ローマン・マーズ&カート・コールステッド「街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する」光文社 小坂恵理訳
本書は、ごく平凡で見落とされやすいものを紹介するガイドブックだ。
――はじめに規格化されると、そこに独創性を加えることへの関心が高まった。
――第3章 インフラ 丸ければ落ちない:マンホールの蓋
【どんな本?】
街には様々なものがある。消火栓、ネオンサイン、マンホール、信号機…。大抵は誰かが何らかの意図をもってソコに置いたものだ。なぜソコにあるのか、なぜそういう色や形なのか、誰が置いたのか。それぞれに意味や意図、または歴史的な経緯がある。
日頃から私たちが見過ごしている街の様々なモノや、特徴ある建物の様式、名前の無い空間など、街で見かけるが人々が気にしないモノや事柄を取り上げ、その意図や役割や歴史を語り、読者が街を見る目を少しだけ変える、一般向けのノンフィクション。
元はサンフランシスコのラジオ番組 99% Invisible で、今は PodCast で配信中。
なお、取り上げる街は合衆国、それもサンフランシスコ周辺が最も多いが、欧州や日本も少し出てくる。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The 99% Invisible City : A Field Guide to the Hidden World of Everyday Design, by Roman Mars, Kurt Kohlstedt, 2020。日本語版は2023年2月28日初版第1刷発行。単行本ハードカバー横一段組み本文約315頁。8.5ポイント42字×35行×315頁=約463,050字、400字詰め原稿用紙で約1,158枚、文庫なら上下巻ぐらいだが、イラストが多いので文字数はその7割ぐらい。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、取り上げる話題は合衆国や欧州が多いので、その辺に住んでいるか旅行に行った経験があると更に楽しめる。
【構成は?】
各章はテーマごとにまとまっているが、それぞれの記事は独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。
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- はじめに
- 第1章 目立たないもの
- どこにでもあるもの
お役所公認の落書き:ユーティリティー・コード/文字の刻印:歩道のマーキング/わざと倒れる:分解型の支柱/小さな安全:緊急時のための箱 - カモフラージュ
ソーントンの香水瓶:悪臭パイプ/隠された放出:偽のファザード/悪い空気を迂回させる:換気塔/住宅地の中の変圧器:変電所/細胞生物学:携帯電話の中継塔/意外な場所での資源発掘:採集井 - 積み重ね
星を見る:アンカープレート/傷痕建築:都市の空き地/エルオーエス:中継ノード/トマソン:用済みでも保守されるもの/多すぎる悩み:愛の南京錠/スポリア:建設的な再利用
- どこにでもあるもの
- 第2章 目立つもの
- アイデンティティ
旗章学のルール:自治体の旗/公共の身体:市の記念碑/知識の泉:記念銘板/目立つ特徴:おしゃれな形 - 安全
公共物を使った自己主張:信号機/境界補助装置:再帰反射式の鋲/市松模様の華やかな歴史:認知のパターン/記憶に残るけれども意味はない:警告標識/時代を物語るもの:避難所の標識 - 看板
大胆な筆遣い:手書きの看板/チューブベンダー:インフレータブル・チューブマン/最優秀道案内賞:ロケ現場への誘導看板/たくましすぎる商魂:広告の撤去
- アイデンティティ
- 第3章 インフラ
- 役所仕事
行政の怠慢:事故が多発する橋/整備された配達網:郵便業務 - 水
丸ければ落ちない:マンホールの蓋/吹き上がる飲み水:噴水式水飲み場/流れを逆転させる:排水の管理/円を描いて戻ってくる:地下の貯水槽/アップルからオイスターへ:洪水の緩和 - テクノロジー
細い線:電柱/電流の変更:送電網/ムーライトタワー:街路灯/ダイアルの逆回転:電力メーター/ネットワーク効果:インターネットケーブル - 道路
変化を加速する:センターライン/責任転嫁:歩行者を非難する/大事な指標:衝突試験/コンクリートで分離する:車線分離法/曲がる回数を増やす:より安全な交差点/循環の論理:環状交差点/交通静穏化:乱暴な運転を防ぐ/ギアの逆転:右側通行への変更 - 公共空間
境界線:インターステーシャル・スペース/西側への横断:歩行者信号機/シャロウの道:自転車専用車線/混雑課金:交通渋滞の緩和/制約からの開放:指示のない道路
- 役所仕事
- 第4章 建築
- 境界
完璧ではないセキュリティ:入り口のロック/開けたり閉めたり:回転ドア/出口の改良:非常用出口 - 材料
盗まれたファザード:レンガの再利用/集合効果:コンクリートのひび割れ/ハイブリッドの解決策:木材の復活 - 規制
世知辛い建築:課税単位/限界への挑戦:マンサード屋根/天国から地獄まで:財産制限 - タワー
ブレイキング・グッド:現代のエレベーター/ビルを守る骨格:カーテンウォール/最高点への到達:超高層ビルの建設レース/予想外の荷重:危機管理/大事な遠近感:変化したスカイライン/空へ:ランドマーク/集団力学:ストリートキャニオン - 土台
近所の飛び地:国際地区/現実的な設計:サービスセンター/足を向けたくなるアヒル:商売の象徴/有名建築家の挑戦:対照的な増築 - 遺産
異教徒の門:物語を重ね合わせる/ランドマークに関する判決:歴史的建造物の保存/貴重な遺産の復元:一筋縄ではいかない修復作業/創作上の自由:偽りの再建/不自然淘汰:主観的な復元/衰退したアトラクション:魅力ある廃墟/暗号に満ちた景観:枠組みの痕跡/解体基準法:計画的な解体
- 境界
- 第5章 地理
- 教会の明示
起点:道路元標/エッジケース:境界石/決定的瞬間:標準時/道路建設推進派:公道 - 地形
丸め誤差:ジェファーソンの格子/未割当地:寄せ集めのプラン/直線的な啓示:座標化された都市ブロック/素晴らしきアシャンプラ:再編されるスーパーブロック/標準偏差:道路の発達パターン - 名称
要出典:非公式な地名/頭文字名称のハイブリッド:地域の呼び名/計算ずくの省略:不吉な数字/意図的なエラー:架空の項目/置き間違いされた場所:ヌル島/道を開く:ツーソン・ストラベニュー/地図になくてもアクセスできる空白:名無しの場所 - 景観
墓地の移動:牧歌的な公園/遊歩道のスペース:緑道への転換/ヤシ泥棒:街路樹/芝生の強制:庭の整備/そびえ立つツリースクレイパー:地面に植えられない植物 - シナントロープ
都会に適応した動物:リス/ゴーストストリーム:魚のストーリー/しっぺ返し:嫌われ者の鳩/アライグマの抵抗:トラッシュパンダ/無人の土地:緑の回廊
- 教会の明示
- 第6章 アーバニズム
- 敵意
愛される公園:いかがわしいスケートボード対策/放尿トラブル:撃退鋲/意地の悪いオブジェ:落ち着かないシート/光の都市:行動を注書させる照明/特定の年齢層を狙う:耳障りな音/うわべの動機:隠された抑止対策 - 介入
ゲリラ修繕:無許可の標識/注目を引く:口コミで広がまった標識/許可を求める:解放された消火栓/許しを求める:論争を呼んだボルダー/行動を正す:中庸 - 触媒
自由のために動く:バリアフリーのスロープ/自転車への配慮:車を締め出す/人を追いやる:パークレットの設置/接ぎ木する:草の根ガーデニング/はみ出す:協力して場所を作る
- 敵意
- 終わりに
- 謝辞/参考文献/索引
【感想は?】
著者の目論見は、街をハックさせる事だ。いや多分だけど。
街は、ヒトが作るモノだ。何気なく見逃しているモノでも、誰かが何かの意図をもって設置したモノであり、そういう形になっているのも、何かの意図または事情がある。
その意図や事情やメカニズムがわかれば、ハックできる。知識と知恵と工夫次第で、街は改善できる。
そのためには、ソレがなぜそうなったのか、なぜそこにあるのかを知らねばならない。その手引きのひとつが、本書だ。
と思うのだが、少しトバしすぎた。本書の構成を順に見ていこう。
「第1章 目立たないもの」から、見過ごしていたモノにも意図や目的や役割があるのだ、と思い知らせてくれる。その一つ「お役所公認の落書き」は、道路の工事現場などに書かれる印だ。これは電力線や下水道などが地下に埋まっている事を示す。読み方が分かれば、街を歩く楽しみが増えるだろう。
「第2章 目立つもの」は、ソコにある事は知っているが由来は知らないものを取り上げる。ここでは「最優秀道案内賞」が印象に残る。ロサンゼルスで見かける、黄色い看板だ。これは映画のロケ地をキャストやスタッフに伝える役割を果たす。映画名を書いたら目ざといファンやマスコミが押し掛けるので、ちょっとした暗号になっている。ハリウッドを抱える土地ならではの名物だろう。
「第3章 インフラ」では、合衆国の例が多い中で、日本の話が嬉しい。取り上げたのはマンホールの蓋だ。最近は凝ったデザインのものが増えたよね。あれ、自治体が勝手にやったと思い込んでいたが、実は建設省の官僚の亀田泰武が自治体に働きかけたのが始まり。目的は下水道設備への注目を集めること。そういう意図があったのか。
また、「曲がる回数を増やす:より安全な交差点」や「循環の論理:環状交差点」では、自動車の左折(日本なら右折)を減らす試みを取り上げる。左折は対向車線を横切るので、混雑につながるばかりでなく、事故の原因にもなるのだ。
ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)のロジスティックス課は1970年代以降、配達を担当するドライバーに左折を回避するよう指導している。(略)
国のデータも、横断歩道での事故の50%以上は左折車が原因で、右折車が原因とされるデータは5%にとどまる
――第3章 インフラ 曲がる回数を増やす:より安全な交差点
「第4章 建築」は著者の本領だ(カート・コールステッドは建築学修士)。ケッタイな建物は近所の住民から顰蹙を買うが、多少は許される場合がある。その代表が…
美術館や博物館は、周囲の環境から浮いた存在でも許される。
――第4章 建築 有名建築家の挑戦:対照的な増築
わはは。確かに、その手の建物は、むしろ特徴がないとマズい。とはいえ、奇妙さにも程度があって、ルーブル美術館のピラミッド、あれも最初は不評だった。こういう現象はアリガチで。
建造環境に大きな変化が加えられるときの常として、一部の住民はいまだに不快感を抱いている。しかしよそからの訪問者は、予想もしない派手な建造物を前にして素直に驚く。
――第4章 建築 貴重な遺産の復元:一筋縄ではいかない修復作業
地元民は見慣れた風景が変わって違和感を持ち、文句を言いたくなる。だが旅行者などは最初から「そういうものだ」と思っていて、奇妙でもスンナリと受け入れちゃうのだ。
「第5章 地理」は、いきなり合衆国の歴史を感じさせる。「決定的瞬間:標準時」の、鉄道の時刻表の話だ。
1857年に発表された時刻表には、アメリカ各地の現地時間がなんと100以上も記載されていた。
――第5章 地理 決定的瞬間:標準時
合衆国は広い。そして幾つもの植民地が集ってできた国だ。だから政府より民間が活発で、鉄道も私鉄会社がたくさんできた。それまでは各地の時間は太陽を基準にしていて、街ごとに時差があった。でも当時はは馬車などのゆっくりした移動手段だけなので、時差は気にならなかった。しかし高速で動ける鉄道ができると、街ごとの時差が大問題になり…
鉄道みたいな大がかりなインフラまで民間主導ってあたりが、いかにも合衆国だよね。
そんな合衆国の理想の一つが、芝生のある家。が、地域によっては問題になりつつある。
「控えめに見積もっても、アメリカでは芝生の面積が、灌漑されたトウモロコシ畑の3倍に達する」
――第5章 地理 芝生の強制
州によっては淡水が貴重で、それを浪費する芝生はいかがなものか、みたいな話も出ているとか。
モノではないが、アメリカの公園で気になっていた事が一つある。やたらリスが多いのだ。あれ、元からいたのかと思ったが、違った。
現在のように都会でリスが繁殖したのは、(略)人間が公園に連れてきて、餌と住処を提供した結果、シナントロープ(→Wikipedia、人間と共生する野生動物)として成功を収めたのである。
――第5章 地理 都会に適応した動物
ヒトがワザワザ連れてきて住まわせたのだ。可愛いし、その気持ちは分かる。なら日本でも…と思ったが、奴らは可愛いだけでは済まないらしい。
ある推計によれば、停電の1/5にはリスが関わっている。
――第5章 地理 都会に適応した動物
齧歯類の例に漏れず、歯が伸び続けるので、色々と齧ってしまう。そう、電線も。とか考えてたら、既に日本でも野生化したリスが農作物を荒らすって事件が起きてた(→NHKの神奈川 鎌倉 増えるクリハラリス~生態系への影響が心配)。
などと、終盤では、積極的に街をハックする話が出てきて、なかなかワクワクする。そういったネタを集めたのが「第6章 アーバニズム」だ。街路樹に果樹の枝を接木する、なんて無茶なのもああるが、私が好きなのは「行動を正す:中庸」。
カリフォルニアのオークランドに住むボブは、自宅近くの交差点がゴミの山になり困っていた。そこでゴミを撤去し、かわりに仏像を買い設置する。しばらくすると仏像は綺麗に塗られ花や果物が備えられ、祠まで建ってしまう。近所の仏教徒が祀り上げたのだ。しまいには大型バスで観光客までやってくる。もちろんゴミは消え治安もよくなった。
もちろん、こんな心温まる話ばかりではなく、自治体と対立したりいたちごっこに陥ったり特定の層だけが得したりと、経過も結末も様々だが、「俺も何かやってみようかな」って気分にさせられるのは楽しいような危ないような。
元がサンフランシスコのラジオ番組のため、合衆国の例が多いのは少し残念だが、著者たちが都市に抱く愛情が伝わってくるのが心地よい。都市に住み、または通い、よく街を歩く人にお薦め。
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