ダニ・オルバフ「暴走する日本軍兵士 帝国を崩壊させた明治維新の[バグ]」朝日新聞出版 長尾莉紗/杉田真訳
軍人の不服従によって引き起こされた事件は、散発的でも偶発的でもなく、深い根をもつ歴史パターン、すなわち、1860年代から1930年代までの日本の軍隊社会の一要素であった反逆と抵抗の文化に基づいていた、というのが私の主張だ。
――序論本書は、反抗と反乱のイデオロギー的基盤をなす不服従の文化を明治維新以降の日本軍が常に抱えてきたことを明らかにした。
――結論 恐ろしいものと些細なもの
【どんな本?】
戦争の悲惨さを伝える本は多いが、大日本帝国がなぜ太平洋戦争に至ったのかを分析する本は少ない。大きな事件やその関係者を取り上げ、歴史の流れを語る本はある。特定の人物を吊るし上げたり、陸軍悪玉論など組織を悪役に仕立て上げる論もある。しかし、さらに突っ込んで「なぜそんな考えに至ったか」「なぜそんな組織体質になったか」まで掘り下げた本や論は珍しい。
本書は、明治維新から太平洋戦争に至るまで、大小の事件や制度改革を取り上げ、大日本帝国政府要人と帝国陸軍将校の根底に流れる「志士」の思想と文化を掘り起こし、それを「反逆と抵抗の文化」と名づけ、その文化と組織体質が引き起こした反抗的な将校たちの「前線への逃亡」の連鎖が、太平洋戦争へ至る陸軍の暴走へと繋がった、とする。
ハーバード大学で歴史学を学び、イスラエル軍情報部に勤務し、ヘブライ大学アジア学部で上級講師を務める著者が、膨大な日米英の一次資料を基に描き出す、斬新かつ緻密な帝国陸軍の反逆史。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Curse on This Country: The Rebellious Army of Imperial Japan, by Danny Orbach, 2017。日本語版は2019年7月30日第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約369頁。9ポイント46字×18行×369頁=約305,532字、400字詰め原稿用紙で約764枚。文庫なら厚い一冊か薄い上下巻ぐらい。
文章は比較的にこなれている。内容も学者の著作にしては意外と親切で読みやすい。維新以降の日本の歴史について、充分に調べた上で素人にも分かりやすく説明している。イスラエル人に日本の近・現代史を教わるのは少々アレな気分だが、しょうがないね。
【構成は?】
基本的に時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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- 謝辞
- 序論
- 第1章 志士 不服従のルーツ 1858-1868
志士登場以前 徳川幕府の衰退/狂と愚 志士のイデオロギー/同志 組織としての志士/天誅 混成集団の盛衰/高杉晋作と長州征伐 軍事組織の全盛期/長州、薩摩、そして雄藩同盟の誕生/擬態(ミメシス) 志士のその後 - 第1部 動乱の時代 1868-1878
- 第2章 宮城の玉 新しい政治秩序 1868-1873
宮城の玉 「霞んだ中心」としての天皇/綱渡り 連立政権と明治の改革/政治、軍隊、薩長の対立/崩壊 朝鮮と雄藩同盟の終焉 - 第3章 止まることなく 軍人不服従と台湾出兵 1874
「怒りの感情を鎮める」 琉球と薩摩ロビー/出兵の前兆 副島種臣の清国派遣/厄介な問題 大久保政権下の台湾問題/予期せぬ展開 外国公使の干渉/「前日の従道にあらず」 不服従の決断/台湾の西郷従道と軍隊 不服従の拡散?/台湾出兵の最後/台湾出兵 未来の予兆? - 第4章 破滅的な楽観主義 1870年代の反逆者と暗殺者 1876-1878
土佐の悲観主義、楽観主義、陰謀/悲観的な反逆者たち 宮崎、戸田、千屋/武市熊吉一派 楽観的な反逆者たち/佐賀の乱 集団的な楽観主義と前線への逃亡/革命的楽観主義の終焉 西郷隆盛と薩摩の反乱/見当違いの楽観主義 士族の反乱と失敗
- 第2部 軍部独立の時代 1878-1813
- 第5章 黄金を食らう怪物 軍部独立と統帥権 1878
1878年の軍制改革/タブーの問題 改革の説明と抵抗の排除/軍事改革の謎/改革のロジック 権力の集中と分散/輸入できなかったもの 失敗点はどこにあったのか/長期的な影響 - 第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895
反乱の基盤 軽視されていた朝鮮君主/迫りくる危機 朝鮮に対する日本のジレンマ/計画の始まり 相反する期待/羅針盤なき航行 漢城での三浦梧楼/志を同じくする者 三浦と大院君/キツネ狩り 日本人壮士と閔紀暗殺決定/暗殺/非難の的 広島での裁判/将来への影響 楽観主義の購買力 - 第7章 三幕のクーデター 大正政変 1912-1913
枠の取り合い 1900年代後半の予算争い/陸軍が振るう刀 現役武官制/大正政変 第一幕:西園寺対陸軍/第二幕:桂対海軍/第三幕:「朝露のごとく」 陸海軍の窮地/崩壊の淵 大正政変の裏側/タイムリミットの延長 将来への影響
- 第3部 暗い谷底へ 1928-1936
- 第8章 満州の王 河本大作と張作霖暗殺 1928
新たな統帥権イデオロギー/1920年代後半の満蒙問題/満州の王 軍人として、陰謀家としての河本大作/二つの別計画/河本の陰謀/偽装工作 河本と浪人たち/作戦決行/発覚と調査/結論 犬とネズミ - 第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931
国家改造 標的は日本/首謀者、橋本欣五郎/桜会と民間協力者/三月事件/東京での小競り合い 政府の反応/満州事変/10月事件/結論 反抗から反乱へ - 第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936
志士と特権階級 青年将校の情熱/虎を手なづける 飼いならされた青年将校/5.15事件/陸軍士官学校事件/最後の一線/2.26事件 天誅/雪中の光 中橋中尉と、宮中へつながる門/正義か反逆か 陸軍大臣のジレンマ/霞を払って 昭和天皇の決断/裁判と処罰/不服従の限界 2.26事件のその後 - 結論 恐ろしいものと些細なもの
第一のバグ 曖昧な正当性
第二のバグ 一方通行の領土拡大
第三のバグ 終わりなき領土拡大の道 - 注
【感想は?】
繰り返すが、特定の誰かや組織を悪役に仕立て上げたり、愚かさを吊るし上げる論調ではない。それは最終章で明らかだ。
軍の独立を進めて国家を主客転倒状態に陥らせたのは、政治家、軍幹部、官僚の悪意や愚かさ、過失ではない。国家に破滅への道のりを少しずつ歩ませた政策決定一つひとつは合理的かつ理解可能な(略)当時の現実に即したものだった。
――結論 恐ろしいものと些細なもの
本書では、軍の暴走の根本を明治政府の三つのバグとし、そのルーツを「維新の志士」に求め、明治維新から226事件までの歴史を追ってゆく。
著者も、原因の一つが「軍の独走・専横」にある点は認めている。とはいえ、現代でも世界を見渡せば軍事政権は多い。だが、無謀で無制限な国土の拡大や侵略を目論む軍は少な…いや、ロシアがそうかw 逆に言えばロシアぐらいで、北朝鮮もミャンマーも、あまりニュースにはならないがパキスタンやエジプトも、軍は国内の統制と軍備拡張には熱心だが領土拡大には突き進まない。脅しはするけどね。
第二次世界大戦以降の世界情勢の変化はあるが、大日本帝国陸軍は独特だ。なんといっても、ヒトラーやムッソリーニのような、政府や軍のトップの命令によるものではない。例えば閔妃暗殺事件(→Wikipedia)の首謀者である三浦梧楼(→Wikipedia)は、政府や軍の命令で動いたのではない。勝手に(民間人を含めた)人を集め組織し実行したのだ。
(朝鮮領事)内田定槌(→Wikipedia)は計画に関わっていなかったため、日本人が(閔紀暗殺に)加担していたと知って愕然とした。
――第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895
無茶しやがってと思うが、派遣した外務省の姿勢も酷い。「じゃ好きにやっていいのね」と三浦が解釈したとしても仕方あるまい。
結局外務省は就任後も(朝鮮公使に任命した)三浦に政策指針を何も示さないのだが、おそらくそれは幹部も自分たちの目標がどこにあるのかわからなかったからだろう。
――第6章 煙草三服 三浦梧楼と閔紀暗殺 1895
ここで描く当時の朝鮮情勢が、とってもわかりやすい。国内外の多様な勢力が離合集散し陰険な謀略をめぐらす中、当時の最大勢力である閔妃に日本は嫌われた。そこで脳筋な三浦が一発逆転を狙い院政を目論む大院君と組んで武力で解決しようとしたのだ。
結果を見れば日本の横暴だが、著者の解釈は日本に好意的だ。当時の状況として、関係各国はどこが似たような真似をしてもおかしくなかった、としている。
とはいえ、三浦のやり方は独特だ。普通、こんな大掛かりな事件は国家ぐるみで行う…それを認めるか否かは別として。しかも、得体のしれない民間人も積極的に関わっている。本人たちは壮士と名のっているが。
政府中枢の決定ではなく公的な役職が低く現場に近い者が勝手にやらかすこと、強い思想を持つ民間人が大きく関わること、この二点が閔紀暗殺の、そしてその後の大日本帝国の軍の暴走の特徴だ。加えて、暴走のあと、政府が追認しちゃう事も。
これらの原因を、著者は維新の志士に見る。
彼ら(維新の志士)は何年にもわたり、無数の文化人、愛国的組織、国家主義的団体、そして極めて重要なことに軍人グループの文化的ヒーローやロールモデルになった。
――第1章 志士 不服従のルーツ 1858-1868
実際、明治政府の要人は元志士だし。志士の多くは下級武士だったり、脱藩した浪人だったりだ。彼らが天皇を担ぎ上げて維新を成し遂げた。ただ、維新後の政府は天皇の絶対王政ではなく、元志士たちによる一種の貴族政治であり、天皇は決まった政策を追認するのが実情だったが、国民には実情を隠していた。
未熟な君主に真の権力を与えずに、天皇制という権威ある統治体制の背後に自らの権力を「隠す」ということだった。(略)この新政府の決定は、その後70年間にわたって軍人不服従の成長を促進させる統治システム内の「バグ」を生み出した。
――第2章 宮城の玉 新しい政治秩序 1868-1873
見えない天皇の意向を、志士に憧れる壮士たちは勝手に解釈する。
後年の多くの軍人不服従において、反抗的な将校たちは、隠れた天皇の意向を、政府の命令や方針に抵抗する口実として「再解釈」するようになる。
――第3章 止まることなく 軍人不服従と台湾出兵 1874反逆者は、明治政権の第一のバグ――天皇の不明瞭さ――により、天皇が本当は何を望んでいるのかを「推測」することによって、自分たちの行動を正当化した。
――第4章 破滅的な楽観主義 1870年代の反逆者と暗殺者 1876-1878
それでも、せめて陸軍のトップが強力な権限により押さえつければ、どうにかなったかもしれない。だが、制度にも欠陥があった。有名な統帥権の問題だ。
参謀本部、陸軍省、監軍本部はそれぞれ独立し、つまり各機関のトップは互いを任命したり解雇したりする権限をもたなかったが、それが将来的に繰り返される派閥争いのもとになった。(略)大日本帝国陸軍全体に対する権力を掌握する者は存在しなかった。
――第5章 黄金を食らう怪物 軍部独立と統帥権 1878
統帥権の問題を、私は「陸海軍が強すぎる権限を持つ」点だと思っていたが、そんな単純な話じゃなかったのだ。力は強いが、全体をまとめるリーダーはいない。ヤベエじゃん。
そして、この懸念は、軍部大臣現役武官制(→Wikipedia)により現実になる。軍は内閣を潰す権限を手に入れた。
陸軍のクーデター計画の基盤には、1900年に勅令により定められた軍部大臣現役武官制という制度があった。これは、陸海軍大臣を現役の将校に限定するというものである。
――第7章 三幕のクーデター 大正政変(→Wikipedia) 1912-1913
それでも、せめて強力なリーダーがいれば、全体を引き締める可能性もあった。だが、そんな者は存在せず、ただでさえ勇猛果敢が尊ばれる軍の組織全体に、独断専行な志士への憧れが染み込んでいる。となると…
陸軍の(略)組織内で権力が分散し、それをまとめる人物が一人もいなかった。将軍たちは仲間から「柔和」に見られてはならないと感じていた。それゆえ、軍の総意は最も急進的な意見に沿って形成された。
――第7章 三幕のクーデター 大正政変 1912-1913
そんな上級将校も、言葉は勇ましいが、上官としてのメンツがある。血気に逸る佐官に突きあげられるのはウザい。だもんで、そんな連中は東京から離れた前線にトバす。これもマズかった。マッチを火薬庫に放り込むようなモンだからだ。
軍が独自に戦略上の決定を下すことを許すこの統帥権の概念に、満州で浸透していた独断専行という(略)二つが組み合わさり、河本(大作大佐、→Wikipedia)などの下級将校が国の方針に完全に逆らって国家指導者の暗殺といった戦略レベルの決定を下すに至った。
――第8章 満州の王 河本大作と張作霖暗殺(→Wikipedia) 1928
気が付いた時にはすでに遅し。軍にもメンツがある。やらかしを認めたら、メンツが潰れる。だもんで、追認するしかない。その結果…
関東軍の不服従は、政府から独立した行動を軍高官に許す統帥権イデオロギーと、上官から独立した行動を下級将校に認める独断専行が融合して生まれた。その結果として満州全土は日本軍の手に渡り、関東軍が支配する傀儡国家としての満州国が誕生した。
――第9章 桜会(→Wikipedia) 反抗から反乱へ 1931
これは政府も似たようなモンで。「政府じゃ軍を抑えられない」なんて言うわけにもいかない。
政府高官たちに陸軍を抑え込みたいという気持ちはあったが、1895年および1928年と同様、世界に日本の恥をさらすという代償を払いたくなかった。
――第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931
それでも、せめてジェレミー・スケイヒルみたく政府の恥部を容赦なく暴くジャーナリストやマスコミがあれば、政府も「どうせバレるんだし」と開き直ったかもしれない。だが、大日本帝国は情報公開体制もマスコミも成熟してなかった。だもんで、隠しおおせると踏んだんだろう。
それより当時のマスコミが盛んに取り上げたのは右翼系の民間思想家で、民衆も軍の佐官・尉官将校も、彼らの思想に強い影響を受け、多くの会合もあった。
橋本(欣五郎、→Wikipedia))をはじめとする将校たちは軍の上官よりも大川周明(→Wikipedia)などの民間右翼指導者に影響を受けていた。
――第9章 桜会 反抗から反乱へ 1931
この辺、最近の防衛大学の講演者が云々なんて話もあって、なんかキナ臭いとも思うんだが、それは置いて。
桜会までは首謀者は佐官級だったんだが、ついに尉官級が首謀する2.26事件が起きる。この特徴は暴力で東京の中枢、それも宮城に踏み込んだ点で、陛下の強烈な怒りを買い頓挫。結果として…
軍の権力層のうち2.26事件(→Wikipedia)の衝撃波に足をすくわれず残ったのは、統制派(→Wikipedia)と結びつきのある中堅の佐官級将校のみだった。
――第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936
この不祥事に対する軍の開き直りは実に鼻持ちならないが、いかなる機会も己の権限拡大に利用する政治的な狡猾さでもあるんだろうか。
軍は2.26事件のような反乱を防ぎたければ政府は自分たちの要求をもっと受け入れるべきだと示唆した。事件直後に広田(弘毅新首相、→Wikipedia)は現役武官制を復活させ、陸相の退任によって倒閣する権限を軍に与えた。
――第10章 水のごとく 2.26事件と不服従の極点 1936
その狡猾さを国際社会でも発揮してくれりゃ良かったんだが、結果はご存知の通り。
私が今まで読んだ本で、大日本帝国が太平洋戦争へと向かった原因に触れているのは、イアン・トールの「太平洋の試練 真珠湾からミッドウェイまで 上」ぐらいだ。その「太平洋の試練」では、陸海軍の予算の奪い合いに原因を求めていた。
本書は、その奪い合いの原因を、歴史的経緯に加え文化論や組織論に基づき、より踏み込んで分析・解説している。特に統帥権に関わる制度・組織的な問題点は図式がハッキリしていて分かりやすかった。また、志士文化・思想と、王政とは異なる天皇制の、合わせ技というか合同バグも、納得できる点が多い。
取扱うネタがネタだけに、特に日本じゃ読者の政治思想により賛否は大きく分かれるだろう。だが、無謀な太平洋戦争の原因を、軍の暴走で片付けるには、納得がいかない人も多いはずだ。あの戦争の原因を、より深く知りたい人には、少なくとも入門書として役立つはずだ。
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