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2024年10月の6件の記事

2024年10月29日 (火)

ローマン・マーズ&カート・コールステッド「街角さりげないもの事典 隠れたデザインの世界を探索する」光文社 小坂恵理訳

本書は、ごく平凡で見落とされやすいものを紹介するガイドブックだ。
  ――はじめに

規格化されると、そこに独創性を加えることへの関心が高まった。
  ――第3章 インフラ 丸ければ落ちない:マンホールの蓋

【どんな本?】

 街には様々なものがある。消火栓、ネオンサイン、マンホール、信号機…。大抵は誰かが何らかの意図をもってソコに置いたものだ。なぜソコにあるのか、なぜそういう色や形なのか、誰が置いたのか。それぞれに意味や意図、または歴史的な経緯がある。

 日頃から私たちが見過ごしている街の様々なモノや、特徴ある建物の様式、名前の無い空間など、街で見かけるが人々が気にしないモノや事柄を取り上げ、その意図や役割や歴史を語り、読者が街を見る目を少しだけ変える、一般向けのノンフィクション。

 元はサンフランシスコのラジオ番組 99% Invisible で、今は PodCast で配信中。

 なお、取り上げる街は合衆国、それもサンフランシスコ周辺が最も多いが、欧州や日本も少し出てくる。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The 99% Invisible City : A Field Guide to the Hidden World of Everyday Design, by Roman Mars, Kurt Kohlstedt, 2020。日本語版は2023年2月28日初版第1刷発行。単行本ハードカバー横一段組み本文約315頁。8.5ポイント42字×35行×315頁=約463,050字、400字詰め原稿用紙で約1,158枚、文庫なら上下巻ぐらいだが、イラストが多いので文字数はその7割ぐらい。

 文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくない。ただ、取り上げる話題は合衆国や欧州が多いので、その辺に住んでいるか旅行に行った経験があると更に楽しめる。

【構成は?】

 各章はテーマごとにまとまっているが、それぞれの記事は独立しているので、気になった所だけをつまみ食いしてもいい。

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  • はじめに
  • 第1章 目立たないもの
    • どこにでもあるもの
      お役所公認の落書き:ユーティリティー・コード/文字の刻印:歩道のマーキング/わざと倒れる:分解型の支柱/小さな安全:緊急時のための箱
    • カモフラージュ
      ソーントンの香水瓶:悪臭パイプ/隠された放出:偽のファザード/悪い空気を迂回させる:換気塔/住宅地の中の変圧器:変電所/細胞生物学:携帯電話の中継塔/意外な場所での資源発掘:採集井
    • 積み重ね
      星を見る:アンカープレート/傷痕建築:都市の空き地/エルオーエス:中継ノード/トマソン:用済みでも保守されるもの/多すぎる悩み:愛の南京錠/スポリア:建設的な再利用
  • 第2章 目立つもの
    • アイデンティティ
      旗章学のルール:自治体の旗/公共の身体:市の記念碑/知識の泉:記念銘板/目立つ特徴:おしゃれな形
    • 安全
      公共物を使った自己主張:信号機/境界補助装置:再帰反射式の鋲/市松模様の華やかな歴史:認知のパターン/記憶に残るけれども意味はない:警告標識/時代を物語るもの:避難所の標識
    • 看板
      大胆な筆遣い:手書きの看板/チューブベンダー:インフレータブル・チューブマン/最優秀道案内賞:ロケ現場への誘導看板/たくましすぎる商魂:広告の撤去
  • 第3章 インフラ
    • 役所仕事
      行政の怠慢:事故が多発する橋/整備された配達網:郵便業務

    • 丸ければ落ちない:マンホールの蓋/吹き上がる飲み水:噴水式水飲み場/流れを逆転させる:排水の管理/円を描いて戻ってくる:地下の貯水槽/アップルからオイスターへ:洪水の緩和
    • テクノロジー
      細い線:電柱/電流の変更:送電網/ムーライトタワー:街路灯/ダイアルの逆回転:電力メーター/ネットワーク効果:インターネットケーブル
    • 道路
      変化を加速する:センターライン/責任転嫁:歩行者を非難する/大事な指標:衝突試験/コンクリートで分離する:車線分離法/曲がる回数を増やす:より安全な交差点/循環の論理:環状交差点/交通静穏化:乱暴な運転を防ぐ/ギアの逆転:右側通行への変更
    • 公共空間
      境界線:インターステーシャル・スペース/西側への横断:歩行者信号機/シャロウの道:自転車専用車線/混雑課金:交通渋滞の緩和/制約からの開放:指示のない道路
  • 第4章 建築
    • 境界
      完璧ではないセキュリティ:入り口のロック/開けたり閉めたり:回転ドア/出口の改良:非常用出口
    • 材料
      盗まれたファザード:レンガの再利用/集合効果:コンクリートのひび割れ/ハイブリッドの解決策:木材の復活
    • 規制
      世知辛い建築:課税単位/限界への挑戦:マンサード屋根/天国から地獄まで:財産制限
    • タワー
      ブレイキング・グッド:現代のエレベーター/ビルを守る骨格:カーテンウォール/最高点への到達:超高層ビルの建設レース/予想外の荷重:危機管理/大事な遠近感:変化したスカイライン/空へ:ランドマーク/集団力学:ストリートキャニオン
    • 土台
      近所の飛び地:国際地区/現実的な設計:サービスセンター/足を向けたくなるアヒル:商売の象徴/有名建築家の挑戦:対照的な増築
    • 遺産
      異教徒の門:物語を重ね合わせる/ランドマークに関する判決:歴史的建造物の保存/貴重な遺産の復元:一筋縄ではいかない修復作業/創作上の自由:偽りの再建/不自然淘汰:主観的な復元/衰退したアトラクション:魅力ある廃墟/暗号に満ちた景観:枠組みの痕跡/解体基準法:計画的な解体
  • 第5章 地理
    • 教会の明示
      起点:道路元標/エッジケース:境界石/決定的瞬間:標準時/道路建設推進派:公道
    • 地形
      丸め誤差:ジェファーソンの格子/未割当地:寄せ集めのプラン/直線的な啓示:座標化された都市ブロック/素晴らしきアシャンプラ:再編されるスーパーブロック/標準偏差:道路の発達パターン
    • 名称
      要出典:非公式な地名/頭文字名称のハイブリッド:地域の呼び名/計算ずくの省略:不吉な数字/意図的なエラー:架空の項目/置き間違いされた場所:ヌル島/道を開く:ツーソン・ストラベニュー/地図になくてもアクセスできる空白:名無しの場所
    • 景観
      墓地の移動:牧歌的な公園/遊歩道のスペース:緑道への転換/ヤシ泥棒:街路樹/芝生の強制:庭の整備/そびえ立つツリースクレイパー:地面に植えられない植物
    • シナントロープ
      都会に適応した動物:リス/ゴーストストリーム:魚のストーリー/しっぺ返し:嫌われ者の鳩/アライグマの抵抗:トラッシュパンダ/無人の土地:緑の回廊
  • 第6章 アーバニズム
    • 敵意
      愛される公園:いかがわしいスケートボード対策/放尿トラブル:撃退鋲/意地の悪いオブジェ:落ち着かないシート/光の都市:行動を注書させる照明/特定の年齢層を狙う:耳障りな音/うわべの動機:隠された抑止対策
    • 介入
      ゲリラ修繕:無許可の標識/注目を引く:口コミで広がまった標識/許可を求める:解放された消火栓/許しを求める:論争を呼んだボルダー/行動を正す:中庸
    • 触媒
      自由のために動く:バリアフリーのスロープ/自転車への配慮:車を締め出す/人を追いやる:パークレットの設置/接ぎ木する:草の根ガーデニング/はみ出す:協力して場所を作る
    • 終わりに
    • 謝辞/参考文献/索引

【感想は?】

 著者の目論見は、街をハックさせる事だ。いや多分だけど。

 街は、ヒトが作るモノだ。何気なく見逃しているモノでも、誰かが何かの意図をもって設置したモノであり、そういう形になっているのも、何かの意図または事情がある。

 その意図や事情やメカニズムがわかれば、ハックできる。知識と知恵と工夫次第で、街は改善できる。

 そのためには、ソレがなぜそうなったのか、なぜそこにあるのかを知らねばならない。その手引きのひとつが、本書だ。

 と思うのだが、少しトバしすぎた。本書の構成を順に見ていこう。

 「第1章 目立たないもの」から、見過ごしていたモノにも意図や目的や役割があるのだ、と思い知らせてくれる。その一つ「お役所公認の落書き」は、道路の工事現場などに書かれる印だ。これは電力線や下水道などが地下に埋まっている事を示す。読み方が分かれば、街を歩く楽しみが増えるだろう。

 「第2章 目立つもの」は、ソコにある事は知っているが由来は知らないものを取り上げる。ここでは「最優秀道案内賞」が印象に残る。ロサンゼルスで見かける、黄色い看板だ。これは映画のロケ地をキャストやスタッフに伝える役割を果たす。映画名を書いたら目ざといファンやマスコミが押し掛けるので、ちょっとした暗号になっている。ハリウッドを抱える土地ならではの名物だろう。

 「第3章 インフラ」では、合衆国の例が多い中で、日本の話が嬉しい。取り上げたのはマンホールの蓋だ。最近は凝ったデザインのものが増えたよね。あれ、自治体が勝手にやったと思い込んでいたが、実は建設省の官僚の亀田泰武が自治体に働きかけたのが始まり。目的は下水道設備への注目を集めること。そういう意図があったのか。

 また、「曲がる回数を増やす:より安全な交差点」や「循環の論理:環状交差点」では、自動車の左折(日本なら右折)を減らす試みを取り上げる。左折は対向車線を横切るので、混雑につながるばかりでなく、事故の原因にもなるのだ。

ユナイテッド・パーセル・サービス(UPS)のロジスティックス課は1970年代以降、配達を担当するドライバーに左折を回避するよう指導している。(略)
国のデータも、横断歩道での事故の50%以上は左折車が原因で、右折車が原因とされるデータは5%にとどまる
  ――第3章 インフラ 曲がる回数を増やす:より安全な交差点

 「第4章 建築」は著者の本領だ(カート・コールステッドは建築学修士)。ケッタイな建物は近所の住民から顰蹙を買うが、多少は許される場合がある。その代表が…

美術館や博物館は、周囲の環境から浮いた存在でも許される。
  ――第4章 建築 有名建築家の挑戦:対照的な増築

 わはは。確かに、その手の建物は、むしろ特徴がないとマズい。とはいえ、奇妙さにも程度があって、ルーブル美術館のピラミッド、あれも最初は不評だった。こういう現象はアリガチで。

建造環境に大きな変化が加えられるときの常として、一部の住民はいまだに不快感を抱いている。しかしよそからの訪問者は、予想もしない派手な建造物を前にして素直に驚く。
  ――第4章 建築 貴重な遺産の復元:一筋縄ではいかない修復作業

 地元民は見慣れた風景が変わって違和感を持ち、文句を言いたくなる。だが旅行者などは最初から「そういうものだ」と思っていて、奇妙でもスンナリと受け入れちゃうのだ。

 「第5章 地理」は、いきなり合衆国の歴史を感じさせる。「決定的瞬間:標準時」の、鉄道の時刻表の話だ。

1857年に発表された時刻表には、アメリカ各地の現地時間がなんと100以上も記載されていた。
  ――第5章 地理 決定的瞬間:標準時

 合衆国は広い。そして幾つもの植民地が集ってできた国だ。だから政府より民間が活発で、鉄道も私鉄会社がたくさんできた。それまでは各地の時間は太陽を基準にしていて、街ごとに時差があった。でも当時はは馬車などのゆっくりした移動手段だけなので、時差は気にならなかった。しかし高速で動ける鉄道ができると、街ごとの時差が大問題になり…

 鉄道みたいな大がかりなインフラまで民間主導ってあたりが、いかにも合衆国だよね。

 そんな合衆国の理想の一つが、芝生のある家。が、地域によっては問題になりつつある。

「控えめに見積もっても、アメリカでは芝生の面積が、灌漑されたトウモロコシ畑の3倍に達する」
  ――第5章 地理 芝生の強制

 州によっては淡水が貴重で、それを浪費する芝生はいかがなものか、みたいな話も出ているとか。

 モノではないが、アメリカの公園で気になっていた事が一つある。やたらリスが多いのだ。あれ、元からいたのかと思ったが、違った。

現在のように都会でリスが繁殖したのは、(略)人間が公園に連れてきて、餌と住処を提供した結果、シナントロープ(→Wikipedia、人間と共生する野生動物)として成功を収めたのである。
  ――第5章 地理 都会に適応した動物

 ヒトがワザワザ連れてきて住まわせたのだ。可愛いし、その気持ちは分かる。なら日本でも…と思ったが、奴らは可愛いだけでは済まないらしい。

ある推計によれば、停電の1/5にはリスが関わっている。
  ――第5章 地理 都会に適応した動物

 齧歯類の例に漏れず、歯が伸び続けるので、色々と齧ってしまう。そう、電線も。とか考えてたら、既に日本でも野生化したリスが農作物を荒らすって事件が起きてた(→NHKの神奈川 鎌倉 増えるクリハラリス~生態系への影響が心配)。

 などと、終盤では、積極的に街をハックする話が出てきて、なかなかワクワクする。そういったネタを集めたのが「第6章 アーバニズム」だ。街路樹に果樹の枝を接木する、なんて無茶なのもああるが、私が好きなのは「行動を正す:中庸」。

 カリフォルニアのオークランドに住むボブは、自宅近くの交差点がゴミの山になり困っていた。そこでゴミを撤去し、かわりに仏像を買い設置する。しばらくすると仏像は綺麗に塗られ花や果物が備えられ、祠まで建ってしまう。近所の仏教徒が祀り上げたのだ。しまいには大型バスで観光客までやってくる。もちろんゴミは消え治安もよくなった。

 もちろん、こんな心温まる話ばかりではなく、自治体と対立したりいたちごっこに陥ったり特定の層だけが得したりと、経過も結末も様々だが、「俺も何かやってみようかな」って気分にさせられるのは楽しいような危ないような。

 元がサンフランシスコのラジオ番組のため、合衆国の例が多いのは少し残念だが、著者たちが都市に抱く愛情が伝わってくるのが心地よい。都市に住み、または通い、よく街を歩く人にお薦め。

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2024年10月23日 (水)

藤井一至「土 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて」光文社新書

そもそも土とは何なのか。地球の土は、日本の土は、どうやって私たちの食卓を支えてくれているのか。100億人の生存は可能なのか。
  ――まえがき

「土壌」とは、岩の分解したものと死んだ動植物が混ざったものを指す。
  ――第1章 月の砂、火星の土、地球の土壌

塩を撒くと土は固くなるのだ。空気や水の入り込むスペースが潰れ、植物の根も深く入っていけなくなると、生産力が落ちる。乾燥地では粘土が仇となることさえある。
  ――第2章 12種類の土を探せ!

熱帯雨林(略)豊かな森の下の土壌は薄く貧弱(略)ということが常套句のように書いてある。
しかし、私の調べた限りでは、熱帯土壌が薄いというのは落葉層、腐植層に限った話であって、土そのものは深い。(略)
高温で湿潤な熱帯雨林では、活発な生物活動が岩石の風化を加速する
  ――第2章 12種類の土を探せ!

私たちの食卓に並ぶ食べ物の95%は、統計上、土に由来する。
  ――第4章 日本の土と宮沢賢治からの宿題

【どんな本?】

 SF小説「火星の人」とその映画「オデッセイ」では、火星に取り残された主人公が自分の糞尿を肥料として畑を耕しジャガイモを育てた。だが、これは実際に可能なんだろうか?

 地球にも様々な地域があり、土も様々だ。ウクライナの肥沃な土は有名で、かつてはナチスドイツが、今はロシアが狙い侵略を企てている。

 あまり豊かとは言われないが、東アジアや東南アジアの高い人口密度も、支えているのは農業生産力の高さだ。その原因の一つは豊かな降水量だが、同じ降水量が豊かな熱帯雨林は人口が少ない。その理由は、土壌だろう。

 そもそも土壌とは何か。どんな土壌があって、それぞれどのように出来て、どんな性質があり、どう使われているのか。「肥沃な土」とは、どんな土なのか。日本の土はどんな特徴があり、日本人はそれをどう利用しているのか。そして将来人口が100億人に増えた時に、全てを養うことはできるのか。

 農学で博士号を得た後は土の研究に邁進し、愛用のスコップを片手に世界中を飛び回って土を掘り返してきた著者が、各地の土とその利用法を語りつつ、土壌研究の基礎を紹介する、一般向けの科学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2018年8月30日初版第1刷発行。新書版で縦一段組み本文約200頁。9ポイント41字×15行×200頁=約123,000字、400字詰め原稿用紙で約308枚。イラストや写真も豊富に載っているので、実際の文字数は8割ぐらい。文庫なら薄い一冊分。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすいが、例え話が逆に理解しがたくしてる感がある。無理して社会や人間に例えなくてもいいのに。また、著者はスコップ片手に世界中を飛び回るので、世界地図があると迫力が増す。

【構成は?】

 基本的に前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

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  • まえがき
  • 第1章 月の砂、火星の土、地球の土壌
    肥沃な土は地球にしかない/月には粘土がない/火星には腐植がない/細かい土と素敵な地球/人も土も見た目が八割/土に植物が育つわけ/電気を帯びた粘土の神通力/薬にも化粧品にもなる粘土/植物工場で100憶人を養えるのか/世界の土はたったの12種類
  • 第2章 12種類の土を探せ!
    土のグランドスラム/裏山の土から始まる旅/どうして日本の土は酸性なのか/農業のできない土/永久凍土を求めて/ツンドラと永久凍土/氷が解けたその後で/泥炭土と蚊アレルギー/ウイスキーとジーパンを生んだ泥炭‘土”/土壌がないということ/微笑みの国の砂漠土壌/ゴルフ場よりも少ないポドゾル/魅惑のポドゾルを求めて/土の皇帝チェルノーゼム/土を耕すミミズとジリス/ホットケーキセットを支える粘土集積土壌/ひび割れ粘土質土壌と高級車/塩辛い砂漠/腹ペコのオランウータンと強風化赤黄色土/野菜がない/幻のレンガ土壌/青い岩から生まれた赤い土/スマホも土からできている/黒ぼく土で飯を食う/盛り上がる黒ぼく土/黒ぼく土はなぜ黒いのか/肥沃な土は多くない
  • 第3章 地球の土の可能性
    宝の地図を求めて/世界の人口分布を決める土/肥沃な土の条件/隣の土は黒い/黒土とグローバル・ランド・ラッシュ/ステーキとチェルノーゼム/牛丼を支える土とフンコロガシ/岩手県一つ分の塩辛い土/肥沃な土の錬金術/セラードの奇跡/強風化赤黄色土ではだめなわけ/土が売られる/お金がない、時間もない/スコップ一本からの土壌改良
  • 第4章 日本の土と宮沢賢治からの宿題
    黒ぼく土を克服する/火山灰土壌からのリン採掘/田んぼの土のふしぎ/宮沢賢治からのリクエスト/SATOYAMAで野良稼ぎ/日本の土もすごい/バーチャル・ソイル/土に恵まれた惑星、土に恵まれた日本
  • あとがき
  • 引用文献

【感想は?】

 本書が土壌を評価する基準は分かりやすい。農業用地として優れているか否かだ。農作物、それも主に食用の農作物がよく育つ土壌を、著者は求めている。

 今後、地球の人口が増えるに従い、より多くの食料が必要になる。土地には限りがある以上、取れる手段は二つだ。既存の農地の生産量を増やすか、新しく農地を開拓するか。幸い現代は科学技術が発達し、化学肥料等で土壌の足りない養分を補える。では、地球にはどんな土壌があって、それぞれどんな性質なのか。

 と、いいうことで、著者はスコップ片手に世界を飛び回り、様々な土を掘り返すのだ。

土の種類は12しかない。
  ――第1章 月の砂、火星の土、地球の土壌

 12種類は多いような少ないような、微妙なところ。絵の具で土を塗るとき、多くの日本人は黒か焦げ茶で塗る。試合を終えた甲子園球児のユニフォームは黒く汚れる。日本の土は黒いのだ。しかし、世界を見回すと、地域によっては赤く塗ったり白く塗ったりする。土にも色々なバリエーションがあるのだ。

 そんな中、農地として理想の土壌、いわゆる「肥沃な土」は、どんな土壌か。

肥沃な土の条件が明確になった。粘土と腐植に富み、窒素、リン、ミネラルなどの栄養分に過不足なく、保水力が高いと同時に排水もよく、通気性も良い土壌。
  ――第1章 月の砂、火星の土、地球の土壌

 具体的には、ウクライナなどに広がるチェルノーゼムだ。だが、我らが日本の土=黒ぼく土も意外と優秀らしい。いやクセは強いんだけど。

火山付近や都市部に限らず、日本中どこを掘っても土は酸性だ。
  ――第2章 12種類の土を探せ!

 なぜ酸性か。酸性雨とか火山灰とか言われているが、著者は豊かな雨が原因だと主張する。

土は、雨が多ければ酸性に、雨が少なければアルカリ性に振れやすい。
  ――第2章 12種類の土を探せ!

 素性は悪くない。それどころか、腐植(動植物の死体)を多く含むので、結構スジはいいのだ。まあ、この本を読むまでもなく、夏になれば猛々しいほどに生い茂る雑草を見れば、植物には向く土なんだろう、ぐらいの見当はつく。が、弱点もある。

チェルノーゼム、ひび割れ粘土質土壌よりも多くの腐植を含む黒ぼく土だが、違いは酸性だということだ。しかも、腐植を吸着する粘土(アロフェン)は、同時に、リン酸イオンも強く吸着する。作物育成に必要な栄養分であるリン酸イオンが作物に行き届かなくなってしまう。
  ――第2章 12種類の土を探せ!

 作物が育つのに必要な要素の一つ、リンが不足しがちなのだ。いや土壌内にはあるんだ。あるんだけど、粘土がリンを掴んで離さないから、作物は根から吸収できない。

 そういった事を、化学的に説明する箇所もある。

カルシウムやマグネシウム、カリウムなどの植物に必要な栄養分は、水の中でプラス電気を持つイオンとなる。多くの粘土はマイナス電気を帯びており、プラス電気を帯びたイオンを引き付ける。
同じく植物に必要なリンは、水の中でマイナス電気を持つリン酸イオン(H2PO4-)となる。鉄さび粘土や腐植はマイナス・プラス両方の電気を持つため、リン酸イオンも吸着できる。
これが、粘土の多い土が養分を多く保持できる仕組みである。
  ――第1章 月の砂、火星の土、地球の土壌

 敢えて難しい部分を引用したが、理解できなくても本書を読むのに大きな問題はない。「土の中でも化学反応が起きてるんだな」ぐらいに思っていればいい。それはともかく、降水量が多いため酸性に傾きがちな日本の土壌だが、水田は見事に日本の気候と土壌にあった作物・農法なんだな、と終盤で納得できるので、楽しみにしよう。

 こういう、土地や気候と作物の相性は大事で、巧く組み合わせれば土地の改良にもなったり。輪作って、そういう事だよね。

マカランガの根っこは(略)多量の有機酸を放出する。これにより年度に捕獲されているリン酸を溶かし出す。結果として、マカランガは多くのリンを吸収できる。リンを豊富に含むマカランガの落ち葉を材料とした腐植は、やはりマカランガを多く含む。
  ――第3章 地球の土の可能

 こういう土の性質は、文明の興亡や歴史の流れも左右する。

世界の人口密度と降水量の地図を見るとコンゴ川を有するアフリカの中央平原、アマゾン川を有する南米の熱帯雨林は水が豊富にあるにもかかわらず、人口密度は低い。(略)文明が発達しなかったのは(略)酸性で栄養分の乏しいオキシソルが農業生産に適さなかったことにある。
  ――第3章 地球の土の可能

 「森と文明」によると、イラク南部やローマなど古の文明が栄えた土地は、当時は鬱蒼とした森に覆われていて、薪などに必要な木材が充分に手に入ったそうだが、森林の伐採で土地が荒れ多くの人口を養えなくなった。20世紀にもダストボウル(→Wikipedia)なんて悲劇も。

 人間が土を荒らせるのなら、逆に土を活用することもできそうだ。「大豆と人間の歴史」によると、日本の支援で南米諸国は大豆の生産を増やし、特にブラジルは米国とシェア世界一を争うまでに成長した。のだが、その農場の実態を本書はカラー写真で見せてくれて、これが実に切ない。あ、ちなみに、アマゾンの密林を切り拓いたわけじゃないです。

 終盤では、地域の土の性質により、人間が摂取する栄養素にまで過不足が生じるなんて話もあって、土が人間に与える影響の大きさをわかりやすく実感させてくれる。著者は「地味」と卑下する分野の研究だが、今も昔もウクライナの穀倉地帯を狙い戦争を仕掛ける者もいるし、そのあおりで食糧輸入国が多いアフリカ諸国は政情不安に陥ってるのを考えれば、むしろ極めて重要な研究分野と言える。

 などと大上段に構えるのもいいが、難しいことを考えず、とりあえず足元の土について少し知りたいと思う人にこそ、この本はお薦め。

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2024年10月20日 (日)

ダニエル・E・リーバーマン「運動の神話 上・下」早川書房 中里京子訳

私たちは運動するようには進化してこなかったはずなのに、運動は、なぜ、どのようにして、これほど健康に役立つのか
  ――プロローグ

(霊長類学者のリチャード・)ランガムによれば、人類が他の動物、特にその近縁種と異なる点は、極めて低い反応的攻撃性とより高い能動的攻撃性を持つことにあるという。
  ――第7章 戦いとスポーツ 牙からサッカーへ

身体活動は、高齢期に健康でいられるチャンスを高める一連のメカニズムを発動させるのだ。
  ――第10章 エンデュランスとエイジング 「アクティブな祖父母仮説」と「コストのかかる修復仮説」

【どんな本?】

 私は運動が嫌いだ。私だけじゃない。運動が嫌いな人は多い。だが、医師は「運動しろ」と言う。健やかな体を保つには、運動が役に立つらしい。現代の日本では、入院しても運動するように求められる。いや怪我や病気の種類にもよるが。今や…

運動は医療になった
  ――第12章 どれぐらいの量? どんな種類?

 のだ。

 だが、それって変じゃないか? 運動が体にいいなら、人間は運動が好きな筈だ。だが、少なくとも私のまわりを見る限り、多くの人間は運動が嫌いだ。これはおかしい。

 著者のダニエル・E・リーバーマンは、古人類学者だ。人類の進化の歴史を辿り、また人類の進化の過程と似た生き方を現代も続ける狩猟採集民の暮らしや体調や疾病の具合を観察し、人類とはどんな動物でどのように生き延びてきたのか、その進化の過程で運動と健康にどんな関係ができたのかを探り、また現代になって豊富に手に入るようになった運動と健康または疾病のデータや論文を調べあげた。

 人類の進化プロセスというユニークな視点で、運動と疾病/健康の関係を見つめなおす、一般向けの科学/医学解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Exercised: Why Something We Never Evolved to Do Is Healthy and Rewarding, by Daniel Lieberman, 2020。日本語版は2022年9月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み上下巻で本文約220頁+216頁=436頁に加え、訳者あとがき6頁。9.5ポイント45字×20行×(220頁+216頁)=約392,400字、400字詰め原稿用紙で約981枚。文庫でも上下巻ぐらい。

 文章はこなれている。内容も特に難しくないが、有酸素運動(→Wikipedia)など一部の用語を説明せずに使っている。

【構成は?】

 全体的に前のパートを受けて後のパートが展開する形なので、素直に頭から読もう。

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  •   上巻
  • プロローグ
    運動にまつわる神話/なぜ博物学なのか?
  • 第1章 人は休むようにできているのか、それとも走るようにできているのか
    エルネスト/星空の下でのララヒッパリ/「アスレチックな野蛮人」という神話/「正常な」人間はカウチポテトか?/時代を通した身体活動の変遷/エクササイズはいかにして奇妙なものになったか
  • パート1 身体的に不活発な状態
  • 第2章 身体的に不活発な状態 怠けることの大切さ
    何もしないことのコスト/「この人たちがよりよく栄養をとれるように、飢えていただけませんか?」/トレードオフの真実/人間は怠けるために生まれてきた?/不活発賛歌
  • 第3章 座ること それは新たな喫煙か?
    私たちはどうやって、なぜ座るのか/人はどれぐらい座っているのか?/火事/座っている間も、くすぶっている?/アクティブな座り方/どのように、どれだけ座るべきか?
  • 第4章 睡眠 なぜストレスは休息を妨げるのか
    快眠は体のため?それとも脳のため?/八時間という神話/睡眠の文化/睡眠に関するストレス/睡眠に悩まされる
  • パート2 スピード、力強さ、そしてパワー
  • 第5章 スピード ウサギでもなくカメでもなく
    ウサイン・ボルトはどれぐらい遅いか?/二本脚の問題/速く走るか、遠くまで走るか/赤い肉と白い肉。どちらの遺伝子が欲しい?/生まれか育ちか/すばらしき高強度インターバルトレーニング
  • 第6章 力強さ ムキムキからガリガリまで
    古代における力強さ/類人猿と原始人はムキムキだったか?/レジスタンスをぶっつぶせ!/加齢と筋肉/ウェイトトレーニングはどれだけやればよいのか?
  • 第7章 戦いとスポーツ 牙からサッカーへ
    人間は生まれつき攻撃的な生き物なのか?/戦うために立ち上がる?/ホモ属の善なる天使/武器を手にする前の戦い/武器を使った戦い/フェアなプレイヤーになる?
  • 原注
  •   下巻
  • パート3 持久力
  • 第8章 ウォーキング いつものこと
    人間はどう歩いているか/「四本足はよい、二本足は悪い」?/荷物を運ぶ動物/余分な体重はウォーキングで落とせるか?/一万歩?
  • 第9章 ランニングとダンス 片方の脚からもう片方の脚へのジャンプ
    人間と馬のレース?/片方の脚からもう片方の脚へのジャンプ/パワー・スキャベンジングと持久狩猟/病院に駆け込むべき?/一緒に踊りませんか?
  • 第10章 エンデュランスとエイジング 「アクティブな祖父母仮説」と「コストのかかる修復仮説」
    /長い歴史を通して見た老い/老化の本質/「コストのかかる修復」仮説/有病状態の拡大と圧縮
  • パート4 現代社会における運動
  • 第11章 動くべきか、動かぬべきか どうやって運動させるか
    ビョルン・ボルグ社のスポーツアワー/やりたくないのですが……/エクササイズをもう少し楽しいものににするには?/運動が必要だと思わせるには/若者に焦点を当てる
  • 第12章 どれぐらいの量? どんな種類?
    一週間に150分?/運動しすぎることはあるのか?/ミックスする?
  • 第13章 運動と病気
    肥満/メタボリック症候群と2型糖尿病/心血管疾患/呼吸器感染症および他の伝染病/慢性的な筋骨格系の疾患/がん/アルツハイマー病/メンタルヘルス うつ病と不安障害
  • エピローグ
  • 謝辞/訳者あとがき/原注

【感想は?】

 ヤバい。近所のジムに入会する気になってる。正気か俺。

 つまりは運動するよう読者を洗脳する本だ。その手口が巧みなのだ。まず、読者がどういう奴か、著者はよくわかってる。頭でっかちの理屈屋で、やや天邪鬼、二言目には根拠を求める。世間的な権威はともかく、学術的な権威には弱い。

 そういう連中を洗脳するために、著者は色々と工夫を凝らす。例えば人類の進化から話を始めるのだ。私たちの祖先は、どんな環境でどのように暮らしてきたのか? 何せ数十万年も昔の話だ。おまけに人類発祥の地アフリカは地質の影響もあり、物的証拠が残りにくい。

 仕方がないので現代にわずかに残る狩猟採集民族の暮らし方を調べ、人類の大半が狩猟採集で生きていた頃を類推したり、近縁種のゴリラやチンパンジーの生活を観察・分析し、種としての特性を浮かび上がらせてゆく。すると…

人間の体は生涯にわたって動かさないと最適に機能しないように進化してきた一方で、人間の心は、必要に迫られない限り、そして喜びや、何らかの見返りがない限り、体を動かそうとはしないように進化してきたのだ。
  ――第11章 動くべきか、動かぬべきか どうやって運動させるか

 そう、私が運動嫌いなのは怠けものだからではなく、ヒトがそう進化してきたからなのだ。俺は悪くない。

 と、読者をいい気分にさせてから話を進める。なかなか巧みだ。おまけに現代の狩猟採集民は、さぞかし忙しくしてたんだろうと思いきや…

(現代の狩猟採集民の生活から測った研究によると)かつての人間の典型的な労働時間は約7時間であり、その多くは軽度の活動に費やされ、活発な活動はせいぜい一時間程度だった
  ――第1章 人は休むようにできているのか、それとも走るようにできているのか

 意外とのんびりしてる。どころか下手すると現代の忙しい労働者より動いてないかも。とはいえ、さすがにホワイトカラーよりは動く。いや別に好きで運動してるんじゃない。根菜掘りや水くみなど、生きるのに必要なことをするためには、どうしても体を動かす必要があるのだ。その水くみも、結構な運動になっている。

体重の半分以下の荷物を運ぶ場合は、通常、重量の20%の追加コストがかかり、荷物がいよいよ重くなると、そのコストは指数関数的に増加するという。
  ――第8章 ウォーキング いつものこと

 それ以外の時も、皆が集まり座ってお喋りしながら、子供をあやしたり繕い物をしたり。座ってる時間も、案外と長い。じゃ腰が痛くならないのか、というと。彼らは座る姿勢が違うのだ。私は背もたれのある椅子に座ってる。対して彼らは切り株などの背もたれがないモノに腰を掛けたり、地面にしゃがんだり。

 なのだが、著者は言う。問題は姿勢ではない、と。

問題は座ること自体にではなく、長時間動かず座り続ける状態に、ほとんど運動しない状態が組み合わさることにある。
  ――第3章 座ること それは新たな喫煙か?

 狩猟採集民は、座っている際もじっとしていない。何か作業をしていて、ちょこちょこ動いている。前かがみでジッとモニタを見つめたりはしてない。デスクワークも、適度に中断をはさむのがよさそうだ。

 そんな本書で何度も指標とするのが、「週に150分以上の中・高強度の運動」である。例えば…

週に150分以上の中・高強度の運動を定期的に行った人は、睡眠の質が65%向上しただけでなく、日中に過度の眠気を感じることも少なかった。また逆に、十分な睡眠をとれば、体を休めて修復するための十分な時間が確保できるので、人々は活動的になり、運動能力が向上する。
  ――第4章 睡眠 なぜストレスは休息を妨げるのか

 などと、「運動すれば生活の質も上がりますよ」とそそのかしてくる。

 本書が扱う運動不足の問題点の一つは肥満だ。これは血中の中性脂肪が増え血圧が高くなり血管が硬くなる等の現象もあるが、慢性の炎症状態にもなるというからタダゴトではない。そこで怠け者は考える。「運動は嫌だから食べる量を減らそう」。だが、これは賢くない。私たちの体は、困った方法でカロリー不足に対処するのである。

彼ら(ミネソタ飢餓実験(→Wikipedia)の被験者)の体は、安静時にも、より少ないエネルギーを使うように変化していたのだ。
  ――第2章 身体的に不活発な状態 怠けることの大切さ

 人間の体は安静にしていてもエネルギーを使う。脳や肝臓など臓器を維持し、肺で呼吸し、心臓は血液を送り出し、皮膚などを新陳代謝する。それが飢餓状態になると、新陳代謝を減らすなどして固定的なカロリー出費を減らすのである。食べる量を減らしても、肌が荒れるだけで、あまし痩せないのだ。残念。

 では、逆に固定的なカロリー出費を増やす手は…あるのだ、ちゃんと。筋肉は贅肉より多くのカロリーを使う。だから筋肉を増やせば、消費するカロリーも増えるのである。

筋肉隆々のウェイトリフティング選手は筋肉量が40%以上になることもあり、コストのかかる肉を20kgも余分に備えていることになる。もし私が彼らのように筋肉を増強しようとしたら、新たな体格のために1日あたり200~300キロカロリー多く食べなければならない。
  ――第6章 力強さ ムキムキからガリガリまで

 筋肉をつけるには有酸素運動よりウェイトリフティングなどが効果的なんだろうが、ダイエットは逆で…

肥満にはウェイトトレーンイングより有酸素運動の方が適している。
  ――第13章 運動と病気

 というから悩ましい。ちなみに筋肉をつけるのは骨粗鬆症などにも有効らしい。

サルコペニア(加齢による骨格筋量の低下、→Wikipedia)を予防したかったら、ウェイトトレーニングを行なおう。
  ――第13章 運動と病気

 そんなヒトは、他の動物と比べてどんな特徴があるか、なんて話も出てくる。例えばチーターは短距離が得意なスプリンターで、草食動物の多くは長距離走者だ。本書によると、人類は万能型らしい。

石器時代に暮らした私たちの祖先には、(略)カメとウサギの両方に見合うような幅広い運動能力を持つ「何でも屋」に進化したのである。
  ――第5章 スピード ウサギでもなくカメでもなく

 やはり最大の特徴は二足歩行だ。

人間を人間たらしめている数多くの特別な資質のなかで、効率的な二足歩行は明らかに最初に進化したものであり、依然として最も重要な資質の一つに留まっている。
  ――第8章 ウォーキング いつものこと

 それに加え、優れたラジエーターを備えている点が挙げられる。

高性能の脚を備えたことに加え、より遠くへ行くために人間が適応により獲得した最も重要かつ独特な能力は、大量の汗をかくことだ。
  ――第9章 ランニングとダンス 片方の脚からもう片方の脚へのジャンプ

 ここで面白いのが、優れた冷却機構を活用する狩りの話。暑い昼間に長時間の追跡で、獲物を熱中症に追い込むのだ。途中で何度も獲物を見失うのだが、痕跡を見つけて跡を追うのである。冷却機構に加え、高い知能も必要で、まさに人類向きの狩猟方法だ。

 とかの狩猟採集民ネタばかりでなく、万歩計の命名の偶然やビョルン・ボルグ社の独特な経営方針など、現代のエピソードも楽しいネタが満載だ。とにかくデータが豊富なため、説得力は他の追随を許さない。自分の体に興味があるなら、一読の価値は充分にある。

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2024年10月15日 (火)

アンドルー・ペティグリー「印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活」白水社 桑木野幸司訳

我々はここにいたって初めて、書物と印刷の歴史についての首尾一貫した物語を、1450年代の揺籃期から近代の情報化社会の入り口に至るまで、綴ることができるようになったのである。
  ――序

印刷術の第一世代に生まれた数々の傑作文学作品には、一つの驚くべき共通点があった。ほぼ例外なく、俗語で書かれていたのだ。
  ――第8章 上品な娯楽

最も安価な書物を購入していた人々は同時に、最も高価な部類の書籍も買っていた
  ――第9章 学校にて

【どんな本?】

 15世紀にグーテンベルクが送り出した印刷術は、印刷・出版業界を爆発的に発展させ、それに伴いギリシャ・ローマ時代の古典を復活させ、ヨーロッパの人々を中世の暗闇から引き出し、ルネサンスを勢いづけた

 …というのが一般的な印象だが、実際にはそれほど単純ではない。例えば、残っている資料には偏りがあり、従来はその偏った資料に依って研究されてきた。残りやすい物は…

ある種の書物が、他と比べて高い生存確率を示すことになる。つまり真面目な内容のものやページ数のあるもの、大判のものなど、町の名士と呼ばれるような市民が、自宅を訪れる者に所有していることを自慢したくなる類の本が生き残ったのである。
  ――第16章 言葉と街角

 対して、残りにくい物も多い。

学校の教科書、教理問答集、ニュース冊子などは、出版されたと分かっている部数が丸ごと消えてしまっていることもある。これらの書物は使い捨てられるものだからだ。
  ――第16章 言葉と街角

 まして数頁のパンフレットや一枚物のビラやチラシが残るのは、よほどの幸運に恵まれた時のみである。だが、当時の印刷業者にとっては、枚数の少ないパンフレットやビラは、事業を続ける際の貴重な運転資金の獲得手段だった。グーテンベルクにしても、42行聖書は有名だが、その前に学生向け参考書の「ドナトゥス」で堅実に事業資金を稼いでいる。

 以降も印刷業界は長期的には発展しつつも山あり谷ありで、出版される書籍の傾向も変化は少しづつだった。

 インターネットの普及により、各地に分散していた古い書物の資料の公開が進み、研究者たちは新規に大量の資料が手に入るようになった。これにより、著者が得意とする16世紀の出版・印刷の研究も、新しい展開を見せた。

 16世紀の印刷術は、どのように普及し発展していったのか。印刷業者は、どうやって事業を続け発展させたのか。主にドイツ・イタリア・フランスそして低地諸国を舞台に、出版・印刷業界の変転と発展そして社会への影響を描く、一般向けの歴史解説書。

 なお、本書で言う「印刷業者」は、現代日本の印刷業者とは大きく異なる。当時は分業されておらず、出版社と印刷会社と取次に運送会社を足したような業態だ。さすがに書店は別…の場合もある。私たちの感覚だと、印刷所を備えた出版社、が近いだろう。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Book in the Renaissance, by Andrew Pettegree, 2010。日本語版は2015年8月30日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約553頁に加え「書記近代印刷文化の興亡と万有書誌の夢 訳者あとがきに代えた文献案内」13頁。9ポイント46字×20行×553頁=約508,760字、400字詰め原稿用紙で約1,272枚。文庫なら厚めの上下巻ぐらいの大容量。

 文章は比較的に親しみやすい。内容も特に難しくないが、時おり解説なしにフォリオ版(→コトバンク)などの専門用語が出てくる、

【構成は?】

 第1部はほぼ時系列順だが、第2部以降はテーマごとに時代を行き来するので、気になった所を拾い読みしてもいい。

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  • 第1部 はじまり
  • 第1章 印刷時代以前の書物
  • 第2章 印刷術の発明
  • 第3章 ルネサンスとの危険な出会い 印刷術の危機
  • 第2部 根づいてゆく印刷文化
  • 第4章 書籍市場の形成
  • 第5章 本の町ヴィッテンベルク
  • 第6章 ルターの遺産
  • 第7章 ニュース速報のはじまり
  • 第8章 上品な娯楽
  • 第9章 学校にて
  • 第3部 論争
  • 第10章 論争文学
  • 第11章 秩序を求めて
  • 第12章 市場原理
  • 第4部 新世界
  • 第13章 自然科学と探検
  • 第14章 治療
  • 第15章 図書館をつくる
  • 第16章 言葉と街角
  • 資料についての覚え書き 印刷の地理学
  • 付録1 1450-1600年にヨーロッパ全域で生産された印刷物の概要
  • 謝辞
  • 書記近代印刷文化の興亡と万有書誌の夢 訳者あとがきに代えた文献案内
  • 図版一覧/参考文献/原注/原注のための略語一覧/索引

【感想は?】

 今さらながら気づいたのだが、出版・印刷は民間、それも営利企業の領分なのだ。

 学問は「王立○○」などが率いるし、造船所は軍が仕切る。日本じゃ鉄道や製鉄所も政府が関わった。だが、本書の出版・印刷業は、みな民間の営利企業だ。政府や教会は、検閲などで制御を目論むが、自ら手を出そうとはしない。

 当時の時代背景を考えると、少し奇妙な気がする。当時は政府が力をつけ始めた時代だからだ。

社会組織のあらゆるレベルにおいて、国家の権威が拡張し、かつてないほどの広範な責任を担うようになっていった。そしてヨーロッパ各地で、権力側がこのような野心を表明する際に、印刷術が重要な役割を演じていたのである。
  ――第11章 秩序を求めて

 というのも、当時の出版・印刷業は、けっこう資本力が必要で、浮き沈みの大きい業種だったのだ。

 その前に。印刷が登場した頃、書籍の読者は増え、市場は熟しつつあった。事業を始めるには好機ではあったのだ。

写本取引の北方の中心地であった低地諸国では、15世紀を通じて写本の生産量はうなぎのぼりに上昇し、1490年から1500年にかけてピークに達した。すでに時は印刷時代に入っていたのだが。
  ――第1章 印刷時代以前の書物

 だが、商売として考えると、色々と難しい。現代日本は出版社→取次→書店→読者って流通網がある。いや密林もあるけどさ。だが、当時はそういう仕組みはない。

いまや300部、400部、場合によっては1000部という単位で印刷される本を、いったいどうやって個々の購買者のもとまで届ければよいのか。しかもこの時点では、いったい誰が本を買ってくれるのかはわからないのである。
  ――第3章 ルネサンスとの危険な出会い 印刷術の危機

 写本の頃は、注文生産だった。だから先行投資は要らない。だが、印刷本は違う。まず紙や生産設備や職人を雇い本を作る。その間、金は出て行く一方だ。読者に売れてやっと収入になる。それまで、売り上げのないまま人を雇い印刷機を動かし続けられる資本力が要る。

 ちなみに当時の印刷本の価格は「グーテンベルクの時代」によるとウィリアム・ティンダルの聖書が労働者の月収ぐらい。

 と、当時の印刷・出版はかなり厳しい事業だったのだが、それでも所によっては爆発的に発展・普及した。それだけ市場は熟していたのだ。もっとも、当時は著作権なんて考え方はないので、売れた本はすぐにパクられ市場を荒らされ…と、すぐに過当競争に陥り多くの業者が淘汰された模様。生まれたばかりの業界で業界のギルドもなく、良くも悪くも自由競争の世界だったのだ。現代日本よりはるかに資本主義してる。

 となれば、業者としちゃ少しでも実績があり安定した売り上げが見込める本に頼りたくなる。それはどういうものか、というと。

ドイツで印刷された最初期の書物は、圧倒的に宗教がらみのものであったこと、
そして同時代の作家より過去の著者のものが中心であったこと。
さらには、それら初期印刷本の大半の著者がドイツ人ではなかったこと
  ――第2章 印刷術の発明

 やはり42行聖書の成功が大きいのか、修道院が写本を作っていたからなのか、宗教関係が多い。「過去の著者」は、ギリシャ・ローマ時代の著作だ。妙にキケロの人気が高い。ドイツ人以外ってのは少し意外だが、日本でも初期のSFは矢野徹や浅倉久志や伊藤典夫による米英の古典の翻訳が多かったから、そんなモンなんだろう。

 もう一つ、業者に有難い仕事がある。頁数が少ないチラシや小冊子だ。少ない資本で作れるし、たいていは地元で配るので現金化も早い。

新たに生み出されたテクストの多くが短い作品であった事実が、さほど経験がない業者にこの好景気の市場に参入をうながす、さらなる刺激となったのである。その結果が新たな書物の大洪水であった。
  ――第6章 ルターの遺産

 ルターの宗教改革で印刷は大きく貢献したのには、そういう理由もあるんじゃなかろか。印刷業者には嬉しい仕事だし。

宗教改革期の論争には、ドイツの印刷産業全体を変容させてしまうほどの強烈な影響力があった。信頼のおける概算によれば、宗教改革勃発後の最初の十年間に市場に出回った福音主義関連の小冊子は、ざっと600万部から700万部に達するという。
  ――第5章 本の町ヴィッテンベルク

 などとカトリックとプロテスタントの争いでは印刷が大きな役割を担ったが、メディア上の戦いはプロテスタントの方が優勢だった。これはルターの戦略もあるんだろう。あの人、賛美歌を親しみやすくするため民謡を採り入れるとか、人気取りは巧みだったし。

ルターその人の著作の絶大な人気を基盤としつつ、福音主義陣営は出版量の点でカトリック側を実に9対1の差で、圧倒的にリードしていた
  ――第10章 論争文学

 激しくなるカトリック・プロテスタントの争いは、人々を地理的にも情報的にも分断してゆく。やがて印刷はニュースも扱い始めるが、、現代のようにロイターやCNNはない。両陣営は、自分に都合のいいニュースだけを流すのだ。

16世紀末の両極化した宗教闘争においては、プロテスタントとカトリックのニュース網は別個の場合が大半であった。
  ――第16章 言葉と街角

 まあ朝日と読売の違いとかは現代も残ってるし、その方が健全な気もする。もっとも、それは私が双方にアクセスできるからで、当時は地理的にも分離が進んだのだ。

16世紀の宗教対立は、人々の大規模な移住をうながした。(略)追放された者たちは、異国の地でその思想を過激化させ、宗教論争のなかでも最も過激なものの熱心な購入者となった
  ――第10章 論争文学

 さすがに現代のドイツじゃカトリックとプロテスタントが暴力的に争うことはない。現代で宗教がらみの大規模移住だと、インドとパキスタンが思い浮かぶ。インド・バングラデシュ(東パキスタン)国境はガンジーが抑えたが、インド・(西)パキスタン国境付近は双方で大規模な虐殺があった。現代でも敵意を煽っているのは移住者の関係者が多いんだろうか。

 話がヨレた。印刷はニュースも扱ったが、現代の新聞や電波のような速報性も信頼性も持たなかった模様。

印刷された言葉は、キリスト教徒勝利の解釈を形成するのにたしかに重要な役割を果たしたが、事件の第一報を伝える手段となることはほとんどなかった(略)。人々は口コミで情報をキャッチし、あるいは街角の噂話に耳をそばだて、鳴り響く鐘の音や祝砲などを聞くことで、速報を手に入れたのである。
  ――第7章 ニュース速報のはじまり

 口コミの方が早いし、信用もあったのだ。でも、印刷業者にとっては有り難い仕事だったろう。量が少なく現金化が早いので、当面の資金を手っ取り早く手に入れるには都合のいい仕事だったはず。

 もう一つ、印刷業者には重要な商売のルートがあった。見本市だ。最も大きいのはフランクフルトの見本市で、今日のフランクフルト・ブックフェア(→Wikipedia)のルーツ

(15世紀の)ヨーロッパの市場をめぐる書物の動き、すなわち本のビジネス全体は、見本市を中心に展開していたのである。
  ――第4章 書籍市場の形成

 業者は見本市で半分近くを売り上げ、また他の(主に遠方の)同業者から本を仕入れるのだ。そうやって、本は国際的な取引品目となってゆく。お陰でイングランドのような小国は、特にラテン語の市場を低地諸国の業者に奪われ、自国の印刷業はパッとしないまま。

 そんなこんなで、誕生間もない出版・印刷業界も、資本力による淘汰がなされてゆく。特に色濃く差が出るのが…

16世紀には経済力学の鉄則が作用して、巨大で立地のよい印刷拠点の支配、十分な資本をもつ業者の支配が強まった。ある種の書物は、豊富な資本を持ち、十分に信頼のおける資金運用が可能な出版業者のみが生産できた。浩瀚な学術書や技術書の類は、こうした条件をそなえた工房の独占ジャンルとなっていった。
  ――第12章 市場原理

 現代日本でも、辞書は大きな出版社の独壇場だったり。あれは大出版社の矜持みたいなモンなんだろう。中でも資金力が必要なのが…

16世紀に出版された自然科学系の学術書の大多数は、すでに書籍業界のヒエラルキーの頂点にあって市場を支配していた、ごくひとにぎりの出版社から刊行されていた。この分野は、(略)資金と知性の両面で、莫大な資本投下を必要としたからだ。
  ――第13章 自然科学と探検

 これには下世話な理由もあって、活字の他に版画による挿絵が重要だからだ。そのため、費用もかさむ。動物や植物の図鑑ともなれば、やはり図が主役だし。

数百という図版を必要とする自然関係の大百科全書ともなれば、そのコストはおそろしくはねあがった。複雑な書物の企画では、図版の制作費用が総費用の実に3/4近くになることもままあり…
  ――第13章 自然科学と探検

 ドイツは幸運にも、優れた版画家に恵まれた。

植物図譜の発展は、アルブレヒト・デューラー(→Wikipedia)の革新的な作品に深く依拠していた。
  ――第13章 自然科学と探検

 もう一つ、図版が重要な出版物がある。地図だ。新大陸が注目を集めた時代だけに、世界の形への興味は強かった。

新世界の探検がもたらした衝撃がもっとも大きかったのが、地図製作術の分野であった。
  ――第13章 自然科学と探検

 こういった状況からか、印刷本も世間から信用を得てゆく。もっとも、学者たちは誤植の多い植字工に文句たらたらだが。

15世紀後半の聖書は、グーテンベルク版か、それを底本とした聖書を活用した。こうして知らぬ間にグーテンベルクは、ウルガタ版を聖書の権威ある標準テクストへと仕立て上げるのに大きな役割を果たしたのである。
  ――第2章 印刷術の発明

 現代日本と同様、怪しげな医学書や健康法も売れ筋だった。当時は床屋が外科医を兼ねていたが、大学で医学を学んだインテリの医師もいた。

(医学)市場が発展してゆく過程で、印刷術が果たした役割は大きかった。とりわけ、入念に構築されていた医学界のヒエラルキーを浸食しあるいは無視するのに、印刷本が大きく関与したのである。
  ――第14章 治療

 もっとも、当時の医学はローマ帝国時代のガレノス(→Wikipedia)を頂点と崇めるような状況だったので、良かったのか悪かったのか。

当時の医学知識などたかが知れたレベルであり、治療のしようがない病気が多かった
  ――第14章 治療

 とまれ、本の流通量が増え価格が安くなったため、社会的な弱者にも御利益はもたらされた。

教理学校はまた、慣習的な教育の制度からはじきだされてしまった子供たち、すなわち貧しい労働者の子弟や少女たちに、重要な教育の機会を提供していたのである。
  ――第9章 学校にて

 ゲームや「小説家になろう」の転生物などでは、教会が貧しい者に初等教育を授ける話が多い。いわゆる「ナーロッパ」が歴史的な事実に沿っている珍しい例だろう。

 そんな印刷を、商売で戦略的に使う者もいる。

印刷版のシェイクスピア(ならびにベン・ジョンソン(→Wikipedia))の戯曲は、当時の舞台で一般的であった二時間という上演時間にうまくおさめるには、あまりに長すぎる。ということはつまり、印刷版の戯曲には、舞台で通常使われないことを著者が承知の箇所が含まれていた可能性があるのだ。
  ――第16章 言葉と街角

 私はシェイクスピアを芸術家というより巧みな興業家つまり商売上手だと思っているんだが、それを裏付けるような逸話だ。なお、第二回の公演に合わせたタイミングで出版された模様。つまり初回の公演の評判がよく再演が決まった演目を出版したのだ。しかも書籍用にアレンジを施して。

 などとヨーロッパでは出版・印刷業者が激しい生存競争を繰り広げていたが、イスラム世界は平穏なもので。なにせ印刷は禁じていたのだ。これは当時のインテリであるイスラム法学者たちが自分たちの利権を侵されるのを嫌ったためだ。だからか、イスタンブールにはヘブライ語の印刷業者がいた。

ヘブライ語の活版印刷は、オスマン帝国においては他に類のない現象であった。というのもこの国では17世紀にいたるまで、この言語以外の印刷活動はほとんど知られていなかったからである。
  ――第12章 市場原理

 この業者、実はスペインから異端審問を逃れてきたユダヤ人だったりする。金融業とか、規範が面倒臭い社会だからこそ、異物が必要になるってのも、面白い現象だよなあ。

 などとダラダラと書いてきたが、やはり私にとっては、印刷業界の営利企業としての側面の印象が強く残った。自由競争といえば聞こえはいいが、ギルドもなくパクり上等の仁義なき業界だったとは。しかも本格的な書籍となれば現金化は年単位で先になる。それでも多くの業者が参入したのは、それだけ商業資本も集約されつつあったんだろう。

 ルターの宗教改革が絡むため、どうしても自由の象徴のような印象になりがちな出版・印刷業界だし、実際にそういう面もあったんだろうが、生き延びたのは資本力や立地やコネに恵まれた業者だったのは、ビジネスの厳しさを感じさせる。他にもエラスムスが意外と面倒くさい奴だったりと、面白い逸話も多い。歴史と出版に興味がある人向け、かな。

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2024年10月 9日 (水)

ジョン・マン「グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界」原書房 田村勝省訳

(教皇カリクストゥス三世のためにグーテンベルクが印刷した1456年の教皇勅書で使っている)それぞれの文字の種類は二つや三つではなく、数十種類あったのである。
  ――第7章 金字塔グーテンベルク聖書の完成

19世紀になって、インドにいたイスラム教徒がパンフレット、それから新聞を印刷しはじめる<までの400年間にわたり、印刷はイスラム世界になんのインパクトも与えなかった
  ――第9章 国際的に広がる印刷術

(トレントの宗教会議が作った)『禁書目録』(Index Librorum Prohibitorum)は、なにが新しくて興味深いかを宣言してくれているので、プロテスタント系の出版社にとってはいい宣伝になったのである。
  ――第10章 ルターと宗教改革

【どんな本?】

 ユハネス・グーテンベルク(→Wikipedia)、活字印刷の発明者として有名な人物である。彼が実用化・事業化した印刷技術は、ルネサンスや宗教改革そして科学の勃興へとつながった。だが、彼について記した記録は少ない。生年月日は不明だし、肖像画は全て想像したものである。

 革命的な技術革新を惹き起こしたグーテンベルクは、どんな人物だったのか。資料が少ない分、推理や想像で大きく補う必要がある。著者はやや俯瞰した目で、彼が生きた時代や事業を興した都市マインツの状況など、背景事情からじっくりと描いてゆく。

 そこで動き出すグーテンベルクは、天才的な発明家でも革命を呼びかける扇動者でもなく、執念深く開発した新技術を巧みに売り込んだ起業家が近い。

 謎の多いグーテンベルクを主役としつつ、彼の生きた時代の様子を、主に都市部を中心に描く、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は The Gutenberg Revolution : The Story of a Genius and an Invention That Changed the World, by John Man, 2002。日本語版は2006年11月10日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文+補遺で約293頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×293頁=約237,330字、400字詰め原稿用紙で約594枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章は比較的にこなれている。内容もわかりやすい。キリスト教、それもローマ・カトリックが強く関わっているので、キリスト教の歴史に詳しいと更に楽しめるだろう。

【構成は?】

 ほぼ時代順に進むので、素直に頭から読もう。

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  • 第1章 色あせた黄金の都市マインツ
  • 第2章 シュトラスブルクでの冒険
  • 第3章 クザーヌスとキリスト教世界の統一
  • 第4章 印刷術発明への歩み
  • 第5章 なぜグーテンベルクだったのか
  • 第6章 聖書への道のり
  • 第7章 金字塔グーテンベルク聖書の完成
  • 第8章 グーテンベルクの名誉回復
  • 第9章 国際的に広がる印刷術
  • 第10章 ルターと宗教改革
  • 本書について 人類第三の革命
  • 補遺1 『42行聖書』の収支
  • 補遺2 周辺諸国にわたったドイツの印刷職人たち
  • 字体に関する注(原著)
  • 訳者あとがき/参考文献

【感想は?】

 資料の少ない人物の評伝である。そう、伝記ではなく評伝なのだ。

 というのも。著者の筆はあくまで冷静かつ論理的であり、記録がなければないと白状してしまう。想像で補い面白い物語を語ろう、とはしていない。つまり、作家ではなく学者が書いた本なのだ。

 そういう点で、日本語の書名は巧い。人物を描く際も、人物が置かれた状況や時代の情勢など舞台背景から、少しづつ人物に近づいてゆく。最終的にもアップで表情・感情を詳しく映すのではなく、全身像に留めている感がある。つまり、人物より背景に重心を置いた本であり、まさしく「時代」を描いた本なのだ。

 著者の筆が落ち着いているためか、主人公のグーテンベルクも革命を望む狂信的な人物には思えない。挑戦的ではあるが、ありがちな企業家に近い。ただし、有名な42行聖書(→慶應義塾大学メディアセンター デジタルコレクションの036「42行聖書」)を見る限り、その品質へのこだわりには尋常ではない情熱を感じる。

 とにかく、美しいのだ。安く量産するんだから適当でいいや、なんて気配は微塵もない。手書きの写本より美しく作ってやる、そんな執念が漂っている。その一つが行の両端を揃えた組み方だ。

デザインのなかのあるひとつの要素は、グーテンベルクによる発案の可能性がある。それは右端の余白をそろえることだ。
  ――第7章 金字塔グーテンベルク聖書の完成

 写本は左端から書いてゆく。左端は揃うが、右端はガタガタになる。これが活字だと、単語の間の空白を広げたり減らしたりして調整すれば、右端も揃えられる。その分、必要な活字や職人の手間は半端なく増えるんだが。

 その活字も美しさに拘っていたようで、ウムラウトや合字(リガチャ)などのバリエーションも揃えている。

ひとつの字体について約300もの異なるパンチ(=父型)が必要で、それぞれについて鋼鉄彫り文字とそれから鋳造された活字があり、このような文字で構成される各行が、1mmの何百分の1の精度で作られ、整えられなければならない。
  ――第5章 なぜグーテンベルクだったのか

 タイプライタでわかるように、字体なども、もっと簡単にやろうと思えばできたのだ、少なくとも言語の構造的には。

アルファベット――ローマ字だけでなく、どのアルファベットにも同じ基本原則がある――が天才的なのは、典型的には25~40程度の少数の記号を用いて、言語上の音(略)をすべて表記できることにある。
  ――第4章 印刷術発明への歩み

 そこそこの品質で妥協しなかったあたりに、彼の執念を感じる。

 さて、彼の功績としては42行聖書が有名だが、それ以前から印刷の事業は始めていた。俗称「ドナトゥス」と呼ばれる28頁のラテン語の分析書で、当時の学生の必携書だ。「1450年頃に出荷された」ので、42行聖書の5年前だ。現代でも学生向けの参考書は書店の床面積の多くを占領している。つまり、売れるのだ。グーテンベルクは、出版人として優れた経営感覚を備えていたようだ。

 かと思えば、こんなのも出版してる。

印刷術によって、理性、科学、および学問の普及が可能になったのであるが、それはむしろ遅々としていた。売れ行きがよかったのは、占星術、錬金術、秘話めいた伝説(グーベルクは『シビルの神託』(→Wikipedia)の出版で先陣を切った)など、古き良きがらくたのようなものだった。
  ――第10章 ルターと宗教改革

 現代日本でも宗教組織は出版者や印刷業者にとって美味しい顧客だ。一定数の売り上げが見込めるし、たいていは払いもいい。当時のドイツの教会の影響力は、日本の宗教組織より遥かに強かっただろう。それだけにグーテンベルクも関係を結びたかったようだが、この頃の教会は内部に対立を抱えており、つく陣営は慎重に選ぶ必要があった様子。

 にしても42行聖書、もっとこじんまりとした本だと思い込んでいたが、実際は「二部構成の、壮麗な、全体で1275ページに達する」とは。いくら新規の発明で市場を独占しているとはいえ、それこそ社運を賭けた野心的な計画だったんだろうなあ。

 というか、実際に資金はショートし、出資者と裁判沙汰になってる。その資金を回収するためか、こんな事態にも。

印刷の美しい聖書が、しかも節ごとにバラ売りされていたのである。
  ――第7章 金字塔グーテンベルク聖書の完成

 いずれにせよ、印刷術の衝撃は大きく、彼の弟子たちは欧州中に散らばって事業を始め、鼠算式に弟子を育てて印刷を普及させてゆく。やがてルターが登場し、炎上しながらも大スターになる。

ある推計によれば、1518-25年のあいだにドイツで出版された全書籍の1/3は彼(ルター)の著作だという。
  ――第10章 ルターと宗教改革

 現在とは出版事情が異なるとはいえ、一国の出版物の1/3を占めるとは。割合で言ったら聖書や毛沢東語録も超えるんじゃないかな。ちなみに、印刷がどれぐらい書物の普及に貢献したのかを価格面で見ると…

手書きの聖書が30ポンド以上していた――そして労働者の年間賃金が2ポンドだった――時期に、(ウィリアム・)ティンダル(→Wikipedia)の新約聖書は4シリング(0.2ポンド)、ときにそれを大幅に下まわる価格で小売りされた。
  ――第10章 ルターと宗教改革

 年収15年分もした本が、月収程度で買えるようになる。とんでもない価格破壊だ。そりゃ確かに革命と言っていい。

 もっとも、その基盤を揃えたグーテンベルク自身は、印刷物の美しさには強い拘りがあるとはいえ、いささか挑戦的ながら優れた経営者、といった印象が強い。42行聖書でわかるように、教会と良好な関係を結ぶあたりは、やや保守的な傾向も感じる。

 少ない資料から足跡を辿り、当時の時代背景も考慮しつつ、世界を大きく変えた人物を描き出そうとした著者は、物語としての面白さより歴史書としての誠実さを優先し、しかし意外なエピソードも豊富に収めた、読みやすい一般向けの歴史解説書になった。また、著者の目論見とは異なるが、歴史家がどんな資料を漁りどう解釈するのかも楽しめた。本と歴史が好きな人にお薦め。

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2024年10月 4日 (金)

マーチイン・ファン・クレフェルト「戦争の変遷」原書房 石津朋之監訳

本書は一つの目的をもって書かれている。(略)戦争を行っているのは誰なのか、そもそも戦争とはどういうものなのか、なぜ戦うのか、といった事柄である。
  ――はじめに

我々の社会も含めて、戦争を経験しているあらゆる文明社会が制限を設けている。
  ――第3章 戦争とはどういうものなのか

クラウゼヴィッツによれば戦闘力にとって主要な二つの障害は、不確実性と摩擦である。ここに硬直化を加えてもよかった
  ――第4章 どのようにして戦うのか

戦争とは、誰かが誰かを殺して始まるのではないのであって、自分たち自身が報復として殺されるのを覚悟した時点で始まるのだ。
  ――第6章 なぜ戦うのか

その昔、小火器が戦士とその重い甲冑に取って代わったように、大型で高価で強力な兵器が廃れ、小型で大量に生産でき、どこででも利用できる兵器に移行する
  ――第7章 戦争の将来

【どんな本?】

 ベトナムから、ソマリアから、アフガニスタンから、米軍は撤退した。装備は一級品で訓練も行き届き充分に統率もとれていた。空軍は空を支配していた。米軍は世界最強のはずだった。だが負けた。なぜだ?

 著者はその解をクラウゼヴィッツの戦争論に求める。米国はクラウゼヴィッツの説に従って軍を派遣した。だが、ベトナムもソマリアもアフガニスタンも、クラウゼヴィッツが前提とした条件に沿っていなかった。前提が間違っているのだから、思った通りにはいかない。

 有史以前から、人々は戦争をしてきた。だが、その動機・意味・目的・方法などは、時代や地域や文化により、大きく異なる。クラウゼヴィッツが考えていた戦争は、彼の生きた時代と社会のものだ。そして現代の戦争は、彼の時代の戦争と変わりつつある。

 イスラエルのヘブライ大学で教鞭をとる軍事史の著者が、歴史上の戦争を例に挙げ、我々の考える戦争と大きく異なると指摘し、またクラウゼヴィッツの生きた時代と社会情勢を語り、なぜ彼が戦争論に至ったか、なぜ彼の戦争論が現代に通用しないのかを解説し、近未来の戦争の形を模索する、危険で挑発的な軍事哲学書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は TheTransformation of War : The Most Radical Reinterpretation of Armed Conflict Since Clausewitz, by Martin Van Creveld, 1991。日本語版は2011年9月22日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約365頁に加え、監訳者の石津朋之による解説「戦争の将来像 『戦争の変遷』を手掛かりとして」21頁。9.5ポイント43字×18行×365頁=約282,510字、400字詰め原稿用紙で約707枚。文庫なら厚めの一冊分。

 文章は学者らしくかしこまっているが、それだけだ。まあ軍事関係の本はたいてい文体が堅苦しいんで、そういうもんだとい思っておこう。内容は有名な戦いなどを例に出して語るため、相応の歴史それも世界史の知識が必要だが、(恐らく訳者が)割注などで本文中に説明しているので、素人でもどうにかついていける。

【構成は?】

 前の章を受けて後の章が展開する形なので、素直に頭から読もう。

クリックで詳細表示
  • 日本語版への序文 マーチン・ファン・クレフェルト
  • はじめに 本書の目的、内容、構成
  • 第1章 現代の戦争
    軍事的均衡/核戦争/通常戦争/低強度戦争/失敗の記録
  • 第2章 誰が戦うのか
    クラウゼヴィッツ的世界/三位一体戦争/総力戦/非三位一体戦争/低強度紛争の復活
  • 第3章 戦争とはどういうものなのか
    プロイセン人にとってのラ・マルセイエーズ/戦争法規 捕虜/戦争法規 非戦闘員/戦争法規 武器/戦争に関する法律
  • 第4章 どのようにして戦うのか
    続・プロイセン人にとってのラ・マルセイエーズ/戦略について 軍隊の創設/戦略について 軍隊の妨げとなるもの/戦略について 軍隊の使用
  • 第5章 何のために戦うのか
    政治的な戦争/非政治的な戦争 正義/非政治的な戦争 宗教/非政治的な戦争 生存/変貌する利益
  • 第6章 なぜ戦うのか
    戦う意思/手段と目的/緊張と安心/余談 女性/戦略的思考の限界
  • 第7章 戦争の将来
    誰が戦うのか/戦争とはどういうものなのか/どのようにして戦うのか/なぜ戦うのか
  • 来たるべきものの姿
  • 解説 「戦争の将来像 『戦争の変遷』を手掛かりとして」石津朋之
  • 主要参考文献/索引

【感想は?】

 最初に言っておく。クレフェルト先生はタカ派、それもバリバリのタカ派だ。しかも「戦わなきゃやられるから」じゃない。「俺は戦争が好きだ」と言っちゃうのだ、この人は。誤魔化そうとしないだけ誠実だが、開き直ってる分、余計に始末に負えない。

我々が戦争をする本当の目的は、男たちが戦争を好み、女たちが自分たちのために戦う男たちを好むからである。
  ――第7章 戦争の将来

 そして、「俺だけじゃねえぞ、人間は戦争が好きなんだ」と、私たちが目を背けている事実を突きつけてくる。

人々は、言うなれば、戦争そのものとそれに関するあらゆることを体験する、ただそれだけを目的として戦うのであある。
  ――第6章 なぜ戦うのか

戦争は真剣さを最高の形に表現するものであり、まさに遊びである。
  ――第6章 なぜ戦うのか

人々はしばしば戦うために目標をつくりだす。  ――来たるべきものの姿

 そういう人が書いた本だ、と予めハッキリ示しておく。本書は危険な人が書いた危険な本なのだ。

 本書はクラウゼヴィッツの戦争論を批判する本だ。クラウゼヴィッツは、戦争についてこう考えた。

  1. 戦争を行うのは国家だ
  2. 戦争は暴力の無制限の行使だ
  3. 戦争は目的を達するための手段だ

 彼が生きた時代のヨーロッパは、ギリシャの都市国家や中世の封建制と異なり、「国家」が地位を固め領土を支配していた。この動きは現代へと向かい、国際連合の結成で「国家」は更に地位を確固たるものにする…少なくとも、先進国に住む者たちの脳内では。

 いずれにせよ、戦争は国家の専業だし、その動機・目的は利害だ、と私たちは思い込んでいる。

  1. 戦争遂行は政治的配慮の元にあるべき
  2. 戦争していいのは政治的理由だけだ
  3. 戦争の準備は政治が最も重要な基準であるべき

 著者もクラウゼヴィッツの偉大さは認めているようで、彼がそう考えたのは、彼が生きた時代がそうだったからだ、と情状酌量もしている。

戦争に対するクラウゼヴィッツの考え方は、1648年以降、戦争は圧倒的に国家により遂行されていたという事実にもっぱら根ざしているのだ。
  ――第2章 誰が戦うのか

 彼だけじゃない。現代に生きる私たちも、国家の方針を決める政治家たちも、クラウゼヴィッツの考え方に囚われてきた。それも、そういう時代背景のせいだ。

 第二次世界大戦は、まさしく国家vs国家の戦いだった。戦後も国家と戦うために軍を保ち装備を整え将兵を鍛えてきた。だが、今や国家vs国家の戦争は滅多に起きない。

今日、軍事力の多くは、世界の大部分において、政治的な利益を伸ばすとか守るための手段としてはまったく機能していいない。
  ――第1章 現代の戦争

 確かにロシアがウクライナに攻め込んでるけど、NATOの通常戦力がロシアの牽制になってないって意味じゃ、この指摘も当たってるのかな? そんなわけで…

すでに今日、もっとも強力な最新鋭の軍隊は現代の戦争とほとんど無関係な存在になっている
  ――第1章 現代の戦争

 米軍は強いけど、朝鮮戦争を最後に、「前線を形成する戦争」を戦っていない。ベトナムもアフガニスタンもイラクも、そういう戦いじゃなかった。

今日の軍隊がゲリラやテロリストに対して思うような成果を上げられない理由の一つは、彼らが基地や兵站線をもたないからである。このためゲリラやテロリストは通常の意味では包囲されることがない。
  ――第3章 戦争とはどういうものなのか

 たいてい、装備はゲリラの方が貧弱だ。だから、被害はゲリラの方が大きい。それでも、ゲリラは戦いを続ける。というのも、そもそも目的が違うのだ。米軍は利害で戦っているが、北ベトナム軍は国家の存亡を賭けているし、アルカイダは宗教的な正義が目的だ。

生存にかかわる戦いでその共同体が死に物狂いになっている場合には、通常の戦略用語は通用しない。
  ――第5章 何のために戦うのか

 こういう相手には理屈が通用しない。

利益を重視する戦争の力は限られており、当然ながら、それを政治目的を達成するための手段ではない戦争と対抗させると、多くの場合敗北を招くだけである。
  ――第5章 何のために戦うのか

 困ったことに、最初は利害で始まった戦争が、違う目的にすり替わってしまうこともある。

血が流されれば流されるほど――たいていは我々自身の血だが、敵の血が流れる場合もある――それは神聖化される。
  ――第6章 なぜ戦うのか

 末期の太平洋戦争も、これだった。そして戦って亡くなった将兵は、祀るべき存在になるし、戦いの目的は神聖なものでなければならないのだ。でなければ、亡くなった将兵を愚弄することになる。困った理屈だが、感情には訴えるんだよな。

 実際、歴史的には、少なくともタテマエじゃ利害以外の理由で戦った例も多い。

旧約聖書において民族間の戦争は、それぞれの民が崇める神々の優劣が証明されたり反証されたりする戦いでもあった。
  ――第5章 何のために戦うのか

 キリスト教も十字軍があった。イスラム教も、元は戦う宗教だった。

コーランは世界を二つに分けている――イスラムの家と戦いの家(非イスラムの世界のこと)である。この二つは絶えず交戦状態にあるとされていた。
  ――第5章 何のために戦うのか

 などと最初は過激だったのが、次第に穏健になるのは世界的な宗教になるための通過儀礼なんだろうか。

12世紀になってから(略)法学者によってはイスラムの家と戦いの家の間に三つ目のカテゴリー、契約の家を設けた。この言葉は、イスラム教を信仰してはいないがイスラム世界と条約を結んだ国を指す。
  ――第5章 何のために戦うのか

 いずれにせよ、これらの戦争で戦った者たちは賞賛される。少なくとも、彼らの同胞には。

 もっとも、これが成り立つのは、双方が同じ立場の軍隊の時だけだ。例えば現在、イスラエル軍はガザで戦っている。そして、多くの非難を浴びている。なぜか。あまりに戦力が違いすぎるからだ。

強者がが弱者に対して行う行為はほぼすべて残虐行為と考えられている
  ――第6章 なぜ戦うのか

 ハマスは弱い。前線を形成したら、すぐに全滅するだろう。だから逃げ隠れする。往々にして市民を楯にして。それでも、非難されるのは戦車に乗ったイスラエル軍なのだ。だって弱い者いじめじゃん。

 と、ここまで書いて、今になって気が付いた。クレフェルト先生は、現在のガザにいるイスラエル軍将兵の立場でも、「俺は戦争が好きだ」と言うんだろうか? いやどう考えてもネタニヤフとは話が合わなそうだが。

 さすがにソ連崩壊直後の1991年の本なので、ロシアのウクライナ侵攻までは予言できていない。が、ハマスとヒズボラとフーシ派に囲まれたイスラエルの苦境は、困ったことに当たっちゃってる。著者の苦り切ってるだろうなあ。などと、以降の国際情勢も答え合わせとして楽しめる。いや物騒な本なんだが。いずれにせよ、戦争を考えるには必須の本だ。

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