ロジャー・クレイア「イラク原子炉攻撃! イスラエル空軍秘密作戦の全貌」並木書房 高澤市郎訳
「フライト リーダーはだれだ?」
「フライト リーダーはいません。この二人だけです」
「じゃあ、お前がフライト リーダーだ」
――第2章 モサドの破壊工作ベトナム戦争が始まってからこれまでの30年間に、世界の航空部隊で撃墜された機数の90%は高射砲などの対空火器によるものであった。(略)撃墜されたときの高度の大部分は1500フィートから4500フィートの間で、これはパイロットが最終的に目標を狙う高度なのである。
――第4章 二つの飛行隊翼タンクを無駄にする余裕がなかったため、投棄する訓練を行ったことはなかったのである。
――第6章 原子炉空爆!「爆弾が全部目標から1m以内に落ちるなんて信じられか!」
――第6章 原子炉空爆!
【どんな本?】
1981年6月7日、サダム・フセインが治めるイラクの西部にあるオシラク原子炉が、何者かの爆撃により破壊される。バビロン作戦(→Wikipedia)の名で有名なこの攻撃は、イスラエル空軍によるものだった。
作戦は、攻撃用の爆弾を抱えた8機のF-16戦闘機と、援護の6機のF-15、そして電子妨害を担う2機のF-15で行われた。16機の攻撃部隊は、F-16製造元のジェネラル ダイナミクスの設計を超え往復二千km近くの距離を、無許可でサウジアラビアおよびヨルダンを横切り、レーダーを避けるため地上30mの低空を飛んだ。
政治的にも軍事的にも前代未聞なこの作戦は、どのような経緯で計画され、決定され、実施されたのか。オシラク原子炉は、どんな目的で、何者の協力で、どのように建設され運営されたのか。イスラエルは、いかにしてオシラク原子炉の情報を手に入れたのか。そして完璧なゴールを決めたF-16のパイロットたちは、どんな者たちなのか。
攻撃に参加したF-16のパイロットたちを中心に、当時のベギン内閣やイスラエル空軍そしてモサドの主要人物はもちろん、合衆国ホワイトハウスの面々やオシラク原子炉の技術者たちにまで取材し、攻撃計画を立体的に再現する、迫力満点の軍事ドキュメンタリー。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
原書は Raid on the Sun : Inside Israel's Secret Campaign that Denied Saddam the Bomb, by Rodger W. Claire, 2004。日本語版は2007年7月15日発行。単行本ソフトカバー縦一段組み本文約292頁に加え、訳者あとがき5頁。9ポイント47字×19行×292頁=約260,756字、400字詰め原稿用紙で約652枚。文庫なら少し厚め。
文章は直訳に近い上に、少々「てにおは」が怪しい。また普通は「・」とする所を半角の空白にするクセがある。例えば「サンタ・モニカ」が「サンタ モニカ」とか。でも大丈夫。100頁も読めば慣れます。読んだ私が言ってるんだから間違いない。もっとも、中身の面白さに引きずられて評価が甘くなってるかもしれない。反面、「訳者あとがき」を読む限り、固有名詞や数字などは訳者が独自に確認しているようで、正確さにはかなり気を使っている。要は、わかりやすさを犠牲にしてでも正確さを求める学者の文章ですね。
軍事物だが、ジャーナリストの作品だけあって、とても初心者に親切だ。例えばF-16とF-15の違いはもちろん、航空機の航続距離に何がどう影響するか、爆弾投下時にパイロットがすることなど、細かく具体的に説明している。下手なパイロット物の小説より、遥かに素人にやさしい。むしろ航空小説を読む前に本書を読んだ方がいい。
ただ単位がヤード・ポンド法なのが少し辛い。ちなみに1フィートは約30cm、1マイルは約1.6km、1ポンドは約454グラム、1ガロンは約3.8リットル。
【構成は?】
ほぼ時系列で進むので、素直に頭から読もう。
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はじめに
プロローグ バビロンへの道
第1章 フセインの野望
第2章 モサドの破壊工作
第3章 F16戦闘機到着!
第4章 二つの飛行隊
第5章 息子たちの出撃
第6章 原子炉空爆!
第7章 全機帰還!
エピローグ 20年後の再開
訳者あとがき
【感想は?】
訳者は文章に少しクセがある。「・」のかわりに半角の空白を使うとか。そのため、読者は出だしで多少とまどうだろう。
が、プロローグに入ると、次第に慣れてくる。どころか、読み進めていくうちに、頁をめくる手を止められなくなってしまう。下手な冒険小説を遥かにしのぐ面白さなのだ、困ったことに。
何が困るといって、この作戦自体が、政治的に極めてヤバいからだ。もともとイスラエルは周辺国と仲が悪い。そんな状況で、いくら険悪な関係とはいえ、交戦中でもない他国に対し予告なしの攻撃、しかも目標は原子炉だ。運転中だったら、飛び散った放射性物質で周辺は死の海になる。「原子炉で核兵器を作られちゃ困る」とか言ってるが、「そういうお前はどうなんだ」と返されたら…
加えて、攻撃はサウジアラビアとヨルダンの領空を侵犯して行われた。両国はいずれも親米で、アラブの中では比較的イスラエルに対し穏健な姿勢だったが、この作戦でメンツを潰されてしまう。まあメンツはともかく、無断で他国の領空を侵犯するってどうよ。
実際、作戦が明るみになった途端、イスラエルは世界中から総スカンを食らう。ケツ持ちの合衆国、それもタカ派のレーガン政権すら非難に回った。それぐらい政治的に非常識で無茶な作戦だった。
にも関わらず、章を重ねるうちに、作戦に関わったイスラエル空軍やモサドを応援したくなるのだ。これは実にヤバい。もともと私がイスラエル贔屓なのもあるが、たびたび「落ち着け俺」と自分に言い聞かせなければならなかった。
これには、作戦の立案から結構までの経緯と並行して、各章の冒頭で作戦当日の緊迫感あふれる模様を描く構成の妙もある。が、それ以上に、とにかく物語として面白い。
幅広く綿密な取材によって丁寧に描かれた背景事情は、舞台をクッキリと浮かび上がらせる。その舞台の中で、小国ならではの柔軟性と徹底した実力主義が育てた、イスラエルの軍とモサドの卓越した能力とチームワークは、まんま冒険小説のヒーローを見るような気分になる。
序盤では、まずイラク側の事情が楽しい。原子炉関連の部品や技術を手に入れる際、札束でひっぱたくようなイラクの手口は想像通りだが、ひっぱたかれつつもチャッカリとオマケをふんだくるフランスの厚顔ぶりにも呆れる。また独裁者の例に漏れず杜撰で強引なプロジェクトの進め方には、思わず笑ってしまう。
予定じゃ1年かかる建築計画を、「半年でできます」と入札したら、45日で仕上げろと命じられたとか、もはやポルナレフ状態(→ピクシブ百科事典)だろう。
そんなイラクの計画を調べ邪魔するモサドも、独裁者とはまた別の意味で怖い。パリにいる技術者を取り込む手口は、突き詰めれば「飲ませて抱かせて握らせる」んだが、警戒させずに親しくなって話を聞きだす手口が洗練されていて狡猾極まりない。かと思えば、他国内でテロ同然の真似もやらかす。その暴力性は「ゴッドファーザー」が描くシシリアン・マフィア以上だ。
「グラーグ」や「チェチェン」が描くソ連・ロシアのチェカーは強引で粗暴なだけのヤクザだが、本書が描くモサドは狐の狡猾さとマシンの冷酷さを併せ持つ。世界中で恐れられるのも納得できる。
などと丁寧に書き込まれた背景もワクワクするが、後半から終盤にかけては軍事物、それもパイロット物の面白さが群を抜いているのだ。
そもそもイスラエルは狭い。だからイスラエル空軍もスプリンターが揃っている。大抵の飛行は1時間以内で、本作戦のように四時間を超える飛行は、まずない。そのため二千km近く飛ぶ燃料をどうするかが、準備段階で深刻な問題となる。またパイロットも長時間の飛行には慣れず…。まあ、アレだ、あなたも歳をとるとピンとくるようになります。
そんなイスラエルが当時の最新鋭機F-16を手に入れた事情も、世界情勢の不可思議さを感じるところ。見事にアブラアゲを攫ったイスラエルだが、後に因果はめぐるから世の中はわからない。
そして何より有難いのが、戦闘機の操縦について、やたらと親切かつ細かく教えてくれること。例えばニュースで「アビオニクス」なんて言葉が出て来るが、本書には出てこない。かわりに、当時のイスラエル空軍保有のF-15とF-16の違いを語る所などで、整備や操縦の具体的な手順の違いを描いていて、自然と操作・操縦の自動化の有難みが伝わるようになっている。
そして白眉が本書のクライマックス、原子炉を爆撃する場面で、パイロットがどんな順番でどんな操作をし、それがどんな目的と効果を持つのか。そして迎え撃つ対空火器や地対空ミサイルにはどんなクセがあるのかまで、物語の緊張感を保ちつつも丁寧に説明してくれるのだ。軍事、それも空軍物の初心者には、極めてありがたい本である。
この場面ではイラク側の対応まで描いていて、著者の取材の幅広さには舌を巻いてしまう。また攻撃の時刻にまで気を配ったイスラエル空軍の周到さには頭が下がるが、ネタを嗅ぎつけたモサドの情報収集能力には背筋が寒くなったり。確か第三次中東戦争でエジプト空軍基地を叩く際にも、同じ隙をついてたなあ(「第三次中東戦争全史」)。
そんなハードウェアに加え、映画「トップガン」のマーベリックとアイスみたいなパイロット同士の葛藤も盛り込んであるんだからたまらない。私のようなニワカは「なぜF-15ではなくF-16なのか」と疑問に思うんだが、やっぱりそういう議論もあったらしい。だろうなあ。
と、あまり知る機会のないアラブの独裁国の内情、やはり秘密に包まれた諜報機関モサドの狡猾さ、F-16入手の経緯などでわかる国際情勢の混沌、そして迫力と緊張感あふれるミッション遂行場面など、コンパクトな本ながら読みどころはギッシリ詰まっているくせに、お話はやたらと面白くて頁をめくる手が止まらない、色々な意味で困った本だ。
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【おわりに】
いままで構成というか目次を馬鹿丁寧に書いてたけど、人によっては煩く感じるかもと思ってたところで、<details>タグを覚えたので、試しに使ってみた。「詳細表示」をクリックまたはタップすると、構成の詳細が出る。画面が広いパソコンの読者はあまり気にならないだろうが、スマートフォンの読者にはこっちの方が親切…なのかなあ?
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