マイケル・スピッツァー「音楽の人類史 発展と伝播の8憶年の物語」原書房 竹田円訳
本書は段階的に時間をさかのぼってゆく。21世紀初頭の音楽的人間からスタートして、記録に残された数千年間の人類の歴史を通過し、そして人間以前の動物の音楽まで、推理力を頼りに範囲を拡大して、音楽を逆行分析する。
――第1章 ボイジャー音楽に耳を傾けているとき、私たちは音楽を模倣している。
――第4章 想像の風景、見えない都市対位法は、西洋のクラシック音楽全般が勝利をおさめる前に、先鋒として世界を征服する。
――第8章 終盤リズムは模倣、すなわち真似する能力と深く関わっている。
――第10章 人類主題を最後までお預けにするのは、じつは音楽の常套手段である。
――第12章 音楽の本質に関する11の教訓
【どんな本?】
認知心理学者スティーブン・ピンカー曰く「音楽は聴覚のチーズケーキ」(→Wikipedia)。進化の過程で、たまたま必要な材料=能力が揃ったため生まれた副産物であり、嬉しくはあってもたいして役に立つシロモノではない、みたいな意味だろう。
これに反論するのが本書だ。
世界にはどんな音楽があり、それぞれどんな特徴があるのか。コオロギも鳥も鳴くが、それはヒトの歌とどう違うのか。音楽を生み出し、味わうには、どんな能力が必要で、ヒトはいつどうやってその能力を手に入れたのか。人類の歴史の中で、音楽はどのように生まれ、石器時代から現代までの社会の変化に応じ、どう変わり関わってきたのか。そして、なぜ西洋の音楽が世界を制覇したのか。
クラシックからポップ・ミュージック、西洋・アラブ・インド・中国など世界各地の音楽はもちろん、古生物学・考古学・史学・認知心理学など多岐にわたる学問の知識を漁り、ヒトと音楽の関わりを俯瞰する、一般向けの歴史と音楽の啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Musical Human : A History of Life on Earth, by Michael Spitzer, 2020。日本語版は2023年10月6日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約510頁に加え訳者あとがき3頁。9.5ポイント50字×19行×510頁=約484,500字、400字詰め原稿用紙で約1,212枚。文庫なら厚めの上下巻か薄めの上中下巻の大容量。
文章はかなり古風。いや文体は現代風なんだが、いささか詩的と言うか哲学的と言うか。内容はあまり難しくないが、平均律や五度などの基礎的な音楽用語が説明なしに出てくるので、多少の音楽の知識はあった方がいい。出てくる音楽はクラシックが多いが、KPOP の PSY など流行歌やバリ島のガムランなど民族音楽も多い。お陰で Youtube で曲を漁っているとなかなか読み進められない。
あと、できれば索引が欲しかった。
【構成は?】
原則的に順に読み進める構成なので、じっくり読みたいなら素直に頭から読もう。だが、面白そうな所を拾い読みしてもソレナリに楽しめる。というか、ぶっちゃけ著者の筆はアチコチ寄り道しちゃ道草食い放題なので、テキトーにつまみ食いした方が美味しいかも。
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- 第1部 人生
- 第1章 ボイジャー
- 第2章 ゆりかごから墓場まで
- 第3章 私たちの生活のサウンドトラック
- 第4章 想像の風景、見えない都市
- 第2部 歴史
- 第5章 氷、砂、サバンナ、森
- 第6章 西洋の調律
- 第7章 超大国
- 第8章 終盤
- 第3部 進化
- 第9章 動物
- 第10章 人類
- 第11章 機械
- 第12章 音楽の本質に関する11の教訓
- 謝辞/訳者あとがき/原注
【感想は?】
「8億年とは大きく出たな」と思うが、一応は間違っちゃいない。かなりハッタリ混じりだが。
テーマは、ヒトと音楽の関わりだ。このヒトってのが曲者で、著者の視野は時間的にも空間的にも広い。時間的には人類以前の話も出てくる。それは現代の昆虫や鳥、そしてクジラから類推するのである。
サピエンスは統合した。リズム、メロディ、文化の能力は、単独でなら、昆虫、鳴禽、クジラのさまざまな種に認められるが、すべてを兼ね備えた種はひとつとしてない。
――第9章 動物
コオロギは鳴き、鳥はさえずり、クジラは歌う。だが、いずれもヒトが考える音楽とは異なる。それは何が欠けているのか、なぜ欠けているのか。これらを追求する事で、音楽には何が必要なのかを浮き上がらせてゆくのだ。
また、空間的にはユーラシア全般に及ぶ。代表は西洋、イスラム、インド、中国だ。
四つの音楽大国にはそれぞれ特別な力があった。西洋にはポリフォニー(加えて音符と記譜法)。イスラムには装飾。インドは味を追求した。中国の強みは色、すなわち音色だった。
――第7章 超大国
実はこのランキングには大きな欠落がある。アフリカだ。それは著者もわきまえていて、ちゃんと言い訳を用意している。
アフリカが、(略)音楽の大国集団に入っていないことははっきりしている。それはアフリカに音楽の歴史がないからではなく、植民地化以前の音楽の歴史の記録がないからだ。
――第8章 終盤
記録の有無は重要な問題で、本書中でも随所で泣き言が入る。なんたって、譜面が残っているのは西洋音楽だけだし。音階は笛の穴の位置で類推できるが、それ以外の楽器は難しい。リズムや音色や奏法は、もうお手上げだ。
とはいえ、楽譜がなくても音楽があったのは記録に残っている。例えば古代ギリシア。
古代ギリシア演劇は、劇とは名ばかりでじつはすべてオペラだった
――第6章 西洋の調律
オペラというと「フィガロの結婚」や「カルメン」を思い浮かべるが、演劇に歌や演奏や踊りを加えたモノなら、世界各地にある。というか、著者の見解だと、世界的には音楽は演劇や踊りと混然一体となっている場合が多く、音楽だけを抜き出して楽しむ形の方が珍しいようだ。とすると、様式に拘った KISS やストーリーに殉じた The WHO の TOMMY は、先祖返りというか、本来の音楽のあり方・楽しみ方に立ち戻ったものなのかも。
先の例で西洋音楽ばかりを取り上げたが、実際問題として現代は西洋音楽が世界を席巻している。その理由は、軍事力と経済力ばかりでなない。西洋音楽は、強力な武器を備えていたのだ。
西洋音楽の三つの「必殺アプリ」は、音符、記譜法、ポリフォニーだ。
――第7章 超大国
絵画や彫刻と違い、音楽はモノが残らない。だから、後継者がいなければ途絶えてしまう。だが西洋は楽譜を発明し、発達させてきた。そのため故人の未発表曲でさえ蘇らせることができる。これは強い。また、譜面で視覚化することで、論理的な分析・設計も可能になった。バッハのファンならお分かりだろう。
とまれ、それは同時に、ある種の自由を奪いタガをハメる結果にもなった。その一つが調律だ。
12の半音がすべて均等になるように調律されたピアノの鍵盤のように、シンセサイザーのキーボードは、その「平均律」を「非標準的な」調律を持つほかの人々に押しつけている。
――第11章 機械
とかの本書のテーマに沿った話も面白いが、著者の音楽家としてのネタも楽しい。例えば曲の構成だ。著者はこれを英雄物語の旅に例える。英雄は家を出て冒険へと旅立ち、試練や戦いを乗り越え、やがて家に帰る。これが音楽だと…
一般に、提示部と呼ばれる曲の冒頭部分では、この調性(主調)が使われる。
家を離れることは「転調」と言い、通常「属」調に移行する(属調は、主調と五度の関係にある調性)。
提示部の後半部分は属調で進行する場合が多い。
冒険と戦いが繰り広げられる展開部では、さらに主調から遠い調性が使われる。
そして主人公は再現部で家に帰る。(略)
ほとんどの音楽家は、この物語を土台とし、そのうえでそれぞれ趣向を凝らしている。
――第4章 想像の風景、見えない都市
そんな具合に、音楽にはちゃんと様式があるのだ。優れた音楽家は、たいてい卓越した音楽の知識を持っている。逆は必ずしも真ではないが。
多くの人が、音楽的創造は無から生じると考えている。しかし、すべての作曲はパターンからはじまっている。
――第2章 ゆりかごから墓場まで
どれだけパターンを知り活用するかが成功の鍵の一つらしい。成功者の一例がビートルズだ。彼らはスキッフルから始めた。
(人類学者のトマス・)トゥリノは、世界の音楽を四つの芸術的実践、すなわち四つのスタイルに分類し、それらを参加型、発表型、ハイファイ型、スタジオ音響芸術型と呼んでいる。
――第3章 私たちの生活のサウンドトラック
上の分類だと、スキッフルは典型的な参加型の音楽で、つまり客をノせれば勝ちという音楽である。盆踊りの太鼓も参加型だろう。こういうタイプには、嬉しい特典がある。
世界各地の参加型音楽には多くの共通点がある。演奏能力の上手下手は問われない。参加型音楽の成功は、芸術的な質の高さではなく、参加者がどれだけ音楽に没頭できるかによって判断される。
――第3章 私たちの生活のサウンドトラック
「音楽に没頭」と書いちゃいるが、別に傾聴させる必要はない。踊り狂うとか、楽しんでもらえればいいのだ。ビートルズも初期は上手くなかったが、客をノセるコツは心得ていた。だからデビューできたのだ。
他にも、曲作りのコツがある。
世界中の大半の音楽は、進行するにつれて速くなり、盛り上がる。西洋のポップスはほぼすべてそうなっている。
――第5章 氷、砂、サバンナ、森
速くなれば盛り上がる。言われてみりゃ当たり前だと思うが、こういう基礎をキチンと抑えるのも大事なんだろう。
また、サウンド・エンジニアには気になる記述が。
多くのスタイルの音楽について、音響学的レベルでは、音声信号のパワースペクトル密度は、1/f分布に従って周波数に反比例する。
――第11章 機械
これは「そうしろ」ってワケじゃなく、1/f分布だとヒトは安らぎや落ち着きを感じるからだ。まあ、音楽はヒトの気分を操るモノなんで、敢えて不安を感じさせた後で安らぎに落とし込む、なんてのも手口としちゃアリだし、ホラーの伴奏ならこの傾向を逆手に取るケースも多い。
などと音楽そのもののネタの紹介が多くなったが、本書のテーマはヒトの持つ独特の能力や、音楽と社会のかかわりなど、もっと広い視野の話が多い。その分、抽象的だったり観念的だったりで、文章として難しい部分も多くを占める。分厚く圧迫感もあるが、音楽が好きで、かつ特定の音楽に拘らない人にお薦め。
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