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2024年6月10日 (月)

荻野富士夫「特高警察」岩波新書

特高警察とは何だったのか、その実態と全体像の解明が本書の課題である。
  ――はじめに

毛利基(→Wikippedia)が「特高警察の至宝」と飛ばれたのは、スパイの巧妙な操縦術にあった。
  ――3 その生態に迫る

【どんな本?】

 憲兵と並び、戦前・戦中の高圧的・暴力的な国民監視や言論弾圧の象徴となっている特高。その特高は、いつ・どんな目的で設立され、どんな者たちを監視・弾圧し、どのような手口を用い、どんな経緯を辿ったのか。いわゆる刑事警察との違いは何か。どのような警官が属していたか。組織はどんな特徴があるのか。ゲシュタポとはどう違うのか。

 当時の公開文書や警察の資料を漁り、悪名高い特高の実態を伝える、一般向けの歴史解説書。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2012年5月22日第1刷発行。新書版縦一段組み本文約233頁に加え、あとがき4頁。9.5ポイント40字×15行×233頁=約139,800字、400字詰め原稿用紙で約350枚。文庫なら薄め。

 地の文はこなれている。ただ戦前・戦中の文書の引用が多く、それらは旧仮名遣いだし言葉遣いも古くさい。そこは覚悟しよう。内容は明治維新以降の日本の歴史と深く関わっているので、その辺の大雑把な知識は必要。特に小林多喜二をはじめ労働運動や左翼運動の人名がよく出てくる。また、以下の事件への言及も多い。リンク先は全て Wikipedia。

【構成は?】

 原則として時系列順に進むので、なるべく頭から読もう。

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  • はじめに
  • 1 特高警察の創設
  • 1 特高警察の歴史
  • 2 大逆事件・「冬の時代」へ
  • 3 特高警察体制の確立
  • 2 いかなる組織か
  • 1 「特別」な高等警察
  • 2 特高の二層構造
  • 3 一般警察官の「特高」化
  • 4 思想検事・思想憲兵との競合
  • 3 その生態に迫る
  • 1 国家国体の衛護
  • 2 特高の職務の流れ
  • 3 治安法令の駆使
  • 4 「拷問」の黙認
  • 5 弾圧のための技術
  • 6 特高の職務に駆り立てるもの
  • 4 総力戦体制の遂行のために
  • 1 非常時化の特高警察
  • 2 「共産主義運動」のえぐり出し
  • 3 「民心」の監視と抑圧
  • 4 敗戦に向けての治安維持
  • 5 植民地・「満州国」における特高警察
  • 1 朝鮮の「高等警察」
  • 2 台湾の「高等警察」
  • 3 「満州国」の「高等警察」
  • 4 外務省警察
  • 5 「東亜警察」の志向
  • 6 特高警察は日本に特殊か
  • 1 ゲシュタポの概観
  • 2 ゲシュタポとの比較
  • 7 特高警察の「解体」から「継承」へ
  • 1 敗戦後の治安維持
  • 2 GHQの「人権指令」 しぶしぶの履行
  • 3 「公安警察」としての復活
  • 結びに代えて
  • 主要参考文献/あとがき

【感想は?】

 実物を見ればわかるが、量的には手軽に読める新書だ。

 だがその中身は、多くの手間暇を費やして大量かつ広範囲の文献を漁って書き上げた労作である。

 にも拘わらず、著者の筆致は冷静かつ事務的で、その意図を読み取るには相応の注意力が必要だ。

 例えば「戦前を通じて日本国内では拷問による虐殺80人、拷問による獄中死114名、病気による獄中死1503名」とある。拷問で亡くなったのが計194名に対し、病死が1503名。やたら病死が多くね?

 これ、「はじめに」の3頁。著者は病死の多さを指摘も解釈も突っ込みもしない。ソコは読者が読み取れ、そういう姿勢だ。たぶん、著者は本書の冒頭で、読み方をそれとなく示しているんだが、私は思わず読み飛ばすところだった。危ない危ない。

 そんなワケで、恐らく他にも私は多くの重要な点を読み飛ばしている。

 資料の漁り方も徹底している。日本の警察全体の傾向を表す「警視庁統計報告」や各県の県警史やに日本警察新聞などの(たぶん)公開資料はもちろん、「説諭の栞」(警察教材研究会編)など民間の資料、雑誌「警察研究」、そして「中国、四国ブロック特高実務研究会」の議事録など、「どうやって存在を知りどうやって手に入れたのか」と呆れるほどマニアックな資料にまで当たっている。

 それほどの労力を費やした割に、見かけは薄いし地の文は読みやすく、サラサラ読めてしまうのはどうしたものか。しかも文章は事務的かつ冷静で、著者の感情はあまり出てこない。困ったモンだ。読者の感情を刺激するのは、次の特高の台詞のように、ごく一部だけ。

「言え、貴様は殺してしまうんだ、神奈川県特高警察は警視庁とは違うんだ。貴様のような痩せこけたインテリは何人も殺しているのだ」
  ――3 その生態に迫る

 さて。そんな特高が取り締まったのは、タテマエとしては以下の通り。

1937(昭和12)年3月の保安課の事務組織をみると、庶務・文書、左翼、右翼、労働・農民、宗教、内鮮、外事、調査の八係からなり…
  ――2 いかなる組織か

 左翼はわかる。というか、本書を読む限り、最も力を入れていたのは共産党対策らしい。1936年の226事件(→Wikipedia)の影響か、一応は右翼も監視していたが、手ぬるかった様子。労働・農民は左翼と別扱いだ。宗教もそうだが、彼らは多数の庶民が組織化するのを恐れるのだ。外事は他国のスパイだろう。内鮮って所で、大東亜共栄圏と言いつつ実は朝鮮人への差別感情があったのを思い知らされる。

 この辺は「5 植民地・「満州国」における特高警察」で、更に詳しく語っている。国内では外務省警察や軍の管轄下の憲兵と競合した特高だが、本土外では憲兵の指揮下で一本化し、独立運動・民族運動も含め、国内以上に過酷な弾圧をしている。

 質に次いで量的な面では、警察全体の一割ほど。KGBより少ないがMI5よりは多い。

…日米開戦直前の広義の特高警察の人員はおそらく一万人を超えると推測される(略)。戦時期の国内警察全体の人員は9万5千人前後であり、一割強が広義の特高警察であったことになる。
  ――2 いかなる組織か

 治安維持法があるとはいえ、タテマエ上は司法の軛のもとで活動している特高だが、総力戦体制ともなると、イチャモンにも磨きがかかってくる。

「日本無産党(→Wikipedia)は日本共産党と一字違いであり、……意識的な命名である」(警保局保安課「思想問題について」1939年6月)
  ――4 総力戦体制の遂行のために

 さて、「6 特高警察は日本に特殊か」では他国との比較としてゲシュタポと比べている。ゲシュタポが司法権まで握っていたのに対し、特高はそうじゃなかった。一応、タテマエとしては。そこを特高は羨んでいる。また、強制収容所もなかった。これを著者は…

思想的矯正は可能とする日本と異なり、ドイツの場合にはそうした発想がない。
  ――6 特高警察は日本に特殊か

 と、している。まあ、思想的矯正ってあたりで、既にアレだと私は思うんだが。いや自分は正義だと固く信じてるワケで、狂信者の一種だよね。

 まあいい。そんな風に日本人に対しては甘かったが…

朝鮮人・中国人に対する残虐性の発揮は、ドイツにおける他民族に対する残虐性に通じるものがある。
  ――6 特高警察は日本に特殊か

 と、外地ではタガが外れてしまう。

 そんな風に狂ったように見える特高だが、敗戦後は計算高く生き残りを図る。こういう所は、正義感と言うより単に権力の亡者じゃないかと思うんだが、どうなんだろうね。

戦前において特高警察はゲシュタポに親近感や羨望感を抱いていたにもかかわらず、敗戦後は特高警察の存命のために一転してゲシュタポとの異質性を強調し、特高=「秘密警察」論を否定する。
  ――6 特高警察は日本に特殊か

 自分たちの目指すところは外聞が悪いとわかっている。ちゃんと自分たちの姿を客観的に見る能力はあるのだ。ただ、力の無い者には一切耳を傾けないってだけで。

 そのためか、国内の政治では強気な態度を崩さない。

おそらく(1945年)9月下旬までに、警保局は昭和21(1946)年度予算要求として特高警察の倍増案を立てている。
  ――7 特高警察の「解体」から「継承」へ

 敗戦の混乱を抑えるには力が必要だって理屈。そのくせ闇市の仕切りはヤクザに任せてたりするんだが(「敗北を抱きしめて」)。

 これは政治家も同じで、相変わらずの思想統制を続けるとハッキリ言ってたり。なんだろうね、この楽観性は。

1945年10月3日山崎巌内相(→Wikipedia)「思想取締の秘密警察は現在なお活動を続けており、反皇室的宣伝を行う共産主義者は容赦なく逮捕する。また政府転覆を企む者の逮捕も続ける」
  ――7 特高警察の「解体」から「継承」へ

 で、体裁だけ整えて実態は残します、とも言ってたり。

1945年10月15日内閣書記官長次田大三郎(→Wikipedia)「特高の組織は全面的に廃止せざるを得ない。しかしこの際の取り扱いとしては一応全面的に特高の組織は廃止するが、これに代わるべき組織は急に作り上げなければならないと思っている」
  ――7 特高警察の「解体」から「継承」へ

 現在の日本で特高の後継に当たるのは公安調査庁と警察の公安。刑事警察は各県警が仕切っているのに対し、公安は中央つまり警視庁が仕切る中央集権型だ(「公安は誰をマークしているか」)。国内の暴力組織も外国の諜報組織も、道路網の充実などで長距離移動が容易になった上に、インターネットなどで距離を無視した情報伝達も簡単なワケで、下手な分権化がマズいのは分かる。

 とはいえ、戦後の人事を見る限り、特高の文化は受け継いでおり、また Wikipedia の内務省を見る限り、復活を望む勢力は生き残っている。

 恐ろしくはあるが、同時に特高が「労働・農民」を対象としたことで分かるように、人々が集まるのを権力者は恐れるのだ、というのは希望でもある。いずれにせよ、物理的には薄いが中身は濃い。覚悟して注意深く読むべき本だ。

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