ダニエル・オーフリ「患者の話は医師にどう聞こえるのか 診察室のすれちがいを科学する」みすず書房 原井宏明・勝田さよ訳
本書では、何名かの医師と患者が歩んだ道筋をたどり、一つのストーリーが人から人にどのように伝わるかを考察する。
――第1章 コミュニケーションはとれていたか…患者がその数字をもとに医師を選択するとはかぎらない。患者は、信頼できる医師を選ぶ傾向がある。
――第2章 それぞれの言い分「医学部の授業では、患者に悪いニュースを伝えなければならないときは、その後に大事なことは一切言うなと教わります。悪い知らせを聞かされた患者は聞く耳を一切持たないからです」
――第3章 相手がいてこそストーリーを語るという行為は語り手にとってとても治療的であり、そしてそれを聞くことも聞き手にとって治療的である。
――第5章 よかれと思って敬意のこもったふるまいには伝染性がある。
――第13章 その判断、本当に妥当ですか?
【どんな本?】
問診。医師が「どうしましたか?」と問い、患者が「腹が痛くて…」などと答える。それこそ医療が呪術師の領分だった大昔からの、医療の基本だ。
顕微鏡以来、医学や薬学は長足の進歩を遂げた。レントゲン,CTスキャン,MRIなど、最新技術を駆使した医療機器も充実してきた。だが、基本となる問診は、どうだろう?
内科医の著者が、自らの経験や先輩友人知人に加え患者への取材、そして師からの教えを元に、問診の重要性とその技術を磨くことの大切さを訴える、医師向けの啓蒙書。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は What Patients Say, What Doctors Hear, by Danielle Ofri, 2017。日本語版は2020年11月10日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約275頁に加え、原井宏明による訳者あとがき2頁。9ポイント48字×19行×275頁=約250,800字、400字詰め原稿用紙で約627枚。文庫なら厚めの一冊分。
意外と文章はこなれていて読みやすい。医学の本だけに専門用語はビジバシ出てくるが、「何か専門的な事を言ってるんだな」ぐらいに思っていれば充分だ。内容も特に難しくない。中学生でも読みこなせるだろう。敢えて言えば、病院に行って「なんかぶっきらぼうだよな」「先生、怖い」などの不満を抱えた経験があると、より切実に感じるだろう。
【構成は?】
各章は緩やかに結び付いているが、それぞれ独立したエピソードを中心としているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- 第1章 コミュニケーションはとれていたか
- 第2章 それぞれの言い分
- 第3章 相手がいてこそ
- 第4章 聞いてほしい
- 第5章 よかれと思って
- 第6章 なにが効くのか
- 第7章 チーフ・リスニング・オフィサー
- 第8章 きちんと伝わらない
- 第9章 単なる事実と言うなかれ
- 第10章 害をなすなかれ それでもミスをしたときは
- 第11章 本当に言いたいこと
- 第12章 専門用語を使うということ
- 第13章 その判断、本当に妥当ですか?
- 第14章 きちんと学ぶ
- 第15章 ふたりの物語が終わる
- 第16章 「ほんとうの」会話を
- 謝辞/訳者あとがき/出典と註/索引
【感想は?】
「患者は医師にどう語るべきか」な本だと思ったが、まったく違った。医師向けの本で、「医師は患者の話をどう聞くか」みたいな内容だ。
じゃ医療と関係ない人には役立たないかというと、そうでもない。
というのも。医師と患者の関係は、平等じゃない。たいていの場合、医師が圧倒的に強い。なんたって、患者は命を握られているのだ。専門知識だって、ない。血液検査の結果を見たって、チンプンカンプンだ。というか、様々な検査をするが、その意味や役割すら分からない。
おまけに、医師は忙しい。一日に何十人もの患者を診る。患者からすればたった一人の医師だが、医師にとっては沢山の患者のうちの一人でしかない。
そんな、いわば権力の勾配がある両者で、キチンと会話が成り立つのか?
そう、往々にして、成り立っていない。いや強い側つまり医師は成り立っていると思っているが、患者はそうじゃない。医師の言葉が理解できなかったり、「ちゃんと話を聞いてくれない」と不満を抱いたりする。
イギリスの二人の心臓専門医が、自分たちの病院の患者にアンケートをとったところ、その多くが、心不全、ステント、心臓弁からの漏れ、エコー、不整脈といった、循環器病棟で常用される用語を正しく定義できていないことがわかった。
――第12章 専門用語を使うということ
本書では医師と患者の関係だが、似たような関係は世間でよくある。上司と部下・教師と生徒・役人と民間人など、「強く忙しく大勢を相手にする側」と「弱く頼るしかない側」での会話だ。
この勾配が、事態をややこしくする。医療で必要な事柄が、必ずしもちゃんと聞き出せるとは限らない。
診察でいえば、一人の医師の平均的な診察日に、診察の主目的まで容易に到達できない患者が数名いるということだ。
――第11章 本当に言いたいこと
まあ、こういうのは、計算機屋も往々にして経験している。「それ、先に言ってよ~」って奴だ。もっとも、大抵の場合、権力勾配は計算機屋が圧倒的に弱いんだがw そういう経験をした計算屋は、次の言葉に深く頷くだろう。
患者は最良の教師だ。
――第14章 きちんと学ぶ
計算機屋との共通点は、他にもある。最近になって、便利なツールが爆発的に増えた。楽になったようだが、そうでもない。というのも、それぞれの案件について、選択肢が増えすぎて最適なツールを選ぶのが却って難しくなってきたからだ。結局、使い慣れた道具に頼ったり。
過去半世紀の間に医学の知識と治療の選択肢は爆発的に増えたが、すべてをやりとげるのに使える時間は昔と変わらず15分程度である。
――第16章 「ほんとうの」会話を
そんなワケで、計算機屋でも聞く技術の重要性は増してるんだが、それを体系立てて教える教程って…あるのかなあ。まあいい。少なくとも医学界では、幾つかの抵抗にあいながらも、ジワジワと広がっているらしい。
その抵抗する気持ちも、ちょっとだけわかる気がする。
何世紀も前からシャーマンが使用している技術が、100万ドルをかけた大規模臨床試験の裏づけがある医薬品と同じくらい効果的であるという話には、(医師は)なにか漠然と不愉快さを感じる。
――第6章 なにが効くのか
計算機屋なら、「そんな暇があったら新しい言語を学ぶ」みたいな感じ? とまれ、医師がじっくり話を聞くことの重要性を、認めた政府もあるのだ。
最近、オランダ政府は、傾聴の医療保険コードを承認した。つまり医師は、処置や検査と同じように、診察の一部として堂々と患者の話を聞けるということだ。
――第7章 チーフ・リスニング・オフィサー
他にも、医療以外で役立つ話は結構ある。やはり計算機屋が苦しむのが、トラブル対応だ。計算機屋が集まってガヤガヤやっているが、肝心の顧客は置いてけぼり、なんてケースも昔は珍しくなかった。
ベンソン夫人は、文字通りの意味でも比喩的にも、廊下に取り残された。
――第10章 害をなすなかれ それでもミスをしたときは
まあ、往々にしてしょうがないんだけどね。少なくとも原因が判明するまでは。でもって、イライラしてつっけんどんな対応しちゃったり。
医学は、私たちが期待するよりずっと不明瞭だ。だから、質問の紙が広げられたときから、自分があいまいな表現に終始することが――そして相手を失望させてしまうことが――予想できてしまう。私もそうだが、患者もいらいらするだろう。
――第4章 聞いてほしい
また、要求仕様の確認とかだと、最近はキチンと文書でやりとりするんだろうけど、急ぎの仕事だと口頭でやりとりしたり。
事実を手短かに言いかえたいときは、最初に「きちんと理解できているかどうか確認させてください」と言えば簡単だ。このフレーズは、事実をはっきりさせるのに適した方法であるのみならず、本当に話を聞いているという、患者への確かな合図にもなる。
――第9章 単なる事実と言うなかれ
もっとも、異様に気が短い相手だと、こっちが復唱してる時に口をはさんできたりするんだよなあ。なんなんだろうね、あれ。まあいい。
他にも、人を説得する際の技術がちょっとだけ書いてあったり。
事実を繰り返し叩き込む戦略によって望ましい結果が得られることはほとんどない。
――第5章 よかれと思って
どないせいちゅうねん、と思った方は、本書を読んでください。
そんなワケで、「患者が気を付けるべきこと」ではなく、「医師が心がけること」の本であり、医師向けの本である。ではあるが、医療に素人の私でも楽しく読めた。エピソードは医療に限っているが、これはヒトとヒトとの会話の本なのだ。コミュニケーションに興味がある人や、オリヴァー・サックスのファンにお薦め。
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