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2020年10月29日 (木)

ドナルド・E・ウェストレイク「さらば、シェヘラザード」国書刊行会 矢口誠訳

アレンは全人生を間違った場所で送った。
  ――p81

今週は金曜日がなかった。話はそれで終わりだ。
  ――p106

【どんな本?】

 ミステリを中心に広い芸幅で大量の著作を生み続けながらも高水準の品質を保つ千のペンネームを持つ男、ドナルド・E・ウェストレイクがのこした、自伝的ポルノ小説…のフリをした何か。

 エド・トリップリスはポルノ小説のゴーストライターだ。かつては28冊ものポルノを量産しあぶく銭を稼いでいた。しかし最近は執筆の勢いが落ち締め切りを破りがち。今日も最新作を執筆中だが、まだ一章すら書けていない。締め切りは迫る。エージェントは見放しかけてる。妻のベッツィーはご機嫌ななめ。無理してタイプライターに向かい、思い付いた事をつらつら書き始めるが、どいつもこいつもポルノにならず…

 傑作なのか駄作なのか、はたまた単なるヤケなのか。ミステリ界では伝説となった問題作。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は Adios, Scheherazade, by Donald E. Westlake, 1970。日本語版は2018年6月25日初版第1刷刊行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約299頁に加え、訳者あとがき10頁+ドナルド・E・ウェストレイク主要著作リストが豪華13頁。9ポイント42字×16行×299頁=200,928字、400字詰め原稿用紙で約503枚。文庫なら普通の厚さの一冊分。

 文章はこなれている。というより、やたらテンポがよくスルスル読める。日本の作家でも、これほど読みやすく心地よい日本語の文章が書ける人は滅多にいない。ウェストレイクの文章もいいんだろうが、訳者とのコンビネーションもピッタリと息が合ってるんだろう。しかも章立てやノンブル(頁番号)の凝った仕掛けまで再現しており、訳者の熱の入れようが伝わってくる。

 もちろん内容は難しくない。敢えて言えば舞台が1960年代のアメリカなので、1ドルの価値が違ったりパソコンではなくタイプライターだったりスマートフォンがないなど、若い人には小道具や背景事情がピンとこない所があるぐらいか。

【感想は?】

 最初の頁でハッキリわかる。確かにウェストレイクは売れる作家だ。

 なんたって、文章のリズムが軽快だ。いきなり始まるのは書けない作家の愚痴なのに、文章はやたらと小気味いい。なんだよ作品番号29ってw この軽快な文章を日本語で再現した訳者にも脱帽。

 こんな軽快な文章を生み出せるんなら、さぞかし売れてるんだろうと思うんだが、残念ながら書くべきテーマが違う。書かなきゃいけないのはポルノであって、作家の愚痴じゃない。ついでに言うと、これはウェストレイクの作品だが、設定では「エド・トリップリスが書いた文章」って仕掛けになっている。つまり「架空の作家の一人称」の小説だ。ちとややこしいが、書簡小説などのパターンですね。

 もっとも、読み進めていくと、更にややこしい仕掛けになっているのが見えてくる。

 エド・トリップスは本名で、ペンネームはダーク・スマッフ。ただし、そのペンネームも別人のもので、エドはゴーストライターだ。ポルノを書く際に別のペンネームを使う作家は多いが、更にゴーストライターを使う人って、どれぐらいいるんだろう? いや結構いそうな気がしてきた。表向きは美少女が書いたことになってるけど、実はオッサンが書いてるとか。

 まあいい。そのエド君、今まではソレナリにポルノで稼いだが、別にポルノが好きじゃない。どころか、機械的にポルノを量産するのに嫌気がさしてる。これはエドの台詞じゃないが…

「こんなクソを永遠につづけられるやつはいない」
  ――p8

 なんて言葉まで飛び出してくる。よほどポルノが嫌なんだなあ。そのわりに冒頭の章はポルノ小説執筆に役立つネタが詰まってて、「ポルノ小説にはストーリーが四種類ある」なんて秘訣も明かしてたり。しかも「長さは五万語」「全体を十章に分ける」「章に一回セックス場面を盛り込む」「セックス描写は二、三ページ」と、数字をあげて具体的に教えてくれる。かと思えばセコい行数稼ぎの手口もw

 「いや俺ポルノは書かないから参考にならんし」と切り捨てたらもったいない。ポルノのセックス場面とは、その小説のウリのことだ。ホラー小説なら恐怖の場面だし、バトル小説ならバトル描写だし、スリラーなら危機と脱出にあたる。「だいたい25頁に一度は盛り上がるシーンを入れろ」というわけ。

 かと思えばベッドシーンでの純文学作家との扱いの違いも愚痴ってて、言われてみればなんなんだろうねw

 ってな感じに第1章が終わったら、なぜかまた第1章が始まる。なんじゃい、俺は没原稿を読まされたのかよw いや没どころか採用になった作品にも冷たくて…

ほとんどの場合、書き直しはいっさいしない。早い話、あまりにも内容がひどすぎて自分でも読み直す気にならないのだ。
  ――p33

 酷いw もっとも、私も書き上げた記事の校正なんがまずしないから、あまし人の事は言えないんだけどw ええ、もちろん、誤字脱字のご指摘には深く感謝しております。いやホント。

 そんな風に愚痴の合間に「お、やっとポルノを書く気になったか」と思わせる展開になるんだが、やっぱり脱線しちゃうんだな、これが。戦艦に連れ込まれたサリーとか、やたら面白いのにw 明らかにエドは芸風を間違ってるw

 などと、小説にエドの現実が紛れ込んでいく形で前半は進むんだが、中盤になると小説が現実に忍び込んでくる。そう、これは一種のメタフィクションだ。いかにもそれらしく、こんな気の利いた一節も入ってるし。

すべての理論は間違っているというのが、ぼくの理論だ。
  ――p246

 すべての理論が間違ってるなら、ぼくの理論=「すべての理論は間違っている」のも間違いで、だとすると…

 とかの眩暈を起こしそうな仕掛けを楽しんでもいいし、登場人物のモデルを想像するのも楽しい。ロッドはウェストレイク本人っぽいし、ディックはP.K.ディックかな?

 内輪ネタって点では、コロコロと変わる文章の感触やリズムもお楽しみの一つ。幾つものペンネームを使い色とりどりの芸風を使い分けたウェストレイクらしく、本作ではユーモラスな冒頭からハードボイルドな情景描写、サリンジャーっぽいヒネた告白や重苦しい内省と、場面ごとにソレっぽい文章を手慣れた感じで使い分けてる。これも訳者は苦労しただろうなあ。

 国書刊行会のメタフィクションなどと聞くと鬱陶しくて面倒くさいお話と思われそうだし、実際に主人公のエドは鬱陶しくて面倒くさい奴だし、現実と虚構が入り混じる仕掛けもあるが、そこは売れっ子のウェストレイク。リズミカルで軽快な文章にのせ、しょうもないシモネタやアメリカらしいお馬鹿な法螺話に加え、小説執筆のコツや小説家の暮らしもわかる、仕掛けは凝ってるけど肩の力を抜いて楽しめる、でも結局は何と呼んでいいのかよくわからない怪作だ。そう、怪作と聞いて食指が動く人向け。

 あ、そこの君、「さっそくこの本で学んだ行数を稼ぐ手口使ってるな」とか言わないように。

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