バラク・クシュナー「ラーメンの歴史学 ホットな国民食からクールな世界食へ」明石書店 幾島幸子訳
今やラーメンは現代日本の食を象徴するものであり、世界の人々が日本の食とは何かを考えるとき、なくてはならないものとなっている。本書は日本におけるラーメンの長い歴史を掘り下げる試みであり、これらの問いについて考える一助となれば幸いである。
――日本語版への序
【どんな本?】
ラーメンが好きだ。基本的な醤油ラーメン、バターが嬉しい塩ラーメン、野菜に合う味噌ラーメン、こってりした豚骨ラーメン。麺もまっすぐだったり縮れてたり、細かったり太かったり。多くの日本人に愛され、行列ができる店も珍しくない。ばかりか、最近は海外でも盛り上がりつつある。日本を代表する料理である。
と同時に、ラーメンは日本食の異端児だ。たいてい日本の料理は「ごはん」が主役で、それ以外はわき役に過ぎない。だがラーメンはれっきとした食事の主役である。盛り付けや器の美しさを重んじ、あっさりとした味付けの野菜や魚が中心の、いわゆる「和食」とは、まったく反対の性格を持つ。
ラーメンは日本の伝統料理とは異なるものの、どんな西洋料理のカテゴリーにもあてはまらないし、典型的な中国料理でもなく、類別することは不可能だ。
――序 麺王国の歴史と現在
そして、いくつもの伝説に彩られており、その起源は諸説が紛糾し、いまだ決着がついていない。
ラーメンは正確な発祥地がどこかも、ラーメンという名前の由来もはっきりしていない。
――第7章 帝国と日本の料理
そのラーメンは、どのようなルーツを持っているのか。ラーメンが発達する前の日本の食事の事情は、どのようなものだったのか。いかにしてラーメンは生まれたのか。そこには、どんな歴史の変遷と社会の背景があったのか。既存の日本食とは全く異なる風味のラーメンが、なぜ日本人に受け入れられたのか。
多くの資料と取材を元に、日本の食糧事情と食文化の変転を背景に、ラーメンの誕生と普及と成長を辿りつつ、「日本食」や「郷土料理」の神話を暴く、驚きと香りに満ちた一般向けの風俗史。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Slurp! : A Social and Culinary History of Ramen-Japan's Favorite Noodle Soup, by Barak Kushner, 2012。日本語版は2018年6月11日初版第1刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約349頁に加え、訳者あとがき3頁。9ポイント46字×18行×349頁=約288,972字、400字詰め原稿用紙で約723枚。文庫なら厚めの一冊分。
お堅い印象がある明石書店だが、翻訳書の中ではこなれている部類。内容もテーマが身近なためか、親しみやすくわかりやすい。日本の歴史を平安時代あたりから辿っているが、中学で学んだ歴史をぼんやり覚えている程度で充分についていける。
【構成は?】
ほぼ時系列順に進むので、素直に頭から読もう。
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- 日本語版への序
地方のブランド化 B級グルメ大国日本/日本とラーメンを輸出する/ラーメンをめぐる果てしない問い? - めん食日本地図
- 序 序 麺王国の歴史と現在 象徴としてのラーメンへ
ラーメンをめぐる問い/ラーメンは日本料理か?/麺とナショナリズム
- 第1章 古代中国の食卓から 麺の誕生
中国における面のルーツ/謎に包まれた古代の食生活/近代以前の麺 中国から日本へ
- 第2章 宮廷食と庶民食
神道と食物/僧が持ち帰った食品技術/武士の台頭と食生活の変化
- 第3章 日本の国際化、外国の食べ物、鎖国
様変わりする食習慣/長崎に花開いた文化/中国の影響による食文化の変化/江戸で人気を博した蕎麦/麺料理が全国に広がる
- 第4章 江戸時代の食文化とラーメン伝説
朱舜水がラーメンのつくり方を教えた?/富と飢餓の混在/食べ物屋がひしめく江戸の街/江戸と肉食
- 第5章 明治維新 ラーメンへと通じる食の革新
開港都市/文明開化における食の役割/肉食の流行/軍隊の食事をめぐる論争/文明開化と新しい味覚/長崎ちゃんぽんと南京そば
- 第6章 外交と接待術
国民的料理という概念/帝国主義と食/明治期の中国人/加速する食生活の変化
- 第7章 帝国と日本の料理
うま味の発見/衛生状態へのこだわり/食品化学の発展/ラーメンの誕生/ラーメン誕生をめぐる複数の説/盛り場とラーメン店の急増/「栄養学」への関心の高まり/大正期の中国料理ブーム、そして戦争へ
- 第8章 第二次世界大戦中の料理
飢えた日本と豊かなアメリカ/戦争への道/戦時と国民食/日本兵と食べ物/否定された食糧不足/日本人のアイデンティティと米/飢えと栄養失調/銃後の社会と食べ物/降伏と国民食の崩壊
- 第9章 食の歴史 戦後のインスタントラーメン
敗戦と食糧不足/余剰小麦の輸入/新しい食べ物の必要性/インスタントラーメンの誕生と人気/インスタントラーメンはなぜ開発されたか?/インスタントラーメンとラーメンブーム/フードツーリズムとラーメン/ラーメンの海外進出/ラーメンブームは続く/「日本料理」とは?/ラーメンは日本そのもの
- 第10章 ラーメンに関わる大衆文化
音を立てて、ズルズル!/落語家とラーメン/熱狂的ラーメンファン/ラーメンミュージアム/ラーメンテーマパーク/漫画とラーメンの歌/寿司とラーメン/ラーメン ニューヨークの精神で/国際的な注目を浴びるラーメン/大衆文化の人気の高まりとともに
- 結び
食べ物の持つ負の側面/日本食のラーメンはヘルシー/新たな食の革命/ラーメンの歴史が物語るもの/さぁ、歴史を食べに行こう! - 訳者あとがき/参考文献/索引
【感想は?】
テーマは親しみやすいが、中身は本格的だ。なにせ「麺」のルーツを巡り、古代の中国から話が始まる。
うどんや蕎麦の先駆けとなった麺は、おそらく奈良時代に中国南東部から日本へ渡ったと思われる。この麺料理は「ほうとう」(今日でも山梨県ではほうとう料理を出す店が多くある)と呼ばれ、うどんのように切った平たい麺を熱い汁に入れて食べる。
――第1章 古代中国の食卓から
なんと、日本の麺の源流はほうとうだったのか。でも香川県民は異論がありそうだなあ。それはさておき、同じ麺でも、蕎麦やうどんとラーメンの違いの一つは、麺が黄色いこと。そう、かん水だ。これの歴史も、けっこう古い。
唐から宋への移行期の中国麺にみられたもう一つの大きな特徴は、麺のコシが強くなったことだ。(略)この「中国」方式は、麺の生地にかん水を加えることで、すぐには噛み切れないコシのある麺にするというものだ。
――第1章 古代中国の食卓から
遣隋使・遣唐使でわかるように、日本の文化は中国の影響を強く受けている。麺に加え、かん水も、中国が発祥だった。ただ、「四本足で食べないのはテーブルだけ」とまで言われる中国の食文化に対し、日本の食文化は貧しかった。いや、食文化どころか、日本そのものが貧しかったのだ。
鎌倉時代が始まった12世紀末から16世紀までの日本社会の特徴の一つは死亡率の高さであり、このことは食糧生産率が全般的に低く、食べ物の質も悪かった(略)ことと関わっている。
――第2章 宮廷食と庶民食
平安時代末期に成立した「今昔物語」の中の「わらしべ長者」には、蜜柑が出てくる。当時、蜜柑は贅沢品だった、とあったのは「品種改良の世界史 作物編」だったか「柑橘類の文化誌」だったか。
(日本の)歴史を振り返れば、国民のほとんどが栄養失調だったといえる。栄養バランスのとれた食事ができたのは、ほんのわずかな金持ちだけだった。
――結び
改めて考えれば、国土は山がちで起伏が多く、川の流れもキツくて治水も難しい上に、貿易も難しい島国なんだから、貧しいのも当たり前か。こういう歴史の教科書に出てこない庶民の暮らしぶりが分かるのも、こういう歴史書の楽しみの一つ。
そんな日本の食糧事情が変わってくるのは、江戸時代から。江戸には独身の労働者が集まった。長屋住まいの独身男は、料理なんぞする暇はない。今でこそ電気炊飯器があるが、当時はかまどで米を炊いていた。そんな手間をかけるより、屋台で食べた方が簡単だ。「ヌードルの文化史」に曰く、「ヌードルは都会っ子」だ。日本の中心として栄えた江戸は、外食産業と麺の発達に格好の環境となる。
ラーメンについて一番重要なのは、それが家庭で作って食べるものではなく、食堂や屋台で食べるか、出前を注文するものだったという点だ。
――第7章 帝国と日本の料理
今でも江戸前の落語家は、高座で鮮やかに蕎麦をすする(真似をする)。どれぐらい江戸の外食産業が栄えていたのか、というと…
17世紀半ばには、江戸には外食する場所が数多くあり、1900年にヨーロッパでミシュランガイドが出版される100年以上前から、市中の料理屋案内が出版されていた。
――第3章 日本の国際化、外国の食べ物、鎖国
たぶん、江戸の街並みが火事に弱く、幕府が自炊を歓迎しなかったのもあるんだろうなあ。機会があったら江戸の水とエネルギーの事情も知りたい。それはさておき、この江戸の豊かな食文化を、参勤交代で江戸を訪ねた武士団が国元に伝える。
江戸での参勤交代の任務を終え、国元へ戻った大名とお供の者たちは、毎度のことながら故郷の貧しさを痛感させられた。江戸で白米の飯に慣れていた彼らは、麦などの雑穀が混じった飯は食えたものではないと不平をもらした。
――第4章 江戸時代の食文化とラーメン伝説
ここでも再び伝統的な日本の食事の貧しさに触れていて、ちと切なくなるが、それはさておき。同じ麺でも、蕎麦やうどんはあっさりした風味だ。そもそも「和食」は野菜や魚が中心だし、冷たいモノが多い。対してラーメンは濃厚な出汁や油が欠かせないし、なにより熱いうちにすするものだ。これは従来の日本の料理とは大きく方向性が違う。これは、どこから来たのか。
日本人の麺好きはすでに社会に根付いていたとはいえ、19世紀末、麺を濃厚な肉のスープに入れて食べるというアイデアを思いついたのは横浜の華僑たちだった。(略)
日本人の外国料理への順応を後押しする大きな力となったのが、徴兵制の開始とともに創設された常備隊だった。
――第5章 明治維新
明治維新で国の体制が大きく変わり、他国と物や人の行き交いが盛んになった。歴史の教科書には西洋人ばかりが出てくるが、最も多いのは中国人だったのだ。この中国人たちが、コッテリした中国の食文化を日本に持ち込む。ただし、当時の日本は中国を「遅れた国」と見なしていて、特に上流階級ほど、その意識は強かった。これは食に関しても同じで…
明治時代全体を通じて宮中で中国料理が出されたことがただの一度もなかった
――第7章 帝国と日本の料理
それまで藩ごとが国だった体制から中央集権国家に生まれ変わるために、明治政府は国民にも「日本人」としての意識を持たせたかった。これは食に関しても同じで、他国と差別化し、日本は独特の食文化を持っている、とする「神話」が必要だった。
最もよく使われる「和食」は、伝統的なあっさりした味付けの料理を意味するが、これは西洋食を意味する「洋食」(日本ではアジアを発祥とする料理以外はすべてこう呼ばれる)の対語として生まれた可能性が――確実ではないが――高い。
――第6章 外交と接待術
ここでも「とんかつの誕生」や「カレーライスの誕生」と同じく、全国各地から人を集める軍が、日本人の食生活の変化に大きな役割を担っているのが興味深い。出身地ごとに食生活がバラバラだった兵たちが不公平感を抱かないよう、みんなが不慣れなメニューを出したのだ。それでも、今まで雑穀ばかりだった小作人の倅たちは、白米を喜んだらしい。
たしかに米は、概念としての(実際は別にしても)日本の食べ物の中心をなしているが、それは最近の現象だということを忘れてはならない。
――第9章 食の歴史
軍が食文化に与えた影響は大きいらしく、軍関係じゃ他にも意外なの挿話が多い。例えば旅順攻略では…
…川島四郎は、ロシア艦隊が旅順で乃木将軍に降伏したのは適切な栄養を摂取する重要性を知らなかったからだと指摘している。(略)多くのロシア兵がビタミンCの欠乏による壊血病にかかった。(略)皮肉なことに、ロシア軍は倉庫に大豆を大量に保管していたが、それを発芽させた「豆もやし」にはビタミンCをはじめとする貴重な栄養価が含まれていることを知らなかった。
――第6章 外交と接待術
ナポレオンの瓶詰もそうだが、軍にとって食料は大問題なんだなあ。米陸軍も研究熱心だし(「戦争がつくった現代の食卓」)。まったく関係ないが、飛行機乗りには別の苦労もあって…
戦前および戦中の戦闘機は気密性が確保されておらず、(略)急上昇すると、機内の気圧は地上の1/4程度に下がってしまう。上空で気圧が下がると腹中のガスが膨張し、膀胱の中でも同じことが起こる。膀胱中の空気が膨張すると、小便が押し出されてしまうのだ。
――第8章 第二次世界大戦中の料理
まあいい。終盤では、インスタントラーメンやカップラーメンの開発と普及にも触れている。中でもカップラーメンの開発にまつわるネタが面白い。海外進出を目論んだものの、なかなかうまくいかない。なぜって…
アメリカの一般家庭には、浅いスープ皿はあっても、ご飯や汁ソバを入れられる日本のどんぶりのような形の器はない。(略)これがやがて、発泡スチロールのカップの開発につながる。
――第9章 食の歴史
「そこからかい!」と突っ込みたくもなるが、箸を使うのは東アジア・東南アジアだけだしねえ。さて、日本の食文化の海外進出だと、寿司が一歩先を行っているし、政府が力を入れているのも「和食」だ。しかし、庶民にとっては、ラーメンこそが身近だし、カレーライスと並んでラーメンこそが日本の食卓の代表だろう。
基本的にラーメンを楽しむのに専門的な知識はいらない。ラーメンは平均的な日本人のための平均的な料理なのだ。
――第10章 ラーメンに関わる大衆文化
にも関わらず、なぜラーメンはチヤホヤされないのか。著者の見解は身も蓋もないもので、寿司に比べハイソじゃないし安いから、だそうだ。もっとも、新興宗教の聖典にも出てくる程度には、人々に馴染んでるっぽいけど。なにせ今やインスタントラーメンの消費数で、日本は第三位だ。トップは中国で420億食、ついでインドネシアが140憶食、日本は50憶食強(2010年現在)。産地だって…
アジアの工場の実に半数が、日本向けの食品工場であり、アジアの資源の多くは日本人の胃袋に入り、それらの資源は今や枯渇しつつある。
――結び
実は戦前・戦中の大日本帝国も食料自給率は5割を切っていて、こんな風に東アジア・東南アジアから食料を輸入するのも、意外な形で大東亜亞共栄圏が復活しつつあるように思えたり。
テーマは親しみやすく、語り口も柔らかい。が、10章中の5章までを、ラーメン誕生前の日本の食生活の歴史に充てるなど、その姿勢は日本の食文化の根本から辿る本格的なものだ。歴史の教科書には出てこない庶民の暮らしぶりがわかるのも嬉しい。もっとも、幾つかの和食にまつわる神話を打ち砕いたり、太平洋戦争前後の軍と政府の無責任と無策を追求するあたりは、不愉快に感じる人もいるだろう。それでも、幻想でも創作でもない本当の日本人の姿を知るためには、格好の本だ。
ただし、ダイエット中の人は、夕食後に読まない方がいい。それは覚悟しておこう。
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