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2024年9月27日 (金)

クリストファー・デ・ハメル「中世の写本ができるまで」白水社 加藤麿珠枝監修 立石光子訳

中世写本を初めて見せてもらった人たちがたずねる三つの質問は、おおむねつぎのとおり。
これらの本はどれも修道士が作ったというのは本当ですか?
これほどの傑作を制作するのにどれだけ時間がかかったのでしょう?
どうやって作ったのですか?
(ときたま訊かれる四つ目の質問、「お値段はいかほど?」はさておくとして。)
  ――序

本書は、羊皮紙職人の仕事の材料である牧場の牛と羊から始まり、写字生の仕事全般、すなわち、罫線引き、羽根ペン作り、および筆写をたどってきた。
  ――3 彩飾と装丁

多くの写本画家たちが修道院の吹きさらしの回廊で作業していた
  ――3 彩飾と装丁

中世写本の表紙は一般に木材で作られた。
  ――3 彩飾と装丁

【どんな本?】

 中世のヨーロッパで知識の継承と伝達を担い、またローマ・カトリックの時祷書など教会や修道院と関係の深い写本。往々にして華麗な挿絵が鮮やかに彩色され、時には金箔が施されており、美術品とすら言える。そんな写本は、どんな原材料を使い、どんな道具を用いて、どんな工程を経て作られたのか。

 ザザビーズの中世写本部門で責任者を務めた著者が、写本制作の企画・監督・分業・管理体制から羊皮紙の調達・制作、レイアウトの決定、インクのレシピや羽根ペンの持ち方、挿絵画家への指示そして装丁・製本に至るまで、写本の作り方を初心者向けに懇切丁寧に語る、マニアックながら刺激に満ちた一般いや逸般向けの歴史・技術解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Making medieval Manuscripts, by Christopher De Hamel, 2018。日本語版は2021年7月10日第一刷発行。私が読んだのは2021年8月10日発行の第二刷。マニアックな本なのに、ちょっとしたヒットだなあ。

 単行本ハードカバー縦一段組み本文約179頁に加え、監修者あとがき7頁。9.5ポイント33字×16行×179頁=約94,512字、400字詰め原稿用紙で約237枚。文庫なら薄い一冊分だが、頁の半分近くは写本のカラー写真なので、文章量はその半分ぐらい。カラー写真が重要な本なので、文庫にはならないだろう。

 文章はこなれていて親しみやすい。内容も特に難しくない。ただ、費用などを当時の金額で書いてあり、これが私にはピンとこなかった。多分、中世の歴史に詳しい人には分かるんだろう;現代と異なり、昔は物価や貨幣価値がほぼ安定していて、インフレなど滅多になかったのだ。

【構成は?】

 ほぼ工程通りに進むので、素直に頭から読もう。

  • 1 紙と羊皮紙
  • 2 インクと文字
  • 3 彩飾と装丁
  • 用語解説/謝辞/監修者あとがき
  • 図版出典/精選文献目録/索引

【感想は?】

 思わず唸ってしまうほどマニアックだ。

 いや今どき写本の作り方なんて知りたがる奴、滅多にいないでしょ。にも関わらず、著者の説明は具体的で懇切丁寧だ。

 読み終えてから気づいたんだが、著者はザザビーズの中世写本部門で25年に渡り責任者を務めてきた。これが意味するのは、おそらく中世写本の修復にも携わってきた、ということだ。単なる研究者じゃない。実際にヒト・モノ・カネを手配し作業する、いわば工房の棟梁なのだ。そりゃ詳しいわ。

 ということで、まずは羊皮紙作りから始まる。ちなみに名前は羊皮紙だが仔牛や山羊も使っていて、なら獣皮紙と綴るべきでは?とも思う。「以上で、羊皮紙作りで一番臭いのきつい第一段階はおしまいだ」とかあって、実に生々しい。

 タラス河畔の戦い以降、西方にも製紙技術が伝わり、ヨーロッパでも亜麻のボロを原料として製紙が始まったが、やはり羊皮紙の方が格が高いようだ。

羊皮紙は並外れて耐久性に富み、たとえば皮革と比べてもはるかに丈夫だ。保存状態が申し分なければ千年、あるいはそれ以上も長持ちする。
  ――1 紙と羊皮紙

もっとも美しく豪華な写本はつねに羊皮紙に書かれ、長寿を約束された時祷書やその他の伝統的な書物にも羊皮紙が用いられた。
  ――1 紙と羊皮紙

 その羊皮紙、丈夫で長持ちは良いんだが、反ったり丸まったりしがちなのが辛い。ちなみに外(毛が生えてた方)が縮み、毛側が内に巻く。

通常は本を閉じておくための留め具もつける。折りたたんだ羊皮紙は、いくらしっかり折り目をつけても、留め具のほどよい力で本を閉じておかないと、温度変化や湿気のせいで反ってしわになりやすいからだ。
  ――3 彩飾と装丁

 昔の本をベルトで締めてるのは、そういう下世話な理由があったのか。単なるカッコつけじゃなかったのね。

 さて、写本の制作なんだが、「中世の写本の隠れた作り手たち」にもあるように、多くの人による共同作業だ。しかも1頁目から順に始めるのではなく、折丁単位で同時並行的に進めたらしい。特に後期だと、書籍商が製作総指揮を担ったとか。モロに現代日本のアニメーション制作だな。

写本は、小さなまとまりを順番に束ねて作られた大きなまとまりなのである。写字生も写本画家も一度にひとつの折丁を担当した。
  ――1 紙と羊皮紙

 やはりアニメーション制作を思わせるのが、挿絵への塗りの指定。

12世紀のイングランド写本の多くには下絵素描がはっきり残っていて、「a」、「r」、「v」など小さなアルファベットが記されている。それぞれ青、赤、緑色(ラテン語では azura, rubeus, viridus)を表し、挿絵の各部を埋める色を示しているのだ。
  ――3 彩飾と装丁

 中には色の濃さや塗り方まで細かく指示してる場合もあって、まさしくアニメスタジオだよなあ。

 現代じゃコンピュータに指示すればどんな色でも作れるけど、当時は使える顔料や塗料は限られていた。本書は金箔の塗り方の三種類まで詳しく書いてある。さすがに金銀は別扱いとして、他に人気が高い色は…

群を抜いて珍重されたのは「海をこえてやってきた青」ことウルトラマリンで、原料のラピスラズリはアフガニスタンの山岳地帯でのみ産出された
  ――3 彩飾と装丁

 鮮やかにきらめく青だね。鉱物なので細かくすり潰すだけでも大変な手間だ。もっともシルクロードを行く商人にとっては、高価でかさばらず腐らず壊れない顔料は、都合のいい積荷だったろう。

 文字用のインクについても詳しく書いてあって、特に没食子(→Wikipedia)インクはレシピを詳しく書いてある。タマバチの虫こぶから作る奴ね。ちなみにもう一つのインクはカーボンインク、つまりは墨だ。

没食子インクは写本ページ上で空気にさらされると、いっそう黒くなる。羊皮紙によく浸透するので、カーボンインクとちがってこすっても簡単には消えない。没食子インクのほうが透明感とつやがある一方、カーボンインクはざらざらした触感で黒味が強い。
  ――2 インクと文字

 などの道具だけでなく、その使い方まで具体的に書いてあるのも本書の特徴。文字を書くのは羽根ペンで、鵞鳥の風切羽を干して使う。「右利きなら左側の羽が使いやすい」とか、きっと実際に使ったんだろうなあ。その羽根ペン、ペン先はすぐにヘタるので頻繁に削る必要がある。

12世紀のカンタベリー大司教トマス・ベケットに使えた学者のひとり、ティルベリーのジョンによると、口述筆記をする聖職者はペンをしょっちゅう削る必要があるので、あらかじめ切り揃えた羽根ペンを60本から100本用意していたという。つまり、多忙な写字生は一日に60回もペンを削っていたわけだ。
  ――2 インクと文字

 また文字を書く前に行のガイドラインとして罫線を引くんだが、この罫線の位置がディセンダ(→ビジプリ)の区切りではなく、まさしく行の区切りで、その理由が羽根ペンのクセにあるのも「言われてみれば」な発見で楽しい。羽根ペンを削る手間などを考えると、鉛筆や万年筆って、偉大な発明なんだなあ。鉛筆の歴史も味わい深いです。

 もうひとつ、意外な道具がナイフ。それも独特の三日月型。筆写する位置を示したり、ペン先や書き損じを削ったり。

実際の書写に際しては、写字生は左手にナイフを持つ。これは重要な点で、しかも中世ではどこでも共通だった。書くことは、食べることと同様、両手を用いる作業だったのである。
  ――2 インクと文字

 もう一つ、大事なブツがある。原本だ。高価なものだし、入手は難しそうだが、ギョーカイ内の者なら都合はついたようだ。

どうやら修道院間の往来は驚くほど盛んで、写本の持ち運びもずいぶん多かったようだ。
  ――2 インクと文字

 と、本の貸し借りは盛んに行われていた模様。こういう互いに蔵書を都合しあう性質は、現代の図書館にも図書館間相互貸借(→Wikipedia)として受け継がれているようで、私は嬉しい。そうか、あれはキリスト教の修道院の習わしが元だったのか。少し見直したぞキリスト教。

 そんなギョーカイで働く写字生はどんな人たちかというと…

中世の写字生は多くの場合、書物の複写が専業ではなかった。私用のために本を制作する蔵書家、公証人、学生アルバイト、副業にいそしむ王の書記官、棒給では生活できない教区司祭、債務者監獄の囚人等々がいたのである。
  ――2 インクと文字

 なんか現代日本の派遣事務員みたいだ。学生バイトはともかく、当時もインテリだからって暮らしが楽なワケじゃないのね。

 などの文字に加え、中世ヨーロッパの写本の特徴は、華やかで色鮮やかな挿絵や装飾だ。

中世写本の大部分には装飾が施されている。どの本にも含まれているわけではないが、完成した中世の書物が文字だけで構成されていることもまれである。
  ――3 彩飾と装丁

 安い紙が多く手に入る極東とは異なり、もともと高価な羊皮紙を使うんで、薄利多売は成り立たず、どうしても高級路線になっちゃうんだろうか←資本主義に毒されすぎ

 欄外の挿絵もあるし、装飾頭文字(イニシャル、→Google画像検索)もある。ちなみに装飾頭文字、紙面が貴重な当時は文字をギッシリ詰めて書いたので、段落の始めを示す役割もあったとか。その装飾頭文字にもハッキリとした序列があって…

彩飾の位階は厳密に定められている。
  ――3 彩飾と装丁

 これは上下関係に厳しい教会で発達したたため、だろうか。

 などの、下世話で具体的な知識と技術を記したのが本書だが、こういったノウハウや知恵の入手経路が、これまた「なるほど」なシロモノで。

未完成の写本はさまざまな制作段階を示してくれる。
  ――3 彩飾と装丁

 電気の有難さは停電時に痛感するように、往々にして優れた技術はその存在を意識させない。また様々な段階で制作が止まっていれば、工程の手順も分かる。だけでなく、後工程への指示が書き込まれていたりもするし。研究者には、イレギュラーも美味しいご馳走なのだ。

 また、アタリのヨレ具合から罫線のアタリをつける道具を思い描く所とかは、ちょっとしたハウダニットのミステリとしての面白さもある。

 などと長々と語っちゃったが、本書はまさしく書名のとおり、中世の写本の制作工程を下世話かつ具体的に記した本だ。それだけに細かい技術に関心がある人には生々しく迫力あるが、そんなマニアックな変わり者が果たしてどれぐらいいることやら。いや一か月で第二刷が出ているから、世間には意外と多く隠れ潜んでいるんだろうなあ。

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