さ。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。酢酸エチルなど化学物質の名前が出てくるが、「そういうモノがあるのね」ぐらいに考えておこう。ただ、出てくる食材や料理が欧米風なので、時おり通じない所もある。ビールには枝豆だよね、ピーナツじゃなく。
【構成は?】
各種は独立しているが、序章から第5章までは似たテーマ「ソレをヒトはどう感じるか」を扱っているので、できれば通して読もう。
- 序章
- 第1章 ブロッコリートニック 味覚
- 第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚
- 第3章 「痛い」はおいしい 痛覚・触覚
- 第4章 脳とワイン 聴覚・視覚・思考
- 第5章 飢えを満たす 栄養・遺伝・学習
- 第6章 「イグアナ味」の可能性 フレーバー産業
- 第7章 極上のトマト 農業
- 第8章 ヒトとコンピュータ 調理法
- 終章
- 謝辞/訳者あとがき/注
【感想は?】
ツカミが巧い。この本は、ビールとピーナツから始まる。なぜ、この二つは「合う」のか。
日本人ならビールと枝豆か日本酒と塩辛を思い浮かべよう。理屈は同じだ。塩辛いモノは、味覚を変化させて酒の風味を引き立てるのだ。
ここで、私は一気に引き込まれた。「おいしい」は、「その料理」の味だけではなく、その時のヒトの状態も関係しているのだ。では、「おいしい」を形づくるヒトの状態には、何がどう関わっているのか。
ところが、これが一筋縄じゃいかない。今まで科学者は「おいしい」の研究にあまり携わってこなかった。そして、調べてみると、思ったより複雑であることが分かってきた。
「おいしい」は、進化の過程で得た感覚だ。だから、こんな仮説が成り立つ。野生状態で生きのびるのに役立つ食べ物を「おいしい」と感じ、毒など害があるモノを「マズい」と感じる。
役立つ食べ物の代表は、カロリーが高い食べ物、つまりデンプンや糖や油だ。私たちはカロリーに惹きつけられる。これは思ったより深刻で…
現在、全身に味覚受容体が存在することがわかってきた――腸、脳、肺にさえある。
――第1章 ブロッコリートニック 味覚
つまり、カロリーが高い食べ物は、体全体が喜ぶのだ。ダイエットが難しい所以である。しかも、ヒトが経験から学ぶ。頭で、ではない。体が覚えてしまうのだ。
(ブルックリン大学のアンソニー・)スクラファニは学習に関与する栄養受容体が、胃のすぐ下、小腸が始まる部分にあることを突き止めた。ここは、病的肥満患者の胃バイパス術の際に外科医が切除する領域である。
――第5章 飢えを満たす 栄養・遺伝・学習
体重が気になる人には、なんとも恐ろしい話である。私たちは皆、カロリー中毒なのだ。
もちろん、進化の過程で得たのは味覚だけではない。嗅覚も重要な役割を果たす。ヒトは腐った臭いを嫌う。いや納豆とかドリアンとか例外もあるけど、あれは学習によって「これは大丈夫」と学んだ結果である。
と、やっと本書の主要テーマに来た。風味を形作る、味覚と並ぶ大事な要素、嗅覚の話だ。
味覚の研究者は五要素に納得していない。そして嗅覚の研究者は、基本要素が幾つあるのかすら見当がついていない。そもそも…
嗅細胞がにおい分子を認識する仕組みについてさえ科学界は合意にいたっていない
――第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚
と、「動物はどうやってにおいを認識しているのか」すら、定説が定まっていない。ただ、脳とのつながりが、他の五感とは異なるのは分かっている。ばかりでなく…
生物学者が調べてみたら身体のいたるところでにおい受容体が見つかった。精巣、前立腺、乳房、胎盤、筋肉、腎臓、脳、腸などである。
――第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚
と、においもまた、全身で味わっているのだ。また、鼻でかぐ香りも、口に入れる前と後とで、味わい方が異なっている。ガムなど、噛むと香りが高まるのは、私たちの体がそうできていて、お菓子メーカーもソレを利用しているからだ。
だけでなく、嗅覚も人によって異なるらしい。これは学習によるものではなく、遺伝子が違うのである。あなたが味わっている香りは、あなただけの感覚なのだ。
誰もが独自の風味世界で生きている。
――第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚
そのガム、香りはお菓子メーカーがつけている。この食品に添加する香料を研究・開発しているのが香料メーカーだ。ここで活躍するのがガスクロマトグラフ。
この装置はガスクロマトグラフというもので、分子が長いらせん状の管を移動するときの速度の違いを利用して分離を行う。移動速度は、それぞれの分子の大きさ、形、電荷によって異なる。管が十分長ければ分子は種類ごとに時間をあけて到着するので、ゴールで待ちうけている化学者は、順番にそれを捕まえ、特定すればいい。
――第6章 「イグアナ味」の可能性 フレーバー産業
一般に香料メーカーはガードが硬いのだが、なんとか取材に漕ぎつけ、引き出した話も実に面白い。彼らの仕事は、楽器のシンセサイザーで音を作る過程に、ちょっと雰囲気が似てるな、と感じた。ただ、あまし表立ってアピールしないのが香料メーカーの特徴。
食品会社が香料メーカーとの関係に神経をとがらせ、それを受けてジボダン社などが顧客情報を絶対に明かさないようにしているのは、社会に根強く存在する化学物質恐怖症がその大きな理由である。
――第6章 「イグアナ味」の可能性 フレーバー産業
終盤では食材にまで踏み込んでいく。野菜や果物の風味が昔とは違ってきたと感じる人には、ちと切ない話が出てくる。普通の農家は、収穫量を重んじる。その結果、風味が犠牲になっているのだ。
「葉は糖分を生産する工場、果実は消費者だと考えてください。1970年から今日までの推移を見ると、実が大きくなって収量はおよそ3倍にまで伸びました。(略)実が大きくなりすぎて葉が養分を供給しきれない(略)」
――第7章 極上のトマト 農業
いわゆる「大味」になっているのだ。その分、ニンジンなどはエグミも減ってる気がするんだが、どうなんだろ。
さて、冒頭でビールとピーナツのマリアージュの話をした。組み合わせが二つならともかく、これが三つ四つと増えると、n!のオーダーで組み合わせの数が増えてゆく。そりゃもう、爆発的に。だもんで、例えばピザのトッピングなどを選ぶのは、慣れないと相当に難しい。この問題に光を当てたのが、CIA出身者。
CIAで訓練を受けたシェフで、当時コーネル大学に所属していた知覚科学者のマイケル・ネストラッドは、グラフ理論という難解な数学の手法を用いれば魅力的な食材の組み合わせをすばやく検索でき、ピザのトッピング問題に新たな光をあてられることに気がついた。
――第8章 ヒトとコンピュータ 調理法
これに注目したのが…
ネストラッドの手法に強い関心を示した団体があった。おいしい軍用食の開発を切望しているアメリカ陸軍である。
――第8章 ヒトとコンピュータ 調理法
「戦争がつくった現代の食卓」でパトロンとなった合衆国陸軍だ。要は携帯食(MRE、→Wikipedia)を、どういう組み合わせにしようか、って問題なんだが。
あ、ちなみに、こののCIAは Culinary Institute of America、料理学校ね。
ガードが硬い香料メーカーにも突撃したように、著者は様々な研究者たちに突撃し、実際に自分で味わい、その体験が結実したのが本書だ。ハバネロに挑むあたりは、なかなかの迫力だ。「おいしい」は、何からできているのか。美味しいものが好きで、少々変わった食材にも果敢に挑むタイプの人にお薦め。
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