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2021年8月 6日 (金)

小川哲「嘘と正典」早川書房

マジックは演出がすべてだ。
  ――魔術師

もし何かを変えられるとしたら、それは未来ではなく過去なのです。
  ――時の扉

「音楽がそこにあることが一番重要さ」
  ――ムジカ・ムンダーナ

人々は、誰でもない誰かになりたかった。
  ――最後の不良

「共産主義は万有引力なのか、それとも『オリバー・ツイスト』なのか」
  ――嘘と正典

【どんな本?】

 「ユートロニカのこちら側」で鮮烈なデビューを飾り、「ゲームの王国」でSFファンの度肝を抜いた新鋭SF作家・小川哲の第一短編集。

 マジシャンの親子が壮大なトリックに挑む「魔術師」,父が遺した競争馬のルーツを探る「ひとすじの光」,時間旅行と過去改変の逆説を扱う「時の扉」,奇妙な島の風習を描く「ムジカ・ムンダーナ」,「最後の不良」,「嘘と正典」の6編を収録。

 SFマガジン編集部編「SFが読みたい!2020年版」のベストSF2019国内篇で4位に輝いた。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 2019年9月25日初版発行。私が読んだのは2020年1月20日の3刷。売れたなあ。単行本ハードカバー縦一段組み本文約265頁。9.5ポイント42字×17行×265頁=約189,210字、400字詰め原稿用紙で約474枚。文庫なら普通の厚さ。

 文章はこなれていて読みやすい。内容もSFとはいえ科学の難しい話は出てこないので、理科が苦手な人でも大丈夫。ただし、「魔術師」はトリックがミソなのでミステリ的な注意力が必要だし、「時の扉」は時間物特有のややこしさがあるので、注意深く読もう。

【収録作は?】

 それぞれ 作品名 / 初出。

魔術師 / SFマガジン2018年4月号
 マジシャンの竹村理道は若くして成功したが、やがて多額の借金を抱えて行方をくらまし、人々からも忘れ去られる。再びマジシャンとして姿を現した竹村理道の公演は満席となり、特にタイムマシンを使ったトリックの評判がいい。娘は彼を嫌っていたが、マジシャンとして身を立てている。タイムマシンのトリックを見破ろうと父の公演を見た娘は…
 理道の最後のショーはトリックなのか本物なのか。トリックだとすると、これは一回しか使えないワケで、芸人ってのはそこまでやるモンなんだろうか。いや、やるんだろうなあ。脱出トリックも死の危険と隣り合わせだし。タイムマシンだとしたら、一種のマッドサイエンティストというか、そんな大それた発明をショーに使うか、と呆れてしまう。
ひとすじの光 / SFマガジン2018年6月号
 縁が薄かった父は、大半の遺産を整理していたが、一頭の競走馬の馬主資格だけは僕の判断に任せた。その馬テンペストは五歳の牡馬で、たいした才能もなさそうだ。父が遺した段ボール箱に入っている資料を元に、僕はテンペストのルーツを探り始める。
 某アニメとゲームのお陰でスペシャルウィークの名前だけは知っていたんだが、なかなか波乱万丈の現役時代だったんだなあ。競馬ファンはそれぞれの想いやストーリーを馬に託してるんだろうけど、走っている馬の実際の気持ちはどうなのか。そもそも馬がなぜ走るか、なぜ速いかというと…
時の扉 / SFマガジン2018年12月号
 遠い場所から来た男は、業火の只中にいる王に語る。「時の扉」の力により、王に与えられるものがある、と。未来を変えることはできない、でも過去は変えられる、と。
 これまた「魔術師」と同様に、時間を扱った作品。SFではあるが、実際にそういう症状を示す病気があるのだ。オリヴァー・サックスの「妻を帽子とまちがえた男」には、その極端な症状であるコルサコフ症候群(→Wikipedia)が出てくる。私たちは多かれ少なかれ、常に自分を再構成している。このカラクリをチョイとイジると…
ムジカ・ムンダーナ / SFマガジン2019年6月号
 フィリピンのデルカバオ島は小さな島で、五百人ほどの住民はほぼ自給自足で暮らす。独特の文化があり、島の言葉は歌のようだ。高橋大河(だいが)は、音楽を聴くために島を訪れる。島で最も裕福な男が所有していて、これまで一度も演奏されたことがない音楽を。
 現代は録音技術・配信技術ともに発達し、好きな音楽はいつでも何度も聴けるし、毎日のように世界中の新しい音楽を見つけることができる。これは人類史上、極めて特異な状況で、音楽の価値は暴落しているのかも。語り口は大まじめだし、父と息子の関係は深刻なんだが、実はトボけたバカSFなんじゃないかって気がしてきた。
最後の不良 / Pen2017年11月1日号
 「流行をやめよう」が合言葉となり、MLS=ミニマム・ライフスタイル、無駄も自己主張もない風潮が世間を席巻した。その影響で総合カルチャー誌『Erase』は休刊に追い込まれる。編集者の桃山は辞表を出して会社を出た後、特攻服に着替え改造車に乗り込み首都高をトバす。特攻服も改造車も最後のヤンキーから譲り受けたものだ。
 掲載誌が違うせいか、他のシリアスな作品とは大きく異なり、コミカルな芸風の作品。「SFマガジン2021年6月号」収録の「SF作家の倒し方」も楽しかったが、これもなかなか。ちょっと「反逆の神話」を思わせるやりとりも楽しい。ほんと、流行って、何なんだろうね。プログレも賞味期限切れかと思ったら、本家の英国をよそに北米や北欧や東欧から面白いバンドが続々と出てきてるし。
嘘と正典 / 書き下ろし
 CIAモスクワ支局に本国から活動停止の命令が下ったすぐ後、工作担当員のジェイコブ・ホワイトに支局長から有望そうな話が舞い込む。情報提供の申し出だ。KGBの罠である可能性も考慮しつつ、≪エメラルド≫とコードネームをつけ、ホワイトらは慎重に対応を進める。
 1844年イギリスのマンチェスターにおけるフリードリヒ・エンゲルスの特別巡回裁判で始まった物語は、いきなり冷静時のCIAモスクワ支局に。ひたすら生真面目に研究を進めようとしつつも、あまりにも狂った体制に愛想をつかすペトロフの気持ちは、大きな組織に勤める者ならおもわず「うんうん、わかるわかる」と共感してしまうところ。とか思ってたら、終盤では大仕掛けを使った意外な方向へ。

 「魔術師」「ひとすじの光」「ムジカ・ムンダーナ」と、父と息子の関係を扱った作品が多いのは、何か意図があるんだろうか。緊張感が漂う「嘘と正典」もいいが、それ以上に「最後の不良」のコミカルな味が気に入った。こういう作品が書ける人は貴重なので、今後も期待してます。

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