ローレンス・C・スミス「川と人類の文明史」草思社 藤崎百合訳
川から人間が得られる基本的な利益には5種類ある。アクセス、自然資本、テリトリー、健康な暮らし、力を及ぼす手段である。
――プロローグ国際移住機関(IOM)は、「Missing Migrations Project(死亡もしくは行方不明の移民に関するプロジェクト)」という移民の死者数などの世界的データベースを作る政府間組織だが、このIOMによると、移民の死因でもっとも多いのが溺死である。
――第2章 国境の川黄河は、毎年10憶トン以上の堆積物を海まで運ぶ、まさしく自然の脅威である。これは世界最大のアマゾン川が運ぶ土砂の量にほぼ匹敵する。年間流量は、アマゾン川のたった1%にも満たないというのに。
――第4章 破壊と復興新しい発見が促されるのは、多くの場合、モデルと現実の観測値との間に食い違いがあるときだ。
――第8章 川とビッグデータ現在、世界に何百万とある淡水湖のうち、水位をモニターされているのは1%にも満たない。
――第8章 川とビッグデータ
【どんな本?】
古代の四大文明は、みな大河のほとりにある。今でも、ロンドンはテムズ川,パリはセーヌ川,カイロはナイル川,ニューヨークはハドソン川など、名だたる大都市は川と共に語られる。河川の恵みは人類社会の発展に欠かせない。
と同時に、ハリケーン・カトリーナが示すように川は巨大な災害の原因にもなった。また、エチオピアがナイル川に築いた巨大ダムは、下流のスーダンとエジプトに大論争を巻き起こした。これはメコン川も同じで、ベトナムやカンボジアは中国と慎重な協議を重ねている。巨大技術を手に入れた人類は、河川との関係を変えつつある。
都市の発展の基盤であり、それだけに争いの原因ともなった河川。人類は河川とどのように付き合い、お互いにどんな影響を及ぼし合ってきたのか。両者の関係は、環境をどう変えてきたのか。そして今世紀に入って、両者の関係はどう変わりつつあるのか。
地球・環境・惑星科学教授である著者が、河川にまつわる近現代史を辿り、またダムや水質そしてウォーターフロントの開発など現代のトピックを取り上げ、河川と人類の歴史を手繰り現在を俯瞰し未来の展望を語る、一般向けのノンフィクション。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Rivers of Power : How a Natural Force Raised Kingdoms, Destroyed Civilizations, and Shapes Our World, by Laurence C. Smith, 2020。日本語版は2023年2月27日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組みで本文約405頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント43字×18行×405頁=約313,470字、400字詰め原稿用紙で約784枚。文庫なら厚い一冊分。
文章は比較的にこなれている。内容も特に難しくないが、ご想像の通り私たちに馴染みのない河川の名前が続々と出てくる。メコン川ぐらいは分かるが、トゥオルミ川とか知らないって。地図帳に出てないし。もいうことで、読みこなそうと思うなら GoogleMap などが欠かせない。いや私は読み飛ばしたけど。
【構成は?】
各章はほぼ独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
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- プロローグ
- 第1章 川と文明
ナイル川の氾濫を予測/為政者たちの権力の源泉/「川の間の土地」に生まれた最古の都市/チグリス・ユーフラテスの方舟/サラスヴァティ―川の消滅/大禹の帰還/「水利社会」がもたらしたもの/知識、それはハビ神の乳房から始まった/「水の管理」を定めたハンムラビ法典/川の所有権をめぐる歴史/水車の力/新世界の発展と川の役割/ジョージ・ワシントンの着眼点/アメリカの運命を決めた土地取引
- 第2章 国境の川
移民の死因でもっとも多い「溺死」/青い境界線/川を国境にするメリット/国の大きさと形/「水戦争」の21世紀/マンデラはなぜ隣国を襲撃したのか/「ウォータータワー」がもたらす支配力/アメリカ司法長官ハーモンの過ち/越境河川を共同管理するためのルール/メコン川をめぐる緊張
- 第3章 戦争の話
イスラム国の支配流域/あの川を越えて/分断の大きな代償/「南軍のジブラルタル」攻防戦/中国の「屈辱の世紀」/金属の川/イギリス空軍のダム爆破計画/独ソ戦の趨勢を決めた川/闘牛士のマント/ベトナムでの「牛乳配達」/メコンデルタの戦略的価値
- 第4章 破壊と復興
ハリケーンの爪痕/大洪水の後に起こること/アメリカの政治地図を変えた洪水/抗日に利用された「中国の悲しみ」/黄河決壊から生まれた共産中国/アメリカ社会を変えた大洪水
- 第5章 巨大プロジェクト
「大エチオピア・ルネサンスダム(GERD)」計画の衝撃/大規模ダム建設の20世紀/橋が紡いできた歴史/人口の川/ロサンゼルスに水を引いたアイルランド人技師/水不足に苦しむ40億人/インドが挑む河川連結プロジェクト/大いなる取引
- 第6章 豚骨スープ
問題のある水/アメリカの環境保護、半世紀の曲折/中国の河長制/拡大するデッドゾーン/河川に流れ込むさまざまな医薬品/グリーンランドのリビエラ/ピーク・ウォーター
- 第7章 新たな挑戦
絶滅危惧種の回帰/ダム撤去のメリット/土砂への渇望/ダムの被害を軽減する方策/未来の水車/おおくなちゅうごくの小さな水力発電/繊細な味わいの雷魚の煮込み/最先端のサケ/侵入種対策としての養殖業/河川利用におけるイノベーションの萌芽/危険な大都市の新たな洪水対策/暗い砂漠のハイウェイと、その先にあるホテル・カリフォルニア
- 第8章 川とビッグデータ
河川データの爆発的増加/川の目的と存在理由/「たゆまぬ努力」と「炎と氷」の対決/地球の記録者たち/3Dメガネをかけよう/ビッグデータと世界の水系の出会い/モデルの力
- 第9章 再発見される川
地球上で最高の釣りの穴場/加速する人類の「自然離れ」/自然と脳の関係/都市部の河川に関するトレンド/激変するニューヨークの河川沿岸/川を起点とする世界的な都市再生/多数派となった都市居住者/川が人類にもたらしたもの - 謝辞/訳者あとがき/参考文献・インタビュー
【感想は?】
書名には「文明史」とある。確かに歴史のエピソードも出てくるが、現代のトピックの方が印象に残る。
とまれ、現代の世界はいきなりできたワケじゃない。歴史の積み重ねがあって、現代のような形になったのだ。それを象徴するのが、現在の都市と河川の関係だ。例えば…
今日のほとんどの大都市は、中心部を貫いて流れる川によって二分されている。
――第5章 巨大プロジェクト
ロンドンにはテムズ川が、パリにはセーヌ川が、バグダッドにはティグリス川が流れている。歴史ある大都市は、たいてい河川のほとりで発展したのだ。自動車と自動車道が発達した現代ではピンとこないだろうが、かつては河川がヒトとモノの重要な幹線だったのだ。
ごく最近まで、人々が内陸部を移動し探索するための主な方法は、川を辿ることだった。
――第1章 川と文明(南北戦争の)1861年当時、アメリカの幹線路は河川と鉄道であって、中でもミシシッピ川とその支流はスーパーハイウェイとして北米の内陸部を自国にも他国にもつないでいた。
――第3章 戦争の話
この章ではアメリが合衆国の発展にミシシッピ川とその流域が果たした役割を描いているが、それはさておき。かような歴史を辿り、かつ現代の都市化傾向の結果として…
世界人口のほぼ2/3(63%)が、大河川から20km以内に住んでいる。また、世界の大都市(人口100万人以上1000万人未満)の約84%が大河川沿いにある。世界のメガシティ(人口1000万人以上)だと、その割合は93%にのぼる。
――第9章 再発見される川
ある意味、歴史上かつてないほど、人類と河川の関係は深くなっている。これは為政者も解っているらしく、様々な形で政策あるいは戦略として表れてくる。物騒な話では、自称イスラム国だ。
ISISにとって、川という形のこれらの回廊を支配することは、明らかに当初からの重要な目的だった。地理的に見ると、地域でも特に人口が集中している地区と豊かな灌漑農地は、川の周辺に広がっている。
――第3章 戦争の話
確かに、あの辺じゃ川の水は貴重だろうしなあ。
など、既にある河川をそのまま使うだけでなく、人工的に水路を作り、または既存の水路の流れを変えることで、社会を発展させられるのは、歴史が証明している。
運河とは、輸送の価値観を大きく覆す技術的進歩であり、運河によってヨーロッパの工業化とアメリカの西部への拡大が推し勧められたのだ。
――第5章 巨大プロジェクト
ここではインドの水路整備プロジェクトも稀有壮大で驚くが、中国がメコン川上流にダムを造る計画は少々キナ臭かったり。大河はたいてい複数の国を通るので、どうしても争いのタネになりがちなのだ。
もっとも、そのダムも、最近は色々と様子が違う。中国が力を入れているのは巨大ダムばかりでなく、小さな発電所も沢山造っているらしい。
典型的な(マイクロ水力発電の)設備の場合、渓流からトンネルやパイプなどの導水路へと分水し、下方に設置した小さなタービンに水を流し込んで、家一軒から数軒で使うのに十分な量を発電する。
――第7章 新たな挑戦
少し前に話題になった水質汚染の対策に、河を仕切る河長制の採用など、政府が強権を持つ共産制らしい思い切った政策だろう。ハマれば迅速で強いんだよね、一党独裁は。ハズれた時の悲劇も大きいけど。
その悲劇の代表が、洪水。最近は日本でも温暖化の影響か、台風による洪水が増えてたり。
現在生存している人類の2/3近くが大きな川の近くに住んでいるので、洪水は慢性的な危機であり、気が滅入るほど頻繁に人命や資産が奪われている。
――第4章 破壊と復興
ダムを造る目的は幾つかあるが、その一つは洪水を防ぐこと。ダムは川を流れる水の量を調整するだけでなく、川の性質も変えてゆく。
河川の水が動きのない貯水池に入ると、含まれていた土砂の大部分が沈殿して貯水池の底に溜まる。その結果、ダム下流に放出されるのは、土砂がきれいに取り除かれた水となる。川は自分の河道の堆積物を自分で食らう状態になり、河道は削られて、深く、広くなる。河道が浸食されて拡大すると、氾濫の時期でも水が堤防を越えないようになる。
――第7章 新たな挑戦
と引用すると、ダムを賛美しているようだが、本書の文脈はいささか違う。確かに住宅地の氾濫は困るが、氾濫が必要な場所もあるのだ。その一つが湿原。多様な生物の生存環境である湿原が、ダムによって失われるのは嬉しくない。近年の環境への関心の高まりか、アメリカではこんな動きも出てきている。
2019年現在までに、アメリカだけでも1600基近くのダムが取り壊された。
――第7章 新たな挑戦
古いダムはダム湖の底に土砂が溜まって、貯水池としての役割が果たせなくなった、みたいな経営上の事情もあるんだけど。その土砂がいきなり下流に流れたら大惨事になりそうなモンだが、そこは少しづつ流すとか別の水路に流すとか、幾つかの対策法があるらしい。日本は、どうなんだろうねえ。流れのきつい川が多いから、事情は違うのかも。
いずれにせよ、ダムがなくなる事で下流の環境も変わり、川魚も戻ってくる。このあたりの描写は、川を生き物のように捉える著者の視点が温かい。
そんな著者の、科学者としての本性は、終盤で露わになる。近年の人工衛星やロボット/ドローンを用いた観測で、世界中の淡水のデータが大量に集まりつつある状況を伝え、読者をグリーンランドなどへと連れてゆく。
中でも私の印象に残ったのが、川の源流を探るうちに見えてきた、奇妙な一致だ。
場所や地形、気候、植生とは関係なく、水源から最初に現れる水流の幅が平均で32cm(±8cm)だったのだ。
――第8章 川とビッグデータ
正直、本書の記述は途中の説明をスッ飛ばし過ぎでよく分からないんだが、これが地球温暖化の原因、つまり温暖化ガスの増加に深く関係しているらしい。
全体を通し川というネタは一貫しているが、その調理法は章により色とりどり。歴史から社会・国際問題、軍略的な意味や戦場としての川、都市住民の憩いの場であるリバ―フロント、そして農業用水&漁場として巧みにメコン川を使うカンボジアなど、バラエティ豊かな川の表情を伝える、川のファンブックだ。
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