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2020年8月27日 (木)

グラント・キャリン「サターン・デッドヒート」ハヤカワ文庫SF 小隅黎・高林慧子訳

「あれの製作者は六という数字に固執していたのです」
  ――p76

「あのふたりの豚野郎を地球軌道まで運んでいける人間はわたししかいませんから」
  ――p163

「何か新しいことを学ぶのはけっして無駄づかいじゃないよ」
  ――p202

「元気を出せよ、提督。もし<キャッチャー>があなたをひろいあげそこねたら、いずれにせよあなたは死ぬんだから」
  ――p313

「もう、六じゃ駄目かもしれないよ、ディンプ」
  ――p386

【どんな本?】

 合衆国空軍で宇宙技術者将校を務め、NASAの宇宙ステーション計画にも参加したSF作家グラント・キャリンによる、近未来の太陽系それも土星近傍を舞台としたエキサイティングで爽快な冒険サイエンス・フィクション。

 人類が太陽系に進出し始めた未来。クリアス・ホワイトティンプルは、四十代の考古学教授だ。勤め先は地球近傍のスペースコロニー、ホームⅢの大学。彼にコロニー集団を仕切るスペースホーム社のジョージ・オグミから連絡が入る。土星の衛星イアペトゥスで、異星人の遺物らしき物が見つかった。六角形の容器に入った厚さ1cmほどの合金で、表面に円・円弧・直線そして六角形からなる線画が描かれている。

 どうやら「異星人の宝物」の地図らしい。地図は土星近傍を示している。宝物が手に入れば、スペースコロニーは地球から財政的な独立が叶う。そこで遺跡の発掘と古文書の解読に長けたクリアスを呼んだのだ。

 せかされて土星近傍へと向かうクリアスだが、そこには同じ宝物を狙う地球の宇宙船も来ていた。人類の未来を賭けた宝探しレースが始まる…

 ボイジャーがかき集めた当時の最新情報を盛り込みつつ、個性豊かな登場人物と迫真の風景描写そして手に汗握るストーリーが楽しめる。

 なお訳者の小隅黎は柴野拓美のペンネーム。

【いつ出たの?分量は?読みやすい?】

 原書は SATURNALIA, by Grant Callin, 1986。日本語版は1988年5月31日発行。文庫で縦一段組み本文約397頁に加え、高橋良平の解説6頁。8ポイント42字×18行×397頁=約300,132字、400字詰め原稿用紙で約751枚。文庫では厚い部類。

 文章はこなれている。内容も特に難しくない。土星とその衛星が舞台だが、その辺に疎くても大丈夫。必要な事柄は本文内にちゃんと説明がある。当然、メカ好きには嬉しいガジェットが続々と登場する。あと一種のバディ物でもあるので、腐った人には嬉しいかも。

 それと、少し基礎的な数字などを。温度0℃は約273K。地球の地表の気圧は約千ミリバール=1バール≒千ヘクトパスカル。有機水素=有機結合水素は炭化水素、要は石油や天然ガスのこと。

 ただ、今は新刊はもちろん古本でも発掘は難しいと思うので、図書館で借りよう。なんとかならん、早川さん?

【感想は?】

 ボビー・ドラゴン,マーヴェリック,シン・カザマ。この名前にピンときたあなたに、この本はお薦め。

 実はガッチリとしたサイエンス・フィクションの傑作として有名な作品だ。

 他恒星系が舞台の代表作が「竜の卵」なら、太陽系が舞台の作品としては本作が順当なところだろう。「竜の卵」は、中性子性という異様な環境がもたらす、私たちの感覚と全く異なる、というよりほとんど相いれないアレやコレやが、サイエンスを突き抜けたセンス・オブ・ワンダーを生んでいた。

 対して、本作はかろうじてヒトの感覚の枠内に収まる。違いもせいぜい2~3桁だ。あ、当然、十進数で。いや2~3桁ってのもなんだが、SFや天文学ってのはそうなんだからしょうがないw

 まあいい。そんな風に、なんとか想像できる範囲内に収まるだけ、本作は「過酷な状況でのスリリングな冒険物語」としての面白さが際立っている。そのクライマックスは、もちろんタイトル通り土星が舞台なんだけど、それはまた後で。

 冒頭から、冒険SF小説の王道を行ってる。土星の衛星イアペトゥスで見つかった、異星人の遺物らしきモノ。それには円と円弧と直線、それに六角形で構成された線画が描かれていた。調べたところ、線画は土星とその衛星に隠された「宝の地図」らしい。お宝を巡り、地球とスペース・コロニーのレースが始まる。

 冒頭でこの地図の謎を解くあたりから、SF冒険物の楽しさがギチギチに詰まってる。そもそも、相手は言葉も通じない異星人だ。そんな奴に、どうやってメッセージを伝えるか。ファースト・コンタクト物のセンス・オブ・ワンダーに加え、宝探しのワクワク感が味わえる、心地よい滑り出しだ。

 そこでスペースコロニー側の探偵役に選ばれるのが、クリアス・ホワイトディンプル、後に提督と呼ばれるオッサン。考古学者の宝探しというとインディ・ジョーンズが思い浮かぶが、残念ながら提督はアレほど肉体派じゃない…少なくとも、最初は。むしろ現状に満足している公務員に近い、知的で穏やかな人物だ。

 その提督のバディとなるのは、20歳の小鬼ことジュニア。優れた頭脳と卓越した操縦技術と邪悪なユーモア、そして脆弱な肉体の持ち主。

 「おいおい、そんなんでトップガンやれるのか?」と思われるかもしれないが、幸い舞台は大気圏じゃない。速度こそ秒速数kmなんて F-14 Tomcat も耐えられない高速度だけど、効いてくるのは空気力学じゃなくて軌道力学だ。しかも、土星なのがミソ。木星と違い土星にはアレがあって…。この風景も、本作の欠かせない味の一つ。

 パイロット物の主人公に共通した性質が幾つかある。飛ぶのが好きで、鼻っ柱が強くて、組織に馴染めない。そして人を評価する基準は地位でも財布の中身でもなく、飛ばす腕がすべて。登場時の提督は何一つ備えてないけど、ジュニアと共に危機をくぐり抜けるうち、次第に汚染されてきて…。こういうのも、本書の冒険物としての面白さに繋がっている。もっとも、ノリはライトノベルっぽいけどw

 また、単に飛ぶ場面だけじゃなくて、「降りる」場面の緊迫感が半端ないのも、本作の特徴だろう。この辺は、主に整備された滑走路での離着陸が多い固定翼機ではなく、整備もされず土地勘もない所での離着陸を求められる回転翼機に近いかも。

 そして、終盤では表紙イラストにあるように、なんと提督は土星にまで潜る羽目になる。それまでの低温低圧低重力とは正反対の、高温高圧高重力の環境だ。しかも厳しい環境は通信すらも阻害し、パイロットは孤独な戦いを余儀なくされる。ここでの静かに迫りくる恐怖は、潜水艦物を思わせる。

 当然ながら環境ごとに活躍するマシンも違うし、地球とコロニー双方の機体が出てくるので、メカ好きにも嬉しい場面が盛りだくさん。高圧環境に慣れパワーあふれる機体を贅沢に操る金持ちの地球に対し、知恵と工夫と腕で挑むコロニー陣営。いやあ、アクション物の王道だねえ。

 そんなわけで、科学でガッチリと設定を固めたサイエンス・フィクションの面白さと、向こう見ずなパイロットが危険に挑む冒険物の緊張、そして宝探し競争のゾクゾク感を兼ね備えた、王道の娯楽冒険SF小説だ。残念ながら今は手に入りにくいが、黄金期の爽快なSFが読みたいなら、頑張って探す価値はある。ほんと、何とかしてくださいハヤカワさん。

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