陳楸帆「荒潮」新☆ハヤカワSFシリーズ 中原尚哉他訳
「シリコン島人の最大の希望は、子どもたちが島を出ることだ」
――p25「これは戦争だ」
――p146「ルールは一つだけ。すなわちジャングルの掟と適者生存だ」
――p155「わたしはもどってきました」
――p240台風の目が通りすぎたら、さらに強い暴風雨が来る。
――p309
【どんな本?】
最近になって日本でも多く紹介されるようになった中国SF。そのきっかけとなったオムニバス「折りたたみ北京」では「鼠年」「麗江の魚」「沙嘴の花」の三篇でトップを飾った陳楸帆のデビュー長編。
中国南東部の半島は俗にシリコン島と呼ばれ、ハイテク廃棄物=電子ゴミの処分場となっていた。ここには中国各地から「ゴミ人」と蔑まれる出稼ぎ稼ぎが集まり、汚染物質にまみれながら低賃金で電子ゴミから資源を選び出す。羅・陳・林の三家が仕切るシリコン島に、環境再生計画を掲げ国際的にビジネスを展開するテラグリーン社の代理人スコット・ブランドルが訪れる。
方言を話し島の伝統に従う昔から住む島人と、中国各地から来た出稼ぎのゴミ人の緊張に加え、三家の力関係を崩す海外資本の進出は、不安定なシリコン島の社会を大きく揺さぶってゆく。
一族を中心とした社会・独特の信仰に彩られた文化・通底重音として響く中央の権力など、伝統とハイテクが混在する現代中国をデフォルメした舞台で、「もう少し先」のテクノロジーがもたらす光と影を描く、今世紀ならではのチャイニーズ・サイバーパンク。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は「荒潮」、陳楸帆、2013。英語版は Waste Tide, ケン・リュウ訳、2019。日本語版は2020年1月25日発行。新書版2段組み本文約330頁に加え訳者あとがき「『荒潮』の中文と英訳と邦訳について」5頁+「著者について」3頁。9ポイント24字×17行×2段×330頁=約269,280字、400字詰め原稿用紙で約674枚。文庫ならやや厚め。
文章はこなれている。中国と日本、お互いに漢字が使えるのは有り難い。内容はけっこう凝ってる。SF的にも、社会的にも。特にSFガジェットは中盤以降に斬新なアイデアが続々と出てきて、マニアは大喜びだ。
【感想は?】
「中国のサイバーパンク」は嘘じゃない。
初期のウィリアム・ギブスンに藤井太洋を足してパオロ・バチガルピをふりかけ、中華風に味付けして煮しめた、そんな感じ。
まず気が付くのはパオロ・バチガルピ味だ。化石エネルギーの枯渇を背景とした「ねじまき少女」、都市インフラの老朽化を取り上げた「第六ポンプ」、水問題に焦点をあてた「神の水」など、パオロ・バチガルピの作品は環境問題をテーマとして暗い未来を描く作品が多い。
本作も最大の舞台装置はゴミ問題だ。しかもグローバル経済化による国際的な構図なのが目新しい。先進国は、邪魔でヤバい電子ゴミを中国沿岸部に捨てる。自国の環境問題を札束で頬をひっぱたき他国に押し付ける、そういう形だ。日本でも国内で似たような図式があるよね。それが国際化してるあたり、安い人件費と緩い環境規制をテコに貿易を活性化し経済成長が著しい現代の中国を巧みに戯画化してる。
ゴミ人の暮らしの描き方にも、社会的に弱い者を描くバチガルピ風の風味が漂う。実際、昔の集積回路には金(ゴールド)を使ってた。電気抵抗が小さく、金箔のように薄く細く加工しやすく、おまけに錆びにくい。ってんで、微細加工が必要な集積回路にはピッタリなのだ。これを回収すればガッポリ、なんて説もあった。
まさしくそういう発想を地で行くのがゴミ人たちの暮らし。フィリピンのスモーキーマウンテン(→Wikipedia)から発想を得たのか、現実に中国にあるのかはわからないけど、彼らの仕事ぶりを描くあたりは、ちと背筋が寒くなる。
ここで面白いのが、ただのゴミではなく電子ゴミって所。この世界は人体(というか生体)の機械化=義体も進んでて、先進国では眼や腕や足を機械化するのが当たり前だ。しかもソレはiPhoneみたく年々バージョンアップするんで、流行を追う人は次々と最新版に買い替えていく。となると、使い古しは電子ゴミとなり、シリコン島へ流れ着く。
こういう生体改造の描き方が、いかにもニューロマンサーなんだよなあ。もっとも、ゴミとはいえ人体にソックリなワケで、冒頭近くにある、子どもがソレをオモチャにして遊んでる場面は、なかなかに気色悪い。この気色悪さは全編に漂ってて、苦手な人にはちと辛いかも。というか、私には辛かった。
そんな世界を象徴するチップ犬は、とっても可愛らしいと同時におぞましく哀しい。今だって犬の躾で苦労してる人は多いから、こんな需要もきっとあるんだろうなあ。
昔はキーボードもマウスも有線しかも専用の端子で繋がってた。でも最近はハードディスクもネットワーク接続のNASだったり自販機が無線の Bluetooth だったりと、プロトコルが標準化されて機器同士が簡単に繋げられるようになってきた。IPv6 とIoT(俗称モノのインターネット)とかで、あらゆる機器がネットワークに繋がるのが当たり前になってきてる。
そういった技術が身の回りで当たり前になった世界観はウィリアム・ギブスンなんだけど、それを支える技術の細かい所をキッチリ詰めてくあたりが、藤井太洋ばりのシッカリした足場を感じさせるのだ。
例えば原子力発電所とクラゲ、中国の海賊品天国ぶり、虹色の波、通信帯域を制限されたシリコン島でP2Pを実現する手口、原子力潜水艦の静寂性の秘密(どうでもいいがここは攻撃型原潜ではなく戦略型だと思う)など、先端的な科学や工業技術を巧みに引用して説明をつけるあたり、ご馳走が続々と出てくる嬉しさでSFマニアはヨダレが止まらない。
まあ、お話の都合で中盤以降になっちゃうんだけど、それまではジッと耐えてくださいマニアの皆さん。いやホント濃いから。義眼の描写とか、とっても悶えます。
そんな先端テクノロジーがあふれるシリコン島だけど、どっこい生きてる中国四千年の伝統。バラエティに富んだ中華料理はもちろん、この作品ならではの味は風水や紙銭に代表される中国の宗教行事。この先端テクノロジーと迷信が混ざり合いぶつかり合う落神婆による叫代の儀式の場面は、緊張感が漂うと共に、人によっては笑いが止まらなかったり。
やはり技術と迷信って点では、「米米メカ」も楽しい所。私は巨大メカキョンシーかい!と突っ込んだけど、その正体は想定外なんてモンじゃない。どっからこんなネタを引っ張り出してくるのやら。いやホント喝采したくなるぞ、米米メカ。
ちょっとレイ・ブラッドベリをリスペクトしてたりとSFマニアへのクスグリも忘れず、数冊のシリーズ物を書くのに充分なSFガジェットをタップリ詰めこみつつ、急速に膨れ上がった中国の国際貿易の暗部など現代の社会問題もキッチリと書き込み、壮大な未来を感じさせるエンディングで〆た、サービス満点の迫真作だ。「近ごろのSFは薄い」とお嘆きのあなたにお薦め。
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