ジェイムズ・クリック「インフォメーション 情報技術の人類史」新潮社 楡井浩一訳
新しい媒体は必ず、人間の思考の質を変容させる。長い目で見れば、歴史とは、情報がみずからの本質に目覚めていく物語だと言える。
――プロローグ
【どんな本?】
1948年、数学者・電気工学者のクロード・シャノン(→Wikipedia)が論文「通信の数学的理論」(→Wikipedia)を発表する。
この論文のテーマは「情報」である。それまであやふやだった「情報」という言葉に明確な定義を与え、かつビット(bit)を単位に「測り計算する」ことを可能にした。その代償として、幾つかのものをそぎ落としたのだが。
地味なタイトルとは裏腹に、この論文をさきがけとして発達した情報理論は、本来の対象である情報通信分野だけに留まらず、心理学や生物学そして宇宙論にまで、大きな影響を及ぼしてゆく。
シャノンの提唱した「情報」とは何か。それは何を含み、何を含まないか。シャノン以前に、ヒトは情報をどう扱っていたのか。
シャノンの情報理論を軸に、トーキング・ドラム,文字,印刷,辞書,階差機関,腕木通信,電信,電話,暗号,遺伝子など「情報」にまつわる歴史と科学のトピックを折り込み、「情報」の性質と人類に与えた影響を俯瞰する、一般向けの歴史・科学ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Infomation : A History, A Theory, A Flood, by James Gleick, 2011。日本語版は2013年1月25日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約522頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント44字×21行×522頁=約482,328字、400字詰め原稿用紙で約1,206枚。文庫なら上下巻または上中下巻の大容量。
文章は少し気取っていて、私には詩的すぎる。もっとも、古典文学や学者の著作の引用が多いので、そう感じるのかも。
肝心のシャノンの情報理論は、プログラマーには馴染み深いが、そうでない人にはちと分かりにくいかも。難しいのは「シャノンが何を言っているか」より、「あなたが何を忘れなければいけないか」だったりする。数学でよくあるパターンだね。ただし、暗号が好きな人はキッチリ読むと楽しめる。
歴史のエピソードは分かりやすいので、面倒くさかったら数式関係を読み飛ばそう。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むので、できれば頭から読もう。
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- プロローグ
- 第1章 太鼓は語る 符号が符号ではない場合
- 第2章 言葉の永続性 頭の中に辞書はない
- 第3章 ふたつの単語集 書くことの不確実、文字の不整合
- 第4章 歯車仕掛けに思考力を投じる 見よ、恍惚たる算術家を
- 第5章 地球の神経系統 貧弱なる針金数本に何が期待できようか?
- 第6章 新しい電線、新しい論理 「これほど未知数であるものは、ほかにない」
- 第7章 情報理論 「わたしが追及しているのは、ただの平凡な脳だ」
- 第8章 情報的転回 心を築く基礎材料
- 第9章 エントロピーと悪魔たち 「ものごとをふるい分けることはできません」
- 第10章 生命を表す暗号 有機体は卵の中に記されている
- 第11章 ミーム・プールへ あなたはわたしの脳に寄生する
- 第12章 乱雑性とは何か 罪にまみれて
- 第13章 情報は物理的である それはビットより生ず
- 第14章 洪水のあとに バベルの壮大な写真帳
- 第15章 日々の新しき報せ などなど
- エピローグ 意味の復帰
- 謝辞/訳者あとがき/索引/注記(抄)/参考文献
【感想は?】
言われてみれば…が、正直な感想。
チャールズ・バベッジ,アラン・チューリング,フォン・ノイマンは、SF小説や漫画によく登場するし、知られてもいる。だが、クロード・シャノンに注目した作品は少ない…というか、私は知らない。
だが、SF者はシャノンに感謝すべきなのだ。「天冥の標」も「Gene Mapper」も「われらはレギオン」も、シャノンの情報理論から始まった「革命」で生まれた作品なのだから。
序盤は、情報…というより通信と人類の歴史を紐解いてゆく。はじまりは、アフリカのトーキング・ドラムだ。その通信速度はすさまじい。
(トーキング・ドラムの)メッセージは、村から村へと引き継がれ、1時間もしないうちに百マイル(約160km)以上も遠くへ届いた。
――第1章 太鼓は語る
てっきり信号だと思っていたが、モロに「喋って」いたとは。しかも妙に言葉遣いは古く、詩的な言い回しが多い。伝統に沿っているのもあるが、実はちゃんと理由があって…。ヒントはフォネティック・コードと中国語。中国で発達しなかったのは、人口密度が高く雑音が多いからだろうなあ。この一見無駄に思える詩的な古語が、後にシャノンの情報理論と深く関わってくる。
第2章では、情報を伝える手段がヒトの認識を変えるさまを語る。文字の発明は、人類の思考能力を大きく変えたのだ。
20世紀米国の司祭・英文学者・歴史家ウォルター・オング(→英語版Wikipedia)
「ギリシャ文化が形式論理を発明したのは、アルファベットで書くというテクノロジーを取り込んだあとであることがわかっている」
――第2章 言葉の永続性
「約三千年前まで人類は意識を持っていなかった」と主張する「神々の沈黙」はトンデモかと思ったが、文字が人間の思考に大きな影響を及ぼすのは確からしい。そういえば、五線譜の発明も西洋音楽の複雑化の足掛かりとなったんだっけ(→「音楽の進化史」)。記し伝える技術は、モノゴトの進歩を促すのだ。
その文字、例えば漢字は、象形文字から発達した。そのため、個々の文字に意味がある。対して西洋のアルファベットは表音文字であり、単なる記号の性質が強い。意味を失い、より符号に近い文字とも言える。
第3章のテーマは、言葉を集めた本、つまり辞書だ。同じ「何かを集めた本」でも、草や魚の事典は、生息地や季節など、何らかの「意味」で分類・整列する場合が多い。対して辞書は、アルファベット順という、一種の無機的・機械的な手順で並んでいる。
アルファベット順の一覧表は、機械的で、効率的で、自動的だった。アルファベット順に考えていくと、単語とは、ものと引き換えるための代用通貨でしかない。実質的に、それは数字と同じようなものと言っていいだろう。
――第3章 ふたつの単語集
この「意味の剥奪」も、シャノンの情報理論の重要なヒントであり、哲学者たちが戸惑う原因でもある。
第4章では、われらSF者のヒーロー、階差機関のチャールズ・バベッジとエイダ・ラブレースが登場する。いずれも名前は知っていたが、特にエイダ・ラブレースのひととなりを全く誤解していたのを思い知った。博打好きの変わり者って印象だったんだが、現代なら聡明な数学者になっていたんだろうなあ。
19世紀英国の数学者チャールズ・バベッジ(→Wikipedia)
「“計算”の科学――それは、われわれの進歩の各段階で、絶えず必要性を増していくもの、また科学の生活術全般への応用を、最終的に統べるに相違なきもの」
――第4章 歯車仕掛けに思考力を投じる
第5章ではキース・ロバーツ「パヴァーヌ」にも登場した腕木通信(→Wikipedia)を紹介し、閃光のようなデビューと没落の物語を綴る。腕木通信が従来の手紙と大きく異なるのは、これが一種のデジタル通信である点だ。
17世紀英国の牧師・数学者ジョン・ウィルキンス(→英語版Wikipedia)
「五感のいずれかで知覚可能な画然たる相違を備えしものは何であれ、思考作用を表現するに足る手段となりうる」
――第5章 地球の神経系統
文字を意味から解き放ち、いったん符号化して伝送路に流し、受け取った者が符号から文字に戻し、意味を読み取る。この手口なら、伝送路に流せる符号つまり何らかの差異さえあれば、何であれ伝達手段にできる。例えば腕木通信なら腕木の形だし、Ethernet なら電圧の高低になる。いずれにせよ、通信を扱う者にとって言葉は…
結局のところ、言語とは器具なのだ。
――第5章 地球の神経系統
なんて、従来の詩人や作家が聞いたら怒り狂いそうな、みもふたもないシロモノに成り下がってしまう。
もっとも、それは今の私たちの感覚であって、20世紀初頭はそうじゃなかった…数学者や工学者でさえ。アラン・チューリングやフォン・ノイマン、そしてクロード・シャノンなど、コンピューター黎明期の人々は、ソコが大きく違っていた。
回路と論理代数を結びつけるのは、常識を超えた発想だった。
――第6章 新しい電線、新しい論理
ここでは、電信にかわる新しい通信手段である電話をめぐる逸話が楽しい。
電話なら、子どもでも使えた。まさにそれが理由で、電話は玩具のように思われた。
――第6章 新しい電線、新しい論理
簡単に使えるモノは、中身も簡単だし程度も低いと思われがちなんだよね。実際には「使いやすいモノ」を設計し造るのは、とっても難しいのに。いやただの愚痴です。
第7章では、アラン・チューリングとクロード・シャノンの切ない出会いから始まり、いよいよシャノンの情報理論へと切り込んでゆく。
(ヒルベルトの)“決定問題”には答えがあり、その答えが“否”であることを(アラン・チューリングは)証明した。
――第7章 情報理論
ここでは、情報理論が暗号解読と深い関係があるのを示唆しつつ、情報理論の神髄を説明しようと試みている…が、これで理解できる人は少ないだろうなあ。英語の冗長度とかの面白い逸話もあるんだけど。
シャノンの情報理論の特異な点の一つは、情報量を数値すなわち bit で表したこと。そのためには、情報から意味を剥奪する必要があったんだが、それに納得できない人もいる。
フォン・フェルスター(→英語版Wikipedia)
「みんなの言う情報理論のことを、わたしは“信号”理論と呼びたかった」
――第8章 情報的転回
もっとも、本当に意味と無縁かというと、そうとも言い切れないのが面倒臭い。
情報とは意外性なのだ。
――第8章 情報的転回
とはいえ、情報理論は他の分野にも大きな波紋を広げてゆく。例えば、バラス・スキナー(→Wikipedia)に代表される行動主義(→Wikipedia)がブイブイいわしてた心理学。一言で言っちゃえば、頭の中で何を考えたかは一切無視して、刺激と行動だけで考えましょう、みたいな主張ね。
そこにシャノンが情報や情報処理って概念を唱えたもんで、「じゃ(ヒトを含む)生物も情報処理してるよね」みたいな発想が出てくる。例えば…
これ(ジョージ・ミラーの論文「摩訶不思議な数7プラスマイナス2:人の情報処理能力の一定限界」)が心理学における“認知革命”と呼ばれる動きの始まりであり、この動きによって、心理学とコンピューター科学と哲学を合体させた“認知科学”という学問分野の基礎が固められた。
――第8章 情報的転回
この情報理論、どういうワケか数式は熱力学のエントロピーとソックリだったりする。実際、理屈の上じゃ似てるんだ。エントロピーは無秩序さの指標で、シャノンの言う「情報」は得られた情報=消えた無秩序さの指標だし。そんなワケで、情報理論は物理学も巻き込み始める。
エルヴィン・シュレーディンガー(→Wikipedia)
「代謝における本質とは、有機体が生きているあいだにどうしても生み出してしまうエントロピーすべてをうまく放出することにあります」
――第9章 エントロピーと悪魔たち
更に生物学では、DNAの二重らせんが発見され、これも ATCG の四種の塩基(対)からなるのが判ってきた。とすれば、これを「四種類のアルファベットからなる暗号」と見なす人も現れる。
(ジョージ・)ガモフ(→Wikipedia)とその支持者たちは、遺伝暗号を数学のパズルとして、つまり、あるメッセージを別のアルファベットのメッセージに写像することとして理解していた。
――第10章 生命を表す暗号
こんな発想ができたのも、シャノンが情報から意味をはぎ取ったが故の汎用性なんだろうなあ。プログラマなら身に覚えがあるよね。一段メタな視点に立つと、汎用性の高い道具になる、みたいな経験。
この発想は、やがてリチャード・ドーキンスの著作「利己的な遺伝子」として世に広まってゆく。と同時に…
“ミームというミーム”
――第11章 ミーム・プールへ
なんてのも、私たちの脳内に棲みついてしまう。
さて、「情報」の面倒くさい点の一つは、その大きさを「本当に」知るのが難しい所だ。例えば円周率π。Unicodeでπと書けば16bitで済む。でも数値で3.1415…と書いたら、何bitあっても足りない。どっちが妥当なんだろう?
ある対象の複雑性とは、対象を発生させるために必要な最小の計算プログラムの大きさだ。
――第12章 乱雑性とは何か
とまれ、これCOBOLで書いたら異様に長くなってしまう。アセンブラじゃ更にしんどい。でもプログラム言語によっては予約語または標準ライブラリでPIを用意してたりする…なんて悩むかもしれんが、そこには賢い先人がいた。チューリング・マシンを使えばいいのだ。すんげえ使いづらいけど。
話は変わって量子力学。
ニュートン力学だと、力や質量はアナログすなわち連続した値だった。でも量子力学の世界だと、量子のスピンなどは飛び飛びの値をとる。つまりデジタルなのだ。これって…と思ったら、ちゃんと結びつける人もいた。
物理学者クリストファー・フックス
「量子力学は常に情報についての理論だった。ただ、物理学会がそのことを忘れていただけだ」
――第13章 情報は物理的である
その極論が、これ。
宇宙は、自らの運命を算出している。
――第14章 洪水のあとに
はい、ダグラス・アダムスの有名作のアレですね。ホント、SFはシャノンにお世話になってるなあ。
今世紀に入り、私たちはインターネット経由で大量の情報を浴びるようになり、それを懸念する人も多い。ただ、こういう現象は今までもあったのだ。
印刷機、電信、タイプライター、電話、ラジオ、コンピューター、インターネットが、それぞれの時代に栄えるたびに、人々はまるで初めてそう口にするかのように、人間の通信に負荷がかかっていると言った。新たな複雑さ、新たな隔絶、恐るべき新たな極端さが生じた、と。
――第15章 日々の新しき報せ
もっとも、私みたく脳みそのメモリが少ない奴は、入ってくる情報を次々と忘れていくんだけど。多くの人が亡くなるニュースがあっても、それが馴染みのない外国だと、何も感じなかったりするし。
情報理論の誕生とともに、情報に価値と目的を与える特質そのものである“意味”が、容赦なく犠牲になった。
――エピローグ 意味の復帰
そこに意味を見いだすには、やっぱりヒトとしての感情が必要なのだ。
信号を情報に転じるには、人間――あるいは“認知主体”とでも言おうか――が介在する必要がある。
――エピローグ 意味の復帰
もっとも、これは数式一般に言えることで。
いったん物語から意味をはぎ取ってxやyに変換し、ソレを手続きに従い変形し、得た解に再び意味を与える。数学がやってるのって、そういう事だよね。少なくとも科学や工学の数学は。だけじゃなく、プログラムも同じかな?
なんて偉そうなことを書いちゃったが、他にも電話創世期の米国の農村で流行った鉄条網電話とか、ユーモラスな歴史トピックもも楽しめる、厚いだけあって中身もギッシリな本だった。やっぱり技術史は楽しいなあ。
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