アレクサンダー・モンロー「紙と人との歴史 世界を動かしたメディアの物語」原書房 御舩由美子・加藤晶訳 1
本書で描くのは、世界のあらゆる場所で歴史を動かし、時代を変える大事件や民衆運動の“パイプ役”を果たしてきた、なめらかでしなやかな物質の物語だ。
――第1章 紙の来た道をたどる マルコポーロが見た紙
【どんな本?】
私たちの暮らしは紙に包まれている。手紙や葉書、役所の書類、新聞、スーパーのチラシ、そして書籍。印刷物だけではない。キッチンペーパー、ティッシュペーパー、薬包紙、段ボール、紙コップ、そして障子や襖。
紙は紀元100年ごろに中国の蔡倫(→Wikipedia)が発明したとされるが、実際には紀元前から存在したようだ。その後、中国からユーラシア大陸を西へ西へと向かう中で、それぞれの土地の文化や社会に大きな変化をもたらしてゆく。
紙が辿った道筋を追いながら、それぞれの土地と時代に生きた人びとの暮らしを描き、また紙がもたらした新しい技術や文化を紹介する、ちょっと変わった「もう一つの人類史」。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は The Paper Trail : An Unexpected History of a Revolutionary Invention, by Alexander Monro, 2014。日本語版は2017年2月7日第1刷。単行本ハードカバー縦一段組み本文約440頁に加え、訳者あとがき4頁。9ポイント45字×18行×440頁=約356,400字、400字詰め原稿用紙で約891枚。文庫なら厚い一冊が薄い上下巻ぐらいの分量。
文章はこなれていて読みやすい。内容も特に難しくない。ただ馴染みのない地名がよく出てくるので、地図帳か Google Map があると便利だろう。
【構成は?】
全体は、ほぼ時系列順に進む。また地理的にも、中国を出発点としてユーラシア大陸を西へ向かって進む。各章は比較的に独立しているので、興味がある所だけを拾い読みしてもいい。
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- 第1章 紙の来た道をたどる マルコポーロが見た紙
- 第2章 文字・粘土板・パピルス
- 第3章 古代中国の文書
- 第4章 紙の起源
- 第5章 中央アジアの発掘から
- 第6章 東アジアを席巻する紙 文と仏教と紙
- 第7章 紙と政治
- 第8章 中国からアラビアへ
- 第9章 書物を愛で者たち
- 第10章 本を築く
- 第11章 新しい音楽
- 第12章 バグダードからもたらされた紙と学問
- 第13章 大陸の分断
- 第14章 ヨーロッパを翻訳する
- 第15章 新たな対話
- 第16章 大量に印刷する
- エピローグ 消えゆく軌跡
- 訳者あとがき/原注
【感想は?】
東アジアに住む者としては、ちょっと嬉しい歴史の本だ。
なんと言っても、中国から始まって西へ西へと物語が向かっていくのが嬉しい。こういう紀元前から始まる歴史書は、せいぜいメソポタミアあたりから始まってヨーロッパが中心となるんだが、この本は中国から中央アジア,アラビアそしてヨーロッパへと向かう。どうも世界史=欧州史みたいな印象があるが、他の土地にだって人が住んで暮らし文化を育んできたんだぞ。
例えば文字にしたって…
文字は少なくとも三つの独立した古代文明で誕生している。シュメール、中国、そして紀元前三世紀の中央アメリカである。
――第2章 文字・粘土板・パピルス
もっとも、本書で扱うのは中国のみだけど。
現代では紙コップやティッシュペーパーなど、紙は生活資材としても使われる。だが、歴史的に見ると、やはり情報媒体としての役割が大きい。本書も、多くは情報の記録・伝達媒体としての役割が中心となる…と、思うでしょ。ところが、だ。
紙が当初から書写材として発明されたと信じる歴史学者は一人もいない。
――第4章 紙の起源
そもそも「蔡倫が紀元100年ごろ(後漢の時代)に発明した」ってのも不正確で、「実際のところは、すくなくともその300年前にはつくられていた」らしい。現実に「紀元前二世紀末に中国でつくられた大麻の包装紙が現存している」。じゃ蔡倫はなにをしたかというと、官製のプロジェクトとして原材料と工程を改善した。お役所の仕事だから、正式な歴史書に記録が残り、よって蔡倫の名も残ったわけ。
とまれ、当時の記録媒体の主流は竹簡。だもんで、お偉方は紙を馬鹿にする。竹簡に書かれたモノは偉くて賢く、紙に書かれたモノは低俗、そんな扱いだった。もっとも、こういう偏見も、逆に新しい文化を生むキッカケになるから世の中は面白い。
以前は不適切だと考えられていた文学の形式も、表舞台に登場した。短編小説、恋愛詩、民話などがそれで、竹簡の時代には高価な書写材に似つかわしくないという理由で口承によって語り継がれていたが、ようやく日の目を見て、格上げされたのである。
――第5章 中央アジアの発掘から
なんたって紙は安いし場所を取らず面積が広い。だもんで、沢山の文字が書ける。おまけに、堅苦しいお役所の目も届かない。媒体が変わったことで、それまでのシガラミから解き放たれ、新しいモノを生み出す土壌が生まれたのだ。こういう蔑まれる所から新しいモノが生まれるパターンは、現代でもSFや漫画やライトノベルで繰り返してる。
これが更に時代が進み、20世紀ともなると…
1920年代の終わり頃には、中国語の日常的な言い回しや文章が公式なものとして紙に記されるようになった。かくして一般大衆が儒教徒を打ち負かし、書籍や法律上の文書、行政上の文書、新聞に記される文章は平易な口語で書かれることが多くなった。その流れも、元をたどれば劉が気づいたとおり、一世紀、幅広い読者に届けることを目的として、仏典をごく普通の口語に翻訳した時代を発端とする。
――第8章 中国からアラビアへ
いわゆる言文一致だね。これまでの堅苦しい文語体から、話し言葉に近い口語体へと変わってゆく。この変化を促したのが、「翻訳」なのが面白い。日本の言文一致も、開国により他国語からの翻訳が増えた直後に始まった。思うに、翻訳だと韻を踏むのが難しいせいかも。
もっとも、現代でもお役所言葉の意味不明さは相変わらずは独特で、例えば商法の「社員」は株主の意味だったり(→Wikipedia)。わかるかい、そんなん。
ここでもう一つ、本書の重要なテーマが顔を出す。仏教だ。中国生まれの道教・儒教に対し、仏教は舶来品。それを中国に根付かせるために、仏典の翻訳文は親しみやすい言葉遣いにしたのだ。
中国では仏教が重要な役割を担ったが、中央アジアと中東ではイスラムが、欧州ではキリスト教が、紙と書物の歴史で大きな意味を持つ。要は聖典ですね。ただ、それぞれの性格が見事に違うのも面白いところ。
後継者が勝手に新しい経典を作ってしまうユルさ極まる仏教。禁欲的なまでにムハンマドの言葉を忠実に集め正確さに留意して検証し、アラビア語に拘ったイスラム教。なぜかヘブライ語ではなくラテン語が正統とされ、その後ルターから始まる各国語への翻訳が革命を引き起こすキリスト教。それぞれが広まった土地と時代の空気が鮮やかに反映してる。
ダラダラと書いてたら長くなったので、続きは次の記事に。
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