トーマス・J・ケリー「月着陸船開発物語」プレアデス出版 高田剛訳
この本はアポロ計画の月着陸船を設計した主任設計者が、研究、提案段階から、設計、製作、実際の月着陸の支援活動について、自分が経験した内容を詳しく述べたものです。
――訳者あとがきグラマン社はM-1号機のモックアップ審査で、宇宙飛行士は特別な存在として対応する必要があることを学んだ。彼らは同じ職業の操縦士を通じて調整しないといけない。飛行機の操縦をしない技術者や管理者は、いかに有能であろうと、彼らから全面的に尊敬され評価される事はない。
――第6章 モックアップ多くの飛行機や宇宙線に関して蓄積された実績データによれば、最初の大まかな設計と、基本構想段階の搭載システムによる初期の重量は、最終的な製品の重量より20%から25%少ないのが普通だ。
――第8章 重量軽減の戦い搭乗員用の船室の円筒形部分のアルミ外板は、厚さが0.3ミリ、つまり家庭用アルミフォイルの三枚分の厚さだった。
――第8章 重量軽減の戦い
【どんな本?】
人類を月へと送り出すアポロ計画に、グラマン社は参加を望む。幸い月着陸船の受注に成功したものの、不慣れな宇宙用機材の設計・開発・製造は苦難の道だった。
海軍用の航空機では、その頑健さで鉄工所の二つ名を勝ちえたグラマン社。だが月着陸船では勝手が違った。増殖する不具合・相次ぐ仕様変更・複雑きわまりない設計・特殊な素材と部品そして失敗が許されない厳しいNASAの要求。当然、スケジュールは遅れ作業の手間は増え必要な書類も積みあがってゆく。
合衆国の宇宙開発機器開発の現場を赤裸々かつ生々しく描くと共に、まったく新しい分野に挑戦したエンジニアたちの奮闘を記録した、技術屋魂が炸裂する挫折と冷や汗と歓喜のドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Moon Lander : How We Developed the Apollo Lunar Module, by Thomas J. Kelly, 2001。日本語版は2019年3月1日第1版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約358頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント52字×20行×358頁=約372,320字、400字詰め原稿用紙で約931枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。
文章はやや硬い。だってバリバリの航空エンジニアが書きバリバリの航空エンジニアが訳した文章だし。その分、技術的な詳細と正確さは信用できる。内容は、工学と宇宙開発に多少の知識があるといい。少なくともアポロ計画(→Wikipedia)とアポロ宇宙船(→Wikipedia)は知っておいて欲しい。
それだけに、マニアには美味しいネタがギッシリ詰まってる。特に設計・開発が始まる第7章以降は読みどころが満載。
【構成は?】
基本的に時系列順に進むので、できれば頭から読もう。
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- 第1章 納入までの苦闘
- 第1部 勝利
- 第2章 月へ行けるかもしれない
- 第3章 月着陸船の提案
- 第4章 最終決定
- 第2部 設計、製作、試験
- 第5章 難しい設計に挑む
- 第6章 モックアップ
- 第7章 図面発行に苦戦する
- 第8章 重量軽減の戦い
- 第9章 問題に次ぐ問題の発生
- 第10章 日程、コストとの戦い
- 第11章 悲劇がアポロを襲う
- 第12章 自分が設計した宇宙船を作る
- 第3部 宇宙飛行
- 第13章 宇宙飛行を行った最初の月着陸船、アポロ5号
- 第14章 最終的な予行練習、アポロ9号と10号
- 第15章 人類にとっての大きな飛躍 アポロ11号
- 第16章 巨大な火の玉! アポロ12号
- 第17章 宇宙からの救出 アポロ13号
- 第18章 不屈の宇宙飛行士の勝利 アポロ14号
- 第19章 大いなる探索 アポロ15号、16号、17号
- 第20章 スペースシャトルの失注
- 結び アポロ計画が残したもの
- 注/訳者あとがき/索引
【感想は?】
マニアにはたまらなく美味しい本だ。特に挑戦的で新しいモノの開発に従事した経験のある人は、何度も「そうだ、そうなんだよっ」と拳を振り上げるだろう。
今からアポロ計画を調べると、月への往復方法も各宇宙船の形も、アレが最善だと思うだろう。だが、構想段階では様々な案があった。本書の主役である月着陸船も、結局は四本足の蜘蛛みたいな形になったが、構想段階ではもっとスマートだった。
「実際に作られるアポロ宇宙船は、僕らが研究したどれにも似てないと思う」
――第2章 月へ行けるかもしれない
そう、細かい所は実装を煮詰めるに従ってドンドン変わっていくし、最初は気づかなかった問題も見えてくる。問題の解決案は時として常識破りな発想が画期的な手段となり、それが全体の形も変えてゆくのだ。
「座席をやめたらどうだろう?」
――第5章 難しい設計に挑む
とかね。まっとうな航空機のエンジニアには、まず出てこない発想なんだが、この案が幾つもの問題を解決したり。
多少なりとも大掛かりなシステムを設計・開発した人なら、次の文に激しく頷くはずだ。
目の前の課題を詳しく見れば見るほど、もっと細かな課題が見えてくるのだ。
――第7章 図面発行に苦戦する
その「細かな課題」が、分かりやすく具体的に書いてあるのが、本書の最も大きな魅力だ。少なくとも私は、そういう所が最も美味しかった。
結果としてアポロ計画は成功裏に終わる。だが、それは大量の失敗の積み重ねによるものだ。何度もの厳しい試験で一つづつ課題を潰し、問題のないモノを創り上げたのである。この辺、デバッグに苦しむ計算機屋は、我が事のように感じるだろう。そんな課題の一つがポゴ。
ポゴは、ロケットの縦方向の振動で、ロケット・エンジンの推力が変動すると、その影響で燃料ポンプの入口圧力が変化し、それによって推力がもっと大きく変化することで生じる振動である。
――第7章 図面発行に苦戦する
言われてみれば確かに起きそうな問題だが、素人が予め予測するのは難しい。そんなネタが続々と出てくるのが、私にはとても嬉しかった。そして、そんな課題を前もって危惧する著者たちの能力にも恐れ入る。例えば月着陸船の離陸時の懸念だ。
緊急上昇時には、上昇段のロケット排気が当たる影響で、姿勢制御能力を持たない降下段がひっくり返ることが懸念された。降下段がひっくり返ると、分離した上昇段にぶつかる可能性がある。
――第13章 宇宙飛行を行った最初の月着陸船、アポロ5号
「そこまで考えるのか」と感心するが、月から離陸する際の発進方法も、なかなか背筋が凍る。
月面からの離陸では、(略)(上昇段の)ロケット・エンジンの推進剤の弁を開いて点火が起きた瞬間に、爆薬が上昇段と降下段を繋ぎとめているボルトとナットを断ち切る。段と段の間の直径10cmの電線と配管の束をギロチンカッターが切断し、無抵抗分離型のコネクターがその電線への電力を止める。
――第15章 人類にとっての大きな飛躍 アポロ11号
ホンの少しでも電線や配管の切り残しがあったり、爆薬が暴発したり、動作のタイミングがズレたら、取り返しのつかない羽目になる。これを前人未到で真空かつ高温にさらされる月面(→JAXAの「もっと知りたい! 「月」ってナンだ!?」)で行うのだ。なんちゅう無茶な注文だろう。
やはり予測した問題の一つが、かの有名なアポロ13号(→Wikipedia)の事故だ。これはグラマン社のお手柄で、月着陸船が宇宙飛行士たちの命綱になった。が、電源を節約したため船内の温度が下がり、こんな懸念が持ち上がる。
司令船を再稼働すると、搭乗員の呼吸により、冷えている場所に結露が予想される。電線やコネクターが濡れるが、ショートを起こさないだろうか?
――第17章 宇宙からの救出 アポロ13号
こういう所まで気が回るあたりは、つくづく尊敬してしまう。
などの課題の中には、こんな嫌らしいシロモノもあって、著者らは暗闇の中に叩きこまれたような絶望も味わうのだ。
一般には燃料不安定は、ロケット・エンジンを作動させた時に毎回起きるものではなく、平均して何回に一回生じるかと言う、確率的な現象である。
――第9章 問題に次ぐ問題の発生
うわ、嫌らしい。何が嫌といって、再現性がないのがタチが悪い。試せば必ず問題が起きるのなら、現象が消えれば安心できる。でも、起きたり起きなかったりするんじゃ、巧くいっても運が良かったのか問題が解決したのか、わからない。内輪の試験で巧く行っても、本番でコケたら目も当てられない。
グラマン社の担当部分ではないが、アポロ1号の悲劇(→Wikipedia)も影響が大きかった。
火は飛行士がチェックリスト、飛行計画などを入れる網ケースなどの、燃えやすいナイロン製品に燃え移り、それから船室全体に急激に広がった。環境制御装置の、可燃性のグリコール(→Wikipedia)水溶液の冷却液が流れるアルミニウム製の配管が熱で溶け、可燃性の液体を火災の中にまき散らした。
――第11章 悲劇がアポロを襲う
これにより、月着陸船にも大幅な仕様変更が入る。あらゆる配管の漏れが厳しく検査されると共に、燃えやすい素材が全て使用不許可となるのだ。全ての部品と素材を洗い出し、ヤバいのは耐熱性のあるモノに変える。言うのは簡単だが、実際にやるのはとんでもなく手間と忍耐力が要求される。頭抱えたくなっただろうなあ。
その配管の漏れも、グラマン社は散々苦労したようで、長々と書いている。地上ならゴムのパッキンとかでどうにか出来そうだが、なにせ月面で動かすシロモノだ。おまけに燃料は四酸化二窒素とエアロジン、毒物ってだけじゃなく、混ぜるな危険の代表みたいなモン。そう、混ぜるだけで爆発するのだ。だからロケット・エンジンに使えるんだけど。
つか、ロケットの液体燃料って、みんな液体酸素と液体水素だとばかり思い込んでた。ちゃんと調べないと駄目だね。
など苦労の甲斐あって、どうにか打ち上げに漕ぎつけるのだが、その本番でも順調に見える飛行の裏側で、数多くのトラブルに見舞われ、即興で解決していた事がわかるのが、本書の終盤。中でも印象的なのが、打ち上げ直後に災難に遭ったアポロ12号。
打ち上げから36秒後と52秒後に、アポロ12号は二回被雷した事が分かった。一度目の落雷の影響で司令船の各系統の電源が切れ、二度目の落雷で誘導装置のジャイロのプラットフォームが機能を停止した。サターン・ロケットのイオン化した排気の長い流れが巨大な避雷針の役割をして、上空の黒い雲から地上への電気が通りやすい通路ができたのだ。
――第16章 巨大な火の玉! アポロ12号
なんとまあ、ロケットには落雷の危険もあるのだ。よくそれで無事だったなあと思う。
一つのちゃんと動くモノを創り上げるために、どれほどの問題が起こり、それを確かめ、解決しなければならないか。そして問題を防ぐため、いかにしち面倒くさい手順が求められるのか。それだけ注意を払っても、見落としやスレ違いは起きてしまう現実。ロケット・マニアはもちろん、すべてのエンジニアが「よくぞ書いてくれた!」と随喜の涙を流す傑作だ。
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