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2022年3月30日 (水)

ロネン・バーグマン「イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下」早川書房 小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳 2

「テロリストたちは、罪のない人々を傷つけたくないというこちらの気持ちをうまく利用していた。(略)屋根の上に立つテロリストに向けてミサイルが発射された。すると突然、そいつが子どもを抱きかかえた。もちろんすぐに、ミサイルを空き地に落とすよう命令したよ」
  ――第30章 「ターゲットは抹殺したが、作戦は失敗した」

 ロネン・バーグマン「イスラエル諜報機関暗殺作戦全史 上・下」早川書房 小谷賢監訳 山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳 1 から続く。

【どんな本?】

 1948年の第一次中東戦争による独立以前から周囲を敵に囲まれつつ生まれ、その後も絶え間ない紛争とテロにまみれて生き延びてきたイスラエル。もちろん、生き延びる手段は戦争に限らず、諜報はもちろん破壊工作や暗殺にも手を染めてきた。

 ただし、その目的や標的、手段や組織そして頻度は、その時々のイスラエルが置かれた立場や国内の政治状況そして敵の性質により異なる。イスラエルの諜報機関が経験を積むと同時に、敵も過去の経験から学び新しい戦術を開拓してゆく。

 敵味方の双方の血にまみれたイスラエルの諜報機関の歴史を記す、衝撃のルポルタージュ。

【バビロン作戦】

 下巻は、かの有名なバビロン作戦(→Wikipedia)で幕を開ける。イラクのフセインが原爆開発のために作ろうとした原子炉を、イスラエル空軍が空襲で潰した事件だ。作戦の詳細は「イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌」が詳しい。書名にあるのはイスラエル空軍だが、モサドの暗躍も詳しく描いているので、スパイ物が好きな人にはお勧め。

 それはともかく、ここの描かれたフセインの性格が、ロシアのプーチンとソックリなんだよね。

「サッダーム(・フセイン)は追い詰められると(中略)これまで以上に攻撃的になり、むきになる」
  ――第20章 ネブカドネザル

 例えばポーカーだと意地で掛け金を釣り上げ絶対に下りない。そして負けがハッキリするとテーブルごとひっくり返す。あなたの周りにもいませんか、そういうタイプ。

 そのプーチン、原註によるとテロリストの暗殺に関してはイスラエルに理解を示してる。まあKGB出身だし、似たような真似をしてるし。それよりイスラエルのシャロン首相と友好的な雰囲気を出してるのに驚いた。ハッキリと敵対はしていなかったのだ、少なくとも当時は。

【影の主役】

 さて、第21章からは、下巻の影の主役が登場する。イランだ。

 本書では同じシーア派のヒズボラや同盟関係にあるシリアはもちろん、PLOやハマスとの関係も暴いている。

いまやイスラエルは、レバノンのヒズボラ、占領地区のPIJ(パレスチナ・イスラミック・ジハード)、北部国境のシリア軍から成る統一的な部隊に取り囲まれていた。そのすべてに資金や武器を提供していたのが、イランである。
  ――第33章 過激派戦線

 一時期、ニュースで話題になったハマスのカッサム・ロケットも、イランの協力で作られた様子。そのイランが最初に取り込んだのは、PLO。まずはPLOがイランに教育を施す。

1973年、(イランのホメイニの最側近アリー・アクバル・)モフタシャミプールは中東におけるイスラム解放運動組織との関係を確認するため、ほかの忠臣数名とともに中東に派遣され、みごとPLOとの同盟締結に成功した。以後PLOは、17部隊の訓練基地に(破壊活動や情報活動やテロ戦術を教えるため)ホメイニの部下を受け入れることになる。
  ――第21章 イランからの嵐

 どうもイランは宗教的な細かい派閥には拘らないらしい。イスラエルの敵は味方、そういう発想なんだろう。

 そんなイランの影響は、派閥を越えてイスラム社会全体へと染み込んでゆく。サウジアラビアなどスンニ派の国がイランを脅威と見るのは、イランがシーア派だからってだけじゃない。問題は、イスラムをテコにすれば体制を転覆できると訴える点にある。

ホメイニは、シーア派の人々だけでなく世界中のイスラム教徒に、イスラム教が持つ力を証明してみせた。イスラム教は、モスクでの説教や通りでの慈善活動をするだけの単なる宗教ではない。政治的・軍事的な力を行使する手段、国を統治するイデオロギーにもなりうる。イスラムはあらゆる問題を解決できる、と。
  ――第24章 「スイッチを入れたり切ったりするだけ」

 「倒壊する巨塔」ではイスラム系テロの理論的な源をエジプトのムスリム同胞団の指導者サイイド・クトゥブ(→Wikipedia)としてるけど、実践し最初に成功のがシーア派のホメイニなわけ。吉田松陰と高杉晋作みたいな関係かな。

 この理屈だと、サウド王家を革命で倒してもいいって事になってしまう。そりゃ困る。だからサウジアラビアはイランを憎むのだ。

 そのホメイニの世界観なんだが、「世界は善と悪が衝突する場」ってあたり、ドナルド・トランプの支持者の世界観も同じなんじゃなかろかと思うんだが、

【核の脅威】

 そんなイランは、大雑把に二種類の者と組んでいる。一つは国家で、北朝鮮とシリア。もう一つはテロ組織で、ヒズボラとハマス。どっちも怖いが、国家はやることがデカい。そう、核開発だ。もっとも、これはイスラエルもムニャムニャだが。つかシリアが核開発しようとしたのは知らなかった。

(ムハンマド・)スレイマーンは2001年から、シリアがイランの資金援助を使って北朝鮮から購入した原子炉の格納施設の建設を監督していた。
  ――第33章 過激派戦線

 イスラエルは暗殺や破壊工作でこれを阻止するんだが、敢えて公開は控えた。追い詰めたら面子が潰れたアサド(現大統領)が暴走しかねない。アサドにも「内緒にした方がお互いのためだぜ」と密書を送る。いかにも外交裏面史だね。

 皆さんご存知のように、イランも核開発を試みていて、イスラエルも必死になって押しとどめようとする。ここではアメリカと協力しようとするのだが、さすがに暗殺までは力を貸してくれない。なおイスラエルが狙ったのは、開発に携わる科学者たち。これはそこそこ効果があったようで…

(CIA長官のマイケル・)ヘイデンは、イランの核開発計画を阻止するためにとられた措置のなかでも最も効果的だったのは、間違いなく「科学者の殺害」だったと述べている。
  ――第35章 みごとな戦術的成功、悲惨な戦略的失敗

 と、CIAが評価を下している。そういうことだから、日本の企業も技術者の待遇を良くすべきなのだあぁぁっ!

【テロ組織】

 イスラエルにとって、国家は手慣れた相手だ。だが、ハマスやヒズボラはいささか勝手が違う。PLOは金や女で取り込めたが、ハマスは違った。

イデオロギー的・宗教的な運動組織のハマスは、賄賂に釣られるメンバーがあまりいなかった
  ――第27章 最悪の時期

 ホメイニ的な思想で動いてるせいか、良くも悪くも純粋なのだ。そしてタテマエじゃパレスチナのボスであるアラファトは全く頼りにならない…というか、やる気がない。ちなみにアラファトの死が暗殺か否かは、本書じゃ「わからん」としている。ライバルであるハマスは、自爆テロで勢いづく。

「自爆テロの成功例が増えれば増えるほど、それに比例してハマスへの支持は高まっていった」
  ――第28章 全面戦争

 これに対し、当初は実行犯を狙ったイスラエル。だが、自爆テロの志願者には「これといった特徴がなかった」。若いのも老人も、賢い者も無学な者も、ビンボな独身も家族持ちもいる。しかも志願者はうじゃうじゃいた。そこでイスラエルは方針を変える。実行犯ではなく、組織の要となる者に狙いを絞るのだ。

彼ら(自爆テロ実行犯)は本質的に消耗品であり、容易にすげ替えられる(略)。しかし、彼らを教育し、組織化して送り出す人間(略)は、自爆テロに志願する人々ほど殉教者になりたいとは思っていない。
  ――第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」

 消耗品ってのも酷いが、テロ組織ってのはそういうモンなんだろう。もっとも、「組織の要」ったって、数は多い。だが、そこは力押し。

誰かが暗殺されれば、すぐ下の地位の人間がその地位を引き継ぐことになるが、それを繰り返していくと、時間がたつにつれて平均年齢は下がり、経験のレベルも落ちていく。
  ――第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」

 無茶苦茶な理屈だが、ソレナリの効果はあった様子。

テロ攻撃が停止したのは、大勢のテロ工作員を殺害し、「アネモネ摘み」作戦でテロ指導者を暗殺したからにほかならない。
  ――第32章 「アネモネ摘み」作戦

 ちなみに「アネモネ摘み」作戦とは。それまでイスラエルは暗殺対象を軍事部門に絞っていたが、政治部門にも広げ組織の幹部を狙う方針のこと。しかも、方針は徹底してる。

「散発的な暗殺に価値はない。永続的かつ継続的な方針として指導者に照準を合わせ、上級指揮官を暗殺していけば、かなりの効果がある」
  ――第33章 過激派戦線

 「次は俺の番だ」と思わせるのがコツってわけ。ほんと容赦ない。

【世論】

 もちろん、こういうイスラエルのやり方に国際世論は非難を浴びせるのだが、ある日を境に豹変する…少なくとも、欧米は。

「この大事件(911)が起きたとたん、われわれに対する苦情が止んだ」
  ――第29章 「自爆ベストより自爆テロ志願者の方が多い」

 これまた「次は俺の番」な気持ちだね。自分に危険が迫るまで、真剣に考えないのだ。当時のアメリカ大統領ブッシュJr.が比較的イスラエルに好意的なためもあり、CIAとイスラエルは親密な関係を築いてゆく。

【対米関係】

 その合衆国との関係なんだが、イスラエルの軍事技術や思想が米国や米軍に大きな影響を与えているのが見て取れる。少なくとも三つの点で。

 まずはドローンだ。イスラエルは1990年代からドローンを使っていた。手順はこう。ドローンが標的を追い、映像を司令部に送る。司令部で標的を確認したら、ドローンが標的にレーザーを当てる。最後にアパッチ攻撃ヘリがレーザー探知機で標的を拾い、ヘルファイアミサイルを撃つ。

 なおイスラエルがドローンを採用する過程は「無人暗殺機 ドローンの誕生」と違い、参謀総長エフード・バラクが積極的に推し進めたとなっている。当然ながら、今でもイスラエルはハマス対策で積極的にドローンを使っている様子。誰だよ偉そうに「今のイスラエルなら、ハマス対策としてプレデターを涎を垂らして欲しがるだろう」と書いた馬鹿は。

 二つ目は暗殺の多用だ。「アメリカの卑劣な戦争」が取り上げたテーマでもある。そこで私は「大統領が議会の承認を待たずコッソリやっちゃうため」と書いたが、イスラエルの実績に学んだ可能性も高い。もっとも、イスラエルにとっても死活の問題、例えばイランの核開発とかだと、合衆国は情報は与えても直接に手は出さない。だって、ほっといてもイスラエルが勝手にやるから。ひでえw

 そして最後に、やはり「アメリカの卑劣な戦争」が取り上げている、統合特殊作戦コマンド(JSOC)である。この思想が、本書が紹介する合同作戦指令室JWRに近い。

 国防軍情報部のアマン、国内担当のシン・ベト、そして空軍の担当者などを一つの部屋に集め、情報を共有する。縦割り組織ではなく、同じ問題に当たる者をまとめよう、そういう発想です。で、実際、特に情報・諜報関係で優れた成果をあげた模様。

 もっとも、効果を上げたのは技術も関係していて、例えば偵察ドローンだと、ドローンが送る映像をみんなが一緒に見られる環境が整ったのも大きい。IT技術でもイスラエルは先端を走っているのだ。でも国際世論の扇動じゃハマスの後手に回ってるけど(→「140字の戦争」)。たぶん、同書に出てくるエリオット・ヒギンズと似た感覚の人が多いんだろうなあ。

【おわりに】

 ダラダラと長く書いちゃったけど、それだけ刺激的なネタが多い本だってことで許してください。あと、やたら人が死にまくる上に、殺しの描写がやたら生々しいので覚悟が必要。

 単に死者の数だけで考えれば、確かに暗殺は戦争よりはるかに犠牲が少ない。でも、手を付け始めると、歯止めが利かなくなるのも、本書を読めばわかる。おまけに諜報機関が関わるんで、情報が公開されずジャーナリストや世論による抑止も効きにくい。暗殺の是非、是だとしてもどこで歯止めをかけるかなど、重たい問いを投げてくる本だ。

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