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2024年10月20日 (日)

ダニエル・E・リーバーマン「運動の神話 上・下」早川書房 中里京子訳

私たちは運動するようには進化してこなかったはずなのに、運動は、なぜ、どのようにして、これほど健康に役立つのか
  ――プロローグ

(霊長類学者のリチャード・)ランガムによれば、人類が他の動物、特にその近縁種と異なる点は、極めて低い反応的攻撃性とより高い能動的攻撃性を持つことにあるという。
  ――第7章 戦いとスポーツ 牙からサッカーへ

身体活動は、高齢期に健康でいられるチャンスを高める一連のメカニズムを発動させるのだ。
  ――第10章 エンデュランスとエイジング 「アクティブな祖父母仮説」と「コストのかかる修復仮説」

【どんな本?】

 私は運動が嫌いだ。私だけじゃない。運動が嫌いな人は多い。だが、医師は「運動しろ」と言う。健やかな体を保つには、運動が役に立つらしい。現代の日本では、入院しても運動するように求められる。いや怪我や病気の種類にもよるが。今や…

運動は医療になった
  ――第12章 どれぐらいの量? どんな種類?

 のだ。

 だが、それって変じゃないか? 運動が体にいいなら、人間は運動が好きな筈だ。だが、少なくとも私のまわりを見る限り、多くの人間は運動が嫌いだ。これはおかしい。

 著者のダニエル・E・リーバーマンは、古人類学者だ。人類の進化の歴史を辿り、また人類の進化の過程と似た生き方を現代も続ける狩猟採集民の暮らしや体調や疾病の具合を観察し、人類とはどんな動物でどのように生き延びてきたのか、その進化の過程で運動と健康にどんな関係ができたのかを探り、また現代になって豊富に手に入るようになった運動と健康または疾病のデータや論文を調べあげた。

 人類の進化プロセスというユニークな視点で、運動と疾病/健康の関係を見つめなおす、一般向けの科学/医学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Exercised: Why Something We Never Evolved to Do Is Healthy and Rewarding, by Daniel Lieberman, 2020。日本語版は2022年9月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約220頁+216頁=436頁に加え、訳者あとがき6頁。9.5ポイント45字×20行×(220頁+216頁)=約392,400字、400字詰め原稿用紙で約981枚。文庫でも上下巻ぐらい。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、有酸素運動(→Wikipedia)など一部の用語を説明せずに使っている。

【構成は?】

 全体的に前のパートを受けて後のパートが展開する形なので、素直に頭から読もう。

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  •   上巻
  • プロローグ
    運動にまつわる神話/なぜ博物学なのか?
  • 第1章 人は休むようにできているのか、それとも走るようにできているのか
    エルネスト/星空の下でのララヒッパリ/「アスレチックな野蛮人」という神話/「正常な」人間はカウチポテトか?/時代を通した身体活動の変遷/エクササイズはいかにして奇妙なものになったか
  • パート1 身体的に不活発な状態
  • 第2章 身体的に不活発な状態 怠けることの大切さ
    何もしないことのコスト/「この人たちがよりよく栄養をとれるように、飢えていただけませんか?」/トレードオフの真実/人間は怠けるために生まれてきた?/不活発賛歌
  • 第3章 座ること それは新たな喫煙か?
    私たちはどうやって、なぜ座るのか/人はどれぐらい座っているのか?/火事/座っている間も、くすぶっている?/アクティブな座り方/どのように、どれだけ座るべきか?
  • 第4章 睡眠 なぜストレスは休息を妨げるのか
    快眠は体のため?それとも脳のため?/八時間という神話/睡眠の文化/睡眠に関するストレス/睡眠に悩まされる
  • パート2 スピード、力強さ、そしてパワー
  • 第5章 スピード ウサギでもなくカメでもなく
    ウサイン・ボルトはどれぐらい遅いか?/二本脚の問題/速く走るか、遠くまで走るか/赤い肉と白い肉。どちらの遺伝子が欲しい?/生まれか育ちか/すばらしき高強度インターバルトレーニング
  • 第6章 力強さ ムキムキからガリガリまで
    古代における力強さ/類人猿と原始人はムキムキだったか?/レジスタンスをぶっつぶせ!/加齢と筋肉/ウェイトトレーニングはどれだけやればよいのか?
  • 第7章 戦いとスポーツ 牙からサッカーへ
    人間は生まれつき攻撃的な生き物なのか?/戦うために立ち上がる?/ホモ属の善なる天使/武器を手にする前の戦い/武器を使った戦い/フェアなプレイヤーになる?
  • 原注
  •   下巻
  • パート3 持久力
  • 第8章 ウォーキング いつものこと
    人間はどう歩いているか/「四本足はよい、二本足は悪い」?/荷物を運ぶ動物/余分な体重はウォーキングで落とせるか?/一万歩?
  • 第9章 ランニングとダンス 片方の脚からもう片方の脚へのジャンプ
    人間と馬のレース?/片方の脚からもう片方の脚へのジャンプ/パワー・スキャベンジングと持久狩猟/病院に駆け込むべき?/一緒に踊りませんか?
  • 第10章 エンデュランスとエイジング 「アクティブな祖父母仮説」と「コストのかかる修復仮説」
    /長い歴史を通して見た老い/老化の本質/「コストのかかる修復」仮説/有病状態の拡大と圧縮
  • パート4 現代社会における運動
  • 第11章 動くべきか、動かぬべきか どうやって運動させるか
    ビョルン・ボルグ社のスポーツアワー/やりたくないのですが……/エクササイズをもう少し楽しいものににするには?/運動が必要だと思わせるには/若者に焦点を当てる
  • 第12章 どれぐらいの量? どんな種類?
    一週間に150分?/運動しすぎることはあるのか?/ミックスする?
  • 第13章 運動と病気
    肥満/メタボリック症候群と2型糖尿病/心血管疾患/呼吸器感染症および他の伝染病/慢性的な筋骨格系の疾患/がん/アルツハイマー病/メンタルヘルス うつ病と不安障害
  • エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 ヤバい。近所のジムに入会する気になってる。正気か俺。

 つまりは運動するよう読者を洗脳する本だ。その手口が巧みなのだ。まず、読者がどういう奴か、著者はよくわかってる。頭でっかちの理屈屋で、やや天邪鬼、二言目には根拠を求める。世間的な権威はともかく、学術的な権威には弱い。

 そういう連中を洗脳するために、著者は色々と工夫を凝らす。例えば人類の進化から話を始めるのだ。私たちの祖先は、どんな環境でどのように暮らしてきたのか? 何せ数十万年も昔の話だ。おまけに人類発祥の地アフリカは地質の影響もあり、物的証拠が残りにくい。

 仕方がないので現代にわずかに残る狩猟採集民族の暮らし方を調べ、人類の大半が狩猟採集で生きていた頃を類推したり、近縁種のゴリラやチンパンジーの生活を観察・分析し、種としての特性を浮かび上がらせてゆく。すると…

人間の体は生涯にわたって動かさないと最適に機能しないように進化してきた一方で、人間の心は、必要に迫られない限り、そして喜びや、何らかの見返りがない限り、体を動かそうとはしないように進化してきたのだ。
  ――第11章 動くべきか、動かぬべきか どうやって運動させるか

 そう、私が運動嫌いなのは怠けものだからではなく、ヒトがそう進化してきたからなのだ。俺は悪くない。

 と、読者をいい気分にさせてから話を進める。なかなか巧みだ。おまけに現代の狩猟採集民は、さぞかし忙しくしてたんだろうと思いきや…

(現代の狩猟採集民の生活から測った研究によると)かつての人間の典型的な労働時間は約7時間であり、その多くは軽度の活動に費やされ、活発な活動はせいぜい一時間程度だった
  ――第1章 人は休むようにできているのか、それとも走るようにできているのか

 意外とのんびりしてる。どころか下手すると現代の忙しい労働者より動いてないかも。とはいえ、さすがにホワイトカラーよりは動く。いや別に好きで運動してるんじゃない。根菜掘りや水くみなど、生きるのに必要なことをするためには、どうしても体を動かす必要があるのだ。その水くみも、結構な運動になっている。

体重の半分以下の荷物を運ぶ場合は、通常、重量の20%の追加コストがかかり、荷物がいよいよ重くなると、そのコストは指数関数的に増加するという。
  ――第8章 ウォーキング いつものこと

 それ以外の時も、皆が集まり座ってお喋りしながら、子供をあやしたり繕い物をしたり。座ってる時間も、案外と長い。じゃ腰が痛くならないのか、というと。彼らは座る姿勢が違うのだ。私は背もたれのある椅子に座ってる。対して彼らは切り株などの背もたれがないモノに腰を掛けたり、地面にしゃがんだり。

 なのだが、著者は言う。問題は姿勢ではない、と。

問題は座ること自体にではなく、長時間動かず座り続ける状態に、ほとんど運動しない状態が組み合わさることにある。
  ――第3章 座ること それは新たな喫煙か?

 狩猟採集民は、座っている際もじっとしていない。何か作業をしていて、ちょこちょこ動いている。前かがみでジッとモニタを見つめたりはしてない。デスクワークも、適度に中断をはさむのがよさそうだ。

 そんな本書で何度も指標とするのが、「週に150分以上の中・高強度の運動」である。例えば…

週に150分以上の中・高強度の運動を定期的に行った人は、睡眠の質が65%向上しただけでなく、日中に過度の眠気を感じることも少なかった。また逆に、十分な睡眠をとれば、体を休めて修復するための十分な時間が確保できるので、人々は活動的になり、運動能力が向上する。
  ――第4章 睡眠 なぜストレスは休息を妨げるのか

 などと、「運動すれば生活の質も上がりますよ」とそそのかしてくる。

 本書が扱う運動不足の問題点の一つは肥満だ。これは血中の中性脂肪が増え血圧が高くなり血管が硬くなる等の現象もあるが、慢性の炎症状態にもなるというからタダゴトではない。そこで怠け者は考える。「運動は嫌だから食べる量を減らそう」。だが、これは賢くない。私たちの体は、困った方法でカロリー不足に対処するのである。

彼ら(ミネソタ飢餓実験(→Wikipedia)の被験者)の体は、安静時にも、より少ないエネルギーを使うように変化していたのだ。
  ――第2章 身体的に不活発な状態 怠けることの大切さ

 人間の体は安静にしていてもエネルギーを使う。脳や肝臓など臓器を維持し、肺で呼吸し、心臓は血液を送り出し、皮膚などを新陳代謝する。それが飢餓状態になると、新陳代謝を減らすなどして固定的なカロリー出費を減らすのである。食べる量を減らしても、肌が荒れるだけで、あまし痩せないのだ。残念。

 では、逆に固定的なカロリー出費を増やす手は…あるのだ、ちゃんと。筋肉は贅肉より多くのカロリーを使う。だから筋肉を増やせば、消費するカロリーも増えるのである。

筋肉隆々のウェイトリフティング選手は筋肉量が40%以上になることもあり、コストのかかる肉を20kgも余分に備えていることになる。もし私が彼らのように筋肉を増強しようとしたら、新たな体格のために1日あたり200~300キロカロリー多く食べなければならない。
  ――第6章 力強さ ムキムキからガリガリまで

 筋肉をつけるには有酸素運動よりウェイトリフティングなどが効果的なんだろうが、ダイエットは逆で…

肥満にはウェイトトレーンイングより有酸素運動の方が適している。
  ――第13章 運動と病気

 というから悩ましい。ちなみに筋肉をつけるのは骨粗鬆症などにも有効らしい。

サルコペニア(加齢による骨格筋量の低下、→Wikipedia)を予防したかったら、ウェイトトレーニングを行なおう。
  ――第13章 運動と病気

 そんなヒトは、他の動物と比べてどんな特徴があるか、なんて話も出てくる。例えばチーターは短距離が得意なスプリンターで、草食動物の多くは長距離走者だ。本書によると、人類は万能型らしい。

石器時代に暮らした私たちの祖先には、(略)カメとウサギの両方に見合うような幅広い運動能力を持つ「何でも屋」に進化したのである。
  ――第5章 スピード ウサギでもなくカメでもなく

 やはり最大の特徴は二足歩行だ。

人間を人間たらしめている数多くの特別な資質のなかで、効率的な二足歩行は明らかに最初に進化したものであり、依然として最も重要な資質の一つに留まっている。
  ――第8章 ウォーキング いつものこと

 それに加え、優れたラジエーターを備えている点が挙げられる。

高性能の脚を備えたことに加え、より遠くへ行くために人間が適応により獲得した最も重要かつ独特な能力は、大量の汗をかくことだ。
  ――第9章 ランニングとダンス 片方の脚からもう片方の脚へのジャンプ

 ここで面白いのが、優れた冷却機構を活用する狩りの話。暑い昼間に長時間の追跡で、獲物を熱中症に追い込むのだ。途中で何度も獲物を見失うのだが、痕跡を見つけて跡を追うのである。冷却機構に加え、高い知能も必要で、まさに人類向きの狩猟方法だ。

 とかの狩猟採集民ネタばかりでなく、万歩計の命名の偶然やビョルン・ボルグ社の独特な経営方針など、現代のエピソードも楽しいネタが満載だ。とにかくデータが豊富なため、説得力は他の追随を許さない。自分の体に興味があるなら、一読の価値は充分にある。

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