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2024年9月23日 (月)

ロジャー・イーカーチ「失われた夜の歴史」インターシフト 樋口幸子・片柳佐智子・三宅真砂子訳

本書は、産業革命到来以前の西洋社会における夜の歴史を探求する試みである。
  ――はじめに もう一つの王国<

アメリカ独立後のニューイングランドの農村地帯では、花嫁の1/3が結婚式の時点で妊娠していた。
  ――第7章 共通の庇護者 社交、セックス、そして孤独

一般に、ベッドは一家の家具の中で最も高価だった。
  ――第10章 寝室でのしきたり 儀式

【どんな本?】

 現代の都市は夜も眠らない。光害なんて言葉もある。現代の夜は明るくなった。街灯や室内灯など、照明が発達・普及したためだ。これらは産業革命で発達した。では、それより前は、どうだったのか。

 当然ながら、明かりは乏しい。暗がりは、昼間と異なるルールが支配する、いわば異世界だ。人々は夜をどのように捉え、考えていたのか。

 実は「日暮れとともに眠り、夜明けとともに起き」ていたわけでは、ない。野盗はいるし、密会に出かける者もいる。酒場は夜更けも商いを続ける。夜も働く者もいる。パン屋は朝に焼き立てのパンを売るため、農民は中秋の満月で収穫を急ぎ、鉱山は昼も夜も関係なく、酒の仕込みも24時間休みなしだ。

 歴史学教授が、歴史書にはあまり現れない、人々の夜の暮らしに着目し、その意外な様子を明らかにした、ユニークな歴史書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は At Day's Close, Night in Times Past : A History of Nighttime, by A. Roger Ekirch, 2005。日本語版は2015年2月15日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約477頁に加え、出版プロデューサー真柴隆弘の解説2頁。9ポイント45字×19行×477頁=約407,835字、400字詰め原稿用紙で約1,020枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれていて親しみやすい。内容も分かりやすい。敢えて言うなら、本書が扱うのは近世であって中世ではない。

【構成は?】

 各章は比較的に独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。

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  • はじめに もう一つの王国
  • 夕暮れ時
  • 第1部 死の影
  •  序
  • 第1章 夜の恐怖 天井と地上
    悪が跋扈する/月と有害な霧/悪魔・精霊・魔女たち/危険な夜
  • 第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事
    ナイトウォーカー/犯罪者たち/暴力と惨事の舞台/火事 最も恐るべき暴君
  • 第2部 自然界の法則
  •  序
  • 第3章 公権力の脆弱さ 教会と国家
    闇を照らす光/夜警の歌/法の空白
  • 第4章 人の家は城塞である よい夜のために
    夕暮れ、危険な予感/命と財産を守る/オカルト信仰、夜のまじない/さまざまな明かり/助け合う隣人たち
  • 第5章 目に見える暗闇 夜の歩き方
    夜の外出/暗闇教室/夜歩きのための光と感覚/不吉な時間/夜は人間を試す
  • 第3部 闇に包まれた領域
  •  序
  • 第6章 暗闇の仕事 仲間と共に
    広まる夜間の労働/夜、働く人々/夜にふさわしいし仕事/寄り合いと物語
  • 第7章 共通の庇護者 社交、セックス、そして孤独
    酒場の魅力/恋と情事/バンドリング(結婚前のお試し)/自己探求、瞑想と読書
  • 第8章 騎士ウォーカー 王侯貴族たち
    夜を支配する権力/仮面舞踏会/伊達男、ギャングたち
  • 第9章 束縛から放たれて 庶民
    少数派、受難者たちの聖域/若者、召使い、奴隷たちの気晴らし/窃盗、密輸、売春/もう一つの現実
  • 第4部 私的な世界
  •  序
  • 第10章 寝室でのしきたり 儀式
    睡眠の時間、就寝の時刻/安らかな眠りのための儀式/ベッドと階級/ベッドを共にする仲間
  • 第11章 心の糸のもつれ 眠りを妨げるもの
    眠りの恩恵/うつ病、悪夢/騒音、寒さ、害虫/睡眠を奪われた人々
  • 第12章 私たちが失った眠り リズムと天啓
    第一の眠り、第二の眠り/二回の眠りの間に何をしていたか/夢とヴィジョン
  • 夜明け
    夜の革命/夜を昼に変える/失われた暗闇
  • 謝辞/注・参考文献/図版クレジット/解説

【感想は?】

 なんとも厨二な感が溢れる書名だが、実はとても真面目な歴史の本だ。

 なにせ、元になった資料は、当時の手紙や日記・手記などで、こまごまとした断片を記したものが多い。そんな膨大な端切れを集め、全体像を描こうとしたのが本書である。もっとも、なかにはサミュエル・ピープス(→Wikipedia)のように膨大かつ貴重な資料を残した人もいるが。

 ただ、文書として残ったものを根拠としているため、どうしても偏りが出る。読み書きできる者も限られてるし、田舎より都市、庶民より身分のある者の割合が多くなるのは仕方がない。本書はその辺を認識しつつ、可能な限り農村の様子も描き出している。

 ちなみに人口の割合としては、こんな感じ。

初期アメリカの山麓からロシア西部の大草原に至るまで、各地域の農村地帯では、人口の3/4以上が、小作人や雇われ農夫、召使い、農奴、奴隷として土地を耕し、それより少数の自作農、小作人を抱える小地主、農園主がいた。
  ――第6章 暗闇の仕事 仲間と共に

 さすがに本書の記述は都会が半分以上を占めるが、かなり頑張っていると思う。

 まずは、当時の人々が夜をどう考えていたのかだ。暗くなるのを、私たちは「明かりが減った」と考えるが、当時の人々は全く違った。

当時、広く受け入れられていた宇宙論によれば、「夜」は毎晩、空から有毒な霧が降りてくるという形で、文字通り、「落ち」たのだ。
  ――第1章 夜の恐怖 天井と地上

 まさしく「夜の帳が降り」てきたのだ。しかも、それは毒を含んでいる。当時の人々は、そう思い込んでいたのだ。実際、危険で有害ではあった。暗い夜道は躓きやすいし、沼や川に落ちたりもする。当時の道路事情は劣悪で、デコボコだらけだし。

 それだけではない。人間もまた、危険を生み出している。

とりわけ悪名高かったのが、夜、開いた窓や戸口から通りに投下される糞尿の雨である。
  ――第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事

 都市の道は糞便だらけってのは、意外と本当だったようだ。当時は寝室に尿瓶やおまるが置いてあったし。

湿った夜気の中では尿瓶から臭気が立った。
  ――第11章 心の糸のもつれ 眠りを妨げるもの

 こういう生々しい記述が、本書の魅力の一つだろう。

 もちろん、ハッキリと敵意を持って人を襲う者も多かった。

近世を通じて、殺人事件の発生率は、今日のイギリスにおける殺人発生率の5倍から10倍だった。
  ――第2章 生命の危険 略奪、暴行、火事

 犯人は色々だが、特に血の気の多い若者が徒党を組んで夜に暴れまわるのはl古今東西を通じて同じらしい。それじゃ困るってんで見回りもするんだが…

「老いぼれた」「弱々しい」「疲れきった」というのが、夜警によく使われる形容詞だった。
  ――第3章 公権力の脆弱さ 教会と国家

 現代の警官と違い、全く頼りにならないw なにせ貧しく食い詰めた者が小遣い稼ぎに就く仕事なのだ。暴漢に襲われた者も…

多くの場合、犯罪の被害者は、夜警でなく、「隣人」に助けを求めて叫んだ。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 意味ねえじゃんw

 これが田舎になると、他人を頼らず自分たちでどうにかしようって方針になる。頼りになるのは…

夜間は番犬が屋内、屋外をうろついていた。農村地帯の番犬は、泥棒だけでなく、家畜を狙う動物を見張る役目も担っていた。交配によって番犬用に作られた「猛犬」は、きわめて獰猛なので、昼間は鎖につながれていた。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 鶏を狙う狐もいるしね。にしても、獰猛な犬を夜は放し飼いって、物騒だなあ。もちろん、ヤバいのは獣だけじゃない。

近世の田舎には、あちこちに絞首人のさらし柱が立っていたからだ。それは高い木の柱に一本か数本の腕木を取りけたもので、そこから重罪人の腐りかけた死体がぶらさがっていた。
  ――第5章 目に見える暗闇 夜の歩き方

 と、農村と言えど風景は殺伐としていた様子。また、「日が沈んだら眠り、夜明けに起きる」なんてのんびりした暮らしは、都市でも農村でも幻想らしい。例えば都市では…

イギリスで1563年に発布された職人法は、熟練職人やその他の労働者に対して、春と夏には朝の5時から夕方の7時か8時まで、秋と冬には夜明けから夕暮れまで(うち1時間半は休憩と食事に当てられた)働くよう求めていた。
  ――第6章 暗闇の仕事 仲間と共に

 滅茶苦茶なブラック待遇じゃん。そのためか、当時の人は昼によく居眠りしてたようだ。農村も忙しく、特に収穫機は月明かりが命綱だったようだ。ハーヴェスト・ムーンって、そういう由来かあ。また、女たちは季節を問わず…

女性たちの夜鍋仕事として最も一般的なのは、糸紡ぎや編み物、羊毛梳き、それに機織りだった。
  ――第6章 暗闇の仕事 仲間と共に

 産業革命以前の糸紡ぎは手作業だ。どんだけ手間かかるんだか。まあ、それだけに多少の稼ぎにもなる。近所の女たちは集まって、噂話や家族の愚痴をこぼし合いながら、夜鍋仕事に勤しんだようだ。特に冬は人が集まれば暖かいし、明かりもみんなで共有できるし。

 その明かり、当たり前だがLEDでも蛍光灯でも白色電灯でもない。蝋燭や松明、すなわち火だ。

近世の地域社会では、多種多様な光源が明りを供給していた。とはいえ、その多様性にもかかわらず、すべてが火というありふれた手段によるものだった。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 そのため、火事の危険も大きかった。欧米の家は石造りって印象があるけど、実際には木造が大半だったり、2019年のパリのノートルダム大聖堂の火事(→Wikipedia)で明らかになったように、重要な構造材は木材だったりする。それはともかく、そもそも火の明かりは電気の明かりに比べ弱い、というより電気の明かりが強すぎるんだが。

一個の電球から発する光は、蝋燭や灯油ランプが発する光の百倍も強い。
  ――第4章 人の家は城塞である よい夜のために

 ホント、電気ってありがたい。費用も激安になったし。

 本文まあ、そんなだから、当時の夜は暗かった。それだけに、人目をはばかる仕事も夜ならやりやすい。中には…

貧困家庭は家族が死んでも、教会に支払う金を逃れるために、夜中に遺体を埋葬してしまう。
  ――第9章 束縛から放たれて 庶民

 なんて悲惨なのもある。意外だったのが密輸だ。現代だと、ギャングやマフィアが組織的にやるシノギだが、当時は…

密輸に携わる者の大多数が貧困層出身だった。
  ――第9章 束縛から放たれて 庶民

 時代と地域によっては領ごとに関税がかかったりするから、川を小舟で渡るだけで相応の稼ぎになりそうだが、近世はどうなんだろ? まあ現代でもメコン川流域は真昼間から庶民が国境を越えて盛んに商売してるようなんで(→「インドまで7000キロ歩いてしまった」)、当局の目が届きにくい所は、どこもそんなモンなのかも。

 など、夜と言いつつ起きている人の話を中心にしてきたが、終盤で驚愕の事実が明らかになる。

近世の終わりまでは、西ヨーロッパ人はたいてい毎晩、一時間あまり覚醒したまま静かに過ごす合間をはさんで、まとまった時間の睡眠を二回取っていたのだ。
  ――第12章 私たちが失った眠り リズムと天啓

 年寄りは尿が近いんで、どうしても夜中に起きちゃうんだが、そういう事ではない。しかもこれ、西欧人だけではなく、同じ睡眠パターンの民族が見つかったり。どうやら人類の体質そのものが、大きく変わってしまったようだ。

 それはともかく、ガス灯に象徴されるように明かりの普及や、商業が盛んになるにつれ、都市の形も大きく変わってくる。例えば近くの農民は、食肉用の家畜を朝市に出すため、夜のうちに家を出て家畜を連れ都市へと向かい歩きだす。そんな連中にとって、都市を囲う城壁は邪魔だ。

都市の広がりと軍事技術の進歩を背景に、交易によって都市を囲む城壁が急速に不要になった(略)。要塞は商業にとっては妨げになる。ことに夜になって門が閉まれば、困ったことになる。18世紀の終わりには、ヨーロッパ中のほとんどの都市や町で、浄益は使われなくなるか、取り壊されるかしている。
  ――夜明け

 西欧と北米植民地に限定してはいるが、当時の人々、特に庶民や農民の日々の暮らしが見えてくるのが嬉しかった。また、今も昔も酒場が夜通し営業してるあたりは、洋の東西を問わないんだろうなあ、とも想像できる。そういやイスラム圏はどうなんだろ? まあいい。ベッド仲間やバンドリングなんて風習もあったり、意外性な挿話に満ちた本だった。歴史の雑学が好きな人にお薦め。

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