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2021年12月 8日 (水)

ロドリク・ブレースウェート「モスクワ攻防1941 戦時下の都市と住民」白水社 川上洸訳

参加兵員数から見れば、モスクワ攻防戦は第二次世界大戦でも最大の、したがってまた史上最大の会戦で、双方合わせて700万を超える将兵がこれに加わった。(略)
モスクワ攻防戦はフランス全土に匹敵する広大な地域で戦われ、41年9月末から42年4月初旬まで6カ月にわたってつづいた。
  ――序章 1941年を迎えて

1943年、作家ミハイール・プリーシヴィン「住民は戦争を望まず、体制に不満をいだいている。それなのに、そういう人間がいったん前線に出ると、わが身を惜しまず勇敢に戦う。[……]この現象を私はまったく理解できない」
  ――第17章 勝利のあと

【どんな本?】

 1941年6月22日、突如ドイツ軍が東へ向け進軍を始めた。バルバロッサ作戦(→Wikipedia)の発動である。粛清などで崩壊寸前の赤軍に対し、ドイツ軍は当初こそ快進撃を続けたが、やがて補給が滞ると共に秋の泥濘に足を取られ、次第に進撃速度を落としつつも、同年7月22日の空襲をはじめとしてモスクワへと迫る。

 スターリングラード・レニングラードと並ぶ死闘であり、また第二次世界大戦の転機ともなったモスクワ攻防戦を、スターリンから村娘に至るソ連側の人々の視点で描く、戦時ドキュメンタリー。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は MOSCOW 1941 : A City and Its People at War, by Rodric Braithwaite, 2006。日本語版は2008年8月155日発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約531頁に加え、訳者あとがき4頁。9.5ポイント44字×20行×531頁=約467,280字、400字詰め原稿用紙で約1,169枚。文庫なら上下巻ぐらいの分量。

 文章は比較的にこなれている。ただ、一部に微妙な訳がある。例えばPPsh-41(→Wikipedia)を機関短銃または自動短銃としている。今は短機関銃という呼び方が主だ。Wikipedia に100式機関短銃なんて項目があるんで、帝国陸軍は機関短銃と呼んだんだろう。別名サブマシンガン、拳銃弾をバラまく近距離用の機関銃です。

 内容もわかりやすい。あくまでもソ連側、それも市民の視点が中心なので、東部戦線物にしてはエグい場面は少ない。とはいえあくまでも「東部戦線物にしては」なので、多少は覚悟しよう。あと、半ばイチャモンなんだが、人名や地名がロシア語なので覚えにくいのが難点。特に地名は当時のレニングラードが今はサンクトペテルブルクになってたりする。これはソ連/ロシア物の宿命ですね。

【構成は?】

 基本的に時系列順に話が進むので、素直に頭から読もう。

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  • 凡例/地図
  • 序章 1941年を迎えて
  • 第1部 おもむろに迫る嵐
  • 第1章 都市の形成
  • 第2章 ユートピアをめざして
  • 第3章 戦争と戦争のうわさ
  • 第2部 嵐の到来
  • 第4章 1941年6月22日
  • 第5章 ロシア軍の抗戦
  • 第6章 民兵たち
  • 第7章 大衆動員
  • 第8章 手綱を締めるスターリン
  • 第9章 嵐の目
  • 第10章 空襲下のモスクワ
  • 第3部 タイフーン
  • 第11章 ドイツ軍の突破前進
  • 第12章 パニック
  • 第13章 疎開
  • 第14章 バネの圧縮
  • 第15章 バネの反発
  • 第16章 敗北から勝利へ
  • 第17章 勝利のあと
  • 謝辞/訳者あとがき/写真提供者リスト/資料の出所/主要人名索引

【感想は?】

 第二次世界大戦を描く日本の戦争映画・ドラマは太平洋戦争が多いし、ハリウッド映画やアメリカのドラマは西部戦線が主だ。だから、太平洋や西欧が主戦場であるかのような印象が強い。でも、数字で見る限り、第二次世界大戦の主な舞台は東部戦線である。

ある大ざっぱな推計によると、900万に近いソ連軍人と1,700万のソ連民間人――ロシアとベロルシア、ウクライナとカザフスタン、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャン(略)の男女が、戦争の過程で死んだとされる。
  ――第16章 敗北から勝利へ

ドイツ側の最近の研究の一つは、この戦争で死んだドイツ兵の数を500万以上と推定している。そのうち400万人近くがロシア軍との戦闘で、もしくはソ連の捕虜収容所で死んだ。
  ――第16章 敗北から勝利へ

 本書は、この東部戦線の模様を、1941年~1942年のモスクワ攻防戦を中心に描く。登場人物はスターリンやジューコフなど政治・軍事の養殖にある者はもちろん、工場労働者や民兵やバレリーナや作家などバラエティに富んでいる。

 分厚い本だが、実は前の半分ほどを、モスクワ攻防戦前の状況の説明にあてている。

 何せ当時のソ連の内情はヒドい。ほとんどスターリンが自ら災厄を招いたようなモンなんだが、粛清の嵐で赤軍は悲惨な事になっている。例えば赤軍だ。

(1937年~38年の)粛清期にソ連に5人いた元帥のうちの3人、16人の軍司令官(大将)のうち15人、67人の軍団司令官(中将)のうち60人、師団長(少将)の70%、高級政治将校の大部分も同じ運命(逮捕/処刑)をたどった。
  ――第3章 戦争と戦争のうわさ

開戦時点で着任後1年未満の将校が全体の3/4を占めていた。
  ――第3章 戦争と戦争のうわさ

 と、開戦時からして既にガタガタだったのだ。こういった将兵の質の低さは追撃に移ってからも変わらず…

最初のころ分宿した民家の一軒では、主婦が経験の浅い(小隊長の)チェルチャーエフに歩哨を配置するよう教えてくれた。そうしないと略奪団と化したドイツ兵に窓から手榴弾を投げ込まれるというのだ。
  ――第16章 敗北から勝利へ

 と、ドイツ軍の占領を経験している分、民家のオバチャンの方が将校より詳しかったり。これは軍ばかりでなく…

数百人の航空機設計家、技術者、専門家が34年から41年までのあいだ収監された。
  ――第8章 手綱を締めるスターリン

 「開発が計画通りに進まないのは技術者たちが怠けているから」ってな理屈で専門家たちを処刑しまくったワケです。そういやロケット開発を主導した主任技師ことセルゲイ・コロリョフ(→Wikipedia,「セルゲイ・コロリョフ ロシア宇宙開発の巨星の生涯」)もシベリア送りになってるなあ。

 しかもスターリンは油断しきってて、ドイツが攻めてくるとは毛ほども思っていない。だもんで準備万端なドイツ軍の進撃ぶりはすさまじく。

6月22日、日曜日の午前3時15分、ドイツ軍爆撃機が西部国境地域のソ連空軍基地群を襲撃した。赤色空軍は戦争の最初の朝に1200機以上を、その大部分は地上で失った。
  ――第4章 1941年6月22日

戦争の第一週が終わるころには、赤軍最新鋭の機械化軍団はその戦力の9割を失っていた。
  ――第4章 1941年6月22日

 「これで勝った」と思うよね、普通。ところが、秋に入ると進撃は止まる。補給路は伸びるのに、路は泥で埋まるのだ。

ナポレオンとヒトラーの軍勢をおしとどめたのは冬将軍ではなくて、泥濘だった。
  ――第1章 都市の形成

 しかも、意外なことに、ドイツ軍はナポレオンより手間取ってたり。

ドイツ軍はナポレオンより3カ月近くも長い時日をかけてモスクワ近傍まで進撃した。というのも、(略)ドイツ軍はナポレオン軍とほとんど変わらぬくらい馬に依存し、進撃する兵士のスタミナに頼っていたからだ。(略)
6月21日の真夜中にソ連国境に投入された兵力は、グラン・ダルメ(ナポレオンの遠征軍)の6倍。300万以上の兵員、2000機近い航空機、3000両以上の戦車、75万頭の馬が、3個の軍集団の戦闘序列下にあった。
  ――第4章 1941年6月22日

 機械化されているのはごく一部で、実際は馬に頼ってた。戦車が快進撃しても、歩兵はついてこれないのだ。この反省から歩兵戦闘車(→Wikipedia)が登場するんだが、それは置いて。その戦車も赤軍のKV-1(→Wikipedia)やT-34(→Wikipedia)の方が強かったり。

 それでも、ドイツ軍はヒタヒタとモスクワへと迫ってくる。モスクワの価値は単に政治的なだけじゃない。戦争を続ける能力そのものも、モスクワが握っていたのだ。

1940年のモスクワは全国で製造される自動車の半分、工作機と工具の半分、電気機器の40%以上を生産していた。
  ――第2章 ユートピアをめざして

 工業力もモスクワに偏っていたんですね。そんなワケで、スターリンは工業の疎開も急がせる。色々と手違いはあったようだけど、ちゃんと功を奏したらしく。

大工場はあらかた疎開してしまったので、ますます多くの中小工場が兵器生産に切り替えられた。モスクワでの兵器生産のなかでの中小工場のシェアは、かつては25%を超えなかったが、11月末現在94%にたっした。
  ――第12章 パニック

 このモスクワ攻防戦をめぐっては二つの説がある。一つは「モスクワが落ちてもスターリンはウラル山脈の東へ逃げて戦争を続けた」って説、もう一つは「モスクワが落ちたらおしまい」って説。本書によるとモスクワの東800kmほどのクーイビシェフ(現サマーラ)へ政府を移す計画を進めてるんで、徹底抗戦したっぽい。

 もっとも、連合軍からの補給物資はアルハーンゲルス港・ムールマンスク港経由なんで、こっちの経路が潰れたらどうなんでしょうね。

 まあ、ソ連は引っ越しは得意なのだ。なんたって…

ソヴィエト政府は全国いたるところへ人びとの大集団を動かす経験をじゅうぶんに積んでいた。
  ――第7章 大衆動員

 なぜって…

1920年代にはモスクワとレニングラードから数千数万の階級敵を強制移送し、30年代には数百万のクラーク(富農)をシベリアと中央アジアに強制移住させた。(略)
列車に乗せられた人たちの旅行中の食糧や、目的地での宿泊施設については、あまり配慮を払わなかったので、病気、栄養不良、疲労、ときには護送兵の暴行の結果、多数の死者が出た。
  ――第7章 大衆動員

 そっちかよ! と突っ込みたくなるが、まあソ連だし。

 そんな経験豊富なソ連だけに、西から東へヒトとモノを動かすのは巧みで…

6月10日から11月20日までの期間にウクライナ、ベロルシア、バルト諸国から貨車100万両分の工業設備が搬出され、戦争の全期間をつうじてはほぼ1000万人が鉄道で、ほぼ200万人が水路で疎開した。
  ――第13章 疎開

 やはり鉄道の輸送能力は図抜けてる。前世紀の海外旅行ガイドブックだと、国によっては「鉄道車両の写真を撮るとスパイと疑われる」なんて記述もあったぐらい、鉄道ってのは国家の戦略的な能力を示すんですね。

 そうやってソ連がスタコラと逃げてるうちに、冬将軍がやってくる。補給線が伸び切ったドイツ軍は、冬の装備がなかなか前線に届かない。

グデーリアンは敵との戦闘行為による損失の2倍もの数の兵員を、寒さのために失った。
  ――第14章 バネの圧縮

 これに追い打ちをかけたのが、ソ連の焦土作戦。撤退する際、近隣の町や村を焼き払うのだ。ドイツに食料も寝床もあたえぬように。

ドイツ軍がモスクワに接近したとき、スターリンは敵に雨露をしのぐ場所をあたえぬよう、被占領地域の村落を徹底的に破壊せよと命じた。ジューコフは戦線の背後の幅5キロ、のちには25キロの地帯から住民を退去させるよう命令した。
  ――第15章 バネの反発

 戦術としちゃ理に適ってるんだろうが、巻き込まれる住民はたまらんよなあ。もっとも、この後、ドイツ軍も撤退する際に同じことをするんだけど。

 そんな冬将軍が猛威を振るいエンジンも凍って動かぬ中、活躍できたのは…

独ソ双方の軍勢のなかで、泥濘の中でも、雪中でさえも、ある程度の機動力を保持できたのは騎兵だけだった。
  ――第14章 バネの圧縮

 元来が寒冷地仕様の生き物(→「人類と家畜の世界史」)な上に、地元育ちだから寒さにも強いんだろうか。

 最初は慌てたスターリンも、「引きこもりの一週間」を過ぎて活発に動き始め、大規模な動員も始まる。なおスターリンの引き籠りの原因には幾つかの説があるが、本書では「自分の地位を狙う裏切り者をあぶりだすため」って説を紹介している。

 それはともかく、人を集めたはいいが、それを巧く鍛え使う体制はできてない。「銃は二人に一丁」なんて話が何度も出てくる。そんなワケで、動員した人たちの使い道は…

民兵らの多忙な一日の大半は戦闘教練ではなく、塹壕と対戦車壕の掘削に費やされた。
  ――第6章 民兵たち

 これはこれで適切なんじゃないか、と私は思う。もっとも、ドイツ軍の進撃が速すぎて、作った陣地の多くが未完成のまま突破されちゃうんだけど。

 先にも書いたように裏切り者を恐れるソ連だけに、検閲も厳しい。

新しい検閲規則がすでに導入されていた。軍事、経済、政治にかんするあらゆる情報の伝達、風景その他の写真付きのハガキの発送、点字による文通、クロスワードやチェスの詰め手の問題の発送が禁止された。
  ――第9章 嵐の目

 風景写真はわかるけど点字や詰め手は…うーん、暗号を警戒したんだろうか。

 ちなみにNKVDが張り切って「裏切り者」を逮捕しまくった結果、市民も前線の兵も「本当に裏切り者だらけなんじゃないか」と疑心暗鬼になった、なんて話もある。ばかりか、東方の疎開先じゃ意外と党の統制は甘くて、反乱の気配もあったとか。とはいえ、既にドイツ軍に蹂躙された西方じゃ、恨みに燃えるバルチザンが活発に動いたんだけど。

 もちろん、疎開せずにモスクワに残る人も多い。面白いのが、空襲下のモスクワで生き残る方法。

いちばん大事なのは、高射砲弾の上昇音と爆弾の落下音を識別する能力を身につけることで、落下音のピッチが(ドップラー効果で)上がるのにたいし、砲弾の上昇音は逆に下がる。
  ――第10章 空襲下のモスクワ

 言われてみると、そうだよなあ。

 そういう物騒な話ばかりでなく、日々の暮らしも苦しくなる。

戦争の最初の1年で物価は8倍にはねあがった。
  ――第12章 パニック

 米5kgが¥12,000、吉野家の牛丼が¥3,400の暮らしを想像してみよう。なお電気代は計算不要。だって電気は止まってるから。つか電気が止まったら米炊けないや俺。

 もちろん、足りないのはメシだけじゃない。

棺桶が足りないので、5~7日も待たないと葬儀もできない。
  ――第16章 敗北から勝利へ

 と、何もかもが足りない。原因の一つは鉄道で、モスクワ行きの列車は前線へ送る兵員でいっぱいだったから。そんな具合だから、近くの農村へ買い出しに行ったり、逆に農村からミルクを売りに来てたり。こういう風景は終戦後の日本と同じだなあ。

 とはいえ、泥縄式ながらも赤軍の抵抗は意外と早く功を奏し…

ドイツ軍はこれ(1941年12月8日)以後二度と首都を射程内に入れる地点まで接近できなかった。
  ――第15章 バネの反発

 これはバトル・オブ・ブリテンとの比較がわかりやすい。イギリス攻撃は設備の整ったフランスの飛行場から出撃できた。でもモスクワ近郊の飛行場は荒れてるし補給もままならないんで、ルフトバッフェも苦労した模様。

 そんな情勢の変化にスターリンも気をよくして…

12月14日、スターリンはモスクワの工場、橋梁、公共建築に仕掛けた爆薬の撤去を命令した。その二週間ほど後には、都心周辺の新たな防御陣地の構築をやめさせた。
  ――第15章 バネの反発

 逆に言えば、仮にモスクワを引き払う羽目になったら、モスクワを廃墟に変えるつもりだったのだ、スターリンは。こういう態度は「パリは燃えているか?」のヒトラーと同じだね。

 最終章の「第17章 勝利のあと」は、戦後のソ連の人々と政府の動きを描く。この本もソ連時代には手に入らなかった資料に多くを負っている事でもわかるように、戦後もソ連は相変わらず秘密主義だった。歴史家アレクサーンドル・ネークリチが充分な資料に基づき、開戦前後の高官たちの怠慢を指摘した著作「1941年6月22日」に対し当局曰く。

「政治の都合と史実と、どちらがより重要だと思っているのか?」
  ――第17章 勝利のあと

 政治家と学者じゃ正解が違うのが、よくわかる話だ。

 軍ヲタとしては、スキー部隊が活躍したり、意外と短機関銃が役に立ったり、この後にドイツ軍が南に重点を移すのをソ連諜報機関が掴んでたりと、細かい拾い物も多かった。が、それ以上に、気温が零下を下回る地での物資欠乏がどんなものか、身に染みて感じるのが辛かった。寒い季節に読むと迫力が増す本だ。

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