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2024年12月の5件の記事

2024年12月27日 (金)

テリー・ブレヴァートン「世界の発明発見歴史百科」原書房 日暮雅通訳

ここでは学習行為や科学技術一般に大きく貢献した人物を、もれなくとりあげるようにした。ただし、芸術家はどんなに偉大でもとりあげていない。
  ――はじめに

2005年、≪Forbes.com≫の読者と専門家たち(略)“歴史上の重要な道具トップ20”に選ばれたのは、1位から順にナイフ、そろばん、方位磁石、鉛筆、ハーネス(馬具)、鎌、ライフル銃、剣、眼鏡、のこぎり、時計、旋盤、針、ろうそく、天秤、鍋、望遠鏡、水準器、釣針、のみである。
  ――1章 テクノロジーの夜明け

【どんな本?】

 人類の文明は、多くの発明・発見に支えられている。中には火や言語など、いつ誰が発明したのか知りようがないものもあるし、近年に整った特許制度などにより、発明者がはっきり特定できる場合もある。

 人類黎明期のナイフから産業革命の契機となったジェニー紡績機、そして最近のウィキペディアまで、人類文明を発展させた発明・発見を集め語る、歴史と科学と技術の百科事典。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Breverton's Encyclopedia of Inventions: A Compendium of Technological Leaps, Groundbreaking Discoveries and Scientific Breakthroughs that Changed the World, by Terry Breverton, 2012。日本語版は2015年9月28日第1刷。単行本ハードカバー横二段組み本文約392頁。9ポイント18字×36行×2段×392頁=約508,032字、400字詰め原稿用紙で約1,271枚。文庫なら厚めの上下巻か薄い上中下巻ぐらいの分量。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容のわかりやすさは項目による。各項目に割り当てられた文字数が少ないので、どうしても説明は駆け足になる。そのため複雑な内容は「わかってる人にしか伝わらない」感じになってしまう。そもそも事典なので、本書で科学・技術的な詳細を理解するのは無理、と覚悟しよう。

【構成は?】

 ご覧の通り、時代ごとに8章に分かれている。各章の構成はモロに事典だ。各項目は1~2頁で、見出しは名称・年代・発明/発見者・発明/発見者の生没年・国。その後に説明文が続く。そんな形なので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

 また3頁に1個ぐらいの割合で、各項目と関係はあるが独立した10~40行程度の記事があり、ちょっとした「箸休め」になっていて飽きない。

  • はじめに
  • 1章 テクノロジーの夜明け
  • 2章 古代世界の天才たち
  • 3章 刷新の時代
  • 4章 ルネサンス技術と科学革命
  • 5章 産業革命
  • 6章 新たな技術革新
  • 7章 電気と電子の時代
  • 8章 デジタルの世界
  •  参考資料/索引

【感想は?】

 そもそも、事典は読むモノなのか?

 そういう疑問を持つ人も多いだろう。そういう人には薦めない。

 だが、世の中には「Wikipedia を手繰ってると無限に時間を食いつぶしてしまう」なんて人もいる。私もその一人だ。本書は、そういう人のための本だ。特に、技術史や科学史に興味がある人の。

 Wikipedia に比べると、本書の各項目はやや短い。それだけ各項目を読み終えるのも速く、目先がクルクル変わるので飽きない。反面、お話としてはアッサリしすぎていて、やや食い足りない気分になるかも。

 最初の項目はナイフ、紀元前260万年。ナイフったって十徳ナイフみたいな精巧なモんじゃない。石を割って作った、つまりは石器だ。当然ながら発明者は不明。もしかしたら他の発明品があるかもしれないし、素材も石じゃなくて木かもしれないが、確たる証拠が残ってるのは石のナイフぐらいだ。

 続いて約3万年前の釣り針,同じく約3万年前の縫い針,紀元前9500~9000年頃のひき臼と、発明者がわからない項目が続く。と思ったら、弓矢の次の船で発明者はフェニキア人ウソウスと出た。ソースは「フェニキア人歴史家サンクニアトン(紀元前700年頃)が残したフェニキア史のギリシア語訳」。

 ウソウスは他にも火を熾す方法や衣服を作ったとあるが、息子の名前が出てきたり、なんか神話っぽい。まあフェニキア人は古代に東地中海を航海し商人として活躍したから、船の発明者としては相応しいよね。

 などと名前が出てきても、なんか怪しい「1章 テクノロジーの夜明け」に続き、「2章 古代世界の天才たち」はそこそこ信用できて、中には現代でも通用するシロモノが出てきたり。

『原論』は史上最も広く使われた教科書
  ――2章 古代世界の天才たち

 そう、ユークリッドの『原論』だ。ちなみに「ベストセラーの世界史」によると、聖書に次ぐ世界第二のベストセラーだとか。

 一気に飛んで「4章 ルネサンス技術と科学革命」では、クーサのニコラスの発想が凄い。なお日本の表記はニコラウス・クザーヌス(→Wikipedia)が多い。1440年に当時の天動説を否定するばかりか、惑星の軌道は円ではないと主張した。その根拠が、なんと…

この世界に完全な円は存在し得ないと、(クーサの)ニコラスは述べている。
  ――4章 ルネサンス技術と科学革命

 その発想はなかった。でも、言われてみればその通りなんだよなあ。

 この章では、1557年ロバート・レコードによる「等号」なんてのもある。数式が現在の形になったのは、意外と最近のことらしい。

 20世紀も中盤以降になると発明の経緯も詳しくわかってくる。数学や科学や技術に加え、こんなのも。

シマウマ模様の横断歩道 1949年 ジョージ・チャールズワース 1917~2011年/イングランド
  ――8章 デジタルの世界

 ビートルズのアビイ・ロードの表紙がああなったのは、彼のお陰なのだw そういえば、センターラインも偉大な発明だよね。

 横断歩道は国家の後ろ盾があっての発明だけど、民間の発明は必ずしも関係されるとは限らない。

ソニー製品取り扱い業者の10社に8社は録音機能のないカセット・プレーヤーに未来はないと確信していた。
  ――8章 デジタルの世界

 って、ウォークマンの事です。それでも若い人には通じないかも。昔は一つの媒体に30分~120分ぐらいしか入らなかったんだぞ。90分用テープだとLP2枚分ぐらいでねえ…

 とかは商品価値を見抜けなかったって話だけど、倫理的に受け入れられないってモノもある。AK47などの兵器ならわかるが…

ウィレム・ヨハン・コルフ「人工心臓をほしがる人はいない――それがなければ2日後には死ぬというのでないかぎり」
  ――8章 デジタルの世界

 と、人口の臓器も昔は嫌われたらしい。じゃ入れ歯はどうなんだろ?

 コラムでは、観察の重要性を説くウィリアム・オスラー (→Wikipedia)先生のネタが楽しい。こんな講義を受けたら、そりゃ学生さんも身に染みて理解できただろうなあw

 ところで他の国は「アメリカ」や「フランス」などの記述なのに、イギリスだけウェールズやスコットランドやイングランドなどとなっているのは、原書の出版事情か。

 事典とはいえ、調べものに使う雰囲気じゃない。私のように「事典は読み物」「Wikipedia を彷徨うと時間が溶ける」類の人に向けた、雑学を集めた本だと思ってほしい。そういうタイプで、数学史・科学史・技術史に興味がある人にお薦め。

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2024年12月22日 (日)

D・C・A・ヒルマン「麻薬の文化史 女神の贈り物」青土社 森夏樹訳

古代社会はいとも容易に麻薬を目にすることのできた社会だった。その社会にいる者はだれひとりとして、精神に変容をもたらす薬物の使用に違和感をもつ者などいない。
  ――はじめに

学者たちが出した統計上の推論によると、ギリシア・ローマ世界に住む人の60%が、何らかの感染症(伝染病)で死んでいるという。
  ――1 古代世界は過酷だった

プロメテウスの血はケシを生み出した。そしてケシは鎮痛作用のあるアヘンを生んだ。プロメテウスは麻薬を与えることによって、人間を啓発し教化したのである。
  ――4 プロメテウスの至福感

古代の世界は、麻薬のトリップによってもたらされた妄想と、器質的な脳の病気が原因で起きる精神障害との間をまったく弁別しなかった。
  ――7 哲学者は魔術師だった

【どんな本?】

 現代文明のルーツは古代ギリシア・古代ローマだ、と西欧人は見なす。その古代人には、意外な側面があった。麻薬の使用である。古代人は多種多様な植物について広く深く知識を蓄えており、精神状態を変化させる植物すなわち麻薬についてもよく知っていた。そしてためらいなく利用したのである。

 細菌学と西洋古典学を修め、特に古典学の博士号を得た米国人の著者が、知られざる古代人と麻薬の関係を暴く、異端の歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Chemical Muse : Drug Use and the Roots of Western Civilization, by D. C. A. Hillman, 2008。日本語版は2009年5月15日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約322頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント46字×19行×322頁=約281,428字、400字詰め原稿用紙で約704枚。文庫ならちょい厚め。

 学者が書いた本のわりに、文章は比較的に親しみやすい。内容も特に難しくない。敢えて言うなら、アヘンはケシから、マリファナは大麻から作る、ぐらいは知っていた方がいいかも。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

クリックで詳細表示
  • はじめに
    博士論文審査委員会/向精神性麻薬/西洋文明の創建者たち/麻薬撲滅運動/デモクラシー/ナンシー・レーガン/アヘンケシ/ベラドンナ/魔術師/インスピレーション/アクタイオン/のぞき見トム
  • 1 古代世界は過酷だった
    自然の災厄/平均余命/ヴェスヴィオ山/サントリーニ島(テラ島)/大プリニウス『博物誌』/ユウェナリス/大火災/イナゴの大発生/毒ヘビ/ハチミツ色のサソリ/狂犬病=狂水病/瀉血術/疫病(流行病)/ペリクレス/破傷風の恐怖/性行為感染症/ヒッポクラテス/戦争と暴力/背教者ユリアヌス/「パンと見世物」
  • 2 どんな麻薬を使っていたか
    ファルマコン/麻薬の大データベース/植物性麻薬/ケルスス『医術について』/生体解剖/治療者(ヒーラー)/シャーマン/ピュタゴラス/ヒッポクラテスの誓い/テオフラストス『植物誌』/ガレノス/体液病理学/動物の生成物/レテ(忘却の川)/麻薬の過剰投与/ヘリボー/幼児遺棄/カストリウム(海狸香)/二次代謝物/アルカロイド
  • 3 ギリシア人もローマ人も麻薬常習者だった
    アリストパネス/抗コリン作用薬/体外離脱体験/デモクリトス/コーピング機構/薬物耐性/麻薬常用癖/アヘンケシ/オピオイド受容体/モルヒネ/『アヘン常用者の告白』/マリファナ/ニガヨモギ/CAS(中枢性抗コリン症候群)/失見当識/毒素(トキシン)/ドクニンジン/デュオニッソスの祭儀/『バッコスの信女たち』
  • 4 プロメテウスの至福感
    麻薬神話/アンブロシアとネクタル/イコル(霊液)/『イリアス』/プロメテウス神話/アイスキュロス『縛られたプロメテウス』/プロメテウスの麻薬/狂気/エレウシスの秘儀/通過儀礼/プルタルコス『食卓歓談集』/70人訳聖書/ポリュペモス/田園詩人テオクリトス/オウィディウス『変身物語』/ナルキッソス/ナルシシズム
  • 5 月を引きずり下ろす
    魔法使い/魔術師/東方魔術と西方魔術/マギ/ゾロアスター教/ファルマケウス/魔術の儀式/性欲促進薬/ほれ薬/ゲッケイジュ/デルフォイの巫女/ギリシア語魔術パピルス/オカルト科学/メディア/金色の羊皮/アポロニオス『アルゴナウティカ』/魔女/アプレイウス『黄金のロバ』/啓蒙思想
  • 6 神の贈り物
    ヘシオドス/九人のムーサイ(詩歌女神)/ムセイオン(王立学術研究所)/ロトバゴイ人/オデュッセウス/反戦運動家/ヒッピー/トロイア戦争/ネペンテス/ウェルギリウス『アエネイス』/カルタゴの女王ディドー/復讐の女神アレクトー/オウィディウス『悲しみの歌』/レテ(忘却の川)/ノカンドロス『毒物誌』
  • 7 哲学者は魔術師だった
    ディオゲネス・ラエルティオス/ギュムノソフィステス/ドルイド/ソクラテス以前の哲学者たち/イオニア学派/アナクシマンドロス/エピメニデス/根を切る人/マンドレーク/「雅歌」/秘儀/霊魂の転生/菜食主義/エンペドクレス/四元素/原子論/アカデメイア/狂気(マニア)/プラトン『パイドロス』
  • 8 麻薬とデモクラシーの関係
    市民的自由/急進的デモクラシー/言論の自由/ソロン/ペリクレス/民会(エレクシア)/評議会(ブレ)/エレウテリア/イソノミア/有痛排尿困難/『女だけの祭り』/節制狂信者/クレタ島のハナハッカ/硬膜外麻酔/エウリピデス『アンドロマケ』/ヘロット/エレウシスの秘儀/麦角菌/イニシエーション
  • エピローグ 幸福の追求
    フリーダムとリバティ―/マケドニア人/アテナイの陪審裁判/禁酒運動/コカイン/マリファナ/アスピリン/古代史の未踏のフロンティア/薬理学/糖尿病/老人性痴呆症/古代人の道徳観/禁酒法/アルコール/麻薬撲滅戦争/麻薬立法/20世紀の十字軍/反麻薬政策
  • 原注/参考文献/訳者あとがき/索引

【感想は?】

 本書のテーマは面白い。それ以上に、本書が成立した背景と経緯が興味深い。

 なんたって、著者が本書を書いた動機が楽しい。「儂の説を認めなかった学会に復讐してやる」なのだ。

 ここで言う学会は、古典学界である。それも西洋古典学(→Wikipedia)だ。

 日本にも古典の文献を研究する学者はいる。史学者や古典文学者だ。だが、西洋古典学は、他の文化の古典学とは、いささか毛色と思想・矜持が異なる。

 西洋古典学が扱うのは、古代ギリシアと古代ローマだ。そして西洋古典学者はこう考えている。「現代社会の文明・文化そしてデモクラシーの基礎は古代のギリシアとローマが創り上げた。中世は闇に閉ざされたが、ルネサンスで掘り起こされ、現代に繋がった」。そして、自分たち古典学者は、文芸復興を成し遂げた人文主義者たちの後を継ぐ者だと思っている。

 この思想には、ギリシア・ローマ文明を受け継ぎ中世の欧州へと橋渡ししたアラビア社会がスッポリ抜け落ちてるんだが、それは置いて。

 そんな古典学者たち、は古代人(古代ギリシア人と古代ローマ人)を深く敬っている、日本の史学者や古典文学研究者も紫式部や大伴家持を敬っているだろうが、それは優れた創作者としてだ。西洋古典学者はワケが違う。彼らは文明とデモクラシーの創始者として、古代人を敬っているのだ。

ギリシアの哲学者たちの考え方から西欧世界は、社会的そして文化的な可能性という富を受け継いだ。
  ――7 哲学者は魔術師だった

古典文明の受益者であるわれわれ西欧人
  ――エピローグ 幸福の追求

 そのため、多くの古典学者は古代人の重要な側面を認めない。それは古代人と麻薬の関係だ。主流の古典学者は、こう主張する。「偉大な古典人がジャンキーのハズがない」。これに対し異論を唱えるのが本書だ。

古代人たちはすぐに利用できる植物性の麻薬を、それも驚くほど多種多様に持っていた。
  ――2 どんな麻薬を使っていたか

 本書で言う「麻薬」は、向精神薬を示す。具体的にはアヘン・ニガヨモギ・大麻・ドクニンジンなどで、精神だけでなく肉体にも影響を及ぼす。どんな目的で使っていたのか、というと。

古代の麻薬が果たした役割は大きくふうたつに分けることができる。ひとつは微生物や寄生虫の成長を抑制すること。もうひとつは直接人間の生理機能を変化させること。
  ――2 どんな麻薬を使っていたか

 本書には松ヤニなどの記述もある。恐らくその効果は消毒だろう。だが、本書が主に扱うのは次の目的、「人間の生理機能を変化」だ。これに対し、古代人はとても鷹揚で、不道徳なモノとは考えていない。

それ(麻薬)に依存している彼らを恥じて非難する者もいなかった。
  ――3 ギリシア人もローマ人も麻薬常習者だった

 だから、当然ながら当局も取り締まったりはしない。どころか、普通に栽培していたりする。

(古代ローマの博物学者)プリニウス(→Wikipedia)は、アヘンケシを、典型的なローマの家族によって栽培される、ありふれた植物のひとつとして分類している。
  ――3 ギリシア人もローマ人も麻薬常習者だった

 このケシ、決して食用の種を採るためじゃない。まさしくアヘンの原料として、だ。

プリニウスが(著作の植物誌で)アヘンを集めるプロセスを描写している。
  ――3 ギリシア人もローマ人も麻薬常習者だった

 「おいおい大丈夫かよ、アヘンってヤバいんじゃねえの?」と思われるかもしれない。その通り、たいていの向精神薬は使い方によっちゃヤバい。分かりやすいのでオーバードーズ=過剰摂取とか。つか、使い方次第でヤバいのは向精神薬に限らず、すべての薬がそうだ。その辺は古代人も心得ていたようで。

アテナイで法律上、麻薬の使用が禁じられているただひとつのケースは、武器として麻薬を使用することだった。
  ――8 麻薬とデモクラシーの関係

 と、使い方によっちゃ毒になると古代人は知っていたのだ。というより、なんであれ当時の薬は多少ヤバかったんだろう。今みたく精密で清潔な工場で作るワケじゃないし、そもそも医学が発達してない。とまれ、人類と麻薬の付き合いは相当に長いようで。

新石器時代の集落が、ケシと人間との長い関わりの歴史を証言してくれる。
  ――3 ギリシア人もローマ人も麻薬常習者だった

 古代ギリシアも、一から薬学を築いたワケでもなく、恐らくエジプトあたりの知識を引き継いでる。

古典期のギリシア・ローマ社会が台頭するはるか以前に、地中海で麻薬の交易が活発に行われていた
  ――3 ギリシア人もローマ人も麻薬常習者だった

 どうもアヘンは相当に味がマズいらしく、古代人はぶどう酒に混ぜて飲んでいる。そういった麻薬との関わりは多くの文書で確認できる。また、創作物にも影響があり、当時の人々が麻薬に馴染んでいるのを反映して、説明なしに麻薬が登場するのだ。

(詩人)アポロニオス(→WIkipedia)は、(著作アルゴナウティカ:Wikipedia の中でイアソンの妻)メディアが魔術に長けていたなどとはひとこともいっていない。それとは反対に、彼は彼女が麻薬のもつ力を十分に理解していたといっている。
  ――5 月を引きずり下ろす

 アルゴナウティカは、アルゴー船の冒険を描く物語。なお、ここで描かれるメディアとイアソンの関係は、英雄イアソンの幻想を粉々に打ち砕くので、好きな人は覚悟しよう。

 アポロニウスは薬物の効果について、著作内じゃ特に説明していない。現代日本の小説家がコンビニエンス・ストアについて詳しく説明する必要を感じないように、アポロニウスも聴衆に麻薬を説明する必要を感じなかった。当時の普通の人にとって、薬物は常識だったのだ。

 などと書いているが、少し不自然に感じる事もある。古典学者の態度だ。というのも、古代人ぶどう酒を盛んに飲んだのは、古典学者は認めるのだ。アルコールはOKで麻薬はダメというのは、なんか釈然としない。どっちも向精神薬なのに。いや確かに現代の法じゃアヘンは違法だけど、今と昔で法や倫理が異なるぐらい、古典学者なら充分に身に染みているはずだ。

 あ、それと、エジプトじゃビールでギリシアはぶどう酒なのは、なぜだろう? 気候の違いだろうか。

 まあいい。終盤では、アテナイにおける麻薬使用の自由さを訴える勢いが強すぎて、実は著者は麻薬合法化論者じゃないか、とまで思えてくる。それはともかく、古代の薬物の文献を調べ新薬研究に役立てろ、との意見にはいささかの説得力がある。実際、中国じゃ漢方薬を調べてマラリアの特効薬アルテミシニン(→Wikipedia)を見つけ、リーダーの屠呦呦は2015年のノーベル生理学・医学賞に輝いているからだ。

 学会の主流への反逆ってだけでもヲタクには美味しいのに、「4 プロメテウスの至福感」あたりは神話の新解釈なんてご馳走まで揃ってたり。アルゴー船の冒険も、著者の手にかかれば全く別の物語になる。が、やはり最も惹かれるのは、古代ギリシアや古代ローマに興味がある人だろう。特にスパルタよりアテナイが贔屓の人にお薦め。

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2024年12月17日 (火)

市川哲史「もうすぐエピタフ どうしてプログレを好きになってしまったんだろう#9第三印象」シンコーミュージックエンタテイメント

熱心に聴く者を<深読み>という魔界の迷宮にもれなく誘うのがキング・クリムゾンなのである。
  ――§6 いまさらの『キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて』読書感想文

【どんな本?】

 市川哲史のプログレ漫談第三弾。

 1970年代前半に成立した、やたら大袈裟で神秘的風で頭よさげで演奏時間が長い芸風は、こじらせた一部の人々の心を掴んだのも束の間、時代はパンクやニューウェーヴが席巻し、あっという間に時代遅れとなってしまった悲劇の音楽スタイル、プログレッシヴ・ロック。

 だが若者の心に刻み付いたトラウマは老いてなお疼き、今なお熾火のような信仰心は消えず、記念ボックスセットが出ればお布施をはずんでしまう老人たちが、自嘲混じりに語る終活まがいの茶飲み話。

 などとグダグダ書いてるけど、要は洋楽中心の音楽ライターが書いたエッセイ本です。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2024年2月29日初版発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約472頁。9ポイント38字×18行×472頁=約322,848字、400字詰め原稿用紙で約808枚。。文庫なら厚い一冊か薄めの上下巻ぐらい。

 文章は相変わらずクセの強い市川節なので、好き嫌いはハッキリ別れるだろう。というか、そもそもネタがネタだけに、その気のある人しか手に取らないから、気にしてもしょうがないよね。

【構成は?】

 各章は独立しているので、気になる所だけを拾い読みすればいい。

クリックで詳細表示
  • 第1章 In the Goal of the Crimson King
    ラスト・キング・クリムゾン
  • §1 まずは、さよならキング・クリムゾン。
  • §2 渡辺明とロバート・フリップ 伊奈めぐみとトーヤ
  • 第2章 Sweet Dreams Are Made Of 89's
    プログレとニュー・ウェイヴとニューロマと
  • §3 ジャコと豆の木 ジャコ・ジャクジクが<ポール・ヤング>に憧れた日
  • §4 <UDO Music Festival>よ永遠に こんなところにポーキュパイン・ツリー
  • 第3章 21st Century Schizoid Men in Japan
    「妄想」は荒野をめざす
  • §5 どうして日本人はキング・クリムゾンを唄いたがるのだろう?
    マツコの知らないプログレ日本語カヴァーの世界
  • §6 いまさらの『キング・クリムゾン 至高の音宇宙を求めて』読書感想文
  • 第4章 For Juniors Who Grow Progressive in the Night
    夜ごとプログレる世代のために
  • §7 とあるキャメルの「不運」
  • §8 存在の耐えられ「る」軽さ:どうしてヒュー・サイムはラッシュやドリーム・シアターから重用されたのだろう
  • §9 わたしがピンク・フロイドである(パート3)
  • 第5章 The Thirty-Second Day
    シン・シルヴィアン&フリップ
  • §10 シルヴィアン・カートゥル
  • §11 32回目の<ザ・ファースト・デイ>
  • もういくつ寝るとエピタフ
  • どうしてプログレを好きになってしまったんだろう(リプライズ)
  • ボーナス・チラック
  • §12 ライナーノーツは氷山の一角
    ⅰ グリーンスレイド「ライヴ・マナーズ・ボックス 1973-2001」
    ⅱ ブランドX「ライヴボックス/オフィシャル・ブートレグ」
    ⅲ リック・ウェイクマン「真説・地底探検」~「ロックンロール・プロフェット」(メドレー)
    ⅳ ギラン「ライヴ・マジック/オフィシャル・ブートレグ」
    ⅴ サッド・カフェ「悲しき酒場の唄」~「殺怒珈琲Ⅱ」~「虚飾の扉」~「ラ・ディダ」~「ライヴ」~「オーレ」(メドレー)+WAX「マグネチック・ヘヴン」~「アメリカン・イングリッシュ」(アブリッジド)
  • §13 ニナ・ハーゲンは歴代最強の<ジャーマン・プログレ>である。
  • §14 消えたVHS (たぶん)二度と陽の目を見ないピンク・フロイド
  • 初出一覧

【感想は?】

 なんか縁起でもないタイトルだと思ったが、ちゃんと事情があったのだ。あくまでも著者の事情なんだけど、身につまされる読者もおおいだろう、きっと。

 前作はいきなり冒頭で二番煎じ宣言をしていたが、第三弾は開き直ったのか著者本人の経験談が多くなったり、ディスコグラフィーからミュージシャンたちの足跡を辿ったりと、だいぶ毛色が違ってきてる。

 とはいえ、相変わらず最も多くの頁数を占めているのはキング・クリムゾンというかロバート・フリップなのは、著者の趣味なんだろうなあ。そのくせ<後だしジャンケンの帝王>だの<屁理屈の暴力>だのと悪口三昧なのはなぜだw

 そのフリップ先生が珍しく絶賛しているのがデビッド・シルヴィアン。フリップ先生ばかりでなく著者も思い入れが強いようで、先生に次ぐ頁数を占めている。本人も周辺の人も面倒くさい屁理屈が続く中で、フェアチャイルドのYOUのあけすけな本音丸出しが一服の清涼剤だったり。ほんと、これぐらい欲望に忠実だと、いっそ清々しい。屁理屈の多いプログレ者は見習うべし。

 さて、ロバート・フリップの悪口で出たように、かつての古舘一郎アナウンサーのプロレス中継のようなインパクトの強いフレーズは今回も健在どころか、<情緒の当て逃げ常習犯><カンタベリー金太郎飴><ギターが上手なキース・リチャーズ><史上最強の文系ロック><補集合アンサンブル><洋楽界の少年ジャンプ>と更にパワーを増してる感がある。

 などのやや失礼なレッテルだけでなく、<服を着たテレキャスター>や<宇宙一の二重唱>など、胸張って本人にも言えそうな、売り込みにも使える言葉も出てくるのは、やはり文筆で食ってきたプロの技なんだろうか。

 そんな中で私がもっとも嬉しかったのが、なんとキャメルが登場する事。まあ名前はキャメルだけど、実質的にはアンディ・ラティマーの話が中心。色々あるが、私もラティマーは歌わない方がいいと思う。つか、ちゃんとしたシンガー雇えよ。曲も演奏も良いのに、アンディの歌が台無しにしてる。

 ここで著者はアルバムじゃ「雨のシルエット」を推してて、「ほう」と思ったんだが、本書を全部読み通してわかった。メル・コリンズが好きなのだ、著者は。にしても、よくぞキャメルに入って下さいました、メル・コリンズ。ココモとかを聴くと、キャメルが長く続かなかったのも頷ける。

 どうもミュージシャンは2種類、バンドの人とセッション・ミュージシャンの人がいて、アンディ・ラティマーは前者、メル・コリンズは後者らしい。そういえば一時期流行ったな、セッション・ミュージシャンが集まったバンド。TOTOとかSTUFFとか。

 などと持ち上げる推しに対し、ビル・ブルフォードは相変わらず罵りまくりw 文句は言うが腕は認めてるので「魂はこれっぽっちも籠っていない」と、これもうイチャモンだよねw

 そんなクリムゾン人脈大登場なのが「§5 どうして日本人はキング・クリムゾンを唄いたがるのだろう?」。なぜかプロレスの話で始まるこの章、1970年代後半~2000年代前半までのクリムゾン人脈が参加した日本人ミュージシャンの作品一覧が載ってて、良く調べたなあと感心する。ブルフォードもよく出てくるが、トニー・レヴィンも引っ張りだこだ。

 この章の終盤では、日本人歌手によるエピタフのカバーがズラズラと、というか、当時の歌謡曲のライブって、そんなに洋楽カバーが多かったのか。きっとプロデューサーとかの趣味なんだろうなあ。やたらオーケストラ入れたがる曲のアレンジも、連中の好みなんだろう。というか、当時のポピュラー音楽に関わる人はみんな洋楽カブレだったんだなあ。

 などと昔話ばかりで、最近の若手ミュージシャンの話がないのは、まあ仕方がないか。私も最近のは MEUTE ぐらいしか知らないし←全然プログレじゃねえ

 まあ、そういう時代に育ち、惑いやすい若い時期にプログレに触れてハマり込み、今なお抜け出せず旧譜のリミックスやらレアなライブ音源やらにお布施を払い続けている、そんな人向けの本です。

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【今日の一曲】

Nina Hagen - Du hast den farbfilm Vergessen (Subtitulado)

 久しぶりの「今日の一曲」、今回はアンゲラ・メルケル元ドイツ首相もお気に入り東独時代の若きニナ・ハーゲンによる Du hast den farbfilm Vergessen を。つか市川さん、よくこの曲だと気が付いたなあ。

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2024年12月12日 (木)

ボブ・ホルムズ「風味は不思議 多感覚と[おいしい]の科学」原書房 堤理華訳

風味は味覚や嗅覚にとどまらず、もっと多次元なものである。五感のどれもが――味覚、嗅覚、触覚、聴覚、そして視覚さえも――風味に大きくかかわっている。
  ――序章

トウガラシの辛さはスコヴィル値であらわされる。(略)辛味を測定するには、被験者が辛味を感じなくなるまでトウガラシエキスを希釈すればいい
  ――第3章 「痛い」はおいしい 痛覚・触覚

風味を味わうのは口だけではない。耳でも味わうのである。
  ――第4章 脳とワイン 聴覚・視覚・思考

なぜ風味は口に存在するような気がするのだろう?
  ――第4章 脳とワイン 聴覚・視覚・思考

表現しようとする努力が意識の集中につながり、意識の集中が風味体験の豊かさにつながってゆくことだ。
  ――終章

【どんな本?】

 「おししい」は、何からできているのか。普通の人はこう思う。「それは味だろう」と。間違ってはいない。確かに、味も「おいしい」を形作る大事な要素の一つだ。

 色が何で構成されているのか、知っている人は多い。コンピュータはRGB(赤青緑)の三色で色を表す。つまり、色の構成要素は3色だ。では、味の構成要素は?

 甘味・塩味・酸味・苦味・うま味の5種と言われる。だが、うま味が科学的に認められたのは最近だ。実は今のところ…

基本味の数さえ、科学界では合意にいたっていない。
  ――第1章 ブロッコリートニック 味覚

 つまり、他の構成要素があると主張する科学者も多い。そして、加えるべき構成要素は、学者によって意見が異なる。

 また、高級レストランは店内の飾りつけや食器にも気を配る。つまり視覚も「おいしい」を支える要素なのだ。

 もちろん、香りも重大な役割を果たす。風邪をひいて鼻が詰まると、食事が味気なくなる。あれは嗅覚が麻痺するためだ。時として、「おいしい」に香りは決定的な役割を果たす。

 他にも、マリアージュなんて言葉もある。つまりは「組み合わせ」だ。肴にこだわる酒飲みは多い。本書の冒頭に、その理由が書いてある。適切な酒と肴は、互いが互いを引き立てるのだ。

 何が「おいしい」を形作るのか。ブロッコリーが苦手な人と好きな人がいるのはなぜか。なぜ私たちは高カロリーの食べ物に惹かれるのか。そして、食品会社は、私たちに買わせるために、どんな工夫をしているのか。

 ベテランのサイエンスライターが、「おいしい」を形作る要素を追求し、追及する人たちの研究や開発を紹介し、時として自ら体を張って様々な風味を味わい、「おいしい」の正体を探る、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Flavor: The Science of Our Most Neglected Sense, by Bob Holmes, 2017。日本語版は2018年3月26日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約304頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×304頁=約235,296字、400字詰め原稿用紙で約589枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。酢酸エチルなど化学物質の名前が出てくるが、「そういうモノがあるのね」ぐらいに考えておこう。ただ、出てくる食材や料理が欧米風なので、時おり通じない所もある。ビールには枝豆だよね、ピーナツじゃなく。

【構成は?】

 各種は独立しているが、序章から第5章までは似たテーマ「ソレをヒトはどう感じるか」を扱っているので、できれば通して読もう。

  • 序章
  • 第1章 ブロッコリートニック 味覚
  • 第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚
  • 第3章 「痛い」はおいしい 痛覚・触覚
  • 第4章 脳とワイン 聴覚・視覚・思考
  • 第5章 飢えを満たす 栄養・遺伝・学習
  • 第6章 「イグアナ味」の可能性 フレーバー産業
  • 第7章 極上のトマト 農業
  • 第8章 ヒトとコンピュータ 調理法
  • 終章
  •  謝辞/訳者あとがき/注

【感想は?】

 ツカミが巧い。この本は、ビールとピーナツから始まる。なぜ、この二つは「合う」のか。

 日本人ならビールと枝豆か日本酒と塩辛を思い浮かべよう。理屈は同じだ。塩辛いモノは、味覚を変化させて酒の風味を引き立てるのだ。

 ここで、私は一気に引き込まれた。「おいしい」は、「その料理」の味だけではなく、その時のヒトの状態も関係しているのだ。では、「おいしい」を形づくるヒトの状態には、何がどう関わっているのか。

 ところが、これが一筋縄じゃいかない。今まで科学者は「おいしい」の研究にあまり携わってこなかった。そして、調べてみると、思ったより複雑であることが分かってきた。

 「おいしい」は、進化の過程で得た感覚だ。だから、こんな仮説が成り立つ。野生状態で生きのびるのに役立つ食べ物を「おいしい」と感じ、毒など害があるモノを「マズい」と感じる。

 役立つ食べ物の代表は、カロリーが高い食べ物、つまりデンプンや糖や油だ。私たちはカロリーに惹きつけられる。これは思ったより深刻で…

現在、全身に味覚受容体が存在することがわかってきた――腸、脳、肺にさえある。
  ――第1章 ブロッコリートニック 味覚

 つまり、カロリーが高い食べ物は、体全体が喜ぶのだ。ダイエットが難しい所以である。しかも、ヒトが経験から学ぶ。頭で、ではない。体が覚えてしまうのだ。

(ブルックリン大学のアンソニー・)スクラファニは学習に関与する栄養受容体が、胃のすぐ下、小腸が始まる部分にあることを突き止めた。ここは、病的肥満患者の胃バイパス術の際に外科医が切除する領域である。
  ――第5章 飢えを満たす 栄養・遺伝・学習

 体重が気になる人には、なんとも恐ろしい話である。私たちは皆、カロリー中毒なのだ。

 もちろん、進化の過程で得たのは味覚だけではない。嗅覚も重要な役割を果たす。ヒトは腐った臭いを嫌う。いや納豆とかドリアンとか例外もあるけど、あれは学習によって「これは大丈夫」と学んだ結果である。

 と、やっと本書の主要テーマに来た。風味を形作る、味覚と並ぶ大事な要素、嗅覚の話だ。

 味覚の研究者は五要素に納得していない。そして嗅覚の研究者は、基本要素が幾つあるのかすら見当がついていない。そもそも…

嗅細胞がにおい分子を認識する仕組みについてさえ科学界は合意にいたっていない
  ――第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚

 と、「動物はどうやってにおいを認識しているのか」すら、定説が定まっていない。ただ、脳とのつながりが、他の五感とは異なるのは分かっている。ばかりでなく…

生物学者が調べてみたら身体のいたるところでにおい受容体が見つかった。精巣、前立腺、乳房、胎盤、筋肉、腎臓、脳、腸などである。
  ――第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚

 と、においもまた、全身で味わっているのだ。また、鼻でかぐ香りも、口に入れる前と後とで、味わい方が異なっている。ガムなど、噛むと香りが高まるのは、私たちの体がそうできていて、お菓子メーカーもソレを利用しているからだ。

 だけでなく、嗅覚も人によって異なるらしい。これは学習によるものではなく、遺伝子が違うのである。あなたが味わっている香りは、あなただけの感覚なのだ。

誰もが独自の風味世界で生きている。
  ――第2章 ボトルから飲むビール 嗅覚

 そのガム、香りはお菓子メーカーがつけている。この食品に添加する香料を研究・開発しているのが香料メーカーだ。ここで活躍するのがガスクロマトグラフ。

この装置はガスクロマトグラフというもので、分子が長いらせん状の管を移動するときの速度の違いを利用して分離を行う。移動速度は、それぞれの分子の大きさ、形、電荷によって異なる。管が十分長ければ分子は種類ごとに時間をあけて到着するので、ゴールで待ちうけている化学者は、順番にそれを捕まえ、特定すればいい。
  ――第6章 「イグアナ味」の可能性 フレーバー産業

 一般に香料メーカーはガードが硬いのだが、なんとか取材に漕ぎつけ、引き出した話も実に面白い。彼らの仕事は、楽器のシンセサイザーで音を作る過程に、ちょっと雰囲気が似てるな、と感じた。ただ、あまし表立ってアピールしないのが香料メーカーの特徴。

食品会社が香料メーカーとの関係に神経をとがらせ、それを受けてジボダン社などが顧客情報を絶対に明かさないようにしているのは、社会に根強く存在する化学物質恐怖症がその大きな理由である。
  ――第6章 「イグアナ味」の可能性 フレーバー産業

 終盤では食材にまで踏み込んでいく。野菜や果物の風味が昔とは違ってきたと感じる人には、ちと切ない話が出てくる。普通の農家は、収穫量を重んじる。その結果、風味が犠牲になっているのだ。

「葉は糖分を生産する工場、果実は消費者だと考えてください。1970年から今日までの推移を見ると、実が大きくなって収量はおよそ3倍にまで伸びました。(略)実が大きくなりすぎて葉が養分を供給しきれない(略)」
  ――第7章 極上のトマト 農業

 いわゆる「大味」になっているのだ。その分、ニンジンなどはエグミも減ってる気がするんだが、どうなんだろ。

 さて、冒頭でビールとピーナツのマリアージュの話をした。組み合わせが二つならともかく、これが三つ四つと増えると、n!のオーダーで組み合わせの数が増えてゆく。そりゃもう、爆発的に。だもんで、例えばピザのトッピングなどを選ぶのは、慣れないと相当に難しい。この問題に光を当てたのが、CIA出身者。

CIAで訓練を受けたシェフで、当時コーネル大学に所属していた知覚科学者のマイケル・ネストラッドは、グラフ理論という難解な数学の手法を用いれば魅力的な食材の組み合わせをすばやく検索でき、ピザのトッピング問題に新たな光をあてられることに気がついた。
  ――第8章 ヒトとコンピュータ 調理法

 これに注目したのが…

ネストラッドの手法に強い関心を示した団体があった。おいしい軍用食の開発を切望しているアメリカ陸軍である。
  ――第8章 ヒトとコンピュータ 調理法

 「戦争がつくった現代の食卓」でパトロンとなった合衆国陸軍だ。要は携帯食(MRE、→Wikipedia)を、どういう組み合わせにしようか、って問題なんだが。

 あ、ちなみに、こののCIAは Culinary Institute of America、料理学校ね。

 ガードが硬い香料メーカーにも突撃したように、著者は様々な研究者たちに突撃し、実際に自分で味わい、その体験が結実したのが本書だ。ハバネロに挑むあたりは、なかなかの迫力だ。「おいしい」は、何からできているのか。美味しいものが好きで、少々変わった食材にも果敢に挑むタイプの人にお薦め。

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2024年12月 2日 (月)

ダニエル・ヤーギン「新しい世界の資源地図 エネルギー・気候変動・国家の衝突」東洋経済新報社 黒輪篤嗣訳

本書で論じるのは、地政学とエネルギー分野の劇的な変化によってどのような新しい世界地図が形作られようとしているか、またその地図にどのような世界の行方が示されているかだ。
  ――序論

【どんな本?】

 21世紀になってから、世界のエネルギー情勢は大きく変わった。米国ではシェール革命が起き、炭化水素の輸入国から輸出国に代わる。シェールが引き起こした変化はそれだけではない。エネルギー市場の性質も変えた。冷戦時代のもう一方の主役だったソ連/ロシアは、炭化水素をテコに支配力の強化を狙う。大規模な油田が集中する中東は、相変わらず情勢が不安定だ。そして経済の躍進を遂げた中国は、多量のエネルギーを必要としている。

 シェール革命とは何か。ロシアは何を狙っているのか。中東情勢は安定するのか。中国はどんな役割を果たすのか。

 米国のエネルギー専門家が、21世紀のエネルギー情勢の変化を説くと共に、それが国際情勢にどう影響するかを語る、一般向けの解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The New Map : Energy, Climate, and the Clash of Nations, by Daniel Yergin, 2020。日本語版は2022年2月10日第1刷発行。私が読んだのは2022年4月18日発行の第4刷。売れたんだなあ。単行本ハードカバー縦一段組み本文約532頁。9ポイント45字×19行×532頁=約454,860字、400字詰め原稿用紙で約1138枚。文庫なら上下巻の分量。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もわかりやすい。国際情勢を語る本だが、地形が重要な部分もあるので、世界地図か Google Map などがあると便利。

【構成は?】

 ほぼ部単位に独立しているが、一部は前の章を踏まえて後の章が展開する。急ぎなら興味がある章だけ、深く読みたければ頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • 序論
  • 第1部 米国の新しい地図
  • 第1章 天然ガスを信じた男
  • 第2章 シェールオイルの「発見」
  • 第3章 製造業ルネサンス
  • 第4章 天然ガスの新たな輸出国
  • 第5章 閉鎖と解放 メキシコとブラジル
  • 第6章 パイプラインの戦い
  • 第7章 シェール時代
  • 第8章 地政学の再均衡
  • 第2部 ロシアの地図
  • 第9章 プーチンの大計画
  • 第10章 天然ガスをめぐる危機
  • 第11章 エネルギー安全保障をめぐる衝突
  • 第12章 ウクライナと新たな制裁
  • 第13章 経済的苦境と国家の役割
  • 第14章 反発 第2のパイプライン
  • 第15章 東方シフト
  • 第16章 ハートランド 中央アジアへの進出
  • 第3部 中国の地図
  • 第17章 G2
  • 第18章 「危険海域」
  • 第19章 南シナ海をめぐる3つの問い
  • 第20章 「次の世代の知恵に解決を託す」
  • 第21章 歴史の役割
  • 第22章 南シナ海に眠る資源?
  • 第23章 中国の新たな宝船
  • 第24章 米中問題 賢明さが試される
  • 第25章 一帯一路
  • 第4部 中東の地図
  • 第26章 砂上の線
  • 第27章 イラン革命
  • 第28章 湾岸戦争
  • 第29章 地域内の冷戦
  • 第30章 イラクをめぐる戦い
  • 第31章 対決の弧
  • 第32章 「東地中海」の台頭
  • 第33章 「答えはイスラムにある」 ISISの誕生
  • 第34章 オイルショック
  • 第35章 改革への道 悩めるサウジアラビア
  • 第36章 新型ウイルスの出現
  • 第5部 自動車の地図
  • 第37章 電気自動車
  • 第38章 自動運転車
  • 第39章 ライドヘイリング
  • 第40章 新しい移動の形
  • 第6部 気候の地図
  • 第41章 エネルギー転換
  • 第42章 グリーン・ディール
  • 第43章 再生可能エネルギーの風景
  • 第44章 現状を打開する技術
  • 第45章 途上国の「エネルギー転換」
  • 第46章 電源構成の変化
  • 結論 妨げられる未来
  • エピローグ 実質ゼロ
  • 付録 南シナ海に潜む4人の亡霊
  • 謝辞/原注/索引

【感想は?】

 ほぼ部ごとにテーマが変わるので、部単位に書く。

 米国向けに書いているため、同じ事象でも日本の読者とは受け取り方が違う所が多い。特に一部は「それが本当ならどんなにいいか」な話もあり、少し未来に希望が持てたりする。

【第1部 米国の新しい地図】

新しい技術の登場によってテキサスはごく短い間に変貌を遂げ、並外れた成長の軌道に乗ったということだ。2009年1から2014年12月にかけ、テキサス州の原油生産量は3倍以上増えた。この時点で州の産油量は、メキシコの産油量を上回り、さらにはサウジアラビアとイラクを除くOPEC加盟のすべての国の産油量をも上回った。
  ――第2章 シェールオイルの「発見」

シェール革命によって世界の石油市場は一変し、エネルギー安全保障の概念が変わりつつある。これまで何十年にもわたって世界の石油市場を規定してきた「OPEC加盟国vs非加盟国」という捉え方は、「ビッグスリー」(米国、ロシア、サウジアラビア)という新しいパラダイムに取って代わられた。
  ――第8章 地政学の再均衡

 第1部のテーマはシェール(頁岩)革命だ。本書が扱っているのは米国とカナダだけだが、他の国や地域にもシェールの層はたくさんある(→WikipediaWikipediaの地図)。ただ、取り出す技術がないだけ。

 シェールはエネルギー情勢に様々な影響を与える。

 まず、単純に石油と天然ガスの供給量が増え、原油が安くなった。当然ながら産油国は面白くない。特にロシアのプーチン大統領が楽しい。シェールの話題を振ると、環境保護論者になるのだ。

 産出国である米国はエネルギーの輸入国から輸出国になり、大きな油井があるテキサスは好景気に沸く。

 油井と言ったが、従来の油井とは性質が異なる。すぐに産出量が減るのだ。

シェールガスの坑井の生産量は、最初のうちは多いが、在来型の坑井より急速に減り始めて、ほどなく横ばいになる。
  ――第1章 天然ガスを信じた男

 そのため、常に掘り続けなければならない。それを揶揄して業界人曰く「シェールは製造業」だとか。

 安くなった米国のエネルギーは、投資と仕事を招き寄せる。こういう事もあるんだなあ。

これまで米国企業の中国への工場移転が数十年続いてきたが、いまや中国の製造業者が米国に工場を構え始めていた。
  ――第3章 製造業ルネサンス

 本書はハッキリと書いていないが、シェ―ルガスによって、天然ガスの市場の性質も変わった。従来は地産地消の性質が強く、また取引価格も原油と連動していた。だがシェールガスの生産が増え、米国内では消費しきれないため、液化してタンカーで売ろうぜ、となる。増えた取引量は、従来の「原油の添え物」ではなく、独自の商品としての性格を強めてゆくのだ。ただ、遠くの国に売る場合、相応の投資が必要となる。

(天然ガスの)輸出用の液化施設の建設には、輸入用の再ガス化施設の建設の10倍の費用がかかる。
  ――第4章 天然ガスの新たな輸出国

 またはパイプラインが。これは次の部のロシアが活用している。

 他にも、シェールが市場に与えた影響がある。市場を安定させるのだ、シェールは。

シェールの登場以降、石油産業に「ショート・サイクル」と「ロング・サイクル」という新しい語彙が加わった。
ショート・サイクルに当てはまるのは(略)シェールだった。掘削することを決めてから、半年後には生産を開始できた。(略)1つの坑井の費用は1,2年前に1500万ドルだったものが、今では700万ドルだった。ただし、減衰率は高いので、常に新しい坑井を掘り続ける必要はあった。(略)
海洋油田やLNGの事業は生産の開始までに5年や10年かかるが、以後は何年も生産を続けられる。ロング・サイクルの海洋開発のコストは(略)7億ドルとか、70憶ドルとか、あるいはそれ以上の規模だった。
  ――第34章 オイルショック

 先に製造業と言ったように、ある程度の高値でないとシェールは儲けが出ない。反面、価格が上がれば新しい坑井を掘ればいい。特に米国のシェールは大手ではなく独立系の企業が多く、フットワークが軽い。そのため市場価格には迅速に反応し、まさしく「神の見えざる手」として働くのだ。もっとも、それだけに、政府の意向にも従わないんだけど。政府系の資本が多いOPECとは対照的だ。

【第2部 ロシアの地図】

 シェールが面白くないのがロシアだ。ソ連時代から、ロシアはエネルギーが国の柱だった。

(ロシアは)石油と天然ガスの輸出から得られる収入が、国と国力の財政基盤になっている。その収入は歳入の40~50%、輸出収入の55~60%、GDPの推定30%を占める。
  ――第9章 プーチンの大計画

 これに関し、プーチンは極めて優秀なようで。

プーチンはロシアの石油と天然ガスにどういう力があるかを深く理解している。西側の人間がプーチンを話をしていつも驚かされるのは、エネルギー産業やエネルギー市場にとても詳しく、複雑な問題もスラスラと論じられることだ。国のトップというより、企業のCEOのような印象を相手に与えた。
  ――第9章 プーチンの大計画

 著者によると、ドナルド・トランプも経営者っぽく振る舞うそうで、本書では好意的に扱っている。

 さて、第1部で国際市場における天然ガスの地位が変わったと述べた。実際、取り引きに関わる国も増えている。

今やLNGの輸入国は40ヵ国を超える。2000年にはその数はわずか11ヵ国だった。輸出国も12から20ヵ国へ増えた。
  ――第14章 反発 第2のパイプライン

 欧州とはノルドストリームなどで関係を深めようと目論むロシアは、もちろん中国とも仲良くやろうとしてる。それも、従来のような共産主義の兄弟って関係ではない。中国が遂げた飛躍的な経済発展を踏まえた関係だ。

(ロシアと中国の)両国の役割分担は(略)中国が製造、消費財、金融を、ロシアが石油、天然ガス、石炭、その他のコモディティを提供するという関係だ。
  ――第15章 東方シフト

 が、中国にとって、少なくとも経済的にはいささか違って…

(中国にとって)経済的にはロシアより米国のほうがはるかに重要だ。貿易戦争とコロナ禍以前の2018年、対ロ輸出額が350憶ドルだったのに対し、対米輸出額は4100憶ドルにのぼった。
  ――第16章 ハートランド 中央アジアへの進出

 以降、本書でも中国の存在感の大きさは強く意識させられる。

【第3部 中国の地図】

 その中国、経済だけでなく軍事でも大国となりつつある。

過去20年のあいだに中国の軍事費は6倍に増えた。現在の軍事費は、米国の6340億ドルに次ぐ2400億ドルだ。第3位のサウジアラビアと第4位のロシアは、どちらも850億ドル前後で、米中とはだいぶ開きがある。
  ――第17章 G2

 空母も動き始めたしね。その中国が、岩礁を軍事基地に変えたりと、強引に進出しているのが、南シナ海だ。漁場としても魅力的だし、フィリピンやベトナムとひっきりなしに小競り合いを惹き起こしている。

 その南シナ海進出の根拠として中国が示しているのが、「九段線」(→Wikipedia)。これが実にふざけたシロモノで、ベトナム・インドネシア・フィリピン沿岸まで含んでる。

現代の中国による南シナ海の領有権の主張は、いわゆる「九段線」を中心に置いている。
  ――付録 南シナ海に潜む4人の亡霊

 もちろん、魅力は資源だけじゃない。

この海域(南シナ海)を通る世界貿易の額は3.5兆ドルにのぼり、中国の海上貿易の2/3、日本の海上貿易の40%以上、世界貿易の30%を占める。(略)中国が輸入する原油の80%は南シナ海を通過している。
  ――第18章 「危険海域」

中国のエネルギー安全保障にとって真に重要なのは、海上交通路のはるか下の海底深くに眠っているかもしれない資源ではなくて、海上交通路そのものであり、そこを何が通るかなのだ。
  ――第22章 南シナ海に眠る資源?

 そして、こういった国際貿易に備え、インフラにも積極的に資本を投下してきた。

世界の十大コンテナ港のうち、7港が中国にあり(世界最大の上海港を含む)、世界のコンテナ輸送の4割以上を中国が占める。
  ――第23章 中国の新たな宝船

 今は国内だけじゃなく、スリランカやアフリカなどにも投資してるんだよなあ。

一帯一路はエネルギー、インフラ、輸送に重点を置いており、その投資総額はおよそ1.4兆ドルに達すると見込まれる。この金額は、第二次世界大戦後の米国による欧州復興計画マーシャル・プランの7倍以上(現在のドル換算)であり、まさに未曽有の規模だ。
  ――第25章 一帯一路

 そんな中国を意識せざるを得ないのがアジア各国。

元駐米シンガポール大使チャン・ヘンチー「東南アジアは安全保障面では米国と統合されているが、経済面では中国と統合されている」
  ――第24章 米中問題 賢明さが試される

 日本も最近は米国より中国との貿易額が多かったり(→JFTCきっずさいと)。しかもイザとなった時、米国の目は欧州に向きがちだったり、特にトランプ大統領はアメリカ・ファーストだったりで、アジア各国も「アメリカに頼っていいのか」な気分に。

【第4部 中東の地図】

 今のところは小競り合いで済んでいる中国/東南アジアに対し、今も昔も盛んに燃え上がっているのが中東だ。ここではイランの暴れん坊っぷりが目立つ。一応は選挙で大統領が選ばれる形になってはいるが…

「歴代のイランの王には想像もつかなかったほどの絶大な権力がホメイニ師に与えられていた」
  ――第27章 イラン革命

 その隣国イラクで、米国は大きな失敗をしでかした。

米国防長官ジェイムズ・マティス「イラク軍を非政治化すればよかったのに、解体したせいで、我々はイラクで最も頼りになる集団を敵に回した」
  ――第28章 湾岸戦争

 散々荒らした挙句、イランにつけ入る隙を与えてるんだから、馬鹿にもほどがある。

イランは今後さらにイラク内での地位を強化するため、民兵組織をレバノンのヒズボラのように政治・社会組織に変えようと狙っている。
  ――第30章 イラクをめぐる戦い

 イラク情勢が一向に安定しない原因の一つは、主にシーア派地域にイランが介入しているためだ。日本のニュースじゃあまり触れないけど。そのイランの狙いは…

中東の紛争の非常に多くが、(略)イランとサウジアラビアの大きな対立の中に組み込まれている。イランは革命を世界に輸出すると言ってはばからない。
  ――第29章 地域内の冷戦

 70年代の「革命の輸出」は共産主義者の役割だったが、今はイランがその役を引き受けている。当然、絶対王政のサウジアラビアは標的となる。聖地メッカも抱えてるしね。

 そのサウジ、かねてより原油頼りの体制からの脱却を目指しているが、なかなか難しい。

サウジアラビアには約2000万人のサウジアラビア人に対し、約1000万人の外国人がいる。しかし労働力で見ると、その割合は逆転する。サウジアラビア人の就業者数がおよそ450万人で、その7割が政府系部門に勤めているのに対して、外国人の就業者数は約2倍の800万人以上にのぼり、大半が給料の安い民間部門で働いている。
  ――第35章 改革への道 悩めるサウジアラビア

 などと苦しんでいる間に、イランは中東各国に魔の手を伸ばしている。

(ヒズボラは)2018年、レバノンの議会で最大政党に躍り出ると、2020年にはヒズボラ主導の連立内閣を発足させた。レバノンはイラン革命の最初の大きな成功例だった。
  ――第29章 地域内の冷戦

イラン革命防衛隊国外破壊工作担当ゴドス部隊司令官ガセム・ソレイマニ「イラン革命が地域全体に広がっていくのを我々は今、目の当たりにしている。バーレーンとイラクから、シリア、イエメンへ、そして北アフリカへと」
  ――第31章 対決の弧

 現在、イスラエルが戦いを強いられてるのは、ほぼイランのせいと言っていいい。これも日本のニュースがあまり触れない事情なんだよなあ。そのイスラエルがやたらと強気な理由は、この辺にあるのかも。

イスラエルのエネルギー相ユバール・シュタイニッツ「(東地中海のガス田で)すでに国内で消費しきれないほどの量を発見している」
  ――第32章 「東地中海」の台頭

 今まで輸入に頼りきりだったエネルギーが、一部とはいえ自給できるんなら、そりゃ心強いだろう。

 そんな中東だが、新型コロナ禍による世界経済の停滞は痛かった。原油価格は低迷し、一部の先物では負の値にまでなる。日頃は反目しているサウジアラビアとイランも、危機は共有している、が、素直に話に応じられるわけじゃない。またかつて東西で対立していたロシアも、原油価格低迷は嬉しくない。ここでもドナルド・トランプが活躍するのは意外だった。

(2020年のOPEC+非加盟国による石油供給削減)合意は石油をめぐる新国際秩序の到来を告げていた。それはOPECと非加盟国によってではなく、米国とサウジアラビアとロシアによって築かれた秩序だった。
  ――第36章 新型ウイルスの出現

 軍事的には米国&NATOべったりなサウジアラビアだが、エネルギーに関してはロシアと利害が一致してるんだよなあ。今後はどんな関係になるんだか。

【第5部 自動車の地図】

変化は徐々にだが、確実に起こっている。攻勢をかけているのは電気だ。
  ――第40章 新しい移動の形

 と、ここで扱うのは電気自動車と、Uberなどのライドヘイリングだ。中国でライドヘイリング企業ディディを興したジョン・ジマーの、ホテル業界出身の視点が面白い。ホテルじゃ客室稼働率80%~90%が目標だが自家用車の稼働率は5%~10%、とか。確かに無駄といえば無駄だよね。

 もっとも、GMやトヨタ自動車は困るが、エネルギー業界はもちっと複雑な気がする。電気自動車も、直接はガソリンや軽油を使わないけど、火力発電なら相変わらず化石燃料に頼るわけだし。

 その電気自動車でキモとなるのは、やはりバッテリー。

中国のリチウムイオンバッテリーの生産量はすでに世界の3/4近くに達している。
  ――第37章 電気自動車

 と、ここでも中国の存在感が大きい。

 なお、出てくるのは電気自動車ばかりで、ハイブリッドカーは出てこなかった。

【第6部 気候の地図】

 先にも書いたが、化石燃料に代わるエネルギーとして期待されているのは電気だ。何より二酸化炭素を出さないのが嬉しい。少なくとも火力発電でなければ。

(2009~2018年の年間)平均でおよそ210ギガトンの炭素が、植物の腐敗や動物の呼吸などの自然の営みを通じて大気中に排出された。しかし同時に、9.5ギガトンが石油燃料から、1.5ギガトンが土地利用からも出た。それらを合わせると、総排出量は221ギガトンになる。
しかし自然のサイクルでは年間平均215.7ギガトンしか炭素は回収されず、つまり植物や海に吸収されず、4.9ギガトンが大気中に残された
  ――第41章 エネルギー転換

 本書が触れているのは、風力と太陽光だ。いずれも天候頼りで、稼働率も低いし、電力消費が高まるナイターの時間には頼れないと、問題は多い。配電網にかかる負荷も大きく、よって停電が増える可能性も高い。また先進国はともかく発展途上国じゃ、そもそも電気が来てなかったりと、綺麗事は言ってられない状況がある。

 加えて、ここでも中国の影響が…

中国は現在、世界の太陽光パネルのおよそ70%を生産している。(略)太陽電池の基幹部品であるソーラーウエハーにいたっては、約95%が中国製だ。
  ――第43章 再生可能エネルギーの風景

 そんな不穏な話が多い中で、エネルギーがアキレス腱な日本にとってひとつ、喜ばしいネタが飛び出した。

10年ほど前、「ピークオイル」(つまり「石油の終焉」)が近づいており、世界の石油は「枯渇する」という予測が語られた。現在、議論は「石油需要のピーク」に移っている。
  ――第46章 電源構成の変化

 エネルギー・シフトが上手くいけば、原油価格は安値で安定するかもしれない。

【終わりに】

 などと言って安心もしていられないのが国際情勢。

 今まで中国の影響力は散々に思い知らされてきたが、ここで更に駄目押しが入る。

米ソの冷戦時代、ソ連は世界経済の中では脇役だった。今の中国は違う。
  ――結論 妨げられる未来

 ソ連は軍事力で東欧を抑えたが、中国は経済力で世界中に支配力を及ぼしつつある。

 特に怖いのが、アフリカへの投資だ。

鉱物は普通、最初の発見から生産の開始までに16年以上かかる。しかも、石油に比べ、生産がはるかに一部の国に集中している。
  ――エピローグ 実質ゼロ

 太陽光にせよ風力にせよ、レア・アースを大量に使う。これらの多くはアフリカに眠っている。そして中国は、積極的にアフリカに投資しているのだ。欧米が嫌う独裁者や人権蹂躙体制も、中国には関係ない。そしてアフリカ諸国も、内政に干渉しない中国のカネは有り難い。

 正直に言うと、「第6部 気候の地図」あたりは、ちとタテマエっぽい記述が目立ち、お行儀が良すぎる感がある。また、躍進著しいナイジェリアなどアフリカ諸国を無視しているのも辛い。が、各国の事情に踏み込む第4部までは、生々しい話が多くて迫力が凄い。国際ニュースに興味があるなら、是非読んでおこう。

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