サイモン・ウィンチェスター「精密への果てなき道 シリンダーからナノメートルEUVチップへ」早川書房 梶山あゆみ訳
精密さとは、意図的につくり出された概念だ。そこにはよく知られた歴史上の必要性があった。
――はじめについに機械をつくるための機械が生み出され、しかもそれは、正確かつ精密につくる能力をもっている。
――第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気ジェームズ・スミス著『科学技術大観』
「一つの面を完璧に平坦にするためには、一度に三つの面を削ることが……必要である」
――第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い空気がなければ歪みもない
――第7章 レンズを通してくっきりとGPS衛星群に数々の有用性があるとはいえ、それを煎じ詰めれば時刻の問題になるのだ。
――第8章 私はどこ? 今は何時?1947年、トランジスタは幼い子供の手いっぱいに載るほどの大きさがあった。24年後の1971年、マイクロプロセッサ内のトランジスタは幅わずか10マイクロメートル。人間の髪の毛の太さの1/10しかない。
――第9章 限界をすり抜けて(2011年3月11日の東日本大震災と津波で)杉や松は完膚なきまでに破壊されたのに、竹はまだそこにある。
――第10章 絶妙なバランスの必要性についてこうして時間がすべての基本単位を支えるものとなった
――おわりに 万物の尺度
【どんな本?】
カメラ、スマートフォン、自転車、自動車、ボールペン。私たちの身の回りには、精密に作られたモノが溢れている。これらが誇る精密さは、自然と出来上がったのではない。精密さを必要とする需要や、精密さが優位となるビジネス上の条件があり、ヒトが創り上げた概念だ。
ヒトはいかにして精密さの概念を見つけたのか。そこにはどんな需要があり、どのような人物が、どのように実現したのか。そして精密さは、どのように世界を変えてきたのか。
「博士と狂人」で歴史に埋もれた二人の人物のドラマを魅力的に描いたサイモン・ウィンチェスターが、今度は多彩な登場人物を擁して描く、歴史と工学のノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Perfectionists : How Precision Engineers Created the Modern World, by Simon Winchester, 2018。日本語版は2019年8月25日初版発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約425頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント45字×19行×425頁=約363,375字、400字詰め原稿用紙で約909枚。文庫なら薄めの上下巻ぐらい。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。敢えて言えば、本棚やプラモデルなどを自分で部品から何かを組み立てて、「あれ? この部品、なんかうまくはまらないな」と戸惑った経験があると、身に染みるエピソードが多い。
【構成は?】
原則的に時系列順に進むが、各章はほぼ独立しているので、気になった所を拾い読みしてもいい。
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- 図版一覧
- はじめに
- 第1章 星々、秒、円筒、そして蒸気
- 第2章 並外れて平たく、信じがたいほど間隔が狭い
- 第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を
- 第4章 さらに完璧な世界がそこに
- 第5章 幹線道路の抗しがたい魅力
- 第6章 高度一万メートルの精密さと危険
- 第7章 レンズを通してくっきりと
- 第8章 私はどこ? 今は何時?
- 第9章 限界をすり抜けて
- 第10章 絶妙なバランスの必要性について
- おわりに 万物の尺度
- 謝辞/用語集/訳者あとがき/本書の活字書体について/参考文献
【感想は?】
歴史の授業で工場制手工業って言葉を学んだ。ソレで何が嬉しいのかは分からなかったが。この本で、少しわかった気がする。
これが分かったのが、「第5章 幹線道路の抗しがたい魅力」。ここでは、最高級の自動車を生み出すロールス-ロイス社と、T型フォードの量産に挑んだフォード社の誕生を描く。
その工程は対照的だ。ロールス-ロイス社は熟練の職人による手仕事で、一台づつ丁寧に作ってゆく。対してフォード社は、ベルトコンベアによる流れ作業だ。そこで部品に精密さを求めるのは、どちらだろうか?
意外なことに、フォード社なのだ。
ロールス-ロイス社は、職人が丁寧に組み立てる。そこで部品のサイズが合わなければ、ヤスリで削って調整する。それぞれピッタリ合わせるので、ガタつくことはない。ぶっちゃけ古いやり方だが、だからこそ品質を保証できる。
だが、フォード社は流れ作業だ。合わない部品があると、そこで作業が止まってしまう。だから、予め部品の規格や誤差範囲を厳しく決め、守らせる。部品の精密さでは、フォード社の方が要求は厳しいのだ。
低コストでたいした複雑さもなく、記憶にもさして残らないフォード車のほうが、(ロールス・ロイス車より)精密さがより重要な生命線となっていた。
――第5章 幹線道路の抗しがたい魅力
「ニコイチ」や「共食い整備」なんて言葉もある。壊れた二台の自動車から使える部品を取り出して組み合わせ、一台の動く自動車を組み立てる、そんな手口だ。これは意外と現代的な概念だとわかるのが、「第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を」だ。
この章は1914年の米英戦争さなかの合衆国で幕を開ける。当時、マスケット銃の部品が壊れたら、どう直すか? 現代なら、他の部品に交換するだろう。だが、当時はできなかった。当時の銃は、ロールス-ロイス社風の方法で作っていたからだ。部品を交換するには、職人の所へ持っていき、調整してもらう必要があった。そうしないと、「合わない」のだ。当時の製品は、みんなその程度の精度だったのだ。
これを変えたのが、フランスのオノレ・ブラン(→Wikipedia)。彼の造った銃は…
どの部品も完全に互換性をもっていた。
――第3章 一家に一挺の銃を、どんな小屋にも時計を
逆に言えば、同じ工業製品の同じ部品でも、互換性がないのが普通だったのだ、当時は。軍事ヲタク界隈じゃ共食い整備は末期症状と言われるが、そんな事が出来るのも精密さのお陰だったりする。
こういった互換性の基礎をもたらしたのが、私たちの身の回りに溢れているシロモノなのも意外。
(ジョゼフ・)ホイットワース(→Wikipedia)は、あらゆるネジの規格を統一するという発想を推し進めた
――第4章 さらに完璧な世界がそこに
そう、ネジなのだ。実際、よく見ると、ネジって長さや太さやネジ山の高さや距離など、予め規格がキッチリ決まってないと困るシロモノなんだよね。本書の前半では、他にもネジが重要な役割を果たす場面が多くて、実はネジが工学上の偉大な発明である事がよくわかる。
後半では、こういった精密さが更に桁を上げた現代の物語へと移ってゆく。
特に「第6章 高度一万メートルの精密さと危険」がエキサイティングだった。ここでは航空機用ジェット・エンジンの誕生と現状を語る。そのジェット・エンジン、理屈は単純なのだ。原則として動くのは「回転するタービンと圧縮機だけ」。可動部が少なければ、それだけ機械としては頑丈で安全となる…はず。理屈では。
フランク・ホイットル(→Wikipedia)
「未来のエンジンは、可動部が一つだけで2000馬力を生み出せるようでなければならない」
――第6章 高度一万メートルの精密さと危険
ホイットルを支援する投資会社のランスロット・ロー・ホワイトの言葉も、エンジニアの魂を強く揺さぶる。
「大きな飛躍がなされるときは、かならず旧来の複雑さが新しい単純さに取って代わられるものだ」
――第6章 高度一万メートルの精密さと危険
そうなんだよなあ。私は初めて正規表現に触れた時、その理屈の単純さと応用範囲の広さに感動したのを憶えてる。新しい技術は、たいてい洗練された単純な形で出てきて、次第に毛深くなっちゃうんだよなあ。
まあいい。ここでは、蒸気からレシプロそしてタービンまで、モノを燃やして力を得るエンジンの神髄を説く言葉も味わい深い。
(エンジンは)熱ければ熱いほど速くなる
――第6章 高度一万メートルの精密さと危険
モノを燃やすエンジンは、すべてボイル=シャルルの法則(→Wikipedia)に基づく。曰く、気体の体積または圧力は、温度に比例する。モノを燃やすエンジンは、高温で体積が増える気体の圧力がパワーの源だ。よってパワーを上げるには、エンジンの温度を高く(熱く)すればいい。
だが、エンジンは金属だ。金属は熱くなると柔らかくなり、ついには溶ける。この相反する要求を叶えるには、なるたけ高温に耐える素材を使うこと。冶金技術が国力の源である理由が、コレだね。もう一つ、高熱にさらされるエンジン内でタービン・ブレードの温度を下げる手もある。これを叶えるロールス-ロイス社の工夫が凄い。
実はこの辺、「ジェット・エンジンの仕組み」にも書いてあったんだが、すっかり忘れてた。わはは。
この章では、他にも「ホイットルの時代の初歩的なジェットエンジンであっても、(吸い込む空気の量は)ピストンタイプのざっと70倍」とか、ジェットエンジンつかガスタービンの布教としか思えぬ記述が溢れてる。
それはともかく、そんなロールス-ロイス社のトレント900エンジンを積んだエアバスA380機が、2010年に事故を起こす。カンタス航空32便エンジン爆発事故(→Wikipedia)だ。原因はエンジン部品の不良。この事故を調べたオーストラリア政府による事故調査報告書は、教訓に富んでいる。
複雑な社会技術システムは、元々内在する性質により、絶えず監視されていなければ自然と後退するという傾向を持つ。
――第6章 高度一万メートルの精密さと危険
複雑で精密なシロモノは、放っとくと劣化するのだ。これはモノだけでなく、製造・流通・運用など全ての過程で関わるヒトや組織にも当てはまる。特に、コスト削減とかの圧力が加わった時は。なら、原子力発電も…などと考えてしまう。
以降、本書は騒ぎとなったハップル天文台や現代では必需品となったGPSそして集積回路を経て、第10章ではなぜか日本が舞台となる。ここの記述は日本人としてはいささか気恥ずかしさすら覚えるほどの日本賛歌なので、お楽しみに。
今や当たり前となったネジや部品交換そして互換性の概念は、意外と近年に生まれた考え方だった。私たちの暮らしを楽しく便利にしてくれる様々な工業製品も、巷で話題のグローバル経済も、先人が創り上げた精密さの上に成り立っている。そんな感慨に浸れると共に、歴史の教科書ではあまり触れられない職人たちの人物像にも光を当てた、一風変わった歴史と工学の本だ。
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