アルベルト・マングェル「読書の歴史 あるいは読者の歴史」柏書房 原田範行訳
解釈やら評釈、注解、注釈、連想、否定、象徴的あるいは寓意的な意味などは、テクストそのものから生まれるのではなく、読者の心の中から生まれてくるものなのである。
――読書すること 3 記憶の書どうして本は日用品と同じように扱ってはだめなの?
――読書すること 8 書物の形態フランシス・ベイコン「書物の中には、その味わいを楽しめるものもあれば、一気に飲みこんでしまうべきものもある。数は少ないが、よく噛んで消化しなければならないものもある。」
――読書すること 10 読書の隠喩バビロンの不思議な魅力は、そこを訪れる者が、一つの都を見るのではなく、いくつもの時代にまたがるさまざまな都の移り変わりを、同時に一つの空間の中に見ることができるということにある。
――読者の力 1 起源全人類の1/6は近視だという。読書隙の中では、この比率はもっと高く24%近くにもなるという。
――読者の力 10 書物馬鹿
【どんな本?】
文字の発明は、時間と空間を超えた情報の伝達を可能とした。これは同時に、二種類の人間を生み出す。著者と読者である。
古来より、著者について書かれた本は多いが、読み手については、ほとんど無視されてきた。それでも、シュメールの粘土板から現代のペンギン・ブックスまで、人々は書物を読み続けている。
陽光さす庭で、賓客が集まる応接間で、薄暗い書斎で、心地よい寝室で。見栄をはるために、知識を得るために、楽しむために、暇をつぶすために。著者の心に触れようとして、物語に浸ろうとして、都合の良い文章を探して。買った本を、借りた本を、盗んだ本を、そして自ら著した本を。
人々は、いつ、どこで、どのように、何のために、どんな本を読んできたのか。本好きの、本好きによる、本好きのための読書の本。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は A History of Reading, by Alberto Manguel, 1996。日本語版は1999年9月30日第1刷発行。私が読んだのは2000年1月25日発行の第2刷。単行本ソフトカバー縦二段組み本文約340頁に加え、訳者あとがき6頁。9ポイント27字×22行×2段×340頁=約403,920字、400字詰め原稿用紙で約1,010枚。文庫なら上下巻ぐらいの大容量。
文章はやや硬い。内容は特に難しくない。ただ、出てくる書物の多くは西洋の古典なので、そちらに詳しい人ほど楽しめるだろう。
【構成は?】
各章は独立しているので、気になった所だけを拾い読みしてもいい。
クリックで詳細表示
- 謝辞
- 読書の意味 訳者はしがきに代えて
- 最後のぺージ
- 読書すること
- 1 陰影を読む
- 2 黙読する人々
- 3 記憶の書
- 4 文字を読む術
- 5 失われた第一ページ
- 6 絵を読む
- 7 読み聞かせ
- 8 書物の形態
- 9 一人で本を読むこと
- 10 読書の隠喩
- 読者の力
- 1 起源
- 2 宇宙を創る人々
- 3 未来を読む
- 4 象徴的な読者
- 5 壁に囲まれた読書
- 6 書物泥棒
- 7 朗読者としての作者
- 8 読者としての翻訳者
- 9 禁じられた読書
- 10 書物馬鹿
- 見返しのページ
- 訳者あとがき
- 原註/図版一覧/索引
【感想は?】
考えてみれば、文字の発明とは不思議なものだ。
書き手だけでは、文字は意味を成さない。読み手が必要なのだ。現代の私たちは、書く前にまず読むことを覚える。
読むことは書くことに先んじている
――最後のぺージ
では、私たちは、どうやって読み方を身に着けたんだろう? 多くの場合、絵本などを読み聞かせてもらい、読み方を覚える。文章とは、声に出して読むものなのだ。歴史的にも、黙って読むのは珍しい能力だったらしい。
シュメール人による初期の銘板以来、書き言葉は、もともと朗読されるのを意図して記されたものであった。
――読書すること 2 黙読する人々
当たり前だが、声に出して読むと、他の者にも聞こえる。むしろ、聞かせることを目的とした朗読もあった。
中世もかなり時代を下るまで、文筆家は、自分が文章を書いている時にそれを声に出しているのと同じく、読者も、たんにテクストを見るのではなく、それを聞くものだと考えていた。
もっとも、文字を読める人が少なかったため、文字を読める人物が他の人々に読み聞かせるという方法が一般的であった。
――読書すること 2 黙読する人々
そう、朗読は立派な芸だ。今だって音声ブックがあるし、NHKラジオには朗読番組がある。同じ文章でも、読み手によって本の印象は大きく変わる。「読者の力 7 朗読者としての作者」では、朗読の芸を磨いたチャールズ・ディケンズの逸話が楽しい。当然、読むのは自らの作品だ。最初の朗読旅行では40以上もの町で80回以上の朗読会って、まるきし新曲をひっさげライブ・ツアーに出るミュージシャンだ。
幼い頃に親しんだ童謡も、大人になれば単調に感じる。子供の頃は絵本で満足できても、生意気盛りな年になれば文庫を読み始める。同じ本も、読者の成長や変化によって、読み取るものは変わってくる。
我々は同じ書物、同じページに戻ることは決してありえない。なぜなら、(略)我々自身も変わり、また書物も変化していくからである。
――読書すること 3 記憶の書
同じ読者ですら違うのなら、別の者が読めばさらに違った読み方になるのも仕方がない。
解釈はそれを生み出すテクストの数をはるかに上回る…
――読書すること 5 失われた第一ページ
この章では、カフカの「変身」の解釈の違いが面白い。私はドタバタ・ギャグだと思うんだが、「宗教的倫理的な寓話」「デカダン的な傾向を持つブルジョワの典型的な作品」「青年期の不安を示すアレゴリー」と、受け取り方が人によりまったく違う。あなた、どう読みました?
そんな風に、「どう読むか」は読み手に任されている。この自由を、困った形で使った者たちを語るのが、「読者の力 3 未来を読む」。
テクストの意味は読者の能力と願望によって拡充される
――読者の力 3 未来を読む
ここで主に取り上げているのが、紀元前70年生まれの詩人ウェルギリウス(→Wikipedia)。彼の作品は予言書みたく扱われていたらしい。今のノストラダムスみたいな扱いだね。ローマをキリスト教化したコンスタンティヌス大帝(→Wikipedia)は、ウェルギリウスからキリスト教の教義を読み取った。いや無茶やろ、と思うんだが、現代のノストラダムス信者も似たようなモンだよなあ。
もっとも、そういう読み方は、必ずしもマズいワケじゃない。本が増えるに従い、何らかの分類・整理が必要になる。図書館のように膨大な書物を集めるとなれば、なおさらだ。そこで目録を作り分類するんだが…
どんな種類の分類がなされたところで、そうした分類は読書の自由を抑圧することになる。だから、好奇心旺盛で、注意深くある読者ならば、決定づけられてしまった範疇から書物を救い出さなければならないのである。
――読者の力 2 宇宙を創る人々
抑圧というと悪意でやってるようだが、もちろん違う。一冊の本は様々な内容を含んでいて、単純な分類じゃ、どうしても抜け落ちてしまう部分があるのだ。例えば「πの歴史」は、数学の本であると同時に歴史の本でもある。では、どちらに分類すべきだろうか?
だもんで、読者は野次馬根性を発揮して、自ら本を発掘すべきなのである。そうやって私は社会学の棚から「統計という名のウソ」を救い出したのだ。えっへん。
この章では、完結明瞭な文章を良しとするカリマコス(→Wikipedia)と、長大な美文を愛するアポロニウス(→Wikipedia)の対立が楽しい。何せこの対立、今も続いてるし。SF作家だと、カリマコス派はフレドリック・ブラウンで、アポロニウス派はレイ・ブラッドベリかな? 私はややカリマコス派だなあ。
そんな昔から現代へと続く「読書あるある」の中でも、日本人として楽しいのが「読者の力 5 壁に囲まれた読書」。ここでは平安文学、それも源氏物語と枕草子が中心となる。
ある種の書物が、特定の読者のみに向けて書かれたものであるという考え方は、それこそ文学そのものと同じくらい昔からある。
――読者の力 5 壁に囲まれた読書
いずれも書き手の退屈をまぎらわすための著作であると同時に、同じ環境の女官たちに向けて書かれた作品でもあった。特に「蜻蛉日記」にある「退屈な生活を日記という形式で書いてみたら、何か面白いものができるのではないか」って、これモロにブログじゃね?
この章では男女の問題も扱ってて、「女は男向けの本を読んでも変に思われないのに、男が女向けの本を読むと変態扱いされるのは納得いかん」とムクれてて、全くもって同感です。書店も女流作家って棚はやめてほしい。オッサンが上田早由里や菅浩江や森深紅を買いにくいじゃないか。
と、読書には人目を気にするって性質もある。
(書物は)そもそもただ所有しているだけでも社会的な地位、ある種の知的な豊かさを示唆するものとなる。
――読者の力 4 象徴的な読者
そして、実際に、「読む能力」は、社会的な権力を手に入れる能力でもあるのだ。だから…
何世紀もの間、独裁者がよく心得ていたように、文字を読めない群集はきわめて容易に支配することができる。
――読者の力 9 禁じられた読書
これは独裁者だけじゃない。社会全体が抑圧に加担した時には…
アメリカ南部では、仲間に綴りを教えようとした奴隷が、農園の所有者によって縛り首にされることさえ一般的であったという。
――読者の力 9 禁じられた読書
こういう歴史的な事柄を考えると、好き放題に本が読める現代の私たちは、とても贅沢な環境にいるんだなあ、としみじみ感じるのだ。ところで私は眼鏡っ娘が大好きなのだが、このアイコンはけっこう由緒正しいシロモノらしい。
14世紀以降、眼鏡は、人物の勤勉で賢い性質を表すものとして多くの絵画に描かれるようになっていく。
――読者の力 10 書物馬鹿
などと、本読みたちの間で話題になるネタが実は昔からある古典的な話題だったり、逆に「これは俺の大発見!」だと思っていたのが大昔から知られてた事だったり、もちろん「え、そうだったの?」な逸話もあって、本好きには楽しい本だった。
【関連記事】
- 2020.9.24 ヘンリー・ペトロスキー「本棚の歴史」白水社 池田栄一訳
- 2019.7.2 デルフィーヌ・ミヌーイ「シリアの秘密図書館 瓦礫から取り出した本で図書館を作った人々」東京創元社 藤田真利子訳
- 2017.02.24 モリー・グプティル・マニング「戦地の図書館 海を越えた一億四千万冊」東京創元社 松尾恭子訳
- 2011.10.13 スティーヴン・ロジャー・フィッシャー「文字の歴史 ヒエログリフから未来の世界文字まで」研究社 鈴木晶訳
- 2014.05.25 サイモン・ウィンチェスター「博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話」ハヤカワ文庫NF 鈴木主税訳
- 2014.04.20 フレデリック・ルヴィロワ「ベストセラーの世界史」太田出版 大原宣久・三枝大修訳
- 書評一覧:歴史/地理
| 固定リンク
「書評:歴史/地理」カテゴリの記事
- ダニエル・ヤーギン「新しい世界の資源地図 エネルギー・気候変動・国家の衝突」東洋経済新報社 黒輪篤嗣訳(2024.12.02)
- アンドルー・ペティグリー「印刷という革命 ルネサンスの本と日常生活」白水社 桑木野幸司訳(2024.10.15)
- ジョン・マン「グーテンベルクの時代 印刷術が変えた世界」原書房 田村勝省訳(2024.10.09)
- クリストファー・デ・ハメル「中世の写本ができるまで」白水社 加藤麿珠枝監修 立石光子訳(2024.09.27)
- クラウディア・ブリンカー・フォン・デア・ハイデ「写本の文化誌 ヨーロッパ中世の文学とメディア」白水社 一条麻美子訳(2024.09.30)
コメント