上田岳弘「ニムロッド」講談社
「金を掘る仕事」というのが、ぼくの新たな課の担当業務だ。
――p7駄目な飛行機があったからこそ、駄目じゃない飛行機が今あるんだね。
――p33古いものに継ぎ足して、開発期間の短縮と経費削減を狙ったことが、最悪の結果に繋がった。
――p46「ドルは紙切れとコイン、それから武器でできている。仮想通貨はソースコードと哲学でできている」
――p69言ってることと、望んでいることが一致していないことはよくある。
――p107
【どんな本?】
2013年に第45回新潮新人賞を受賞した「太陽」で華々しくデビューした上田岳弘による中編。
中本哲史は小さなIT企業でマシンの保守を受け持っている。社長の気まぐれで新たに仮想通貨の採掘を命じられた。先輩で別事業所の荷室仁ことニムロッドから、ときおりメールが届く。最近は「駄目な飛行機コレクション」の話が多い。証券会社に勤める彼女の田久保紀子は、海外それもシンガポールへよく出張に行く。仮想通貨採掘は当初それなりに採算が取れていたが…
2019年1月の第160回芥川賞受賞。
【いつ出たの?分量は?読みやすい?】
2019年1月28日第一刷発行。単行本ハードカバー縦一段組み本文約134頁。9.5ポイント40字×17行×134頁=約91,120字、400字詰め原稿用紙で約228枚。中編ぐらいの分量。
文章はこなれている。内容も特に難しくない。サーバーだの仮想通貨だのといったコンピュータ関係の小道具が出てくるが、分からなくてもお話には大きな問題はない。むしろ大事なのは題名であるニムロッド(→Wikipedia)だろう。あと、「太陽・惑星」など過去作を読んでいると、ニヤリとする仕掛けがある。
【感想は?】
まずは芥川賞の変貌ぶりに驚く。
「SFが読みたい!2012年版」では、円城塔が日本ブンガク界の理系アレルギーを危ぶんでいた。当時は石原慎太郎 vs 田中慎弥みたいな構図で報じられたけど、実際は石原慎太郎 vs 円城塔だったんだよなあ。今思えば、あれがSFの地位が変わるきざしだった。次は藤井太洋に直木賞を取ってほしい。
そんなワケで、ブンガクはテクノロジーと相性が悪いような雰囲気だったんだが、本作ではいきなりサーバーだ Facebook だデータセンターだと、ソッチ系の言葉が次々と飛び出す。
そもそも主人公からしてサーバーのメンテ担当だ。物語はサーバールームにノートパソコンを持ち込む場面から始まる。てっきり RS232C で telnetかと思ったら…いえ、なんでもないです。いや最近の状況は疎くて。そうか、最近は静かなのか。
テーマは色々あるんだろうけど、私の印象は「一流半の人たちの物語」だ。
その象徴の一つが、「駄目な飛行機コレクション」。試験機が飛ばなかったとか、事故が起きて量産に至らなかったとか、使ったけどそもそもアレだとか、そんな航空機を集めたサイトだ。なかなか楽しい記事なので、忙しい時にクリックしてはいけない。
と書くと、まるきし駄目なモノばかりのようだが、それは書いてる人の目線であって。これらの飛行機たちは、少なくとも予算をかけて実機を作るまではいったのだ。最初から「駄目じゃん」と言われ企画段階で潰れたワケじゃない。これら一機の影には、設計図の段階で十機が消えていて、アイデアに至っては千以上が消えているはずだ。
この記事は、ニムロッドが送ってくるメールに出てくる。そのニムロッドは小説を書いていて、「新人賞の最終選考に三回連続で残っては落選している」。この文章じゃ落ちた点に注目しちゃうけど、こうしたら、どう感じる? 「新人賞の選考に三回連続で最終選考に残った」。
これが一流半の所以だ。
私のような半端な文章書きからすれば、最終選考に残ったってだけで、凄いと思う。どころか、そもそも小説を完成させただけでも尊敬してしまう。だがニムロッドは違う。ちゃんと小説の書き方を心得ていて、三回も、しかも連続で最終選考まで行った。遥かな高みにいて、にも関わらず、いやだからこそ、更なる高みへの道の険しさが見えている。
これは彼女の田久保紀子も同じだ。外資系の証券会社に勤め、大きなビジネスに関わっている。が、密かに絶望を抱えている。個人的な過去の傷を負ってもいるが、それに加え…
「どうせもうほとんどの人はこの世界がどうやって運営されているのかなんて、知らないし興味だってないんだから」
――p87
いや「もう」じゃないでしょ。昔から、ほとんどの人は世界のことなんか知らなかったし、興味もなかったよ。食ってくのに精いっぱいで、もう少し美味いモン食いたいとか楽したいとか、その程度しか考えちゃいないって。そういう事を悩んじゃうのも、彼女が大きなビジネスの世界を知り、その世界で生きているためだ。
そんな一流半の人たちの愚痴の屑籠となった中本哲史はボヤく。「僕にできるのは、ただ敗北を認めることだけだ」「僕が思い付くようなことはきっとどこかの誰かが既にやっているだろう」。
そうボヤいてる中本哲史も会社じゃ便利屋としてソレナリに役に立ってるんだけど、何せ周囲が優秀すぎる。こういう「優れた人と自分を比べた時の落ち込み」みたいなのは、インターネットの普及で更に激しくなってたり。今までは「町内一の歌自慢」ぐらいで鼻高々でいられたけど、今は Youtube で世界トップクラスの歌手と比べられちゃう。
そういったミュージシャンの格差は「50 いまの経済をつくったモノ」に書いてあったけど、同時にアマチュアが作品を発表する機会も増えた。私のような泡沫ブロガーも、マイペースで記事を書き続けていられる。
僕の思考なんて誰も興味ないかもしれないけど、わずかな現象が静かに連鎖していって、大きな変調を起こすことだってあるかもしれない。
――p90
まあ大きな変調とまではいかないまでも、「王様の耳はロバの耳」と叫ぶ穴ぐらいの気晴らしにはなってるから、ま、いっか。
なんてとりとめのないことを考えながら読んでいくと、やっぱり出ました上田岳弘節w とにかくこの人、例のアレやらないと気が済まないらしいw 今回は巧いこと衣に包んでるけど、隙あらばSFにしようとする魂胆がたまらんw
今までの上田作品に比べると登場人物も少ないし、現実世界からの飛躍も読者の抵抗をなくすように工夫している。その分、上田色は薄いけど、それだけアクが弱く万民向けな味に仕上がっている。そういう位置づけなので、「濃いSFは苦手だけど『少し不思議』なら」な人に向くだろう。
…って、結局SFとして読むのかいw
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